メモ代わりに使います。とりあえず書いておきたい事、事典では長すぎる事、オチもなーんもないただの雑談レベルの話。仕事中、効率を上げるために筆者はよく喫茶店にて休憩を取ります(上司には当然内緒にしてね)。そこで思いつく程度の半端なコーナー。ちなみにタイトルは昔流行った歌からのパクリ。
目次
知っているのに気付かないこと/ 文庫なのに分厚くて読み難いんですけど/ 泳ぎが楽しいわけではなし/ 日本の夏、金鳥の夏、姑獲鳥の夏/ イノセントワールド/ 軽いギックリ腰を患い思ふ事/ キツネの心情/ みにくい、みにくいアヒルの子/ 円舞曲という名の仔犬/ 忙中閑なく、閑中忙なし/ 政治家に老後の心配はいらないもんね/ 真相を語ろうではないか/ 末は博士か大臣か、路傍の花でも咲けばよし/ 懐古のノートブック/ 潮の満ち引きは乙女の恋の駆け引きの如し/ 潮の満ち引きは乙女の恋心の如し/ 唯一「Happy!」は駄作ですけどね/ 地図にさえ載っているのかどうか/ 人生とはドラゴンボールを探す旅の如し/ 縁は異なもの味なもの/ 四月馬鹿では直訳しすぎ/ それぞれのエヌ氏/ 心が洗われる作品、か/ 冴えない人はきっと何かを隠している/ ゴルフを人生に例えたりする/ フレディマーキュリーに捧ぐ、のかな/ きっとまだマイナス/ 第三の男と煙草/ 愛と死をみつめて/ ゼロから始まる/ 好きになるって難しい/ 下手な考え休むに劣る/ だって水着を着るんだもん/ 悲しみが雪のように積もる夜に/ ヒッキーはすでに人妻/ 上に参りまーす、下に参りまーす/ 上っ面の言葉/ 映画はいいよね/ 新選組、うーん/ 主の御心のままに/ 一月は毎年目標を決めるのであるが/ 勝ち目なし/ 青春時代の読書/ 燃えよ剣、まだ上巻だけど/ 賑やかな成人式/ 金曜日だからといって遊んでばかりいてはいけないよ/ 裸でなかった王様/ 地震/ 手が腫れるくらい黒板を叩いてました/ 信心深い人が多いのかな/ サル(去る)では縁起が悪いからエテ(得る)公らしいよ/ ゆく年を偲び、くる年を愛でる/ その道の達人/ ダイエットウルフ/ 想像日記/ いっそポリネシアでもこの際よい/ ないから見えない、あっても見えない/ 北や南の国から/ 他人の正目/ 熱中時代携帯編/ 本当の恋/ 別に歯科衛生士さんに魅かれていっているわけではない/ 自傷の刃/ その名もパニッシャー/ NEWS/選挙に行こう/売り物の視聴率を買っちゃった日テレ /日本シリーズ第4戦 /振り返れば‥‥ /秋のドラマその後/ 振り返れば奴がいる/ 2003年秋の新ドラマ/ マイフェアレディ/ コーヒーハウスにて /
知っているのに気付かないこと
2004/9/3

「知っている」と「わかっている」は言葉の上では似ているがおそらくはかなりの隔たりがある。
人は何が正しくて何が間違っているかを知っている。善悪とは時代や背景により必ずしも定まったものではなかろう、というもっともらしい屁理屈はこの際置いておくとして、やはり誰しもが知っているといえよう。
テレビでも小説でもあるいは現実の事件でも構わないが、客観的に憤ったり感心したりできる。恋愛でもそう。純愛には拍手を送り、裏切りには蔑みの視線を送る。つまりヒトゴトである限り、かなり正確な判断ができるもの。
だが知っているにもかかわらず、自らがその規範に則って行動しているかと云えば必ずしもそうではない。むしろできないことばかり。医者の不養生ではないが、どうするのが正しい選択かを知っているのに、実行は伴わない。
それは知っているに過ぎず、わかってはいないからであろう。筆者もこの歳になれば多くのことをさすがに知っている。だがその内のどの程度をわかっているのであろうか。実践できていないものをわかっていないこと、と仮定するなら目を覆わんばかりだ。
思い起こしてみれば道徳の授業など退屈なものであった。なぜなら云われるまでもなく知っていることばかりであったからだ。しかし大人になって気付く大切なことの多くは目新しいものなどほとんどなく、子供の頃から知っていたことばかりである。
それこそ親のくどいほどの説教が今になって身に染みて来る。

文庫なのに分厚くて読み難いんですけど
2004/8/29

大の京極夏彦ファンにいつの間にやらなってしまった筆者です。
本来推理モノ、ミステリーモノはほとんど読まないのであるが、この人の作品は凄い。まず異常なほどの博識さ、特に宗教や怪異に対する造詣が深すぎる。筆者自身との知識差がありすぎて、本当かどうかの見極めさえできやしない。
「世の中には不思議なことなど何もないのだよ」というセリフがあまりにも有名らしいのだが、作者のスタンスは果たしてどこにあるのであろうか。
全ては科学で解決できる、というようなことを京極堂(作品中の呼称、本名は中禅寺秋彦、探偵ではないが主人公)に作者はよく語らせてはいるが、かといって科学至上主義では到底ありえないようにも思える。そもそも京極堂の設定が古本屋でありながら陰陽師という特殊なもので、憑き物落としを専らとしている有様なのだ。どちらかに重きをおくというよりも、はざまの出来事として扱われているように感じられる。不思議なことというのはなぜそうなったのかが不明だから不思議であり、仕組みがわかればもはや不思議ではない。それが現段階における科学では解明が難しいものであったとしても同様なのであろう。憑き物落としというのは妙な霊に取り付かれている、という設定では当然なく、その人が囚われているものを指すわけで、これは必ずしも形あるものとは限らない。そして筆者を含む多くの人が、何らかの妄執に自身を委ねてしまっているのであろう。作中に出てくる表現を借りるのであれば、彼岸に行ってしまわぬように憑き物を落とすわけだ。
とうとう映画化もされるらしく、邦画に興味のない筆者もこればかりはちょっと楽しみにしている。

泳ぎが楽しいわけではなし
2004/8/28

というわけで週二回ほどは泳ぎに行っているのだが、ちっとも痩せやしない。
なんせ食欲が湧く。育ち盛りは遠の昔なので今更身長が伸びるわけもない。つまりはただの体重増である。正確には増えているわけではないのだが、減らないのでは結果は大差なし。まあ、ギックリ腰という情けない一件が泳ぎ始めたきっかけでもあるのでダイエットとは一線を画するべきなのかもしれないが。
とはいえ筋肉は盛り返しを見せ始めた。お腹に目を瞑るなら堅調なペースで均整が取れてきたといっても過言はなかろう(本当は明らかに過言なのであるがテンションの維持こそ肝要なのでよしとする)。
泳いでいると色んな人が目に付く。とても真似はできないような泳法、とはいっても上手という意味ではなく、むしろ逆、溺れているかのように見えてしまう藁をも掴まんとする泳ぎ方なのである。なんでそれで浮いているのだろう、というスピードを保ち、後ろから見ていると沈みそうで大層危なっかしい。クロールでありながら何故か息継ぎは前方にて行う。ハラハラドキドキ、そこまで無理しなくても、と要らぬ心配をしてしまうのだが、意外にもこういう人に限って休みなく延々と泳ぎ続けているものなのでちょっと不思議。もっともそこまでタラタラ泳がれるのも少々迷惑ではあるのだが。
いつまで続くか怪しい筆者の区民プール通い。とりあえず目標は3ヶ月といったところかな。

日本の夏、金鳥の夏、姑獲鳥の夏
2004/7/31

もう少し読書をしなきゃなあ、そんなことを強迫観念的に感じる今日この頃。
バイオリズムではないが軽い躁鬱があるように思える。何もやる気になれない時期と、多少だが前向きな時。今はちょっと躁状態になりかけているところ。もっともこれ以上進むとは思えず、今の心理状態を維持したいところである。
もともと面倒くさがり屋なので何もしないのが一番幸せ。鬱というより本来の自分なのかもしれない。だから今のような時期に色々手をつけないことには始まらない。
とはいえ、非常にささやかです。例えば週1,2回泳いでいるとかね。しかも10分から15分くらい。それじゃあ意味ないじゃない、などとしたり顔で言う輩も多いであろうがまるでわかっていない。まずは行動を起こすことが大事なのだ。そしてそれによる精神的な充実感。スタートラインは人それぞれなのだから、他人の目線ではかることはない。積み重ねていくうちに結構な額になっているかもしれないであろう。気をつけるべきことは知らず知らずのうちに耐えられない高さまで昇ってしまうこと。分不相応な借り入れは絶対に返済できないのだ。
京極夏彦の「姑獲鳥の夏」を読んだ。これは面白かった。正直筆者の頭には少々難解ではあったが久々にはまりそうな作家に出会えた。興味の幅が狭いせいか、なかなか好きになれる作家が現れない。「姑獲鳥の夏」の中で京極堂がどんな本でも面白い、と語っていたがおそらくはそうなのであろう。だが残念なことに筆者にはその域までとても到達できそうにない。ただ、今よりは増やしていきたい、これは正直な想いである。
京極夏彦に関してはもう少し読んでから色々と述べてみたい。

イノセントワールド
2004/7/24

きれいなものと汚いもの、おそらく比べればきれいなものの方に価値があるのであろう。
汚いものが無意味とは思わないし、本能に訴える魅力がそれにはある。そして安易に手に入る。きれいなものは理性によってのみその本質を理解でき、より高みに自分を導いてくれる。誰しもがきれいなものを選びたいものなのだが、なかなか難しい。
わかっていることなのにそれができない。ダイエット中でもお腹がすけば食べてしまうし、彼女がいてもいい女に誘われれば断りにくい、平たく言えばそんなところであろう。
同じ人間でもその時により同じ判断が必ずしも下せるわけではない。おれってダメだなあ、普通の人であればそう悔やむことがしばしば。まあ、普通の人というよりもこの場合は筆者自身のことであるのだが。
意志が弱いなあ、つくづく実感する。別に最近何かに挫折して自らを省みているわけではない。過去を振り返り、そんなことを繰り返している自分にちょっと失望しているだけのこと。
とはいえまったく誘惑に駆られず、常に正しきことにむかい突き進む、というのもいかがであろう。そんな聖人君子にはなれないし、正直なりたいとも思わない。これはけっして悔し紛れでもない。
いいではないか、例え今は低き所にいようとも。人並みになれただけでも大きな喜びを感じるであろう。泳げない人にとりオリンピックなど関係ないのだ。10メートル泳げるようになった時の充足感は本人のみにしか味わえない。
とはいえ金メダルのほうが当然魅力的ではあるのだが、それをいっちゃうと今回の話は意味がなくなっちゃうんだよね。

軽いギックリ腰を患い思ふ事
2004/6/27

重い荷物を背負い、ひたすら歩き続けることはどうにもシンドイものだ。
仕事などで義務的に背負わされている荷物であれば我慢するしかない。仕方ないからだ。
だが、至極個人的なものであった場合はどうであろう。他者のためのものではなく、自分にのみ必要な荷物。だとすると好きなときに放り出す自由がある。荷物の大切さとそれを持つ辛さを比較して決めればいいのだ。
手ぶらで人生を歩き続ける軽やかさ、別に悪いことではなかろう。もっとも、周りの人間が色々抱え込んでいる姿を見て少しは不安になるかもしれない。それが家族なのか、家のローンなのか、夢なのか。
大事なものが見つかればどんなに重くとも持たなくてはならなくなる。途中で投げ出せるものであればきっとそれはさほど必要ではなかったのであろう。
問題があるとすると、捨ててしまったものはもはや拾い直せないということ。後であれが一番大切であったなあ、と気付くのかもしれない。慌てて拾いに戻ったとしてもそこに残っていることは非常に稀であろう。それでも万が一、などと未練を引きずっているとそれを探すことのみに無駄な時間を費やすこととなる。もし見つかるとしてもそれはきっと捨てた場所ではないであろうに。
だが抱え込まねば身軽になれることも確かな事実。持たぬ分、動きにも幅ができる。
孤独という寂しさを無視できればの話ではあるが。

キツネの心情
2004/6/20

イソップ寓話にキツネとブドウの話がある。
食べたくて頑張ってみたが結局手にすることができず、あんなすっぱいブドウはいらないや、と悪態をつくという内容。ネットで調べていたら、手に入れそこなったものの悪口をいうのは簡単、というような教訓が書かれていた。あるいは自分の力不足を他人に転嫁する、という例か。
どうしたってキツネに理はないのだが、それでも言い分はあるかもしれない。
例えばこのブドウ、たまたま通りがかり偶然見つけたものではなかったとしよう。かねがね食べたくて食べたくて仕方なかった、つまりはかねてからそのブドウを熱望していた。しかもブドウに対する熱意は他の誰にも負けないと自負しているのに、皮肉なことにキツネより器用、あるいは頭のいい連中は苦もなくそれを食べている、しかもその幸せをたいして実感していない、そんな状況。なぜ自分はダメなのか、こんなに欲しているのに。思い悩み、報われぬ努力を重ねる日々。しかし熱意にも限度がある。その想いを断ち切らねばならないと悟った時、それが嘘とわかっていても自分を納得させねばならない。すっぱくて苦労してまで食べるに値しない、つまりブドウにそれだけの価値はなかった、と。
そのブドウを一番評価していたキツネだけに、本人にとってもかなり無理があるいい訳であろう。そう考えれば一概にキツネの愚かさを笑って済ますのもちょっと気の毒に思える。
もっともキツネの方こそブドウを食べるに値しなかっただけなのかもしれないけど。
前回に続き、分をわきまえなさい、という話でした。

