12CEPSIと東アジア建設コスト情報収集
10月31日(土曜日):1日目
出発の日が来た。あいにく若干の小雨模様である。成田発午前11時のJL717。少
なくとも9時半に空港に着いていれば余裕である。東武東上線nrms駅を6時半に出発した
が、池袋で丸の内線の連絡が妙に良すぎて、東京駅には、7時15分頃に着いてしまった。
成田エキスプレスの発車時刻は8時である。少し損した気分だ。本を読む。
成田に9時に着く。JALのカウンターはKかL。チェックインして、楽しみにしてい
たビジネス専用の待合いロビーに行く。私の場合、帰りのチケットもJALなので、同じ
エコノミークラスの値段で自動的にアップグレードされる。ビジネスクラスのシートで行
くことができるのだ。行きのチケットをkksi部の△さんが一括予約した人は、残念ながら
エコノミークラスである。ビジネスクラスには、いろんな特典があるが、この専用待合室
を使えるのもその特典の一つである。セルフサービスのコーヒー、紅茶、缶ビール、トマ
トジュース、すべて取り放題である。おつまみのスナックなぞは、2、3個、ぽぽんとバ
ッグの中へ放り込んでしまった。すばらしい。ここは眺めもいい。
機内へ乗り込む。広い。シートに足置きがある。これはいい。疲れない。手すりから自
分専用のテレビが出てくる。拍手ものである。目の前でメグ・ライアンが絶妙の演技をし
ている。可愛い。
スッチーはまあ、ふつう。これは、エコノミーと区別がない。食事は豪華。あまりにお
なかがいっぱいになったので、最後のデザートは断った。通路を挟んで隣の人がワインを
3杯飲み干した。この2時間後、彼はトイレで嘔吐していた。昔の私を見るようである。
しかしながら、当社らしき人は誰もいない。ここまで全くの一人旅。こんなんでいいの
か?ま、いっか。たぶんこの飛行機で間違いないはずだ。
タイのドン・ムアン空港につく。35分遅れて現地時間の午後3時40分到着である。
時差は2時間遅れなので、6時間40分の旅であった。
12CEPSIのスタッフがあちこちにいる。「こちらです。」と特別ルートに手招き
するが、いい加減なので、空港税関の人に呼び止められているひとが多数いた。あ、この
人、当社の人間だなと匂いでわかる人が数名いた。間違いない。これでなんとかなる。
12CEPSIのシャトルバスが出る。案内はタイ人女性である。早口の英語でバンコ
クの交通渋滞について語る。2.5kmを2時間かかったことがあったそうだ。これを解消す
るために市内の交通インフラ整備が進めれてきたが、アジア通貨危機でストップしている
工事が多数ある。今回の出張の前半の目的は、その工事現況を調査することにある。詳し
くは、本当の報告書に記すことにしよう。
パタヤまで車で、2時間半かかる。タイの高速道路の乗り心地は、最悪である。日本の
村道でも、あんなアンデュレーションは出せない。あの微妙な振動が大いに体力をむしば
む。明日は、また、その高速道路を戻らなくてはならない。
バスは、Dusit Hotel に着いた。当社の他の参加者は,Royal Cliff Hotelに宿泊
予定である。私は会場に近いのがよいと思い,予約の際にDusit Hotelを指定したのだった。
チェックインも一人である。
くたくたである。e-MAILを接続確認し、2、3のメールを打って寝た。
11月1日(日曜日):2日目
今日はいろんなことがあった。
起きたのは、7時半。日本時間の9時半だ。体内時計は、まだ、日本なので心地よい目
覚めである。朝食はバイキング形式。うまそうなタイの料理は、胃腸を弱らせるので、一
応パス。ただし、ハマチみたいな刺身があったので、一つだけ食べてみた。(下痢になっ
てもまだ時間があるとの判断から。)ぎりぎりであった。二度と生魚は食べないぞ、と。
さて、今日は、registrationとPattayaへの移動がメインである。うまくいくかどうか。
昨晩、Dusit Hotelについた時には、まだポスターセッションブースの建設中(!)だっ
た。昨晩は徹夜だろう。なぜなら、あの状態から今日の9:00に準備開始できるようにするに
は、並大抵ではないはずだ。「ポスターセッションの準備は11月1日の9:00から18:00ま
でにお済ませください。」な〜んて案内に明記してあったんだから、タイ電力公社の意地に
かけてでもブースを完成させるだろう…。
甘かった!
できていない。まだ、床を張っている。おばさんは掃除しているが、どう見ても右のも
のを左へ掃き、次に左のものを右へ戻しているだけのようだ。こりゃ、3時間や4時間の
話じゃないぞ。焦った。今日はなんとしてもバンコクに行かなければならない。困った。
ま、とりあえずregistrationでもすっか。ええと、配布された資料には、「受付は、Dusit
room7」と書いてある。つまり、Dusit Hotelにある7号室だね。これは私でもわかる。
ない。Dusit room 7。あ、二階か。(どこにも案内がない。自力で探し当てた。)
「My name is S-----A-------.」受付にいた女性三人がそれぞれ一斉に私の名前を探
し始めた。おいおい一人さがせばいいだろう。などという英語はすぐに作文できるはずも
なく、じっと待っていた。「はいこれ。」と、渡されたのは、厚さ15mm位の論文集5冊
と、それを持ち運ぶための合成皮革製の通勤カバン!こんなもん、どうせいっていうんじ
ゃぁ!しかも、こんなガラでぇ!思わず苦笑だが、プライドの高い彼らには、見せてはい
けない。閃光一過、満面のJapanese Smileである。「T,T,Thank you!!.」速攻で部屋に運ぶ。
さて、ポスターセッションのブースは?
