2001.2/21-28
だーさん - 01/02/27 01:40:12 電子メールアドレス:nori@norisan.net
にゃはは、まぁ気にしないで最近年だから独り言多いのよ^^
しょうゆまめ - 01/02/26 23:32:57
ごめんなさい!
(隠し玉)なんてぜんぜん思っていませんでした。
落成式のこと書きながら,起工式を思出し 連鎖的に考える会を思い出して、文末が解釈難解かなと思いはじめて、だーさんあたりにつっこまれると思い、急いでつづきかきました。
この程度の事なら、わたしたち、数ある中の一つ、会のメンバーのかたたちも禁止令なんて、おかまいなしって感じで元気そのものなのです。
だーさん - 01/02/26 18:02:36 電子メールアドレス:nori@norisan.net
すべてのニュースのソースが公開されますように。アーメン てか、次から次えと隠しダマが出てくるのはいやーーーーん。
しょうゆまめ - 01/02/26 17:23:51
昨年の11月6日付けで、「高松教区司教より信者の皆さんへ』と言う書簡が出された。
それは10月12日に神学院の仮校舎の起工式を迎える事が出来たと言う挨拶文から始まっていたが、言わんとしている事は「あしたの高松教区を考える会」に対する激しい弾圧を意図するものとしかおもえないものであった。
「考える会」はそれまでのベールでもかけられているかのようなよく分からない教区内情、また、信徒協の努力にもかかわらず結果的には司教の諮問機関のような存在になってしまい、それも末端信者には届いていない事などへの危機感を感じていたもの達が、広く信者の自由な意見を吸い上げ上に進言することによって、結果的には司教を側面から支えていくものとなりたいとの希望のもとに、それまではその時々に応じて働いていたものを,秋頃会則をつくり、立ち上げ、趣意書を添えて司教に届け出ていたものだった。
然し,その回答は全信徒への書簡によって知らされその中でこの会は秘密結社よばわりされていた。
会の趣意書中4点を指摘し、「この4点が満足されたら私はこの会の発足を承認し、使徒的祝福を贈ります」と言いながら、4点を言われるとおり改め再度S.M.Uの3氏の代表が直接司教に提出したにもかかわらず、後日代表の元に届いた文中には結論として「従順の名のもとに禁じます」であった。
醤油豆 - 01/02/26 16:08:26
3月4日、神学院仮校舎の落成式が地元の方々を対象に行われる。この落成式にはローマ教皇庁大使や、イタリヤ駐日大使の臨席も予定されているとのこと。
1994年9月19日の定礎式には聖省から枢機卿がみえていたが、完成式には見えない模様、もっとも仮校舎であるし、四旬節であるからかもしれない。
3月4日は信徒協企画で、大阪教区補佐司教様を迎え、黙想 研修会があることが以前から決まっているのに、桜町 番町 三本松の3教会の役員さんたち、受付等に借り出されるとのこと。
新求道共同体以外の信徒はいつもカヤのそと的存在なのかもしれない。
昨年の起工式のときも,信者には何の知らせも無く、その事を知ったのは、その日の夕方のテレビローカルニュースからであった。正式なお知らせとしては後日、多分としかいえないのであるが、11月6日付けの「高松教区司教より信者の皆さんへ」と言う書簡の中で「あしたの高松教区を考える会」を厳しく弾圧する文面の書き出しの部分で知らされたものが、そうだったのではないかと思う。
佐藤泰範 - 01/02/26 00:11:00 電子メールアドレス:nori@norisan.net
ふーむ、その疑惑を解明するためにも申した立て書を公開は必須でないの?中学生でも分かる論理....