みにくい、みにくいアヒルの子
2004/6/18

こんな童話を考えてみた。
アヒルがある白鳥に恋をするのだ。けっして白鳥そのものに憧れたわけではなく、好きになったのがたまたま一羽の白鳥であっただけ。
アヒルと白鳥では物語にあるように、その美しさが格段に違う。つまりは高嶺の花。叶わぬ恋であればとっとと諦めた方が無難なことはアヒルもよくわかっている。白鳥にもその気は全くないが、友人としては接してくれる。
アヒルは考える、恋人になれなくてもこうやって会って話しができるだけで充分恵まれているではないか、幸せではないか。自分がアヒルであるという分をわきまえていればそれ以上望むことがむしろ贅沢というもの。惚れた相手の幸福を考えることこそ恋というものであろう。
しかし心は思うように従ってはくれない。アヒルは冗談めかして白鳥に聞く、本当に自分と恋人同士にはなれないのかい。白鳥はありえないのよ、と少しの可能性も与えずそのたびに厳しく言い切る。もっとも変に気を持たせるよりは、という心遣いでもあるのだが。
しかし百も承知のこととはいえ、その度アヒルの心は削られていく。好きな人のそばにいるだけでいい、そう思おうと努力してみたがやはり好きである限りは相手を求めるもの。むしろそれのみで我慢できる方がいい加減なのであろう。アヒルの気持ちは勝手でありそして真剣すぎた。
いつか白鳥にも同じ白鳥の恋人ができるであろう。その時素直に心から祝福できるであろうか。他の白鳥と楽しげにはしゃぐ姿でさえ見るのが辛いものを、到底耐えられそうにもない。アヒルの心は見えないうちに削られてしまっており、もう余裕はこれっぽっちもなかった。
白鳥は何も悪くない。裏切ったわけでもなく、それどころか最初から無理な話とはっきり言ってくれていたのだから。
最後にアヒルは散々白鳥に悪態をつく。あたかもそれを自分に信じ込ませようとするが如く。白鳥は友人として信頼していたアヒルの裏切りに当然ショックを受ける。その変貌に戸惑う。しかしやがて忘れるであろう、アヒルのことなど。

とまあ、こんな話なのだが何の教訓も含まれてないね、せっかく考えてみたけど。敢えていえば真剣な想いが必ずしも報われるわけではないよ、となるのだがこれでは子供に夢を与えられませんな。

円舞曲という名の仔犬
2004/6/10

超低空飛行を続け、もはや胴体着陸さえ危うい「仔犬のワルツ」。
筆者が喜んで観ているドラマは視聴率が取れないという定説がまた立証されてしまったわけだが、まあそれは毎度のこと。
筆者がガキの頃に流行った一連の大映ドラマシリーズ、そんな感じの内容なのだが、結構毎回ドキドキする。一度見逃すとストーリーがわからなくなるくらい展開が激しい。
現実離れした内容と矛盾のオンパレード。人気がないのをいいことに、辻褄を合わせる気もろくろくない意外性のみの連続。最近この手のドラマを見ていなかったせいであろうか、これが案外新鮮です。
しかしキャスティングがどうにも弱い。主人公は安倍なつみだが、筆者は人気があるのかよく知らない。西島某は地味でこれもよく知らない。元ジャニーズ男闘呼組の岡本健一はちょっといい。杉浦幸は若かりし頃不細工であったが、今は更に磨きがかかったオバサン。
刑事役の谷啓が警察手帳をだす時、必ず間違えて明治製菓の板チョコを見せるというスポンサーサービスを地道に演じているのだが、この数字ではお得意もお冠でしょう。
最終回に向けて、収拾のつかない風呂敷の広げ方が視聴者としてはちょっと面白いのだが、きっとただのやけくそなのであろう。

忙中閑なく、閑中忙なし
2004/5/18

柄にもなく忙しかったりする。
やらにゃならんことが頭の中に渦巻き、実際以上に慌しく感じてしまう。イメージ内で予定を勝手に前倒ししてしまう訳だ。
おれの思う通りちゃんと進めよ、まったく、などと独善的になり独裁者の気持ちがちょっとわかったりもする。
とはいえ暇な時は当然時間を持て余し、忙しげにしている人を見ては逆に不安に陥る。おれ、こんな余裕があっていいのかなあ、何か忘れてるんじゃないかなあ。
どちらにしても精神的安息は得られないのだ。ナイモノねだりの子守唄、ってやつですかね。
それと関連があるか不明だが、忙しい時の方が時間を有意義に使えている気がする。まさしく一刻を惜しむといった感じで、何をするにも優先順位をつけて不要なものは極力切り捨てる。無駄を省く努力をせざるを得ないからだ。
たまには道端に咲く名も無き花をながめてごらん、などというのは何十年もわき目も振らず突っ走ってきた人に贈る言葉。筆者のように景色ばかりに目をやり、現実から目を背けて来たタイプにはもう充分間に合ってます、お腹いっぱい。
もっとも期間限定の多忙さでなければそのうち逃げちゃいます、だって根性ないもん。

政治家に老後の心配はいらないもんね
2004/5/14

早い話、みんな払いたくないのね。いや例の年金の件ですけど。
義務というものは他人がきっちりと行うものであり、あわよくば自分は避けて逃げたいもの。人はみんなそうでしょ。
この程度の弁明を政治家たちが繰り返しているわけだが、日本国民は許すのだろうなあ、そのうち。大体与党も野党もこの件に関しては同じ穴のムジナなわけで、結局は痛み分け。となると今と何も変わらないということ。残るは更なる政治不信。投票率がまた落ちる。さすれば利するは公明党、つまりは与党の政権維持。
筆者のような政治オンチでも予想がつくほどの単純明快さですな。
知り合いが最近逮捕されました。実はこれ、初めての体験。深い仲ではなかったが、やはりショックはある。もちろん筆者以上に近い関係の人達は比較にならない程の悲しみを受けたことであろう。ただこういう場合、会社の教育云々以前の問題で、人として一人の大人としての基本的姿勢、資質を問われるべきではなかろうか。なぜなら会社にかける迷惑より、家族、要は両親がどれだけ苦しむのかを想像できないことがそもそもおかしいからである。
人生棒に振ったなどと短絡的なことを言うつもりもないが、信用という見えない貯金を使いきり、更には借金まで抱えてしまったことを早く自覚し、自己破産などせずにきちんと返済してもらいたいものだ。
もっとも明日はわが身、慎まねば。

真相を語ろうではないか
2004/5/8

大層な話ではない。
実は昨日の金曜日、寝坊して会社に遅れてしまった。真面目を絵に描いたような筆者がなぜ遅刻したのか。ただ寝過ごし重役出勤となりました、ではあまりに表面的。現代社会が内包する病巣に鋭くメスを入れるためにも、敢えて分析してみようではないか。
多くの場合幾つかの偶然が積み重なり、思いがけずそれぞれが化学変反応して事件が起きる。それらはあまりに偶発的で、想像し得ない事象であることが多い。しかしながら後で振り返ってみると、一つ一つが緻密に計算され、巧みに配置されたような具合に布石が打たれているものだ。
今回もそうであった。まず、慎重派で鳴る筆者は3つの目覚まし時計に朝の覚醒を委ねている。それぞれ別の場所に置かれた我が相棒たちは確実に筆者を眠りから覚ましてくれるのだ。その信頼すべき仲間たちがこの朝に限りなぜ突然裏切ったのであろうか。いや、彼らは裏切ってなどいない。なぜなら筆者が目覚ましを掛け忘れただけだから。
実はこれ、よくありそうに思えてそうそうあることではない。実際ここ数年、そのようなボーンヘッドは記憶にない。
もっともこれだけなら寝坊などしないのだ。というのも通常人は体内時計というものを有しており、このぐらいに起きなくては、という意識が自動的に働くわけで、勝手に目が覚めてしまうもの。
ではなぜこの時に限り、いつもなら8時に起きる筆者の体が10時近くまで夢の世界を彷徨っていたのか。キーワードはGWである。
いやーまいった、GWの不規則な生活が筆者の体内時計を狂わしていたわけですな。これは仕方ない。普段であれば目覚まし時計か体内時計が覚醒を促してくれるのに、たまたまその二つが機能しなかったのでは不運という他ないであろう。
目覚めた瞬間事態が把握できなかった筆者は得意の嘘も思いつかず、「諸事情でちょっと遅れます」と素直に会社に連絡してしまいました。寝坊といわず諸事情と表現するあたりがなかなか奥ゆかしくて好感が持てるのだが、結局あとで怒られちゃいました、うーん、イケズ。
どうでもいい話だな、これ。

末は博士か大臣か、路傍の花でも咲けばよし
2004/5/6

人は肩書きを大事にする。
名刺にずらずらと列挙している場合も珍しくなく、ついでに頭もズラだったりする。この手のジョークを筆者がいうと、いわれた側は筆者の頭にチラチラ視線を投げつつ笑っていいものなのかとちょっと困惑。それがまた楽しいのであるが、これは余談。
長い付き合いであれば自分を様々な形で理解してもらえるが、知り合う多くの人とは浅い付き合いで終わるもの。だからであろう、肩書きを一種の権威として知らしめ、自分をアピールする。こういう立場の人間です、尊敬してね、敬ってね、畏れてね、憧れてね、親しんでね、馬鹿にしないでね、苛めないでね。
初対面の相手とはお互いに探り合いであるから、ある意味それは知らされる側にしても有意義な行為かもしれない。知らないで釈迦に説法などという、赤面すべき行動を回避できるからだ。
そう考えると名刺というのは非常に便利なものである。学生は名刺をやり取りするサラリーマンをみて、ああはなりたくないな、などと余裕をぶっこいたりするものだが、現実を知るにつれ自分の名刺がなかなか手に入らずあせりだす。だって就職難だもの。筆者はバブルの売り手市場で就職活動、ラッキー。
また話が逸れたが、要は肩書きというものは、深い友人付き合い以外の人間関係には適度な潤滑油の役割を果たすもので、一概に自己顕示欲の表れと軽視できないということ。
筆者は主事というよくわからない肩書きを会社から頂いているが、年齢的にこれ以上にはまだなれないらしい。こんなに優秀なのにね。もっとも年を取ったからといって昇格できるかどうかはまた別の話なので、生涯一主事のままの可能性もあり。
ああ、話が横道にばかり逸れてしまい、肝心の本題に入れなかった。続きはまたいつか、そう昇格したら書こう、っていつするのかな。

懐古のノートブック
2004/5/5

ハタチくらいの頃に書かれたノートが出てきた。
これを何気なく読んでみたところ、驚いてしまった。素晴らしいことが書かれていたわけでは当然ない。そんなもん、書いた記憶がないのだから当たり前。驚いたのはその文章である。さぞかし下手であったのだろうな、と変な期待をしていたのだが、今とさして変わりなし。ここに書いているくらいのレベルなのだ。
これはショックであった。つまりあの頃から今に至るまで何ら進歩していないこととなる。人生経験も重ね、大人としていい味を出し始めたかな、と思う今日この頃なのに、つまりはそれが文章力に全く反映されていない。
テクニック面に関しては勉強していないのだから仕方なしとしても、こう、渋みとか陰のようなものがそこかしこに散りばめられていてしかるべきであろう。嫌になっちゃうなあ、ボク。
思ったほど成長していないわけだ。ちょうど子供の日であるが、年々柱の傷が高くなるような歳ではないということか。

潮の満ち引きは乙女の恋の駆け引きの如し
2004/5/4

前回に掛けただけでタイトルに深い意味はなし。 さてそんな流れで意味のないことをちょっと羅列したりする。
例えば昨日の嘘が今日には真実となる場合がある。結果論としては本当のことをいったことになるのだが、自分を欺くことはなかなかできないもの。いくら思い込みの激しい女性でも簡単にはいかないであろう。
真実とは思い出のように都合よく美化されるものではない。まわりを自己弁護で塗り固めてみても、その奥に潜むささやきは止むことがきっとない。まあ、聞こえない振りをすれば良いだけなのであるが。
本当に忘れてしまっていることもよくあるのだが、ふとしたきっかけで突如湧出してくるから始末が悪い。死の直前、人はそれまでの人生を走馬灯のように思い出すそうだが、その時になってあれもこれも間違っていたのだなあ、などと色々ひっくり返されたらどうであろう。
まあどうせ死んじゃうし仕様がないか、と前向きに捉えられる人もいれば、その後悔が死因ではないかと思われるほど、まさしく死ぬほど悔やみつつ逝ってしまう人もいるのであろう。なんせ一瞬のことなのでその人の性格がそのまま反映されるに違いない。
そう考えるとできるだけ前向きの性格に修正しておくに限るな。いや、覆い隠す真実など持っていなければいいのか。うーん、両方無理だね。
わけのわからないことを書いてしまった。それ以前に書くことがなければ書かなきゃいいんだよな、ごめんなさい。

潮の満ち引きは乙女の恋心の如し
2004/5/1

潮干狩りとは読んで字の如く、潮が引いた浜辺で貝を採ることである。
つまり潮が満ちている時では潮干狩りとはならないわけだ。
村田君とアヤちゃんの年の差カップルがGWを利用して上京し、本日は共に富津まで出かけました。潮干狩りに行こう、とのお誘いで、ちょっと邪魔かなと心配しつつも暇なので筆者も同行したわけですが、肝心の潮が引いていないではないか。ガラガラの無料駐車場にいやな予感が漂い、案の定、本日の営業は終了しましたとの殴り書きの看板。満ち潮の浜辺を眺めつつ、結局昼寝して終わり。もうちょっと事前に調べておけよな。
何のことはない、ただの内房ドライブになってしまった。
とはいえ潮干狩り以外にも目的があるらしく、ちょっと離れた浜辺には多くの人が夕方までたむろしていた。家族連れやカップル、強風の中何が楽しいのかはしゃぎまわっています。そんな姿にホッとしたり、羨ましいなあ、という感想を持ったりするのであれば筆者もまだ救いがあるのだが、近所の公園でもいいじゃん、などと何の情緒もなく退屈しながら毒づいておりました。
今年は久々に南の島にでも行こうかな。行っても寝ているだけだけどね。

