ウイグル日記
投稿者:解法者様 投稿日: 8月27日(金)02時22分14秒 開始
「日本の未来をつくる--行動する」 掲示板より許可を得て保存
>序章< >序章(1)<
夏休みを利用して、中国の<新疆・ウイグル>を14日かけて旅をした。
新盆なので、さぞかし日本人も東京から北京に旅する人が多いと思いきや、航空機のなかは8,9割が中国人であった(帰りも全く同じ)。若い留学生と思しき人、中年の商売などをしていると推測した人、日本にいる家族を尋ねて来たと思われる老夫婦、若い人が多かったが、年齢も様々だった。
これだけ多くの中国人を日本人が食わしている。こんなに多くの中国人が日本には必要だろうかと考えた。こう考えるあたりが<排外主義者>とそしられる所以かも知れない。
東京から北京への航空機が1時間半遅れたのがケチのツキハジメであった。予めお世話している<留学生>から、北京で新疆・ウイグルの首都ウルムチ行きのチケットを買ったほうが日本で買うより安いと聞いていたので、そうしたが、予想に反して満席で搭乗できない。何とかならないのかと聞いたが、「取り付く島」が無い。挙句の果てにはそっぽを向いて隣の係員と私語を始める始末である。全くサービスというものがない。チケットなど売ってやるという態度だ。
仕方なく、空港の案内員に尋ねたところ、明日のチケットなら何とかするということで、翌日の便を予約してもらった。
今夜は空港の近くのホテルに泊まらなければならない。空港の案内所で聞き、ホテルの予約をしたが、案内料100元(1500円)をくれと言う。案内所も有料だ。これではうかうか物を聞くこともできない。
ホテルに行ったら、預託金500元(7500円)を払えと言う。クレジットカードではどうかと聞いたが、現金でなければダメだという。現金を出したら、一枚ずつ調べる。腹が立ったので、クレジットカードも中国元も<偽造>するのは<中国人>だと言ってやった。通じたかどうかは定かでないが、怒るふうでもなかった
>序章(2)<
部屋に入り、ウルムチにいる留学生に連絡しようとしたが、部屋の案内書には「0」発信でどこにでも電話ができると書いてあるが、電話ができない。フロントに尋ねたら、電話預託金300元(4500円)を払えという。再びフロントに行き預託金を支払って部屋から電話ができるようにしてもらって、ウルムチ到着が遅れる旨を知らせた。
ついでに、部屋の案内書を見て見たら、「ホテルの器物の破損損害賠償表」があった。記念に抜いて日本に持ち帰って来た。
人を信用しない言うべきか、中国人<礼儀>などなく、頻繁にホテルの器物を破損すると言うべきか。
そういえば、このホテルは外国人は見かけなかった。後でボーイに聞いて見たら、中国は広いので外国から北京に着く、地方から北京についても「北京」で一泊してから、次の目的地に向かうという。どうりで中国人の宿泊客が多いはずだ。
「ホテルの器物の破損損害賠償表」の一部を紹介しよう。
1.スタンド 80元(1200円)、2.コーヒーカップ 20元(300円)、
3.バスタオル 50元(750円)、4.タオル 20元、5.絨緞 1cm四方につき 50元、
非常に細かくありとあらゆる物品に価格が規定されている。
ホテルで精算を済ませて送迎バスで空港へ向かう。ところが、フロントで一々、宿泊した部屋の破損状況を調べるものだから、精算に時間がかかる。破損したり汚れているものは弁償しなければならないので、その確認と弁償精算に時間がかかり、バスの出発が大幅に遅れてしまった。こういう、規定は中国のどこのホテルにもあった。後日、こちらが使った枕カバーに黄色い染みが付いているといって弁償を求められたが、記憶になかったので、<洗濯ミス>だと主張して弁償を免れたことがあった。
それでも、何とか搭乗20分前に間に合ったと思ったら、45分前までにチケットカウンターに来なければならないと言う。チケットは無効だから買い直せという。事情を強く説明して午後の便に変更させた。ところが、遅れたのはこちらだけではなかった。
中国人と結婚した若い日本人男性も違う便ではあったが、遅れて搭乗できなかったので、中国人が同伴してもそうなんだと納得した。
とにかく、サービスなどは全くない国で、オリンピックなどは50年早いと<強く>感じた。
それと、語学力よりもシステムを理解しないと中国は旅行もままならないと感じた。これも<サービス>が欠如していることと言えよう。
>序章(3)<
北京からウルムチに一日遅れで到着した。東京から北京まで2000キロ(航行時間―3時間)、北京からウルムチまで2300キロ(航行時間―3時間半)、こちらの方が遠いのだ。
航空機代金も東京から北京まで、デスカウントであるが、75,000円、北京からウルムチまでが67,000円、8000円しか変わらない。
距離からしたら<当たり前>であろう。国内線は安いと思い込んでいたこちらの誤解もあったが、これでは給与格差が20〜30分の1の中国人にとっては大変だろう。
しかし、航空機は満席。ウルムチの人が行き来していたと思いきや、ウルムチに到着して、中国人観光客が多いのは驚いた。ここでも日本人観光客が多いと思ったが、全くいなかった。不景気なのか、それとも、シルクロードは<夢のなか>なのかも知れない。
ここで、少し脱線して、中国人の給与所得について聞いたところを説明したい。
大学教授―1850元(28,000円)、ただ、授業加算手当てが1500元(22,000円―これは助教授、講師も同額)あるから、合わせて50,000円、助教授(副教授)−44000円、講師もほぼ同額。学生を教えない教官(研究者)は、教授でも基本手当だけ。こういう共産主義国家では、管理部門の者が給与水準が良い。中間管理職でも45,000円くらいはもらうという。
銀行の管理者(年齢 35歳)―1500元(22,000円)、一般会社員―1000元(15,000円)、一般労働者―700元(10,000円)。これでもこの2年でかなり上がったという。
しかし、この給与では、北京―ウルムチ間の往復航空運賃にも満たない。一般の人は旅行もままならない。2日間かけて列車で行くか(700元(10,000円))、バスで3日かけて行く(420元(6300円))。それにしても大変だ。
北京からウルムチに観光客が多いということは、中国でも<所得格差>が広がっているという証拠かも知れない。
市内バスは、1元(15円)だ。タクシーは基本料金が6元(90円)
物価は高い。食費にしても1食−10元(150円)くらいだ。日本とも所得格差(20〜30分の1)を考えれば、高いと考えて良い思う。
>ウイグル地域の人たちと中国人(漢民族)<
>ウイグル地域の人たちと中国人(漢民族)(1)<
新疆・ウイグル地方、人口 1750万、面積 日本の4.2倍、首都 ウルムチの人口は160万人、大都市である。
現在、42の民族が暮らしているが、漢民族が70%を占めている。その他、多い順番に示すと、ウイグル族、カザフ族、モンゴル族、となる。漢民族は清の時代にはその移住が厳しく制限されていたので、ほとんどの人が1949年以降に移住したもので、特に「文化大革命」の1970年初頭に「下放(再教育)」のため、移住させられた人たち、その後の中国の移住政策により内地から移転させられた人々で占められている。
新疆・ウイグル地方、天山山脈を堺に、北ウイグルと南ウイグルに分けられるが、そのほとんどが砂漠で、後は山、人が住めるところはわずかしかない。
