Mephistopheles von Muenchhausenの生い立ち
その壱(結構リアル・バージョン) ![]()
その弐(中途からパロディ・バージョン) ![]()
その参(かなりパロディ・バージョン) ![]()
さてさて、吾が輩ことメフィストフェレス・フォン・ミュンヒハウゼンが、如何様(いかよう)にしてこの世に生を受け、どのように暮らしてきたかを紹介させていただくのがこちらの小部屋でございます。そして、以下は吾が輩がご先祖様の生涯にございます。まずは簡単ながら、そちらも説明させていただきたく存じ上げますワイ。
いま明らかになる!
Hieronymus
Karl Friedrich Freiherr von Muenchhausenの生涯。
こちら、ヒエロニュムス・カール・フリードリヒ・フライヘーア・フォン・ミュンヒハウゼンなる、ちと長いお名前をお持ちである吾がご先祖様。そもそもは北ドイツを流れますヴェーゼル河のほとり、ボーデンヴェルダー(ハーメルンの南にある街)を所領にもつ貴族を根源としているようでございます。手前味噌で恐縮でございますが、かなりの由緒を誇る家柄だそうでして、日本語では“土豪”なる言葉が適切かもしれませぬ。十二世紀にはすでに“ドイツ列侯名士録”なる書籍にその名が記されているそうでございます――というのは吾が輩のほらでして、ただの古文書ではございますが、吾らが一族の始祖たる家の名が残されているのは事実でございます。
やがて一門は『黒系』『白系』と二派にわかれ、ミュンヒハウゼン家は『黒系』であるボーデンヴェルダー=リンテルン家の流れをくんでおりますわい。もちろん、現在に至るまでミュンヒハウゼン家は絶えることなく続いておりまして、ご先祖様のほかにも十九世紀にハノーファーの宰相をつとめ、ゲッティンゲン大学の創設に尽力したゲルラッハ・アードルフ・フォン・ミュンヒハウゼンや、現代では吾が輩ことメフィスト男爵を含めまして、国内外で栄えある一族の血を脈々と受け継いでいるのでございます。
さて話を戻しまして、ご先祖様は1720年5月11日生まれ。あのようなお方でございますから、幼少時における逸話もさぞかし事欠かぬほどあるのでは、などと考えましたが、残念なことに我が家に伝わる日記や覚書のたぐいにも、存外ごく普通の、子供なれば誰でもという程度のたわいのない記述しか散見できず、こちらにてご披露するほどのものではございませなんだ。して少年期に差し掛かりますと、騎士道のならわしに則(のっと)って、所領の東にあるブラウンシュヴァイク公の宮廷に出仕いたしました。つまりは貴族としての修行のようなものでして、吾らがミュンヒハウゼン家は貴族といえど階位は男爵。ですのでブラウンシュヴァイク公のような大貴族(公は公爵の公。王の次に偉いのですぞ)のもとで、貴族としてのマナーや社交上でのお作法、ならびに騎馬術や武術の鍛錬などを、親元を離れて実地体験で学ぶのでございますな。これは中小の貴族の子弟であればかならず通る道でございまして、なにもドイツに限った事ではございませぬ(ちなみに上の絵は、ご先祖様が地球の中心にて、ヘパイストス神&アフロディテ神ご夫妻に拝謁したおりの図でございます)。
さて、ご先祖様十八歳になりますと、ブラウンシュヴァイク公のご子息アントン・ウルリヒ公子が、めでたくもロシア帝国の皇女アンナ・レオポルドヴナ嬢とご結婚なされまして、はるばるロシアに婿入りする事とあいなりました。ご先祖様、これは見聞を広めるのにまたとない好機と随臣をば願い出て、公子とともにロシアへと向かったのであります。
ご先祖様はロシアにてブラウンシュヴァイク騎兵連隊の旗手を拝命し、のちには中隊指揮官に昇進いたしました。ご先祖様の武勇伝のうちでもっとも有名な逸話、カノン砲の弾丸に乗って空を飛ぶことになるトルコ遠征譚は、ちょうどその頃の話でございますわい。
されど、それからロシアには宮廷革命の嵐が吹き荒れまして、あわれウルリヒ公子はシベリアへ配流されるという奇禍に遭われました。ところがご先祖様、世渡りがよほど巧みでありましたのか、あるいはそのお人柄が気に入られたのか、権力を掌握した女帝エリザヴェータのもとに留まることとなりました。最終的に、ロシアでは騎兵大尉にまで昇進し、昇進の半年後には二年の賜暇を得て帰郷され、以後そのまま所領から離れることはなかったということでございます。それがご先祖様三十歳のことでありました。
領地にての毎日は、森に出れば狩猟、屋敷にいれば気のあう仲間と心ゆくまでの歓談と、それはそれは優雅な暮らし向きであったそうでございますわい。これがお亡くなりになるまで続けられたというのですから、なんとも羨ましい限りではありますが、そこは吾が輩のご先祖様。晩年にいかにも彼らしい逸話を残してくださいました。
ご先祖様、七十歳を越えたところで長年連れ添いました奥方を亡くされまして、老いの日々に無聊をかこつ事とあいなりました。しかしご先祖様、そこで塞いでばかりではおりませなんだ。なんと十七歳の小娘と恋に落ち、あろうことか七十四の身空でこの娘と結婚までしてしまったという次第。情熱的といいますか好色といいますか、まことに驚くやら呆れるやらでございますが、これがまさしくご先祖様の命取りとなってしまいましたのです。
相手は退役少佐フォン・ブルンが娘のベルナルディーネ。この娘はかなりの毒婦でございましてな、もう金遣いは荒いわ浮気はするわで、ご先祖様の身辺にはまさに爆竹が弾けるかのようにスキャンダルと金銭トラブルが破裂いたしました。そのうえ、離婚しようにも今度は多額の賠償金をふっかけられましてナ。すったもんだの末に訴訟を終えましたご先祖様は、疲労困憊の態で息を引き取られたそうでございます。あのご先祖様にしては、ちと物悲しい最期ではありますな……。
参考文献:岩波文庫「ほらふき男爵の冒険」ビュルガー編
/ 新井皓士 訳&
ミュンヒハウゼン私設書庫諸文献&ご先祖様の秘蔵の日記etc.....
1999.9.29 (C)Mephistopheles von Muenchhausen