唯一「Happy!」は駄作ですけどね
2004/4/30

浦沢直樹の「MONSTER」を読み直してみたが、つくづく良くできた作品である。
日テレの深夜にアニメとして放送も始まったようだ。
この浦沢直樹という漫画家は、マンガという媒体を利用した表現が頭抜けて巧い。今は「20世紀少年」という作品を連載しているがこれまたスケールの大きな物語で、展開が読めずにワクワクしてしまう。実に緻密に計算されたストーリー作りで、作者が冷静に書き上げているイメージがある。悪い意味ではなく、どうすれば人を惹きつけ、感動させることができるかを知り尽くしているような書かれ方なのだ。
もちろん複数のブレインが存在しているのであろうが、このような書き手が現れることにより漫画の地位が向上することとなるであろうし、またそれに感銘を受けた読者がさらなる作品を自分でも書いて見ようとのモチベーションともなろう。
小説でも映画でもテレビでも優れたものと下劣なものが常に混在する。下劣なものを殊更大きく取り上げ、そのジャンルを総て否定するような傾向が相変わらず見られるが、いかに愚かしいことか。
もっとも本当に素晴らしいものはその程度の偏見で廃れていくこともないはずなので、保護しなければ消えてしまうものは所詮紛い物なのかもしれない。

地図にさえ載っているのかどうか
2004/4/29

昨年NHK大河で放送されていた武蔵だが、そのハイライトとなる巌流島の決闘シーンの撮影は本物の巌流島で行われなかったとか。別に予算の関係ではなく、現在の巌流島では俗化されすぎてイメージが違いすぎるのが理由らしい。
実際は牛深市(熊本県)の茂串海岸という所がロケ地として使われたわけだが、それを教えてくれた人は母方の実家がそこにあるとのこと。最初それを聞いた時はとんでもない田舎のイメージが浮かび上がったものだ。巌流島といえば決闘をしたぐらいだから当然何もなければ人も住んでいない筈。荒涼とした寒々しい風景が連想される。
その人はこの連休に牛深に帰るらしいのだが、筆者のイメージでは当然道路などあろうはずがない。つまり途中からは獣道を歩かねばならず、そんな秘境であれば絶滅したとされているニホンオオカミなどがいまだ幅を利かせている可能性も否定できない。富士山麓の青木ヶ原樹海に踏み込む装備と覚悟が必要であろう。もしかしたら平家落武者の隠れ里、いやいやすでにこの世のものではない魑魅魍魎が跋扈しているかもしれない。
そんな進化に取り残された地域であれば恐竜などと常識ハズレなことはいわないが、三葉虫ぐらいは生息していても不思議ではない。なんのことはない、日本のガラパゴス諸島ではないか。
そんな電気ガス水道もない場所に帰ってどうするの、と心からの親切心で尋ねたところ、何故か気を悪くされてしまいました。
親切心が仇となる、まさにそんな心境ですね、ドンマイドンマイ。

人生とはドラゴンボールを探す旅の如し
2004/4/24

カメハメ波が撃てたらいいなあ、と筆者のようなジャンプ全盛期に育った世代は思ったことがあるに違いない。
カメハメ波とは両の手の平から闘気を発し、離れた相手にダメージを与える技なのだが、つまりは氣のことであろう。となれば気功の使い手になら可能なのではなかろうか。
氣って本当に便利なんですね。
さて、筆者は「エンタの神様」が結構お気に入り。ハズレの芸人も多々いるが、概ね楽しめる。ただね、福澤と白石美帆の横にいつも二人ほどゲストが来ているのだが、あれは無駄でしょ。毎回笑顔が映されるだけだもんね。経費削減の折、省いちゃえばいいのに。白石美帆にしたって大差ない立場なのだけどね。別に筆者の腹が痛むわけでなし、余計なお世話か。
関根勤は好きなのだが、あのパロディ集団とやらはどうであろう。ただのモノマネで、ちっともパロディになっていないのでは。一捻りが欲しいですな。
今日はいかにも雑記という感じになってしまったがこれが本来の内容ともいえる。まあ、いまいちまとまりと切れがなかったことへのいい訳だけど。

縁は異なもの味なもの
2004/4/18

最近女優のミムラがお気に入り。「ビギナー」は見なかったのだが、某飲料メーカーのお茶のCMが好き。うーん、自分の好みがわからない。
好きなタイプは、と聞かれるといつも困る。タレントで例えることは簡単なのだが、あまり共通点が見当たらない。どのような顔と説明すればよいのであろうか。
抽象的に言わせてもらえばさっぱりした顔となるのだが、多分これではこちらの意図がほとんど通じていないはず。のっぺりではなくさっぱりなのだが、そもそものっぺりも人により取り方は様々であろう。さっぱりについてもう一言つけ加えると、中性的な、要するに色気のない感じが好ましい。あまり女を感じるとさっぱりしていないことになる。
では男っぽいのがいいかとなるとそれもまた違う。がさつな感じは嫌いです。つまり女々していなければそれで充分なのであろう。
今更ながらではあるが、人の好みとは千差万別ですね。昔友人の結婚式の2次会で、なぜ彼女を選んだのか、との質問に新郎曰く
「これこれこういうところが好きです。そしてご覧の通り綺麗なので‥‥」
自分の彼女や奥さんについて美人だ、素敵だ、と堂々と語る人に筆者は好感を持つ。自分が選んだ人なのだから公言すべきであろう。もちろんのべつ幕なしではいささか問題もあるのだが、概ねアリである。
ところがその新婦、性格のよさは筆者も知っているが、綺麗という言葉にはいささか同意しかねるものがあった。あばたもエクボ、というよりこの新郎は出会った時から美人と信じていたらしい。
上手い具合に世の中は廻っているわけだが、筆者にはちっとも廻ってこないなあ。

四月馬鹿では直訳しすぎ
2004/4/13

今更ではあるが、今年もエイプリルフールを有効利用できなかった。
いつも気付くと終わってしまっているのだ。そもそも嘘つきでそれ自体を肯定している筆者としては、許されなくとも日常的に嘘をつきまくっているわけなのであるが、せっかく世間一般から公認されている日なので本当は大手を振ってすっげー嘘をかましてみたかったりする。
しかし意外にも世間はユーモアを解さないもので、それはやりすぎだろ、とニュース沙汰になることもしばしば。騙されることがイコール馬鹿にされたとの解釈になるのであろうか。
そりゃ、小泉首相が自衛隊撤退!靖国にも行かないぞ、などと4月1日にジョークとして発言すればさすがにシャレにはならぬのであろうが、金銭的負担や肉体的損害に及ばぬ限りはいいではないか。
いい加減独身でいることに親がうるさくなってきた筆者としては、はしからプロポーズしてみるのも一手であった気がする。断られてもエイプリルフールとしてシャレですむわけだし。
もっとも総ての人に断られれば、筆者自身にとってはシャレではすまない。
でも4月1日にプロポーズをする人も世の中にはきっといるのであろうなあ。

それぞれのエヌ氏
2004/4/6

星新一のファンサイトがあった。当然星新一のファンの集まりなのであろう。
星新一といえば筆者がもっとも尊敬する作家さんなのであるが、正直充分に評価されているようには思えない。
SFと簡単に色分けされてしまいがちであるが、稀代の短編の名手であろう。その作品数を根拠とするのではなく、内容と文体に価値があるように思う。
筆者は中学2年の時に初めて読んだのであるが、非常に平易な文章で今からすれば僭越至極であるが、自分でも書けるのでは、と勘違いしてしまったものである。
星さんの文体に関してはよくいわれることであるが、全く古さを感じさせないところが驚異。30年以上前に書かれた作品を、何の違和感もなく今現在受け入れられるのだから頭が下がる。もちろん内容もそう心がけて書かれているのだが。
これは真似できそうでその実難しい。亜流がいまだ出てこないことがその証拠であろう。
喜怒哀楽を押し殺すのではなく、読み手がそれぞれ自分自身の感情の幅で受け止める。
透明感溢れる表現は読み手により様々な色合いに変化する。同じ作品でも一人一人の星新一を誰もが持つこととなる。
別に星さんの解説をしているのではない。そんなことは到底無理なのです。ただ凄い人なので、少しでも近づきたい、それだけなのです。

心が洗われる作品、か
2004/4/4

巨人の連敗スタートに関しては触れないで頂きたい、そういうこともある。
昨日ちょっと書いた素敵な小説についてだが、どうも上手くいかない。暇に任せて一つ考えたのだが、いつの間にやら素敵な話でなくなっていた。どうしても皮肉っぽいオチになってしまう。
こう、読んでホッとするような、恋愛っていいなあ、と思わせる読後感が欲しいのに、どちらかといえば結局ダメじゃん、という流れになってしまう。
きっと筆者の恋愛観が根底にあるのだろうな。プロは小説家にしろ漫画家にしろ俳優にしろ何にしろ、本来の自分をそのまま仕事に投影しているわけではなかろう。嫌な人物だけど作品は凄い、なんてことはきっと珍しくもないはず。
だからプロなんだ、といえばそれまでだけどね。
まあ、村田君がちっともこのサイトのリニューアルをしてくれないから、何れにしろ小説のコーナーなどまだ先のことかな。
宜しく村田君。

冴えない人はきっと何かを隠している
2004/4/3

「スーパーマン2」がテレビで放送されていた。つけっぱなしのテレビから流れているのをナガラで見ていただけであるが、懐かしい。クリストファーリーブはその後事故で皮肉にも全身麻痺の重症とか。ムキムキの先駆けといえる人なのに残念。
スーパーマンとクラークケントの違いはメガネを掛けているか否かのみらしい。一応才媛として描かれているロイス(吹き替えは「東京ララバイ」の中原理恵、といっても知らないかな)は実はよっぽどの間抜けなのか、それとも時代が大らかなのか。おそらくは後者でしょう。
「事件はリアルタイムで起こっている」のフレーズが素敵な「24」。つい見始めてしまった。案の定面白いでやんの。24時間、つまりたった一日の出来事なのだが放送時間と番組内の時間進行が全く同じ、というのがウリ。要するに24時間見ないと完結しないということ。そう考えると結構長いな。
心に響くような短編小説を書きたいと思う。「さまよう犬」(星新一著・妄想銀行収録)という作品を久々に読んだのだが、こんな素敵な話が書ければいいのに。このサイトに筆者オリジナルの小説コーナーを作ろうというアイディアは当初からあったのだが、肝心の作品がない。高校時代は文芸班々長を見事に務めた筆者なのだが、どうも才能はすでに枯渇してしまったらしい。20過ぎればただの人というが、そんなもんとっくの昔。
でもやっぱり書きたいなあ、って書きゃいいのか。

ゴルフを人生に例えたりする
2004/3/26

仕事でゴルフ会なぞに行ってきた。100を何とか切るぐらいの腕前でしかないが、ゴルフにはハンディという便利なものがあり、ちょっとした商品ももらいちょっとはうれしい。
一時期はタイガーを勝手に師匠と仰ぎ、何はさておきゴルフ漬けの生活を送ったものであるが、それも今や昔の話。コースでしかわが愛用のクラブたちとは出会わない。結局90程度がピークでした。
そんなわけで隠居気分が漂うラウンドなのだが、欲をかかなきゃそれなりのスコアーにまとまるからゴルフは不思議。本日は中庸をテーマにしてみたが、これが功を奏した。ただし、ニアピン、ドラコンホールはお粗末の一言。しょせん狙える腕がないくせに実力以上を出そうとしてのいつもの失敗。OB後の打ち直しではドラコンの旗を20ヤードも越えているという皮肉付き(旗自体大したところに立っていたわけではないけどね)。
ゴルフはメンタルなスポーツというが毎回それを実感し、なおかつ毎回進歩しない。
事がゴルフだけであればいいのであるが、これって他にも通じる一種の真理じゃないかい。幸運は期待していない時に多くの場合訪れる。あるいは期待していないからこそそのギャップにより感激できるのか。
欲して行動すれば得られず、望まなければいつの間にかそれを得ていたりする。かといって強い動機の基に自身を叱咤激励するは大切なことであろうし、一体全体どないやねん。
これじゃいつもの禅問答。

フレディマーキュリーに捧ぐ、のかな
2004/3/22

若ぶって「プライド」の感想などを書いてみたりする。
結局最終回まで見てしまった、しかも毎回泣きながら。感激屋なので連続で見ているドラマは大抵泣いてしまい、「プライド」が特別というわけではない。ただ「どこで泣くの」と女の子には不思議に思われていたのだが。
どこで泣くかはともかく、このドラマはベタベタであった。おそらく作り手はそれを百も承知で制作しており、典型的な恋愛ドラマに仕上げる意図であったはず。中途半端にやると失敗するから一から十までご都合主義の展開に徹した感じ。意外に嫌いではないです、この手のドラマ。ほぼ予想がつくストーリーは予定調和で心地良かったりする。
ただカナダに行った後が少々長すぎかな。余韻を持たせるにはあそこまで引っ張って詳細を見せると逆効果のような気もするが、徹頭徹尾これでもか、てなポリシーに準じたともとれ、それはそれで潔い。
「水戸黄門」に代表されるマンネリ時代劇がなぜ人気を博し続けるのか。やはり次が容易に想像でき、尚且つ期待通りの展開に人は安堵するのであろう。冒険もしたいが、安全が保障されていなければ二の足を踏むもの。そんな遊園地のようなドラマにホッとしたりする。ドギツイものばかりでは疲れますものね。
もっとも作り手がプライドを捨てた結果生まれたドラマなのでしょうけど、と最後は少し皮肉も入れたりして。