ウルムチ、北ウイグルの天山山脈のすぐ北側にある。ゴミ一つ落ちていない清潔な都市で、漢民族の住む内地とは全く様相が違う。街では、箒を持った人たちがよく掃除をしているのを見かける。東京では見かけない風景だ。治安は良いという。
街からは雪を抱いた天山山脈が望まれ、100キロも行くと「氷河」がある。ウルムチは<オアシス都市>だが、水には全く不自由しない。
ウイグル族、カザフ族などは「トルコ系民族」で言葉の差はない。タジク族はイラン系民族であり、本来は言葉が異なるが、ウイグル語を話す。モンゴル族も同じである。問題は「漢民族」で、ウイグル語を話す人はまずいない。習得する気もないという。
旅先では、たびたび漢民族と同席したが、こちらは日本語、ウイグル人同士では「ウイグル語」、漢民族同士では「中国語」、ときどき、ウイグル人が話を中国語で翻訳して意思の疎通を図っている。
教育は、ウイグル語で行う学校(高校まで)があるが、「中国語」ができないと就職で差別されるので、中国語で学ぶ者が多い。したがって、ウイグルの人々の子供たちは、ウイグル語で話はできるが、書くことができない者が多く、20年もたたないうちに「ウイグル語」は絶滅すると危惧されている。
朝鮮の日本統治時代のように「ハングル」を奨励するようなことはなく、日本語を話せる人が20%くらいだったようなことはない。70歳以上の老人を除けばほぼ100%、中国語が話せる。中国政府は「ウイグル語教育」を全く奨励していない。
>ウイグル地域の人たちと中国人(漢民族)(2)<
ウルムチ空港には、留学生が迎えに来ておらず、友人が来ていた。おかしいと思っていたら、留学生の父上がこちらが日本から出発する6日前に亡くなったという。こちらのことを気遣って知らせなかったという。留学生の家は、新疆医科大学のなかにあった。いわゆる官舎である。日本でいう3LDKで、広さは40坪くらいである。よそのお宅にもおじゃましたが、これが平均のようだった。
留学生は、弔問を受けていた。こちらも「香典」を差し上げなければならないと考えてその友人に尋ねたが、そういう習慣はないという。 弔問客がどんどんとやって来る。日本に留学した者が多く、日本語の流暢な人が多い。こちらが日本人だとわかり盛んに話しかけてくる。
弔問とはいっても、日本と異なり暗い感じはしない。彼らから、この地方の<イスラム教徒>の葬儀の仕来りを聞いた。人が亡くなると、その日のうちに埋葬する。夜に亡くなり埋葬することができないときは翌日にする。「お通夜」はない。埋葬する場所は「共同墓地」で土葬である。埋葬には女性は立ち会えない。遺体が自宅から出るときは必ず泣かなければならない。土葬だが、2種類あり、棺おけのような形をしたものをセメントで作り、その中に埋葬するやりかた、土葬し墓誌をその上に建てるやりかたがある。後ほど車で移動するときに車中から埋葬の様子を見ることができた。
亡くなってから3日間は親戚一同が集まり、談笑して故人を忘れるように努める。ただし、酒は飲んではならない。それが終わると子は住んでいるところに直ちに戻り、近くの友人に親が亡くなったことを知らせ、弔問を受ける。仏壇や位牌、遺骨はないから、弔問客が焼香などはしない。弔問客が訪れ、テーブルに置かれたナン、ケーキ、果物などを食べながら談笑し、帰って行く。ところで、この弔問客に<漢民族>が全く見当たらなかった。
>ウイグル地域の人たちと中国人(漢民族)(3)<
ウルムチに到着した日が、<初七日>の日だった。この日には「法事」を行う。人が参加しやすいように日をずらすこともあり、このときも翌日の土曜日に行われた。
場所は、大学構内の大食堂だった。通例に従い朝の8時ころから行われた。入り口には遺族の子が立って、弔問客を迎える。
食堂では弔問客に食事が振舞われる。酒は出ない。頃合を見て、イスラムの導師と思しき人がコーランを唱え、これが終わると人々が手を前に物を受取るような形で合わせ、顔を2度拭う。そうして弔問客が帰って行く。これと交代するようにまた弔問客が入って来て食事が振舞われる。これが繰り返されて、正午ころにはお開きとなる。
ここでも<漢民族>はただの一人も姿を見せなかった。聞いて見ると<宗教>が違うからだという。ならば、私も同じである。このことを質問すると、あなたは<遠来のお客>で特別だという。しかし、そうは思えない。普段から<私的>な交流が全くないと感じた。大学では<漢民族>も教官として働いており、交流はある筈だ。
民族の対立は激しいと考えた。<反目>し合っているというのが現状だろう。弔問にも法事にも誰一人として<漢民族>が参加せず、これを<当然>のことと考え、誰も非難しないのだから。
ここに行く前から<独立運動>については話をしないで欲しいと強く釘を刺されていたので、できなかったが、日本では詳しく聞いている。この背景について感じたことは後で話したい。
この「法事」でも日本に留学したことのある人が大勢あいさつに来た。こちらの親しくしている「留学生」もそうだが(大学の講師)、大学の講師、助教授、教授をしている人で、更なる昇進を求めて、日本の修士・博士課程にやって来る。こちらが親しくしている「留学生」は、院生(大学院生)で、学部生は少ない。彼らは地位も教養もあり、中国人といえども<犯罪者>からはほど遠い。
ここは「新疆医科大学」であり、日本に留学するよりも北京大学などに留学すればよいと考えるが、大学のレベルが全く違うという。日本の医科大学が<横綱>なら、北京大学などは良くて<十両>、一般的に見て<幕下>だという。したがって、外国に留学することになるが、アメリカ・イギリスは受け入れ枠が少なく、しかも<漢民族>が優先されて難しい。フランス・ドイツも縁故がなければ無理だそうだ。そうすると日本しかない。
こういう大学の教官などは、犯罪集団になる可能性はとても低いが、留学生に名を借りた
<犯罪集団>が日本で跋扈するのもうなづけた。日本は甘い。
>ウイグル地域の人たちと中国人(漢民族)(4)<
こちらが日本人だということで、日本に留学した新疆医科大学、新疆大学、新疆師範大学などの教官が集まって来る。なかには10年前に留学し終わって戻って来た人もおり、日本語を忘れてしまったというが、それは謙遜でなかなかのものだ。これから日本に留学する人もどんどん話しかけてくる。留学先も日本全国に及んでいる。
話は、中国の学問のレベルとなる。あらゆる分野で日本には遥かに及ばない。
最近は、中国でも<科学立国>を目指し、レベルが上がっていると聞いていたが、機械工学の教授に伺ったところでは、やはり<幕下>のレベルだという。朝鮮族の日本文学の講師に<科学分野>では日本と肩を並べるところにあると聞いたので、そのことを話したが、全く実情を知らない。恥かしいから<嘘を付いた>としか考えられないと一蹴された。
これらの原因については、「文化大革命」の影響が大きく、30年くらい遅れ、それが取り戻せていないそうだ。「図書館」の充実が急務だと口々に言っておられた。これも「文化大革命」の時代に、知識など必要ないということで、<焚書>が行われたことに要因があるそうだ。
<法律>の分野などでは比較するのもオコガマシイ。経済についても助教授が同じ状態にあるという。そのため、何度も日本に留学しなければならない。
それと問題は、学問の内容にある。ウイグルも含めた中央アジアの歴史・政治を研究するには<日本>しかないという。それは、こうした学問については<漢民族>から見たものに限定され、客観的、つまり中央アジアから見た研究が全くないという。自己の民族からの研究が許されていない現状がある。
