イエス様が福音を伝えられる時は、非常に多くの人が集まって来ました。それは、イエス様が、人々の悩み・悲しみ・病など、全て問題を解決して下さるからです。 たとえ死の谷の道を歩んでいる者でも生きる希望を与えて下さいました。今日は、ガリラヤの湖みに絶望した漁師が、イエス様を向かい入れた時に、どのような 人生に変化されて行ったかを確認致しましょう。そして、「あなた自信」を当てはめて自分も変化したいと望むならその通りになると信じて下さい。あなたの信仰通りになります。イエスさまの御名により祝福いたします。



  所で、ガリラヤの湖に一人の絶望した漁師が居りました。彼は一晩中網を投げて働きましたが、一匹の魚も取れなかったのです。 網の中には、魚の変わりに、海底のゴミが引っかかり網は破れる一方です。それに、姑は病気で寝込んでいて、治療代も必要です。妻子も養わなければなりません。 ペテロは幼い時から漁師のこどもです。魚を獲ること以外の仕事の経験はないのです。しかし、漁師の仕事は安心:安定はありません。毎日、魚が捕れるか捕れないかは、 その日の運で、天候と魚まかせです。ですから経済的にも不安定な職です。今日も一匹の魚も捕る事が出来ませんでした。彼は、ため息をつきながら、川岸で舟を洗って、 破れた網を繕っていました。彼の頭の中は家にいる家族と病の床に伏している姑の事ばかりです。そこに、イエス様が群集に押し迫られて、川岸に寄せてあったペテロの舟に 乗りこまれました。そして、ペテロに「少し湖に漕ぎ出して下さい」と言われたのです。ペテロは櫓を握って漕ぎ出しましたが心はうつろで、群集の姿も叫び声も 耳には入りません。イエスさまは舟から群衆に向かって話し始められました。無気力なペテロも、”イエス様のみことば”に耳を傾けました。すると心が段々 イエス様に奪われて行ったのです。
 

いつの間にか、今朝の魚が一匹も釣れなかった事も、家族への心配も、生活への不安も、みんな忘れていました。 「さっきまでの心配と悩みが、すっかりなくなって、この世の重荷が取り去られた「カラッポの舟」になりました。 イエス様は言われました。「舟をつかわしてもらって有難う!ペテロよ。今すぐ舟を深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を捕りなさい。」と言われたのです。ペテロは「ハット!我に帰りました。 ”そうだ!”今朝は、一匹の魚の収穫もなかったんだ。家族はお腹をすかして待っているし、姑は・・・・・どうした良いんだ!」現実に返りました。 「イエス様、この事は、私のほうが経験者なのです。今はもう日が高く、魚は捕れません!」彼は頭を振り振り言いました。”ダメ”です。と言ってイエスを振り向いた時、 澄み切った目の中に「沢山の魚が捕れるから、早く網を下ろして見なさい。」と優しく目でさとして下さいました。でも、ペテロは言いました。 「先生、私達は夜通し働きましたが、何に一つ捕れませんでした。でも御言葉通り、網をおろしてみましょう。」 と言って、ついに、自分の経験を捨ててイエス様の命じられた”深みに”網をおろしたのです。するとナント驚くがばがりの魚が、網に一杯〜、 網は今にも破れそうです。自分の舟だけでは入りきれません。仲間の舟も呼びました。その舟も魚がいっぱいです。「 奇跡です 」神様の奇跡が起こったのです。 ペテロは大漁を手にして、気付いた事は、自分が罪深い人間であると言う事でした。誰でも、神様の前に立てば、自分の姿が現れるのです。彼は、罪責感で一杯になり、イエス様の足元に平伏して、 「主よ!私のような者から離れて下さい。私は罪深い人間ですから」と言いました。この時、イエス様は「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは、 人間をとる漁師になるのです。」と言われました。ここに、私達の学ぶべき教訓があるのです。
 



  人生を舟にたとえるなら、人生を幸福の喜びのない「 カラッポの舟 」としてもっている人が多いです。人生を営みながら幸福もなく、喜びもない”カラッポの舟” 事業を失敗した人、愛を失っている人、物事を否定的に考える人、何をしても恐れと不安が付いて来る人、裏切られた憎しみを持ち続けている人は 祝福を失った呪われた”カラッポの舟”なのです 今、あなたがどの「カラッポの舟」に乗っているのでしょうか?神様が人を創造された時には、全ての神様の祝福が、ひとりひとりの舟の中に溢れるほどに積みこまれていました。 しかし、神様に背を向けて反逆した為に、エデンの園から追放された後の人生は、いただいていた祝福がなくなり「栄光に輝いていた舟が、沈没寸前のカラッポの舟」になっていったのです 。一生懸命に働くのですが、「カラッポの舟」を満たす事が出来ません。更に熱心に働いても、努力くしてもいつも”舟はカラッポ”です。それは   
ミカ章6章13節〜15節

私もそこで、あなたを打って痛め、あなたの罪の為に荒れ果てさせる。あなた方は食べても満ちたりず、
あなたの腹は餓える。あなたは、移しても、のがす事が出来ない。あなたが、のがした者は、私が剣に渡す。
あなたは種を蒔いても、刈る事がなくオリーブをしぼっても油を身に塗る事がない。新しいブドウ酒を造っても、
ぶどう酒を飲む事が出来ない。

私達が神様に反逆し、水を飲むように罪をおかし続けているので、どんなに働いても、何時もまでも "舟はカラッポ" です。あなたの心が、生活が何時も空しく,寂しく、不安と悲しみが何時もついて回るようになるのです。でも、 "カラッポ舟"には一杯の荷を積みこむ事が出きるのです。ではどのようにすれば"カラッポ舟は"に,良いものを一杯に積みこむ事が出来るのでしょうか? ペテロの"カラッポの舟"の問題が解決されたのはペテロの舟にイエス様が入ってこられたと言う事です。そして、ペテロはイエス様の 言葉通りにした!と言う事です。イエス様を聖書で知っていると言うのではなく「信じる者に働く神様の力を実践する事により体験した。」と言う事です。 思いもよらない神様の奇跡を体験をしたのです。神様の新しい世界が開かれたのです。私達もイエスキリストを空っぽの舟に迎え入れなければなりません。 私達もただ御言葉を聞くだけの人で有っては何も期待できなし、「空っぽの舟」の問題は解決されません。勇気をだして、神様に全てを明渡すのです。 所詮、あなたがどんなに額に汗をして、人の倍働いて蓄え様としても・・・穴のあいた袋に入れるようなものです。絶対にたまらない。安心も安定も持てません。 サア!御言葉を実践しましょう。実践する人でなければ、生きて今の働いておられる,神様を体験する事は出来ません。ペテロのように,自分の今までの生き方を捨てて 正しく導いて下さる、イエス・キリストを救い主と信じて勝利の《 輝く幸福の舟 》になられます様に、主イエス・キリストの御名によりお祈りいたします。アーメン。
 


こんな事でと思わないで気楽に話し合いましょう!リラックス!リラックス!私達は神のフアミリーです。

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