きっとまだマイナス
2004/3/21

現実を直視するのが苦手な筆者はその分運命論者的な側面を持つ。
自分自身のいるべき場所、歩むべき道が誰しも必ずあるはず、しかし皆がそれに気づけるわけでもなく、その通りの人生を過ごせるわけでもない。それは何故なのであろうか。
もしかしたら条件があるのかもしれない。条件といっても外的なものではなくあくまでも本人自身の問題であろう。資質という言葉が適当かわからないが、何かが欠けていることにより自身の運命の扉を開くことができない、あるいは開いているのにそちらを向けない。もっとも、欠けているものが一つなのか複数なのかは不明だが、おそらくそれは入手可能なものなのであろう。そうでなければそもそも運命とは呼ばないし呼べない。気づきと努力で手が届くライセンス、それによりやっと人生が始まるのではなかろうか。
とすると、その時点で初めてプラマイゼロとなるのであろう。このように書くとひどく後ろ向き、ネガティブな話に思えるが、実はそうでもない。プラスにプラスを重ねなければ立派になれない、素晴らしい人生を送れない、だから死に物狂いであてどない努力を延々と繰り返さねばいわゆる勝ち組とかいう成功者にはなれない、ガキの頃から常に上を目指しましょう、実力以上のものを手に入れましょう。これでは日々息苦しいし、何よりかたっ苦しい。
そんな遠方ではなく足元を見ていれば幸せになれる、そう考えるとちっとは楽な気になれるのだが、他人が同様の評価をしてくれるわけではないのでやはり結構難しいのだ。
ただ分不相応な願いを持つことが向上心だと勘違いしていると、その足りない分を精神世界に依存したりして、おかしなことになってしまいます。
「大金持ちになりたい」そんな願いをしても神様はきっと苦笑いをしているでしょうから。

第三の男と煙草
2004/3/19

未成年の喫煙者を筆者は好まない。正直何を偉そうに、と思ってしまう。この手の輩は背伸びをした自分が大人の仲間入りをしていると錯覚して喜んでいるだけなのだが、愚かにもその自覚がない。
法というものがあり、例えそれに大した意味がなかろうともやはりそれは決まりごと。悪法もまた法なり、とはソクラテスの言葉であったろうか、まあ、とにかくそういうことなのだ。
喫煙者として現在受けているいわれのない迫害について語ろうかとも思ったが、やはりやめておきます。だって嫌煙者の方々はヒステリックで怖いんだもん、ボク。
「第三の男」といえば映画史に残る不朽の名作である。多くの方が遠近法を使ったあまりに有名なラストシーンをご存知のことであろう。
いささか乱暴なあらすじで恐縮であるが、主人公のホリーが暗黒街の顔役と化した親友のハリー(オーソン・ウェルズ)を最終的には殺してしまうお話である。ホリーはハリーの恋人アンナに横恋慕して、ラストで自分の気持ちを受け入れてくれることを期待する。
シーンは並木道、乳母車(荷車かも)にややもたれたホリーが画面の左中ごろに位置して彼女を待つ。彼方から画面正面に向かいアンナは真っすぐに歩いてくる。正面を見据えたままの彼女はホリーを一瞥することもなく歩き去ってしまう。
アンナはホリーの愛を拒絶したわけだが、ホリーは話しかけることも後を追うこともなく、ただ煙草に火をつける。モノクロの画面に浮かぶ彼の吐いた白い煙が、あたかも男のため息に見えるわけだ。
男は辛いだの、悲しいだの、苦しいだのと言ってはいけない。ぐっと堪えて煙草を吸うのみ、というのが理想なのであるが、そこまで書くとさすがに嘘くさいかね。

愛と死をみつめて
2004/3/18

他人の死に淡白なところがある。近親者(同居していた家族)や親しい友人の死を幸運にもいまだ経験していないせいであろうか。
人の命は誰しも平等といいながら、その取り上げられ方はとてもそうは思えなかったりする。映画やドラマでは、主人公の死はいかにも大層であるが、それを取り巻く脇役の場合あっさりしたもので、見ているほうもすんなり流してしまうことが多い。
遠い国の戦争で何人死のうが、知り合いの一人の死より衝撃は少ない、というよりしばらくすればそんなニュースも忘れる。
想像力の欠如かあるいは人間として欠けている所があるのか。
自分の死もこのぐらい淡白に受け入れられるのであれば良いのであるが、こればかりはその時になって見なければ何ともいえない。多分じたばたするのであろう。
何事も総量は同じ、というのが筆者の基本的な考え方であり、それが正しいとするなら特定の人の死に普通の人以上の衝撃を負うこととなるのだが、これは嫌だなあ。
死、つまり消滅の恐怖を誰しも深層心理に抱えているのであろうが、これが過ぎると宗教を曲解したり、執着心が過剰になったりするわけで、かといって逃避による輪廻信仰もあまり得るところがあるように思えない。
希望としてはあまり苦しまず、愛する人に看取って頂きたい、という至極平凡な結論に帰結するわけだが、これがおそらく一番難しいのではなかろうか。

ゼロから始まる
2004/3/7

人間は母親の胎内で生物の進化を総てなぞるという。実に大層なことではあるが、これまで先人達が蓄積してきた叡智や学問は残念ながら自ら学び直さねばならない。言い方を変えればどんな膨大な知識や見識も一代限りで世襲できないということ。
もちろん太古の人類と現代人が同様の筈もなく、そこには蓄積された文明という背景の差があらゆる点で関ってくるわけだ。ただ人間自体がさほど高級になったわけではない。そういうものだ、という解明された常識が過去に比して格段に増え、その分視野が広くなった気にはなるのだが、それはあくまで与えられた知識でしかない。生物としての人間は千年や二千年では大きく進化するはずもなく、そもそも使える脳みその容量は同じなのであろう。
SFの世界では子供に対して己の持つ情報をそのまま伝えていくことが可能な生物などが登場したりするが、考えようによってはこれは非常に長寿な生き物といえる。記憶の伝達、これさえできればゼロから学び直さなくてもよいわけで、人の内面を着実に進歩させることを可能とするのであろうか。スタートから幾人もの人生体験を己のものとして学び始めるのであるから、とんでもない耳年増である。
ただしそうして得た結論が必ずしも素晴らしいものなのかは甚だ疑問でもあり、比べるのもどうかと思うが、考えすぎてろくな事にならない筆者の場合と同様なのかもしれない。
うーん、些細なことをまたもやわかりにくい文章で書いてしまった。進歩しないものだね。

好きになるって難しい
2004/2/23

女性に関して望むこと、要するに好みを列挙したとしよう。
顔、スタイル、身長、髪型、服装のセンス、性格、頭のよさ、教養、品性、会話のセンス、金銭感覚、貞操観念、運動神経、歌の巧さ、喫煙、化粧の濃さ、声のトーン、話し方、食べ方、笑い方、怒り方、泣き方、歩き方、指先、姿勢、仕事、男性観、人生観、正義感、趣味、ジョーク、実年齢、精神年齢、家柄、金持ち、瞳の色‥‥。
挙げてよいのであればおそらくはキリがないであろう。現実的でない話として、これら総て自身の好みに符合する女性が存在した場合、彼はどのような感情を抱くのであろうか。
普通惚れるわな。それが当然です。採点しながら好きになるのではないにしろ、ケチのつけ所がないわけでいわゆる理想のお方ですもの。しかしひねくれ者の筆者は敢えて一考察を加えてみたりする。
項目が仮に30ほどあったとしよう。これをそれぞれ10点として計算するのであれば計300点満点。やはり広く魅力的な人が断然有利となる。だが人は常に均等な点数割り振りを果たしてするのであろうか。一つの項目に100点与える場合もあるかもしれないし、極端な人であれば判断基準を最初から一つしか認めないかもしれない。つまり、他はまあいいや、その代わりここだけは譲れないよ、ってやつですか。
もっとも実際はそんな割り切った点数制でもなく、本人に自覚さえないのかもしれない。
「おれはあいつのどこに惚れたのだろう」
「わたしはあんな人のどこに魅かれたのかしら」
いくら考えてもちっともわからない。でも好きなのは確かな現実。自分の判断なのに首を傾げながら、それでも隣にいる人と生きていく、そしてそれが決して不幸ではない。
とはいえ、一つや二つの項目で惚れてしまう人というのもやはりごく少数であろう。
筆者は違うはずなのであるが。

下手な考え休むに劣る
2004/2/16

あまり物事を深く考えすぎてはいけない、突き詰めても堅苦しいだけ、これは筆者が抱える現在の課題であるのだが、このサイトでくらいはまあ、よいでしょう。
ここのところ考えていなかったことを考えるように心がけ、考えていたことを考えないように気をつけようとしている。そもそも本年のテーマは「シンプル」であり、結局この原点へと行き着く。ちょっと観念的な文章でわかりづらいが大した内容ではない。つまりここが問題。簡単なことをご丁寧に複雑にしてしまう。もともと一本の糸に過ぎないものを、わざわざ絡ませた上でもう一度元に戻す努力を始める。マッチポンプに過ぎない行為であるが、本人はそれと気づかない。時折物事とはひどくシンプルなものであるなあ、などとあたかも真理を発見したかの如く自慢げな気持ちにもなるが何のことはない、最初からシンプルであったのだから。
屋上を目指すにエレベーターを使わず螺旋階段を登る。敢えて困難を選ぶのであれば悪いことでもないのだが、単純にエレベーターの存在に気づかず仕方なしに階段を手段とするだけのこと。
「不器用ですから、自分は。」などと自嘲気味に笑っても残念ながら健さんのようには決まらない。

だって水着を着るんだもん
2004/2/13

そういえばダイエットについて全く書いていなかった。驚かそうと思い隠していたわけではなく、実は全く進展がなかっただけです。やはりこれという理由がないといかんですね。
でも多少やる気になる理由ができました。ひょんなことから泳ぐことになり、泳ぐということは当然裸体ですね。つまりブヨブヨな体形がバレバレなのです。筆者年齢からすればさほど肥えているとも思えませんが、この手の妥協こそもっとも恐れねばいけません。やはり腹筋が見える程度のお腹にはしておきたい。とはいえ、勘違いしてムキムキな体を作るつもりは全くなし。あれは別の意味で見苦しい。不自然な筋肉というものは付けるべきではなく、あくまでもバランスをとりながら、出るところは出て引っ込むべきところは引っ込む、というのがやはり理想。女性と同じですね。
泳ぎは嫌いではないのだが、なんせ日に40本は吸うヘビースモーカー。溺れたりしないかしらん。クロールで颯爽と泳ぐさまをお見せしたいのだが、わけあってそれはできません。そんなことを言っているから泳ぐ羽目になったのだしね。いいです、意味わからなくても。

悲しみが雪のように積もる夜に
2004/2/7

ひきこもりでテレビ好きの筆者が送る番組感想コーナー。
今日は何と「愛という名のもとに」。古いですねえ、10年以上前だと思うがトレンディ系食わず嫌いの筆者はリピートで初めて見ました。
これはズバリ「友情、仲間」というものをアンチテーゼとして描かれており、後半それなりに帳尻は合わせてあるものの、確信的にその弱さを主張している。好意的に見れば、弱いからこそ仲間と支えあって人は生きていく、という内容にも取れるし、そうあって欲しいと筆者も望んでしまうのだが、野島さんは明らかに逆の意図を持ちこれを書かれたことでしょう。その脆弱さをあれだけアピールしてハッピーエンドも何もあったものではない。
非常に面白かったドラマであるが、突き詰めて考えると結構酷いストーリーです。あまり救いもなく、現実を思い知れえ、といった感じ。おっと突き詰めて考えるのが筆者の悪い癖でした。人間不信とエゴイズムの権化であろう野島大先生ですからそれも仕方なし。もっとも最近それが過ぎて売れなくなり、「プライド」では随分と変節したみたいですけど。「プライド」は評判は悪いが結構好きです。筆者が誉める物の大半が世間では逆の評価というところがちょっと気になるがまあ良しとしましょう。
全編を通じて流れている浜省サウンドはとても素敵でした。唐沢、江口の「白い巨塔」コンビは、つくづく江口の演技が巧くなったなあと感心させるもので、ちょっといいかも。

ヒッキーはすでに人妻
2004/2/3

ヒッキーとはひきこもりにあらず、宇多田ヒカルの愛称です。
その程度の知識でコンサートに行って参りました。さすが売れっ子だけあってほとんどの曲は聴いたことがある感じ。盛り上がってましたよ、当然武道館は満員御礼。
筆者知らない曲の時は何回か寝てしまいましたが、9割方起きていたので頑張った方でしょう。相手は女性かですって、いえいえ素敵な同年代の男性です。彼がたまたま抽選で獲得したチケットでして、御供させていただきました。
でも凄いねえ、二十歳そこそこの娘があれだけの観客を熱狂させるのですから。筆者の2列前の女性は最初から立ちっぱなし。満員電車の中学生じゃないのだから少しは座ればいいのにね、って下ネタで失礼。
立つといえばかねがね不満なのであるが、せっかく苦労して獲った座席なのだから大切にしましょうよ。前の人間が立つと見えないから後ろの人間もしょうがなく立つ。その繰り返しが総立ちのシステムに思えるのであるがどうであろう。

上に参りまーす、下に参りまーす
2004/2/2

人は自分を当たり前であるが、自分なりに評価しているもの。大抵は実像より甘い採点なのであるがそれになかなか気づかない。たまに「あっ」と思うことがあり反省などもするのであるが、都合よくそれは持続しない。適度に自信満々に生きるが最上に思える。
筆者は自分がかわいーてかわいーて仕方ないタイプなので、ちょっと自信が過剰だったりする。だから心ある人に指摘され、あれ、と自分を見失い慌ててしまうこともしばしばである。逆に自分の評価を比較的冷静に行えている時に、分不相応な賞賛を受けると大いに戸惑うこととなる。
「おれってそんな立派かなあ、なんか勘違いしてるよこれは、絶対おかしいって。」
冷静になぞ自分を見るものではなく、一度客観的に省みてしまえば、今まで持っていた自信などまるで根拠のなかったものと気づいてしまうし、すべてが人並み以下に思え出してくるものだ。実に自分が卑小な存在に感じられ、それが正解という確信さえ知らず知らずのうちに芽生えてしまう。
まあ、筆者の性格であればそのくらいが本来はちょうどよいのであろう。身に覚えのない長所を他人が見つけてくれたとしてもあまり当てにはしないに限る。

