体験談・講演から (順不同) 目次へ
| タ イ ト ル | 内 容 |
| やっとこ半生紀(ひつじのHP) | 太田国男氏の「やっとこ」での半生が |
| 強制隔離・労働、断種'00.6.7 (民団新聞) |
国本 衛氏は「二重の差別とたたかって」と題する講演を行った |
| 「五十年の隔離の時を越えて」 (Gな庭HP) |
金地慶四郎氏が語る |
| 命の尊厳について (masaya ka ba?HP) |
平沢保治氏から話をうかがう |
| 平沢さんの話 (masaya ka ba?HP) |
平沢氏の人柄が見えてくるような語り口 |
| 科学の前提に人権意識を (全日本民医連HP) |
平沢氏へのインタビュー。政策、差別の実態 |
| 花に逢わん'97.6.7(琉球新報) | 伊波敏男氏。誠に悲痛な話がある |
| うないフェスティバル2000 (琉球新報'00.10.30) |
金城幸子氏が52年間の体験を語る |
| 理解なき偏見、差別 (沖縄タイムスHP) |
金城雅春氏は、裁判は社会の差別と偏見を取り除くための闘いだと語る |
| 偏見・差別との三重苦 (南日本新聞'00.11.6) |
沢山直二氏らの体験 |
| いのちの尊厳を求めて'00.12.16 (存明寺HP) |
「親の葬儀にもきてくれるなといわれ、墓の中にも自分の名はなく・・・」森元美代治氏の痛切な言葉が続く |
| 実名公表'97.9.30(朝日新聞より) | 森元氏の場合 |
| 人間性の再生、美代治兄さんへ | 「榕樹(がじゅまる)」14号より 森元氏の話 |
| 「医療と人権」ハンセン病を生きて | 「榕樹」15号より 同上 |
| らい予防法の過ちを糺す | 「榕樹」16号より 同上 |
| インテグレイションを拒むもの | 「榕樹」17号より 同上 |
| 呪縛からの開放TUV (緑の牧場HP) |
太田国男氏、中山弥弘氏が体験を語る |
| 「ハンセン病とらい予防法」('96.10.28) (日本ハンセン病者福音宣教協会) |
由布雅夫氏がハンセン病の歴史を語る |
| 負の遺産(上)(下)('01.3.21) (下野新聞HP) |
タツオさん(72)が五十年以上の歳月を過ごした多磨全生園での体験を |
| 飼い慣らされた人間でなく | 須山八重子氏 |
| この空の下で'00.10.13 (熊本日日新聞HP) |
「菊池野」編集長、杉野桂子さんが記す |
| ハンセン病医療に従事して (杉山和子氏) |
クリスチャンとしての良妻を志していた杉山和子氏が大島青松園で30年近くの医療活動に従事した |
| 「いのち」を追って(上)(中)(下) (徳島新聞HP) |
元患者さん26人の声「いまだに帰省すらかなわない入所者は結構多いのです。われわれも生あるうちにこの矛盾を晴らしたい」など |
| 療養所在園者の聞き書き集 (りふぁねっとHP) |
朝日新聞大阪厚生文化事業団編の聞き書き集から |
| 長島愛生園訪問体験記 (かどやんファミリーHP) |
「見学だと称して大勢の若者が、園にやってくる。何か話してくれと頼まれるから一生懸命に話す。だけど彼らが帰った夜は空しくて眠れない。一回こっきり、わしらを見に来ただけの若僧に何であんなに夢中で話したんやろ。あんたはわしを眠らしてくれるか。きっとまたきてな」 |
| 「資料館」を見学して (ワンステップかたつむりHP) |
自分の無知を改めて認識させられました |
| 訪問記('98.2.23)(秋之館HP) | 「深いところに差別や偏見が産んだ「隔離」そのものに対する強烈かつ極めて静かな怒りと悲しみがあることを感じざるを得ない」と締めくくられている |
| お花見・交流会('00.4.9) (「街」グループHP) |
この中を生き抜いてきた人(森元氏、国本氏)が今私の目の前にいる |
| 再認識したこと'00.9.16 (DAYA DUN HP) |
「それにらい病は治るものなのだと案内してくれたジョーンズは力説していた。すごく伝わってきた」少しの間に随分私たちの理解も進歩した |
| 見学記'00.10.5(ゆうゆう亭HP) | そして最後まで繰り返し繰り返し云われたことは、ここには納骨堂まであると言うことです |
| 十勝の高校生訪問記 (上)(中)(下)('97.4.9〜) |
「違う。子供に会いたくないはずはないよ」 高校生たちにはその瞬間、淡々と語っていた双見さんの、過去の重さが見えたに違いない |
| ハンセン病資料館訪問レポート ('00.9.17) |
ここを訪れて心を打たれる人が多い |
| 南静園、愛楽園研修会 (琉大熱医研HP) |
「ハンセン病は我々の社会での倫理観をも改めて問いただす非常に奥深いものであり」という視点で南静園、愛楽園での熱心な研修を受けた医学生の記録 |
| 「満月まつり」に参加して('01.4.14) (「街」グループHP) |
練馬人権センター主催のお花見に国本氏も加わって |
| 神山復生病院訪問記 | 鎌倉市にある栄光学園の「愛の運動」の活動の一環として |
| 神山復生病院訪問記'97.8.31 | 個人の日誌から |
| 愛生園に行って(片山英子HP) | 姫路工大環境人間学部の学生のフィールドワーク。愛生園へ |
| 瀬戸内訴訟傍聴記 (国賠訴訟を支援する関西連絡会) |
「皆がこのことを知らずにいることや、知らないふりをすることが、差別をしてきたことと同じくらい許されないことだということです」 |
| クリスマスの思い出(小野高校HP) | 「そのおじいさんは15歳で発病し、家族の者が寝静まった夜に一人で家を出、この療養所に入られたということであった」 |
| 大学教授と弁護士の相異 (患者の権利法をつくる会) |
「人権」は大切であると教わる。しかし、ともすれば概念のみが一人歩きし、中身の空洞化を生んできたのではないのか。人権とはバランスでも同情でも知識でもなく、感性であると言われることの意味を改めて教えられたように思う。 |
| 生命の尊厳に向けて(早大梅森ゼミHP) | 優生学上のハンセン病の位置づけ。なお「障害者を差別しているという大前提を自覚しないことには、いつまでたっても福祉は「おめぐみ」でしかなく、うわべだけ、言葉だけの」ものである、という心構えでの取り組みである |
| 全国人権擁護推進主事研修会('00.11.8) (曹洞宗HP) |
それを支えてきたのは『悪しき業論』ではないか。宗教者の責任は重い」と |
| 或る患者の体験('01.6.5) (時事問題解説) |
息もしない、背も伸びない太郎を、二人は全力で愛した |
| 光を求めて 扉を開かん上・中・下 (むねた裕之HP) |
谺 雄二氏のみちのり |
| 海星学園・宗教講話 | 平成12年4月14日の項。この現実が厳しい |
| 勝訴判決を聞いて('01.5.12) (神戸新聞HP) |
「背筋が伸びる思い。生きていてよかった」 |