
ケコ記スペシャル〜ポコちゃん出産記〜
10月2日の朝に、出産の前兆といわれる「おしるし」があったが、その日のうちに陣痛が来ることはなかった。
予定日をだいぶ過ぎていたので、10月3日には誘発分娩のため入院することになっていた。
というわけで、その夜は寝床に妊娠・出産本を積み上げ、最後の勉強に励んだ。
12時ころから、定期的におなかが張る気がした。張っていない時間には、やや腹痛がある気がした。
これが同時に起こったら陣痛なんだろうな〜と思いつつ、読書を続けた。
あしたもし出産ということになったときのために、体力をためておかねばと気がついて、もう寝ることにした。
しかし眠れない。お腹は張るし、なんか痛い気もする。
2時ころからその間隔をメモにとってみた。
う〜ん、5、6分間隔・・・ しかもだんだん、生理痛だったら薬を飲むくらいの痛さになってきた。
全然耐えられる程度だけど、でも5、6分間隔ということは、病院に行くべきではなかろうか。
家人を起こして、相談して、病院に電話することにした。
電話をしたら、眠くて不機嫌そうな知らない医師に、今から来てくださいと言われた。
4時ころに病院に着いた。
さっそく内診。気になる子宮口の開きは、指1本ぶんだった。
がーん。それでは2週間前と変わっていない。やっぱり病院に来るの早すぎたかも・・
と、後悔していたが、もともと今日から入院することになっていたし、まあいいかと思った。
分娩室でおなじみのNSTをした。おなかの張りは今まで以上にカーブを描いていたけれど、
中年の言葉にトゲのある助産婦、イトウさんに「登山にたとえるならまだ1合目です」と言われた。
昔の職場のなかよしのパートさん、オクヤマさんは、痛くてナースコールをしたら、
「あなたね、お産が10まであるとしたら、あなたはまだ1です」と言われたという。
オクヤマさんと同じだ・・と思った。
初産は時間がかかること、陣痛促進剤を使ってもきょうあす生まれるとは限らない、ということも言われた。
うーん、長丁場になりそうだ。
それから、問診。体重や家族構成などののち、「食べられないものはありますか」ときかれた。
茄子が嫌いだけど、まあカレーに入っているのなら食べられなくもないし、
ほかの料理でもがんばれば何とかいける、と思って「ありません」と答えた。
個室が空いていたので、家人の承諾をえて、個室に入院することになった。
個室はビジネスホテルのようだった。テレビ、トイレ、シャワー付き。
家人は仕事疲れと睡眠不足で哀れな表情をしていた。
「まだまだみたいだから、うちで寝てから、2時ころにまた来て。あと、『天然生活』って雑誌を買ってきてほしい」
ということで、6時半ころに帰ってもらった。
そして、横になりながら陣痛の間隔をメモにとっていたら、看護婦のイトウさんがやって来て、
「それをやってると疲れちゃうからやめたほうがいいよ。まだまだ先が長いんだから」と言われた。
そうだろうなと納得して、メモをとるのはやめた。
8時に担当のオダ先生が部屋にやってきて、「もう予定日をだいぶ過ぎてるから、予定通り促進剤も使いましょう」
と言われた。9時から1時間に1錠ずつ、6錠まで飲めるが、様子を見つつということになった。
もともとある陣痛を後押しするというかんじなので、もはや抵抗はなかった。
9時に1錠飲んだのち、ずっと寝てなかったので体力をためねばと思い、寝ることにした。
今度はすーっと眠れて、約1時間後、携帯の目覚ましで目が覚めた。
陣痛はかなり弱まって、15分間隔くらいになった。しかし、体力がたまったので、よしよしと思った。
そして、かなり年配の助産婦、フジタさんに分娩室で内診してもらった。
「赤ちゃんは下りてきてるね・・・(内診)・・・わー、かったーい」
相変わらず、子宮口が固くて開いていないらしい。その付近をぐりぐりとマッサージされた。
「(子宮口を開くには)どうすればいいんでしょう」と悲しい気分できいてみたが
「寝て待ってればいいんです」とのことだった。
