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私がロードバイクと出会ったのは、確か22歳の春、職場の先輩に誘われてトライアスロンを
やることがきっかけだった。
ランニングに物足りなくなり、刺激が欲しい時期だったんだと思う。練習にあたって、スポーツ
ジムへ毎日のように通い詰め、オートバイ(Kawasakiゼファー1100)を売った資金で、ロードバイク (TREK1200?カーボン)を購入したのだった。
今でも鮮明に覚えているのだが、ショップの勧めで、初めてバイク練習会に参加したことだ。
早朝、交通公園に集合したメンバー約15人で編隊を組み出発、奥武蔵の裾野で入間川を
添うように上流へと向うアップダウンのある往復75Kほどのコース。全体を黄色に塗られたワゴン 車にショップ店長が乗り込みサポートカーとして併走する。
私は、年下の女性だがロードバイクの先輩の後ろについて走ることになる。
「森林浴、小川のせせらぎ」今だからこそ感じることができるものの、その時は、心臓バクバ ク、足はパンパンでついていくのに精一杯だった。
それから、初参加のレースで優勝したり、どんどんのめり込んでいくことになる。
仲間と練習で激坂を登る時等、同じ瞬間、同じ場所を過ごすことがたまらなく嬉しかった。恋
もしたし、失恋もしたりで、そこに「私の青春」があったんだと思う。
2年目を迎えた頃、人生の転機が訪れることになる。仕事で本部へ出向することになった。
「自分で望んだこと」そうなのかもしれない。戦場がまっていた、引っ越しもしたし、昼夜のない 生活が始まり、バイクも埃でうっすらと白くなっていた。
それでも、バイクは手放せなかった。毎年、東京−新潟・直江津間300Kのロングライドを実
行した。ある年、5月の連休に実行した時のこと、妙高高原は辺り一面銀世界の時もあった。
その後も、借りてきたビデオ「メッセンジャー」に影響されて、あきらめかけていた自転車通勤
を始めたりもした。
2回目の転機、最愛の人との出会いがあった。結婚生活、仕事と趣味の両立、昨年8年振り
に出たトライアスロンレースの後、冬場のフルマラソンで足を故障したことをきっかけに、考え たあげくロードに転向することにしたのだった。
単身上京し、身よりのない都会生活で、仕事ではなく、様々な利害関係に縛られない交友を
見つけたかった。
「自転車との生活」をとおして、私は、都会の中で生き抜く糧をえて来たし、バイクを手放さな
い限り、これからも頑張ってこの世の中を生き抜いていけるのではと思う。
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