世界を飛びまわるタヌキのスナップ集
一枚の写真にあなたは何を見ますか?



中華人民共和国・楽山
大学の時、中国の四川省を旅行した時の一枚。
成都から車で約5時間の楽山の大仏。
世界最大の弥勒仏石像だそうだ。

大仏は揚子江の支流の岷江に面した崖にそびえ立っている。
高さは約70m。
大仏の右手の方や足元に良く見ると人間が写っており、その大きさがわかる。

大仏が完成したのは803年。
体にこびりついているコケがその歴史を感じさせる。

それにしても「どこかのおに〜ちゃん」的な親しみのわく大仏の顔。
約1200年間、ずっと高台から河を見守っている。
この岷江をこれまでに、どんな人々が行き来してきたんだろう。




マレーシア・マラッカ
1992年、マレーシアに旅行した時、立ち寄った。
遠浅の海の桟橋からマラッカ海峡を望んで取った写真。

14世紀の末、スマトラ島の東海岸に達したジャワ勢力とマレー半島の南端まで達したタイ勢力に押されマレー王族はマラッカの地に逃げ込んだ。

たまたま中国の明から朝貢勧告の使者が訪れ、パラメスワリ王がこれに応じたため、マラッカは明の属領となった。
これによりタイやジャワの勢力は不注意に侵入できなくなり、マラッカは安定した。
バックにいる巨大な中国は強力すぎるからだ。

その後、東南アジアとインド、アラビアを結ぶ場所にあったマラッカはスパイス交易を独占し大いに繁栄した。
しかし、1511年、この遠浅の海に16隻のポルトガル艦隊が現れ、突然マラッカを攻撃し、占領した。
東南アジア初の西洋人による植民地化である。

植民地になってもマラッカは衰えはしなかった。
世界中から貿易をもとめて船は集まった。
そのなかには日本人もいた。
宣教師フランシスコ・ザビエルがアンジロウという日本人にマラッカで出会って、日本に行くことを決意したのは有名な話だ。

マラッカの桟橋。
まさに、ここから東南アジア、そして日本の近代の歴史が始まったといえる…。




オーストラリア・キャンベラ
オーストラリアの首都キャンベラ上空からの写真。
1996年3月に気球に乗ったとき撮ったもの。

キャンベラは1913年にオーストラリアの首都として人工的に造られた都市。
大都市のシドニーとメルボルンが首都の座を争い、解決策としてちょうど両都市の真ん中に造ることにした。

オーストラリアは連邦制をとっている。
シドニーはニューサウスウエルズ州の州都、メルボルンはヴィクトリア州の州都。
そして、キャンベラはこれらの6つの州と1つの準州の総合的な首都だ。

キャンベラはブラジルのブラジリアと並んで、何もないところに遷都して造った、世界でも珍しい都市。
だから本当になんにもないし、人口も少ない。
少々不便だが、整備された都市の美しさと広々とした大自然がマッチしていて、2年間住んでみて、個人的には大いに居心地が良かった。
しかし、オーストラリア国民の調査では住みたくない都市のナンバーワンだと言う。

現在、日本政府は東京からどこかへ首都移転を考えている。
もし実現したら、似たように都市を造ることになる。
キャンベラから学べることは多いと思う。




ベトナム・ホアルー
1994年、大学の研究でベトナムに行った時の写真。
ベトナム北部のホアルーという場所だ。

ベトナム民族は前1世紀頃から10世紀中頃まで約千年間、中国の支配下にあった。
この地域は東南アジア4大河川のひとつ紅河(ホン河)のデルタ地帯である。
豊かな穀倉地帯があり、また、遥か雲南地方の物資を外海に運べる基地として、早くから中国に目をつけられていた。

10世紀に入り、唐が衰えると、ベトナム民族は力を盛り返し始める。
968年、ディン・ボー・リィンが国内を再統一し、ついに中国より完全独立を果たす。
その時、都を置いたのが、このホアルーだ。
1010年のハノイ遷都まで半世紀、ベトナムの首都として栄える。

それから、また、約千年が経った。

少年が持っているのはコーラの空き缶。
外国人観光客が捨てていったものを拾って小遣いを稼いでいる。
千年とはすべてを変えるほど長い時間だ。






タイ・スコータイ
スコータイ(タイ中部)の遺跡で取った写真。
現在は国立公園になっている。
広大な敷地には仏像、宮殿跡などが点在していて、歩いて回るのはちょっと無理だ。

スコータイ朝は、1200年代初めに、それまでこの地域を治めていたクメール人(現在のカンボジア人の先祖)を追っ払って出来た、最初のタイ人国家である。

この時期は東南アジア全体が大きく変わった時だった。
それまで、東南アジアに繁栄していたヒンズー文明(現在でもバリ島などに名残がある)は衰退し、大陸部では仏教が、島嶼部ではイスラム教が浸透していった。

スコータイは第三代ラムカーヘン王(在位1275年〜99年)の時、マレー半島まで支配下におさめ、発展した。またタイ北部のチェンマイ王朝とも同盟を結び、国土は安定していたという。

その後の王たちは、仏教に没頭し、統治をおろそかにしたという。
スコータイは南の方に起こったアユタヤ朝にやがて(1300年代中頃)とって変わられる。

現在も、スコータイで穏やかな顔をして、目をつぶっている多数の仏像。
いったい何を見てきて、何を思っているのだろう。

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