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空港から直接Hacienda San Gabriel de las Palmasへ。空港のタクシー運転手 はこのHaciendaには行ったことはないけれど、近くの村に行けば住民が知ってい る筈だといって出発しました。タクシーに揺られること1時間半、ど んどん田舎になり、最後にはこんなところに荘園が本当にあるのか、そもそも人 は住んでいるのかというところに迷い込み、顔を強張らせている私を安心させよ うと運転手は笑顔でOKマークを出すのだけど、それが余計怪しくおもえてきて、 “誘拐”などという言葉が頭に浮かんできました。やっと荘園についたときには 思わず破格のチップを渡してしまいました。 |
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| 外の風景は何もない片田舎の一角に目立たない看板が立ち、そこを目指して行ったのでなけれ ば、絶対にこれがホテルとは思わなかったでしょう。回りには人はおらず、馬がの んびりと草を食んでいるだけ・・・。舗装されていない田舎の乾いた白い道に面し て大きな木の扉があるけれど、どうみてもホテルの扉とは見えません。しかし、意 を決して垂れ下がる綱を引くと鐘が鳴り、門番らしき人が顔を現しました。 | ![]() |
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![]() 足を踏み入れて、まず目に入ったのが、まっすぐに延びる道と、それを縁取る高さ 10メートルを超えて聳えるヤシの並木です。どこまでも広がる色濃い芝生と、白い ヤシの列。奥には深い森があり、その木々の間から、馬に乗った庭師と思われる人 が現れたから、自分がどこにいるのかも忘れてしまいます。しかし、元々1万9千 ヘクタールあったという土地は、周辺の農家に分割されたというのですから、元の 広さを想像する事もできません。 |
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Hacienda San Gabriel de las Palmasはそれぞ れの部屋には番号ではなく名前がついています。私たちの部屋はAdelita。蔵の 鍵のような大きな鍵で“錠前”を開けて中に入ると、天井は4-5メートルはあ り、明かり取りの窓と、ファンが2つ垂れ下がっています。部屋にはテレビはも ちろんのこと電話さえもなく、夜は本当に真っ暗。こんなに深い闇はかつて経験 したことがありません。 |
| 到着後シャワーを浴びてプールサイドへ。喉が渇いていたので水かジュースが飲 みたかったのだけど、JuiceもWaterも通じない。仕方なく“マルガリーター” というと“Si”・・・通じてしまった。こうしてマルガリータづけの日々が始まり ました。 | ![]() |
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アシエンダで2泊した後、クエルナバカへ。![]() |
クエルナバカは本当に花咲き乱れる ところで、大きな木に鮮やかな色の花が咲いているのが珍しく、私は上ばかり見 て歩いていました。![]() |
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まず、ラス・マニャニタスでマルガリータを飲んでから、観光開始。カテドラル、 州庁舎、ロバート・ブラディ博物館、コルテス宮殿、ボルダ庭園、ホテルSUMIYA とあますとこなくかずさん、かりさんに案内していただいて、丸二日間の滞在で したが、クエルナバカを堪能しました。![]() |
![]() メキシコの独立記念日に食べるChiles en Nogada 緑、白、赤とメキシコの国旗の色を表している。 |
また私たちの旅の第一目的である“食べ物”も大満足でした。ラス・ マニャニタスで食べたチレス・エン・ノガタ、シーフードカクテル(料理名を忘 れてしまいました)は、本当においしかったです。また、マルガリータのおいし いことといったら。おかげで旅の後半はずっと二日酔い状態でした。 |
さて、いよいよメキシ コ・シティーへ。初日、お決まりのソカロ、メトロポリタン・カテドラル、国立 宮殿、国立芸術院宮殿、チャプルぺック公園とまわったところで、体力の限界。 夜遊びに備えてホテルに戻って休憩することにしました。部屋にあったレストラ ンガイドで調べると、日航ホテルの地中海料理店Les Celebritiesがとてもおい しそう。ただ、ドレスコードがフォーマルとあります。アメリカじゃあ、フォー マルというのはジーンズ以外というくらいの意味でしかないけど、メキシコでは どうなんだろう?思案の末、夫はジャケット着用、私はワンピースにちょっと派 手なアクセサリーをして出かけました。お客は白人男性二人だけ。彼らはやはり ジャケット、ノーネクタイでした。メニューはお魚中心。せっかくだからメキシ コ産のワインを頼みました。初めて飲んだけど甘めでおいしかった。お料理もお いしかったし、サービスも満点。帰り際にバラの花まで頂き、とってもHappyな 気分でした。クエルナバカもそうだったけれどメキシコシティーもいたるところ にバラが売っています。かりさんによるとクエルナバカ周辺はバラの産地だそう です。
太陽のピラミッド Piramide del Sol