それと、一般的な話は、先のサッカーのアジアカップの<反日騒動>のお詫びから始まる。彼らもあれは<漢民族>でしかも「無教養」の者たちのことだという。わかっている。ここの方たちとは違う。
それと彼らには<中国人>という意識が全くない。オリンピックの話になり、一番応援するのが「中央アジア」、次に「トルコ」だ。中国よりも日本を応援するというものも多いという。
大学だけでなく、ありとあらゆる分野で<漢民族>との昇進の差がある。
したがって、将来に希望が持てず、海外に移住する人が多い。オーストラリアが多い。話をした人のなかでも外国へ移住したがっている人が多かった。ここで安定した職を持っているのにと思ったが、子供たちの将来を考えてのことだという。
>ウイグル地域の人たちと中国人(漢民族)(5)<
弔問客のなかには、一般会社員も多く、日本語を話せないものがほとんどだが、対日感情はすこぶる良い。<親日国>だと言っても良いだろう。
先にも説明したが、この地方は様々な民族は入り混じっている。法事などに集まった人たちに聞いて良く見てみると区別がつくようになった。韃靼人(ダッタン人―タタール人)、こちらの親しくしている留学生もこの民族だ。元々はロシアのモスクワの南部に住んでいたが、ロシア帝国、ソ連に激しく抵抗し、この人の祖父も1933年に他の韃靼人とともにスターリンの圧政からこの地に逃れて来た。碧眼、金髪、色白で、欧州人と全く区別が付かない。性格は勇猛で、容易に屈服しない。ロシアに「タタール共和国」があり、600万人が住んでいる。ロシアの<火薬庫>と呼ばれ、爆発したら<チェチェン人>など物の比ではないと言われている。樺太とロシアの間の海峡を「間宮海峡」というが、別名「韃靼海峡」とも言う。タジク人、顔が平らで<朝鮮人>にそっくりだ。遊牧民族で、今でもゲル(テント)に住んでいるものも多い。この地では貧しい部類に入る。北ウイグル地方に多く住む。ウイグル人、この地の多数民族(漢民族を除く)で、遊牧民族である。顔は韃靼人とカザフ人の中間と考えればよい。性格は温和で商才に長けており、「カザフ人の育てた羊をウイグル人が売り、中国人(漢民族)が食べる」と言われている。モンゴル人、これは説明するまでもないだろう。その他、イラン系民族のタジク人もいるが会っていないので特徴はわからない。回族もいる。祖先はアラブ人で通商のために中国に住み着いた人たちで、漢民族に同化して独自の言語を持たない。中国語を話す。イスラム教徒である。独自のモスクを持っている。
回族と漢民族を除けば、言葉は、トルコ系語(ウラル・アルタイ系語)である「ウイグル語」を話し、日本語とも文法などが共通し、母音も6個で、すぐに日本語を習得できる。この辺のところも日本に親近感と留学を思い立つ理由かも知れない。
>ウイグル地域の人たちと中国人(漢民族)(6)<
留学生の家が弔問客でごったがえしているので、市内のホテルに泊まることになった。
紹介してもらったのが、「中国人民解放軍」経営のホテルだった。治安の点でだという。別にウルムチは治安が良いと聞いていたので、どこでも良かったが、大学に近いというのも理由の一つだった。
ご承知のとおり、中国では軍が人民の上に君臨している。そのホテルも「中国人民解放軍」の会議場のなかにあった。出入りはとても厳重で、ホテルのカードの提示が必要だ。撮影は一切禁止だった。敷地はとても広い。軍人の訓練が行われており、しかと観察できた。軍人50人が格闘訓練を受けていたが、総て<漢民族>で、ウイグル人は一人も見当たらない。新疆医科大学の教官に聞いてみたら、1.「中国人民解放軍」は、ウイグルの人たちを信用していない。2.ウイグルの人たちも軍に入ると、同胞から差別される。テロの対象にもなりかねない。とのことであった。
もちろん、このホテルでも宿泊と電話の「預託金」の支払いを要求され、部屋には「ホテルの器物の破損損害賠償表」があった。
宿泊料は、1日 400元(6000円) 地方にしては高い。宿泊客は軍の関係者である。余裕があるのか、内地からの観光客がほとんどだという。
警察関係者とも食事をした。警察は、公安警察、司法警察、交通警察の3つに分けられており、建物が違う(兼用のものも見かけた)。これの幹部も総て<漢民族>である。食事をともにしたのは、司法警察の幹部であった。司法警察、一般の犯罪を取締まる。犯罪内容について伺った。殺人はとても少ない。窃盗犯が多く、強盗も<居直り強盗>である。それと詐欺犯、これも大掛かりのものはない。それと市場などでの喧嘩から発生する暴行・傷害である。治安は保たれており、外国人が犯罪に巻き込まれる事件は皆無だという。イスラム教徒の<倫理観>も優れているそうだが、司法警察の努力の賜物だと自負しておられた。大学の教官に聞いても、これは本当のようだ。
テロについて聞いたが、所轄が違うと言いながら、イラクの反米運動がこの地でも波及しており、中央アジアとの国境地帯では厳重な警戒網が敷かれ、また、モスクに付属する学校での警戒を怠っていない。ただ、私的なイスラム私学校が数多くあり、取締は容易でないそうだ。テロは数年、起きていないという。
交通道徳は必ずしも良くない。横断歩道を渡るのも命がけだ。市内で車の衝突事故を二度見かけた。一度は三重衝突、もう一度は、大きな道路の真ん中でパジェロが乗用車と衝突し、乗り上げたのか、腹を見せて横転していた。互いに譲り合わないので、このような事故は頻繁に起きると感じた。そのせいか、交通警官が街頭に立って取締まりをしていた。この取締りの様子も2度ほど見学させてもらった。一度は、こちらの車の前をジグザグ運転していた中年の男性、警察官2人にオートバイごと引き倒され、殴られていた。もう一度も、信号無視の乗用車が止められ、運転手が激しく叱責されていた。こうでもしないと交通事故がなくならないと思えた。交通警察も大変だ。マナーの点では申し分の無い<ウイグルの人々>も「交通道徳」だけは失格だと思った。
>ウイグル地域の観光旅行< >ウイグル地域の観光旅行(1)<
法事などで遅れたので、大幅に予定を変更して、ウイグルの色合いが残っている南部への旅に出かけることにした。例の留学生も同行し、4人となった。日本人は私だけ。
まず、パキスタンなどのとの国境に近い「カシュガル」という人口 32万の都市に向かった。とはいっても「ウルムチ」から1500キロもある。1500キロといえば、日本の札幌から鹿児島までを直線で結んだ距離にほぼ等しい。乗車時間は25時間。スピードはかなり遅い。お陰で車外の景色を楽しめた。
ウルムチの駅は、空港と見違えるばかりの豪華な建物だった。
列車は15両編成、2階建ての客車、これもドア付の個室(上下2段のベットが2つ、向かい合わせに並んでいる)、同じくドア付でないもの、上中下3段のベットが向かい合わせに並んでいる、普通の座席だけ(これも、通路をはさんで座席が2つずつのもの、3つずつのもの)のものがある。
こちらが乗ったのは、2階建ての客車でドア付でないもの(上下2段のベットが2つ、向かい合わせに並んでいる)の2階であった。値段は片道345元(5200円)。