上っ面の言葉
2004/1/30

そもそもが生来の議論好きであり、何かにつけ突っ込んで話をしたがるのが性癖なのであろう。生真面目といえなくもないが、事はそう単純でもない。
曖昧さを排して真実は一つとばかりに徹底した結論付けをしなければ気がすまない、だがこれは本当にその答えを見つけたいという純粋な動機だけとはいいかねる。表向きそう装ってはいるが、実のところ自身の裡にある最初から決めていた自分にとっての真実のみを正解として、確信的にそこへ導かんとしているに過ぎないのではなかろうか。これではただの独善でしかない。
筆者は「朝まで生テレビ」といった類の討論番組を軽蔑している。侮蔑といっても良いであろう。そこで繰り広げられている論争は何ら生産性を持たずただ参加者たちが己の主張を通すことにのみ専念しており、結局議論のための議論でしかないように思えるから大嫌いなのであるが、何のことはない、ただの近親憎悪ではないか。人は自身の欠点を無意識のうちに悟っているのか、あるいは気づいてはいるが意識をそこに向けず自覚しないようにしているのであろうか。
あらゆることを曖昧にしておかず、きっちりと漏らさず答えを見つける、こんな大義名分で自身を偽り、所詮は自らの哲学の正当性をアピールしているに過ぎない。
何もかもを徹底的に議論し、一つの結論に導こうとするのも不遜であろうし、大体議論のための議論では大切なものが残らない場合もあろう。一枝を切りて百枝を損ず、ではないがしょせん独善に磨きをかけるのみである。
結局何事も程度の問題ってやつでしょうかね。

映画はいいよね
2004/1/26

本日は「ラストサムライ」の感想につき、これから観られる予定の方はご注意下さい。
倦怠期夫婦の夜の営みくらい、映画館に行くことが久々である。平日にも関らず館は盛況で、並ばさられてしまった。やはりマリオンは見やすいですなあ、いい映画館です。
さて「ラストサムライ」であるが、面白かったですよ。皮肉でもなんでもなく入場料分は楽しめました。但し心に残る名作といった類ではない。正直予想に反してエンターテイメントでした。早い話金をたっぷりかけた壮大なチャンバラ映画です。ストーリーにオリジナリティはなく、観衆の喜びそうなありふれた展開が続くため荒唐無稽さは否めないが、日本を珍しく好意的にそしてそれほど違和感なく描いていたところは日本人として好感が持てよう。もっとも武士道や侍に関しての考察は深遠さの欠片もなく浅薄なのだが、欧米人からすればこれでもきっと不可思議で神秘的なのであろうからここら辺が限界でしょう。
焦点がピシリと合っていたわけではないがそれほどピンボケでもなく、何より楽しめる内容になっているのだから十分な出来といえよう。殺陣や戦闘シーンは秀逸でまさに迫力満点。これはハリウッドならではですね。トム・クルーズもよくここまでトレーニングしたものと、一流の面目躍如。
もっとも中身に関係ない情報が多少邪魔でした。例えば息子から人でなしと非難を受けている渡辺謙。せっかくの演技なのにいまいちその事がちらついてしまい感情移入できない。小雪はちょっとでかすぎ。当時の日本女性ですぞ、無理ないかい。大体トムはチビなのだから配慮すべきでしょ。そのトムもなあ、へんてこな新興宗教に夢中らしく、その教えが侍の精神に共通するとかしないとか。まあ、ここら辺は余談ですけど。
さあ次は「シービスケット」だ。これは泣けるはずだぞ。

新選組、うーん
2004/1/25

三谷先生の作品でつまんない、と思ったものは過去なかった(見てないのもあるだろうけど)。だから今回の「新選組」も期待して、久々大河にチャンネルを合わせたわけなのだが、これはどうしたことであろう。残念ながらつまらないの一言。直前に「燃えよ剣」を読んでしまったことも理由の一つであるとは思うが、ちょっとひどいのでは。
香取慎吾の近藤勇、無理があるなあ。彼は嫌いな役者ではない。だが今回のキャスティングはない。そもそも近藤勇は思想家でもなければ政に秀でていたわけでもなかろう。新選組の局長となって以降、初めて色々と政治に首を突っ込み始め、そこで特に功績を残したようにも見受けられない。長としての器、そしてその人柄が彼の魅力であり、中途半端は政治意識を前面に押し出しては話に無理ばかり出てきてしまう。幕末は皆が同レベルの情報量の中、均一な思考をしていたわけでもあるまい。彼らのような生き方は別の視点から描いて欲しかったのだが。
歴史物は想像力が勝負なのでフィクションもよい。だがそれは事実を基に築き上げられるべきであり、安易に竜馬などをだしその人気にすがるというのもどうであろうか。確かに著名人が出てこなくては盛り上がりに欠けるのであろうが、完全なフィクションばかりではまとまりがつかなくなるであろう。嘘は積み重ねざるを得ないものなのだ。
こけたが筆者が好きであった「竜馬におまかせ」のようなハチャメチャにするのであれば問題ないのだがそこはNHKの大河、悲しいほどに中途半端なのである。
これが一年続くのかあ。ということは遅筆のゆえに三谷さんの他の作品を、当分は見ることができないのだな。それが辛い。

主の御心のままに
2004/1/24

何と13日の金曜日が2月にある。不吉ですね。
別にクリスチャンでもないが、クリスマスはおめでたい筆者にとってはあまり歓迎すべき日でもないのは確か。でもね、由来がよくわからない。
キリストが十字架に架けられたのは14日の金曜日らしい。13というのは最後の晩餐の人数とか色々推測されているが、果たして正式な理由ってあるのかしらん。それともただの間違った俗説かな。しかも翌日が14日であるからバレンタインデー、つまりチョコレートの日。ある意味その前日より不吉ではないか。なんせもらえなければ悲しいし、もらったらもらったで倍返しが相場とか。まさしく前門の狼後門の虎、てなところだが金で片がつく方がまだマシなのかな。
おっと、こんな事を書いているとまたお袋さんが心配してチョコを送りかねないので終わりです。マジで送らないで下さいお母様。

一月は毎年目標を決めるのであるが
2004/1/20

遅まきながら今年のテーマを発表、パチパチパチ。
ズバリ「シンプル」。
理屈っぽいのですよね、筆者は。頭が切れすぎるというのも困りもので、ついつい物事を深く考察してしまうのです。でもね、例えばジャンケンなどはいくら考えてもしょせんグー、チョキ、パーの何れかのみ。鉛筆転がしても結果同じこともしばしば。だから考えるのが無駄かといえばそうでもないのだが、実のところ考えただけの成果を得られないことの方が圧倒的に多いのだ。となるとやはりあまり頭よくないじゃん、ということになるのだが。
真面目な話をすると、ややこしく持って廻った説明しか出来ない場合、当の本人が理解できていないものであり、どのようなことも実はシンプルな骨組みにより構成されているもの。つまりは本質をどれだけ捉えているかの見極めなのである。中心軸がしっかりしていないからグラグラとあっちこっちに揺れてしまい、結局支点の定まらぬ独楽のように最初の位置から大きく外れて行ってしまうのであろう。
多くの情報をその分量、重要度により適切に咀嚼できる人ももちろんいる。でもそういう人は本当に頭が良いのであり、パーセンテージにすれば小数点以下に思える。大概は他者の思想を自分のそれと錯覚して、サイズの合わない服を重ね着し続けてしまうのではなかろうか。卑下するわけでもないが、凡人はそれにあった歩幅というものがあり、必要以上のペースは本人の体力を削ぎ、目的地さえ見えなくさせてしまうのかもしれない。
小さくとも自分の歩幅であればそれに合い相応しい導きがきっと待っている、この際そう期待しようではないか。

勝ち目なし
2004/1/17

男でも女でも昔あまりに素敵な人と付き合ったりしてしまうと、いけないとは思いながらもやはり比較してしまうものであろう。商品を購入するわけではないので、一つ一つ条件を並べながらというわけではないにしろ、あまりに完全な相手に恵まれてしまうと相性や好みがあるとはいえ、どうしてもそれを超える人に出会うのが難しいこととなる。
実際、惚れた相手の心にそんな人がいたとしたらちょっと困ってしまう。筆者の場合、冷静に考えてみると顔、身長、頭の出来、運動神経、センス、経済力、包容力、優しさ、どれをとっても勝ち負けになりそうもない。総合点どころか一つとして勝ることが出来ないかもしれない。それどころかそんな特別な相手でなくとも、平均値としても実に怪しいところだ。
さて、そうすると筆者のウリとは何であろう。かなりひいき目に見ても正直これといったものがない。大局で上回るどころか局地戦にても勝算が薄いではないか。ちょっと参った。
いままで女性の好みをあれこれ言ってきたが、これではそれどころの話ではない。でもなあ、一つぐらいいいところがあってもおかしくはないはず。それを勝手に見つけてくれる人、つまり余程目の良い女性が筆者には必要ということになる。これはもはや必須条件なのではなかろうか。
本人でさえ気づかぬ長所を見抜いてくれる目の良さと、同時に男を選ぶセンスの悪さを兼ね備えた女性、例えてみれば絶対音感を持つ音痴、そんな人を募集してます。

青春時代の読書
2004/1/16

新潮文庫の100冊というフェアーがあるが、それを紹介する冊子の中に筒井康隆のエッセーがあった。タイトルは「青春時代の読書」でありごく短いもの。ちなみに20年ぐらいは前の話である。以下がそれ。

青春時代の読書によって一生の読書傾向が決まるといっていいだろう。たまたま自分の波長に合わぬ本ばかり読んだ人は一生ハウ・ツーもの以外何も読まなくなる。速く読む癖を身につけた人は一生速読する。熟読・再読の癖はなかなか抜けず、とばして早く読んでしまうと気分が悪くてしかたがないし、気に入った本を常に身のまわりに置いておくことになる。
最初、あまりにも面白い本にぶつかってしまった場合はちょっと困ったことになる。最初の本の面白さに及ばぬ本ばかりを読むことになるし、「あの面白さ」を求めるあまり、別の種類の面白さを持つ本を読んでもその面白さに気がつかない。ついにはあきらめて本を読まなくなってしまうのだ。
なんとなく、恋愛に似ているではないか。

ひどく気に入っているエッセーであり、いまだ冊子からの切り抜きを大事にとってある。これは読書がどうであるべきとか、それを恋愛に置き換えてどうだとかいった教訓めいた内容ではないし、筆者も書いてあるがまま、素直に受け取っている。
しょっぱなに素敵なものに出会うが幸せか、今後すべてが霞んでしまうそんな出会いはむしろ不幸なのか。きっと誰にも決められない。もしかしたら本人にもはかれないことなのかもしれない。
だが諦めないで欲しいものだ。諦めるには人生はまだまだ長すぎる。

燃えよ剣、まだ上巻だけど
2004/1/15

「燃えよ剣」を読み始めた。もったいなくて読むのを控えていた作品である。
NHKで「新選組」が始まりそれで読もうとしたわけではない。あ、「新選組」といえば一回目を見忘れてしまった、三谷さんの脚本なのに。でもありがたいことに大河はリピートがある。土曜日に忘れず録画しなければ。
大河の題材となった関連本は売れるのであろう、たまたま立ち寄った本屋には新撰組が山積み。「燃えよ剣」も平積みとなっており買ってしまったわけだが、それを見るまでこの作品についてコロッと忘れていたのでやはり大河のお陰なのかな。とんだ百舌の速贄である。
別に筆者新撰組のファンでもなんでもない、というよりろくに知らない。ではなぜ楽しみにしていたのか。それはずばりタイトルである。「燃えよ剣」ですよ、「燃えよ剣」。お見事、という他ありません。なんせかっこいい。天下の司馬先生の作品を筆者ごときが色々論じることは出来ません。でもこのタイトルだけはミーハーに取られるかもしれないけど惚れ惚れしてもうたまらない。
維新関連では竜馬など、その立役者たちの物語はよく読んだものだが、勝てば官軍、滅びた側の本はあまり読んだことがなかった。特に新撰組に関してはほとんど知識がない状態。竜馬などを読むと新撰組が憎々しげに思えるのに、逆の立場から見ると感情移入により全く違った想いが胸に湧く。刑事物を見る時マフィアに反吐が出る思いがするのに、ギャング物では警察を敵視してしまう感情と同じなのであろう。
筆者はしょせんモノを客観視できないのである。多分欠点なのだがそういう見方でないと楽しめないのです、許してチョンマゲ。

賑やかな成人式
2004/1/11

全国各地で成人式が催されたらしい。最近は傍若無人に振舞う「俺達に明日はない、だって馬鹿だもん」という輩が増え、相変わらず問題続出の様相。
成人とは大人、つまり良くも悪くも一人前と見做しますよということ。きっと彼らはいつまでも子供の心を持ち続けていたいピーターパンなのだ。夢があっていいなあ。大人になることを身も心も無意識に拒んでしまうのであのような拒否反応を示すに違いない。いわば人生の拒食症、治療が必要です。
筆者は成人式に出席できませんでした。故郷では15日に執り行われたらしいのだが、当時大学生で試験の直前、一夜漬けの王者としては無理な相談。綺麗なオベベを着たかったのに。来年あたり特別に参加させてくれないかな。いや駄目だろうな、目的が別にあると思われるし、それもなくはない。

