No.2 信念と執着について HOME
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前回は「幸せについて」ですが、今回は、私が考えている信念と執着について、書かせて貰います。「幸せについて」では、自分を知ることが願望実現の早道だと言わせてもらいました。実際のところ、自分を把握するのは中々カンタンではありませんが、いろいろやって自分なりの姿をなんとなく見つけることができたら、きっと願望実現は上手く行くという話をさせてもらいました。 もし、これを読まれて、なにか気づきを見つけられた方がいましたら、これ以上の喜びはありません。 |
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自分とは? |
まず、初めに自分とは何者か?という疑問に関して考えると、「一つのアイデア」として、
「宇宙の創造物である」
という前提で出発します。これは、他にもいろいろな考えがあると思いますし、私もすべてを知っている訳ではないのですが、私が読んだ本では、だいたい共通している概念かなと思っています(他にもあるかもしれませんが)。
宇宙の想像物としての私は、一体何者なんでしょうか?
ここでは、こんな風に考えます。
宇宙は、すべてであり、神であり、意識である。そして、それは「愛」といわれる概念である。
よって、私は、すべてであり、神であり、意識であり、愛であり、
同時に創造者である。
全て=神=意識=愛
というのが 「宇宙の創造物」=「すべては一体である」という考えの基本なのかなと、私は考えています。
言葉で書くと、直接は イコール ではないように感じますが、要するに全て源を同じにする存在であり、創造者であるという考えです。
私はこの「アイデア」を取り入れています。
執着と懇願 |
人が現実を創造する力を保有しているとするなら、ある願望について懇願するのは、間違っているということになります。
懇願とは、自分以外の誰かに何かに訴えることです。相手が人であれば、まぁ、願いが通じるかもしれません(効果的とは思えないけど)。
懇願する場合、その事自体が現実的で合理的でないと、相手は納得しないでしょう。ところが、そんな合理的なことなら、懇願すること自体あまり意味がありません。
合理的に解釈可能な問題であれば、それは既に解決策が分かっていて、なにをすればよいか、はっきりしているからです。その上で無理やり外部に働きかけるのが懇願ではないでしょうか?
結局、まだ実現していな願望に対して懇願という行為は、意味がなさそうです。
そこで、まだ実現していない願望を実現しようとするなら、懇願するという心的態度より、自らの現実を想像する力を使うような態度の方がよいとは思いませんか?
では、ある願望を是非とも叶えたいと思ったとき、そこに至る道や、どのように行動してよいか分からない場合、どうすればいいのか?
無論、懇願では上手く行かないでしょう。懇願する明確な対象も存在しないでしょう。
すべてが一体であるという認識から懇願をとらえるなら、それは、自分以外の何者か(=創造者としての自分)に、願望が実現していないことを宣言し続けることになるからです。
執着の一つの現れが「懇願」ではないでしょうか?
つまり、執着=懇願している状態 または、
執着=自分と自分以外の何かに分けて捕らえている
なんですね。願望自体は正しいのに、執着になっては、中々願いが叶わないと思います。
願望実現するためには、主体と客体の一致が必要だと思います。
願望において、何かに向かって「〜して欲しい!」っていうのは、無理があるということです。
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信念 |
信念とは、心に中に、はっきりと願望が現実したイメージを持ちつづけることができる、心の状態です。
そのためには、情報が必要です。情報には、自分の心に溶け込める、正しい情報が必要です。この情報を集める行為が日々の生活なのです。
日々に生活の中に、あらゆる情報がちりばめられていて、その中から自分にとって必要な情報を集めるのです。
信念を持ちつづけると、その人にとって良い情報が集まってきます。良い情報が集まると、信念が深まります。この循環が願望実現のプロセスの一つだと考えています。
イキナリ願望が叶うことは、あまりないでしょう。それは、たまたま一杯情報を心に持っていた人が、たまたま、その姿をリアルにイメージできたから、短期間で実現したのかもしれません。
願望はあっても、願望に関する情報が乏しくて、どうしたらいいのか?いつ実現するのか?分からなくて、不安になる人もいます(私もそうですが・・・)。
不安になるのは、情報が足りない証拠=信念が足りない証拠 です。
願望を思ったとき、不安になるなら、不安をなくす情報を集めることです。これは、単に外的な情報だけでは、補えません。自分の心の中にも気づかない情報が一杯あります。
これらの外的、内的、な情報のバランスが上手くとり、自分の心を納得させ、願望を抱きつづけると願望は実現するとおもいます。
ここでも、自分を良く知っていて、自分の心への動機付けが上手くて、自分の心に溶け込むイメージや感情を上手く選択して心をコントロールできる人が、願望実現可能な人だと思います。
必要な情報を探すには、自分がどんな心の持ち主か良く知らなければなりません。
繰り返しますが、自分を知るということが大切なのです。
どう実現するかは、千差万別です。その人にピッタリ合う方法で実現すると思います。
しかし、どう実現するかを考えても、なかなか分かりません。そのようなことを考えるよりは、自分を知り、自分に必要な情報を集め、なによりも、日々の生活に注意深くなることが大切です。
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願望実現 |
目の前の現実に集中して、やるべきことをやる。良くない出来事も注意深く観察する。良い出来事の意味を考えてみる等・・・ 結局願望実現とは、多くの人が実戦している現実的な行為に他なりません。
学校で成績を上げたければ、「勉強すること」これが一番効果的です。「どんな参考書をつかって「どんな方法で効果的に勉強するか?」これは、その人が工夫する部分です。
心にテストで良い点を取ったイメージ等を信念として抱きつづければ、学習効果は上がります。
この心的態度は、単なる心の動機付けだけでなく、実際に学習効果が上がるような情報をキャッチして、心の中で育て現実にテストの結果として反映されるでしょう。
「なんだ、当たり前のことじゃないか」と思われるなら、まったくその通りです。
ただし、心に抱いた信念があらゆる点でその人をサポートします。この部分では、大きな差が生まれます。
意味のある、偶然も起きます。
逆にいえば、「自分でもどうすればよいか分かっていて、やるべき事のメッセージをちゃんと受け取っていながら、それをしないで、信念でなんとかしようとしても無理でしょう」
実際には、「手段や方法」については、よく知っている場合が少なくないのではないでしょうか?それができないのなら、「心にできた壁」を取り除く必要があると私は思います。
それから、信念における、具体的なイメージは、外的な現象そのものをイメージしても意味がありません(経験済)。願望が叶ったときの現象だけをイメージすると、「微妙な現実を受け取る(笑)」ことがあります。
外的な現象だけにこだわったイメージは、本来自分が望んだ願望とあまり関係ないからです。
願望は心の内的な感情であって、それを体験できる(いくつも存在するイメージの一つを)具体的にイメージすると、それはある種の限定になり、正確性を失います。
よって、願望が叶った状態をありありとイメージすると言っても、あまり外的な映像の現象にこだわると、本来の願望と一致しないケースがあると思います。
「願望」 は 「映像」 ではありません。
つまらない映画を見ているようなイメージでは心を動かすことは難しいと思います。
ということで、イキナリ信念を抱こうと思う前に、自分の心を観察して、
自分を知ることが大切だと思います。
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ここまで読んでくださった方に感謝します! ありがとうございました! |
ここに書いたことは、今の私の考えであって、こうでなければならないということは、一つもありません。大切なのは、あなたの考えと感じ方です。それがすべてを方向付けています。
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