愛媛県宇摩郡土居町の城砦跡

 

 歴史の話が大好きな小学生だった私は、いわゆる戦国時代の物語を興味深く探っていくのが楽しみであった。父の故郷が当地であったため、父が幼いころに聞いた話などを聞かせてもらったり、共に渋柿城跡の山に登ったりしていた。丁度そのころだったか、「伊予の古城跡(長山源雄 編)」が伊予史談会の手によって活字化・普及化された。その後、それを手にした私は随分と身近な場所にかつて在った城砦とそこで勇ましく戦ったであろう武士たちの姿に思いを馳せていた。小学生のくせに、大人も読まないような文献を引っ張りだしてきていた。

 この文章自体は、大学の時に実家で埃をかぶっていた資料を引っ張り出してまとめかけていたもの(平成4年頃)であり,今は度重なる引越しでそれらの資料も既に手元には残っていない。ただ、非常にレアな研究テーマとして公の目に触れる形で保存しておきたいと思って今回ホームページ上に掲載しました。

 

〔宇摩郡土居町の城砦跡〕

 下記に、城砦としてどの様なものがあったかを列挙する。昭和六十年八月から約半年かけて町の教育委員会による実地調査がなされているが、その保存状況は決して良いものではなく、遺構から当時を慮るのは非常に困難だろうと思われる。ここでは、この教育委員会調査分と、その補足に「伊予古城砦記(富水道人 編)」にみられるものを加える。

 

一・大ノ城(台城・柿迫城)

 標高六一三メートルの山頂にあり、現在は山林、一部に送電用の鉄塔が立っている。関川村地誌によれば「加地三郎左衛門上野五郎右衛門義成之居ル、天正拾三年陥落ス」ということである。宇摩郡・新居郡の関から非常に近い位置にあること、視界の良好であることを考慮に入れればこの城の重要性を感じずにはいられない。

 

二・せうの尾城

 大ノ城よりやや四国山地よりに入った所にある。標高五五六メートルの山頂にあったとされるこの城はなるほど見晴らしもよく、郭の跡らしきものもあるらしい(町教育委員会調査書による)。しかし、この城の存在を記しているのは、江戸時代作成の西条藩の古地図のみである。

 

三・中尾城(畑野城)

 近世以降の文献は山字からか「中尾城」と記載しているが、「予陽河野家譜」などには「畑野城」と登場してくるのがそれであろうとされる(この定義はどうやら「西条誌」の著者に始まるようだ)。標高二五三・八メートルの山頂は見通しが余りよくなく、文献に頻出するほどの重要性があったかどうかは疑問を感じる。

 

四・東禅寺館

 中尾城が詰めの城だったのに対し、こちらはその平時の居住館(「里の城」と呼ばれるもの)であったといわれる。城主を祭った神社を始め、墓標、標柱などが残る。

 

五・木山城

 標高九五メートルの小高い丘の上にあったこの城からは宇摩平野が一望できる。中尾城、東禅寺館との関係が強かったと思われるが詳細は不明。

 

六・影城

 四方山に囲まれている旧浦山村にあったといわれる城。城跡も確認できず、歴史的文献にも登場しないことからいっさい不明である。

 

七・国吉城

 標高四四一メートルの入野山山頂にあったといわれる城。近世以降の資料には記されているものの、中世の戦記物などにはその名を載せていない。

 

八・横尾城(入野城)

 様々な文献にその名を見ることが出来るこの城は標高八四メートルの丘を利用したもので、その山頂からは土居町の平野部を見渡すことが出来る。横尾山城守の居城といわれている。

 

九・渋柿城(志武垣城)

 土居町の城でもっとも知られているものといえばこの城であろう。城主の薦田治部進義清は非常に領民に慕われていたようで、山麓には墓が残り、付近ではその慰霊を含んだ盆踊りが継承されている(これは東禅寺館跡にも同じようなものが見られる)。

 

十・里城

 渋柿城の「里の城」であったといい伝えられている場所が確かに存在したと「西条誌」などには見られるが、現在はミカン畑となってその跡を忍ぶことが出来ない。

 

十一・野田城

 野田氏の居城で、旧野田村内にあったらしいのだが、詳細は不明。町教育委員会も「野田に『土居の内』という小字が残る」こと以外は確認できなかったとしている。

 

十二・ふたつ城

 これも「せうの城」と同じく古地図に確認されるものだが、「関の峠」と「阿島峠」の間にあった山であるように描かれているものの、教育委員会の調査では遺構を確認できなかった。ただ、北野に「城 谷」という小字が確認できるのみとしている。

 

十三・土居構

 「伊予古城砦記」、「伊予不動記・土居構一覧」に見られる。旧土居村にあったとし、加地三郎左衛門上野五郎右衛門義成などの邸居とする。

 

十四・護摩堂城

 「伊予古城砦記」のみに見られる。浦山にあったとだけあるがその他一切不明。

 

十五・長田城

 「伊予古城砦記」をはじめ、二三の史料に伺うことが出来るが、渋柿城の支城ではないかということ以外は不明である。

 

以上

 

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