あしたに向かって - 01/02/25 23:13:36
佐藤様、ご質問の返答を森岡氏に問い合わせましてのでお伝えいたします。
「ミレニアムの虚構」49ページの調停申立書に掲載されていない内容が、谷口司祭のHPに掲載されていたかのように書かれているというご指摘をいただきまして、感謝いたします。まさにご指摘の通りです。
この申立書を掲載していただくことについては、今の時点では何よりも佐藤さまがこのご指摘をくださいましたことで谷口司祭のHPの信憑性を問いかけてくださったことにじゅうぶん意味があったと感じた次第です。
ゆり - 01/02/25 21:12:24
キコ・カルメンが訪日したときに、高松市郊外で行われた「全国新求道共同体練成会」(1990.12.8)のビデオを見ました。以下感想を述べます。
1 キコがカトリックを利用して自分が教祖になっている。最後に教祖?としての長い説教があったが、そのインパクトの強さは独裁者を想像した。新興宗教「キコ教」である。
2 ギターの演奏と一緒にみんなで歌を唄うことによって、集団催眠のような状態になっている。ギターと歌が宣教に効果的な役割を果たしている。本来のミサの存在が見えなくなっており、ショーのようだ。
3 キコは集いや式の最中は、ずっと腕を組んだままで、みんながキコの表情と同じ表情になってしまっていた。
4 参加している高松教区の司祭の中には、雰囲気にとまどっている方もいた。
5 「すべてを自分のために捧げなさい」というキコの言葉とお金を示すジェスチャーが印象的であった。参加者はキコの言葉に陶酔してしまっていた。
6 どこかで見たような異様な雰囲気だと思っていたら、オウムや法の華の感じに似ていた。
佐藤泰範 - 01/02/25 11:39:53 電子メールアドレス:nori@norisan.net
谷口神父からの回答によりますと
>簡易裁判所の調停事件を通じて知りえたことです、とだけ申し上げておきましょう。
とのことです。が
再度、ミレミアムの虚構という冊子内の49ページにある平成12年6月23日高松簡易裁判所あてに提出した調停申立書を再読しましたがそのような趣旨の文言は見当たらないのですが。
なお、私は、当該申立書は公的文書にあたると判断しますので拙HPにスキャナでこすって公開したいのですが編集者の森岡源三さんに許可をお願い致します。(関係者の方よろしくお願いします)
なお回答期限として2月末日までにお願い致します。
佐藤泰範 - 01/02/25 09:45:05 電子メールアドレス:nori@norisan.net
谷口神父さん?読んでますか?こんにちは^^。
神学院落成の折、まことにお忙しいところとは存じますが 貴殿のHP内http://homepage2.nifty.com/~johntani/kyudou-4.htm に記述の有る
「しかし、両名は、司教の即時退任、愛媛地区4教会の信徒による自主管理などの受け入れ難い条件をかざして対決に突入しました。」
の正確なニュースソースの提示を2月末日までに希望致します。
あしたに向かって - 01/02/25 09:43:43
ゲストのみなさま、いつも本当にありがとうございます。最近の私は、希望というものの存在を忘れていました。
どうせ私の苦しみは誰にも分かってもらえないと追いつめられていってました。
ネオ司牧の教会のみなさんが、口を閉ざして何も言ってくれなかった意味が身にしみてわかりました。
ネオによって受ける傷は想像以上に深いものです。
私もいろんな教会を転々とした方ですが、こんなに深い人間不信に陥ったことははじめてです。私も貝になりかけていました。
でも、今一筋の光がさしたように思います。ここは、まさに私たちみんなの「あした」にむかってるんだ、って。
みなさま、ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます。
だ - 01/02/25 00:37:33 電子メールアドレス:nori@norisan.net
