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『祈る人』 11月23日(土) |
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『しかし、主は、
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今日、ある会社で働いているクリスチャンのビジネスマンの方にお会いしました。 しかし、顔を輝かせてこう言われました。「会社でも祈ってるんですよ。」と。 こんな大変な仕事をしてるんだぞ、とか、むつかしい局面を切り抜けたんだぞ、というような自分を誇るような部分はどこにもなく、ただただ神様により頼んでいる誠実な喜びがうかがえました。 冒頭の聖句を、改めて思い起こさせられました。 |
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『人の目。神の目。』 11月21日(木) |
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「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
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私はかつて、どうしたら人から愛されるだろうか、といつも考えていました。 そして、人から見てほめられるようなことを心がけていました。 そういう性質はずっと続き、いつも人からの評判を気にして成長しました。
聖書の神の語りかけを知ったとき、本当に驚きました。 そして今では、このような無償の愛こそがほんとうの愛なのだ、と言うことができます。理屈ぬきでその人のことを大切に思える、そうでなくては「愛」とは呼べないのだ、と。 この愛が分かるようになってから、誰かに愛されるために偽りの努力をせずにすむようになりました。 |
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『ハンナの祈り』 11月20日(水) |
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「このはしためを、よこしまな女と思わないで下さい。
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冒頭のことばは、大預言者サムエルの母、ハンナの言葉です。 彼女は不妊の女でした。 どろどろとした人間関係の中でいらだち、悩む、ということは私たちもみな経験するところです。 ハンナという人は、大預言者の母になるにしてはずいぶん平凡な女性でした。しかし、唯一つ非凡なところを持っていました。彼女は、一切の憂いやいらだちをそのまま神に打ち明けることをしたのです。 神は、彼女の祈りを確かに受け止めてくださいました。そして、預言者サムエルが誕生するのです。彼は、ダビデ王に任職の油を注ぐ非常に重要な働きをします。
神は、非凡な聖人君子を用いられる方ではありません。 私たちはいろいろと奇麗ごとを語ることもありますが、ふたを開ければみな、自分のことしか考えないエゴイストです。どろどろとした感情も少なからずあります。 しかし聖書は、それらをすべて神のもとに持って行き、打ち明けよ、と勧めます。 あなたは今、どんな憂いの中におられますか。 「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。 |
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『花婿の友は悲しまない』 11月19日(火) |
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「イエスは彼らに言われた。 |
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イエス・キリストの時代、ユダヤの宗教家は断食を重視していました。 洗礼者ヨハネの弟子たちは、はっきりと自分たちの罪を神の前に認め、熱心に断食をしていました。 キリストは、ご自分の弟子を「花婿の友人」である、とたとえました。 「花婿の友人」の仕事は、待ちに待った喜びの時をを祝うことだったのです。
このたとえによって、悲しみの断食の時代は、もう終わった、とキリストは教えたのです。救い主である私が来たのだから、と。 これは、私たちにも大きな恵みを伝えてくれる教えです。 キリスト教会において、イエス・キリストを境に断食の意味は変わりました。それまでは、悲しみを表す断食が、神のことばをもっと深く受け止めたい、という積極的な気持ちから来る自発的な作業になったのです。 神は、あなたのすぐそばにきてくださっているのです。 もしも、あなたが聖書に書かれてあるイエス・キリストを素直な心で受け入れるならば、あなたは「花婿の友人」なのです。 |
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『秋からの贈り物』 11月16日(土) |
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「神のなさることは、
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教会の庭にケヤキの木があって、一年間に4つのプレゼントをしてくれます。 毎日のようにたくさんの落ち葉が庭に降り落ちてきます。子どもたちはせっせと葉っぱを集めて、火をつけます。そして、焼き芋を焼くのです。
どんなに気温が低くなっても、子どもたちは寒くなりません。忙しく葉っぱを集めますし、焚き火は暖かですし、なによりあつあつの焼き芋が体を温めるからです。 ある女の子が焚き火のそばで、「神様やこ、おらんのんで」と言います。すると他の男の子が、「ところが、おるんよなあ」と応じます。「おらんわ。」「おるんよなあ。」とやっています。 秋の昼下がり、落ち葉炊きの時間はゆっくりと流れていきます。 |
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『N兄の召天』 11月15日(金) |
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「私たちは、見えるものにではなく、
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しばらく更新をお休みし、申し訳ありません。 月曜日の深夜、教会の愛する兄弟が天に召されました。 N兄は、本当にすばらしい兄弟でした。病室にお見舞いに行った私が、かえって慰めを受けるような配慮と明るさをお持ちでした。 書き残されたものの中に、冒頭の聖句が記されていました。
葬儀の時の牧師の働きは、様々です。 それが、私のなすべき、愛兄への恩返しなのだ、と分かりました。 N兄は、病室から私に何度も電話を下さったり、蔵書を分けてくださったりして、駆け出しの牧師の成長を促してくださいました。 そして、信徒の死に際して牧師の使命は何か、という大切な学びを今回はさせて下さいました。 |
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『虹を見る少年』 11月9日(土) |
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「そのとき、イエスはこう言われた。
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今日、虹を見ました。 一年ぶりに見たので、少なからず感動しました。 その虹は、私が見つけたのではありません。 二度現れた、その二度とも彼が見つけました。
誰よりも早く虹を見つけることは、それほど難しいことではありません。 しかし、私も他の子も、ボールを追ったり、ベースを踏むのに忙しくて、だれも空を見上げたりしなかったのです。 もしも彼が野球のできる子で、空なんか見上げずに勝負の行方に集中していたら、私はきっと空に広がる美しいものを、聖書では神と人との平和の約束のしるしとされた七色の光を、見逃していたのでしょう。 |
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