
ナツコの留学生活。はっきり言って、つらいことばかりだった。いろいろ、“日本に帰るーーー。”ってだだこねたり、夜中一人で泣いたりしていた気がする。
それは、ホームシックと呼ばれるものを通り過ぎて、やっぱり、つらかったんだなあと思う。でも、自分で選んだ道だから、と言い聞かせて、ここまで来られた。
留学中にあった、出来事を振り返ってみよっかなあ。
今思えば結構無謀な計画だったというか、考えが甘かったんだと思う。でも、それ以外に、方法がなかった。
アメリカに留学するときに、一番、大変なのは家探しだと、実感している。
というのも、日本にいて、自分の住む家を探すというのは、とても困難を要するからだ。
ナツコは、アメリカに付いて、一週間で家を探すと決めていた。それまで、モーテルに泊まろうと思っていたが、結局、父の知り合いの家の奥さんが泊めてくれた。
でも、その一週間。とても地獄だった。まだ、なれない土地で、勝手もわからずに、家探しをするのは、人の助けなしではやっていけなかった。
しかも、この土地は、車が無いと、本当にどこにもいけない。
バスは走ってはいるけど、治安がいいとは言えないし、少し、恐い。
サンフランシスコ市内に住むには、車は必要ないといえる。というのも、坂が多い町で車を乗るほうが大変だからだ。(しかもパーキングが無い)
しかし、ナツコが通うことになっていた、Cañada Collegeは、Redwood cityという、少し南の方にあったので、
その辺で家を探さなければいけなかった。
最初の2日間ぐらいで、車を買うことを決意する。前々から、車を買おうと思っていたし、(これも考えが甘かったんだけど・・・。)
とりあえず、お世話になっている家を一刻も早くでたかった。
ナツコが探したのは、日本食スーパーマーケットの掲示板。そこには、ルームメイト募集という張り紙がいっぱいでている。
しかし、ナツコがアメリカについたのは7月の終わりごろ。その時期は、もう、あまり募集していないらしい。
というのも、部屋が空いて人が入れ替わるのは、やっぱり、学期が終わる6月のはじめ〜中ごろにかけて。
だから、とても探すのに苦労した。
学校のinternational student officeにも行って、部屋情報を仕入れるが、あまりいい情報はない。
アメリカには、自分一人でアパートメントに住む方法。ルームメイトを探して、アパートをシェアする方法。そして、一軒屋の一部屋を間借りする、Room for Rentと呼ばれる部屋を探す方法。と、いろいろある。
結局、日本食スーパーの掲示板で見つけた部屋を見に行く。
そこの、部屋は日本人のおばあさんの一軒家の間借り。少し薄暗くて、昼間でも太陽の光が入らない。とても陰気くさい。
けど、このさい贅沢は言ってられないと、その部屋に決めた。家賃は、光熱費込みで一ヶ月$450.
Bay Areaと呼ばれる、この地域。
ナツコがアメリカに来たときは、ちょうど、好景気だった。シリコンバレーには、たくさんのコンピューター関連会社や日本企業がofficeを構え、
そこに勤める人々は、ベンツや、その他、高級車のconvertibleを乗り回していた。
そのせいで、この辺り一体の家賃は急激にあがった。
一人でアパートを借りるには最低で$800.今は、$1000以上払わないと一人暮らしはできないらしい。
でも、それが、少し、田舎の方へ行くと、$400くらいで、アパートに住めて一人暮らしができるらしい。
2年たった今、シリコンバレーは不景気に陥って、いろいろな会社が倒産しているけれども、家賃は、一向に下がらない。(値上げも止まったけどね。)
とりあえず、そこに住んで最初のセメスターをそこから、通った。
でも、この家、ナツコにとっては、よく、半年も我慢したなと思う。
大家さんは、とてもいい人だったけど、おばあちゃんだから、少し扱いずらかった。
そして、彼女が飼っている2匹の猫。かわいいのだけど、のみがいっぱいいて、とても汚かった。
シャワーのお湯は、時々でなくなるし、生ごみ臭いし、しまいには、そのおばあちゃんに、人の部屋に勝手に入られる。人の手紙を勝手に破かれる。
そんなことが続いて、結構、家を出る決意をした。
最初の半年、ナツコは、毎日がホームシックだった。
今まで、東京のど真ん中で育ってきたせいか、この、アメリカの不便な生活がとてもイヤだった。
学校も、なんか語学学校みたいで、つまらなかったし、学校が終わってこの、くらーい部屋に帰ると気分がめいって、
コンピューターに向かっていつも友達にメールを書いていた。それだけが、楽しみだった。
だから、12月のクリスマス休暇に日本に帰ることにした。
家探しは、日本から帰ってきてからすることにする。
案の定、日本への帰国は、とても楽しかった。
友達にも会い、家族や親戚とお正月を過ごし、大好きなテレビを(ものすごいテレビっ子)朝から晩まで見て、
This is my life!!て思いつつ、エンジョイしてた。
本当に、アメリカに帰ってくるのがイヤだった。
帰ってきてからの、時差ぼけ、ホームシックは、すごいものだった。
毎日、夜になると、一人でいるのが、とても不安で、布団をかぶって、泣きながら何回も日本にいた彼に電話していた。
しかし、泣いてばかりはいられない。
一刻も早く、この家を出ないと、自分がだめになると思った。
そこまで、思いつめていた。
知ってる限りの友達に電話をして、どこかに部屋情報がないかを仕入れる。
そしたら、同じ学校の日本人の男の子の隣の部屋が空いてるという。
さっそく、次の日に見に行き、その次の週末から住み始めることに決めた。
自分でも、こういった危機的状況の時の決断力と行動力には驚いた。
大家さんに、来週で家を出るというと、少し嫌味を言われるが、もう、2度と会うことも無いだろうと思って、強気になっていた。
出ると決めたら、一刻も早く出たくて、夜通し、荷造りをする。
こんなにうれしいことは無かった・・・。
次に住んだ家。
こんどは、アメリカ人の家の一間を借りる。
といっても、真っ白い壁、かわいい出窓と、結構かわいい部屋だ。
そこの家の旦那さんが、大工をやっていて、2年前ぐらいに自分で設計して建てたマイホームなんですって。
でも、この家もとても制約が多かった。
部屋でご飯を食べてはいけないこと。友達を夜の9時以降に連れてきてはいけないこと。もちろん泊まらせてもだめ。
おやじは、神経質で、バスルームをきれいに掃除してるのに、なにかしら、文句をつける。
日本食を作っていると、匂いに反応して嫌な顔をされる。
一度、焼き魚を電子レンジでチンしたら、匂いが家中に充満してしまい、手紙をもらう。(口で言ってくれればいいのに・・・。
そして、隣の部屋にいた日本人の男の子。
