羽田出発
中東のパリ=ベイルート
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バビドリス(通りの名)には高級な魚屋がありロシヤからの冷凍鮭があり1キロ2キロと買う。輪きり売りで、切れない?包丁で不細工に切ってくれ、家に帰り解凍し薄切りにして塩鮭を作った。又生きた海老が1キロ25ポンドで売っており(甘えビ見たい)(日本円で計算すると2千500円強)よく買いました。日本に帰ってきてから智子が日本に生きた海老無いの良く言われましたが値段が高く買う事ができませんでした。――――凄い物ですね海老、頭をもいでも頭が動いているのです。この店は昼頃でないと開かず昼のお客には間に合わない、でもお魚を3枚に下ろしてくれるので助かりす。近くに野菜も売っており、なんて言う名の野菜か知らないけれど、牛蒡らしき物を見つけキンピラ牛蒡作りました。北欧から来るらしく、段々店の主人が覚え牛蒡?が入ると日本人にゴボウゴボウと叫んでいました。里芋はえごく食べられませんでした。 海水浴に行くサウンズで鯛を売っており、それは立派なもので、30センチ以上、刺身、天火で浜焼き見たいに焼きましたが、此れに生姜があれば最高、生姜はクウエートのスーパマケートに有るのでパパに出張の時買って来てくれる様良く頼みました。この鯛の店に、雲丹があるのです。1ダース2ダースと注文するのですが、殻の上を綺麗にくりぬいてくれます、でも日本で見かけるのと種類が少し違うみたい小振り。 町に行くのに大体、セルヴィース(乗合タクシー ベンツ)25ピヤスターで行きます。いろんな人がのるので特有の匂いがする、毎日の様に乗るのでタクシーには乗って入れない。帰りもラゥオシェと言って利用したものです。 話が戻るが、スークの中にひときわ目を見張るのは金売り場です。古い鉄柵に囲まれ門で区切られ一画に集まっており、300軒ぐらいの店がある。飾られている金製品。此れみんな金製品なのだ。ショーウイィンドゥを見ていると目がキラキラ眩しく本当に本当なのと目を見張ります。まことに壮観。 又、キロと言う所は布を量りで売り必要なだけ買う事が出来ます。 スークを出るとバビドリスがあり高級品の物を売っている店が沢山あります、魚屋、八百屋も其処にありますが、側に通称“おしゃれ横丁”と呼ばれる通りがあり、イタリー製、フランス製、スイス製各国の物が溢れていた。其の頃はシャネルetc.は騒がれない以前の時代です。 町は金製品と言うのか宝石店があふれ良く冷やかしたものです。どの店に入っても「シャイ(トルコ・コーヒー)」「オレンジ」と聞きジュースでもコーヒーでも簡単に飲ませてくれ、其れを配達する子供がウロウロしている。ケーキ屋に行くと1個紙に食べ安いように包んでくれ♪お菓子の好なパリ娘♪さながらケーキ片手に、何処の店で今日はお茶を飲もうか話しあった。 日本食のレストランは無くチャイニーズ1軒のみ、それ故昼夜とお客が多く、其の頃トヨダ自動車の駐在所はなく、横浜ゴムが見ており、トヨダの旅行者を皆面倒見ていた、泊まるのはシテーホテルだが食事の世話は大体家で大変だった。モナコで自動車レースの見物帰りの時など30人近く家に見えたのだから、家は広くこの点はよいのだが今から考えるとドンナ接待したか、私1人で何をおもてなし、したのか恥ずかしくなる様だ。 パパが出張で皆がいない時良くチャイニーズ レストランに行き2人には欲しい物を食べさせ私は搾菜とご飯を取り楽しんだ。 当時駐在員の食事は3食、家で2食はメイドが作るが夜はパパが居なくても誰か駐在員が居る時は私が作った勿論子供にも食べさせるのだから当たり前だが手抜きは出来ない。でも気を使って下さりドイツ、レストランに連れて行って下さる事もあった。 今でも面白く考えてしまうのは17杯お代わりした新記録の方、パパがアンマンで出張の折、知り合いになりベイルートに来た時寄るように話したのが尋ねて来られたのだ、幾ら何でもソンナニお代わりすると考えて居ず大困りした。噂に寄ると今韓国で仕事していられるとの事名前は覚えてないが17杯飯さんと其の人の事を呼んでいた。 お客さんのある時は子供の食事の面倒なぞ見て居れず、町で鶏をローストと言うのか丸のまま5匹位5段位ぐるぐる回し焼いている、其れを新聞紙位の大きさの薄いパンに包んでくれ鶏を手でむしりそのパンに包んで食べると結構、美味しいらしかった。1ヶづつ渡した。 普段でも昼休みがあり午後2時から4時迄昼休み、夏は2時で会社も終わり。 それから泳ぎに・ゴルフを楽しんだ。 智子が着ているビキニの水着バブドリス迄買いに行き生憎午後の休み2時過ぎにウィンドウに飾ってあるのが欲しいと言うので、4時開くまで待っていた懐かしい思い出だ。 面白い物が見付かった。 |