列車は夏場ということもあって、満席、4人一緒の個室は確保できなかった。1人になった人のところに遊びに行って、同室の方と話をした。2人は銀行員の夫婦で勤務先のウルムチから故郷のカシュガルに休暇を利用して帰る、もう1人は、35歳(25歳くらいにしか見えない)の既婚の女性で、舞踊家、公演のため、新疆・ウイグル地域を回っている。大変な激務のようだ。日本人に会うのは初めてだそうだ。日本人がいると知って色々な人がやって来る。列車の個室に乗ることができる人はかなり裕福な人が多く、知識もある。質問ぜめだ。まず、政府の財務省に当たるのか予算官(日本の主計官)から、銀行統合についての質問があった。質問の内容は、銀行統合で累積赤字問題は解決できるかというものだった。専門ではないがそう簡単には行かないが、それしか方法がないと答えた。次に大学の外交史の教授より日中関係の将来についての質問があった。現在、両国で抱える問題について良く知っており、近い将来、両国が覇権を争って抜き差しならないことになるのではなかろうかということに集中した。
そのキッカケは台湾問題だろうという。その場合に日本は参戦するだろうか、ということに尽きた。台湾は日本の生命線で必ず参戦すると答えた。日本統治時代からの背景、台湾の国際的地位、中国との政治的体制の差など、沖縄との距離など、理由も詳しく説明した。特に反論はなかった。微妙な問題なので意見を述べるよりこちらの反応(意見)を聞きたがっていたように感じた。尖閣列島、これは早晩、話し合いで解決するであろうというのが彼の意見だった。「靖国問題」について、こちらから質問した。日本人の問題に尽きるとの返答であった。中国政府の見解とは違い、冷静な判断と感じた。主計官の意見も同じだった。聞いている人からも反論は全くなかった。
いずれも、かなり日本のことを良く知っていた。
>ウイグル地域の観光旅行(2)<
窓から見える景色は、砂漠また砂漠、山には<見事>なほど木が全く生えていない。塩湖が多く、塩を掘り出しているのが見える。突然、オアシスが現れ、人の営みが見える。しかし、飽きない。山の色が変化する。とても美しい。かって、北京からハルピンまで列車で3日、旅をしたが、このときは変化のない景色にすぐに飽きてしまった。
食堂車に行った。空いていた。値段が高いから利用しないという。かなり食べて4人で
80元(1200円)だった。列車のどこにも日本人は見当たらない。
一般の人は、持参した<ナン>と羊の肉を食べていた。カップラーメンも食べている人が多かった。弁当を売りに来たが、買っている人は少なかった。何しろ、汽車代が高いのだ。節約しなければなるまい。この「ナン」、日本のインド料理店などのものと違って、柔らかくなく硬い。直径25cmほどではあるが、乾パンを大きくしたような感じであまり美味しくない。硬いので普段はミルクティーなどにつけて食べている。
車内では色々なものを売り子が売りに来る。なかでも<葡萄>が美味しい。いわゆるマスイカットだが、少し小ぶりで皮ごと食べる。とても甘い。これが日本に輸入されたら、まず日本のマスカットは全滅だろう。種のある少し大きなものもあるが、これは日本並だ。
少し、果物の話をしたいが、とにかく美味しいの一言に尽きる。日本のものなど問題にならない。夏目、このあたりが原産地のようで大きい。朝鮮人には<垂涎の的>であろう。桃、これは日本のものとは違い丸くなく平らになっており、手で割って食べる。とても食べやすい。イチジクも同じ。これもこの辺りが原産地だという。平らだと食べやすい。有名なのは<ハミ瓜(メロン)>だろう。大きさはラクビーボールくらい。割ってみると正しく<瓜>だ。この地域の<ハミ>で採れる。西瓜も同じ形をしているものが多い。いずれもとても甘い。街には、このような果物売りが多い。行く先々で、好物の<イチジク>を買って食べた。5個で1元(15円)だった。西瓜、ハミ瓜は5から10元だった。現地の人は水代わりに食べている。新疆医科大学構内でも山のように積んで売っていたが、良く売れていた。葡萄、5元でかなり買える。どこのお宅に伺っても果物がテーブルの上に置かれている。
野菜も美味しい。日本の野菜は何でもある。特に美味しいのは<きゅうり>、みずみずしい。
こうして見ると、この地域は豊かであることがわかる。とにかく食べ物が豊富である。現地の人も<文化大革命>の終了後の混乱期の5年を除いたら<食糧難>はなかったという。
>ウイグル地域の観光旅行(3)<
ここの地域は、正式には北京と時間が同じで、日本より1時間遅れだが、独自の時間があり、北京よりさらに2時間遅れとしている。
午後3時にウルムチを出発した列車は、いつまでも暮れない中をひた走る。車外は砂漠また砂漠である。突然、雷がなり大雨が降って来た。山に木がないので、水がすぐ流れ出る。乾いた大地が水を吸うわけでもないので、砂漠は洪水だ。それにしてももの凄い水の量だ。あちらこちらに大きな水溜りができる。列車も減速する。
聞いてみたら、雨は降るという。珍しくはないそうだ。そういえば、砂漠に水の流れた跡があった。1時間もしない内に雨は止み、また、晴天だ。夕日が山に落ちる。「ギンギンギラギラ夕日が沈む ギンギンギラギラ日が沈む 真っ赤か空の雲・・・」の歌が自然に出てくる。同席の人にも教えてあげた。手振りには大笑いだった。
やがて陽が暮れ、眠りについた。汽車の音など気にならない。どこでも寝れる。何でも食べ、どこでも眠れる。これがないと過酷な旅行はできない。母に感謝せねばなるまい。朝、起きても半分も行っていない。
車窓には火焔のような山々が続く、遠くには雪をかぶっている天山山脈が見える。そうだ、天山南路に沿って汽車は走っているのだ。雪解け水で渇水はないはずだ。しかし、砂漠には川が流れていない。聞けば砂漠の下に縦横に川が流れているという。つまり<カレーズ(地下川)>だ。これが、オアシスを創り、豊かな野菜・果物を与えてくれるのだ。退屈すると思って本を持ってきたが、読む暇はない。周りの人と談笑して知識を仕入れる。もっとも同行の留学生の通訳付だが。
よく見てみると、軍人が多い。それも下級軍人だ。これが個室に乗車している。やはり、人民解放軍優位の国だ。個室ではなく一般車両に乗ればよいのにと考えた。彼らは我が物顔で大声で談笑している。特に若い女性兵士の声が高い。周りの人も迷惑で眠れない人も多かったようだが、誰一人として文句を言わない。英語で黙れと言い、ついでに<馬鹿やロウ>と怒鳴ってやった。とにかく気の短いオヤジだから。周りの人から感謝され、葡萄を振舞われた。そういえば酒を飲んでいる人は誰もいない。同行の留学生は<大酒のみ>で、日本にいるときも「昼はイスラム教徒、夜は共産主義者」といって酒を平気で飲むが、飲んでいない。車内では酒も売っていない。聞いてみるとこういう公共機関では<酒>はご法度だそうだ。
午後4時、終着駅「カシュガル」に到着した。この鉄路、3年前にできたという。そういえば前は悪路を「寝台バス」に揺られて走ったという記憶が蘇る。確か、ウルムチから40時間くらい揺られ、ヘトヘトになって到着したのだったけ。
>ウイグル地域の観光旅行(4)<
出迎えに人が来ていた。ついて行くと目の前に<パトカー>がある。これに乗ってくださいという。そうか、ウルムチで食事をご馳走になった警察の幹部が用意してくれたのだ。
ここでは警察が経営しているホテルに泊まった。
カシュガル、これも清潔で美しい町だ。ここもゴミもない。道路は広く整備されている。
羊はここのものが一番美味しいという。どこでもそうだが、臭みがない。肉は羊と牛、鳥はあまり出ない。羊、串焼きにする。一つ一つがでかい。見ていると一人頭、3串くらい食べている人が多い。女性もほおばっている。かなりの量だ。男女とも太っている人が多いのもそのせいか。