たまに、お経を読み上げる。(笑)
なかなか、つらかった・・・。
結局、何だかんだいいながら、その家には一年半も住んだけどね・・・。
今は、日本にいたときの友達と、その彼氏と3人で、アパートに住んでいる。
なんか、前の家にいたときのように、毎日家に帰るのがイヤだという気持ちがどっかにいってしまい、とても楽しい毎日。
でも、家を探すのって、本当に大変。(汗)
時間と労力を要して、その上引越し。
もう、二度としたくないな・・・。
またまた、引越してしまいました。
と、いうのも、前の家のルームメイトが日本に帰ったからなんだけど、
やっぱり、前の家も、家運がなく、我慢することばかりだったり、
ルームメイトにこっちは、気を使っているのに、むこうは、やりたい放題。
で、今回は、すっごい、きれいで、真っ白で明るくて、もう言うことなし。
でも、ナツコは、家運がないので、まだ引っ越したばかりだから、
満足なのか…。これから、何かが待っているのか…。
はー。
こう、人に気を使わずに住めるようになったことだけが、救いだねえ…。
2.車の事故
アメリカには車は必需品。特に、カリフォルニアは、公共の交通機関がそこまで発達していないため、やっぱり、必需品。
なかには、車を持っていない留学生もいるけれど、あまりの不便さに、のちのち購入する人が多い。
ボストンや、NYの学生は、車を持たなくても生活できるらしいので、とてもうらやましかった。
ナツコは、こっちにきて、一ヵ月後には車を乗っていた。というのも、来て一週間でレンタカーをし、
新しい家を見つけ、そして、その家に引っ越してから、1週間で買う車を決めていた。
でも、ナツコはこっちに来るまで、本当にまったく車のことは何もしらなかった。
恥かしい話、Fordがアメ車だってことさえも、知らなかったぐらいだから・・・。(笑)
よく、そんな人が車を買えて、そして、今車を走らせているなあと、自分でもちょっと感心。
まあ、アメリカに留学したら、車をのるかもということで、日本で免許を取り、夜の町をひたすら親に内緒で走らせていたこともあった・・・。
だけど、所詮まだペーペーのドライバー。
そんな人が、左ハンドルになり、時速70マイル(110kmぐらい??)で、freewayを乗ることは容易ではなかったのです。
買った車は、FordのTEMPOという車種。きっと日本では売っていないでしょう。
94年物を$4500で買ったのですが、これは賛否両論。安いという人もいるし、高いという人もいる。
でも、最初は、あまり好きじゃなかったこの車にも、今はとっても愛情を注いでる。(自分で洗車してるし。)
まず、なれなかったのが、ガソリンを入れること。
こっちは、もちろんself service!!日本人は、自分でガソリンを入れたことが無い人の方が多いのではないでしょうか。
まず、入れ方がわからない。一応、ガスタンクをあけてみるけど、今度は機械の使い方がわからない。
でも、きちんと、そういう人たちのために、instructionが書いてあるのです。
お金の払い方には、3つの方法があるの。
ひとつは、現金で払う方法。2つめは、クレジットカードで払う方法。そして、3つめは、Dabitカードで払う方法。
クレジットとデイビットカードは、ガソリンを入れるところで、払えるんだけど、
現金の場合は、お店の中まで行かなければいけないのです。
車をとめたら、お店の中に入っていき、”$20 on No4, please!"と、20ドルなら、20ドルを前払いし、自分のタンクの番号を告げ、
そして、車に戻り、ガソリンを入れ始めるの。
それで、ガソリンが一杯になったり、払ったお金の値段の分だけガソリンを入れたら、自動的に止まる仕組みになっているのでした。
(当たり前のようだけど、最初に、入れたときは、、ガソリン止まらなかったらどうしよう・・。と不安になったりした。)
もし、20ドル払って、18ドル分しかガソリンが入らなかったら、またお店の中に戻って、お釣りをもらうのです。
結構、面倒くさいけど、慣れるとガソリン入れるのも楽しかった。
(今は、もう、面倒くさいの一点です。)
そうそう、車の事故。
この2年間で、2回ぶつけられた。
幸い、車にも、ナツコにも、なんのダメージもなかったのだけれど、かなり、精神的なショックがおっきかった。
一度目の事故は、学校の駐車場で。
ナツコの車が通っているのに、いきなりバックしてきた車がいたの。
そのときも、バーンと言う音がして、恐かった・・・。
でも、車も無傷。ナツコも無傷。で、結局、話し合って、(というか、押し切られて)何事も無かったという風にした。
2回目は、”El Camino Real”(スペイン語で王道ってイミなんだって!!)と呼ばれる道で。
この道は、サンフランシスコから、ロスまで続いてる、一般道。もちろん、信号もあるし、普通の国道見たいかなあ。
その日は、雨が降っていて、気をつけなきゃねって、友達と二人で乗っていた。
そしたら、案の定、ナツコの前の前の車に、ナツコの前の車がバーン。
でも、ナツコは車間距離をあけていたから、前の車にぶつからずに、止まることができた。
そしたら、いきなり、後ろの車がバーンって、ナツコにぶつかったのおおお。
すごい衝撃で、もう、結構パニック。
でも、ここは、ナツコは全然悪くないから、"I am sorry !"だけは、言わないぞと、心に何回も言い聞かす。
(じゃないと、なんか、悪くも無いのに、謝ってしまいそうだったから・・。)
幸い、ぶつかった車の人は、紳士というか、道理をわきまえている人で、自分が悪いから、何か車や体に不都合がでたら、保険会社に電話してと、
向うの情報だけを聞く。
でも、車にも、ダメージないし、(あんなにばーんってぶつかったのに、無傷。とても丈夫なナツコの車。)
それは、よかった。
と、双方が話し合って、いざ、現場を離れようとしたら・・・。
前の車の運転手が、"Are you leaving?" っていうから、"Yes, I am"と答える。
そしたら、免許書番号と、車の番号をよこせって言うの。
だから、なんでナツコがぶつかってもいないのに、そんなことしないといけないの?ってきいたら、
ぶつかったって言うんだよ。
すっごい、むかついて、一生懸命、ぶつかっていないっていってるのに、信じてくれない。
自分が前の車にぶつかっておいて、人のせいにするつもりみたい。このひと。
だけど、負けない!!と思って、(当たり前だけど、)10分ぐらい押し問答をしてて、結局開放された。
なんか、すっごい、むかつく。
それ以来、幸い、車の事故は起こしても巻き込まれてもいないけど、
最近、相次いで友達が車の事故に巻き込まれる。(3人もだよ!!)
