2001.1/1-10

pu-san - 01/01/10 22:36:46
日向さん、ネオについて、あささんが言っている愛のなさと、私のゆう癒しの場であることと、両方正しいのです。
わたしもかつて、ネオの歩みに参加しておりましたが、確かに、濃密な交わりがありました。それで、癒されることもあると思うのですが、その交わりはセクト的交わりなんです。
内部だけなんですね。その交わりを外部と持とうとしないのです。”愛のなさ”とは、その”外部と関わりを持とうとしないところなんです。
ところで、この場合の愛とは、親切心とか優しさとか、いわゆるアガペーと言われているものです。



山岸 史和 - 01/01/10 22:31:42  電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
広島の某・グループは、「ビザンチン・カトリック」であり、オーソドクスの一派です。
三末 司教猊下の警告通り、「ローマ・カトリック」ではありません!!(私は、解っていますので・・・。)
皆さん、ローマ・カトリック者としての「道」を外さないよう、気を付けましょう・・・。


パパ - 01/01/10 19:10:16  ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/8892/index.html
高松問題から外れますが。。。広島でカトリックを名乗る某グループと、某結婚式場とが、さも、関係がある書き方をなさるのは、名誉毀損、威力業務妨害になるんじゃないのかな?
その某グループには顧問弁護士がいますので、このサイトを見ていたらどう対応されるのか興味のあるところです。
カトリックの事情通なら、広島の某結婚式場とカトリックの間には、暗黙のうちに良好な関係が築かれていることは知っているわけで、そのことをこの場に持ちだして欲しくなかったです。広島の特殊事情をご存じなら、なおさらです!。ここは、高松の問題を話す場であると思いますが、広島の問題もここで扱うのですか?


- 01/01/10 18:01:03
ここで言う「愛」ってどのようなものなのでしょう。文字で書いたり言葉で言ったりするのは簡単だけど、私達が求める「愛」ってどのようなものなのでしょう。
愛は求めるだけではなくて与えるものですよね?どなたか教えて下さいません


らば - 01/01/10 17:26:14
愛の受け取り方って難しいですね。元気の良いときは神様に対し見向きもしない、落ち込んでいるとき 苦しいときに一生懸命神様の方へ向く、そんなのは自分だけ?
色々論争しているけど、でも論争も神様が与えてくださった方法の一つ。
その中で相手に対し理解する努力が必要なのかも知れません.理解する努力を忘れたら争いになってしまうから。


あしたに向かって - 01/01/10 01:34:14
ゲストのみなさま、この場にそっと居て、みなさまのお話を聞かせていただいております。みなさまの飾らない率直なご意見に心から感謝しております。
これが「ごえん」と申しましょうか。この「えん」は「縁」とも「円」とも感じられます。
今、新求道共同体の癒しの場としての魅力と、一方で愛と証が感じられない疑問が、出されました。どうして、このような矛盾がでてくるのでしょう。


アサさん - 01/01/09 23:59:29  電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
自分の体験と感想は少しずつ明らかにしていこうと思いますが、私個人は食卓を囲むということを具現化したり、聖体の意味を重要視するところや、聖書研究を聖書思想辞典などを使ってやっていくこと、そして洗礼後の信仰の成長を促すという部分はむしろ素晴らしいことだと思っています。
しかし、それを進めていく人たちが「証していない」と感じたことが何度となくありました。そのことがこの運動への懐疑を深めたそもそものきっかけでした。
たとえ天使の言葉を話しても愛がなければむなしいという言葉そのままです。愛があれば恐らく受け入れられたのではないかと思います。ただし、教祖的な存在は大いに問題です。


プーサン - 01/01/09 21:25:27
そよかぜさんの愛がないって意見は共感できますね。
下の方でだれかが、信仰に救い(癒し)があり、教会とゆう場にはないなんてことを発言している方がいましたが、そもそもカトリックは、教会共同体として救われ(癒され)るとゆう教えではなかったでしょうか?個人として、救われるとゆう考え方は仏教の考え方だと思います。
日向さんのいいかったことは、きっとこうゆうことではないでしょうか。
つまり、今の教会に、救い(癒し)いいかえれば、”暖かさ”がなかって、寂しい思いをしている人たちがたくさんいた、そこに、新求道共同体とゆう非常に魅力ある運動があらわれて、たくさんの人が、充実感を求めて、その歩みを続けた、しかし、それは、新興宗教的なカルトのような運動であった。
それ故に教会に分裂が起こった、とゆうことではないかと考えております。なぜ、カルト的な活動が、現代教会に発生したかとゆうことも一つの論点でありましょう。


