中東のスイス

レバノン共和国は総面積1230平方`で、わが国で言えば岐阜県ほどの小国である。西は地中海に面し、北と東はシリヤ、南はイスラエルに接し、その形状は南北217キロ、東西の幅3256キロという帯状をなしている。レバノンはしばしば中東のスイスと呼ばれている。スイスと同じく、すばらしい風景、数多くの避暑地、さらにはいくつかのスキー・スロープすら存在する。アルプスにも似たその山脈は、レバノンをして宗教的・政治的隠匿者の天国とならしめ、その国民はスイスと同様、かたくなな個人主義の名声を獲得してきた。レバノンの首都ベイルートは、チューリッヒ若しくはジュネーブのように、慎重かつ親切な銀行、豊富な商品をもつ商店、すぐれた学校および医療機関、多くの外国人をひきつける。
中東アラブの諸国の金融、貿易、および教育の中心地である。









ベイルート

ベイルートの町は地図からもわかるとおり、地中海岸の西側に少し突き出た台形に近い都市で、北側と西側を海に囲まれている。この都市も、他の世界の大都会と同じく郊外(といっても南および東部の内陸地帯にしか余地はないのだか)にどんどん広がりつつある。

しかし、元来のベイルート市は、ベイルート=トリポリ街道につながる海岸沿いの大通りが北のベイルート港付近から西側一帯をぐるりと半円を描いて回り、其の道路が更に東に向かって内陸部を横断し、やがてベイルート川にぶつかる楕円形に囲まれた地帯である。この楕円形の街のほぼ真中を東西に区分するのがベイルート=ダマスカス街道であって、ベイルート東部、ベイルート西部という区分はこの街道からの東側、西側を意味する。このベイルート市にあって、外国人の多く居住しているのは、西部から西北部にかけての海岸に近い一帯であり、また超高級ホテルやレストランが立ち並ぶのも北西部の海岸沿いの一帯である。ベイルート市の目抜き通りであるハムラ通りもこの北西部海岸近くにあり、この周辺には中・高級アパートが林立しており、ベイルート市の最もモダンな1画を形成している。日本大使館もこの西海岸の大道りに面した所に居を構えていた。



パールベック

ベイルートからダマスカス街道に出ると、道はすぐレバノン山脈の西側斜面に入る。登り切る途中、避暑地で有名な町町があらはれる。大統領官邸、各国の大使公邸が並ぶアレイと言う町もあり道は更に登ると、後ろにベイルート市全市が左右にパノラマの様に壮大に見えかくれする。目の前にサニン山がありレバノンという国名はアラム語の「白」から由来した事は有名である。海岸線からこの国に入る時、何時も山が雪をかぶって居るからこの名が出た。南周りからベイルートに入る時、飛行機はレバノン山脈の中でも最も雪の多い中部山岳の真上を飛ぶ。4月頃でも真っ白だ。





レバノン山脈とアンチィ・レバノン山脈に囲まれた平原にある。レバノンにはローマ時代の遺跡だけで4050を数えると言うが、其の中で最大のものは言うまでも無くパールベーックの大神殿であり内陸部の奥深くペッカ高原のほぼ中央に存在する。

ジュピターの神殿、パッカスの神殿、ビィーナスの神殿の3つからなり何れもローマ時代の建設だが戦争、地震で幾度も破壊を受けてきた。大神殿のジュピター神殿はスケールの大きさで圧倒する。現存する6本の大円柱(高さ20メートルといはれる、この高さは現在でも最高の柱と言はれるそれを支える巨大な基檀とともに強い力量感を持って威圧する。
かつてはこれらの大円柱がこの幅85メートル、横47メートルの大基壇の4辺を取り巻いて54本を数えたと言う。アテネの有名なパルチィノンすら大きいから、この遺跡の規模がうかがわれよう。





ビブロス

ビブロスに行くには海岸沿いに約15キロ「犬の川」という川がある。小アジアとアラビア・エジブトをつなぐ通路はこの道きり無く、幾多の軍勢が此処を通ったはずである。この岩壁に碑文が刻んである。少し奥に鍾乳洞があり舟で見物する様になっている。