べつに怒ってるわけぢゃないけどさ^^; でもさ、そのMLに入ってない人にとっては「????」状態になるんぢゃない?ということなのですよ。
ちなみに私はネヲ方式では限界はすぐに来ると感じていますよ。教会のあり方を見直すチャンスを与えてくれたのは評価に値するけどね。
希望! - 01/02/25 00:28:37
日向さんへ はじめまして。cjmlの1会員です。 もしあなたの傷ついているのが、ここ2日程のT神父の投稿と、心変わりしてしまった人達のせいならば、どうぞあまりがっかりしないでください。
今までの投稿を見ていた者としては、T神父のこの前の投稿はめずらしく誤字脱字がなく、誰か別の人の知恵が入っているであろうと思われるし、聖書の引用も適切ではありません。
「もうどうにもならない、このままの状態がいつまでも続き、変えられない、どんなに努力しても無駄だ」などという考えにとらわれることのないように。この考えは間違っています。
悪魔は嘘つきです。悪魔の用いる手段はいつも、絶望感を注ぐことです。
人に惑わされないように。悪魔があなたたちを失望させるために使うすべての危険な、悪賢い策略を恐れないように。
いつもあなたを愛しておられる主イエズス・キリストに信頼と委託の心を持ち続けること、主があなたに望んでおられるのはそれだけだと思います。
…少しはお役に立てたでしょうか?だーさんへ cjmlのことをここで持ち出すなーって怒らないでください。私にとってはどちらでも同じことです。
醤油豆 - 01/02/24 14:40:05
雑用に追われてパソコン閉めたままにしていましたが、あけてびっくり!高松ではネオと神学院の問題は30年以上引きずってきているもので、(私は初め頃は知らないのですが)この事は,司教座教会あたりに信者として何年か住んでみないと,恐らく,たやすく理解できるものではないと思います。
日向さんが勇気を出してホームページを立ち揚げると聞いて,私もかなりの勇気がいりましたが!インターネットに挑戦することにしました。
そのおかげで、今まで知り得なかったいろんな情報や資料を手に入れることが出来るようになりました。
たとえば、だーさんの教会論,アサさんのネオの資料など,中でもあきるの教会ビジョンは私には感動ものでした。
高松教区信徒にとって神学院,ネオ問題はどんなにしても捨て置く事の出来ない憂鬱な問題ですが、同時に、これからの教会のあり方を考察するには、これらの情報はとても貴重なものと感じています。
これらの情報を,有効に利用し、長老方や末端の信者さんたちにも伝える事が出来るようになれば、なんだか、これからの教会の姿や,信者の意識や考え方も研かれてくるのでは、今まで見えないと思っていたものが見えてたりして、と思うようになりました。
不慣れな操作に舞い上がりながらもプリントして資料などつくったりです。
今も、京都司教区のページ、ざぁーとだけ見てきました。ゆっくりした時間にまたいってきます。ありがとうございます。
だーさん - 01/02/24 12:20:59 電子メールアドレス:nori@norisan.net
とりあえず明示できてる司教は京都司教区の共同宣教方式でしょう。まぁこれが万能だとは思っていませんが、考えるきっかけにはなるでしょうね。
アサさん - 01/02/24 11:45:07 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
ムラ社会とはよく言ったものです。たしかにそうした中に、それをうち砕くと言ってまた別の「ムラ社会」を築いている・・・・・。
こうした「ムラ社会」は何に起因するのでしょうね。日本人のメンタリティーかしら?
ネオが良いかどうかは別にして、何かないとこうした精神構造、教会構造はホントの意味で「壊せない」と思っています。
でも壊してそれを再構成するのはネオではないと思っていますがね。
だーさん - 01/02/24 08:57:35 電子メールアドレス:nori@norisan.net
ところで、神学院を検証する会の代表>総括責任者は森岡氏で良いの?
