
2001年7月21日。
前日泊まったバンベルクに長居してしまったため、午後6時頃に到着。
ご主人様 「どうする〜?宿空いてるかな〜?」
私 「どうにかなるでしょ。街になかったら、ちょっとくらいディンケルスビュールから離れてたっていいじゃん。空いてるホテル見つけよう!」
と、こんなやりとりをしながら、この小さな街についたのですが・・・
なんと私達の心配をよそに結構空いてる!さっそくよさげなガストホーフを見つけてチェックイン!
こうしてヨーロッパバスも停まる小さな街、ディンケルスビュールを訪れた私たちですが、この日を選んだのには訳があるんです。
実は毎年7月の第3月曜日前後の10日間で、キンダーツェッヒェという伝統あるお祭りが開催されているのでした(宿を心配したのもそのため)。で、今年は7月13日〜22日までの日程。
お祭り見たさにやってきちゃいました。写真左の旗はスウェーデン国旗ですが、この北欧の国がその昔南ドイツのこの街と大きく関って、お祭りにもなっているなんて・・・歴史っておもしろいですよね!
どういったお祭りなのかは後ほど説明する事にして、まずは街を散策してみましょう。
ここディンケルスビュールに人々が入植したのは紀元8世紀ごろ。
その後10世紀頃にはバルト海とイタリアを結ぶ南北の道に加え、ヴォルムスからクラクフに至る東西の道も通るという、2つの重要な商業路が交わる都市となりました。
そのため街の周辺には塔や城壁といった防衛設備が築かれました。
その後14世紀には毛織布業が発達し、15世紀以降は綿織物業が主要産業となって発展していきました。
1618年に始まった30年戦争では、この街を巡ってスウェーデン軍と激しくぶつかります。
最終的にスウェーデン軍は撤退したのですが、戦争の爪痕は大きく、次第に街の重要性は失われていきました。
19世紀初め神聖ローマ帝国が解体されたのちはバイエルンに属し、バイエルン王ルードヴィヒ一世が城壁や塔の取り壊しを禁じたことから、中世のままの姿を今日まで残すこととなったのです。
この街はいくつもの塔と城壁に囲まれています。
写真はその中の一つローテンブルク門。塔の窓枠の上には街の紋章と帝国の紋章が飾られているのですが・・・。
この写真では、はっきりとは見えないですねぇ・・・。(ごめんなさい)
そして写真右はローテンブルク門に続く城壁とファウル塔。
ガウル池の前に建っています。
ここはかつての監獄だった塔だそうです。でもとても美しい風景だったので撮ってみました。
街ではお祭りのためかあちこちに旗が建てられ、また家の窓枠には色とりどりの花が飾られてとてもきれい!
その中でも一番目を引くのはワインマルクトにあるドイチェスハウスかしら?
1600年頃に建てられた後期ルネッサンス様式の建物で、現在はホテルになっています。
もちろんここは満室でした。
ここ以外にも魅力的なホテルやレストランがあちこちにありました。
こちらは西側の入り口、セーリング門から見た景観です。
手前の半分しか写っていないのは、三博士礼拝堂。
そして奥には緑塔が見えます。城壁の中はどこを見ても中世そのまま。
小さく静かな街だけど、人気があるのがわかります。
さて、明けて22日の日曜日。今日はお祭りの最終日。
「朝早くにくり出して、歩き回らなきゃ。」と張り切っていたら・・・朝食を7:30にと言っておいたのに、ホテルの人が誰もいない!
「何でぇ〜?」と思いながらも待つ事30分。それでも来る気配がまるでなし!