レバノン国営のカジノ・ド・リボンを右側に見て約40キロ走った所にある。






バイブル(聖書)と言う言葉はその素材である紙パビルスに由来する。
この遺跡のシンポルは十字軍によって造られた高い天守閣にも似た石作りの櫓であって、フェニキア時代、ローマ・ビザンチン時代の遺跡の上に十字軍が巨大な城を築城したからである。この遺跡のなによりの特徴は、紀元前5000年 以来の石器時代から、中世の十字軍にいたる幾重もの歴史層が重なり合って存在する事である。事実この十字軍の櫓に登ってこの遺跡全体をみると、左手の斜面には紀元前3000年の青銅器時代の右手に小高い丘にはヘレニズム風の石柱が何本か並んでいるのが見える。この丘には古代の貯水池があり、また丘の向こうにはローマ時代の円形劇場があって、さらにその右手一体はフェニキア時代の王室墳墓となっている。古代遺跡のままの船着き場はレバノン杉の木材やパピルスなどをギリシャ、エジブトに送ったんだろうか。この町は「住民が昔から引き続いて住んでいる町の中で、世界で最も古い町」であり、現代こそベイルートが西側の窓口であるが、この時代はこのビブロスこそ窓口であった。

更に有名にした物に杉がある。

今日のレバノン杉は5000年にわたる乱伐、天然記念物と化してしまいました。国旗の杉はこの森の一本を描いた物である。これらの杉がレバノン山脈を覆っていたとすれば、それは壮大だろう。古代エジプトはおろか遠くイランのペルセポリスの神殿までこの一帯の木材供給源になっていた。








シドン(サイーダ)


南部レバノンでイスラエルに接する海岸都市チィールと同じ南部の中ほどにシドンがある、この両都市ともフェニキア自体の遺跡は今日殆ど残ってないが、シドンには海岸につき出た十字軍の城砦がある。





此処はベイルートから100キロ位あり、イスラエルに近いせいかパスポートを持参しないと、行かれない。殆ど破壊されているが、ところどころに、地面に引き詰められているタイルは見事。昔の栄華を残している。私はバルベックより此方の方が好きだ。



スール(ティール)







ビジョンロック





私たちが住んでいたラオゥシエーの前の海に“鳩の岩”と言われる見事な岩があり、海岸一体が土地の人の、憩いの場所になっている。頭にパンを台に載せたパン売り、秋は焼き栗屋が出て、多くの人が家族揃って散策している。

地中海の海の色は七色に変わると言われ何処までも青く綺麗、水上スキーをしている人も見かけ、空も透けるような真っ青、太陽が沈む時これまた見事だ。

覚えているかな?パン     丸く20センチ位のドーナツ型。買うと中が空洞になっており独特の香料の入った粉を入れてくれ、付けて食べると美味しかった事を。

こんな殆ど一年中泳げる綺麗な海、空、を持っている国が羨ましかった。持って来られる物なら持って来たかた。




スーク



地域によってはバザールと呼ばれるが中東独特の「市場」中東の主要都市の何処でもあり朝早くから活気に満ち、埃っぽく独特の、なんとも言えない臭気がスークにある。
着いた翌日早速買出しに行った。入り口は幾つもある様だが中は迷路だ。何時も同じ郵便局の通りの前から入った。地面は羊の血が流れ入り口は野菜、果物少し奥に入ると左に殺された羊が数頭ぶら下り、台の上には今から考えると白い羊の脳が置かれ地面には鶏が籠を掛けられ数匹、幾籠も置いてあり。右側には魚屋だ。あじ、かます、海老、 ホワイト ツナ(マグロだと思う)うなぎ等々あり、あじ、かますは干物を作った。海老は日本で言う大正海老で1キロ
300円(日本の100円が110ポンドに当り、面倒なので100ポンド=100円と計算していた。その下に10ピヤス、25ピヤスと細かく分かれていた。)其の当時、海老は日本では高級品、毎日の様に海老フライ食べたの覚えている?

近くのグロサリーでオレンジ1キロ75ピヤスタ−なのに、スークへ行くと3キロ1ポンドもしなく毎日買いに行った。