できていない。当然である。しかし、GEやIBMはプレゼンの準備を強引に始めている。
負けてはいられない。しかし、私のポスター場所は、場所さえ、ない。番号が飛び番にな
っているのだ。この辺になってくると、もう、驚かない。
関係する窓口へクレームを付けに行った。もちろん英語だ。
「おい、てめえら、11月ついたちの9時から18時までってぇから、こちとら、来たく
もねえ、パタヤくんだりまで来てやってんだ。だってぇのに、まだ、ブースの建て方の真
っ最中たぁ、どういうことだい。おてんとうさまが、海に沈んじまう前にタイは首都であ
るところのバンコクに行かなきゃなんねぇんでぇ。この際、白黒はっきりつけてもらおう
じゃねぇかい。おうおうおう。」
実際は、「When can I start preparation?」こう言った。ま、とにかく、言った。
「私じゃない。」第一声はこうであった。TKDR株式会社じゃあるまいし、そんなこ
と言うか?といいつつも、結局、責任者を紹介してくれて、「じゃ貼っとくよ。」と、責
任者。なんだ、いい奴じゃん。私はすぐにポスターを持ってきて渡した。かえって来たと
きちゃんと貼ってあるかどうかはミモノである。
よし、バンコクに戻るぞ。まずはタクシーである。2700バーツ(約8100円)もした。
当然である。ミニバスしかなくて一人で乗ったのだ。ま、いいか。
「どのくらいかかるかねぇ?」腕時計を指さしながら、英語の得意でない運転手に聞い
た。運転手はルームミラーで私を見て、何かチャチャチャイうんぬん言った後、急に車の
アクセルを踏み込んだ。時速は、95km位である。急げっていうんではないぞ、おいおい。
でも早いのは、いいなぁ。パタヤまで、170kmであるが、道中、2件の交通事故を見た。
ハイウェイに直径1mの穴もあいていた。私は、すんでのところでかわした運転手の反射
神経に拍手を送った。なんとか目的のホテルに到着である。
バンコクシティは良いところである。来週の月曜日に会うU氏に夕方連絡をとり、会っ
た。41歳のパワフル企業人である。やり手だ。飯を食って饒舌になり、お互いの夢を語
った。楽しかった。じゃ、またと別れる。体は幾分疲れている。メールを接続できないま
ま寝る。午前1時就寝。
11月2日(月曜日):3日目
7時に起床。バンコク市内の工事現場視察の日である。回れるのか不安だ。
昨晩の通信接続がうまくいかない理由がわかった。PattayaのDusit Hotelでは、9発信
でCityCallに繋いでから001+81-3-3501-****だが、ここBel Aire Hotel では、19発
信でIDDに繋いでから001であった。(しかし、11月3日にPattayaに戻ったら、19
発信に変更されていた。いい加減である。)
昨晩は少し寝不足だ。部屋の横にビル全体の給水器のポンプがあるようで、一晩中ブン
ブンとうるさかった。JALの耳栓が役に立った。この品目は野口悠紀夫の超「旅行」法
のリストにも記載されていない。新たに書き加えるべきである。(もっともそういう場合
は、クレームをつけて部屋を変えるように彼は言っている。)JALビジネスクラス支給
のスリッパ、安眠マスク、耳栓、待合室のおつまみは強力な味方である。
タイはとにかく汗をかく。5、6分クーラーのないところにいると、額に汗が吹き出て
くる。ハンカチは必需品だ。着替えのアンダーシャツも通常の倍は必要である。対照的に
部屋の中は、クーラーが効きすぎて寒い。ホテルの部屋では、寝る前にガンガンに冷やし
ておいて、寝る寸前にoffにするのが良い。ホテル全体が冷えているので朝方でもそんな
に暑くならないのだ。
工事現場の視察は、思っていたより順調に進んだ。予定していたバンコク市内の工事現
場が意外と近いところに集まっていたのだ。視察の内容は、本当の報告書に記すことにす
る。
バンコクの中心地に戻ってきて、土産を買う。Jim Thompson という店だ。タイシル
クの専門店である。最高級品が並んでいる。日本人が多い。さらに、来週、月曜日にチェ
ックインするモンティエンホテルを下見に行く。良いホテルだ。
飯を食って自分のホテルに戻る。特にバンコクに用事がなくなったので、明日はすぐに
チェックアウトして、Pattayaに戻ろう。あのボコボコハイウェイをまた戻るのだ。午後
のセッションだけでも出よう。あ、それから、あの責任者が私のポスターを貼ってくれて
いるかどうか。それもミモノだ。
疲れは少し。Pattayaで少し休息がとれるか?しばらく移動がないのがうれしい。メー
ルチェックして、就寝1時。
11月3日(火曜日):4日目
今、Pattayaへの帰路、車上である。Mr.Ananという、タイ人の運転する車に乗ってい
る。運転は荒い。市内でバイクとちょっとだけ接触(!)した。バイクの兄ちゃんはこち
らを見て睨んだが、Ananはお構いなしである。
それにしてもタイ市内の交通渋滞はひどい。市内の交差点で5分くらい動かないことな
どザラである。市内の交通網が発達していないことが原因の一つであることは前にも言っ
たが、もう一つの原因は、暑いことであろう。暑いと外に出たくない。人はクーラーの効
いた車でdoor to doorで移動するのだ。金持ちの子供はベンツで登校。一人一台、運転手
付きである。渋滞するのも当たり前である。気候が暑くて、ある程度経済の発達した国で
は、渋滞するのだ。
highwayに入ってからは順調である。現在、Ananは150km/hrまでスピードを上げて
いる。すると、その時、警察のねずみ取りチームが道路の脇から出てきて「おいでおいで」
をしている。スピード違反の取り締まりだ。しまった。捕まったか?急いでいるのに。
この国の警察はへそを曲げると大変だと聞いている。今、現金で2000bt(約6000円)し
か持っていない。やばい。賄賂も効かないかもしれない。
するとAnanは私の心配をよそに、何事もなかったように無視して飛ばし貫き通した。
いわゆる「ぶっちぎり」である。おおお、感動である。現場ではねずみ取りに捕まってき
ちんとお叱りを受けている人も居たのに、Ananは勇敢にもぶっちぎったのである。警察は
追ってこない。たぶん彼らのパトカーよりもAnanのアコードの方が速いのかもしれない。
それとも彼らは最初から外国人目当てなのか。とりあえず「おいでおいで」をして、止ま
れば「みっけもの」、徹底的に金をふところに入れる。きっとAnanはそれを知っている
のだ。私がタイ語を話せれば聞き出せたのにと、残念至極である。また、今日も日本では
考えられない出来事に遭遇した。
その間にもダンプがわざと幅寄せしてきたり、急ブレーキの乗用車と追突しそうになっ
たり冷や冷やものである。果たしてPattayaに着くことはできるのであろうか?