だーさん - 01/02/24 08:05:25 電子メールアドレス:nori@norisan.net
>インターネット上の私の発言をどこかで見聞きしているのでしょう。最近、私に対する態度が変化しています(無視されるような・・・)
それは、既存の教会組織を語っても同じこと。所詮ムラ社会。
アサさん - 01/02/24 01:19:17 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
変えよう・・・・・代えようですネ また間違った!とても具体的なことに関しては、個人の人格を非難するようなことになってしまうので、そうしたことを話題にするのを躊躇するのです。
見たり体験したりすればすぐに分かるんだが・・・・・・しかし、体験するとのめり込む人もかなりの確率で出るだろうし。
とりあえず、司祭叙階式の様子でも見ればその片鱗は分かるでしょうね。
アサさん - 01/02/24 01:15:22 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
私も新求道共同体問題に関係している人間ですが、自分の教会でアアだこうだと具体的なことを言うのには躊躇します。
それは悪く言えば「チクル」「言いつける」ような行為をしているような気持ちになってしまうからです。
ですから、私は新求道共同体の本質を探り、それをできるだけ公表することで、そのことに変えようとしています。
それは、まだあんた反対するから聖体拝領遠慮してくれ!などとは言われてはいないからでしょう。
しかし、インターネット上の私の発言をどこかで見聞きしているのでしょう。最近、私に対する態度が変化しています(無視されるような・・・)
だーさん - 01/02/24 00:46:46 電子メールアドレス:nori@norisan.net
そういえば森岡氏は全然出てこないのですがどうしちゃったのでしょう??????
あしたに向かって - 01/02/24 00:22:42
ぶっしゅさん、きっとそうおっしゃられる方があられるだろうと覚悟していました。
小豆島教会であったことを、どこまでこのホームページにのせてよいものか、考えています。
正直言って、今疲れ切っています。もうこれ以上、傷つきたくありません。自分の弱さに、打ちひしがれています。すみません。待ってください。
ぶっしゅ - 01/02/23 23:41:12 電子メールアドレス:bush@lime.ocn.ne.jp
小豆島教会の皆さんの苦しみは良くわかりますが、申し入れを引っ込めないことで、ミサに参加できないとか、聖体拝領が出来ないとか、病人への司祭の訪問を依頼できないとかは誤りだと思います。
信徒の正当な権利として堂々と教会へ行き、サービスを司祭に要請すれば良いのです。
司教と言えど洗礼を受けた信徒へのサービスを拒否する権限は無いはずです。
プロテストする上でも、これらのサービスを遠慮せずに要求することが大切だと思います。
断られたらそのたびに具体的に公表すればいいのです。
私の場合は黙して教会へ行けば、なんとなくサービスが受けられる状況ですので、行かずに役員さんたちに苦情を申し立てつづけていますが^^;
だ - 01/02/23 22:18:20 電子メールアドレス:nori@norisan.net
スマソ、タグにアンカーあった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/catholic/jihouy01/y0101/cny0101bpmesag.htm#anchor153696
だーさん - 01/02/23 22:10:15 電子メールアドレス:nori@norisan.net
京都教区のコピペで相すまんが。
6.【従来の司牧型の教会と主任司祭制度の限界 】
この「共同性」を理解するために、ここで少し共同宣教司牧と従来の「主任司祭制度」の違いを考えてみましょう。
これまで、教会(小教区)といえば、「主任司祭」というタイトルで司教からひとつの小教区に任命された一人の司祭が、文字通り司教に代わってその教会を直接に監督指導するという風に考えられ、実際にその司祭個人が教会の活動すべてにわたって決定し、責任を負うという体制でした。確かに、このやり方で今日まで、教会運営を続けてきました。
この場合、教会が一体何をするところかという観点からみると、一般的に「司牧型」と呼ばれる教会のイメージの時代には、この主任司祭制度で充分だったかも知れません。
信徒は司祭から霊的な世話を受けるまったくの受身の信仰生活で、逆に司祭は主に秘跡(ミサ)を執行し、求道者の教理、聖書の研究会の指導、個人的に生活の悩みや相談に応じることで司祭の役割を果たし、信徒と司祭の関係は、それによってのみ決まってしまいました。
財政や教会の諸活動や行事も、司祭個人でできなくとも、決定のおいては主任司祭の個人の決定が圧倒的で信徒はその決定に従って行動する受身の姿勢でした。