だから、少し、恐くなった。
明日は我が身かと思うと、車も運転できなくなってしまうけど、そのくらいの気持ちで気をつけて運転しよう!!
そうそう、事故じゃないけど、このあいだ、エンジンかけたら、車のハンドルから、煙が出てきた。
これには、ぞーっとした。
このまま、爆発して死んでしまうのでは・・・。と、不安になって、エンジン切ったら、煙は止まった。
さすがにこわいから、その日は友達の家に泊まって、次の日、見に行ってみると、
なんともなく、走り出した。だから、さ、家に帰ろうと思ったら、
少し走って、道端の坂道で止まってしまった。
本当にこのときは泣きそうだった。幸い、路肩があったからよかったけど、もしなかったら、事故になっていたかもしれないと思うと、恐いよー。
その時、たくさんの人に助けてもらって、友情の温かみを知った。
ありがとうね。助けてくれた皆様。
そして、もうひとつ。
ナツコは、一回警察につかまった。
でも、法定規則で走っていたのに、後ろからパトカーが。
ナツコ、バカだから、自分じゃないと思って、よけまくってたら、自分だった・・。(笑)
でも、なんでつかまったのか、そのときはまったくわからなかったら、registration violationだって。
いわゆる、車両登録不備。
でも、お金払ったし、何も悪いことしてない!!って言い張っても、ゆるしてもらえなくて、車をレッカーされてしまった・・・。
これは、本当に泣きそうだった。
なんか、あとで聞くところによると、一年に一回登録料を払うのと一緒に、車の保険のコピーを見せなければいけないらしく、
それを知らずに、お金を払ったから、おっけーとのほほんと走ってたから、つかまったらしい。
結局、レッカー代$150取られ、それに、罰金$50.(なんで、レッカー代のほうが高いのヨオオ!!)
とほほ・・・。って感じだった。
それ以来、警察を見ると、むやみに反応してしまう。
もう、絶対つかまりたくない。すっごいこわいんだよ。アメリカの警察官。
ナツコは、アメリカに来る前に家庭教師を半年ぐらい雇って、英語を勉強してた。
今、思うと、これが、結構ナツコの英語力、というか、間違ってもいいから、とりあえず会話をするという勇気を与えてくれた。
だから、アメリカに着いても英語学校とよばれる語学学校には行かなかった。
それなりに、自信があったし、一回ボストンに3週間語学留学しており、その語学学校のレベルの低さを知っていたからだ。
最初のセメスター。
ものすごーく、授業がつまらなかった。
すべて、簡単すぎて、毎日、暇をもてあましていた。
アメリカの授業は、宿題の量が多く、寝る間もないくらい勉強すると聞いていたのに、午前中で終わって、くらーい家に帰って、
宿題と予習をちょこちょこっとしても、一日の時間はたーっぷリあった。
でも唯一、イヤだなーと思った授業。それは、Englighと呼ばれる、エッセイのクラスだった。
アメリカのエッセイは日本と違って、FORMがあって、それにそって書かれているエッセイがとても良いエッセイと評価される。
例えば、Paragraphは、たいてい5つ。
最初のparagraphは,introduction. そして、そのイントロの最後のsentenceに、thesis statement.(いわゆる主題。)
そのあとの3つの段落は、その主題をサポートする事柄を述べるためのsurporting paragraphs.
そして、each paragraphの最初のsentenceには、topic sentenceと呼ばれる、要点を書く。
最後の段落には、conclusion.いわゆる、今までのまとめを違った言葉で言い表す。
それで、ひとつのエッセイになる。
日本のように、起承転結とよばれるものではない。(っていうか、”転”が無いんだと思う。)
最初のセメスターに取っていたenglishの授業は、non native speakerのためのクラスだったので、
周りのみんなも、英語が母国語ではない人たちで、先生も、そういった人たちの英語に慣れていたため、
ナツコたちが、どんな英語を使おうとも、いいたいことをわかってくれた。
(Ms.Carlson.は、とても厳しいけど、がんばる人には、それなりに、評価を与えてくれる良い先生だった。)
テーマは、日本とアメリカの違いとか、自分の身近のテーマを与えてくれて、書いて先生に読んでもらうのがとても楽しかった。
見事、Aで、その授業を終えた!!
次のセメスター。
今度は、アメリカ人の生徒と同じレベルのクラスのEnglishの授業を取る。
これは、アメリカ人も必修のクラスで、すべての人が卒業するのに必要なクラス。
それなりに、厳しくて、アメリカ人でも、何回も落とす人がいるらしいと聞いていた。
留学生をきちんと評価してくれると、巷でうわさの先生の授業を取ることにした。
しかし、授業が始まってみると、その先生が今セメスターは教えないことになったという。
そして、代わりに来た先生は、白人で40代ぐらいの女の先生。
洋服は派手だしアメリカ人にしては珍しくスカートにハイヒール。、口調は、厳しいし、顔は恐い。”あ、このクラス失敗??”と、思ったのだが、
”いーや。こういう見かけがこわい先生に限って、笑ったらやさしくて、人の痛みをわかるんだ!!”
と、勝手に決め付けて、この先生の授業を取ることにした。
今、思えば、この時点で、何人ものアメリカ人がクラスを変えている。
それに早く気づけばよかった。
アメリカの大学は、セメスターが始まって初めの2週間は、いろいろクラスを変えられる。
日本の大学と違って、ひとつのクラスごとにお金を払うので、この2週間の間だったら、お金も返ってくるし、何回もチェンジができる。
まあ、ナツコは変えないことにしたんだけど、後悔したのは、この2週間を過ぎてからだった・・・。
先生に個人的に何人もの生徒が呼ばれて、個人面談。
ナツコも、呼ばれた生徒の一人。そして、その時先生が言った言葉は、
"Your English is not good enough for this class. So you should lower you class from now."
でも、それは、追加したり、止めたりしたりできる期限の2週間から、ちょうど一日過ぎた日だった。
だから、"I can not change or drop my classes because the week is over."
って言ったら、その先生、何て言ったと思います??
"I can not teach you because you are not a native speaker."
ですって。この、いろいろな人種が多い、カリフォルニア、ましてや、サンフランシスコで、この発言は、なんなんでしょうね。
"You are a teacher!! You are supposed to teach students!!"
と、言ってやれ!!と、ネイティブの友達にあとで、言われたのですが、小心者のナツコにそんな勇気はなく、
"So, What should I do!!"と、日本人っぽい答えをしてしまった・・・。
そしたら、"You can stay my class, but I can not guarantee that you can pass my class."って。
まだ、授業が始まって2週間。で、この人一体ナツコの何が判るって言うの??