一昨日、Pattayaからバンコクに向かったとき、2回の交通事故を見たと書いた。どち
らの事故も中央分離帯に突っ込んでいたり、路側帯にはまっていたりと、自分からそれて
いったような事故だ。その原因がわかった。無理に追い越そうとするのである。
タイでは、日本と同じ左側通行であるが、前の車を右から追い越す方法と、左の路側帯
から抜かす方法のどちらも大変ポピュラーである。右から抜かそうとして中央分離帯には
まる場合は、ダンプのおもしろ半分の幅寄せが原因になることが多い。一方、左から路側
帯を使って抜かす場合に特に原因となるのは、バイクが突然こちら側に向かって、路側帯
前方に現れることである。つまり、バイクの右側通行である。恐怖以外のなにものでもな
い。
その昔、免許は売られていたそうである。だいたい500btくらい。だから、農村部に行
くと、未だに標識もろくすっぽ読めないドライバーがたくさんいるのである。
Ananがまた、アクセルを踏みこむ。メーターは160km/hrだ。相変わらずアンデュレー
ションは最悪である。
Pattayaにつく。Ananと別れ、すぐに建設中だったブースに向かった。私のポスターは
一部の紙がはがれていたが、取りあえず貼ってあった。まあ、良いだろう。すぐに修繕し
た。はさみはやはり必要であった。
夕方、Royal Cliff HotelでのCultural Nightに参加した。パーティである。Dusit Hotel
がパタヤの湾の北端なら、Royalは南端である。会場全体に金がかかっている。スポンサーは
SIEMENS、ドイツのメーカである。いいのか、こんなにバブリーな飾り付けなんかして。
タイ式子供ボクサーの演舞がまず披露された。次に、タイの古式豊かな舞踊。インドネ
シアで見た奴と同じ、これもまあ、おもしろい。3番目に収穫を祝う舞踊。どう見ても高
校の演劇部以下である。つまらない。しかも長い。BGMは8小節のリピートで、しかもこ
れが30分以上なのである。主旋律はギター。玉川カルテットにしか聞こえない。疲れが
どっと出てきた。
最後にバナナの葉でできた小さい船にろうそくのような火をつけてプールに浮かべる。
精霊流しのような雰囲気だ。11月最初の満月の日、タイの人は仏に祈りを捧げる。お祝い
をするのだ。船の中には、自分の髪を入れるのだそうである。
突然、花火が上がる。1尺玉はない。小さめだが、低い位置で破裂するので結構見られ
る。歓声が上がり、ステージのコーラス姉ちゃんも見上げながら歌っている。
さあ、帰ろう。Dusit行きのバスに乗り、部屋に帰り資料整理。1時就寝。
11月4日(水曜日):第5日目
7時起床。今日は無料で各電力関係のサイトに行けるTechnical Visitの日である。
私はコジェネレイション(通称:COCO)の建設工事地点を選んだ。日本から送るfaxの申込
書にチェック欄があるのだ。12CEPSIでは、5つのTechnical Visitを用意していた
が、土木工事を見れるのはこのCOCOだけである。他の当社社員は、一人も居ない。それどこ
ろか日本人も一人もいなかった。
それより昨夕見つけた新しい看板が気になって仕方がない。「Technical Visitに行く人は、
11月2日の13時〜17時、11月3日の9時〜12時までの間にRESISTして、
クーポンを受け取ってください。」私は、その時間はバンコクにいた。予約なんかしてい
ない。昨夕、スタッフの女性、それも結構やり手のキャリアウーマン風の人に事情をはな
したところ、「It's too late.」と一蹴された。なんと冷たいのだろう。他人には厳しい
のか。昨晩のパーティで当社の仲間に相談したところ、大丈夫でしょう、と慰めれたがど
うなることやら。
午前8時にバスがDusit Hotelを出るという。とりあえず行くしかない。7時45分く
らいから皆が集まり始める。わいわいがやがや収拾がつかない。OK。相変わらずいい加
減なチェック体制である。これなら潜り込めそうだ。
「Technical VisitのCOCOはこっちですよ。COCO―NUTSは木の上ですぅ。(笑)」
と、看板にぞろぞろついていく。バスに乗ってやれやれ。ここまで来て降りろとは言わな
いだろう。
すると、添乗員がクーポンを集め始めた。いやな汗が出る。
「持ってないんです。」「あっ、そう。後でチェックするよ。」あっさり引き下がった。
「おう、余ってるからやるよ。」2、3個前の席のシンガポール華僑がピンクのクーポン
をひらひらさせている。周りから笑い声が起きる。お礼を何度も言った。ツアー添乗員に
してみれば、クーポンの数が問題で、誰が乗ったかはあまり重要でないのだ。枚数で、1
2CEPSIからのお金が決まるのだろう。添乗員が「あっそう。」と華僑からクーポン
を受け取り戻っていった。それにしても有り難かった。その華僑によれば、仲間のひとり
が急にゴルフに行ったのだそうだ。
現在、9:15。まだバスはDusitを出発しない。1時間以上すでに行程遅延である。相変
わらず時間の観念は薄い。
1時間半遅れでCOCOに到着した。視察中はVIP扱いである。パトカーの先導がある。
話によると、警察官をこのような私的な警護で呼ぶと、1人500bt(約1500円)くらいだ
そうである。これに、白バイやパトカーのガソリン代が加わるのかもしれない。
COCOの説明に出てきたエンジニアは常にコストの話をしていた。「顧客のニーズに
応えて」を連発する。客の第一のコスト意識がここには根付いている。丸紅がこのプロジ
ェクトの仕掛人だからだろうか?現場の様子も、タイの町中で見た現場と違い、一様に整
然としている。
タイ人は本当にいい人が多い。私が一人でツアーに参加しているのを知っているのか、
皆が声をかけてくる。セーターを着ていれば「寒いのか?」、目が合えば「おまえは日本
人には見えない。タイ人か香港人だ。」と気を使っているし、現場の写真を撮っていれば
「撮ってあげましょうか?」と、男女を問わず聞いてくる。タイの仏教は小乗仏教なので、
自分が現世でいいことをしないと涅槃に行くことができないとされている。それに対して
大乗仏教は、文字通りみんなでひとつの大きな船に乗って涅槃へ行きましょうというので
あるから、他人に良いことを自分で積極的にはしようとしない。ここが違うのだ。
タイ人は良い人が多いが、華僑は(クーポンくれたりして)いい人なんだけど、どうや
らちょっと趣が違う。先ほどクーポンをくれたシンガポール華僑とランチのテーブルを共
にした。仲間同士でリサイクルの話をしている。クーポンおじさんが聞いてきた。「おまえの
会社では紙屑とかどうしてるんだ。問題になっているだろ。」「10年くらい前から“オ
フィス町内会”という組織を作って再利用のシステムを確立してるぜ。ほら、さっきあげ
た私の名詞もリサイクルペーパーでできているんだ。」「でも、高いだろ。」「そりゃ、
まあ、だけど環境のためにはねぇ。」
彼らの信じられないのはここからである。「タイに持ってこようぜ。シンガポールドル
とバーツの為替差益でなんとかなるだろう。ほんの数百km船で持ってきてポイだ。」
タイに来て、タイの緑豊かなレストランで、タイ料理を食しながら、タイにゴミを持っ
てくる話をしているのだ。信じられない。デリカシーに欠けるというか何というか。
あきれながら、昼食が終わった。終了予定時間よりちゃんと1時間半遅れていた。やれ
やれ。
夕食は日本料理の「赤門」へ。月山さんという店長に会う。またくるねと約束した。1
時就寝。眠い。疲れはピーク。
11月5日(木曜日):第6日目