馬は食べるが、ロバ・犬は食べない。<犬>は忌み嫌われ、全く見かけない。ヨダレを垂らすのが原因だと聞いた。猫も見ない。
ここからは、「天山山脈」だけでなく、チベットとの国境に横たわる「崑崙(コンロン)山脈」も見渡せる。国境の街なのだ。
翌日、パキスタン国境に近い「タクシュルガン」に観光に出かける。こちらは<仏跡>に行きたいと思い、旅行案内書を見せたがご存じない。イスラム教徒にとっては<仏跡>など興味がないのだ。
パトカーだから、怖いもの無しだ。前をトロトロ走っている車、ロバ車があるとサイレンを鳴らして退けさせる。少し悪い気がする。田舎では「ロバ車」が主な交通手段なんだ。馬車、牛車は見かけない。
途中、イスラム法学者の墓に詣でる。墓というより廟だ。モスクのような建物だ。広大な敷地だった。一族の墓があり、とくと観察できた。とはいっても、1000年くらい前のもので朽ち果てていたのも多かった。先に説明した棺おけのような形をしているものが多かった。また、小さなドームのような形をしているのもあり、穴が開いていた。聞くと<盗掘>の跡だという。どこにも「墓泥棒」はいるものだ。なかには棺おけが埋葬してあるはずだが、きれいになくなっている
>ウイグル地域の観光旅行(5)<
とにかく、警察のおじさん、やたらとモスクに連れて行く。いいかげんにして欲しいが、上司から日本から賓客が来たので鄭重に案内せいと命令されているようで逆らうわけには行かない。
アラーの偉大さを見せ付けているかも知れない。モスク、それなりに美しいので撮影したいが、禁止。金曜日の礼拝の日には<異教徒>は立ち入れない。入れただけでも幸せを感じなさいという。
途中、観光したので、3時間ほどかかって「タクシュルガン」に着いた。ここに来たのは、どうやら同行した大学の助教授が旧友に会いたかっただけのようだ。わたしを除いて
南ウイグルには来たことはない。
「タクシュルガン」、タジキスタンに10キロ、アフガニスタンに20キロ、パキスタンに30キロの地点にある国境の町だ。パキスタンとはクンジュラブ峠を経て<桃源郷>フンザに通じる。
ここではイラン系の人々の顔を見かける。人口3万人の清潔な小さな街だ。
南ウイグルでは<漢民族>は30%、これが北ウイグルのカザフスタン、ロシア、モンゴルの国境沿いになると90%にも及ぶ。「カシュガル」もそうだが、「タクシュルガン」、
ここが本当の中国の辺境の地だ。新しい境―新疆に相応しいところだ。
まず、果樹園に案内された。葡萄、イチジク、ザクロ、が、たわわに実っている。果樹園、日本と様相が違う。社交場になっている。夜も「カシュガル」の果樹園で食事したが、皆がダンスに興じている。ここの人たちは踊るのが好きだ。朝鮮人と似ている。それ以上だろう。同行した者たちもすぐさま踊りに加わった。踊り方は朝鮮のような<肩踊り>で、違うのは手を少し動かすことだ。日本は<手踊り>といい、激しく手を動かすのが特徴だと聞いたことがある。土曜日に東京の高円寺の<阿波踊り>に留学生を連れて行ったが、まさしく典型的な<手踊り>だった。5歳くらいの子も踊っているが、とにかく上手い。そういえば、踊りの歌も朝鮮に似ている。リズムが激しい。そうでないと軽快に踊れないかも知れない。こちら全くダンス・踊りはダメだ。彼らも日本人のことは知っており、誘いはしない。
>ウイグル地域の観光旅行(6)<
最後に、こちらの希望をかなえてくれて、仏跡に連れて行ってくれた。仏教はインドからこの「クンジュラブ峠」を経て、最初にこの地に伝わり、それから中国へ伝来したという。
この最初に創建された寺跡に案内された。「莫璽寺」という。砂漠に<仏舎利塔>が残されているだけだ。ここからインドに仏の道を究める人、修行して帰る僧侶、仏教を伝える人が行き来し、古にはさぞかし僧侶・参拝客で賑わったことだろう。この道を経て過酷な砂漠を旅して日本に仏教が来たのだ。古を思いやった。
<仏舎利塔>に羊飼いが乗っていた。余計なことだったが、塔から下りてくれと言い、わたしがイスラムの墓の上に乗って遊んでいたらどう考えるかと尋ねた。わかってくれた。
二度とこのようなことをしないように、また他の人にも伝えてくれとお願いした。ただでも朽ち果てている<仏跡>がこうして消えて行く。
新疆・ウイグル地域を通じて美人が多いが、ここはとりわけ美人が多い。ペルシャとトルコの血が混ざり合っていると思われる。美人の基準は様々で主観的なものかも知れないが、世界で有数な美人国ではなかろうか。やはり、中央アジアの人たちが雑婚して、良い血が混ざり<美人>を産んだのであろう。それと着ているものが豪華だ。<絹>をまとっている。派手な<縦じまの模様>が多い。
行く先々のホテルでテレビを見た。オリンピックの最中だ。どこの国でもオラが選手の活躍を中心に放映する。オリンピック、<国威昂揚>だから止むを得ないが、中国は選手が敗色濃厚になると突然、放映を止める。したがって、結果がわからない。女子ソフトボールでも男子バスケットボールでもそうだった。それと良い場面しか放映しないので、これまた結果がわからない。男子体操、さぞかし中国は<圧勝>と思いきや日本に帰ってみてみると<惨敗>だった。負けている場面・結果は放映しないらしい。
ウイグルの人たち、オリンピックに全く関心がない。食堂によく寄ったが、オリンピック、全く放映していない。理由を聞いて見た。この広い地域からオリンピック選手が1名しか出場していないという。これも確かではないという。内地に住んでいる選手だそうだ。サッカーもこの地域のチームが中国でも強豪だという。しかし、選手は<漢民族>に限定されるという。こういうところにも<差別>が現れる。これでは関心を持てと言う方が無理だ。
>ウイグル地域の観光旅行(7)<
ここから絨緞と玉器で有名な「ホータン(和田)」を経て、ニヤ遺跡、チャルチャン遺跡、さらには「桜蘭(ローラン)」を回りたかったが、日程が迫っていたので、ここから、再び「ウルムチ」に引き返すことにした。
まず、アクスに再び列車で7時間の旅だ。来た道を戻ることになる。
アクスで同行のものが一人そのままウルムチに帰って行った。日本の医学者の大学での講演の通訳をしなければならないという。それにしても日本の医学者、ご苦労様です。こちらと同じような経験をしただろう。
アクスでは、銀行の方に引き継がれた。これもご苦労様です。これまた上司の命令で我々を案内するのだろう。この方、<漢民族>なのにウイグル語ができた。珍しいと本人自身言っていた。こうでなければならない。会話はウイグル語だ。こうした努力がウイグル人の信頼を勝ち取って行くと考えた。そういえば母も朝鮮生まれだが、朝鮮語ができたし、祖母に至っては非常に堪能だった。「朝鮮語ができなければ、市場で良く安いものを買えないでしょう。言葉ができれば親しくなって<おまけ>してくれるのよ」と話していたのを思い出した。
ここから、車で砂漠を3時間あまり走り「クチャ(庫車)」に向かう。汽車からではなく、車中から大地の様子が見て取れた。砂漠といっても砂ではなく、石まじりの荒地だ。もちろん木は生えていないが草が所々に生えている。羊が放牧されている。ということは水もあるということか。だが泉は見えない。
さらに砂・石を勝手に取るなという看板が立っている。盗掘する者が多いようだ。建築ブームで内地でも土砂が不足しているという。それと石油・鉱物の採掘調査が盛んに行われている。尖閣列島の採掘調査を思い起こした。中国は資源の調査に必死なのだ。
>ウイグル地域の観光旅行(8)<