でも、ナツコは留学生。ネイティブの10倍もの学費を納めている。
こんなことで、授業を落とされてはたまらないと、この先生に食いつく決心をする。
でも、この先生。誰に言わせても人種差別。
だって、授業中にね、生徒が発言しないから、(あんなに発言好きのアメリカ人でさえも恐くて発言しない。)
名簿順に指していくのね、で、ナツコは、苗字が、Aで始まるから、名簿の一番最初なのに、
わざわざ、2番目の人から、当てていく。
同じクラスに陽子ちゃんという日本人がいたんだけど、そのこは、名簿の終わりの方だったんだけど、
彼女をわざととばして、当てない。
で、最後にしょうがないから、一番に戻る振りして、ナツコを指名する。
そんな、露骨な嫌がらせが、結構毎回のように続いた。
ナツコも陽子ちゃんも、とりあえず、$450(ひとつの授業代)を無駄にしたくなかったから、
一生懸命がんばっていた。
だって、例えば、この授業を落とすと、また、次の学期に$450払わなければいけないんだよ!!
卒業も遅れるし・・・。
こういう風に、いじめられていても、”きっと、うちらの英語力がまだ、やっぱり足りないからなんだ・・・。”
って、お互いをなぐさめあって、先生にいじめられているのを現実逃避してみたり、
”きっと、先生はうちらのためを思ってやってるんだ!!"って、思うようにしてみたり、
とりあえず、月・水・金の授業のある日は、本当に朝起きるのがイヤで、毎日が地獄だった・・・。
かなり、精神的にやばかったと思う。
そして、本当にこの先生をsueしてやろうと思った出来事。
(ご存知のとおり、アメリカは、すぐ裁判を起こす国なので、ナツコも、この先生を人種差別で、訴えようかと思った。)
一学期に、4ページくらいのエッセイを5つぐらい書くのだけど、やっぱり、最初の2つ・3つはすごく成績が悪かった。
だから、こんなに、いじめられて悔しいから、すっごくがんばって、寝る間も惜しんで、4つめのエッセイにすべてを捧げた。
その結果、できあがった一枚のエッセイは、すっごく自分でも感心するぐらい、いいのに仕上がった。
もちろん、文法や、語法は、アメリカ人の人にチェックしてもらって、直したけど、自分の言葉で書いて、自分が書きたいことがとてもうまくかけたと自信作だった。
そのエッセイを提出した、次の授業の帰りに、あとで、officeに来るように言われた。
どうして??このエッセイの何が悪いの?って、ちょーどきどき。
本当に、心臓が痛くて、バクバクなっていて、ストレスによる、胃痛をはじめて味わう。
約束の時間にofficeに行ってみると、
"Hi! Natsuko! What can I do for you?"
って、言われる。
あんたが、話があるっていうからわざわざ来たのに、この人、自分で人のこと呼んだ理由を忘れていた。"You said you need to talk to me!!"
というと、やっと思い出したかの用に、ナツコのエッセイを取り出して、
"Is that you English?"
って。本当に、頭の中が????となるぐらい、意味がわからなかった。
そしたら、続けて、"This is not your English. I think somebody wrote thie essay for you."
って、言われた。腹がたって、何も言葉が出なかった・・・。
要するに、ナツコが、誰かに頼んで、このエッセイを書いてもらったって言ってるんでしょ!!
バカにしないでよねー。
あんたに負けるのが悔しくて、寝ずに書いたエッセイをcheatingしてるって言われた日には、どうすればいいのよ。
もう、反論する元気もなくて、"I just worked very hard!"っていったら、
"OK. I will give you a B"っていって、そのエッセイにBをくれた。
でもね、普通、エッセイの評価って、先生の独断と偏見で評価をしてはいけなくて、
ちゃんと、evaluation sheetという代物があって、内容何点、文の構造何点、というように、その点数を足して、評価をつけなければいけないのに、
この、おばちゃんは、(もう、この際、ばばーとでも呼びたい)そんな、evaluation sheetの存在を知らないかのように、
ささーと一回読んで、Aとか、Bとか、Cとか、(もしくは、それ以下か・・・。)をつける。
(この先生の授業で、Aをとった生徒は、一人ぐらいしかしらないぐらい、点数に厳しい。)
とりあえず、She is not supposed to be a teacher!!!と、大声で叫びたいくらい、
彼女は、いい加減な先生だった。
あとで、友達に聞いたところ、アメリカの先生というのは、パートタイムの人が多いらしく、(特にenglish)
その辺の主婦のおばちゃんが、暇つぶしのおこづかい稼ぎに先生をやるそうです。
彼女も、パートの一環としてやっていたらしく、そんな、主婦の趣味の延長のような先生に振り回され、傷つけられ、ぼろぼろになった、ナツコは、一体何なんだろう・・・。
この授業は、18週間、しかも週3日と延々と続いた・・・。
本当に、最後の日がくるのが待ち遠しかった。
クラスの残りの数を、指折り数えて待っていたのを、ナツコの友達はみんな知ってるぐらい、最後の日は、天国だった。
もう、あの女の顔を見なくてもいいと思うと、生きていて良かった・・・。っといっても大げさではなかったんだ。
結果、このクラスパスはできたけど、Cを食らった・・・。この2年間で、取った、唯一のC.