二日目、テオティワカンへ。既にアメックスのツアーを予約したので、今日は何 の心配もなく一日過ごせると思ったのが間違い。9時集合のツアーが待てども暮 らせども来ないのです。日航ホテルのロビーはスーツ姿のビジネスマンが仕事の 打ち合わせ
だか商談だかしていて、麦藁帽子なんてもって立っている私たちはと っても場違い。結局、一時間待って来ないのでツアーをキャンセルして自力で行 くことにしました。 ホテルから地下鉄を乗り継ぎ乗り継いで約一時間、やっと北ターミナルにつきま いした。私はそこにつくまで、バスターミナルに行けば、「はーい、ピラミッド 行きはこちらですよー」と言う人が居ると思っていたのです。ところがそんな人 はいない上、ターミナルの広いこと。インフォメーションに行って、どこのブー スか聞き切符を買いました。ちなみに8番ブースで片道19ペソ、所用時間は約 1時間。 ピラミッドは・・・大きかった。バス停からツアールコアトルのピラミッド、太 陽のピラミッド、月のピラミッドと歩くと、2Kmはあります。勿論行ったら返 ってこなくてはならないから合計約4Km歩く事になります。それも階段を上っ たり降りたり。ツアーで来た人はピラミッドからピラミッドまで車で移動する・ ・・。これから行かれる方にはツアーで行かれることをお勧めします。 へとへとになってやっと太陽のピラミッドの前までたどり着た時、急に雨が降り 出しました。ここまで来てのぼらないなんていやだから雨が止むのを待とう、と 私たちはピラミッドにへばりついて雨をしのいでいました。その間にツアー客は みんなひき上げてしまい、いつのまにか私たち夫婦と、メキシコ人とイタリア人 のカップル、そしてイギリス人の女の子2人組みだけになってしまいました。雨 はいよいよ激しくなり、ピラミッドの影では雨宿りが出来なくなったので、発掘 調査中のピラミッドの中に走り込みました。中で働いていたメキシコ人の男の人 たちはちょっと驚いていたけどすぐ打ち解けて、この通路は真ん中の4つの部屋 につながっているとか、太陽のピラミッドの中にはお棺はないけれど月のピラミ ッドの中にはあるとかいう話をしてくれました。1時間たって雨は少し小降りに なったけれど、気温が下がって、体が冷えてきたのでピラミッドに登るのはあき らめて帰ることにしました。本当に残念でした。そして、帰りまた1.5km近く歩 かないといけないのか、完全に風邪をひくなと思っていたら、さっきのメキシコ 人の一人がトラックでタクシーを呼んできてくれました。 お礼を言って、そのタクシーでバス停まで行き、バスと地下鉄を乗り継いでホテ ルにたどり着いたとき、やっぱり風邪はひいていました。でも、ツアーで行くの とは違った楽しさがありました。
今回お世話になったクエルナバカ在住のかりさんによるハシエンダの解説
HACIENDAは、一般に大農園、英語でPLANTACION を意味します。しかし、スペ インの支配下に生まれた中南米の国々のアシエンダには独特の意味合いがあります。 荘園は、農園を意味すると共に、支配者である領主の屋敷を意味したのです。 メキシコの歴史は、PREHISPANICO(あるいはPRECOLOMBINO)即ち新大陸発見以前、 またはスペインによる征服の前と、後で大きく分かれています。1492年にコロ ンブスがアメリカ大陸を発見し、その後、エルナン・コルテスをはじめ、スペイン 人が続々と到着して、国の形が全く一変してしまいました。 ここで取り上げるサトウキビ農園もそのひとつです。サトウキビは現在もモレーロ ス州の重要な産業で、わたしたちは、これをメキシコ原産の植物と思っていました。 しかし、実際には、コルテスが、征服直後の1529年に、この土地に持ち込んだ 外来の農産物だったのです。16世紀前半、NUEVA ESPANA(新スペイン)と呼ばれた メキシコで一番重要な製糖工場といえば、ベラクルスのトゥクストラとクエルナバ カのトラルテナンゴのふたつであったように、モレーロス州は、温暖な土地と豊富 な湧き水があったことから、次々とサトウキビ農園が作られたのです。そのスペイ ン人支配者と原住民や農奴の様子は、コルテス宮殿内のディエゴ・リベラの有名な 壁画に描かれています。 サトウキビ農園では、砂糖AZUCAR、糖蜜MIEL 、焼酎AGUARDIENTEなどが製造さ れていましたが、しかし、独立戦争ののちスペイン人支配の時代が去り、さらには 革命が起こり、内乱の時代を経て農園が荒廃し、しかも技術の進歩で古い製糖機械 が不要になると、多くの荘園は過去の遺跡となりました。しかしながら、その石造 りの建物は、ただの残骸CASCOとみなすには美し過ぎました。 破壊を免れて今も残る荘園の近くには、アーチ状の柱を持つ水道橋ACUEDUCTO が 道を遮り、そのアーチをくぐると、青い空にそびえる高〜い煙突が見えます。これ は、サトウキビを焼くたかまどの名残りで、どちらも歴史に苔むし、色を深めて尚 存在感があります。また、荘園の要塞のような高い石塀の木戸を開けて一歩中に足 を踏み入れると、征服者であるスペイン人が、富と権力にまかせて建築した美しい タイル貼りのボベダBOVEDAと呼ばれる丸天井を持つ住居部分や、付設の教会や礼 拝堂があり、その石壁を抱くようにつたう木の根や、樹齢も不明なほど高く青空に 聳えるパルマス(ヤシの木)などが、500年にも及ぶ歴史を物語っています。し かも、周辺はいまなおサトウキビ畑が広がり、これが、モレーロス州の旧街道をド ライブすれば、必ず、通りかかる風景の重要な一部なのです。
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