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『軽米赤れんが探訪』 番外編 オーディオコンサートinレンガ酒蔵の巻 ≪旧日山商店酒蔵(大町)≫ |
夜ともなると春まだ遠い3月も9日。その夜かつて酒蔵だった赤レンガでオーディオコンサートが行われました。
思えば探偵団初のFANなイベント。今回はその様子をレポートしますね。
コツコツコツ…。トンネルのような長い通路の向こうに、かつて酒蔵であった赤レンガの建物があることを知ったのは、つい最近のことでした。
昼でも暗いそのトンネルの奥。おぼつかない歩を進めますが、本当に今日だったのでしょうか?音楽が聞こえません。
寂しく、足音だけが響いています。
コツ…コツ…コツ…。「ああいらっしゃい、もう始まってるよ。どうぞ、どうぞ」中ほどで戸惑っていると、
うしろから湯川さんが上気した声をかけてきました。始まってる?…。
「さ、はやく、こっちこっち」果たして、急かされて潜った暗幕の向こうは、薄暗がりに大音響だったのです。
一瞬、何もないはずの空中を、ピアノを探して視線を彷徨わせてしまいました。それほど鮮明な再生音が、僕の眼前に像を結んだのです。
「レンガは非常に音の吸収率が良く、音楽を聴くには最適なんですね…」程なく曲が終わり、
今宵のオーディオコンサートの機材提供と選曲をした及川さんの燻し銀の声が、マイクを通して流れます。
なるほど、だからこんなにもクリアで大音量なのに外に音が全く漏れていなかったのか。
「私の自宅で同じ音量で聞こうとすると、家が畳ごと震えるんですね。共振って言いますが…。
このレンガの建物で震えるのはろうそくの炎だけです。…では、次の曲は…」
見回すと赤レンガの壁はより紅く、すすけた梁はより黒々と、十本足らずのろうそくと間接照明に浮かんでいます。
テーブルに揺らめいているのは、皆が持ち寄ったジュースやビール、つまみ。
「ま、ま、ひとつ飲んで…」その後運転をしなくてはいけない僕は固く辞退したものの、
心の底では『じゃあ、ちょっとだけ…』と応えていました。飲みたい。このムードに心身共に沈めてみたい。
吐く息の白さもその世界への誘惑。
寒さはここではポジティブに働きます。絡め取られれそうな僕はぐっと堪えてタバコの煙を吐き出しました。
すでに酔っ払って駆けつけて「N村のジャズの館より素晴らしい!」を連発しているのは工藤さん。
「フランスのシャブリ。いや大丈夫だよ、おいしいよ」。女性だけをターゲットに勺をして回っています。
酒もつまみにも手を付けず、哲学者のように目を閉じたまま、腕を組んで音を探るのは今夜の言い出しっぺ、
はたさわ薬局さん。同様でいてちょっとにやけているのは切明お菓子屋さん、まさにご満悦のご様子。
ビールを片手に人差し指と足でリズムを取る古舘さん。そろそろ日本酒が欲しい頃なのでしょう、
心ここに在らず少しウズウズしています。畳にすれば15畳ほどの空間に集まった20人あまりの人たちは、
それぞれに思い思いの世界を楽しんでいます。
後日NHKが『幻想的』と評した光景は、やはり幻想的。
アップテンポの曲が連繰されました。ディブ・ブルーベックの『テイクファイブ』、
俳優よりもミュージシャンを目指したという武田真司のサックスが流れた頃、数人の目配せの後に、
どこに隠していたのでしょう、更に度数の高い目のお酒とつまみが所狭しと振舞われました。焼酎、ワイン、バーボン?!…。
ああ…いやが応にも盛りあがります。僕だけしらふの世界に置いてけぼり…。
さっと会場から抜けたまるげんさんは、ニコニコしてヤカンと一升瓶を手に帰ってきました。
『ああ!やめろ!』私の心の叫び。いきなりヤカンに日本酒を注ぎました。ストーブで温めて熱燗にする気なのです。
ああ…そんなことをしたら…飲みたい。
「次の曲…、アート・ブレイキーの現在のCDはレコードから起こしたもので、音質がちょっと落ちるのですが…」
1セット10台あまりもの自作のスピーカーを持ち込み、自宅には二十数台のアンプを所有するという及川さんのトークは、
工藤石油の社長、康之さんのマニア心を刺激したようでした。彼は挑戦したのです。自分のCDを持ってきていました。
「ああ、この『山本ツヨシ』のレーベル『スリーブラインドマイス』はレコードしかなかったなかったのですが、
現在CDにしたものが売られています。僕は15枚持っています」
「あ〜、負げだ!おらぁ8枚だ」マニア勝負では及川さんに分が在ったようです。どっと会場が沸きます。
ああ…いいなぁ…。今や勺をする者などなく、手酌で各々まっしぐら。
「すっかすこの指使いがよお…○×△」それはまさに赤レンガとジャズという名の混沌。
「20年代がなあ…○×△」すっかり取り残された僕はほの暗い天井を仰ぎ、ひっそりとそのやり取りを赤レンガと共に眺めます。
先人たちはこの光景を想像したでしょうか。
コツコツコツ…。果てることのなさそうな今宵に、身重の妻を慮った僕はひとり静かに後ろ髪を引かれながらもトンネルを引き返しました。
と、暗がりの向こうから、茶屋さんが『どこだろう?』という顔で入ってきました。手には一升瓶に白いものがなみなみと、
足取りと共に右に左に揺れていますています。
「ああ、どうぞ、こっちですよ♪」
一人、また一人と飲み込まれるアリ地獄のような桃源郷。
その暗がりに吸い込まれて行く茶屋さんのうしろ姿を見送りながら、僕はたくさんの重機の入った雪谷川を思い出していました。
今こそ泥の流れる川ですが、新・昭和橋には赤レンガの親柱が据えられました。
その下に軽米の新しい歴史と共に流れつつある新しい雪谷川。まだ宵の口の本番前、
そのまだ見ぬ清流を見た気のした熱い熱い一夜でありました。