まめ - 01/01/09 20:28:37
愛がないと言い切ってしまうのはどうかと思います。皆それぞれに自分の思いを持っているのだから。
理解に関しても先に理解する事も大切かもしれないですがひとつずつ理解しながら進んで行くという事もあるのではないでょうか?
それぞれに愛があるから問題が起こったと考えることも出来るんじゃないでしょ


そよかぜ - 01/01/09 18:18:51
いろいろな人の投稿を読んでいたのですが、この高松教区でのことも含めていうと、はっきり言って、 「愛がない」 と、思います。愛を持っての行動なら、相手の意見も尊重されるはずですし、本来での意味の「開かれた教会」なら、こんなもめごとは起きないような気がするからです。
神学校の建設も、ミサの行なわれ方も小教区でのことも。
癒しを求めるなら、ニューエイジへという意見もあったけど、人間は弱いから誰かに助けを求めるのであって、癒しを求めている人だって教会に来ます。
イエズス様は、心に病気を持っている人も悪霊に取り付かれている人たちだって癒されたのです。癒しを求める人が教会に来て何が悪いのですか?
このHPで知る限り、高松での一連のことを読むと、「新求道共同体」は自分達がしていることだけが良いことのように相手に一方的に押し付けているような印象を受けます。
カトリックの基本は、三位一体の神と御聖体です。
そのことすら、忘れられてしまったことを残念に思うのと共に、今一度、「食卓を囲む」ということがどういうことなのかを知って理解してほしいと思っています。
#理解というのは、自分の言葉にすること、自分のもの にすることができて、初めて成立するものだと認識して います。


らば - 01/01/09 18:10:15
ご指摘の通り高松教区だけに責任があるとは思っていません。現実に召し出しの数がいま増えているのは浦和教区だけ、後は減少傾向が著しい。
いまのままでは主日のミサもままならない時期が訪れるでしょう。信者一人一人が真剣に受け取らなければならない問題。
だけどオカルトとか新興宗教とかという問題に置き換えるのでなく、もうすこし広い面をみて考えるべきではないのでしょうか。変革には必ず争いがあります。


O.K.H. - 01/01/09 16:05:09  電子メールアドレス:okhat116.adachi.ne.jp
新求道共同体問題は東京では静まったと思っていたら、神学校の建設ですか?朝木さんも述べておりましたが、カルト的な面のある運動です。
目覚めるまで時間は掛かりました。全面的に否定できない部分はありますが、何かにつけ「キコ様」&「教皇様」で逃れてしまう彼等の手法は受け入れられません。
イエズス会士がその神学院の校長ということですが、イエズス会にて認められた上でしょうか?疑問は沢山あります。 元新求道共同体メンバ


まめ - 01/01/09 15:53:21
他の宗教の勢力とか、好機を与えるとか、そう言う問題なんですか?中傷されたりしていても、自分に与えられた仕事を黙々としている信徒や神父様は沢山いらっしゃいますよ。
危機感も大切かもしれませんが、まずは自分に与えられた仕事を真面目にやって行く事の方が大切だと思います。
高松の問題にしても今私達が考えなければならない事をきちんと踏まえたほうがいいと思い


山岸 史和 - 01/01/08 20:43:20  電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
御指摘有り難う御座います。不適切な表現がありました。すみません。
私が言いたいのは、「このままカトリック教会のもめ事が解決されないならば、日頃からカトリック教会を良く思わない勢力(仏教諸派・仏教系新興宗教々。)に好機を与えることになるのではないか?」ということです。
実際、私は現在も、誹謗・中傷にさらされています。危機意識は持ちましょうよ!!


- 01/01/08 19:39:02
高松教区の信徒だけの責任と言い切れるのでしょうか?
確かに結果として今こうなっていますが、長年苦労してこの問題に取り組んで来た人々にその言葉を言うのはあまりではないでしょうか?
これは高松だけの問題ではないと言う事をもう一度考えてみてはどうでしょう


山岸 史和 - 01/01/08 14:02:35  電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
高松司教区、とりわけ、今治市周辺地域は、元々キリスト教への反感が強い地域なので、歴代の聖職者・教会委員諸氏は、明治以来、大変苦労して宣教・司牧活動をされたであろうと推察します。
私も未だに、親族・友人諸氏よりの誹謗・中傷が絶えません。「耶蘇教を辞めろ!!」だの「耶蘇の女と見合いをするな!!」だの挙げれば切りがないです。
そういう土地柄をも考慮して、司教区の方針を決定して貰いたいですね・・・。