金曜日だからといって遊んでばかりいてはいけないよ
2004/1/9

少し古い表現ではあるが今日は花の金曜日、なのに後輩のH君に韓国シャブシャブをたかられただけでとっとと帰宅。昨日風邪で会社を休んだのだからしょうがないか。
筆者の体はデリケート、精密機械はちょっとした加減ですぐに調子を崩します。なので具合が悪いとすぐにお休みを頂いちゃいます。無理して悪化させてはもっと会社に迷惑をかけるので。この深謀遠慮をわかってくれるかなあ、みんな。
CXで「ほんとにあった怖い話」というドラマが始まるらしい。せめて「ほんとにあったら怖い話」くらいにしておけば可愛いのにね。本当にあったならマジ怖いじゃん。どうせ見ないからいいけど。
今更ながら「トリック」、面白かったなあ。ストーリーではないのですあれは。とぼけた台詞回しと細かすぎるやり取りが見所。これでもかってほどに徹底して遊んでくれてます。一般受けするかちょっと心配していたが視聴率もまずは合格点みたい。テレ朝のドラマとしては異質。だから好評だったのだろうが。
「Dr.コトー診療所」の総集編を見てしまった。古くは「ブラックジャック」など医師を題材とした感動的なドラマは結構数多いのだが、こういう物語に感銘を受けて医師を志す人達が増えれば素敵なことなのだが。でも残念ながら医者を目指す人はテレビなどくだらないとして見もしないのかな。そもそも優しさがない人間は医者などになる資格がないのであろうが、優しすぎる人間は医師という職業には耐えられないのかもしれない。とはいえ幾人かでも純粋な動機を持ってその道を歩む人が現れてくれるのであれば、救われる人もその分増えるのにね、などとまともなことも書いてみたりして。
今日は取り留めのない雑記となってしまった。あ、いいのか、雑記のコーナーだったこれ。

裸でなかった王様
2004/1/8

筆者の友人のうち数人にはこのサイトのことを話してあるので感想などを聞くことがあるのだが、大抵こちらが期待するリアクションが返ってこない。どうもこれらの友人たちは人が良い分センスが悪いらしい。
筆者としては「こんな面白いの見たことないよ、天才じゃないの、凄いよ。」
といった興奮を伴い握手を求められんばかりの反応を予想していただけに拍子抜けすると同時にその見る目のなさに憤慨さえしてしまう。いやいやこれは義憤ともいえよう。文部科学省の怠慢と詰め込み教育の弊害を初めて実感させられてしまったわけだが、それについて言及し始めるとサイトが真面目になりすぎるので我慢してここでは控えよう。
さてどうしたものか。
流行というものは自分だけ他人と違うことを怖れる人間の心理状態を逆手に取った手法なのだが、人は当然他人の目というものを気にする存在。筆者も例外ではないし、そうでない人はむしろ自分勝手なだけの場合が多い。
センスのある人にしか見えない特別な服なのです、そういわれて王様は裸で街を歩いたそうだが、あれは果たして詐欺だったのであろうか。ある種の天才が本当にそういう服を作り王様に着せた、だが凡庸な一般大衆はそれを実像としてみるだけの能力に欠けていただけなのかもしれない。王様は裸だ、と最初に言ったのは確か子供のはず。でもガキにそんなセンスや教養などあろうはずもない。そもそも対象外なのだ。
アヤちゃん(このサイトの技術面担当むらたさんの彼女)は数少ない理解者の一人で面白いと言ってくれている。ちなみに彼女は類稀なる美貌の持ち主であり明晰なる頭脳を有してもいる。ようするに才色兼備というやつ。つまりこのサイトの良さがわかる人は自ずと総てに渡って優れているということの証明にもなる。そう、謂わばリトマス試験紙なのだ。
面白くないと思ったら大間違い、それはあなた自身に問題があるのですよ。さあ、センスを磨きましょう、それでもつまらないと思われる方、それを口外してはいけません。だって王様は本当に素敵な衣装に身を包んでいるのですから。
(アヤちゃん、ネタにしてごめん)

地震
2004/1/6

(*これは独善事典の「地震」の項目に入れておいたものですが、長すぎることと内容が事典にそぐわないと思われる為、雑記に転載致しました。)
筆者は関西大震災の被災者である。
当時尼崎に住んでおり、命に別状がないぐらいの被害を受けた。その話はまた別の機会に譲るが、関西は全く地震がない地域であったので驚いたものだ。
その後以前も住んでいた東京に戻ってきたわけだが、ここは関西と逆で小地震が頻発する印象が強かった。案の定、2日に1回ぐらいの割でおきる。しかしいくらなんでも多いな、と訝しんでいるうちに妙なことに気づいた。あまりテレビで速報が流れないのだ。もちろん報道される時もあるのだが、普通揺れたら必ずあるものでは、と首を傾げていた所、もしや非常に局地的なものなのでは、という仮定が浮かび上がった。早い話、筆者のアパートだけが建物の構造上(要は古さと安普請)、目の前の片側三車線道路に大型トラックが通行するたび人工的な揺れをそこはかとなく醸し出していたわけだ。考えてみれば、海に近い埋立地でもあった。
それがわかって以来、友人が我が家に来てトラックを震源とした震度2から3の地震にびっくりするのを楽しむ余裕ができたが、安普請ということは当然壁も薄い。今度は隣人の夫婦喧嘩に悩まされ始めた。やり取りが一語一句、洩れなく聞こえちゃうんだから堪りません。けれどそのうちイヌを飼い始め、夫婦仲が円満に。よかった、よかったと胸を撫で下ろしていたら今度はそのイヌがうるさいときたものだ。
結局引っ越しました。

手が腫れるくらい黒板を叩いてました
2004/1/5

もう冬のクールのドラマが始まろうとしているが、秋クールの「ヤンキー母校に帰る」は秀逸であった。
この手の教育ドラマをさほど好まない筆者は最初見るつもりもなかったがたまたま見た初回から最終回まで感動のしっぱなし。視聴率に反映しなかったことが不思議でならない。これが実話だというのもまったくもって凄い。内容については第三者が偉そうにもっともらしく評論するのも憚られるのでただ一言、熱かった。
もともと好きな竹之内豊の演技も非常に好感が持てるものであったし、こういう教師たちが実在することに驚きを覚えるのと同時に敬意を払う気持ちになってしまったものだ。
ばらしてしまうと筆者毎回欠かさず泣いてしまいました。最終回に至っては大泣きも大泣き、鼻をかみっぱなし。青いことを書かせてもらえば、とっても元気をもらえたドラマでした。

信心深い人が多いのかな
2004/1/4

筆者の家の近所には大きな神社と大きなお不動さんがあり、正月も4日目だというのに大賑わい。あまりの人出に日常生活もままならぬほど。
しかしなあ、初詣というものは先着何名の早い者勝ちなのであろうか。正月に詣でるから意味がある、ということかもしれないが神様も仏様も一年中いらっしゃるわけだしもっとすいている時でもいいんじゃないかな。
商店街は書き入れ時とばかりに正月返上で商売に精を出している。そんな活気付いた雰囲気はなかなか悪くはなく、本日発売の東スポを買いに行くのに通常の2倍の時間がかかったことはこの際許すか。
例年より長めの年末年始休暇もとうとう本日が最終日。よし、明日から仕事頑張るぞ!などと殊勝な気持ちが起きるわけもなく、いつものメランコリーな気分。しかしなあ、何年経っても休みの最後の日がこんなテンションというのも進歩がない話である。

サル(去る)では縁起が悪いからエテ(得る)公らしいよ
2004/1/3

祝申年!
でもサルは大嫌い。不細工だし、えげつないし、さすが人間に一番近い動物だけのことはあるね。
よくテレビで芸能人の誰々に似ている、といったコーナーがあるが、お笑い系はいいとして俳優系のそっくりさんの場合。確かにああ、似ているわ、と思わせることが多いのだが、だからといって美男美女では決してないのはなぜゆえに。
キムタクに似ているのであればさぞかしもてそうなものであるのだが、本人を見る限りとてもそうは思えないことが大抵。松嶋菜々子に似ているのに点数をつければ65点くらいとかね。つまりしょせんは似て非なるもの。
そんなことばかり言ってお前はどうなんだと突っ込まれているであろうから興味ないだろうけど一応補足。
所ジョージ、ボヤッキー、桂小枝あたり。キャバクラなどではジャン・レノもあるが、これはさすがに社交辞令、そのくらいは呑気な筆者にも察しがつくというもの。つまり例えそっくりであっても美男子とは縁遠い。所さんならアタシ好きよ、という女性も確かにいらっしゃるが、それは外見ではなくキャラクターが好ましいだけのこと。筆者内面は魅力溢れんばかりなのだが、所さんほど広く認知されていないところ(シャレではない)が難点。
なんかよくわからなくなってきたが、つまるところサルは人間より毛が三本足りないというお話。筆者はさらに足りないけどね、って新年早々ハゲネタとはいかがなものか。
あ、もう一つ、新年早々、涙(なだ)そうそう、なんちゃって。なんか調子が悪いぞ今年は。

ゆく年を偲び、くる年を愛でる
2003/12/30

本日大都会東京を離れ、地元へ帰ります。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」
などと申しますが、新幹線で2時間足らずでは思っている間もなく、さほど懐かしくもない我が故郷に到着してしまう。室生犀星もビックリのスピード化ではあるが、近いほど案外帰らないもの。どうせ一人身、正月は退屈なので仕方なく帰郷するけど。
大晦日は三つの格闘技番組をはしごする優雅なスケジュール。独身だから出来る技、いいなあ、家庭がないって。
そう前向きに捕えながら新年をお迎えする予定。誰も読んではいないと思うが、一応しばらく更新しませんという告知のみの日記でした。

その道の達人
2003/12/28

うっかり八兵衛はうっかり者でありながら水戸のご老公に供を許されていた。そしてその名にうっかりを冠するぐらいであるから、お上よりうっかりの御免状を拝したうっかりの免許皆伝者に違いなかろう。少数先鋭にて全国を周遊していたご老公一行にとって、ただのうっかり者をメンバーに加える余裕など普通に考えればあろうはずがない。とすると八兵衛は天下一のうっかり者であったことはもはや疑う余地はない。
テレビではそのキャラクターを維持するために放送されていないのであろうが、他のメンバーがうっかりとミスを犯した時などはきっと八兵衛に酷く叱責されていたに違いない。
「なあ弥七、ちゃんと仕事しろよ。ああいう失敗は困るんだよな。何、うっかりしてただと、冗談言っちゃいけねえよ。うっかりはおれの担当だ、お前さんは自分の役割をしっかり果たしな。それとも何かい、おれのうっかりさ加減が足りねえとでも言うのかい。いいか、代わりはいくらでもいるんだぜ。お前でなくてもちっとも構やしねえ。そこら辺をよく肝に銘じておきな。」
うっかりを一手に引き受けているだけに、他のメンバーが下手にうっかりしようものなら自分の稼ぎに響いてくる。当然その権益を守るために彼はうっかりの仮面を剥ぎ取り豹変するのであろう。
ところで調べてみたら、今現在は八兵衛も弥七も出演していないらしい。そういえばもう10年ぐらい見てないなあ。

ダイエットウルフ
2003/12/26

カレーを作って素敵なカレをつくろう!
などと全く意味のないことを書いてみたりする。なぜならこれから書くことが同様に意味を持たぬことだから。(こじつけだけどね)
新年を迎えたらダイエットをする。ここ最近の怠惰な生活のせいで自慢のボディラインにかなりの乱れが生じている今日この頃。さすがにまずい、世間一般ではこれを中年太りと呼ぶのであろう。心は少年体は青年、がモットーの筆者にとっては致命的現状。
もちろんこの手の宣言は他人に対して行うものではなく、自らの心の中でのみ誓えばよろしい、という一般常識は心得ている。そんなこと聞きたかねえよ、といった内容の発言を色々なホームページで見せられることがよくあり、同じ愚を犯すまさしく愚行なわけであるが、そこまで理解した上だからこそ当然理由もある。区切りの問題と公言がそれ。
ダイエットなど一つのゲームとして取り組まないとなかなかやる気が起きないものなのだ。比較的スリムに見られている筆者であるが、体重は実のところ63〜64キロ。31日時点の体重から5キロ落とす予定。期限は特に設けないが、おおよそ2ヶ月もあれば余裕であろう。テーマは「バックインザハイライフ」。かっちょいいでしょ。
もちろん理由があっても愚行に変わりないことは承知しているが、まあいいではないか。それこそ冷や汗をかき、痩せるおもいが出来ればいうことはないのだから。

想像日記
2003/12/23

このところ毎日この雑記帳をつけている。習慣づいたわけでなく、単なる気分の問題、バイオリズムのようなもの。書きたくなるほど様々な出来事が続いているのであれば波乱万丈な毎日なのだが。
本日は天皇陛下からの素敵なプレゼントである祝日。世の恋人たちが思い思いに想いの丈を告白すべく、重い借金を抱える覚悟で頑張っているのであろうか。少なくともこんな駄文を呑気にしたためている場合ではないはず。
それはそれとして、ネット上に書かれていることは真偽の程が当たり前だが定かではない。例えばこの日記、全部想像のみで書かれていたとしても誰にもわからず、筆者のみぞ知るというやつ。姿が見えないのを良いことに、いくらでも架空の人物を演じられるわけだしまたそれも許容の内であったりもする。その微妙な信頼関係は現実世界よりも懐が広く、その分底が浅い。人にはその親しさに応じた距離というものがあり、親密なほど相手の接近を許せるもの。満員のエレベーターが妙に気まずいのはその逆のいい例えであろう。
相手との距離が測れないネット上ではその曖昧さが懐の深さを生む長所として活況を呈す。但し都合よく演出された架空の人物に、必要以上に接近を図ると別の問題が当然発生する。テレビに出ているタレントに親和感を持つようなもので、両者が同一に歩み寄るのであれば正常な人間関係といえるのだが、そうでない場合が不幸の序曲。
だが総て想像にてありもしない世界を構築するは、一つの才能ともいえよう。
きっとこれらは紙一重。

