|
|
| 外国で暮らす上で大切な要素の一つに、言葉があります。言葉を超えた理解とか友情というものもありうるのでしょうが、日々の生活ではそうもいっていられません。スーパーでのクレーム(レジの間違いはしょっちゅうある)、電話でのやりとり(万事について予約制なので電話は避けられない)など一つひとつは小さいことでも、日常生活をスムーズに送る上で言葉が果たす役割は大きいと、つくづく思います。 私の英語力は、中級の上といったところでしょうか。どちらかというと読む方が得意ですが、1対1の会話ならなんとかやりとりを続けることができます。でも、小学校のお母さん同士のおしゃべりといったネイティブスピーカーのグループの中に入ると、会話のスピードに付いていけないし、たとえ何を言っているか分かっても、口をはさむ余地がありません。寡黙な英語バージョンの私と、言いたいことをぽんぽん言う日本語バージョンの私とのギャップが明らかにあります。 |
| この二面性は、6歳になった娘も持っているように感じています。小学校(日本人はただ1人)にいる時は静かで大人しい性格なのに、日本語を話す友だちと遊ぶ時はとても活発です。最近ようやくちょっとずつクラスメイトと会話を交わせるようになってきましたが、住み始めて2年半たった今でも、言いたいこと、感じていることをスムーズに口に出すことが、英語ではまだまだ難しいようです。文法を理論としては学べない年代なので、3人称単数の-s、theやaの使い方、複数形と単数形など、まだよく分かっていません(「a toys」のように複数形と不定冠詞を一緒に使ったりする)。 ただ、すでに音として聞き取る力ときちんとした発音の力はかなりあります(確実に私より上)。「ママ、じろじろ見ることって、英語でなんて言うか知ってる? staringだよ」「どうしてそんなこと分かるの」「だって、みんな使ってるもん」といった感じで、一つひとつ、状況や使い方から新しい単語を修得していっているようです。昨年の1年生の時の懇談で「移民の子は、7歳になったらぐんと英語力が付くわよ。だから大丈夫」と先生がおっしゃっていたのもあって、むやみに心配せず、あと1年見守っていこうと思っているところです。 また、英語が母国語でない子供のためのプログラムを週に3回受けています(クラスの授業の途中で抜けて受ける)。1回20分の授業で、ゲームや歌、プリントなどを通して日常的な英語の使いまわしや単語を修得していくというもので、とても楽しいそうです。 |
![]() |
| 英語だけでなく、日本語も母国語としての修得過程なだけに、あれこれとつまづく箇所があります。英語と日本語で概念が違う単語、例えば「行く」「来る」とgo、come (「ごはんよ〜」と言われたら日本語では「今行く〜」となるが、英語ではI'm comingなので、「今来る〜」となってしまう)、「はい」「いいえ」とyes, no(「まだ部屋を片付けていないでしょ」と聞かれて、片付けていない場合、日本語では「うん、やっていない」なのに、否定文の時にnoを使う英語につられて「ううん、やっていない」となってしまう)など、混乱することがあります。 日本語の語彙数も日本の同年代の子より少ないと思います。最近分からなかったのは、「すかすか」「記念」「障子」でした。また、外来語はたとえ語源が英語でも理解が難しいようです。例えば日本のビデオを見ていて、「サンキュー」という言葉が出てきても、thank youとはつながらず、「さんきゅーってなあに」と聞かれた時には、なるほど、確かに違う音だからなあと、妙に感心してしまいました。あと、「〜ちゃんがこういったの、明日遊びにおいでって」という英語的な構文でしゃべることが多くなってきました。日本語なら通常、「〜ちゃんが、明日遊びにおいでって言ったの」となるのが自然な気がしますが、これはまあしようがないか、といちいち注意していません。 |
|
