No.3 自由になろう HOME
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なんだか、HPを立ち上げてからは、色々思うことが、湧き出てメモするのが大変になってます。私はなにか、感じたり思ったことはノートに書きしるしているのですが、最近ペースが上がってきたような気がします。ということで、今回のテーマは自由について、私なりに考えてみます。 |
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自由じゃないといけないの? |
自由になるまえに、なんで自由でなければならないのか?これ、私には答えが出ませんでした。そりゃ、自由がいいに決まっている。でも「なんで?」って自分に問うても分かりませんでした。
そこで、ピーンと来たのが、「愛」というキーワードです。前回、自分=全て=神=創造者=意識=愛 と書きました。そして 愛=自由 ではないかと思ったのです。
私が愛そのものだとしたら、私は自由なんですね。
では、なぜ、私は愛なのか?愛=意識=創造者=神=全て=自分 と言う風にぐるぐる循環してしまいます。
で、これはリクツではなく、そういう指向性が私たちに初めから与えられている。ということではないでしょうか?
つまり、基本的な性質として、あらゆるものは拡大するようにの働くわけです。
私たちの心は拡大します。愛も拡大します。善も喜びもなにもかも、全てが拡大するように
動機付けられていると思うのです。宇宙もまた拡大しています。
しかし、悪が拡大すると、自滅します。
これは、とても不思議です。完全に宇宙が均衡ならどっちに拡大してもよさそうなものなのですが、直感的にマイナスと感じる事については、拡大できないのです。暴力が拡大したら、戦争が拡大したら、憎しみが拡大したら・・・きっと拡大し続けることはできないでしょう。
良いことしか拡大しないような仕組みになっているとしか思えないのです。
だから、「なんで、自由がいいのか?」なんてことに、答えはないと思います。
私は、「宇宙の創造物である」 ゆえに、私は愛であり自由である。と考えると、自由という一種の指向性は、もうほとんど、疑いもなく、私自身ということになります。
自由になろう |
さて、私は自由そのものだとしたら、本当に自由なのか考えてみる必要があります。
得に、自分自身に対して自分は自由だろうか? と考えると、
あまり自由ではない気がします。
自由とは、「なにものとも取引がない」状態であると考えます。
そう考えたとき、「自分は自分に対して取引してないか?」
と思うわけです。まぁ、普通、なにか物を買うときはお金を払ったりして取引するわけですが、
心の中で自分と取引していないか?観察する必要があるとおもいます。
自分に取引するような制限を設けずに、心を自由に保っているか?
自分の心を見つめてみたいと思います。
もし、誰かを好きになったら、もし、何かに興味をもったら、もし、困難に直面したら・・・
私は心を自由にできるだろうか? そんな風に思いました。
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成長が最大の喜び |
私が自己分析ノートや気づきのメモを通じて、分かったことは、「私は成長したいのだ」ということです。
勉強、仕事、趣味、健康・・・あらゆる面で成長したいと思ったのです。
成長こそ自由を勝ち得たときの最高の喜びです。この喜びは一生飽きることはないでしょう。
なにかを学ぶことは、成長することであり、喜びであり、自由そのものだと思うのです。
それどころか、きっと、究極的には、自分には成長しかありえないのでしょう。
できれば、早く成長したいですね。あらゆるものは、拡大するのですから、より早くより大きく拡大できれば、それは大きな喜びに繋がります。
この喜びこそ、自分自身の発見に繋がるのだと思います。
願望とは、自分自身を構成する複雑な網の目の結節点のようなもので、多分、どんな願望も、それ自身は単なる願望でしかなく、願望を達成するプロセスの中(ミクロ的な視点)と、複数の願望(マクロ的視点)の両方に自分自身を見つけるチャンスがあるのかなと思います。
一番望ましい人生は、沢山の願望を叶えて、多くの喜びを得て、自分自身を発見し続けることなのかもしれません。
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やっぱり・・・ |
苦悩から、多くを学ぶことは困難です。
苦悩から気づきや成長を得ることはあると思いますが、それ以上に失うものが多く、喜びと自由から程遠い状態だと思います。
かつて、私たちの先輩方は多くの苦悩を通じて、この社会育んできました。この苦悩は、決して無駄ではなかったし、苦悩でさえ、すばらしい成長をもたらすことに、人間の素晴らしさを感じずにはいられません。
しかし、もう苦悩から自由なってもよいのではないでしょうか?
TVでは不況に苦しむ人々が多く紹介されていますが、なんとか、自由と喜びに満ちた社会になるよう、願って止みません。
私にできることは、なんなのか、なにか役に立つことはできないのか?
そんなことを、最近考えてしまいます。一人一人の意識と行動が社会全体を変えてゆく力になると思います。私は、まだまだ、非力ですが、私なりにできることから、考えてゆこうと思います。
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他者との関係 |
自由とは、自分以外の誰からも自由になることだとすると、
誰かを好きになったとき、その誰かに、「こうして欲しい」、とか、「理解して欲しい」 というのは、まさに、取引であり、自由ではありません。=愛ではありません。
もし、自分の自由が相手の行動や考えに依存してしまうのなら、これは、完全に相手の奴隷になっていることになります。
好きな人、仕事の同僚、片思いの人、嫌いな人、あらゆる人から自由になるべきだと思いませんか?
まず、どんな人間関係であっても、自分が自由でなければ、正常な関係とは言えないでしょう。
特に恋愛で、相手との関係で苦悩を感じるなら、まずは、自分の心を自由にするところから、取り組む必要があります。
自分の心が自由になった状態で、相手を見つめたとき、自分の本心、相手の本心がわかるでしょう。
自分が自由になったとき、相手との関係性を見つめ、「役に立たない」と感じてもなお、相手から離れられないのなら、「依存」していることになります(というか、自由になっていない)。
好きな人がいて、「告白できない」なら、それも、相手によって自分の心の自由が奪われていることになります。
会社の上司と上手く行ってなくて、その思いから自由になれないのなら、それも同様です。
問題の解決は様々ですが、結果として「自分の心が自由」にならなければ、解決したことにはなりません。
そして、ほとんどの場合、他者=多謝(ちょっと洒落です(^^;) という図式が、問題解決のキーになると思います。
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ここまで読んでくださった方に感謝します! ありがとうございました! |
ここに書いたことは、今の私の考えであって、こうでなければならないということは、一つもありません。大切なのは、あなたの考えと感じ方です。それがすべてを方向付けています。
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