また宣教という観点からは、求道者に洗礼を授けるという布教活動の域を超えず、現在で言うような「社会そのものを福音化する」という視点には、公会議後もしばらく立っていませんでした。
そこでは、困ったことも起こりえました。そのひとつは、主任司祭が転任すると、その教会の方針が(次の司祭のやり方によって)ガラッと変わる、ということが起こったのです。
それでは信徒は戸惑うだけで、そこに居つづける信徒が主体的に責任をもった教会の継続した運営や宣教方針が持てずに、熱心ではあっても教会の活動は、結局はある司祭の下での単発的な試みにおわって、息の長い一貫した教会の活動ができませんでした。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/catholic/jihouy01/y0101/cny0101bpmesag.htm
ベランダのアロエ[池沢] - 01/02/23 21:48:52 電子メールアドレス:ikezawa@dol.hi-ho.ne.jp
日向さんへ: 今年の司祭の異動で当教会の主任も異動します。もう心は新しい教会に向いていて、委員会も緊急なもの以外は、新任司祭を迎えてからということになります。
間違いなく東京でも司祭によって教会のあり方が司祭の好みに変わっていきます。好みで悪ければやり方、考え方でしばらく振り回されます。
また、司祭の資質によっても大いに変わります。日本人の司祭でもこうですから、満足に日本語が出来ない司祭の場合には、昔と違い大変でしょうね。
信徒で運営する教会と唱いながら、実際は神父の意向に添ったものになります。ミサの時に、読まれる文や説教が空しく思われることが頻繁にあります。
もう少し、きちんと出来ないものかと情けないときもあります。委員は調整役にすぎず、何も前向きに動くことが出来ません。
しかし、誰かがやらなければなりませんし、教会は難しい。
「一人一人が大切にされる教会、無理せず、安心しておれる教会、これ、おかしいでしょうか。」本当はこれでなくてはいけないと思います。
口では司祭はそうゆうふうにおっしゃるではありませんか。ここまで、頑張ったわけですから、もうしばらくがんばりましょう。解決の糸口はどこかにあります。
だ - 01/02/23 16:41:28 電子メールアドレス:nori@norisan.net
http://www.linkclub.or.jp/~akirunoh/iinkai/kiyaku.htm に昨年出来たばかりの「あきるの教会」の「委員会規約」があります。
はたして、しめ縄問題でゆれる教会にこうした「明文化された規定」はあったのでしょうか??
そういった「明文化された規定」の無いところではやはり「慣習、慣例」が幅を利かして「なんとなく物事が運ぶ」いわば「日本的むら社会」の教会運営が信徒によって行われていたのではないでしょうか?
これではトラブルが起きるのも当然ではないかと感じます。どうでしょうか?
かず - 01/02/23 16:08:26
教会の中の行事じゃないのかも知れませんが11月に753のお祝いしますし、新年のミサのときの挨拶では「あけましておめでとうございます」っていうし、いけないの?坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの状態ですね。
アサさん - 01/02/23 15:40:40 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
ミサに授かろうとも・・・・・ミサに与ろうともの間違いです。ワープロはタイプミスに気をつけてね!
アサさん - 01/02/23 15:39:11 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
しめ縄かざりの件は、それがいい悪いの問題ではなく、信徒がみんなで相談して「今年は何か変わったことをやろう」「そうだしめ縄なんかを飾って、日本らしいところでやってみよう」「そうだ」「そうだ」と信徒と司祭が「一致して」やったことなら何も神学の問題を出すまでもないこと。そこに心の一致がある。
ここで問題にしているのは、そうした部分を無視して(したかどうかは知りませんが)これがインカルチュレーションだと思っている錯誤のことを非難しているのだろうと思っています。
お供え餅や門松は我が家でも毎年用意しますし、神社にも行きます(笑)。でも、頭(こうべ)をたれるその気持ちが大切、平和を願い、こころの平安を求める気持ちが大切と思います。
如何に毎日ミサに授かろうとも、教会の信徒会を仕切るような人はゴロゴロいます。
アサさん - 01/02/23 15:31:13 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
ネオに感謝するとすれば、私を燃え立たせてくれたことかな?