部屋に戻ると、なんだかもうけっこうな痛さだ。ひどい生理痛くらいのが約10分おき。
よしよし、もっと痛くなれ、と思った。ひとりだったのも、まだ気が楽なくらいだった。
陣痛と向き合うより、ごまかす方向でいきたい、できるだけ楽にいきたい、その方がポコにもよかろうと思い
部屋をぐるぐる歩き回ったり、心の中で「お家のリフォームペン太君」のテーマソングを歌って乗り越えた。
心のなかで田村亮子とペン太くんがたわむれていたのはものすごくどうでもよかったが、陣痛時にちょうどよい長さの歌だった。
そうこうしているうちに薬も4錠めを飲み終え、昼食が来た。
メニューはなんと・・・「茄子カレー」。
よりによって茄子カレー!カレーは大好きなのに茄子が!!とか思いながら食べ始めた。
食事中にも陣痛は容赦なくやって来る。今の痛かったな〜と思いながら食べつづけたら、
また激痛がガツ−ンと走った。
あれ?なんか間隔が短い??と思って、次の陣痛を待ったら、3分後に来た。
ちょっとこれは痛すぎる。もう昼食は食べられなくなった。
そして部屋をのたうちまわっていたが、ついにベッドに横になった。
すると5錠目の薬を持って助産婦のフジタさんがやってきた。
「痛いです」と言ったら、「じゃあ、薬はこれで終わりにしましょう」と言われ、ヤッタ−と思った。
そして横になって苦しんでいたが、ふとお風呂に入ったら陣痛がやわらぐというはなしを思い出し、
腰にはもともとホカロンを貼っていたが、お腹にも貼ってみた。
これがよく効いた。今まで無駄に痛い思いをしたな、と思うほどだった。
しかしそれもつかの間だった。痛すぎる。でも、痛いと言ったらダメな気がした。
叫んだりしたら赤ちゃんに酸素がいかなくなるともいうし、じーっとひとりで耐えつづけた。
すると助産婦のフジタさんがやってきて、内診をしましょうということになった。
そして、分娩台の上まで行って、内診を待った。
・・・来ない。フジタさんが来ない。急患があったらしい。となりの陣痛室からフジタさんの声がきこえる。
急患といっても生死にかかわる感じじゃないらしい。妊婦さん相手じゃないな・・。
「ハイ、これでおっぱいが出るようになりますよ〜」(フジタさんの声)
どうやら経産婦さんの乳マッサージをしつつ話しをしている模様。
そのなごやかなムードが憎い。私は忘れられたのだろうか?
これか・・インターネットで見た「分娩室で長い間ひとりぼっちにされて怖かった」というのは。
かれこれ30分は待っただろうか。やっとフジタさんがやってきた。
フジタさん:「あんまり痛そうじゃないね」
私:「いや痛いです」
そしてやっと内診。今どれくらいなんだろう・・
フジタさん:「あー、まだまだだわ。もう1錠飲みましょう。1時間ごとって言ってもね、きっかり時間守らなくてもいいの。」
私:「え〜〜〜」
フジタさん:「あなたね、痛い痛いって言ってるけど、本当のお産はもっと痛いのよ!!さあ部屋に戻って飲みなさい!」
そしてフラフラと分娩室を出ると、再びフジタさんが現れ、
「先生も、もう1錠飲むようにって言ってたわよ」と言った。
「そうですか・・・」
部屋に戻ってから、悲しい気持ちでいっぱいになりながら最後の薬を飲んだ。
これを促進する薬なんてぜったい飲みたくなかったけど、飲んだ。
もう2時をまわっていた。そろそろ心細くなってきた。家人はまだ来ない。
メールが来ていた。こちらに向かっているらしい。
さっきのフジタさんの「あんまり痛そうじゃないね」という言葉が心によみがえった。
次の陣痛が来たとき、ついに「・・痛い・・」と声に出した。
痛いときは痛いと素直に言ったほうがいいのかもしれないと思った。
痛みはもはや、ペンタ君やホカロンではごまかしようがないレベルに達していた。
しかしここで「ヒッヒッフー」の呼吸法を思い出した。
けっこう気が紛れる。じっとしているよりはましだった。
それから、腕をつねったり引っ掻いたりして痛みと戦いつづけた。
もう1〜3分間隔だが、まだまだらしい。
本に書いてあることはなにもあてにはならないと思った。