らぱ - 01/01/08 11:12:39
うーんさんのコメントに、広島のカトリック信徒のグループと書かれていましたが、カトリック信徒のグループではありません。
カトリックと名乗っているだけで、広島教区としては司教がはっきり関係が無いと言っています。
ただ、困ったことに民間の結婚式場に入りこみ(広島では大手)聖ラファエル大聖堂、聖マリアカデドラル大聖堂などの名前を付け、テレビなどで宣伝しています。
高松国際神学院のこと良く分からないけど、司祭職への召し出しに関して危機感があったと聞いています。
新しい神学校を作るまで、20年近く司祭志願者が0だった事。藁をも掴む思いで神学校を作られたと聞いたことがあります。そこに信徒の責任は無いのでしょうか?
修道会の神父のいらっしゃる教会では、建設資金や教会運営費をかなり修道会に負担してもらったりして、甘いと思うこともあります。こんなことは関係無いのかもしれません。
ただN0と言う前に東京神学院に入れる人を育てる、日本人司祭を育てる、そのような努力はされているのでしょうか?
結局召し出しを他人事に考えてきた高松教区信徒の無責任が今の問題になっているとおもうのですが。


石脇慶總 - 01/01/08 10:40:11  電子メールアドレス:ishiwaki@ic.nanzan-u.ac.jp
半世紀前、国外の国際的神学院で叙階された名古屋教区の老司祭です。
よって記憶も定かではありませんが、確か叙階式のときにあなたの一生を誰が保証するかと言う意味の言明、つまり、教区司祭の場合は、どの教区、修道司祭の場合はどの修道会が保証してくれるのかはっきりしてもらって叙階されたと記憶しています。
若いときは、このようなことは殆ど気にもかけていませんでしたが、そろそろ老後を養う身となりますと教会は、ずいぶん思い切ったことを約束してくれたのだなと感謝の日々です。
私は、これからどんな病気になって教会に金銭的な負担をかけるか想像できませんが、恐らく私の一生には億近いお金がかかっていると思います。
では、この金額はどこから出たのでしょうか。私は、金銭のことは疎いのでよく分かりませんが、単純に考えて教区の信者さんのポケットから出ていると思います。
仮に一人の司祭に1億かかるとすると10名では、10億です(アタリマエ)。このような負担を教区または修道会が負担するわけですが、それは最終的には信者さんのお金です。
さて、高松教区ですが、例の神学院出身の司祭は、すべて、高松教区が負担することになると推定されますが、失礼ですがあの小さい教区でこのような金銭的な負担に耐えられるでしょうか。
修道会の場合ですと修道会が負担するわけですからいくら修道司祭が増えても教区自体には負担とはなりません。
しかし、新求道共同体は、修道会のように司祭の老後まで保証してくださるのでしょうか。
私の理解では既にあの神学校から叙階された司祭は、高松教区司祭となると思いますので、教区民が支えねばならないと思います。
神様が何とかしてくださるのでしょうが、その前にやはり人間が賢明に配慮すべきだと思います。
修道会の支援もなく、教区の信者さんにも一切金銭上の負担をかけないとすれば、自ずと、わが国で明治期以降、急速に成長した「新興宗教」方式に頼らなければならないでしょうが、それは、望ましくない点が多々出てくると思われます。
谷口神父様は、経済のエクスパートですから成算がおありだと思いますが、やはりご高齢に近いわけですから、将来の継続性はあるのでしょうか。
共同体に賛成、反対にかかわらず将来の司祭の生活の保障を十分考えて欲しいと思います。俗的なお話で申し訳ありませんでした。