「クチャ(庫車)」、千仏洞で有名だ。千仏洞、いくつもあるが、比較的保存状態の良い「キジル千仏洞」を訪れた。岩山に仏を安置する洞窟が237掘られている。年代は漢代(紀元1世紀ころ)から宋代(11世紀)の長い年月にかけて掘られたものだ。しかし、なかには仏像は全く無い。周り、天井に仏画が一部のこされているだけである。保存状態の良いのは5箇所くらいだ。
口が悪いので、案内員にイスラム教徒が総てを破壊した。イスラム教徒はアフガニスタンの「バーミアン」のような<文明の破壊者>であると言ってやった。彼の答えは、破壊は、1.イスラム教徒によるもの 2.欧州の探検家による収奪 3.文化大革命による
ものの3点に分類されるとのことだった。とにかく思いついたら何でも遠慮なく質問する<迷惑オヤジ>だ。
ここで、日本人に会うのを期待したが、全く見かけなかった。売店の日本語ができる売り子に聞いたが、あまり来ないということだった。かえって理由を尋ねられた。アメリカ人がワシントンから5名ほど来ていた。ワシントンにいたことがあるので話がはずんだ。こちらの話はどうしてもイラク戦争とブッシュ大統領の再選ということになる。民主党員だったが、ケリーでは勝てないという。何を考えているのかわからないそうだ。それとイラクからの撤退は必要ないという意見だった。これについて民主党と共和党の違いがあるのかと尋ねたが、政党の支持での差は無く、個人的な意見の相違であり、また、地域によって見解が異なる傾向があると説明していた。
旅先で外国人に会うのは楽しい。意見・情報の交換場所となる。
>ウイグル地域の観光旅行(9)<
ここから、酷暑の地「トルファン(吐魯番)」に向かう。ここからが大変だった。留学生も含めてこちらの人は計画を立てるのが下手だ。できないと言ってもよいだろう。どこを観光するかは予めわかっているのだから、時間の予定は立てられるだろう。案の定、「クチャ」の駅へ行ったら、乗車券は売り切れ、バス乗り場でも「寝台バス」は売り切れ、結局、タクシーでということになったが、途中の「コルラ」までしか行かない。とにかくそこへ行って乗り継ぐことにした。料金は500元(7500円)、時間は3時間、かなり高額だ。これまでもそうだが、留学生、金がないので全部こちら持ちだ。仕方が無いが、これは予定外だった。金を持つとどうしてもこういうところが安易になる。「コルラ」で乗り換えて
「トルファン」まで6時間、1000元(15,000円)、汽車・バスの約3倍だ。
今度は悪路だ。道とトイレ、内地のマナーは20年前と全く変わらない。日本ではこれほどの<悪路>を見つけ出すのは難しいだろう。北朝鮮の地方並みだ。
悪路で周りの景色どころどこではない。やっとのことで深夜に到着した。
ここでは、泊まる宿を見つけるのに苦労した。外国人を泊めることができるホテルが決められているからだ。とは言っても中国語のできないこちらが探したのではない。
「トルファン」、ものすごく暑い。今日は涼しくて運が良いといわれたが、39度(最低は17度)、普段は45度になるという。実際、翌日は44度だった。観光場所には今日の温度が表示されている。夜はもちろん長袖が要る。
一日の寒暖の差が大きいのか、ここの果物が一番美味しいという。葡萄の産地として有名だ。世界の干し葡萄の80%がここの産地というから、日本の皆さんも食べていることだろう。
近くに「アイディン湖」という「死海」に次いで世界2位の低地(−154m)にある塩湖があり、行きたかったが、気温が60度にも達し危険というので断念した。
ここでは、「カレーズ」を見学した。これは<地下の川>で遠く「天山山脈」から流れて砂漠の地下に潜った川だ。運河のように地下を掘って導いたものが多い。この掘る様子が博物館で見られるが、大変な労力だ。生活用水、農業用水に使用する。地下を流れれば蒸発することも少ない。大した知恵だ。
そうそう、ここだけではなく、鳥が飛んでいるのを見かけない。カラスなどいない。現地の人に聞くと<鷲>がいるからなどというが、雀さえ見ない。暑くて飛べないということか、それと<蚊>がいない。どこに行っても<蚊>に刺されるので、「蚊取り線香」を持参したが笑われてしまった。一度も刺されなかった。海外旅行でこういう経験も珍しい。
>ウイグル地域の観光旅行(10)<
砂の<砂漠>を見学した。砂の砂漠といっても、日本の砂丘と同じだ。ここでは人が<砂風呂>を楽しんでいた。鹿児島の「指宿」で経験したが、これと同じだった。
先の<砂の砂漠>は「トルファン」の「砂防研究所」の実験用砂漠だったが、ここから80キロ先の「ピチャン」は砂の砂漠に囲まれている街だ。砂漠が街に迫っている。鬼気迫るといってもよい風景だ。かろうじて<防砂林>で砂漠からの侵食を食い止めている。近い将来、砂漠に埋まって街がなくなると言われている。日本でも中国の<砂漠化>が報じられているが、こうして砂漠に立って見ると、これが現実のものと感じられる。「月の砂漠を・・・」の歌が自然に出てきたが、住んでいる人から見れば、そういう雰囲気ではなかろう。雪国の<雪>と同じだと感じた。ワァ! 砂漠、綺麗! などというものではなかろう。
ここにも「千仏洞」がある。有名な「火焔山」にある。「火焔山」、「西遊記」にも載っている。炎の山だ。「クチャ(庫車)」の「千仏洞」と違い、崖の下にある。「ベゼクリク千仏洞」という。
これは「クチャ(庫車)」の「キジル千仏洞」よりも新しい。唐(7世紀後半)から元(12世紀)、保存状態は「キジル千仏洞」と同じだった。この遺跡の脇で「駱駝ツアー」がある。火焔山の一部を廻るのだ。暑くて行けたものではないが、<漢民族>は試みていた。熱射病にでもならなければ良いが。全く樹木など生えておらず、遮るものはない。気温50度、本当かいな。ひっきりなしに水を飲む。山は燃えるように赤い。早々に退散した。
>ウイグル地域の観光旅行(11)<
途中、砂漠で盛んに石油を掘削している。この石油、総て内地に運び、ウイグル地区には還元されないという。新疆・ウイグル地区、食糧も自給でき、資源も豊富だ。独立して自立できる。「東チモール」などとは大違いだ。この「タクラマカン砂漠」、何が埋蔵されているかわからないという。調査が始まったばかりだ。所々で何か<掘削>していう様子が見受けられる。こうした暑いところで作業する人も大変だ。こうした資源が<収奪>されれば、誰でも独立運動を起こすだろう。事実、「東トルキスタン共和国」が1944年から1946年まで存在した。中国に占領された。
今度は「交河故城」へ向かう。漢代(紀元1世紀ころ)から1000年栄えた「高昌国」の城だ。仏教国で他の遺跡に比べると保存状態が良く、寺院跡、墓地などが残されている。
全部回りたかったが、とても広いし、暑い。遠くにも人が見えるから、元気な人もいるものだと感心した。観光客、内地からの<漢民族>に混じって、ウイグルの人たちもいる。聞いてみると、<家族旅行>などする習慣もなかった。これまで生活の余裕がなかったとうのが<理由>のようだが信じられない。こちらだって戦後間もなく<家族旅行>をしていたし、北朝鮮だって「野遊(ヤユ)」という小旅行が行われている。もっとも<飢餓状態>にある人たちには無理だが。
観光はこれで終わり、ここから200キロ先の「ウルムチ」に戻る。バスも満席、また、タクシーだ。窓を開けると<熱風>だ。これまでは「日陰」は涼しく、車の窓を開ければ
<涼風>でクーラーなど必要なかった。やはり「トルファン」は聞きしに勝るところだ。