同じ7:30に予約していたドイツ人夫婦もしびれをきらし、朝食抜きの値段をテーブルに置いて、さっさと出て行ってしまいました。
45分過ぎてもまだ来ないので、私達も同じようにメモとお金を置いて出発。
出鼻をくじかれ「まぁったく、どういうこと?!」ってかんじだったのですが、近所のパン屋さんで食べた朝食が美味しかったので、気を取り直してお散歩です。
まっ、ここドイツではこの程度で怒っていては身が持ちません。
朝早くからお散歩をしていると、お祭りに参加する親子や街の人達が中世の衣装を着て歩いています。
その姿を見るだけでも、気分は盛り上がってきますよ。
ではここでキンダーツェッヒェとはどのようなお祭りなのか説明いたしましょう。
30年戦争も半ばに入った1632年、スウェーデン軍がディンケルスビュールに侵攻してきました。(北欧からこんなとこまでよく来たもんだ。)
スウェーデン大公ディートリッヒ・フォン・シュペロイトは街を包囲し、降伏を迫りますが、街の参事会は答えを決めかねて、時間だけが過ぎていきます。
(写真は聖ゲオルク教会前に再現された野営風景。)
やがて業を煮やした大公が、街を焼き払おうとしたその時、少女ローレに率いられた街の子供たちが大公の前に進み出てひざまづき、許しを請います。
子供たちの中に我が子の面影を見た大公は、その願いを聞き入れ、攻撃することなく、参事会の解散という形で街を占拠しました。
この史実に基づき子供たちに感謝するのが、キンダーツェッヒェのお祭りなんです。
1897年から毎年史劇が上演されており、この種の史劇としてはドイツでもっとも古いものだそうです。
出演者はもちろん街の人たち。(劇団なのかな?ホームページには出演者の名前がずらり)
かなりの芸達者ですよ。ふふふ。
この史劇は一部と二部に分かれています。
第一部はシュランネと呼ばれる宴会場で上演されます(ドイチェスハウスの隣)。
ここでは街を包囲され、苦悩する参事会の人たちの様子が演じられます。それが終わると第二部へ。
場所は旧市庁舎広場へと移り、そこで攻めてきたスウェーデン軍に、許しを請う子供達の演技が・・・。
今考えれば、第一部が終わった時に一目散に会場を後にする人たちがいたんですよね。
あれはきっと第二部の良い席を確保するためだったんだわ!
訳がわからず出遅れてしまった私達だったのですが、大きなドイツ人の脇からひょこひょこ顔を出して見ていたら、その人が私を前に入れてくれました。
感謝感謝!っという事で、ばっちり撮った写真で、ちょっぴり劇をお楽しみくださいませ。
みんな真剣そのもの。子供たちだって、じっと並んでいます。とにかくかわいいー!
写真左はスウェーデン大公と大公が我が子の面影を見たという子供。
史劇が終わった後、子供を抱えてポーズをとってくれます。
この劇のチケットはシュランネの中で買えます。良い席でなければ、当日でも十分に空いていました。
お祭り期間中は史劇の他にも、スウェーデン軍の野営や曜日によっては伝統的なフォークダンスも催されるようです。
街中が中世に戻っちゃうんですね。
さてさて、お昼からは待ちに待ったパレードです。
まず初めにスウェーデン軍の行進。
トランペットを吹き鳴らし、街を占領したことを知らせます。
当時の大砲や槍部隊。負傷兵や罪人などいろいろな人たちがいます。
そしてディンケルスビュールの参事会の議員を先頭に市民の行進。
これもまた当時の衣装や生活用具と一緒で、中世の暮らし振りがわかっておもしろい!
そしてかわいらしい子供達の行進です。
子供達の先頭はディンケルスビュール少年楽団。
真剣な顔で頑張っています。
続いてローレと子供達、そして色とりどりの中世の衣装をまとった子供達。
あまりのお天気にちょっとお疲れ気味の子たちもいたようでしたが、皆からお菓子をたくさんもらって頑張っていました。
このパレードは旧市街の広い範囲を練り歩きます。
かなりの数の人たちが参加する大掛かりなパレードで、いろいろな所に移動して何度も楽しめますよ。
私たちも何箇所か場所を変えてみたり、教会の塔に登ったりとあちこち動き回って本当に楽しい時間を過ごせました。
子供達に素敵な思い出を作らせてもらったあと、私達は次の目的地キーム湖へと向いました。
ディンケルスビュール関連ページ
http://www.dinkelsbuehl.de