7時起床。いよいよポスターセッションの日である。どんな質問がくるのか興味津々で
ある。昨日買っておいたリポビタン(15bt)を飲む。時間があったので、英文で書いた報
告文の復習をした。ま、どうにかなるか。気合いと笑顔と真心だよな。
9時半。タイ人の夫婦が来る。これは何だ、あれは何だ、といろいろ聞いてくる。LN
Gタンクの屋根の作り方に特に興味があるらしい。写真を全部説明した。 Air raising
にはやはり驚いていた。奥さんはふーんふーんと頷いている。会議に奥さん連れで参加
する人が多い。特にマレーシア人と香港人。インド人もいたか。奥さんは全員英語ぺら
ぺらである。
10時。タイのEGATの偉そうな人が見に来る。この人はLNGタンクよりTEPC
Oのことについて聞いてくる。「ピーク電力はいくつだ。」「水力は?やってるの?」
「火力発電はkwあたりいくらで発電する?」「タイの何十倍だね。」「今度いろいろ
教えてくれよ。」私は、「いつでもここに連絡してください。」と名刺を渡した。本当
に連絡してきたらどうしよう。
10時半。香港電力公社の建設部長級の人が来る。富津についてよく知っている。LN
Gが冷たいこともよく知っていて、Vaporizer のことも知っていた。「スペシャルな技
術だな。」「そうですね。」「おもしろいね。今度香港に来ることがあったら是非俺に
連絡してくれ。香港の発電設備を見せてあげるよ。はい、名刺。」至極友好的であった。
香港料理はおいしいと聞いているので、なんとか行きたいものだ。
昼前、無事セッション終了。疲れた。しゃべりっぱなしだった。
ざっとブースを回る。イスラエル人は商売がうまい。パンフレットを差し出すタイミン
グが絶妙である。TEPCOのブースは?誰も見ていない。当社の社員が暇そうにしてい
る。あああ。なんだかなぁ。
午後はまじめにセッションに参加。英語のプレゼンはやはり理解しにくい。皆ほとんど
パワーポイントである。今回のセッションのために、12CEPSI事務局では、
presentation testing roomを用意し、パソコンを何台も並べていた。その辺の力のいれ
ようは大したものである。ただ、後半ともなると、ソリティアで遊ぶタイ人が目立ってきたが。
夜は、こちらで知り合ったHKRK電力のEさん、当社2人の合計3人で海鮮料理を食べに
行った。おいしかった。部屋に帰ってきてゆっくりしている。仕事関係のメールが入って
いる。現在午前2時半。そろそろ寝なくては。
11月6日(金曜日):7日目
12CEPSI最終日。7時半起床。朝飯をいつものレストランで食う。野菜中心の食
事を心掛けている。バイキング形式なので、とりあえず取りすぎてしまうので困る。今日
もコーヒーでしめた。
毎朝の恒例であるが、ウェイターがクーポン持っているかどうか聞いてくる。その度に
私は説明しなければならない。朝、しばらく目が覚めていないので、説明にも苦労する。
「チェックインしたときに受け取ってない。朝飯は宿泊に含まれてるはずだ。私の部屋番
号はこれ。チェックしてみてよ。」いつもは優しく説明するが、4回目ともなると思わず
語気も荒くなる。チェックしてきてOKだと言う。
食事のあと調べてところ、フロントがチェックインの時に出し忘れていたことがわかっ
た。レストラン側のミスではなかった。フロントのMr.Preechaが新しくクーポンを発行
してくれた。明日、朝、彼らに謝ろう。
タイ人と一緒にと仕事をするときには、決して叱りとばしては行けないのだそうだ。叱
ったあと、彼らはふてくされて全く仕事をしないらしい。プライドが高いのである。
日中、プログラムに従って興味のあるプレゼンを聞きまくる。さすがにフィリピン電力
公社総裁のプレゼンは良くできている。しかし長い。15分の持ち時間で30分はなしま
くっている。フィリピンは2000年の13CEPSI開催国だが、こりゃぁ、2年後も
行程遅延気味の総会になるのかもしれないぞ、と。
つぎのプレゼンはEGAT(タイ電力公社)の偉い人だ。昨日、私のポスターセッショ
ンでお金のことをいろいろ聞いてきた人である。プレゼンの内容は「EGATのIPP戦
略について」である。しっかりした英語で静かに力強く語りかけてくる。聴衆は聞き入っ
ている。終わった後の質問も人一倍多い。切り返しのユーモアも大したものだ。日本人の
会社トップにこんな切れる人が居るか?ソニーくらいか?
午後、自分のポスターをチェック。特に変わったところはない。昨日、私のポスターに
名刺が挟んであった。チェンマイのコンサルである。そこに書いてあるhandy phone
numberに電話をかけてみた。「ああ、それはいいんだ。Mr.△に連絡をとりたかっただけ
だから。」KKSI部のトラブルメーカーの名前がここでも聞かれた。
展示ホール内の雰囲気は、ちょうど幕張のPCエキスポのような感じである。各会社の
ブースに行って、窓口の営業マンに片っ端から話しかけてみることにした。改めて見ると
色々な会社が参加していることがわかる。ケーブル会社、エンジニアリング会社、タイの
石油公団、GE,EPRI,丸紅、三菱重工業、東電etc。オーストラリアのケーブル会社
に、「このケーブルメートルあたりいくら」と聞いたら、だいぶ悩んで「USドルで2ド
ルだ」と答える。こっちも高いのか安いのかわからないので、うーむと悩んだふりをして
いると、「沖縄電力にも入れさしてもらってまっせ。」とでっかい熊みたいのが口を挟ん
でくる。「それにsnowの加重も考慮してるんでっしぇ!」「オーストラリアに雪あんの
かよ。」「あるさ。」と、熊。私は思わず「いやこりゃ失敬。」と笑顔でかわす。あとで
別のオーストラリア人に聞いたら、「very few」だそうだ。雪加重を考慮しているとい
っても経験している実測値ではないはずだ。騙されるところだ。
一回りしてしゃべるのに疲れたので、発表セッションの方へ顔を出す。インドネシアの
電力公社の人がマイクロ水力について発表をしている。多分この内容はT電のNさんがJ
ICAで関わっている案件であろう。JICAのTechnology transferが行き届いたプレ
ゼンである。背景→ニーズ→問題点→改善→評価→結論と極めて論理的であるが、文字だ
けのOHPで、visualさに欠けている。でも、頑張っている。国際会議では全然恥ずかし
くない。英語の質問にもしっかり答えている。
日本はこのような発展途上の国々と比較しても、言語面と国際感覚面で遅れている。確
かに地形的には他国と海を隔てていて孤立しているが、ソフト的にも孤立していてはいけ
ない。もっと将来的な交流を目指した教育や人材育成を、学校や企業で進めていくべきで
ある。現状維持では、きっと、成長していくアジアに取り残されて、排他されるであろう。
夜8時からDusitの大ホールでFarewell Banquet。打ち上げの盛大なパーティーだ。タ
イ国の要人も出席する。あらかじめ予約が必要で、テーブルは円卓で、指定席である。ひ
とりで申し込んだので、誰が隣かわからない。HKRK電力のEさんのテーブルに勝手に座っ
てしまった。Eさんの隣にShaneという、オーストラリア人が座っている。私の隣にはマ
レーシア人。どちらも同じオーストラリアのエンジニアリング会社の人である。今、考え
ると、私が勝手に座った場所は、彼らの場所だったのかもしれない。ま、良かろう。マレ
ーシア人はきれいな奥さん連れである。
Shaneはよくしゃべる。奥さんは元スッチーで、子供が上から女、女、男、男。7、5、
3、1歳で、家中いつも戦争のごとしとか。しゃべりまくる割には、礼儀は至極正しい。
