最初にいつもと違うって思ったのが、去年の3月まで勤めてた会社でのストレスが溜まりに溜まった頃から始まったと思います。 約6年間勤めた会社で、それなりに責任ある仕事も任されていました。でも、従業員にやめられたくなくて何も言わない上司と適当に仕事をしてる部下の間に挟まれてたあたしは、日々のストレスでだんだんとボォーっとする時間が増え、めまいや貧血も起こすようになっていたのです。(これが最初の異変です)その前から不満だらけの仕事に行くのが嫌でたまにずる休みをしていました(今思うとずる休みをしていたから、これまでうつにならなかった気がします)。勤めだした頃は楽しいと思えた時期もあったけど、年月はたつにつれて、周りの人の本性が見えてきたというか、同じお金をもらってるのに、手を抜いてる人とかわかるにつれて不満がでてきました。でも、そういう人って注意をしても直すのは最初だけ。。。そのいい加減さへの不満が積み重なって、疲れてきてしまいました。 そんな毎日が嫌で、去年の2月には仕事を辞める決心をしていたのだが、引き止めてくれる人もいて、のばしのばし仕事をしてきました。しかし、精神的にもう限界だって思ったので、はっきりと辞めることを上司に伝えたら、半分気持ちがすっきりしました。なぜ半分かと言うと、やはり次の仕事あてがなかったからです。 でも、今まで何度となく転職をしてきたあたしは、次も簡単に見つかると思っていた矢先に、父親の病気が発覚しました。 仕事中に足の親指に物が落ちて、その時はたまたま安全靴ではなく、長靴を履いてたために、爪がはがれるほど傷が深いものでした。でも、病院嫌いな父は自力で治療をし、一ヶ月くらいが過ぎました。 怪我は完治するどころか、足はむくみ、歩行するのも困難な状態にまでなってしまい、やっと父は病院に行くことにしました。 しかし、病院に行ったその日に即入院させられたのです。 怪我をそのままほっといたせいか、下肢静脈瘤血栓症(エコノミー症候群)という病気になっていて、足の血管の途中に血栓が出来てたため足がむくんでしまってたようで、それをそのままほっとくとふとしたきっかけで、その血栓が心臓付近に一気に運ばれて血栓が途中で止まり血液が流れなくなり、死に至る可能性があるということで入院させたようです。手術で心臓近くに金属の弁を取り付ける手術をしました。手術自体は成功したのですが、他の検査結果でリンパ腺に腫瘍があることがわかって、悪性リンパ腫と診断され、入院が伸びてしまいました。 今の医学では治せる病気で家族はほっと一安心したのですが、無職だったあたしは、父が働けない状態になり、母も看病に時間をさいていたので、今までの収入ではとうてい生活が出来ないと思い、長時間働くより、短時間でたくさんもらえる夜間の仕事を探すことにしたのです。 しかし、男女均等雇用法が出来たとはいえ、やはり女性でしかも深夜の仕事はなかなか決まらず、面接しても断られ続けられました。今までほとんど一回で採用されていたので、立て続けの不採用の結果にあたしはかなり落ち込んでしまいました。 そんな時、入院してた父の胃カメラ検査で新たな精密検査の結果が出て、今度は胃がんと宣告されました。それも末期で手のつけようがない状態で他の臓器にも転移が見られるとのことで、家族みんな悲しみのどん底に落とされました。父は時々血液混じりの痰や血便が出ると言っていたのですが、まさか、末期ガンとは誰も思わなかったのです。 そんな状態なのに、あたしは仕事がなかなか見つからず、姉にどうするつもりか責められ、精神的に追いつめられていきました。(この時から働くことへの不安が始まっていました。それはなぜかと言うと、働いてる途中で父の危篤と言う知らせがきて最後の時に間に合わないかもしれないと言うのが不安だったのです。) なんとか深夜の時間帯で雇ってくれる仕事が見つかり、 休みの日には父の見舞いに行くという日々が続きました。 父は自分の病名は悪性リンパ腫と思っていたし、長い入院生活でストレスが溜まり、この病院にいるから治らないんだって思うようになって、母に毎日転院させてくれと言うようになっていったそうです。。 母は他に受け入れてくれる病院を探したのだけれど、どこも末期患者を受け入れてくれず、ある大病院が病名を本人に告知するならという条件付で父を受け入れてくれることになりました。 転院してから、先生と家族で父に病名を告知したら、『治らない病気なら治療なんかしない!』と治療を拒否したのです。でも家族で説得して、なんとか治療をすることを承諾してくれました。 抗がん剤治療が効いてきたのか、日に日に元気になり、何度か外出許可が下りて家に帰る事も出来るようになりました。しかし、父の体の中では、死んだがん細胞の残骸と、生き残ったがん細胞の増殖により、骨の中や脳にまで転移するほど手のつけられない状態になってしまい、モルヒネ投与をしたりしたのですが、ほとんど寝たきり状態になり、とうとう去年の8月23日父は53歳という若さで亡くなりました。 あたしと母と妹は父の最期を看取ることが出来たが、あたしは初めて身内の死、それも息や心臓が止まる瞬間を見たのでかなりショックを受けました。しばらく、その時の光景が頭から離れず、毎晩布団の中で泣いていました。 そして、その頃からだんだんとうつの症状が強く出てきたのです。集中力・記憶力が落ちてきて、仕事が終わるのが朝方で、寝るのが日がある時間帯なこともあり、ついには眠ることが出来なくなり、友達にもらった睡眠薬でなんとか眠れるようにはなったのです。 しかし、記憶力が減退することによって、仕事で失敗ばかりするようになってしまい、だんだんとお客さんと接することが怖くなってしまったのです。でも、仕事を辞めても次の仕事がすぐ見つかるかわからないし、父の死により、昔のように金銭面で親に頼ることが出来なくなったので、なんとか自分を奮い立たせ、仕事を続けていました。 しかし、仕事のストレスと、父を亡くした悲しみから、うつ状態がどんどんひどくなり、イライラして母に八つ当たりをしていて、そんな自分が嫌で、家では話をしないようになっていったのです。 そんなあたしをみた母が『最近のあんたは変!何かあるなら話して!』と言われ、あたしはすべてを話しました。母は、あたしの気持ちを大事にしてくれて、1月いっぱいに次の仕事を見つければいいからと、12月いっぱいで仕事を辞めることを許してくれました。 そんな母の優しさでうつがなくなったかに思えたけど、次の仕事のことや父なしでの将来のこと、月々の生活費が増えたことによる負担などで、何もかもが不安になり、仕事を探すことさえ出来なくなってしまったのです。人と接することも怖くなりました。 年末頃からうつについて自分なりに調べていて、何度セルフチェックをしても、あたしはうつだと出てしまいました。しかし、精神科なんて未知の世界に足を踏み入れることが怖くて、なんとか自力で治そうと頑張ってみました。 でも、1月も終わり、仕事も見つからず、精神状態もボロボロになったあたしは、やっと病院に行くことを決心したのです。 病院は大きい病院より小さい個人病院の方が丁寧で待つ時間も少ないかと思い、前の仕事の出勤路にあったメンタルクリニックに行くことにしました。 行く決心をしたのに、なかなか予約の電話も出来ず、やっと2月16日に最初の診察に行く予約を取りました。 どんなところか、どんな先生がいるのか、どんなことを聞かれるのか、毎日毎日ネットで調べたり、考えたりしていました。 そこの病院は大通りの角にあり、結構目立つので、人の目が非常に気にはなったのですが、この苦しみから早く逃れたいと思い、勇気を出して病院の門をくぐりました。 それからのことは、明日からの日記にて。。。♪
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