3時すぎに、家人がやっとやって来た。「天然生活」とポッキ−と水を持って。
わたしの様子を見て、「これ(天然生活)読んでる場合じゃないみたいだね・・」と言った。
わたしは「本当のお産はもっと痛いって言われた・・」と言った。
それから、陣痛がくるたびに腰を揉んでもらった。「痛い痛い」と声を出さずにはいられなかった。
その合間にトイレに行ったりするのだが、もう一挙一動に陣痛がついてまわる。
陣痛と陣痛の合間にも「ヒッヒッフー」の呼吸を続けることにした。いちいち休んでいたらバカを見ると思った。
あの痛み、いろんな表現がされているけれど、「雷に打たれっぱなし」というのがわたしにはいちばんしっくり来る。
そうこうしている間に部屋に訪問者が。29歳女医のヒラマ先生だ。担当ではないが、とっても気さくでいい先生だ。
「初産婦さんは大変なんだよね〜」などと言いながら、腰をさすってくれた。
「叫んでもいいんですか?」と訊いたら、「どうぞどうぞ!みんな叫びまくってますよ」と言われた。
そして、「まあ、今日の夜か、明日の朝にはなんとかなるでしょう」と言われた。
今日の夜か明日の朝までこれが?とわたしと家人の心に暗い暗い影が落ちた。
夜までこれだったら、生きていられる自信がないが、でも夜まで続くらしい。
先生が出ていったあと、トイレでしばし悩んだ。
ポコのうしろに便がつかえているようで、それが気になって仕方がないのだ。
臨月に入ってから、便秘には細心の注意を払っていたが、今日はまだだった。
これではポコに集中できない。なんとかならないものか。
トイレから出て、「ポコちゃんのうしろに便がつかえていて気持ちが悪いんだけど、
こんなことでナースコールしてもいいのかな」と家人に相談した。
しなさいしなさいというので、ナースコールをした。
「便がつかえている気がするんですが〜」
そして、ナースステーションに呼ばれた。
4時ころのことだった。
ナースステーションには、たまたまオダ先生が来ていた。
「だいぶ進んでいるみたいだね。よし、見てみよう」と言われ、分娩室へ。
内診。陣痛に紛れているので全然痛くない。
そして、「わー、もうここまで来てる。すごい。全開大だ、お産でーす、準備してくださーい(スタッフに向かって)」
と、まったく予想外の言葉。
え〜〜〜!!
昨日、トイレでヤモリに遭遇したときの100倍は驚いた。
そのあと、「ヤッタ−」と思った。
分娩台の上で準備がととのうのを待つ。
全開大・・ということはすでにいきみたい時期ではないか。
そういえばいきみたい。分娩台の上だけどまだできない。めちゃくちゃ辛くなってきた。
「いきみたいよねー。でもまだ産道が固いから、がまんしてね」とオダ先生。
そして分娩室からいなくなってしまった。
若く美しい看護婦さんがずっと傍についていてくれたが、見るからに準備は滞っている。
容赦なく襲う陣痛に、もう、いきみを逃す「フーウン」という呼吸法の存在などすっかり忘れ、
看護婦さんの手を握り、「痛い〜〜」と声を上げてジタバタし、頭をかきむしったりした。
そこに助産婦さんが登場。イトウさんでもフジタさんでもない、初対面のシミズさんというかただった。
司馬遼太郎を彷彿とさせる、気品と風格漂う中年の女性だった。ひとめで好感を持った。
「ぜんぜん準備できてないじゃなーい!」とシミズさん。
「だってわからないんだもん」と看護婦さん(外来専門だかららしい)。
「ああそうか」と、手早く準備を進めるシミズさん。
オダ先生もやっと登場。そして、部屋で待っている家人に「お産になります」と報告してきてくれた。
それまで家人は、つかえた便をどうにかしてもらっていると思っていたという・・・。
先生が戻ってきた。
「6時までに産んでね〜。6時に上がりたいから」との言葉に、笑う。
つかまるところはないと思っていたが、左右両側にあった。
それをつかむように看護婦さんに言われ、そうした。
そうこうしているうちにシミズさんの手によって、破水。
これが破水か・・本当に生ぬるいんだなあーと思った。
