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| デイライトセービング(日本でいう「サマータイム」)が3月21日に終わりました。夏の間、1時間早まっていた時計を元に戻すと、「ああ、秋がやってくるのか」としみじみしてしまいます。今年は2月の悪天候を補うように、3月中旬から好天が続いてくれたとはいえ、オークランドの秋、そしてさらに冬は雨が多く、陰うつな天気が続きます。ただ1時間遅くなることで、朝7時でもまだ夜明け前だったのが、同じ時刻に起きるとすでに明るいのは、ちょっと得した気分です。「時間」という絶対的な存在に思えるものでも、こうやってある日を境に早くなったり、遅くなったりして、結局人間が決めた相対的なものに過ぎないのだなあ、と毎年このデイライトセービングの切り替えの日には、ちょっと哲学的な気分になります。 そう、物事には絶対的なものというのは、あまりないのかもしれません。日本に住んでいたころに当たり前だったことが、日本独特の習慣だったり、文化だったり、暗黙の了解だったりしたことが、日本から離れることによって明確に見えるようになってきました。その一方、ニュージーランドに来たころはびっくりしたり、新鮮だったことにだんだん慣れてきて、気付くと自分も染まっていたりします。 |
| 例えば、夫の仕事が忙しく、10時、11時まで帰ってこないという女性がいたとします。日本にいたころの私なら、「大変ねえ。でも会社ってそういうものだもんねえ」で終わっていたでしょう。でもこちらでそういう話になったら、「そんな仕事はやめたほうがいいよ」となるはずです。とにかく、人生の優先事項はまず自分を含めた家族なのです。夕食は家族そろって食べるもの。子供は7時か8時には眠らせ、あとは夫婦の時間としてゆっくり過ごします。「付き合い」で飲み歩くなんてことは、夫婦としてあるまじき行為です。時にはベビーシッターを頼んで、夫婦でパーティーや2人きりの外食、さらには旅行なんかも楽しんだりします。 そのため、こちらでは残業はしません。急な仕事が入らないよう、なにもかもきっちりとした予約制です。土日のショッピングセンターは6時にはしまるし、個人店なら日曜日は今でも休業です。サービスに関してのレベルは、日本よりずっと低いのです。でも国を挙げての優先事項が家族なのですから仕方ありません。これがいやな人はお金をもっと稼ぐために国を出ます。そのために国民の流出率は非常に高く、その抜けた分を移民がおぎなっているのです。 「家族第一主義」が徹底しているこの国では、経済的に家族を養うだけの「姿の見えないお父さん」は認められません。なにより重要なのは、家族で過ごす時間だからです。ただ日本が、家には寝に帰るだけという「お父さんたち」の労働のお陰で、今日の経済的繁栄を獲得しているのも確かです。 ・5時にはたとえ出来ていなくても仕事を切り上げ、夕食は家族一緒に食べ、夜は夫婦の時間を過ごす。 ・自分に与えられた仕事を責任持ってやりとげ、そのために帰りが遅くなり、子供の寝顔しか見られず、夫婦の会話もほとんどない。 どちらがいいか、悪いかではなく、双方とも「そういうものなのだから」と思い込み、その思い込みを必死に果たそうとしているのではないかと思えてなりません。もちろん様々な人がいて、みんなそれぞれの考え、生き方を持っているわけですが、それでも国によって小さいころから刷り込まれた「あるべき姿」というものが、確実に存在するのではないかと考えるようになっています。 |
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| キウイが家族を大事にする、という点は、ともすると日本より優れた家族像のようにとらえられがちです。もしキウイの家庭で日本の会社員のような仕事ぶりを続けていたら、まずは転職を迫られるでしょうし、それが無理なら非常に高い確率で離婚となるでしょう。家族像の理想が高いというのは、その実現も難しいということなのか、ニュージーランドの4世帯に1世帯は片親の家庭だそうです。母子家庭に対する社会福祉が充実していて、離婚に踏み切りやすいという背景があるのは確かですが、それでも日本の約1%という片親率と比べると、結婚そして離婚について、2つの国で大きな意識の違いがあるのは確かです。 |
