1.子供のこと

咲笑(サエ)はもうすぐ2歳になる。

2年、私は親としてどうだっただろうか。

ほにゃほにゃの赤ちゃんだった頃はただただかわいくて天使だと思った。

柔らかくて小さい。

どうして、こんなにかわいい子供を虐待なんてするんだろう?と思った。

だけど、今、虐待をする気持ちが少し分かる。

サエがあんまりにも言うことを聞かない時。

カッとくる事がある。

そうなると自分の中の何かがおかしくなる。

サエに対してイライラして怒ってしまう。

ときには手がでる事も。。。

その後、後悔して涙があとからあとからこぼれる。

後悔するなら二度としなきゃいいのに、繰り返す。。。

私の中に母を見つける。

ちゃんとさせたい母。

私もサエをちゃんとさせなきゃと思ってしまうようだ。

感情で怒っているとき、サエはいうことをけして聞かない。

あの透明な小さな瞳ですべてを見つめているのだ。

私がイライラしているとき、サエは奇声をよく発する。

「きゃーーーーーっ!!」

あともう一つサエが奇声を発するとき。

それは、私がよその子に優しくするとき。

独り占めしたいようだ。

サエと2人きりのとき、優しく抱きしめて言う。

「咲笑ちゃんはかわいい、ママの宝物だよ。ホントにかわいいね」

サエは赤ちゃんのまねをする。

おぎゃぁ、おぎゃぁ、と泣き真似をして、赤ちゃん抱っこをして欲しいと言う。

私が赤ちゃんの方のサエを好きだと思ってるようだ。

赤ちゃんなら優しくして貰える、とでも思っているのか。

「そのまま2歳の咲笑でいいのに。そのままで宝物なんだよ」

サエはにこっと笑う。

何かを確かめたいのかもしれない。

                                          (2002.11.16)

 

2.便利屋さん

私は掃除が苦手だ。

子供が産まれて、義理の父母や子供の友達が遊びにくるようになった。

居間やキッチンなど人の目に触れるところは、綺麗にするようにしている。

が、北の部屋、一室が物置となっている。

それはそれは凄まじい。

これではいけないと思い土曜日夫が実家へ遊びに行くというのを機会に片づける事にした。

本当に片づけるのが苦手な私。

捨てるのも苦手で物があふれそう。

本当に凄い。

足の踏み場もない。

一応捨てる物と残す物をやっとの事で分けた。

そしてゴミが結構ある事に気付いた。

魔が差した私は便利屋さんに電話をした。

捨ててもらおう。

見積もりを取りに来てくれるそうだ。

便利屋さんに引き渡す分を分けて整理している時、これではいけないと思った。

「先程電話した者ですが」私は電話を掛けた。

「このまま、人に頼ってしまうと同じ事を繰り返しそうなので、今回は自力で頑張ってみます」

便利屋さんは嬉しそうに「頑張って下さいね。もしお役に立てそうな事があれば伺います」

と言ってくれた。

私は何故か涙がでそうだった。

もっと怒られたり、そっけなくされるものだと思いこんでいたのだ。

後日、便利屋さんがもう一度電話をくれた。

「どうですか?何とかなりそうですか?」心配を掛けてしまったようだ。

夫は商売の為だよ、と言った。

そうかもしれない。

だけど、私はそのあたたかい声が嬉しかった。

                                            (2002.11.25)

3.存在価値

私は本が好きだ。

が、最近はあんまり読む時間がない。

活字の本を読むのは久しぶりだったけど、本を1冊買った。

「輝ける子100メートルを10秒で走れって言われてもさ、いっくら努力しても走れない奴っていいるじゃん」

(明橋大二・著)

・・・長いタイトルだな。

だけど、やる気を育てるだとか英語に親しむだとかいう本が並んでいるなか、ちょっと異色に見えて

すごく惹かれた。

家に帰ってサエが寝てから読み始めた。

サエの育児に役立てばと思って育児コーナーに行ったのだけど、私は私の為の本を買ったのだと気付

づいた。

私の自己評価が異常に低いのは前にも書いたけど、理由はそんなに確実には分からなかった。

この本を読んで理由が明確になったような気がする。

涙がとまらなかった。

存在についての安心感とうのがあるそうだ。

いてもいい、大事な存在だと誰かに認めてもらうこと。

過保護にして支配下に置くのではなく子供にやらせて達成感をあじあわせてあげる事が大切だという事

私は叔母や父に従兄同士の関係の中で私だけ卑下される存在だった。

大事な誰かになれないのは自分が悪い子だからだと思っていた。

そのうえ母には支配され、いじめにあい(これはたいしたことないけど)、

結果的に過剰適応と思われる状態になった。

相手によって態度を変える事もあった。

この子にはこういう風に振る舞おう、みたいなルールを決めてどんな人間にでもなれると思っていた。

どんな人にも好かれようとした。

それがどんなに愚かでもそうやって存在価値を見つけようとしていたのだ。

普通、小学生の考える事ではない。

今という時間が、本当はお墓の中で見ている夢なんじゃないか、いつか覚めるのじゃないか。

頭の上から何かが降ってきて自分はすぐに死んでしまうのではないか。

いや、死んでもいいと思っていた。

夜寝る前に布団の中で自分のお葬式を想像しては誰が泣いてくれるだろうと考えた。

もう忘れてしまいたくて、記憶の底に封じ込めていた事。

実際忘れていた。

こうやって小さい頃の自分と向き合う前は。

私はみんなからなんの苦労もなく幸せに生きてきた人という印象を与えるらしく、

こんな心を抱えているなんて想像もできないだろうと思う。

夫は私をコドモ扱いして、優しく頭をなでたりしてくれる。

無意識に私に欠けているモノを補ってくれているのだと思う。

きっと彼は何かに気付いているのかもしれない。

聞き分けのいい、成績のいい、大人にとって都合のいいカエ。

衝動的で、知恵熱ばかり出す、大人にとって不可解なカエ。

どっちも私。

都合のいいカエは過剰適応なカエ。

不可解なカエは辛いの気付いて!っていうSOSのカエ。

大人はSOSを問題視して問題児としてしまった。

サエに冷たくあたる事は自分と向き合うようになってから、すごく少なくなった。

小さいカエが教えてくれる事はあんがい多いのかもしれない。

                                            (2002.12.6)