砂漠の中で、たくさんの風力発電機が回っていた。日本に留学した人の努力で日本の援助で建てられたという。中国、この地域も含めて<電力>が不足している。環境にやさしいという「風力発電機」の援助、歓迎だ。
>ウイグル地域の観光旅行(12)<
9日間かけた「ウイグル半周」の旅も終わった。
翌日の朝、ホテルにいると留学生が背広姿でやって来た。今日は寒いという。気温20度だ。昨日までは32度だったという。
長袖に着替えて外に出る。なるほど寒い。半袖の人は誰もいない。バザールに行く。「バザー」というのは「ウイグル語」だそうだ。「バザール」、モスクと同居した立派な壮大な建物だ。近くに昔ながらの「バザール」があるのが面白い。「モスク」と同居、礼拝したついでに<買い物>をということかも知れない。<商魂>たくましいということか。
バザール、面白いものが売られている。子供を叩く<ムチ>だ。今でもそれで<お仕置き>するという。日本でも使えば「悪餓鬼」はいなくなるだろう。でも、昨今の情勢では「児童虐待」に使われること必死だ。それほど、ここでは<父権>が強い。同行した留学生もこれに<ご執心>だ。結局一つ求めた。いつもチョロチョロしている息子を<お仕置き>するのだろうか。
このバザールの品物は遠くトルコから運ばれて来た「銀器」などもあり、<シルクロード>の交易が思い起こされた。売られているものは「ナイフ」が多い。小さいものから大きなものまである。大きなものは羊をさばくときに使いという。
男なら誰でも<羊>をさばける。前に見たことがあるが、それは見事なものだった。あっという間に解体する。ところで「ナイフ」、厚い友情の<印>だ。ウイグルの人から「ナイフ」を送られれば<無二の友>の証だ。友情を裏切ることがあったら、このナイフで殺してくれ、の<印>だという。親しくしている<留学生>から日本でいただいた。
映画が好きなので、中央アジアの映画、家族を中心とする物語をたくさん買い求めた。
1巻(個)、200円見当だ。これは嬉しい。言葉はわからないが、これまでの経験から何とかなるだろう。
>ウイグル地域の観光旅行(13)<
店から出ようとすると激しい雨が降って来た。温度が急速に下がる。相当に寒い。まったく予想していなかった。ここでは雨は珍しくなく、皆、傘をさしている。ホテルに戻ったが<落雷>が激しく、テレビが突然消え、再びつかなくなった。砂漠では<洪水>だろう。
最後の夜だということで、留学生の奥さんの弟である銀行の幹部社員(ウイグル人)から招待を受けた。彼らは<酒>が強い。「伊力(イリ)タチン」という銘柄が有名だ。58度、50度、38度とある。ビールなど水だと豪語している。<酒>は飲まないが、飲まざるを得ない。図体が大きいからなかなか酔わないが。58度、50度と飲みつくして、38度の酒になったが、かなり弱いという気がした。彼らは38度では物足りないようだった。この弟さんの奥さん、13歳の娘さんも同席したが、どちらもとびきりの美人だ。それでも普通という。確かに、ここでは美人ぞろいだ。<漢民族>との通婚はまずないという。
食事が終わって、近くにある家に招待された。50坪はある立派なマンションだ。豪華そのもので、日本でもこれだけのものを探すとなると大変だろう。「改革開放」の賜物だという。実力のある人は恵まれている。銀行は<漢民族>が独占しており、他民族の信用を得るのが難しいというが、彼、ウイグル人の顧客を獲得し、膨大の利益を上げたという。遠くシルクロードの時代から<商業の神様>と呼ばれるウイグル商業人の信頼を勝ち得たそうだ。
買い物をしても、あまり<ブッタクル>という感じはしない。値切っても<やんわり>と断れる。留学生・現地の人の買い物をシッカリ観察させてもらったが、<丁々発止>のやり取りという感じはなかった。<値切り>もせいぜい2割だと言っていた。ほとんどが1割程度だった。ここではイランなどと違って商人に<狡猾さ>が見られなかった。ここが<商人>の上手いところか。これでもシッカリと儲けていると思うが。
慣れない<酒>をしこたま飲まされた。酔いが回って来た。明日は「北京」、翌日は「東京」。長かった旅も<終章>を迎えようとしている。
>ウイグル地域の世情<
>ウイグル地域の世情(1)<
新疆・ウイグル地域は、中国共産党の圧政下にあるのではないかと思われている。しかし、占領政策は巧みでそういうことを表面上は感じさせない。
ところが、そういうことがないかというとこれは<嘘>であろう。
イスラム教徒、モスクに礼拝に行く、金曜日には行かなければならない。イラン・サウジアラビアではそうだった。この地域では、礼拝するためにモスクに行く人は一部に過ぎない。公的職業に就いている人は行かない。例えば、大学に勤務する教官・事務官はモスクでの礼拝が事実上禁止されている。<事実上>とは礼拝にモスクに行くと大学から追われることになるという話を直接聞いた。日本に帰って来てから別の留学生に聞いたら<事実上>ではなく、禁止が強要されているという。例外は「ラマダン」が終わると祭があり、そのときはモスクに礼拝に行くことが許されている。公務員、公務員ではないが銀行員、大手企業・工場に勤務する人も同じだ。ということは<自営業者>しかモスクで礼拝できないことになる。しかし、信仰を抑圧することはできない。彼らは「昼は共産主義、夜はイスラム主義」と称している。また、酒の好きな人はこれをもじって「昼はイスラム主義、夜は共産主義」と揶揄している。公の場所、人の目に付く場所での<礼拝>は禁止されている。もちろん、モスクは四六時中監視されているという。<信教の自由>はないと考えたらよい。
食糧は豊富である。元々豊富であった。この地域の人口は1750万人、70%が<漢民族>ということは、1225万人がよそ者だということになる。元来の<ウイグル人>などは525万人しかいないことになる。<漢民族>が流入したことによる食生活上での影響は<食習慣の変化>だという。まず「米」を食べるようになった。「中華料理」が蔓延した。問題は<豚>の流入である。今年の正月に自宅に、ウイグルの人たちと韓国人を同時に招待したが、ウイグル人が<豚料理>を食卓から下げてくれと言う。韓国人は不満だったが、止む無く従ってもらった。
こういうことが起きる。食堂では<ウイグル人など>と<漢民族>が同席することはない。食堂が別席になっているのもあるという。また、食堂が別になっているものが多い。看板で表示されている。
食習慣の違い、日本人には理解しがたいと思うが、彼らにとっては<重大問題>であるという。>ウイグル地域の世情(2)<
食糧は豊富に出回っている。それだけこの地域は豊かであるということだろう。
しかし、<水問題>が深刻化しつつある。この地域は万年雪を頂いた「天山山脈」、「崑崙山脈」など山脈に囲まれている。本来<水不足>は全くない。ところが、先のとおり<漢民族>が大量に流入して来た。食糧を確保するには、主食であれ家畜・野菜であれ<水>が必要だ。それと「工業化」が進んでいる。<水>が不足しつつある。
そして、<漢民族>がウイグル人の作った作物を食べる。<漢民族>、食糧の生産はしない。消費(食べる)だけだ。早晩<食糧危機>に陥るだろうと言ったら、そういうことになったら<暴動>が起きる。中国共産党は何としてでも内地から食糧を運ぶだろうと言う。それを望みたい。