今、心掛けているのは、英語については、いろいろな文章、単語に触れるようにしていることです。図書館に1カ月に一度は行って、絵本を5册ほど借りるようにしています。あれこれ何を借りようか迷う時間も、娘の楽しみのようです。絵本とはいえ、私が知らない単語や発音があいまいなものが結構あるので、なるべくその場で辞書で調べるようにしています。抱き締めるという意味のcuddle、しかめ面をするというfrownなど、娘の絵本を通して私が覚えた単語はたくさんあります。こういう単語は日常生活でよく出てくるものなので、覚えると便利なものが多いです。 ただ、英語の文法上のルールをあれこれ教えるということはあえてせず、家ではなるべく日本語できちんと話すように努力しています。日本人家庭なので当たり前のことのようですが、つい英語の単語がまざったりしがちで、なかなか難しいことなのです。幸い娘は今のところ、英語の単語を使った時に「それって、日本語でなあに」と聞くと、面倒がらずに日本語で言い直す努力を続けてくれています。また、日本語の本を毎晩少しずつ寝る前に読み聞かせています。物語りの楽しさをわかちあう、という本来の読み聞かせの目的だけでなく、語彙を増やすこともねらっています。本には、日常の会話では使わない、けれど日本の子供なら自然と身につけるであろう単語が結構出てくるからです。 |
コンサートの時に夕焼けがきれいだったので、夫が撮影。 |
|
海外母子留学、幼児英語教育など、英語熱がどんどん日本で高まっているようで、「苦労せずにバイリンガルになれるからいいね」と、日本の知り合いからよく言われます。日本で日本語に囲まれていると、言語の修得というものが膨大なエネルギーを要するものであり、それゆえにいかにはかないものであるか、がピンとこないのは当たり前のことでしょう。でも、娘の苦労を知っているこちらとしては、「はい、そうなんです」とにこやかに返事をすることができません。 英語圏に住んでいると、たとえ親が日本人でも、小学校高学年にもなると、英語に接する時間の方が多くなるために、子供たちにとっては英語で話す方が楽になってくるようです。住み始める前は、「親が日本語なのに、子供は英語の方が強くなるなんてそんなばかな」と思っていましたが、子供はある程度成長すると、親より友だちから吸収するようになってくるものです。実際に、親は日本語で話し掛け、子供は英語で答えるという日本人親子を一度ならず目撃したことがあります。そんな一人が「私の英語がそんなに上手じゃないから、お友達のお母さんと英語でやりとりする方が楽しいみたい」と話すのを聞いた時、私は娘と日本語でおしゃべりしたい、と思ったのです(その方は別にそれでいいような口ぶりだったけれど)。 |
|
一番心配しているのは、日本語も中途半端、英語もネイティブには劣る、という結果になることです。言葉というのはたんにやりとりのツールではなく、人格形成上の文化的アイデンティティだと思うからです。自分を日本人と思うか、あるいは別の国の人間と思うかということは、どの言葉で自己表現を一番容易にできるかということです。それなのに、どちらの言葉も母国語として修得できなければ、自分っていったい何人?という深刻な問題を抱えることになってしまうこともありえます。 特に日本語の場合、漢字という大きな難関があり、しゃべれるが書けない、読めないから語彙が少なく、母国語としては習得できていないというのが典型的な日本語挫折のパターンです(小学校4年生レベルが壁らしい)。 親の勝手でニュージーランドに連れてきた娘に英語と日本語の両方を押し付けるのは、エゴであるかもしれません。それに、子供の言葉の修得に関して考え過ぎなのかもしれません(自分には経験のないことだけに)。でも、娘が法律的に日本人であることはまぎれもない事実です。そして夫と私は、たとえある程度知識として欧米におけるマナーや価値観、考え方を知ってはいても、日本人として自分の中に培ってきたものしか伝えることはできません。日本語を大切にして、日本人として育っていってほしい、でもニュージーランドでの生活にも馴染んでいってほしい、と欲張りな願いを娘に託して、悩みつつ、一緒に勉強している日々です。 |
2月22日には同じくオークランドドメインで、これまた毎年恒例のテディベアピクニック。子ども向けの出し物があれこれあって、娘は大喜びでしたが、暑かった。。。 |