友達に言わせると、ナツコの英語力なら、他の先生は、らくらくAをくれただろうと・・・。
すごく悔しかったので、学校のDEANと呼ばれる、いわゆる、生徒の苦情処理のおじちゃんの所に訴えに行こうと思ったのだが、
終わってしまえば、もう、どうでもよくなってしまい、早く、そのクラスのことを忘れたかったのもあって、
結局、泣き寝入りを取る形になってしまった・・・。
もう二度と、englihの授業は取らないと、心に誓ったナツコであった。
3セメ目。
結構、授業が忙しくなり、宿題や、テスト勉強に追われながらもとても充実した毎日を過ごせた。
月から金までは、自分のフリータイムには、予習、復習、宿題、テスト勉強と。
朝、毎日7時おきで、(これは、ナツコにとっては、すごいことなの!!)8時から、授業。と、
この半年間は、絶対弱音をはかずにやりとおすと決めた、決意があったから、乗り切れたんだと思う。
結果は、とてもよかった・・・。
4セメ目。
ひとつ、アートのクラスを取らなければいけなかった。
アートといっても、いろいろチョイスがあって、drawingのクラスや、musicのクラス等、自分が取って楽しそうなクラスを選べるのだ。
でも、そこで、ナツコが選んだのは・・・。
また、English・・・。おばか・・・。
この英語のクラスは、小説のクラスなので、アートの分野に入るのだけど、あんなに、英語のクラスで苦しんで、
もう、二度ととらないと誓ったのに、また、取ってしまった・・・。
というのも、この4セメ目が、ナツコに取って、留学生活最後のセメスターだった。
だから、あと、半年がんばれば、勉強からおさらばという思いもあったし、自分の英語力をもっとimproveさせるには、やっぱり、楽はいけないと
自分を谷ぞこへ突き落とすことにした。
案の定。
とても、つらい毎日が待っていた。
今度の先生は、不適な笑みを浮かべる、60歳ぐらいの白人の女性。
ナツコには、白人の女性の英語の先生というトラウマがあったので、この先生が笑うと、”これは、ぜったい、つくり笑いだ・・。”とものすごく恐かった。
また、いじめられるのではという不安と戦いながらも、毎日が過ぎていった。
この先生。
この先生も、臨時の教師だったため、自分が何を教えていいかわからずに、ものすごく適当に、授業はすすんでいく。
でも、課題は、とても無理に近い量を平気でだす。
アメリカ人の生徒が不満を言っても、それが出来ないのなら、このクラスから出て行きなさいと言う。
とりあえず、言われたことをすべてやるしか、ナツコには残された道はなかった。
毎日、やっぱりつらかった。
今回は、精神的にも肉体的にも。
この授業を落としたら、卒業できないというプレッシャーもあってか、毎日、毎日、どきどきしていた。
友達のさくらさんには、"だから、取るなっていったでしょ!!!”と、何回言われたことか・・・。
宿題も、今までの授業の中で、一番多かった。
毎日、与えられた小説を読んで、それについて、一ページ感想をかかなければいけなかった。
一番、つらかった課題。
それは、シェイクスピアの"Hamlet"
古典英語で書かれているため、まったく、理解できない・・・。
(アメリカ人もわからないと言っていたから、きっと本当に難しいんだと思う。日本の古典の文章みたいなのかな?)
しかし、このハムレットについてのエッセイは、目の前に迫っている・・・。
あせっていた、ナツコは、悪知恵を思いつく。
”そうだ!!日本語で読めばいいんだ!!”
思い立った瞬間、足は、紀伊国屋ブックストアに向かうことばかりを考えていた(笑)
まあ、でも、そのくらいの要領のよさが無いと、このクラスは乗り切れなかったと思う。
罪悪感というものも多少あったけど、エッセイを書くのは、英語なんだからと、開き直ってみたりもした・・・。
そして、いかにも英語で読みましたかのように書いた、エッセイの点数は、結構良かったよ!!
そして、ナツコの留学生活最後の難関。プレゼンテーション。
二人一組になって、ひとつの題目の詩や小説について、ディスカッションをリードする役目。
ナツコのパートナーは、サルバドールから来たという女の子。
二人とも、ノンネイティブスピーカーなのにどうすればいいんだろう・・・。と、ものすごく不安だった。
でも、始まってみれば、なんとかなるもんだなあと。
結構、大盛況に終わり、無事にこのEnglishの授業も終えた。
先生は、ナツコに厳しかった。
それは、授業中にあまり発言をしなかったことと、やっぱり、英語がペラペラじゃないということで、
最初のクラスの時に、"This class will be hard for you!!"
と言われていた。
でも、前の先生と違って、自分が助けになるとも言ってくれた。
それでも、彼女は、厳しかった。
ただ、がんばった分だけ、評価をくれた。
結果、このクラスは、Aで終わることが出来た。
最後のクラスの時に、先生が、
"I am impressed!! Usulally Asian students have hard time to follow this class because your culture is totally different from our culture, but you did great.!!"
と、声をかけてくれた。
なんか涙がでそうになった。
その瞬間、4ヶ月間、苦しみながらもがんばってきた、自分の努力が報われたような気がした。
最後の8枚のエッセイに、先生は、100点満点をくれた。
これは、ネイティブでも滅多に取れる点数じゃないって、他の人が教えてくれた。
有終の美。
やっぱり、人間なれというものは恐ろしい。
アメリカに旅行に来ていたときは、夜なんて、絶対一人で歩けなかったのに、今では、平気で買い物いったりしてしまう自分がいる。
でも、いつでも危険はつき物なんだって、心にいれておかなければいけないのに・・・。
これは、アメリカに限ったことではないよね。最近、日本はものすごく物騒になったって言うし、日本にいたときも恐い目にあったりしてる。
だから、気をつけなければと、改めて思い直してみた。
恐い体験と、タイトルに書いたけど、実際、本当に恐い目を見たのは、一回ぐらいかなあ。
その話をしようと思う。
去年、(2000年)の3月くらいの話。
オークランドに住んでいる友達の所に遊びに言った帰り道、(もちろん車)
ナツコは、ガソリンを入れておかなかったことに後悔した。
その時、すでに、時間は夜中の2時を回っていたので、
ガソリンスタンドに寄るのも恐い。
おそらく、家までは大丈夫だろうと思い、友達の家を後にした。
オークランドから、その時ナツコが住んでいた家までは、車で40分ぐらい。
でも、日本の車の40分と違って、Freewayをひたすら、70マイル(110kmぐらい??)で走るので、
東京からだったら、箱根とか、その辺までいけちゃう距離なのかな??
そんなわけで、ガソリンの減りも早い。
ナツコの車は,FORDにしては、gas milage(燃費)がいい方で、結構走れるのですが、
運転している途中に、このままこんな真夜中に車が止まってしまったら、どうしよう・・・・。と、思いっきり不安になり、
ナツコは、究極の選択を迫られた。
ひとつ。
このまま、家まで走りつづけて、ガソリンがなくなるか、なんとか間に合うか、いちかばちかにかける案。
だけど、万が一止まったら、真っ暗な道に、一人ぼっちで、変な人が来て、殺されるかもしれない・・・。
その当時、携帯なんか持っていなかったから、電話をかけて助けを呼ぶにも、電話ボックスまで歩かなければいけない・・・。
警察の振りをして、変な人が寄ってくるかもしれない・・・。
いやー。こわい。
ふたつ。
ガソリンスタンドに寄って、さささっと、家に着くだけのガソリンを入れる方法。
これなら、3分ぐらいで、終わる。
でも、ガソリンスタンドって、結構治安が悪い・・・。
と、運転しながら、ずーっと、どうしようどうしよう。と、この二つの案を天秤にかけて、悩んでいました。
でも、今思えば、家に帰るまでの充分なガソリンって、あった気がする。
その時は、止まったら殺されるー。と、いう不安でナツコの心はいっぱいで、冷静な判断ができなかった。
正直、本当に、日本の新聞の社会面の文字が頭に浮かんだから。
”日本人留学生、行方不明!!”