いっそポリネシアでもこの際よい
2003/12/22

うーん、パニッシャーではなく実はポリッシャーらしい。いや、例のヤニをとる器具のことなんだけど。
もう歯医者の話題も飽きたからいいか、と思っていたら間違い発覚。ええい、発音が悪いのだよ日本人は。ネイティブの苦労がわかろうというもの。アクセス数の少なさをいいことに密かに修正することも考えたが、髪、いや神に仕えるものとしては嘘もつけず、素直に告白しときます。「パニッシャー」ではドルフ・ラクグレンの映画ではないか。ちなみにパニッシャー・ダイス・モーガンというレスラーが昔いたのだが、誰も知らんか。
歯医者は今日で終了。でも来年も来て下さいだって、何をするのだろう。行くのは構わんのだけど、混みすぎで歯科衛生士のお姉さま方とちっとも話が出来ないしなあ。やはりちゃんと指名して、フルーツなぞもオーダーしないと駄目なのかな。
さて明日は祝日、プレクリスマス。ここだけの話、筆者は今年見事予定なし。まあ、ある年の方が少ないけどね。そもそも聖なる夜は静かに過ごすのがポリシー、いやマジで。
ただ、素敵な人がいればそのポリシーを曲げるのもやぶさかではないのだが。

ないから見えない、あっても見えない
2003/12/21

昨晩金縛りにあった。別段珍しいことでもなく、ちょくちょくあること。特に声が聞こえたりやばいものが見えたりするわけではなく、ただ叩き起こされてちょっと迷惑な話。もちろん最中は怖い。それは本能的なものであり、理由がわからないことによる恐怖でもある。金縛りによりはっきりと覚醒する時もあれば、寝ぼけたままということもある。昨晩はまさに半分夢の中であり、そのせいかしつこかったなあ。延々と繰り返されていた気がするが、それさえも曖昧。筆者の唯一の霊現象?といえる。
ちなみに霊能力などの超常現象について、筆者はその存在を確信的に肯定している。だが世に喧伝される多くは九分九厘インチキと睨んでもいる。実際にそういうものを自らの目で見たことも何度かある。だがイコールそれが正しいという、二者択一ではあまりに危険。現象面の肯定と思想面の肯定はイコールでは決してない。もともと不安定な力でもあり、その手の能力を持つ人が必ずしも真実を語るとはとても言えない。キリストと話す機会でもあればかなり部分で氷解できるのであろうが、しょせん非現実的な話。
なので神は疑わないが人は疑う、というのが筆者のスタンス。

北や南の国から
2003/12/20

イケイケのCXが「北の国から」のリピートをゴールデンにて連夜に渡り放送するという暴挙(でもないか)に出た。筆者このシリーズは見たり見なかったり。でもヤワラちゃんの披露宴よりマシなので、今頭の5分の1ぐらい使って見ている。
いっておくが、この番組に対して批判的な気持ちは特にない。そりゃ嫌いな人も多いだろうが、別にいいじゃん、見たら見たでそれなりに感動できるわけだし。
しかしこれが北海道ではなく、沖縄ならどうであろう。きっと大らかになるのだろうなあ。五郎さんがダイビングに命を賭ける海人。ボロボロのアロハを着てヤシの葉を屋根にしたバラックに住むロビンソンクルーソーの如し。純はホテルマン、蛍は踊り子でいいや。
南国の人は基本的に楽観的なので、北の国ではドラマとなり得る題材もすべて悩みとはならない。いや、倉本聰ならそれなりの脚本を書くのかな。でもさだまさしの主題歌はきっと沖縄向きではない。

他人の正目
2003/12/18

歯医者に行くたびに悪いところが増えていく気がする。治療に問題があるという意味では当然なく、至極もっともな説明を理路整然と受ける。すべては納得ずくなのであるが、何故か釈然としない。
いつになったら自由の身になれるのか。私は籠の中の鳥、早く大空を飛びまわる自由が欲しいの、などと乙女チックに悩む今日この頃。
前歯は仮であるが、新しいモノが入った。早速周りの人達に感想を聞いてみたところ、
「え、差し歯だったの、知らなかった。」
という驚くべきリアクションが返ってきた。
そもそも第三者の目を意識して新しくしたものを、これではただの骨折り損ではないか。筆者は他人の歯並びが何故か気になる性質で、どうしても視線がそこに行きがちである。ちょっと古いが、芸能人でなくとも女性は歯が命、てな感覚。それだけに自身の歯並びを気にしてみたのだが、結局は思春期の娘のような自意識過剰だったみたい。
あるいは筆者の外見などははなから興味の対象ではなかったか。これがあたりのような気がするが、それはそれ、敢えて真実から目を背けておこう。

熱中時代携帯編
2003/12/09

ちょっとおもろかったこと。
妙齢のご婦人が携帯電話でお話しながら歩いてきた。まあ、よくある風景。そのご婦人、そのまま地下鉄の階段を降り始めました。当然電波は不安定になりますね。なのにご婦人、
「あれーごめん、変ねえ、なんか急に電波が悪くなってきた。もう一度言って、よく聞こえないのよ。」
と声のボリュームをレベルアップさせながら、夢中でトーク。
もの凄く当たり前のことに気づかぬことはよくあるのであろうが、他人のそれを見ると、ちょっとおもろい。

本当の恋
2003/12/07

ありがちな雑感。
真実の恋、嘘の恋、まあ色々とその真偽の程を論議されることが多いわけだが、今の恋がどの程度本気なのかは、その基準が自分のみにしかないため他人からは見極めづらいし、それ以前に口を挟むこと自体越権行為でもあろう。最初から最期まで自己採点のみが唯一の拠り所であり、間違った採点であろうとも、本来はとやかく言われる筋合いのものではない。もちろん、もっともっと深い愛がその先に待っていたことに気がつかず、その手前を究極と勘違いするという、実にもったいない場合があるやもしれないが、こればっかりはおそらく、頭ではなく心に素直に耳を傾ける以外、方法はないと思われる。要するに決め手なし。
人が本当の恋に辿り着けるか否かは結局のところ答えが出ない問題。だが、嘘の恋というものが果たして存在するのであろうか。最初から遊びであるとか、地位や財産目当てなどというものは論外として、その時その時真剣であれば、例え後々後悔しようともそれは偽りではないはず。あの頃はまだ子供だったなあ、と昔の恋を反省したり、悔やんだりするものであるが、だからといってやはり間違いではない。
夜の国の住人は、月や星を見てその美しさに感動し、きっと魅入られる。この世にこれ以上の輝きがあろうかと、真摯な眼差しでそれを仰ぎ見る。だがあまりの眩しさに見つめることさえ叶わぬ、生命の源にも等しい太陽の存在を知ってしまった時、もはや月も星もその念頭から消し飛んでしまう。ああ、これこそ本当に求め望んできたものなのだ、と直感する。人はこれ以上ない絶対的な存在を、本能的にそれと悟れるものなのだ。月や星がいかに美しくとも、しょせん太陽と比ぶべくもない。今まであの程度のものを最高だと崇拝していたのか、と恥ずかしささえ感じるであろう。
しかしやはりそれは嘘でも偽りでもない。なぜなら月や星は想像でも幻でもなく、確かにそこに存在している。太陽の光に隠されてはいるが、なくなってしまったわけではない。太陽ほどのまばゆさはないが、今も輝いている。

別に歯科衛生士さんに魅かれていっているわけではない
2003/11/27

そんなわけで歯医者さんにまた行ってきました。
本日は院長先生と治療方針のご相談。って、ヤニ取るだけのつもりだったのに、やはりそれだけではすまないのよね。もっとも虫歯は特になく、ちょっと詰めてあったところが一箇所取れていたぐらいのもの。歯茎もしまっているし、歯並びも良い、だからこそ、前歯を治そうよ、との説得にグラッ。筆者の前歯は片方が差し歯である。
小学生の頃、三分の一ほど欠いてしまい、さらに酷いヤブにあたり全部削られてしまった。失恋が私を恋に臆病にさせたの、というノリで、その苦い記憶が歯医者から足を遠のけさせていた訳だが、今の差し歯に治してくれた医師が結構まともでもう10年以上何の問題もなかった。ただし、色が明らかに違うのだ。本人は慣れ切ってしまっていたのだが、歯医者さん曰く、
「せっかく周りの歯がきれいなのだからもったいないよ、いくらでも今はいいものがあるし、それに随分と磨耗しているよ。」
結局こうなったか、という予想通りのパターン。一応年内に終了させる約束をとりました。そうでないと延々と続きそうなので。大体まだヤニもとり終わってないのだぞ。
それはそうと、歯科助手及び歯科衛生士の方たちは凄いですね。こちらは口を開けたまま、
「ハイショウフヘス(大丈夫です)」
「ヒヒャフハリハヘン(痛くありません)」
等という返事をするわけなのだが、それをちゃんと理解してくれる。あれは感心したなあ。みんなわかってくれない、でも歯科衛生士さんだけがボクのことを理解してくれる、と錯覚しそう。しばらく通うこととなったので、おもろい話があればネタにしよ。

自傷の刃
2003/11/23

サイトをオープンして2週間弱、あまり人来ないなあ。
むらたさん曰く、
「しょせん、自己満足なのだから贅沢言うなよ。大体、リンクする気もなく自己紹介もまともにしてないのだから仕方ないんじゃないの、むしろ予想以上だよ。」との事。
言われてみればもっともな話。ゼロではないから良しとしよう。
ある人の感想で、「随分上から見下ろして書かれている感じを受ける」と指摘された。 ネタとする為に、ある程度は計算してそう書いているが、許容範囲の中であると認識していたのでちょっとギクリとさせられた。人目を浴びる前提なので、かなりマイルドにしているとの思い込みがあっただけに、予期せぬ指摘でもあった。
だが、ちょっと複雑な出来事があり、それを基にある項目を一つ書き上げて後、読み直した時、ああ確かに、と納得がいった。その項目は、筆者の愚かな行為を第三者的な冷静さで切って捨てたものなのだが、読みようによっては他人事を皮肉っただけにも感じられる。かといって、これは自分自身の反省を基に書きました、というのもちょっとおかしい。人はすべてを経験より学ぶ、とは言えないにしろ、多くは自身を唯一の実験材料としてのサンプルにせざるを得ないと思う。つまりほとんどが、人を批判しながらそれ以上に自分を傷つけていることとなる。だがそれは痛ましい行為ではなく、おそらくは自身に課せられた義務なのではなかろうか。傷つける部分は結局腐っているわけで、痛いかもしれないが放置しておけば悪化の一途。ただその行為が自省を促しているとの自覚がなければ何の意味も当然ない。
有難いことにその友人の指摘によって、切っているのは世の中ではなくあくまでも自分なのだ、との初心に帰れた気がする。そしてそれを忘れてしまうと、何の効果も持たぬ言葉の羅列となり、自身の逃げ道、本人のみが居心地良く感ずる幻想としての利己的な城と化してしまうのであろう。
人の行動には必ず意味がある。問題はそこから何かしらを汲み取ることが出来るかがきっと重要なはず。大半をこぼしてきてしまったのかもしれないが。
もちろんそこまで真面目に書いていない項目が多々あり、それらは筆者の勝手気儘な酒の上での戯言のようなもの(飲めないけど)。
戯言は、閉ざされた狭い空間より世を見渡す山椒魚のような視点でしかないのかもしれないが、書いていて面白いのも確かな話。開き直りではあるが、そこは変わらないし、変えないであろう。その愚かさは自覚している。

その名もパニッシャー
2003/11/20

タバコをやめようと思ったことはまだ一度もない。迫害を受けたからといって権力に迎合してはいかん、という訳ではなく、これといった禁煙すべき理由が見当たらないからだ。つまり筆者にとり、利のみを与える素敵な大人の嗜好品なわけなのだが、あえて言うとすれば歯につくヤニであろう。
幼少の頃ひどいヤブにあたり、歯医者はこりごりの筆者は、かれこれ10年はご無沙汰。日に3回は歯磨きをして気をつけていたが、ヤニはどうしてもついてしまう。やむを得ず、意を決して本日歯科医の門を叩いた。
経験者の後輩に感想を尋ねたところ、曰く
「あのですねえ、何ともいえないんですよ、痛いっちゃあ痛いし、チクチク、いやピリピリかな、我慢できると言えば出来るし、あ、我慢できないかなあ、とにかくそんな感じなんですよ。」
結局わかったことは、こいつには物事を伝達する能力が欠けているということのみ。
どんな覚悟にて臨めばいいのかさえわからないまま、歯科衛生士さんに、
「痛いんですか、大丈夫ですか、なんかかなりきついと聞いてるんですけど。」
などという、子供のような泣き言を訴える始末。
しかしながら結論から言うなら、全く平気であった。従来超音波を使用するやり方が一般的であったのらしいが、この歯科医ではパニッシャーとかいう、水とミネラルパウダー(塩みたいなもの)という粉を同時に強烈なまでの圧力にて噴霧するやり方で対応しており、特に痛くもない。しかも保険が利く(利かない場合もあるのだが)。さらに、筆者好みの胸が小さくきれいなお姉さんが治療してくれるというおまけつき。あれだけ歯ブラシでこすっても全く消えなかったものが、あっという間に新品同様。凄いねえ。
一回で終わらせてくれないところが不満ではあるが、まあしょうがない。
もう少し書きたいが、長くなったので続きはまた後日。

NEWS
2003/11/10

最近よく耳にする名だなと思っていたら、なんだジャニーズか。パターンですな。
9人もいるよ、それなら一人ぐらい欠けていてもコアなファン以外は気づかんもんな。一種の危機管理と見た。別に筆者がオジサンだから今頃知ったわけではない。男にとって、男性アイドルなど興味の対象ではないからだ。でもな、女性の気を惹く話題として押さえておいたほうがいいのかな。芸能週刊誌やスポーツ新聞大好きな筆者としてはやはり勉強しておくが無難なのであろうが、一応名前の由来が東西南北から来ていることを学んだのでこれでよしとするか。筆者の年齢なら充分、NEWS通といえよう。
ちなみに本日このサイトがアップされた記念すべき日なのだが、こんなこと書いていていいのかな。