そして、「じゃあいきんでみようか」との言葉が福音に思えた。
2回深呼吸していきんでみた。
「いきみ、うまいですね」「うまいね」との先生たちの会話に、私はすっかり気をよくした。
2、3回目は、声を出さないで、とか、背中をそらさないで、前を向いて弓なりになって、と注意された。
ワア、『私たちは繁殖している』に書いてあったのと同じだと思った。
ときどきポコの心拍数が極端に下がって、かなりヒヤヒヤした。
そして、「便もおしっこも全部出すくらいのいきおいでないと、お産にならないのよ」とシミズさんに言われる。
そうか、と思って、4回目。かなり長い時間いきんで、我ながら「上手いのではないか」と思った。
「頭が見えてきたよー」と言われる。よしよし。
ジャキジャキと音が聞こえる・・「切られたな」と思った。全然痛くない。
そして5回目のいきみで、ポコがずるずると出てきた。
最後の「ハッハッハッ」の逃しの呼吸をすることもなく、元気な産声が聞こえた。
今まで、超音波写真で見ていたポコはどう見てもすごい顔だった。
それでも自分にはかわいいだろうなと思ってはいたが、実際に見ると普通にかわいらしく思えた。
そのため、「かわいい!」 がわたしの第一声だった。
「きれいな色の赤ちゃんです」とシミズさんにほめられる。
赤かった。
胸の上に置かれたポコをながめているうちに、後産は終わっていた。
その後、切ったところを縫われたが、麻酔を使っていたので何も感じなかった。
麻酔を使わないところもあるらしい。使うところでよかった。
「ハイ、これで1か月後には、どこを切ったかわからなくなるでしょう」と先生。
そうかそうか。
「きみはねー、お産が始まったら絶対安産の人だったからね」と言われた。
たしかに、いきみはじめてからは安産だった。
ポコは飲みこんだ羊水を吸引されながら、ずっと泣いていた。
その後お風呂に入れられ、体重を計られ(3116グラムだった)、タオルにくるまれて私の元にやって来た。
寝たまま抱っこをしながら、泣いているポコに「ポコちゃん・・・ママだよ」といつも言っていた言葉を言ったら、
泣き止んだ。ちょっと感動。
先生が、「○○さんがもう7cmだから、次のお産に入ります」と言っているのが聞こえた。
あわただしく分娩台を下りる。
廊下にはわたしのための車椅子が用意されていたが、先生に「歩ける?」と訊かれ、「ハイ」と答え、
先生と一緒に歩いて部屋に戻った。
本当は、出産が終わっても2時間は分娩台の上で寝ているものなのだそうだ。
そういえば、音楽も流れなかった。
わたしの次に出産したタカザワさんは、4時半に陣痛が来て、慌てて病院に駆け込み、
内診で「開きすぎ!(子宮口)」と言われ、分娩室に直行し、6時に出産したという。
2人目だったのだが、「すっごい楽だった」そうだ。
1人目は促進剤を使ったが、やっぱり、促進剤は痛すぎるかも、と言っていた。
タカザワさんが出産したころ、陣痛室ではとなりの分娩室が空くのを待っているカナザワさんという人が苦しんでいた。
タカザワさんがおとなしすぎて、となりが分娩中というのがどうしても信じられなかったそうだ。
そして、痛くて分娩室に移動することができず、陣痛室で6時45分に出産した。
つまり、10月3日は3時間のうちに3人が出産した。スタッフにとっては嵐のように忙しい日であったことだろう。
入院中は、その後5日に1人が出産し(授乳室でその様子を聞いた。音楽が流れていた)、
退院の8日まではお産はなかった。
分娩台に上れなかったカナザワさんは、後日、胸が張って痛くて眠れなくなり、
深夜、分娩台の上で助産婦さんに乳マッサージをしてもらったそうだ(笑)。
産み終わったらすべての痛みから解放されると思っていたが、まず、麻酔が切れた。
それから、後陣痛が来た。子宮が急速に収縮し、もうポコのいないお腹が動いた。
産後がこんなに痛いとは知らなかった。
体温も37度8分に急上昇していた。(そういうものなのだそうだ)
痛みと興奮で眠れないまま明日が来るのを待った。
こうして長い長い10月3日が終わった。