遊歩さんの言うように、結構排他的な、仲良しグループ的なところ、お局さんが仕切るようなところがあった教会です(私の教会は)。
それを本当に何とかしたいと思い様々な試みをやり始めたところでした・・・・ネオを導入したのが。これを始めたら、もう他の努力はなかなかできるものではありません。
本当に強力です。エホバの証人の信者を説き伏せるくらいのエネルギーがいるでしょう。
私がいつも残念に思うのは、もっとやるべきことがいっぱいあったのに、何の相談もなくこの運動を入れられたことに対する無力感です。
ちなみに、大分では小豆島のような人権問題は起きていません。むしろネオの本質に関わる、小教区内の二重構造、疑心暗鬼の問題です。
だーさん - 01/02/23 13:34:23 電子メールアドレス:nori@norisan.net
どちらも現実的におきていることですよね。でも、両者ともそれらの問題が解決されないとまた同じ事象が再発するだろうし。
ここでおきた「聖体拒否事件」とか「教会内晒し上げ事件」?とかは、出来れば代理人(弁護士が良いけど)話し合い、それが不調であれば、民事裁判でけりをつけるしかないのでは?
(っていうかその気が無いのならHPで告発する意味無いし)なんか神学、司牧上の問題と、個々の人権侵害の問題がごっちゃになってると思うんですが。どう?
遊歩 - 01/02/23 13:02:42 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
だーさんご指摘の状況(それは既に現実の姿です)を前にして「もはやネオしかない」と判断する前に打つべき手は、まだまだあるのではないでしょうか。
たとえば、既婚者の司祭叙階、司祭独身制の自由選択制度、既婚司祭の現役復帰容認、女性の司祭叙階、少なくとも限定的に、たとえば、女子観想修道会内部に限って叙階を認めるなど、など、その気になれば道はいくらでも開けます。
問題は、多くの司牧者といわれる人々が組織防衛にのみ没頭して、信徒一人一人の霊的幸せに答えようとしないところにあるのではないでしょうか。
勿論現実には言うほど簡単には行かないでしょうが。ネオもそのような努力の一環として意味があると思います。
- 01/02/23 12:58:51
しかしながら、現にネオの司祭をうけいれたところでは、この小豆島のように問題がおこったわけです。
また、ネオが活動している高松地方の教会では、信徒間の分裂がおこったわけです。仮定上の問題ではなく、まず、現実の問題から始めないと。
また、注連縄の一件ですが、考えてみれば、イエス様の誕生日が12月25日とは聖書のどこにもでてきませんね。
だ〜さん - 01/02/23 12:35:04 電子メールアドレス:nori@norisan.net
ふと考えたのですが、我々は、司祭不足、資金不足で教会が閉鎖された場合ミサに与るのは結構容易です。
しかし、信徒が数人しかいなくて、それも高齢者の信徒がほとんどの場合の教会が閉鎖された場合。 #地方はほとんどそんな教会が多いのでは。
社会的弱者である彼らがミサに与る権利の保証。司祭不足、交通手段、そのたもろもろ、本来は相互扶助の精神で我々が支えなくてはならないはず。
#でも現実は出来ていない。 それらを実現する手段としても、「やはりネオしかいない」と教区長が判断して共同体に来てもらうのをだれが反対できるでしょう。
私たちの至らないところを補ってくれる彼らに、逆に感謝さえしなければならないのでは?
だ〜さん - 01/02/23 11:34:19 電子メールアドレス:nori@norisan.net
神学的に云々より、こんな問題が起きたときのガイドラインは東京ではやっぱり枢機卿>岡田大司教が出すんだろうね。
そのむかし典礼のガイドラインは前白柳大司教が「東京教区ニュース第139号」という文書にして出してたよね。
高松の場合は深堀司教が決めることだから、その辺どうなってるのかしら??
