99年8/1、ついにこの日が来た。僕はこれからH社の現地駐在員として、カリフォルニア州サンノゼにあるG社の中にあるオフィスに1年間赴任するのだ。
16:20成田発DL56便で一路アトランタへ向かう。本来はサンノゼに直行便で行く予定だったのだが、仕事の都合で一旦アトランタ経由でノースカロライナ州ウィリミントン(ここにもG社のオフィスがある)に寄って行く必要が生じたのだ。日本から一旦アメリカの東側に行って、それから西海岸のサンノゼに戻れと言うのだから、なかなかハードなスケジュールだ。
僕は海外へ行くのはこれが2回目。業務で海外へ行くのは初めてだ。しかし、実はちょうど1年前に初めて海外旅行へ行った時のルートというのが、たまたま今回と全く同じ成田→アトランタ→ウィリミントンという旅行だった。これは、その時遊びに行った先の友達というのがG社の人間だったからなのだが、1年前に彼のところに遊びに行っておいて良かったと思わずにはいられない。アトランタ空港での乗り換えの仕方も1年前に経験済みだったから、戸惑うことが少なくてすんだし、万事スムーズに行きそうな予感がした。
成田から12時間半後、アトランタ国際空港到着。ここでの入国審査が第1関門だ。ここでどれだけの期間の滞在許可をもらえるかによって、その後面倒な滞在期間の延長手続きをするかどうかが決まる。僕のビザでは、本来は最大6ヶ月までの滞在許可しかもらえないのだ。実際、これまでの駐在者は皆6ヶ月分の滞在許可しかもらえていない。ところが、会社より頑張って1年分の滞在許可を貰うように要求されているのだ。このへんを会社のシステムではなくて個人の資質によってなんとかしようというところが我が社の悪いところなのだが・・。
いよいよ入国審査。甘そうな審査官の列にならぼうと思ったのだが、どの審査官も皆怖そうだ。中でも一番穏和な顔をした男性審査官の列にならんだ。・・・ところが、僕の2人前のところで、その審査官は他の怖そうな女性審査官と交代してしまった!!もうこの段階で列を変わったら怪しまれるだけだ。しょうがなくその怖そうな審査官の審査を受けることになった。
「Hello....」
一生懸命にこやかな顔を作り、パスポートとI−94、それにG社からのInvitation Letter(この人はG社が招いたのだというレター)を見せる。ふむふむとInvitation Letterを読んでいた審査官の動きがピタっと止まった。
審査官「1 year?(1年いるのか?)」
僕 「・・・If possible.(可能なら・・・)」
その瞬間、審査官の顔色が一変した。関係書類をクリアフォルダに乱暴に放りこみ、「Get out!(あっちへ行け!)」と係官室を指差す。
「ひえ〜、別室かよ〜。だから言わんこっちゃない、1年なんて無理なんだよ〜。入国拒否されたらどうするんだよ〜。」と会社を恨みながら、係官室へ・・。
係官室には、いかにも怪しげな貧しい格好をした親子が座っていた。やっぱりここはそういう人を取り調べる部屋なのだ。
「まずい、ホントに入国拒否されるかもしれない」
焦った僕は、日本語の通訳を呼んでくれるように頼んだ。ここはちゃんと自分の言いたいことを正しく伝えなくてはいけないし、もし変な誘導尋問に引っかかったら、通訳のせいにして答えなおせる。
予想通り、係官室ではいくつかの誘導尋問があった。僕はあらかじめ調べておいたビザに関する知識を総動員してそれらをしりぞけた。そして15分ほどの質疑の後、係官は「OK!」と言って滞在許可の欄に「Aug. 1st 2000」と書いた。つまり1年後の8/1までの滞在許可だ!
「Thank you! 」
深々と頭を下げ(でもアメリカじゃそういうことしないんだよね)て係官室を後にして、国内線乗り場へと向かう僕。第1関門突破ですっかり上機嫌。しかし、その後失敗をやらかすとは、その時点では思ってもみなかった。
つづく・・・