ステージの催し物を見るときに、背中を見せる度に「後ろ向いてごめんなさい。」といち
いち断る。トイレに立つときもそうだ。意外だった。
Farewell Banquetは感動した。見るものを飽きさせない。民族舞踊と現代風のショーが
マッチしている。歌手も一流どころが出ている。司会の二人も有名人らしい。舞台の袖で
事務局の人が一緒に写真を撮りまくっていた。日本で言うと、年齢と英語が堪能であると
ころから、さしずめ、小林克也と鈴木杏樹というところか。赤坂と木村佳乃でもいいかも。
タイの現AESIEAP総裁(EGAT総裁)から次期総裁(フィリピン電力公社総裁)へ
AESIEAPのシンボル旗が手渡され、パーティは最高潮を迎える。ステージに出てきた海
軍の数十名が、手旗信号でなにか信号を発信する。大画面に「One World One Heart One
Goal」のテロップ。なかなかの演出だ。「イェーイ」とさらに盛り上がる。約2000名が
酔っている。私も、「とにかくやんなきゃ。」という意味不明の焦燥感と感動が入り交じ
った妙な気分だ。英語をまず勉強しよう。誓いをたてた。
資料整理と資料送付の準備をしてから就寝。2時。
11月7日(土曜日):8日目
朝、8時起床。当社の他の連中は,今日帰国する。ここからは全くの一人だ。
レストランでボーイにクーポンの件、詫びる。笑顔で了解。良かった。
12CEPSIの資料を航空便で会社に送ることにする。パタヤ郵便局は、私のいるノ
ースパタヤから3km離れたサウスパタヤの町中にある。タクシーで乗り付ける。いつもの
ように乗る前に運転手と交渉する。今日は40btで成立である。
郵便局に着く。資料は10.4kg。3450btもした。1万円以上。財布はすっからかんだ。
帰りはDusitまで歩いて帰ってみる。夜の猥雑な雰囲気とは大違い。昼間の歌舞伎町み
たいだ。疲れたのでタイ式マッサージの店へ。2時間で400bt。ゴキゴキと体中鳴らされ
る。気持ちがいい。
夕方、U氏と会う。月曜日のコンクリート工場の件で打ち合わせ。レストラン「赤門」
で食事をする。赤門のオーナー月山氏と3人でタイ国事情について情報交換。昨日の晩餐
会の警備体制の話から、電気料金の話になる。
タイの電力料金は、普通の労働者の家庭で毎月300〜400bt(900〜1200円)。月山さん
の家は、クーラーが二つもあるいわゆる上流家庭、家族は4人で、毎月3000bt(12000円)
くらい。赤門レストラン(中規模のデニーズくらい)で、毎月7万〜8万bt(21万〜24万円)
だ。バンコクのオフィス街のビル内事務所では、3万bt(9万円)くらいだそうだ。
EGATの電力料金はタイの物価にしては高い。入り込むチャンスは十分にあるといえる。
食事の後、時間があったので、ティファニーショーを見に行く。宝塚歌劇の男色版だ。
500bt。子供も見に来ている。楽しいショーだ。全員男とは信じられない綺麗どころがステ
ージで舞う。ショーのスターは、13歳の頃に売られてきて、体ができる前からあちこち
整形して女の体型になる。少し悲しい世界だ。ショーは見応え十分。楽しんだ。
明日はオフの日。ダイビングにでも行くとしよう。
11月8日(日曜日):9日目
既に時刻は月曜日の午前2時を回っている。やっと荷物をパックし終えた。パタヤ最後
の日である。
今日はオフなので、朝からKoh Cahngというポイントへ潜りにいった。2ボートダイブ
で2800bt。安い。エントリーポイントまで船で行き、潜る。バディは日本人だった。ポイ
ントに到着したら、ショップのアメリカ人が「さあ、どうぞ」と言う。ガイドなしでいき
なり潜れということだ。ポイントの水深は浅いので、怖くはないが初めての海でガイドな
しというのは初体験である。自分で管理しろと言うことだ。
パタヤの海はひどく汚れていた。雨の日の伊豆富戸か、熱海くらいvisibilityが悪い。
味噌汁のようだ。3m先が見えない。見るべきものがない。ダイビングせずに船の上で本
を読んでいるだけのドイツ人は最後までうだうだしていた。欧米人流のバカンスである。
そっちの方が正解かもしれない。
ダイビングのあと、タイスキを食う。鍋になんでも入れて茹でて食う。カニが美味。辛
いキムチのようなものに、イカのすり身が合う。最後はおじや。ウェイトレスはおじやの
ルールを知っている。いかに日本人客が多いかがわかる。
パタヤの埃っぽい空気も今日が最後だ。ここにいる間にイソジンの小瓶を半分消費した。
退廃的で時間にルーズ、とにかく日中は暑くて、何事にも「マイ、ペン、ライ」なんとか
なるさであった。walking streetの白人好みのネオンと、酒場カウンターの女たちの表情
が思い出される。彼女たちのほとんどは、幼くして売られてきた娼婦だ。悲しく陽気な街
であった。
12CEPSIのFarewell Banquetでの思いを忘れず、globalに視点を持とう。この
1週間でなにかが私の中で確かに変わったように思う。
明日から海外出張は第2幕を迎える。行程的にも非常に厳しい。体調維持に最大の注意。
時刻は2時半。
11月9日(月曜日):10日目
7時半起床。朝、Dusitをチェックアウトする。U氏と待ち合わせ、Humex Bonar社の
コンクリート製品工場を見に行く。パタヤから車で40分くらいのLyanというところに
ある。日本ヒュームが30%、フランスBonar社が30%、地元が40%の共同出資の会社だ。
タイバブルの頃、推進管とBonar管で業績を伸ばしたが、ここに来て、公共事業が軒並み
ストップし、工場も大打撃を受けたと聞く。
Bonar管とは、2mmのスチール板をコンクリートで巻きたてた直径600mmから4mの
コンクリート製管である。現場でスチール部分を溶接接合する。安い。どんな形状でもO
Kだ。フランスの発電所の取水管等で数百以上の実績があるそうである。レイアウト設計
図、数量計算書、設計計算書を入手。良くできている。LDは水圧がクリティカルか。日
本ではボックスカルバートが主流なので、採用実績はないそうである。
タイにある外資系の工場はCOCOでもそうだが、非常に整理整頓されている。この工場
も非常にきれいである。
視察の後、ボコボコハイウェイを戻る。4回目だ。もう、慣れた。車中、U氏と情報交
換。セグメント製品なら、韓国、香港、台湾が良いそうだ。特に、ご存じ台湾ユンミンの
製品は非常に評判が良いそうである。その型枠を作っているのが台湾リサという会社で、
関西電力の子会社、近畿コンクリートの製品を作るときに採用されているのだそうだ。
当社で大量にセグメントが必要であれば、台湾リサの型枠をタイに持っていき、タイの
現地工場で製品を作り、日本の遊休地に一気に持ってくるという手もある。タイの現地で
作ると、製造コストは1/3。輸送で1/3かかるとして、十分コストダウンできる。この場合、
国内の輸送費がかかることになるが、当社の遊休地に一気におくことができれば、
そこを配給センターにして十分元が取れる。良いアイデアではないか。もちろんこのア
イデアは口にださない。
PC鋼線の相場は16bt/kg。バブル崩壊で最近27bt/kgまで高騰。談合の仕業である。
U氏にお礼を言い、別れる。モンティエンホテルにチェックイン。明日のタクシーを手
配する。6000bt。高い。ホテルリムジンだからあきらめる。明日午前8時に出発だと頼む。
部屋で明日のTG419便をリコンファーム。今日は英語がなんだか通じない。タイ人と
話がかみ合わない。向こうは半分笑っている。畜生。絶対英語うまくなってやる。