”邦人留学生、殺される!!”
ってな感じで、親がオンオン、ナツコの葬式で泣いていて、ワイドショーのレポーターにインタビューされている映像が頭をよぎった。
(ワイドショーの見すぎなんだと思う・・・)
天秤にかけられた、二つの案。
ひとつめの方が、ナツコには殺される可能性が高いと思った。
(でも、車が止まらなければ、殺されもしないのに、ナツコは、もう、ガソリンは間に合わないと決め付けていたんだよね。なぜか・・・。)
ってなことで、ガソリンスタンドに寄る決心をする。
でも、全然知らない土地のガソリンスタンドに寄るのはちょっと恐い。
自分の知っている土地のガソリンスタンドに寄ることにする。
そこは、まあまあ、治安がいいと言われているところで、明るくて、見通しが良くて、車どおりも多少あるところを選んだ。
車を停めて、ガソリンのノズルをタンクに挿すと、誰かがナツコの車に寄ってくる。
”うわー、やめてよー。”と、少し震えあがる。
目をあわさないようにしようと思っていると、その人が、話し掛けてくる。
"kahg hgowi gheiao???!”
と、何を言っているのかさっぱりわからない。
でも、どうやら英語のようなんだけど、すっごい酔っ払っていて、でも、語尾があがっているから、ナツコになんか質問をしているのだと思った。
ここで、無視しておけばいいのに、"Yes??!"
って、答えてしまった・・・。
そしたら、向うが、"Yes??!!!"
って、オウム返しに聞くから、もう一度,"Yes?!"って言ってしまった…。
その頃には、恐くなってきたので、家に帰るのに充分なガソリンを入れて、ノズルをしまって、タンクを閉めていて、
早く、この場を去ろうと思っていた。
そしたら、また、彼がなんか言っている。
今度は、少し聞き取れた。
"Can you ride me?"
って、言っていたきがした。・・・・。その瞬間、本当に恐かった・・。
だって、ナツコ、ずっと、"Yes?" "Yes?"って、イエスって言ってたんだもん。(大バカ)
彼は、もうナツコの車に乗る気になっていて、助手席の方に回った。
これは、やばいと思い、すばやく運転席に乗り込んで、エンジンをかける。
すると、彼は、助手席のドアをがちゃがちゃがちゃと。
幸い、車のドアに鍵をかけていたので、彼は、中にはいることはできなかった。
でも、あきらめずに、がちゃがちゃやっているから、おかまいなしに、思いっきりアクセルを踏む。
そのあとのことは、ほとんど覚えていない。とりあえず、車を走らせるだけ走らせたので、
自分がどこを走っているのかも、わからなくなって、今度は道に迷う。
体は、ぶるぶる震えていて、息もできないくらい恐怖におののいていた。
とりあえず、車を運転できる状態じゃなかったので、停めるが、また、その車を停めた辺りが、
治安が悪そうな工業地帯。車一台と通っていなく、(夜中の3時くらいだから、当たり前だけど、)
でも、自分が今どこにいるかもわからずに、涙ぼろぼろ出てきて、どうしていいかわからなかった。
少し、たって、ようやく落ち着いて回りを見てみると、なんか、見覚えがある場所で、
一応地図で確認してから、走り始めた。
帰り道で、さっきあった出来事を思い返してみると、すごくこわかった。
もし、彼が銃とか持っていたら、どうなっていたんだろう・・・。
と、思うと、また、体が震えてきた。
なんとか、無事に着いて、友達に電話すると、心配していたと。
もう二度と、ガソリンスタンドに夜中に寄るな!!と怒られる。(当たり前だけど・・・。)
次の日、車の助手席を運転席から開けてみると、なんと、鍵が壊れていた・・・。
ショック・・・。
あの、オヤジが、がちゃがちゃ思いっきりドアを引っ張るから、ナツコの車の鍵が壊れてしまった・・・。
もう、二度と、危険な行動はやめようと誓った、出来事でした。
みなさん。夜中に、ガソリンスタンドに行くのは、止めましょう!!
余談。
日本であった、恐い(?)体験。
ナツコは、日本にいる時に、居酒屋でバイトしてた。(みんな知ってると思うけど・・・。)
夜の12時まで、働いていて、いつも帰るのは12時半ごろ。
バイト先から家まで歩いて5分ぐらいの距離だったんだけど、
うちの周りはオフィス街で夜になると、無人化する。
だから、車どおりもないし、人通りなんてもっとない。
叫んでも、人がもう、街にいないから、助けなんて・・・。ってな感じでした。
いつものように、家路を急いでいると、見慣れないタクシーがナツコを見つけて徐行し始めた。
ナツコが、いつも歩いていると、タクシーは徐行するのです。
というのも、その近辺に住んでいるなんて思われないため、残業して終電を逃がしたOLと思われるのか、親切に止まってくれたりする。
でも、ナツコはタクシーを止めた覚えはないから、いっつも無視してると、”ちっ。”って言われて去っていくの。(これ、失礼だと思いません??勝手に勘違いしておいてさ。)
でも、その日のタクシーは、東京で走っていない会社のタクシー。
タクシー会社の名前も、色も、まったく見たことがなかった。
向かいの方から、走ってきていたんだけど、徐行して、でも、ナツコの前を通り過ぎる。
良かった・・・。と思っていたら、
そのタクシー。いきなりバックして、ナツコの歩幅にあわせて、走ってる。
道にでも迷って、聞きたいのかなあとおもって、足を止めてタクシーのほうを見てみると、
その運転手、窓をかーっと開けて、にやーーーー、って笑って、
”ねー、お姉ちゃん。僕と遊ばない?"って言われた。
このとき、背筋がこおったぐらい、気持ち悪かった・・・。
何が、気持ち悪かったって、その運転手のにやーって笑った顔。
たんなる、スケベオヤジにしか見えなかった・・。
そういうときに、どうやって、その場を逃げ出すか。
これは、いつも迷うところで、
1・駆け出して逃げる。
2.思いっきり言い返す。
3.ギャグで笑いを取る。
などなど・・・。いろいろ考えて見たんだけど、そういった、変質者は、刺激を与えると逆効果なので、
無視して歩きだすことにした。
数メートルついてきてたんだけど、(車をバックしてだよ!!)