遊歩 - 01/02/23 10:21:10 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
再び注連縄について。この掲示板で話題とすべきことではないと思いますが、大切なことですので少しスペースを下さい。
そもそもキリスト教自体の中に本来非キリスト教起源の宗教的象徴がどれほど充満していることでしょうか。
ローマ総本山自身がいわゆる「異教」の風習に充ちています。誤解の無いように願いますが、私は、決してそれを悪いと否定しているのではありません。
むしろ、肯定的に捉えています。ただ、非キリスト教起源であると言う事実だけは、忘れないで頂きたい。
私は、仮に祭壇の周りに注連縄がめぐらされるようになったとしても別に驚きません。
ついでに件の神主さんのご意見は、常識的な反応でしょうが、神道の原理から言えば、正しくないと思います。
このような排他的な考え方が、神道を国粋主義的なもの、国家神道的な方向に歪めてきたのではないでしょうか。
ご異論は、別の場でいただければ幸いです。「あしたに向かって」さん、お邪魔してスミマセンでした。
アサさん - 01/02/23 10:15:42 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
インカルチュレーションの問題はむつかしい。教会内でそうしたことを注意すればいいと言う方もいますね。
しかし、あんたタバコ吸うマナーが悪いよ、とかもうちょっと部屋を使ったら片づけてとか、挨拶はしようね等という役は誰もしたがらない憎まれ役です。
誰かが言ってくれないかなと思いつつ、だんだんなんて奴だ!となってしまう。
言ったら言ったで、今度は「裁いているよ、気をつけて!」と言われる。その当たりが難しい。いつも誰かが憎まれ役をやらなければならないのですね。
ここでは日向さんがその役を買っているわけだ!
アサさん - 01/02/23 10:10:17 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
しめ縄に関しては、遊歩さんと同意見です。冷静にやっていかないと、この問題は難しいと思っています。
だ - 01/02/23 00:51:39 電子メールアドレス:nori@norisan.net
そもそもその教会に掲示物(十字架とかマリア像)に関する明文化された規定や決め事は無かったのでしょうか。?
たいていの教会には信徒総会や係りが話し合いをして決めることになっているそうですが。
もしあるのならば司祭がそれに違反したことは責められるべきでしょうが、
存在しないのならば司祭の判断ですることは、なんら問題が無いとおもうのですが。
そもそも、他教区のガイドラインなんかでは、どうなっているのでしょうね。
あしたに向かって - 01/02/23 00:45:36
小豆島教会のその後について、お問い合わせをありがとうございました。今のところ、現状は変わっていません。
依然として、申入書を取り下げていない私たちは、小豆島教会のミサへは、行けていません。
今、病人がいます。正月明けに、病状が悪くなられたので、我がことのように心配しました。何かあったら、すぐにかけつけられるようにしています。
できるだけ、お互いが不安にならないように、支え合うように心がけています。他の教会のみなさまがいろいろ考えて下さっています。ありがたいと思っています。
自分のことだと、何でもあきらめがつくのですが、今まで共に苦労してきた大切な方に対して、何かあったらと思うとあきらめがつきません。つらいです。
しかし、「わたしのことで、心配せんでもいいですよ」と思いやってもらい、「会うて、話してほっとした。」と言ってもらって、こちらこそ調子が悪いのに、話してもらってと感謝して帰ってきます。
私は、今まで役員をしていて、知らず知らず強者の立場でした。
今、教会へ行けなくなって、教会の敷居の高さも身にしみて、来れないみなさまの気持ちも良く分かり、見えなかったものも見させていただけました。
いつもいつも信者のみなさんの顔色ばかり見て、言いたいことも言わず、みなさんの気に入る役員を心がけてきて、正直自分を失っていたような気もしないではなく、かえって、ほっとしたようなところもあります。
一人一人が大切にされる教会、無理せず、安心しておれる教会、これ、おかしいでしょうか。
あしたに向かって - 01/02/22 23:33:13