Pmailも接続できない。INUEGMにメールを送ると約束していたのに、困った。水曜日
に会うマレーシアのY氏にも電話が通じない。どうなっているんだ。まずいぞ。
夕飯はセブンイレブンのサンドウィッチとハイネケン。慣れたとはいえ、ボコボコハイ
ウェイで疲れている。タイ最後の夜であるのに、ホテルを出なかった。ちょっと心残りで
ある。
11月10日(火曜日):11日目
6時半電話が鳴る。大ダム会議のツアーコンダクター(日本人)だ。予定より30分早
く、7時半に集合だという。その前にチェックアウトしなくてはならない。急に忙しくな
ってしまった。昨晩、裏の報告書作成に熱中してしまったため、寝るのが3時を過ぎた。
非常に眠い。シャワーを浴びる。
大ダム会議に来ていたUCDGMとコーヒーショップで会う。久しぶりである。お腹には
気をつけているので大丈夫とか。インドもおもしろいらしい。
昨日予約したタクシーを確認。OKだ。VOLBOが待っていた。さすが、6000btの威力
である。運転手に行き先を告げ、このバスを付けてこいと指示する。若いドライバーは大
丈夫と親指をグイと立てた。私はバスに乗り込む。バスが発車。VOLBOはぴたりと追跡
している。会議の一行は皆熟睡。お疲れのご様子である。
ラムタコンの工事事務所に到着。電発がengineering consultantをしているプロジェク
トだ。工事費は218億bt。650億円くらいか。OECFの世銀が融資している。イタ
リア、スペイン、タイの3カ国のJVが施工を請け負っている。割合は5:3:2。タイ
のサワラットという現地会社が、アスファルトフェイシングを請け負っているのだそうだ。
この会社は、タイの中でも新しい物好きで通っているそうである。スペインは、トンネル
工事。残りすべてをイタリアが受け持つ。すべての土木工事はこの1JVで取り仕切って
いる。一行は上ダム、地下発、放水口(下ダムは既存の貯水池)と回る。
電発職員が宿舎としているホテルで昼食。ここで一行と別行動になる。ドライバーに空
港へ行くことを指示し、車中で寝る。ドンムアン国際空港に到着。ドライバーと別れる。
「また、タイに来てください。私あなたのこと覚えていますから。また乗ってください。」
短いつきあいでも名残惜しくなる。
KLのY氏に電話をしよう。昨日からどうしてもつながらない。空港職員に30分あれ
やこれや聞いてやっとわかった。タイからマレーシアには、慣れ親しんだIDD(001)で
かけられないのだ。007+国番号、らしい。cash cardを挿入するタイプの公衆国際電
話は使えないと言うことだ。どうやらtelephone cardを購入する必要がありそうだ。
しかぁし、そのtelephone cardにも2種類あって、500btのICチップの入ったタイプ
と、100btの普通の磁気タイプのものがあるのだ。マレーシアには磁気タイプのものが適
合する。そんなこと知らないので、最初500btのICタイプを買ってしまって、「かけら
れないじゃん。」と文句を言って、さげすまされた目でぶつぶつ言われながら100btのタ
イプと交換してくれた。そして磁気タイプ公衆電話にカードを入れた。
むむっ?うっそー!力が抜けた。液晶ディスプレイの説明文がタイ語なのである。読め
ない。そばにいたティファニーショーみたいなお姉さん(今でも男だと思う)に、かけ方
を聞いて、やっとマレーシアにつながった。Y氏不在のため、受付のお姉さんに伝言。通
信状態は最悪である。ぶつっぶつっと切れながらなんとか終了。伝わったかどうかは、わ
からない。
もう1本電話連絡。同級生でKL在住のJICA専門家,Sの携帯にかける。Sは明日、
タイに出張だそうだ。私と入れ違いである。とにかくKLのホテルで会うことにする。深
酒にならないと良いが。
タイ航空でKLに到着。時刻は22:20。時差は日本と1時間差になっている。1年半前に
JICAできたときと随分様子が違う。それもそのはず、98年7月から新国際空港に場
所が変わったのだ。KLから70km近くも離れている。タクシーでホテルに向かう。92Rd
(2800円くらい)もする。KLまでの道中は,すばらしいhighwayであった。ボコボコし
ていない。ホテルに到着。深夜12時を回っている。
結局Sは、私のホテル到着に合わせて待ち伏せしていてくれた。うれしかった。1時半
までホテルのコーヒーショップでビールを飲む。無防備なひとときである。KLの生活につ
いていろいろ聞く。やはりJICA専門家は最恵国待遇であった。
部屋に戻り、爆睡。
メッセージによると、Y氏は明日朝8時半にフロントに来る。
11月11日(水曜日):12日目
7時半起床。Y氏と待ち合わせ、ポートクラン発電所に行く。KLからまたまた車で移
動。1時間半くらいだ。phase3の工事現場を視察するのである。1年半前に、JICA
訪問で来たことがあるが、その時には、まだphase3は始まっていなかった。
一度見たことがある風景を懐かしみながら,発電所に到着した。発電所の守衛に目指す
建設事務所への道を聞く。さっぱり要領を得ない。あれこれ、発電所内をたらい回しにさ
れ、やっと目指す建設事務所にたどり着いた。しかし、Y氏がアポイントを取っていた設
計担当者は、なんと、今日休みだそうだ。
出たぁ。すっぽかしである。私はもうこのくらいでは動じない。Y氏も動じていない。
事務所内で粘り、なんとか土木技術者を見つける。現場を案内してもらう。若い兄ちゃん
だ。頭にイスラムの帽子をかぶっている。車まで出してくれて、自ら運転してくれた。親
切である。
1時間ばかり写真をとりまくる。建て屋の建設現場では、作業員が単管パイプを10mく
らい上の足場から地上に放り投げていた。ものすごい音がする。日本のIHI職員が怒鳴
っている。目が違う。話しかけられなかった。相変わらず整理整頓ができていない。きち
ゃない現場だ。
ポートクラン発電所のレイアウトは非常に込み入っている。周回道路などない。くねく
ねと小道を通って海側に出られるといった按配だ。バースへの乗り込み道路も1車線。有
事の場合はどうなるのだろう。消防車の行き来もできないはずだ。
1年半前にJICAで訪問したときにも、案内してくれたワゴンバスがパンクした。そ
れくらいメンテもいい加減なのだ。
彼らは基本的に、何か起きる前に何かやっておくということはしない。事前対策という
観念がないのである。起きてから対処する。従って、何か起きてしまったときには、とて
つもなく大きな事件になってしまうのである。96年に、マレーシア全域で大停電が発生
し、丸1日復旧しなかったのも頷ける。クーラーのないマレーシアなど、impossible to
believeである。
最近の話題として、マレーシアの電力会社(TNB)が、今年になって、発電部門と配電
部門が分社化されたことが挙げられる。そのためか社内の事務所の雰囲気は、前回と違い、
何となく落ち着かないような雰囲気が漂っていた。事務員がダラダラしているような気が
した。
ポートクランを後にし、昼遅く、日本人がやっているラーメン屋に入る。うまい。求め
ていた味だ。冷静になるとただの味噌ラーメンだが、口が味噌味に飢えていた。妙にうま
い。満足だ。ホテルに戻って今日は解散。
11月12日(木曜日):13日目
鋼管杭のB&C社に行く。華僑の経営する工場である。工場のあるIpohという街は、
KLの北西にある。車で2時間半,180kmくらいである.会社NO.2のTEOさんはよくし
ゃべる人だ。こんなことやっている、あんなことやっているとアピールする。TK電R資
材部への登録の話になる.
