セミナーの遅刻に対して
(I崎氏による)
1997年の秋の段階では雑誌会の始まる時間は1300であったが
定時に始まることはあまりなく5分遅れほどで始まることが多かった.
ある週に1300現在に会議室に集合していた人間は4人ほどであり,氏の逆鱗に触れる.
その結果,その次の週の雑誌の会の前に学生頭による「怒りのプリント」が配られ,
以後遅刻をしないよう厳重な注意が行われた.
現在ではそれ以上の人間が遅刻してくるし,教授ですら10分以上の遅刻常習犯である.
国境紛争
第一次は,シャルロットと三号機の間で行われた土地争い.
N島氏とI崎氏の会合により,国境線が確定された.
3次元的にはどうなっているか筆者もよくは知らない.
第二次は,SPEXの移動に伴いフェムト秒レーザーが入るときに
行われたもの.フェムト秒レーザー導入の前夜にシャルロットグループの
N島,青K両氏が赤のビニールテープで軍事境界線を引いた.
これに乗じ,西側にタイル半分だけ領土を拡張した.
その後,フェムト秒レーザーグループはアングルによる壁を作り
境界線を封鎖し,現在に至っている.
その後,フェムト秒レーザーグループによる侵攻
(SNPもしくは3号機のコンセントを勝手に使う)も何度かあった.
モルジブ
1999年の3月,卒論発表後,大学院の入学手続きを控えてのこと.
K山氏が東京に遊びに行くといったまま,まったく学校に姿をあらわさなくなり,
心配した人間がK山氏の実家に連絡,モルジブに海外逃亡していることが判明した.
しかし,これは誤報であり,実際にはフィジーに行っていた.
K山氏はY代氏に「東京に遊びに行くので実験はできません」と報告していた.
K山氏のお土産は当然ながら東京土産(確かひよこ)であった.