結論 - 01/01/08 04:18:29
掲示板であーだこーだ言うより、一日も早く刑事告発して、司法の判断にゆだねたほうがいいと思います。


アサさん - 01/01/07 21:25:01  電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
新求道共同体については、次の点を注意する必要があります。それは、これが良いものか悪いものかは、その受け手にその価値判断が委ねられているということです。
新求道共同体のやり方は、初代教会のやり方の踏襲であるということは、私は嘘ではないと思います。しかし、そのやり方がカルト的手法であることも間違いがない。
そして、もう一つ言うならそれをやっていた初代教会の時代背景や、文化的背景など総合的な歴史的背景を無視して、それがそのまま現代社会に応用すべきかどうか(しかし、マインドコントロールするには非常に有効な手法)は問題です。そしてもう一つ、ある人たちに取っては良いと思える手法が必ずしも他の人にはそうではないということを念頭に置いてやるべきことではないでしょうか?
しかし、現実には権威ある聖職者が先頭に立って「これこそ本物」と言う姿勢で推進することに、大いなる問題を感じます。
高松の部分的問題は、この問題の本質の一部を捉えてはいますが、本質はもっと複雑です。 それは、新たな信者の獲得と召命問題です。
多くの小教区では、毎ミサで司祭修道者の召命を祈る祈願が立てられます。しかし、いくらやっても増えない。その行き詰まりがこの問題の伏線にあります。
これはそれを一挙に解決する驚異的な方法として多くのバチカンを含めた聖職者に受けとめられています。
しかし、日本の某学会や某証人といった組織の強さ、信者の増え方・・・・・これは単純に良いことと数字の上で判断することではないと思うのですが。


山岸 史和 - 01/01/07 17:13:51  電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
訃報です。反・新求道共同体運動の先頭にたつ信徒会長の一人である、カトリック今治教会・信徒会長の、ヨゼフ・猪野 賢三 氏が、亡くなりました。
2001.1/5(金)に、カトリック今治教会にて、葬儀ミサが執行されました。非常に、残念です。+御父と御子と聖霊の御名によりて、アーメン。


山岸 史和 - 01/01/07 16:38:33  電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
なるほど・・・。宗教法人としての「修道会」としては、登記不可でも、信徒宗教団体・財団法人・学校法人等々としての登記が可能ということですか・・・。
いずれにしても、宗教法人「カトリック高松司教区」からの、分離・独立という意見では、一致出来るでしょう・・・。お互い、頑張りましょう・・・。


修道会化は無理でしょう - 01/01/07 10:07:16
修道会化は無理でしょう。新求道共同体は信徒が中心になっているようですから。 新求道共同体の神父様方の地位は教区司祭で給料も貰っているのでしょう?
修道司祭になって無給で清貧・貞潔・従順を守れと言ったら逃げ出す方も多いのではないでしょうか?(それはそれでいいけど) 
要は、法人登記ができなくて宗教法人としての高松教区の名前を借りていることが問題なのですから、法人にすることができれば、何も宗教法人にこだわる必要もないと思います。 
例えばかつての日蓮宗内の創価学会のような信徒団体という形での宗教法人登記は不可能でしょうか? 
或いは適切な比較かどうかはわかりませんが、司祭と信者が共に参加しているという意味では良く似たカトリック公認団体のオプスディが、日本では財団法人精道教育促進協会という名前で登記しているようですが、財団法人でもよいのではないですか? 
あるいはいっそうの事、神学校が学校法人として認可されるかどうかは良く知りませんが学校法人として登記してもいいと思います。 
要は高松神学校の会計を含めた組織を高松教区から切り離すことが第一歩です。


山岸 史和 - 01/01/06 20:48:34  電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
補足します。このHPでも述べられていますが、今回のトラブルの元凶は、司教区の公印・公費(一粒会費等々)の不正流用に対しての、異議申し立てだと、私は理解しています。
仮に、同様の処置を民間企業で行えば、重役諸氏は、その経営責任を、刑事告訴等々を含めて、徹底的に追求されます。(そごう百貨店の例を観れば、お解りでしょう・・・。)
宗教法人でも、国内法規は尊重しましょうよ!!
また、新求道共同体の方々も、「修道会」認可を取得してから、堂々と、交付金を貰って「神学校」や「修道院」を開いて、布教活動や信仰生活をしましょうよ!!
カトリック信仰のルートは1本では無いはずでしょ!!ドミニコ会・フランシスコ会・イエズス会をはじめ、修道会は沢山あっていいじゃありませんか!!
後は、修道会の努力とカトリック信者一人一人の選択に任せましょうよ!!知人の教会委員諸氏よりの受け売りですが、私の意見は、以上です。


山岸 史和 - 01/01/06 17:28:30  電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
私は、松山教会・道後教会の主張に賛成しました。新求道共同体を「修道会」化して、高松司教区・ドミニコ会・オブレート会・ブルゴス会から、完全に分離・独立させるべきです!!
これにより、司教区内の不和・経済的諸問題が、一挙に解決出来ます!!新・修道会の設立には、反対しませんので・・・。皆さん、頑張りましょう・・・。