「うちの資材部から,品質に関するFAXがいってるだろ?回答はできているの?」
「ウレタンコーティングってのがだめよ。あと、現場搬入、車上渡しってのもだめね。」
そういう話を聞くと、TK電Rの壁は厚いのかもしれない。しかし、B&C社のものは
良い。杭基礎には十分の品質を確保しているようである。名刺をみると、Teoさんは、
project managerの資格を持っている。なるほど、製品の品質が良いのも理解できる。
安いものはコーティングだの搬入だの言わずにどんどん購入すればよいのに。もったな
い。勝手な意見だろうか?
とにかく工場には人が多い。100人くらい働いているそうだ。人力に頼っているところ
が多い。安全対策は皆無である。労働環境も劣悪である。溶接の煙で喉が痛い。しかし、
製品はしっかりしているのだ。
昼食を近くの食堂で食う。バンブーフィッシュの姿煮を食す。淡泊な味だ。香草パクチ
にはもう慣れている。Teoさん含め、皆よく食べる。Teoさんは、92kgの巨漢だ。その間
にもマレー訛りの英語でしゃべりまくる。ここの英語はさっぱりである。自信をなくす。
たとえば、金の話をしているときに、しきりに「プットゥ↑」という尻上がりの語尾が付
く。何のことかと思えば、トン当たり:per tonの意味であった。
中国語と英語は基本的に文の構造が一緒であるため、彼らは中国語の単語を英語に直し
て早口でしゃべる。非常にわかりにくい。
帰りにおみやげをもらう。Ipoh名物のでっかいザボンみたいな柑橘類2個だ。直径15cm
ほどもある。皮付きピーナッツと一緒にスーパーの袋に入っている。やれやれ今日これを
持って飛行機に乗らなくてはならない。Teoさんは「そんなに重くないよ。」とニコニコ。
とにかく良い人である。
昼間みるKLIA(KL国際空港)は非常に近代的だった。すべてが新品である。Y氏
と別れ、immigrationへ。途中、本屋で日経新聞を見つける。飛びつくようにして購入。
11Rd。約330円である。日本政府が商品券を配りまくる話と、宮沢の300億ドルアジア支
援の話を念入りに読む。
急遽、予定を変更し、2時間ばかり早くシンガポール入りすることにした。
KLとシンガポールの空路移動は、日本の新幹線のような感覚である。1時間に1便い
ろんな航空会社の飛行機がでている。同じシンガポール航空(SQ)の飛行機がちょうど
グッドタイミングで飛ぶようだ。カウンターで手続きをする。クーポンを見せて,乗りた
い飛行機を告げる。ほんの2,3分。ガイドブックには記載されていないが,このテクニ
ックは,ここでは常識である。
SQのスッチーは化粧が濃い。席はエコノミーだが、ファーストクラスの美人だ。しか
し、私の持っていたザボンのような柑橘系果物を見て笑っていたので、少し悲しかった。
インドからの出稼ぎ労働者風の男が、機内真ん中の列の席に座っていた。窓の外をのぞ
こうとして、窓側の私の顔前に、自分の頭を入れてくる。新聞もろくに読めない。いらい
らする。体臭でもしたら許さなかったが,幸い,彼は清潔だった。許す。
KLIAからシンガポールのチャンギ空港に到着。1時間弱の旅だった。いよいよ最終
国である。ここまで来ればなんとかなるぞ。疲れはピーク。目の下にクマができている。
明日から世話になるY’氏に会う。焼鳥屋で一杯飲む。
11月13日(金曜日):14日目
13日の金曜日である。何もないのが良い。
7時起床。朝から色々連絡する。ボーナス比率を建設業務に連絡。マレーシアでは会社の
各デスクに直接通じた(+81+3-4216-YNGG)が、シンガポールからはなぜか通じない。
代表電話にかける。この辺の仕組みは最後までわからなかった。やはり、海外用の名刺には
代表電話(+81-3-3501-HIII)を記載しておくのが良い。
Y’氏と待ち合わせる。今日は海工事を中心に視察する。East Marlineという会社の事
務所を訪れる。日本人のスタッフがいる海上工事専門業者だ。Ogawaさんという社長は、
バリバリの関西人。海の男だ。英語と広東語と関西弁を操る。シンガポールに18年。中国
人、マレー人の部下をガンガン使いまくる。携帯電話は鳴りっぱなしである。
一息ついてからシンガポールについて情報交換する。
シンガポールの工事は、spec全てが発注者に有利にできているのだそうだ。specの最後
に施工条件の予期できなかった変化、不具合等の責任は、全てcontractorが負うものとす
ると書いてあるそうだ。設計変更「増」は,まず,ないのだそうだ。シンガポールはまさ
に国際競争下にさらされている。世界中の業者が、熾烈な競争の中を戦っている。談合は
ほとんどない。日本の企業同士でも互いをたたき合う。プラント発注案件、千代田と日揮
がよくバッティングするのだそうだ。
最近の不景気を熟知しているシンガポール政府は、土木工事のcompetitionを最近かけ
まくっているらしい。業者が無理して受注するこの不景気時に、とにかく安い金で受注さ
せるのだ。不景気がタイほど深刻でないため、こういうことができる。シンガポール人は
商才がある。「株式会社シンガポール」と言われる所以である。
そんな中で暗躍しているのは、日本の商社である。安く入札し、とにかく一括受注する。
5〜10%をピンハネし、そのあと政治力や脅しで、ゼネコンに請け負わせる。実質,何も
しない。ゼネコンは、血の滲むような努力を重ねるが、発注者有利のspecにより、赤字を
出すことが多々あるようである。
夜,Y’氏と懇親を深める。仕事上のつらかった話になる。下請けから金銭の授受問題
で裁判を起こされ,なんとか勝訴し,結果としてその下請けをつぶした話を聞く。Y’氏
のシンガポール事務所は日本人が2人しかいないため,やはり,色々な面で厳しいらしい。
とにかく,忙しいときには,3週間くらいの半徹夜が続くそうである。
Y’氏はしばらく辛かったのであろう。店員によれば,Y’氏が笑顔でマイクを握った
のは2年ぶりらしい.痛飲して,ひとり2500円くらい.ラストソングは「そっとおやす
み」であった.資料をとりあえず整理して,2時に就寝.
