「生と死」の問題は、
竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』、禅の諸公案、聖書の言葉などが対応する。
時代の最先端、即、古代の復活・・・「両極端の一致」・・・
という『弁証法』の法則の好例であるとも考えられる。
竜樹についていえば、謎の言葉と思われがちな
『行きつつあるものは、行くことができない』
は、
「落下しつつあるものにとって、重力は存在しない」
の一般相対論における宇宙船内の無重力状態体験の先取りともいえる。
この観点からは、
『死につつあるものは、死ぬことができない』
が、不可避的に導かれる。

『知識の世界』と『行為の世界』とを峻別する竜樹の世界観は、
「シュレーディンガーの猫」の背理にも新たな視点を与える。
箱の中の猫の「生死」について、観測者が全く知らないのであれば、
蓋を開け、猫の生死を観察、「見るものと見られるもの」との
[作用・反作用]条件が成立するまでは、
猫は『生・死の重ね合わせ状態』にあると考えることが、むしろ、健全な常識となる。
本来、生と死は、同一物なのであると思われる。