ナツコは、ひたすら無視。
そしたら、あきらめて、やっと、前に車を走り出した。
家まで数十メートルの距離だったので、車が去ったことを確認して、ひたすらダッシュで家まで帰る。
これは、恐いというか、気味が悪い出来事でした。(笑)
あの、見慣れないタクシー会社。ほんとに、存在するのだろうか?!今でも疑問。
みなさん、夜道の一人歩きは気をつけましょうね!!
(ナツコこそ、気をつけろ!!って感じだけどね。(笑))
5.スキンシップ。
こうやって、いろいろな出来事を書いてきたのですが、これだけ読むと留学を薦めない?って思われるかもしれないけど、
うーん?!どうなんだろう。
人には、向き不向きがあって、ナツコはたまたま、あまり留学生活があわなかったのかもしれないし、
他の留学生は、すっごくたのしー、って言っていて、エンジョイしてるこもたくさんいる。
ナツコの留学生活だって嫌なことばかりじゃなかったし。
でも、親のお金で遊びまくっている、留学生を見ると、嫌悪感を抱く。
彼ら、(彼女たち?)は、親のお金でドラックを買ったり、飲み歩いたりして、勉強もぎりぎりパスする程度で、
日本人とつるみ、遊びほうけてる。
そういう、留学生にはなりたくないと思った。
(実際、ならなかったけど)
かと、言って、アメリカ人の中に入っていっていたかというと、まったくそうでもなかった。
やっぱり、言葉の壁というのは大きい。
クラス、クラスで、友達はいたけど、
(っていうかね、真面目な留学生。ノートを借りるために利用されていたって考え方もあるのだけど・・・。)
未だに連絡を取っているアメリカ人の友達は悲しいけど、一人もいない。
メキシコ人の友達はちらほらいるんだけどね・・・。
(やっぱり、メキシコ人という人種は、friendlyだし、お高く止まっていないから好き。)
そうそう。メキシコ人の友達の話を少しすると・・・。
さっき、余談で話したとおり、ナツコは、居酒屋で3年アルバイトをして、留学費を貯めていた。(涙が出るような話・・・。笑)
実際は、居酒屋バイトが結構好きで、天職だなあと思ったことが何回もあるくらい、働くのは苦ではなかった。
オフィス街の居酒屋だったので、月から金まで週5日、大学の帰りに働いていて、
学生時代は、テニスと、バイトと、英語の勉強の3つを掛け持ちしてがんばっていたため、
毎日忙しく、今思うと、よく、あんなに体力あったなあと。(年をとったのでしょうか・・・。)
そうそう、その居酒屋バイト。
酔っ払いのサラリーマン相手に、いろいろオヤジギャグを交わす手段を身につけた!!
でも、どうしても許せなかったのは、セクハラされること。
酔っ払った勢いで、胸を触られたり、やらしいこと言われたり、(まだ言われるのは我慢できるが・・・。)
そんなことが、たまにあった。
そのせいで、結構、人にいやらしく見られたり、触られたりするのが、ものすごくトラウマになっていた。
そんな、状況でアメリカに来たので、hagをされるのに、抵抗があった。
でも、アメリカ人だって、相当仲が良い相手にしかハグは、しない。
だから、あまり、気にはしてなかったんだけど。
ある日、メキシコ人の男の友達と、カフェテリアでおしゃべりをしていたときに、
彼が、いきなり、ナツコに肩を組んできた。
メキシコ人は、とてもフレンドリーとともに、スキンシップを大切にする人たち。
女同士でも、ほっぺにちゅっとするし、メキシコ人の彼にとっては、別に何とも無いことだったんだろうな。
でも、トラウマを持っているナツコ。
背筋が寒くなって、思わず、"Don't touch me!!!"
って、叫んでしまった。
そしたら、びっくりしたのは、彼の方。
何が起こったんだ??って顔をしてる。
でも、ナツコにとって、そういったスキンシップはとても恐かった。
一応、説明をしてみたけど、日本のオヤジのスケベ事情は、メキシコ人には理解できないらしく、
????という顔をしてる。
当たり前だよね・・・。
周りにいた、日本人もびっくりしてたもんな。
それ以外、彼は、ナツコによそよそしくなってしまった・・・。
今は、ハグをされても、ほっぺにちゅーをされても、手を握られても、別に大丈夫になった。
それも、結局、アメリカに慣れたのだろうけど、
今でも、そのメキシコ人の彼には、申し訳ない気持ちでいっぱい。
ごめんね、怒鳴ったりして・・・。
でも、一回身についた嫌悪感というのは、なかなか取れないのです。
居酒屋のねーちゃんは、ホステスさんとは違います。
手を触れないようにしましょうね。(笑)
こうやって、アメリカにまで影響してしまったのですから・・・。
6.勇気をもらったこと。
あまり、アメリカにくる前は、家族と正直に話し合ったことなんてなかった。
なんか、照れくさくて弱いところをみせられなかったし。
でも、アメリカに来てから、家族との連絡をメールでするようになって、
なんだか、とても励まされたし、元気付けられた。
それは、家族だけでなく、友だちも同じ。
みんなが、励ましてくれたから、ナツコは、2年間がんばってこられたんだと思う。
時には、甘っちょろいナツコのことを、しかってくれたり、すごいよと、誉めてくれたり。
その中でも、父親からもらったひとつの文章。
本当に、日本に帰ろうと思っていたナツコに、もう少し、がんばる勇気をくれた。
*Don't Be Afraid to Fail*
You have failed many times, although you may not remember.
You fell down the first time you tried to walk.
You almost drowned the first time you tried to swim, didn't you?
Did you hit the ball the first time you swung a bat?
Heavy hitters, the ones who hit the most home runs, also strike out a lot.
R. H. Macy failed seven times before his store in New York caught on.
English Novelist, John Creasey got 753 rejection slips before he published 564 books.
Babe Ruth struck out 1330 times, but he also hit 714 home runs.
Don't worry about failure. Worry about the chances you miss when you don't even try.
これを、読むと、何もチャレンジしないで、あきらめてしまおうとしている自分が情けなくなってくると同時に、
がんばろう!!と、いう勇気をもらえる。
何事も、やってみないと成功しないということを、この文章と、2年間の留学生活で学んだ気がした。
7. 誕生日。
アメリカで、とても憧れていたものがあるんだ。
それは、surprise party!!