まさみち - 01/01/06 07:37:35  ホームページアドレス:http://coolweb.kakiko.com/oha/
私の知人が、「ネオ・カテクメナーテ(新求道共同体)とは なにか?」というホームページをつくりました。 興味深い写真や掲示板もあるようです。


パパ - 01/01/05 01:57:25  ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/8892/index.html
高松問題の本題から外れること、お許しを。私は、教会に癒しがあるのではなくて、信仰に癒しがあるのだと信じて疑っていません。
キリスト教の歴史では、教会が誕生してから信仰が生まれたのではなく、信仰から教会が生まれたのではなかったでしょうか?そもそも教会は人の集まる場です。
人との交わり(コニュニオン)によって癒されることはあっても、人の集まる場そのものには癒しはないと考えます。
お言葉ですが、神の国実現のために、自らを犠牲にして隣人のために働いているのは、マザーテレサだけではないですよ。マジメなカトリックなら、みなさんそうでしょう。


ぷーさん - 01/01/04 12:32:52
わたしは下の意見には反対です。教会に癒しはなければなりません。とゆうよりあるはずです。福音書を見ると、イエスは多くの人々を癒されているではありませんか。
だからイエスが今も生きている教会には、癒しがあるはずなのです。御聖体イコール癒しとゆう考え方もおかしいと思います。
イエスへの信仰があって始めて御聖体が、イエスの体であると信じることができ、その中の癒しが信じれるのではないでしょうか?
マザーテレサは、御聖体を頂くと同時に、その御聖体を生き、多くの見捨てられた人々の救いと癒しのために、働かれたのです。


癒しを求めるならニューエイジに逝ってください。 - 01/01/04 11:29:25
この世は「涙の谷」「追放の地」「十字架の道行」です。イエズスは決して現世利益を約束されていません。教会に癒しを求めるのは筋違いです。癒しは死後の楽しみです。


パパ - 01/01/04 03:06:51  ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/8892/index.html
私たちの癒しは、御聖体ではなかったのですか?また、御聖体に於いて一致しているのではないでしょうか?
教会の人間関係に疲れて、教会を離れて行った人たちは少なからずいます。カトリックは去る者追わず主義ですから仕方の無いことです。
教会に癒しがないなどと主張をする責任転嫁行為は筋違いです。日本のカトリック教会が信仰を維持できず、信者数の減少によって潰れたならそれも御心でしょう。


あしたに向かって - 01/01/04 02:38:47
みなさまのメールや通信の中で、指摘され始めているご意見があります。
新求道共同体のような同一体験を重視する共同体が入ってくる背景には、今のカトリック教会自体に「癒し」「満たし」の機能が働いていないからだ、というものです。
冷たい教会、信徒や求道者が安らげる場のない教会、愛のない教会にこのような共同体が入り込んでくるのだ、と。
この場、出会いを作っていかない限りは、形代わって、また違うものが侵入してくるだろう、と。新しい革袋が必要なんだ、と。


パパ - 01/01/03 13:10:23  ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/8892/index.html
高松の問題は、結構、大きな問題になってますね。それ故、他の教区は、自分のところの問題が陰に隠れて助かった。と思っているんじゃないでしょうか?
賛成派・反対派、それぞれの言い分があると思いますが、ホームページに記載されている教区長言動が事実だとすると、教区長は、教区内の信徒を一体、何だとお思いなんでしょうか?
その昔、「秋の旅路」というカトリックが舞台になったアメリカ映画がありました。あの映画のように、すばらしい信仰が教区長や推進派達に回心を促すことができますように祈ります。


ゆり - 01/01/03 01:16:48
このゲストブックにぜひ、新求道共同体の活動、また、高松教区立国際宣教神学院の建設に賛同されている方々のご意見をのせていただきたいと思います。
神学院の建設を進めている方も、そのお考えを示していただければと思います。建設地である大内町の関係者のご意見も聞けるとありがたいです。
そうすれば、私も客観的な立場で考えることができそうです。よろしくお願いします。


あしたに向かって - 01/01/01 08:52:06
新年をみなさまと共にお祝いできますことを、心から主に感謝いたします。みなさま、今年もどうかよろしくお願い申しあげます。
朝、祈りのあと、み言葉を開くと、「マリアは、これらのできごとをすべて心に納めて、思いめぐらせていた。」という言葉が目に入ってきました。    祈りのうちに


えふ - 01/01/01 03:07:05  ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/6906/band_001.htm
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いしますm(__)m


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