●ハンムラビ法典現代日本語訳:☆よくあるご質問


Q:ハンムラビとは、なんですか?
Q:ハンムラビ法典は、現在、何処にあるのですか?
Q:ハンムラビ法典は、何語で書かれていたのですか?
Q:楔型文字は、どんな文字ですか?
Q:楔型文字の翻訳は、どうやって行われたのですか?
Q:メソポタミアとは、どこですか?
Q:「メソポタミア文明」っていつ頃なのでしょうか?
Q:バビロンとは、どこですか?
Q:ハンムラビ法典は、世界最古の法典ですか?
Q:「捺印証書」という言葉が出てきますが、この時代に印鑑があったのですか?
Q:ハンムラビ法典の石碑はいつまで達てられていたのでしょう?
Q:ハンムラビ法典では、違反者は殺されるという条文が多いようですが、死刑が多かったのですか?
Q:この日本語訳はブリタニカ収録の英文のハンムラビ法典と内容が若干違うところがあるようですが、なぜですか。
Q:別の訳によっては、存在する条文としない条文があるようですが、なぜですか。
Q:なぜ、「ハンムラビ法典=目には目を、歯には歯を」という誤解を持たれているのでしょうか。
Q:なぜ、ハンムラビ法典の現代日本語訳は存在しないか、入手困難なのでしょうか?
Q:銀1マヌーとは、どのくらいですか?
Q:1クルとは、どのくらいですか?
Q:1イクーとは、どのくらいですか?