文化面では、書店、とはいってもそう大きな規模のものはない。私が入った書店も20坪足らずだった。ウルムチでも大きくて30坪くらいではないかという。あまり本を読まないという。そういえば、列車のなかで本を読んでいたのはごく少数で、しかも<漢民族>だった。書店、中国語の書物がほとんどだ。「ウイグル語」などで書かれた書籍も見かけたが、数は中国書の10分の1程度であった。それもそうだろう。中学校以上では中国語でしか授業をしない学校が大半で、大学では<中国語>でしか授業をしない。「ウウグル語」など必要ないのだ。
その中国語の書籍だが、今年は「ケ小平」の生誕100年だということで、彼の業績を讃える書物がたくさん置かれていた。もちろん「毛沢東語録」もあった。政治的書物だけでなく、経済書、文学書などもかなり置かれていた。ここが20年前と違っていた。日本に関する書物は全くなかった。大学の教官に聞いたところでは必要な書物はパソコンなどで拾って直接注文するという。また、日本の知人から送ってもらうという。検閲はあるが、基準は明確でなく検閲官の気分次第であると笑っておられた。ただ、中国批判本は無理だという。>ウイグル地域の世情(3)<
この間、良くテレビを見た。8月15日を迎えて、盛んに「中国共産党」の賛美番組を流していた。大東亜戦争当時の中国からビルマへの道路建設の苦闘と日本軍との戦争勝利の実話、また「東京裁判」を戦勝国から見た(糾弾)番組を流していた。中国、これ「国民党政権」ではなかったか? 国民党のコの字も出てなかった。中共政府が主導していた。中国、<戦勝国>だったけ? 他にも「支那事変」から始まる「日中戦争」の番組もあった。中国が<反日国>になる理由が理解できた。アジアカップの<反日騒動>、中共政府が煽っていたと推測された。
もちろん、「ケ小平」の功績賛歌番組も複数あった。ただ<天安門事件>のことには一言も触れてなかった。
中国のテレビ、軍人しか出演しない番組が2つあった。内容は<軍人推奨・激励番組>のようだった。やはり<中国人民解放軍>絶対の体制社会だ。この地のどこにでも<人民広場>があり、「毛沢東」の巨大な立像が立っている。北朝鮮の「金 日成」もこれを真似たのか? 瓜二つの国だという印象を受けた。そういえば、こういうものがないのは「ベトナム」だけだった。キューバは知らないが。
今年、「新疆・ウイグル自治州創設50周年」に当たる。この地域の至る所に、これを賞賛する<垂れ幕>がかかっている。テレビでも盛んに<民族協和>を謳っていた。おそらく「中国共産党」が建てた建物の数々が映し出されていたが、モスクはついぞ出て来なかった。この地域には、モスク、イスラムの聖人の廟が数多くあるが、ここには必ず、これは「中国政府」によって建設・再建・保護されたとの<案内板>が建っている。「トルファン」のモスクもそうだったが、現地の人の説明では現地の人の<浄財>で建てたとハッキリと言っていた。このモスクの近くにはこの地の有力者の<豪邸>があり、そこを特別に案内して、この方も含めて<葡萄富豪>が多い村だと説明を受けた。ささやかな抵抗だろう。
新疆・ウイグル地域を解放し、豊かな生活を与え、モスク・建物を立てたのは「毛沢東」だと言いたいのだろう。この地の人たちから実情を聞くと、空しく聞こえた。
>終章<
>終章(1)<
こうして、日本に何とか帰って来た。
こちら、<愉快>な人の部類に入るだろう。笑い、冗談もよく言う。声も大きい。口も悪い。何でも質問する。およそ<真面目>とはほど遠い。そして<厚真かましい>。同年代の日本人には珍しく<大男>だ。日本人との付き合いの多いこちらの人からも<珍しい>日本人だといわれる。
口が悪いので、同行の留学生も通訳をハショッタと言っていた。相手をムキニさせれば<本音>を聞くことができる。お陰で本音を聞けたようだ。また、相手の思惑など考えずに何でも尋ねる。こうして<実相>をある程度は知りえたと考えている。
さらに<好奇心>が強く、何でも見てやろうだから、どこにでも首を突っ込む。遠慮しては何も見えないのだ。
中国、トイレ、全く20年前と変わっていなかった。ご婦人方には<無理>だろう。「悪路」これも同じ。<サービス>、これは世界最低の部類に入る。何しろ世界190カ国弱のなかで90カ国は回っての結論だ。
どうして、次回「オリンピック」が開催されるか理解できない。北京で観戦してもそこから出て<観光>しようなどと考えてはならない。「北京」さえもどうかというところだろう。
街は、どこも綺麗だった。それよりも清潔だった。特に「南ウイグル」がそうだったが、「北ウイグル」の「ウルムチ」も同じだった。「南ウイグル」の人に言わせると、「ウルムチ」は汚いというが、比較の問題でそのようには感じられなかった。中国の内地と違って、ゴミが落ちてなかった。四六時中、ウイグル人が箒で道路を掃いていた。清掃員には見えなかった。これを見ても<人心>が安定しているのが見て取れた。<漢民族>とは「資質」が違うと感じた。
オリンピック、「ウルムチ」で開催すればよい。建物・社会基盤などすぐにできる。<サービス>など全く問題にならない。北京などとは<雲泥の差>だ。>終章(2)<
新疆・ウイグル地域、人はやさしかった。表情に<ゆとり>が見られた。内地のようなギスギスしたところが全くない。<ブッタクリ>など全くなかった。外国人にも現地の人にも等しく同じ値段で物を売っていた。子供の<物売り>は全くいかなった。物質的にも精神的にも<豊か>である証拠である。
物も豊かで、野菜・果物は日本と比較にならない。自由化されたら、まず日本と同じものは<全滅>だろう。女性が着ているものは<絹>が多い。「衣食足りて礼節を知る」、この言葉が良く理解できるところだ。
しかし、<漢民族>に支配されていることには変わりはない。投資よりも収奪が多いから、いつか不満が爆発するとも限らない。<漢民族>とは、文化・宗教そして民族も異なる。共通する<価値観>が得られないだろう。
留学生の13歳の息子さんが、9月からの中学校入学を控えて、「軍事教練」に出かけるという。<模擬銃>を持って「屈託が無い」。この後、高校、大学のそれぞれの「入学期」に「軍事教練」が施される。何のための「軍事教練」なのか。ウイグル人は笑っておられた。息子さんに<適当>にやっておけと諭していた。中国共産党になどには<尊敬>も<服従>もないのだ。彼らに中国への「愛国心」など全くない。食堂などのテレビで「オリンピック」が全く放映されていないことからも見て取れる。「中国共産党の軍事教練」、全く<無駄>だろう。「独立運動」の際の<武器>の使い方を教えるようなものだ。
チベットと同じく「独立」が望ましい。いや「独立」すべきだろう。日本も声を大にして叫ばなければならない。「イスラム教徒」、正直言って<好き>ではなかった。しかし、少し考えが変わった。「親日国」である。日本に<害>を及ぼすことはないだろう。<親日>であれば民族・宗教を問わないと考えた。日本にいる朝鮮人・中国人と<交代>していただきたい。ここのところが今回の旅行で一番の<収穫>だったような気がする。
体験としては、イスラム教徒の<法事>を見れたことだった。異教徒の<葬儀>を見ることができたのは初めてで<得がたい>体験だった。さらに、そこで、ウイグルの人たちと接して、様々な民族が混在していること。その置かれている状況をいくらかでも理解できたことも大きかった。
(完)
日本の未来をつくる--行動する戦う保守市民の交流の掲示板
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より保存。8月27日(金)02時22分14秒 開始 9月 4日(土)13時53分45秒 完結。