親を看取って22年
河内長野市 橋上綾子
私は、楠の木ふれあい塾でパソコンのご指導を受けております一員でございます。
この度つたない体験ですが少しでもお役に立てればと思いまして、お話させて頂く事になりました。
夫の母は平成14年8月26日満94歳で永眠いたしましたが、22年前の昭和56年2月72歳
の時 外環状線道路工事中の道路で、ふとしたはずみで転倒したのがきっかけとなり長い寝たきりの
生活を送ることになったのでございます。
脳外科での検査結果では特に異常なかったのですが、日増しに様態が悪化し呼吸困難になってまい
りました。内科の先生より危篤ですので家族に知らせて下さいと云われ顔面蒼白で肩で息をして苦し
んでいる姿を見た時、この呼吸困難は痰が詰まっている為ではないかと感じ外科の先生に連絡しまし
た。
すると早速気管切開がはじまり、窓越しに様子をみていた私達はあっと言うまに呼吸が楽になり一
命を取りとめた瞬間をみて一安心したのでございます。
終始付き添って様子を見ている者の判断が命を救うこともあると実感しました。
しかし、その後は意識が回復しないまま、俗に言う植物人間になってしまったのでございます。来る
日もくる日も点滴と鼻腔栄養の毎日です。眠り続ける母に毎日声をかけ話しかけて体の向きを変えたり
手足のマッサージ等をして意識の回復を待ち続けました。途中肺炎になった時には1日に100回近く
吸引しなければ痰が頻繁に出るので間に合いません。こわごわ付き添っている者が吸引も覚えました。
幸い夫の兄弟は五人とも近くに住んでおりますので昼夜交代で付き添い、祈るような毎日でした。長い
長い2年間が過ぎたある日母が目をあけて私の方を見ているではありませんか。
意識が回復したのです--------。
この奇跡としか思えない目覚めにみんな必死で「お母さん」「お母ちゃん」と呼びかけました。
幸いなことに運がよかったと申しましょうか、昔から病気と寿命とは別のものという通りです。
その頃やっとCTの機械が入り検査の結果、ピンポンだま位の脳腫瘍があることが判り、早速手術を
して頂きました。手術は成功して久し振りに元気な笑顔を見ることが出来たのです。
その後は、自立へのリハビリです。手足は不自由、耳は全く聞こえず、気管切開により声も出せない
状態でしたが、心を鬼にして厳しくしたり、優しく励まして根気よく訓練を続けました。
やっと声だけが出せるようになり退院の日が来ました。入院後2年半が経っておりました。
退院後は父の待つ千代田台の家での生活の始まりです。入院前、両親は私の長女と3人で暮らしており
ましたが、私も介護のため同居することになりました。夫と次女、三女は向野の家で暮し、別居状態で
す。その生活は約10年間続きました。
父は毎日農協に勤めながらも家庭を大切にして、母の好物を買ってきては喜ぶ姿を見守り、私にもよ
く気を使って頂きました。
母は耳が不自由なので筆談となりますが勘がよく働き、相手の視線や顔色に気を使っている様でした
ので優しい視線が必要だと思いました。また賑やかなことが好きなので嫁5人が集まっては母を中心に
話す様に心掛け、退屈しないように1日中テレビをつけて自分でチャンネルを選べるようにしました。
また母はとってもお洒落な人だったので美意識が強く、いつも父が帰る頃には手鏡で身だしなみを整
えたり外の景色や人の動きを見て父の帰りを待っているようでした。
また父は常に母の喜ぶ事を考え、春は花見に、また家族旅行にも度々バスで出かけたものです。
その父も体調をこわし暫らくは自宅療養していましたが約1年間入院生活を送り、最後まで仕事に生き
頑張り続けた人でしたが、平成4年の暮れ八十六歳で永眠いたしました。
父が亡くなってから向野の自宅で10年間暮らしましたが、母を家の中心に休ませ家族の様子が見え
るように、また来客があっても一緒に話せるようして幸せそうな笑顔が私の喜びにもなりました。
私の3人の娘も嫁ぎましたが、結婚式には車椅子で出席してくれました。 孫も8人になり母には曾孫
25人になります。 お正月には全員帰ってきて、みんなにお年玉をあげるのを楽しみにしていました。
20年ぶりに母の実家の伊勢へも出かけ、「もう思い残すことはないわ」と云って実家の親しかった人
たちと出会って、とても嬉しかったようです。
いくつになっても故郷とは懐かしいもので、好物のかれいやまぐろ、貝等を充分いただき満足だったよ
うです。
家でも食事はきちんと食べてくれますが食後には西瓜が好きなので一年中求めております。
母が長生き出来たのは、夫と私のみならず多くの方々の助けがあっての事だと思います。
身体的介護も大変ですが、精神的介護は本人が考える力、人を見る目を充分もっておりましたので特に
難しく思われました。
私が外出する時、母はとってもいやがって母が若い時の事と比較するようで行き先や相手の人のこと
等を話して、あまり洋服も控えめにして出かけました。夫は仕事に出かける時はネクタイを3本持ってき
て母に選んで貰ったり、母にあいさつをして出かける様に心がけていました。
介護保険制度が出来てからは、母も認定4のサービスが受けることが出来、 月2回の医師の往診と
週1回の訪問看護、入浴サービスを受け、その他1日2回のオムツ交換、昼食介助等、最初はいやがって
おりましたが、話好きなのでヘルパーさんやナースの方と親しく話して楽しそうでした。在宅サービス
は本人はもとより介護者にとりましても習うことが多く大助かりです。
長いベッド生活でしたが、幸い母は痛みもなく元気に過ごしておりましたが 世の中には高齢の人や障
害のある人等沢山おられますが私も経験を生かしてお役に立ちたいと思っています。
つたない介護の経験から感じます事は生き甲斐を持たせることが最も大切な事であり
@楽しみを与えて孤独にさせない事
A家庭内での存在を認め出来るだけ相談する事
B女性としての美意識を持ち続けさせる様につとめる事
等だと思っています。
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