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ベイルートに行く頃智子は自分の名前を辛うじて書くのがヤットだった。こんな物が残っていると思わなかった。 海に、プールに毎日泳ぎに行った海岸にそれぞれ名が付いておりサンミシェル、サンシモンーーーーーーーーサウンズ世界の有名な海の名が付いている。3月頃から11月頃まで泳げ水は冷たいが透き通り小さな魚が泳いでいるのが見え、言うに言えない気持ちよいものだった。でも泳いでいる人は僅か、殆どの人は椅子に寝そべって日光浴。一日太陽に当っていた。此れも民族の違いか?面白くみていた。 |
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映画やショウは夜10時から始まり、2人を寝かせ主人とスタルコの地下の映画館やプラスチィキャノンの映画館に良く行った。ウエストサイド物語、ハタリ、世界で一番長い日、バード、007シリーズ、アランドロンの名を忘れたがetc.私には全然分からず、動作で笑う無声映画だった。帰りにお茶を飲みティーバックの紅茶の存在を知った、日本には未だ無かった。又クラブで見るベーリ ダンスは官能的と言うのか私が見ていて感心させられたが男性にはどう映るのか? カジノには行ったが、賭けをした事一度も無いが、友達が昨日カジノで勝ったから昼食奢ると良くスイス レストランでご馳走になった此れも今となると楽しい思い出。 二月に1回ぐらい家族同士でピクニックに行く、山の奥に化石を掘りに行き昔こんな山奥にこんな物と驚いた。その時の為買ってきた金鎚、日本製には此れ又驚いた。 ローマ時代、日本の何時に当たるのだろうか。見当付かないが、紀元前3000−3500年らしい。勿論日本の縄文式時代、弥生文化の以前の事である。聖徳太子の時代位は見当付くが、其れよりもズーーと昔、その時代はと思うと頭が変になるコンガラカリ分からない。 一晩考えた。6000年以前、其れは日本が出来、神武天皇から奈良時代、飛んで徳川時代、明治、大正、昭和時代を経ても3000年たっていないのです。小学校の時“紀元は2600年”と言う歌を歌った覚えがあります。其れより3000年昔日本が出来る以前、縄文時代と言はれるが其れよりズーーーと前の事。 中近東の事を考えると6000年、昔何も無い、今と違い太陽の位置で計算して位置を知る。 IT時代とは大違い。如何してこんな壮大な建物、どうやって物を運んだのだろうか。 その頃の人間の頭脳はどんな物だったのでしょう。 1962年5月20日羽田を出発した。 駐在所長第1号としてベイルートに向かった。その頃横浜ゴムはパナマ、バンコック、 ハンブルグ、ベイルート4ヶ所駐在所が有り、私達の家族が“主人赴任1年”の条件に合っていたのです。 パンアメリカ航空で香港1泊で会社関係、家族に見送られ、空港でパスポート、日本円5万円のドルを渡された。当時1人5万きり出国の時持ち出しを許されなかった。1ドル360円の時代。 香港で飛行機会社指定のPark hotelに泊まり翌日夕方6時香港発。午前中はホテルが珍しく2人がベートの上で飛び跳ね遊びました9階だったかなーーー下を見ると兵舎なのでしょうか軍事訓練しているのが見えました。(平成になり友達と香港に行き調べたら今でも営業して居ます) 午後から関谷の人がフエリーで香港島を案内してくれその後中華料理屋で北京ダックをご馳走になりました。その時の北京ダックが美味しかった事。初めてでもあり驚きました。日本に帰り何回か食べましたが、あの時ほど美味しい北京ダックにお目に掛かれませんでした 出発時間前に空港に行きロービーで出発の時間を待っていると“4時間遅れる”とコールされ“何でも飲んで良い”と言はれましたが気温が高く気づかれして疲れ果ててしまいました。智子は寝てしまい飛行機に抱いて乗せその重かった事。パンコク、ニューデリー、カラチを通り段々夜が明け窓から下を見た時土の家が見えこんなところにも人がすんでいるのーーーーー 翌朝10時過ぎヤット、ベイルートに着きました。21時間かかると聞いていましたが、聞いていた以上に掛かりました。 午後からパパは早速子供を連れ泳ぎに行きました。 今迄3食メードが作って居ましたが着いた晩からどうなって居るか見当も付かない台所で晩ご飯を私が作る事になり成りました。甘い気持ちもフトンデしまいました。 その頃日本人家族は大使館関係を除き、家入れ11家族、単身赴任の男性の数は解りません。 |

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私達が駐在を許された時代なかなか会社の仕事でさえ海外に行くすら難しく増して“主人が海外駐在だから家族が行く”と言う今なら当たり前の事だが、この家族の事を考える会社は殆んど無く横浜ゴムが議案になった事、家族の事を前向きに考え下さった事は感謝しなくてはいけない事だ。其れも所長家族のみの事だが。会社は毎月第3水曜日の会議議案に入れるのだが時間切れ、1年近く掛かった。主人が単身6月赴任する時若しかしたらーーーーーーーと聞かされていた。毎月第三木曜総務の泉川さんから、今月も時間が無くと言はれ、その内此方も当てにしなくなってしまった。翌年2月に家族の件決まりそうと聞いた時、待ちくたびれ焦らされどうでも良いと言う心境になっていました。 ベイルートの場所ですら知らず、会社に地球儀を持って行き教わった事など懐かしい思い出です。 その頃駐在所には主人を入れ日本人3人クラーク1人で誰も出張に行って、いないとき私が郵便物、書類を郵便局P.O.BOX3611(私書箱)に取りに行った。留置所みたいな暗い場所だった。 |


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季節 3月から11月位まで泳げる。山はスキーが出来、極端に言うとスキーをして海で泳ぐ、考えられない事が出来る国である。 私達は車で10分位にあるプールに毎日の様に泳ぎに行きましたが、日光浴の人が殆んどです。 別に我が家の専用プールで無いのにコンナニ空いているのでしょう?結構泳いでいましたけれど。 |



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