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Q:ハンムラビとは、なんですか?
A:この法典の制定者でバビロニア帝国の王の名前です。在位紀元前1792〜紀元前1750です。仏文ではハンムラ「ピ」(pi)、英文ではハンムラ「ビ」(bi)と発音・表記されているようです。日本語でもハンムラ「ピ」(pi)と書くのが正統派のように思えますが、日本の義務教育の社会科でハンムラ「ビ」(bi)法典とされているのでここではそれに合わせました。
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Q:ハンムラビ法典は、現在、何処にあるのですか?
A:フランスのルーブル美術館にあるそうです。黒い玄武岩で出来た高さ2.25mの円錐状の石柱に刻まれています。
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Q:ハンムラビ法典は、何語で書かれていたのですか?
A:楔形文字でアッカド語で書かれていました。
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Q:楔型文字は、どんな文字ですか?
A:楔型文字は、チグリス・ユーフラテス河流域のメソポタミア文明が産んだとされる古代文明世界の文字で、紀元前3100年頃から、約3000年間に渡って使用されていたようです。数カ国語(文字)があり、初期はシュメール語が多く使用され、ハンムラビ法典は当時の国際語であるアッカド語です。絵文字から始まり、表意文字(イデオグラフ)表音文字(アルファベット)の組み合わせの紆余曲折の末、ウリガト文字(楔型文字)を経て、フェニキア人により今日のアルファベットへ受け継がれています。
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Q:楔型文字の翻訳は、どうやって行われたのですか?
A:楔型文字の文献(粘土版等)は、数多く発掘されています。1774年のドイツ人旅行家ニーブールの著作を出発点として、楔型文字そのもの解読は各国の研究者により紆余曲折の内に進められ、今日では辞書が整備されつつあるほどです。
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Q:メソポタミアとは、どこですか?
A:メソポタミアはギリシア語で2つの河の間という意味です。チグリス河とユーフラテス河に挟まれた広大な地域で、現在の国でいうとイラク、シリア東部、イラン西部にあたります。
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Q:「メソポタミア文明」っていつ頃なのでしょうか?
A:人類は約10000年前のベェルム氷期の終わり以降に農耕の発明により文明の成立に至ったと考えられています。メソポタミア文明は、約6000年前に初期王朝が成立した人類の最古の文明とされています。日本では縄文時代にあたります。(やや遅れての同時期にエジプト文明、黄河文明、さらにあとにインダス文明が成立し、古代世界の4大文明と言われています) メソポタミアの古代の担い手はシュメール人で、後にはバビロニア人(シュメールとアッカド)が担いますが、彼等により二次方程式や平方根の計算法が発明され、天文学も高度に発達し、紀元前2234年からの天文記録も粘土版に残されていたそうです。
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Q:バビロンとは、どこですか?
A:バビロニア王国の都バビロンは、現在のバクダットにありました。
紀元前7世紀のバビロンは1辺が約1km以上のほぼ正方形の都市だったそうです。町の中心にバベルの塔があり北門の近くに空中庭園、その他大神の神殿が53、祀堂が55、小神の神殿が約1000もあったそうです。
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Q:ハンムラビ法典は、世界最古の法典ですか?
A:いいえ、ハンムラビ法典と同等の条文を含む以前の時代のシュメール法典の文献が出土していますので最古の法典というわけではありません。ハンムラビがそれ以前の歴史的蓄積を大規模に収集・編纂・検討し、それゆえに、その後の歴史の評価に長期間耐える自信作だったものと思われます。
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Q:「捺印証書」という言葉が出てきますが、この時代に印鑑があったのですか?
A:粘土版に古代オリエント独特の「円筒印章」を押したものが出土しています。
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Q:ハンムラビ法典の石碑はいつまで達てられていたのでしょう?
A:もともとは後文にあるように「バビロンの基礎堅固な神殿エーサギラ」に設置されていたはずですが、太陽神シャマシュ神殿もあるシッパルにあったものと推測されています。その後、紀元前12世紀頃、バビロニアに進入したエラム人によって、エラム人の戦利品としてスーサに持ち去られたものとされています。当初設置の神殿には、およそ600年間設置されていたことになります。
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Q:ハンムラビ法典では、違反者は殺されるという条文が多いようですが、死刑が多かったのですか?
A:当時の裁判記録が多く出土している中で、死刑実施の証拠となるものが無いと言われているようです。したがって、死刑自体は威嚇効果を狙ったものとする説もあります。あるいは、死刑に相当する犯罪は、少なかったのかも知れません。
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Q:この日本語訳はブリタニカ収録の英文のハンムラビ法典と内容が若干違うところがあるようですが、なぜですか。
A:主な原因は、英文訳はアッカド語を仏文に訳したものをさらに英文に訳していると推定され、二重に意訳されているため、意味のズレが生じているものと思われます。この現代日本語訳は、楔形文字研究文献からの現代日本語訳です。アッカド語は、表意文字と音節文字の組み合わせであり、ちょうど漢字カナ交じり文を母国語とする日本人研究者の文献ほうが、他の言語や他の言語の重訳に比較して、ある意味では正確に訳していると思われます。
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Q:別の訳によっては、存在する条文としない条文があるようですが、なぜですか。
A:スーサでの発見はシャイルにより1902年に発表され、碑文には65条の後7欄分等の欠落がありました。後に1914年にペンシルバニア断片により補完されたり、粘土版の写本等の発見による補完があったため、根拠とする原本に差異があるものと思われます。条文番号もスーサ碑文の直線の区画によりセクション1からセクション282として条文番号としていますが、原文上は番号の意味は無いものと思われます。
たとえばブリタニカ版の英文には13条は不吉な数字だから13条はないのであろう、としてセクション13の訳を12条に含めていますが、おそらくは研究当時の宗教観によるもので、原文では意味のない番号割り振りだと思います。
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Q:なぜ、「ハンムラビ法典=目には目を、歯には歯を」という誤解を持たれているのでしょうか?
A:1915年の英文の紹介によると、聖書ヘブル記の有名な「目には目を」という法が、そのはるか以前のハンムラビ法典の中にも存在していた、という点が強調されています。(ヘブル記では「ひとつの目にはひとつの目を」で同害復讐が明確ですが、ハンムラビ法典では、完全自由人が同格の完全自由人の目を潰した場合は、対価は目だが、奴隷の場合は対価は有価物である、とう趣旨の中の条文のひとつです) おそらく、キリスト教圏では、ヘブル記の前提常識があって、「それより以前のハンムラビ法典にも同等の記載があった」、という意味合いの紹介の切り口のひとつだと思われます。ヘブル記の前提常識のない多くの日本人は、その紹介の部分だけが印象に残って、「ハンムラビ法典=目には目を」と誤解されているのではないのでしょうか。一方、バビロニアでの文明が旧約聖書へ繋がり、今日の文明の基礎となっているという論争は、1900年代に盛んだったそうです。
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Q:なぜ、ハンムラビ法典の現代日本語訳は存在しないか、入手困難なのでしょうか?
A:推測に過ぎませんが、以下のように思えます。1949年の原田慶吉氏の論文によると、意訳や重訳による意味のねじれが多く「明快な訳文が無い」という指摘をしています。その以前にも何人もの研究者が全文の邦訳をされている史実はあるようですが、その時点でも入手困難であったようです。各界の研究者は、英文や仏文のものを参考にしているようです。英文、仏文の情報が流用しやすい反面、しかしそれらは意訳による誤りや解釈の違いがあるため、日本語訳の定番が無いものと思われます。
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Q:銀1マヌーとは、どのくらいですか?
A:1マヌー(manu)=60シクル=1080シェ≒50.76gまたは約500gとの両説
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Q:1クルとは、どのくらいですか?
A:1クル(qa)=300クー≒252リットルまたは120リットルとの両説
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Q:1イクーとは、どのくらいですか?
A:1イクー(iku)=100サル≒4465.5m2
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☆参考資料/提供者御名前/資料提供ありがとうございました。☆
バビロニアの代数の資料/佐藤修氏ご提供資料
「週刊朝日百科世界の歴史3」1988/西村奨氏ご提供資料・碑文写真等掲載
2500 BC The Code of Hammurabi Translated by L. W. KingWith commentary from Charles F. Horne, Ph.D. (1915)
The Eleventh Edition of the Encyclopaedia Britannica, 1910by the Rev. Claude Hermann Walter Johns, M.A. Litt.D.

July-Aug.1999
written by t.uraki/all rights reserved
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