| 「空気」の存在が常識になったのはいつのころなのだろう。昔の人々にとって、「空気の存在」などということはまったく意識されなかっただろう。日本語の「空気」という単語自体いかにも近代の造語臭い。日常感覚から出てきた言葉でないことはたしかである。このHPのテーマにも似たところがある。つまり、言いたいことをうまく表現できない自分に気がつく。凡々と日常を過ごしてきた自分には使える言葉がないのだ。自分では最も日常的だと感じていること、感覚を日常語では表現しにくい。 ついつい、宗教的ともいえる匂いのついてしまった言葉に頼ろうとしてしまう。 |
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しかしこのことに気がつかなかったからといって、人生をおくるのに何の不都合もない。政界、実業界、学界、・・・・・・・どんな分野であれまったく関係ないようだ。気づいた人にとっても人生の業績のすべてはその後にくる。 |
| 個々の人間を支えているのは、まず生物としての存在、生活を保障されていることであり、多くの人たちはそれで終わる。それで
よしとする。 |
| 私自身について言えばこのことに気づいたからこそ生きてこれたようなところがある。気づいたこと自体ではなく、それによって得た心の状態にまちがいなく助けられている。 しかし、そういったことは日ごろ口に出せない。 それに、それは私自身のきわめて個人的なことだ。 |
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| ここまで読んでくださったごく少数の方々にお願いします。このことにすこしでも触れていると思われる事例をおくってください。あなたがそう思っただけで充分です。それと、もちろんあなたがこのことに気づいたそのときのことも。このことに気づいたときあなたは心身に衝撃をうけたかもしれません。「なるほど、そういえば、そうですね。」と、うなずく程度のことではなく、理解、納得、畏敬、戦慄、法悦、・・・どの語も適当ではない心(身)の状態があるようです。 実際にはそのあとが大事なのでしょうがそれについては記述はご自由に。危なくなってきたのでもうやめます。 メインページを豊かにすることに協力してください。 KK |
| メインページでは、ここ数年で、目にして気になったものを並べました。私は読書家ではないし、探して見つかるものでもないし、また、他にもたくさんあったはずですがメモすらとらなかったのでいまのところおそまつです。宗教書や哲学書からの引用は一切していません。メインページの各項を並べた順序には何の意味もありません。思いついたままです。 |
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