よく、テレビドラマで見ていたんだけど、誕生日に、友だちや家族が企画してくれる誕生日パーティが
本人に知らせずに、"Surprise!!"で、始まるパーティ。
半ば、誰かが、企画してくれるのかなあって、期待しているのだろうけど、
surpriseで、びっくりするんだろうな・・・。
でもね、それは、やっぱり、テレビや映画の中のことだったな・・・。って思う。
アメリカに来て、最初の誕生日。
友だちもまだ少なくて、しかも、知り合ってすぐのことだったから、
自分の誕生日なのー。と、おおっぴらに言うのが嫌で、
結局、誰にも言わずに、おとなしくしてた。
でも、とっても淋しかったから、自分に誕生日プレゼントをあげようと思って、
太平洋を見に行った。
真昼間の海は、とても静かで、余計に淋しくさせたけど、
でも、すっごく天気がよくって、海がきらきらしてた。
なんで、太平洋がプレゼント?というと、
なぜか、日本にいるときから、太平洋が好きだった。
この広い海の向うには、自分の知らない世界があるんだなあと思うと、
なんか、すっごい、興味があったし、がんばろうと言う気持ちにさせてくれた。
だから、自分への誕生日ぷれぜんとは、何か買い物をして買うよりも、
太平洋を誕生日に見られたことが、なによりもうれしかった。
今、思うと、生きてきて、最も淋しい誕生日だったなあ・・・。と、思うけど、
それでも、海の向うには、東京があるんだな・・・。みんなも、がんばっているんだな・・・。と思っただけで、元気が出た。
誕生日の日ではなかったけど、そのときルームメイトだった桃ちゃんが、バークレーまで連れて行ってくれて、
ご飯をごちそうしてくれたのを覚えてる。楽しかったな・・・。桃ちゃんとの生活。
アメリカ生活も2年目を迎えた誕生日は、
ベビーシッターをしていた、西村家のみんなが祝ってくれることになった。
去年の誕生日に比べたら、誰かとすごす誕生日は比べ物にならないくらいに楽しかった。
そして、日本のみんなも、カードやメールを送ってくれて、本当に本当に嬉しかった・・・。
ありがとう。
そして、今年、24歳の誕生日を迎える今、
いろいろと後悔がある。
24歳という年は、なぜか、ナツコにとって、重要な年で、節目のような気がしてた。
20代前半の四捨五入してもまだ20歳。というわけだからか、すごく大人への一歩のような気がする。
でも、実際は、相変わらず子供で、まだ、自分の人生が見えない女の子でした。
来年の誕生日は、素敵な女性になってるといいなあ。
8. ナツコ、警察に捕まる!!
アメリカの警察官て,なぜか、見てるだけで恐い。
日本の警官よりも体格がいいし、サングラスとかしてるし、笑わないし…。
しかも、こっちは、銃を撃ちまくってもいいんでしょ??
下手なことをしたら、殺される…。とか思うと、恐いんだよね。
で、警察に捕まったのは、留学1年がちょうど過ぎたおととし、(2000年)の8月。
日本への一時帰国から帰ってきて、学校も始まってないし、
何もすることがなくて、ぼーっとしていたときだった。
友だちのさくらさんと遊ぶ約束をしていて、さくらさんの家のちょうど目の前の交差点を曲がったところで,
後ろから,『ウーウー。』って、来たから,ナツコは、警察が急いでいるのだと思って,
『あ、やばい。徐行して警察の車を先に行かせなきゃ!!』と思って,
ちょうど、さくらさんの家の駐車場に停車。
そしたら、なんと、警察もついてくるではないですか…。
どういうこと??
と、思っていると、警察が車から降りてくる。
『え?ナツコ、信号無視?スピード違反?何?何?』
と、もうパニック状態。
しかも、サングラスかけたコわーいニーちゃんが、こっちに向かってくるし…。
カリフォルニアでは、警察に車を止められたら,免許証と車両登録証明書と車の保険と、この3点セットを見せなければいけない。
で、警官が見せろ!!っていうから、見せたら,
車両登録証明書の期限が切れてるっていうのね。
でも、ナツコは、ちゃんと一月の更新時にお金払ったし、なんで?なんで?
と思ってたら,警察の車を見たさくらさんが、駆けつけてくれた。
日本の車両登録もよく知らないナツコだけど、
カリフォルニアの車両登録って、手紙が来て,お金をチェックで送って,そしたら、ステッカーをもらえるんだって。
でも、ナツコは、そのステッカーを受け取ってなくて、
結局、それが、車両登録不備とみなされて、
違反なんだって。
でね、まだ、チケットをきられるだけならよかったんだけど、
このとき、車をれっかーされてしまった・…。…。
半泣きべそ状態。
だって、お金を払えって言うから,お金を払ったのに、
ステッカーをもらうのなんて、一年目なんだからわからないし、
どうして、車を没収されちゃうのののの??
おにーちゃん、すっごい恐いし、笑ってくれないし、何ナノ?
と、思っていると、もう一人、車に乗っていたおじいちゃん警察官が,
『何年アメリカにいるの?』と
そこで、ナツコが半べそ状態で『一年…。』と答えると、
『It happens!! Don't worry. But, your English is pretty good for a year!!』と、
泣きべそナツコを慰めてくれる…。
このおじいちゃん、警察官。
すっごい優しくて,余計、涙を誘うよ。ぐすんっ。
それに比べて,若いひよっこ警察官。
なんなの?その厳しさ。
そんなに、人を恐がらせなくてもいいジャー――――ン。
でもね、さくらさんの家の駐車場で捕まってよかったよ。
だって、車をれっかーされてしまったら、どうやって、家に帰るの?
もう、そのとき、ナツコの車は一生帰ってこないって思ったのね。
で、そしたら、警察官が、車の登録する場所、(DMV)に行って,再度、登録して、
その証明を持って,警察に行って,証明書をもらって、
レッカーの場所に行って,車を取ってくればいいって。
と、いうことで、ナツコの車はわずかレッカーされた後、2時間で手元に戻ってくることになった。
払った罰金、50ドル。
レッカー代、150ドル。
計200ドル。
痛かったよ…。
でもね、謎はまだ残るばかり。
なんで、お金を払ったのに、登録不備だったのか…。
車の登録をするときに、一緒に保険の証明書を見せなければいけないのだけれど、
少しの手違いで,ナツコの保険がちゃんと行ってなかったみたい。
でも、お金は引き落とされているんだから,
その時点で,電話くれるなり、メールをくれるなりしてくれれば、
ナツコは捕まること、なかったんだけどな…。
その辺が,アメリカのlasyなところ。
みんなは、裁判にもちこめば、勝てる!!って言ってくれたけど、
ステッカーをもらわなければいけないのを知らなかったナツコもナツコだし、
もう、裁判なんて,そんな体力残ってないしで、
200ドルで、済んだだけで、よしっ、と思おう。
でも、恐かった…。
これも、いい、アメリカの経験だね。うん。