11月14日(土曜日):15日目
8時起床.朝食はとらない.
シンガポール地下鉄工事(S社あたまの3社JV)を視察する.駅一つを中心に,内径
6mのシールドトンネルを4本掘進する工区だ.2.2km×2本+0.7km×2本.工期が厳し
いため,4機のシールドマシンを使用する.埋め殺しだ.これで,しめて167億円の請負
工事だ.安い.日本なら約3倍か.
噴火岩を掘削するため,0.7km側マシンのビットを掘進後に取り出し,2.2km側の予備
ビットとして保存する.胴板は直径6mと大口径の割に,厚さ2.5cmと比較的薄い.IH
I製だ.水圧もほとんどない.対象層の地層は透水係数10-7〜10-8と難透水性を有する.
2.2kmのマシンは泥土圧,土圧兼用タイプだ.
ここでも(株)シンガポールの発注者としての厳しさ,クレバーな面が浮き彫りにされる.
全体工程の中には,事前設計の期限,基本設計の期限,詳細設計の期限が設けられてい
るが,それぞれの期限終了時に発注者側から,約1700〜2000もの質問票が発行されるそう
である.一つ一つに対応するには,膨大な労力がかかる.(例えば,トンネルの地盤応答
解析をして,この部分の応力を解明すること,など.)S社は東京本社を総動員して対応
したそうだ.もちろん,「この質問に関してはadditionalですよ」という問答はあったそ
うであるが。
シンガポール人の大学卒は非常に優秀である。それもそのはずである。理由はこうだ。
シンガポール人は4,5歳でほぼ進路が決まる。いわゆるスパルタ教育である。小学校
の教師は,クラスの成績の平均点で給料が決まる。鞭を持って徹底的に勉強させるのだそ
うだ。現在,人口が多くなり,小学校は二部制。午前から昼過ぎの組と,昼から夜の組に
分かれている。このような超競争社会の中で,シンガポールの大学に入れるのは,ほんの
一握りの超エリートだ。
では,シンガポールの大学に入れない学生はどうするか?アメリカ等の外国の大学に行
くのである。結局はシンガポールに戻ってくるが,国内ではシンガポールの大学を卒業し
た面々に,履歴上,勝てないので,博士号を取得することが多い。そんな奴ら(小さい頃
からエリートで,最低でもアメリカ等の博士)が,真剣に設計のあら探しをするのだ。そ
の数は,前述の通り1700以上。たまらない。
現場の安全対策は一般に良好である。昨日の海上工事も,今日の地下鉄工事も,今まで
に見たタイ,マレーシアとは比べものにならない。これも当局の監視が厳しいためである。
とりあえず,ヘルメット,安全帯,安全靴は完璧である。仮設設備は,地盤条件が良いた
め,若干貧弱に見えるが,まあ,十分なのであろう。(仮設計画についても,もちろん発
注者の審査が入る。受変電設備などは鉄筋コンクリート製建て屋だった。もちろん仮設で
ある。)
午後,ホテルに戻る。何回目の荷造りであろうか。これで最後である。意外に空隙があ
る。現場でもらう説明資料が増えていく割に,日本みやげのエビ煎餅の箱が減っていくか
らである。最後に念入りにベルトを締め,ロックする。チェックアウト15時。
テイクオフは夜の23時。まだ,十分時間がある。Y’氏と合流。免税店(DFS)に
行く。日本人だらけだ。関西弁が耳につく。韓国人は最近激減だそうだ。エキセントリッ
クな土産はなく,相変わらずつまらんものだらけだ。
クルマを飛ばし,中国人街に場所を変える。危なそうな雰囲気だ。求めていたのはこれ
である。4階建ての中国人相手のデパートには宝物だらけだ。それに安い。DFSで売っ
ていた1000円以上するマーライオンチョコが,ここでは300円くらいだ。6箱買う。現
地人の勧めに従い,強壮剤を買う。特に効きそうなのは牡鹿のしっぽから抽出された強壮
ドリンク剤だ。一箱余計に買って,その場でY’氏と試す。まじぃ。でもなんか元気が出
てきた。「ナンパオ(男宝)」という錠剤もいいらしい。2箱購入。2段に伸縮する孫の
手もゲット。1本56円。2本買う。自宅用と会社用である。満足した。あっという間に
18時をすぎている。
最後の晩餐は超ローカルで行こうということになった。現地の人しか行かない団地の中
にある食堂に行き,「フィッシュヘッドカレー」を食す。その昔,中国人が日本軍によっ
てシンガポールに強制連行された時に,開発した食べ物だ。
材料がない当時,生活力旺盛な中国人は残飯を煮込み,におい消しにカレーをぶち込み,
商売を始めた。そのときのメニューの中で最も人気があったのが,魚の頭を入れた「フィ
ッシュヘッドカレー」である。現在では,もちろん,新鮮なアラを使っているが,なかな
かダイナミックである。魚の種類は毎回違うのだそうだ。このカレーを扱う店はシンガポ
ール国内に100軒以上あるらしいが,ネイティブがうまいと言う店は,二軒しかない。今
回の店は,そのうちの1軒だ。ここにくる前に行ったもう1軒は潰れていた。普通4人く
らいで食べる鍋をふたりで平らげる。うまい。
雰囲気も好ましい。売春婦が声をかけてくる。もちろん相手にしない。彼女もこの団地
に住んでいるらしい。そんなところである。
車で空港へ向かう。シートベルトはしなくてはならない。当局がうるさいのである。
我々の横を普通自動車トラックが通り抜ける。その荷台には,3×5列でインド人労働
者が「体育座り」で「積まれ」ている。あれはOKだそうだ。つまり,人間扱いされてい
ないのだ。シンガポールでは人種差別も激しい。
21時,Y’氏と別れる.とにかくまた来い,うちに泊まれとしきりに言う。ぐっとき
て,変な笑顔になる。22時,シンガポールドルを円に替える。Exchangeも最後だ。
23時20分,離陸。夜景が美しい。今日は機内で夜を過ごすことになる.目が覚めた
頃には日本である.
11月15日(日曜日):16日目
日本時間の午前4時頃,機内朝食で起こされる.まだ眠い。食欲がないのに全部平ら
げる。気分はまあまあである。
16日間,色々あった。楽しかったし,ドキドキもした。35歳にして良い経験をした
と思う。このような機会を与えてくれた上司にまずお礼を言いたい。迷惑をかけた同僚に
も感謝したい。今回の出張は本当に周りの方々のお陰である。感謝の気持ちを一生忘れて
はいけないと思う。
午前6時35分,車輪が日本に接した。明日から会社だ。報告書のことを思うと気が重
い。本当のブルーマンデイを味わえそうである。
おわり