| 一方、こちらに来てから「いいなあ、見習いたいなあ」と思うこともたくさんあります。例えば、人のために何か自分ができることをする、というのが当たり前の風潮です。例えば2月に北島南部では大洪水があって、道路や農場、畑、民家などが破壊され、総額1億ドル以上という大きな被害が生じています。その被害者への募金がたった2週間で350万ドル寄せられたと報じられていました。それも日本のテレビ局のように「愛は地球を救う!」という絶叫ではなくて(今でも放映されているのか知りませんが)、「大変なことになったから、なんとかできる範囲で協力しよう」というのりなのです。スーパーのレジの前にいつも置いてある募金箱がささっと、洪水被害者用に変わっていました。 とにかく募金活動がとてもさかんです。動物愛護、障害者、難民、ガンでも小児ガン、乳ガンなどなど、あらゆる団体から募金の依頼が毎日のように郵便箱に入っていて、全部律儀にやっていたら破産まちがいなしです。だから、できる範囲で、自分が協力したいものを選んでいきます。 この「自分ができること、やりたいことで人を助ける」という発想は、学校のPTA活動にも共通するように思います。いろいろな行事で毎回、「どんな短時間でもいいから、あなたのできることがあれば、書き込んで返信してください」という手紙が配られます。日本ならたぶん、役員が与えられた業務をもとに、クラスごとに役割分担をして(押し付けて?)いくと思います。そしてその方が、与えられた仕事をこなすという意味では効率的でしょう。ニュージーランドでは、あくまでもやりたい人、できる人が担当する、というスタンスなのです。 私は今、週に1回、娘の通う学校で、英語が第二言語である子供のための英語レッスンのボランティアをやっています。英語がネイティブでないのにだいそれた、という感じですが、そのときほかに募集していた制服売店の店番、バザー用手芸作品の製作などの中で、一番私が興味を持って取り組めるものだったので、思い切ってやってみることにしました。そして最初のガイダンスの時にまず担当の先生に言われたことは、「様々な学校への援助の方法がある中で、これを選んでくれてありがとう」でした。 |
我が家の庭のフィジョワの実。熟して、毎日ぼとぼと落ちてきます。酸っぱくて、独特の香りがあり、こちらに来てから知ったおいしさの一つ。 冷蔵庫にいっぱいになってきたので、そろそろジャムを作ろうと思っています。 |
| この仕事があるから何人集めるという日本の発想と、何人集ったからこれをやるというニュージーランドの発想。どちらにも長所、短所があります。日本方式だと、「どうして忙しい私がこんなことをしなくちゃいけないの」と不満に思う人が出てくるでしょう。一方のニュージーランド方式の欠点は、学校の活動への参加意識がない親が多い学校では、行事も不活発にならざるをえない、という点です。特に貧しい地域では、生活するだけで精一杯という保護者が多くなります。 |
| 日本より地域ごとの貧富の差が明確なこの国では、本当に道を一本へだてただけで雰囲気ががらっと変わります。公立の場合、校区制を導入している学校が多いので、家を買う際には、どの学校の校区かが重要な要素です。その学校選びに役立つのは、ERO(Education Review Office)という国の機関による学校情報です。ニュージーランド中の学校の情報(人種構成、長所、短所、どんな点に力を入れているか、先生のレベルなど)をインターネットで知ることができます(http://www.ero.govt.nz/index.htm)。 その中でもdecile という数値は、日本ではありえない情報だなあと思います。これは、保護者の経済状況をサンプル家庭から抽出して算出した10段階(10が一番高所得)の数値で、ようするにその学校の地域が金持ちか貧乏かが分かるというものです。以前に、decile1の学校の「歯ブラシをさせる」という取り組みが新聞に紹介されていました。歯ブラシさえ子供にさせる余裕や知識がない保護者が多いのが、decileの低い地域の実情なのです。 原則として義務教育の間の学費は無料ですが、この国では「寄付金」と称して学校へ支払うお金があります。decileが低い学校は国からの補助金が多くなるので、保護者が学校に払うお金はほとんど無料となります。一方、decileが高くなればなるほど、親の関心も高くなるし、寄付金も集りやすくなるので、充実した教育が受けられると人気が高くなります。 |
2月の大風&大雨でぼきぼき折れてしまいましたが、まだまだがんばって咲いている我が家の玄関先のコスモス。 |
| 外国に住んでいると、ことあるごとに疑問に思ったり、びっくりしたりすることにぶつかるものです。そうやって日々、一つひとつ経験を積み重ね、それがどういうことかを考えて、自分なりに理解していく、ということが「郷にいれば郷に従え」ということにつながっていくのでしょう。これは、日本の考え方、物の見方を捨ててしまう、ということではなくて、せっかくこうやってまったく違う価値感の国に住んでいるのだから、幅広く、柔軟なものの見方ができていければいいなあ、そんな生活を楽しんでいければいいなあと思っています。 |