選挙に行こう
2003/11/09

義務ではない、せっかくの権利なので行ってきました。どこに入れたかはナ・イ・ショ、ウフ。そういえばプロ野球選手はFA権を行使する時、「せっかくの権利なので」と判で捺したように言うよね。
閑話休題、今回の衆議院選挙はマニフェストがもてはやされていたが、意味は確か政権公約。何か選挙公約と理解されてしまっているが、まあそんなものだ。でも結局実行がともなうかどうかが総てであり、いつもとなんら変わらぬ選挙なのだが。どうせ守らないんだろうなあ、だって罰則ないものね。となると候補者の公約というのは何なのであろう。つまり有権者は公約を基に票を入れてはいけないこととなる。筆者は別の観点から投票しているが、政治的な話は嫌なのでこれで終わり。今日はプライドの感想を書いたのでもう疲れちゃったもん。

売り物の視聴率を買っちゃった日テレ
2003/10/27

他局叩きの大好きなCXとテレ朝が競い合うように報道しているが、やっちゃった、てな感じなのであろうか。
しかしなあ、日テレも本音は、うちが一番の被害者だ、であろう。得るものがあまりにも少なく、失うものは驚くほどでかい、ハイリスクローリターンの典型。そりゃ会社として指示するにはあまりに不利益な一件なのだが、口が裂けてもそうは言えまい。
このプロデューサーA氏もその損得ぐらいは理解できるはずなのだが、正常な判断が出来ぬほどバランスを崩していたのであろうか。してみると、やはり日テレの視聴率至上主義による弊害となるので、結局は会社の責任となるな。
でもいい番組というのは難しい。評論家がわかったように視聴率が悪くても、もっといい番組をテレビ局は作るべきだ、などというがその基準は実に曖昧。評論家などという怪しげな連中がいいと言う番組など見たかないし、数字を取っている番組も絶対とはとても言い切れない。各々見たいものは違って当然。むしろあまりに偏っている方がある意味怖い。筆者の場合、自分の好きな番組がイコール良質な番組であり、それを譲る気はない。他の人たちも同様であろうが、知った事じゃないのだ。


日本シリーズ第4戦
2003/10/23

大阪のファンが下品なチームと九州の潰れそうなチームが西の方で戦っているが、巨人の来期戦力補強の方が興味深い。
早い話どうでもよいのだ(一応、王さんを応援してはいるが。)にもかかわらず最後まで見てしまった。勘違いしないで欲しいが、手に汗握る名勝負で目が離せなかった、というわけでは全くない。明日ゴルフで朝が早いため、「エ・アロール」と「マンハッタンラブストーリー」の録画予約をしたいのだが、試合が終わらないと時間がわからないからだ。これでは予約の意味がない気がする。あ、またテレビの話か。しょうがない、テレビっ子だから。

振り返れば‥‥
2003/10/20

夕方にリピートで放送していた「振り返れば奴がいる」が最終回を迎えた。
全国で筆者ほど楽しみにしていた人がいたのであろうか、っていたんだろうなあ、リピートとはいえ。
多少石川医師のここに至るまでの精神状態の推移に無理が感じられたが、三谷さんさすがですね、という迫力があり、すっかりお気に入り。しかし両方殺してしまうとはねえ。リアルタイムでの放映時はさぞかし反響を呼んだことであろう。その点、この話題を共有できる人がいない筆者は少し寂しい。何で病状が悪化したのかなあ、司馬医師が途中で無理に購入した機器にあまり深い意味はなかったのかなあ、でも西村雅彦の存在をあのまま放っておくと片手落ちだから、それをラストに結びつけたのはさすがだよね、等という会話がしたいなあ、ああしたい。それにしても鹿賀丈史はいい味出してました。
結局振り返ったら西村雅彦がいた、というオチなのかな。
もしかして物凄くずれた話をしているのかもしれない。何たって10年も前のドラマだから。いや、これを読んで少しでも懐かしさを感じる人がいればそれでよい。
何かテレビの話ばかりだね、このコーナー。でもしょうかないか、テレビっ子だし、ボク。

秋のドラマその後
2003/10/19
  「白い巨塔」が案の定面白い。
唐沢財前についてはもう触れないとして、西田敏行がうまいなあ。キャストやセットからするに結構予算がかかっているように思われる。なんでも以前、TBSにリメークの話が持ち込まれたらしいが、金がかかり過ぎるとのことで実現しなかったらしい。大魚を逸したわけですな。この調子で半年間、20%以上の視聴率を取り続けるのであろうか。
「エ・アロール」が意外に拾い物。恋愛ドラマとしてジジババターゲットの試みというのは正直言うほど斬新なものではないが、演技の出来る役者を揃えられるメリットがある。F1ターゲット中心のドラマだと、この出演陣は設定の都合上、脇役がせいぜい。その点、なるほどと感心させられた。豊川悦司もパターンとはいえ、この手の役柄は上手くこなす。
「マンハッタンラブストーリー」は予想通り、2回目の方がより面白くなっていた。このスロースターターぶりが、クドカンらしい。視聴率はさほど取れなくとも、まとめてみると結果、良質の作品に仕上がっているはず。余談ではあるが、船越栄一郎、見境なくスタッフまで口説くんじゃねえ。松居一代にちくるぞ、会った事ないけど。

振り返れば奴がいる
2003/10/14
有名なのでタイトルだけは知っていたが、見たことがなかったのでリピートが始まると知り早速録画したところ、どこで情報が間違っていたのかすでに第5回であった。なんと三谷幸喜の脚本ではないか。申し訳ないことであった、自分に対してだけど。
病院モノらしく、石黒と織田のダブルキャストでおもしろいぞ。といっても明らかに時期を逸している感想だわね。どうも千堂あきほ(どこいっちゃったかなあ)がヒロイン格で、昔織田裕二と5年も付き合っていたらしい。
ただし、「あなたは自分のことを何も話してくれなかった。5年も付き合っていてあなたのことは何も知らない。」てな発言にはさすがにあきれ果てた。どんな付き合い方やねん、そもそもよく知らない人とどうして付き合うんだよ、とストーリーの前後を知らない強みで、(どこいっちゃたかわからない)千堂あきほに突っ込みを入れて楽しんでしまいました。石黒演じる石川先生に胃がんが見つかりいよいよ佳境(多分ね)、どうなるんでしょうかねえ。
でも次の日会社とかで昨日見たか、という会話ができずにちょっと寂しいリピート鑑賞ですな。

2003年秋の新ドラマ
2003/10/13
  「白い巨塔」が始まった。
嬉しいことに2クールで放映されるらしい。筆者、前作はリピートで見ただけなのだが印象は強烈。田宮次郎はその存在感のみで財前であり、財前はつまるところ田宮なのだ。いや言うまい。唐沢寿明は別に悪くない。いい役者だと思うし、充分に面白い。田宮次郎の財前を知っていること自体が不幸なのだ。そこら辺のこだわりは彼女の昔の男を気にするような些細な問題でしかないので、無視するに限る。いや、やはりそれはそれで気になるか。
「マンハッタンラブストーリー」は宮藤官九郎の脚本なので見なくてはいけない、そりゃいけない。いつも通り初回はいまいちであった。今時小泉今日子もないであろうし、相手が及川光博ではやや苦しい。そもそもラブストーリー自体はおまけなのであろう、適当に書かれている。しかしこの人の作品は回を重ねるごとに面白くなっていくのが常。今回も裏切られることはなかろう。でも松岡君の演技がちょっと心配。
「トリック」は来週から。これは大好きなので見る前からとりあえず褒めておこうかな。

マイフェアレディ
2003/10/12
  一番好きな映画はと聞かれると多くの人は結構困るらしい。意外に順位付けというのが難しく、一つに絞るのが困難なものなのであろう。筆者の場合、高校時代にみた「マイフェアレディ」を挙げることができ、その点はちょっと幸せ。
「世の中には素敵でいい女がいっぱいだけど少しも興味がないよ、ボクには君がいるからね」
といった幸せ独り占め勘違い野郎の気持ちが痛いほどわかってしまう。
作品の概要については別に映画マニアではないし、面倒くさいし、間違えがあり指摘されるのもウザイので省略するが、少々好きなことを書かせてもらう。
そもそもミュージカルに興味はなかった。映画というものは筆者の場合、感情移入して観るものなので、いきなり歌いだされても白けるしなあ、といった程度の認識でしかなかったわけなのだが、実はおもしろいのだ。そんなこと改めていわれなくてもね、とせせら笑う輩もいるであろうが、きっと同じように思って二の足を踏んでいる人もいるに違いないので、そういう人たちを啓蒙するつもりで気を取り直しもう一度言おう、おもしろいのだ。
しかし、当然のことながら、歌が良くなければ問題外ではある。もちろんの事、「マイフェアレディ」の歌はいいですよ、本当に。有名な歌ばかりなので、おそらくは耳にしたことがある馴染みの曲も多いのではなかろうか(筆者の場合がそうであったので、勝手にその前提で語っているのだが)。
ただし、歌が好きでこの映画を推しているわけではない。ここで描かれている男と女の関係が好きなのだ。いばりん坊で傲慢で男が一番、いや自分が一番と信じ込んで疑わないヒギンス教授と、そんな教授を好きになりその勝手さに愛想を尽かしながらも結局は戻ってきてくれるイライザ。
そうなのです、非常に都合の良い話ではないですか。男と女、どっちが偉いかなどといった観点ではなく、男ってそんなものなのだから勘弁してよ、という筆者の持つ男女観に見事符合しているストーリー。バーナード・ショーの原作では教授がイライザを失うこととなるらしいのだが、そこはそれ、やはり戻ってきてくれないと納得できないわけで、筆者の肥大した自我を実に心地よく包み込んでくれる内容へと脚色されているのです。
女を拾い、金をかけて面倒を見る、一つ間違えば「プリティウーマン」のごとく低俗なヒヒ爺映画となってしまうところを、言葉遣い、礼儀作法、服装、所詮は人間に違いはなく、それを取り巻く環境のみが世間の評価の対象とされているという皮肉が作品を上質なものへと仕上げているのでしょうか。
映画化される前、舞台にて大ヒットした作品なのだが、その時イライザを演じたのがジュリー・アンドリュース。ヘップバーンは頑張ったが急に上手くなるはずもなく、歌の部分は吹き替えであった。そのせいなのか、あるいは世間の同情票を集めたからなのか、この年のアカデミー賞主演女優賞は皮肉にもジュリー・アンドリュースが「メリーポピンズ」で獲っている(ヘップバーンは候補にもあがらなかったとか。)彼女はこの後「サウンドオブミュージック」などで更に名を上げていくわけだが、「マイフェアレディ」映画化時点ではワーナーも不安があったのであろう。確実に当てるにはヘップバーンという選択はまあ、仕方のないところ。作品賞や主演男優賞はレックス・ハリスンが取っていることを考えるとちょっと露骨かな。ここら辺は有名な話であるので、多くの人が知っているであろう。
映画しか観ていない筆者にとってはヘップバーンで何が足りないのか、という感想である。そりゃ、確かに歌はあまり上手くなかった(DVDにはヘップバーンの歌がボーナストラックとして入っている)が、彼女以外のキャスティングは筆者にとって逆に受けつけそうにない。花売り娘からレディへの変身、いい出来じゃありませんか。敢えて言うのなら、設定より一回りは上というヘップバーンの年齢ぐらいなもの。さすがに三十路半ばで娘は苦しい。かといって「ローマの休日」の頃では多分別の問題が出てくるのであろうが(実は「ローマの休日」の時のヘップバーンの年齢でも設定よりは既に上)。とにかく色々あるものですな。
筆者はフレディがイライザを想い歌う「君住む街で」がお気に入り(これも吹き替えらしいが)。
逢えるまでずうっとここで待っている、ちっとも苦にはならないよ、だって君の住んでいる街なのだから。
恋をするとまさしくこのような気分になるものなのだ。もっとも今日、それをストーカー扱いされてしまうのは明白ではあるが。
ヒギンス教授役のレックス・ハリスンは素人目にも文句なし。1000回以上演じているとはいえ、まさしくはまり役。この作品、そもそも嫌らしい登場人物がいない事も筆者好み。何回観ても幸せな気分になれる映画です。

コーヒーハウスにて
2003/某月/某日

宗教上の理由にてアルコールを飲まない(大嘘、飲めないのです)筆者にとって、コーヒーはとても大切な友達です。
喫茶店でも9割がたは一言、「ブレンドを」とコーヒー以上に渋く言い放ちます。
先日いつものように注文したところ、苦味、コク、香りのどれになさいますか、と意表をつく質問を浴びせられた。確かに店によってはマイルドと苦味の強いもの、といった種類を用意している場合もあるのだが、香りってなんだろう。
そもそも香りというものはコーヒーにとり不可欠であろうし、では香りのよりよいものという意味であるのなら、当然最初からそうしろよ、となろう。大体香らないコーヒーなど金をとって出すものであろうか。めちゃめちゃ聞いてみたかったのだが、あれこれと考えているうちに結構時間が経ってしまい、早く言えよ、とのウエートレスさんのかわいい視線に耐え切れなくなり、苦味の強いやつ下さいと注文してしまった。
しょせん香りやコクは比べようがないし、酸味が強いのは嫌いなので、結局この選択肢しかなかったわけだが、自分の気の弱さにちょっと自己嫌悪。神様がもう少し筆者に勇気を与えたくれたなら、しっかりと聞けたものを。わずかな躊躇があの人への告白をためらわせたあの時と似ている。いや、ノリで書いちゃったけどそんな体験ないか。
新宿の、仕事をちょっとさぼって寄った小さな喫茶店での出来事。
いやこれも嘘、大きな喫茶店だった。小さい方がイメージ的に良いのだけれど。