完全自己満足な日々。
一番下のカエルマークがついているのが最新デス
- 意味 -
私のやっていることは、意味がないと言われるかもしれない。
というか、自分で、こんなことやってて意味ないじゃん。
って何度も思う。
何の結果も生み出さないことなんだ。
でもこれをなくしたらなんのために生きてるのかわからないんだよ。
いまこうしていることが自分の生きてる意味だとかろうじて言える。
未来がなくても、いま生きてる意味がほしい。
それとか、こんな日記も、他の人には何の意味もないことだろうけれど、
自分にとっては意味があるんだ。
- 理由 -
どうして好きなのか、理由はないです
理由があるのなら、その理由がなくなったときに好きではなくなる
そんな「好き」は いらないから
私がこんなふうなのには理由はあります たぶん
でも、ないフリをしています
だって
理由がわかっているのなら、こうでなくなるようにしなければいけないでしょう
私はこのままでいたいから しゃべらない
だから誰にもわかってもらえないけれど
誰かにわかってもらうことより
このままでいたいってことなんです
- ぎゅっ -
強い自分って
きらいだな〜
かえるめーるいっこで
一日分の不安がうれしさにかわる
一人じゃ生きていけない頼りなくてバカな自分がすき
大切な人の大切さがわかる
そんな自分が
- 万能の言葉 -
大昔
人は草にも「霊」があると信じていた
だけどいつしか
そんなものあるわけないと
誰もが思うようになった
そうやって長い間、感情などないと思われていた植物が、火を近づけると恐がる。
そんな実験結果を見た。
彼らは共生と、自らを守るために、
フィトンチッドという物質を発散しているという。
祈りや呪文など病気治療の役には立たないと否定してきた科学は
感情や感覚による治癒効果を証明しつつある。
主張するよりも、理由を探すよりも前に、
体の中、脳の中では、情報伝達物質が分泌されているんだ。
私の体の中にも
きみの体の中にも
私が育てている草花の中にも
「自然」という
生き物全ての共通語が
生まれながらに宿っている
どうして人を殺してはいけないのか
初めてわかったような気がする
殺す必要など無いはずだ
憎む必要など無いはずだ
ただ
この万能の言葉を
人はよく忘れているから
お互いに思い出せばいい
それだけのことだ
目に見えないもの
心で見ていたものは
嘘でも幻でもないって
信じていいんだ
そう思える今
私も
きみも
猫も
私が育てる草花も
すべてが
無意味でない理由を
感じることができるよ
- 生きているという罪に -
まずはどんぐりを12個、どんぐり銀行に送りました。
預金通帳が来るのが楽しみです♪
人間は既存の生態系を壊してきたけれど、その修復は壊すときほど容易なことではないようですね。
たとえ森を作ったからって、それでイイ訳じゃなくて、そこに虫、虫を食べる鳥、鳥を食べる獣、その獣の死骸を食べる生き物という食物連鎖の環が元に戻るのかどうかは私にはわかりません。
ただたとえばどんな知識や無知や、感情や無感情も、地球に生きさせてもらっているという事実に比べたらとるにたらないことにも思える今の自分は、地球のためにできることを少しでもすることで、自分が自分としてそして人間として生きる罪のようなモノを、償えずともなんとか中和しようとしているんだろうと思います。
微力すぎますけど。
- 前向きなんです。 -
そう見せかけて
背中が前を向いてます。
そのままあとずさりすりゃ
一応物理的には前に進んでることになるでしょ
どおしても 前にいかなくちゃいけないらしい
いきたくもないのに
だから
こういう歩き方になってしまいました
どうせ 誰も
見破るコトなんてできやしないから
- 託す -
ときどき
文字の世界は いいなぁって 思ったりする
「文字」ってものがもつ力に
そういうのも 知らなくもないから
こうして 書いてるんだと 思う
でも
今
私は
文字を欲しがってるんじゃ、ない
匂いと
温度と
音と
光と風と
それ ぜんぶ
文字には ないよ
だけど
その瞬間にだけあった
匂いや
温度や
音や
光や風の組み合わせが
ずっと ここにいてほしくて
一生懸命 文字にしようとしているんです
- 熱いおせちがイイ -
お正月に、お料理やお掃除をしなくてもいいように、大晦日に準備をしておくんだなんて、大ウソだよねぇ。
お正月は家の中に人が多くて、お餅を焼いたりお刺身を切ったりビールを出したりが一日中続いて、食べ物を食べればゴミも出る、テーブルも流し台も床も汚れる。料理や掃除をしないで過ごせたお正月なんていったいいつあった?
それにさぁ。前の日に作った冷たいものを詰めたお重なんて、ぜんっぜんおいしくないし。やっぱ、あったかいものをあつあつで食べたいもんなぁ。前の日に揚げた唐揚げなんかよりほかほかのケンタッキーの方がおいしいじゃん。
それでも、そうしなくちゃいけないから、今年からは考え方を変えようと思った。
お正月三賀日は、お料理をしなくてもいいようにじゃなくって、お料理の腕をふるうためにあるんだ。
そう考えた方が自分的にはずっと納得がいくのです。
- 学習 -
失敗しちゃったなぁ。
って思ったら、いつでもやりなおしできたらいいんだけどね。
『人は自分の意志で生まれてきたわけじゃないから
自分の意志で死んじゃいけない』
とかいう詩があるそうな。
でもさ。
失敗して、やりなおしはきかなくて、
それからは坂を下るしかなくて、その先は「死」だとわかってたら
誰が生きていたい?
もーそうなっちゃったら、どんなきれいごとを言ったって、
残されているのはその場限りの楽しさだけなんだよ。
それを集め続ける?
「楽しさ」ってやつをアリみたく一生懸命収集して
死ぬまでそれをつなげていく?
それとか、
死ぬ間際に一言「ありがとう」とか言ったり、言われたり、
それで満足して死ぬ?
ちがうだろう?
正直に言え。
私なら
『自分の意志で生まれるか生まれないか選択できなかった代わりに
自分の死に方ぐらい自分で選びたい』
って書く。
人は、学習する生き物だから。
感動は続かないし、慣れるし、飽きる、
そんなありがたくない性質を持たされてるんだから。
成功するまで何度でもやりなおしできたっていいじゃない。
- 願い -
Webにもタウンページにも街の中にも見つからない
絶対と確実
見つけたのは一切の不確実と不安の追いかけっこ
人ほど
人の気持ちほど遷ろうものはないのに
探しても探しても見つからない絶対を
そこに見つけようとしてる
他の全てを裏切っても
自分にだけ絶対でいて
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