しめ縄についての、お問い合わせについて、検証レポートの編集者に聞きました。
しめ縄というものは、門松などの民俗学的風習と違い、鳥居などに張ったり、神事に使うものとして象徴的意味をゆうするものと、理解していたそうです。
このような神道という宗教の象徴的なものを、教会のそれも馬小屋の上に飾るなどということを、ちょっと、疑問に感じたそうです。
神主さんは、神社の鳥居に十字架を取り付けるなんてことは、絶対にしないと言われたそうです。
ちょっと、おかしいとは、思いませんか?と問いかけたのだそうです。
これは、レデンプトーリス・マーテル神学院のインカルチュレーションに対する教育の未熟さからくるのでは?と感じたので、載せたのだそうです。
遊歩 - 01/02/22 22:05:50 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
些か「神道神学」を学んでいる遊歩クンにとっては、「注連縄の記事」は、少々こだわります。それに、記事掲載の意図は良く分かりますが、結果的には、かえって推進派にプラスに働くと思います。
少なくとももう少し注釈を加える必要があったのではないでしょうか。
- 01/02/22 16:05:12
しめ縄に関しては、共同体の問題と言うより「江の口教会」の司祭個人の意識の問題だと思うのです。
だからこのページで議論されている問題とはあまり直接的には関係ない事のように思えるのですが。
醤油豆 - 01/02/22 15:29:20
作成者の方は昨日からお留守です。
新求道共同体の神父様方には,キリスト教のインカルチュレーションの持ち合わせがないと、ずーと言われ続けています。
だから,この教会の神父様は気にしてらしたのではないですか、でも,勘違いされたんだと思います。
神社の正面に氏子に相談無しでクリスマスツリーを飾り付けてしまった.ようなものじゃないですか。
インカルチュレーションは聖省からも何度か指摘されていますよ。
神学校の巡察建言書の中とか,昨年のトムコ枢機卿からの深堀司教様宛ての書簡のなかにも。
日本での宣教には避けてと通れない大きな問題じゃないでしょうか。
だーさん - 01/02/22 15:03:26 電子メールアドレス:nori@norisan.net
ふーん、ぢゃぁそうでない司祭なら問題は無いのねネヲが派遣した司祭だから問題があるのか ..........ふーん、さうなんだ。
しめ縄飾り - 01/02/22 14:25:44
宗教的原理主義を標榜するグループの司祭がこんなことするとは言行不一致も甚だしいですな。
- 01/02/22 12:21:48
しめ飾りに関しては、共同体の問題と何か関連性があるのですか? ホームページにのせるような事なのかちょっと疑問です。
この件についてページの作成者の方に載せた意図を教えていただければと思います。
だーさん - 01/02/22 11:17:27 電子メールアドレス:nori@norisan.net
ここのHPの中の(パンフにも) http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/6821/report.html
「御子の上に”しめ飾り”」ってさ どうして突然こんな例が出てくるんだろ なんか関連した問題があるのかや?
遊歩 - 01/02/22 09:59:44 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
あけびさんのカキコとの関連ですが、私の印象では、新求道共同体とは限らず、教会における募金の仕方は、少し杜撰ではないかと思います。
つまり、醵金する人の意思が明確に反映される方法が確立されて無い場合が多いようです。
たとえばミサのときの献金を集めてしまってから、本日の献金は○○のためです。というのはアンフェアです。
同じような災害地への義捐金であっても、或る人はAと言う国よりもBの国を助けたいと思うかもしれません。
手続きは煩雑になりましょうが献金する人の意志を確認し、それが確実に実現するような仕方で募金をすべきです。そして必ず結果を具体的に公表すべきです。
そのようにすれば、知らないうちに意図に反してお金が使われると言うこともなくなるでしょう。
例に出して申し訳ないですが一粒会の情報などももう少し具体的に公示したほうがよいのではないかと思われます。
或る種の司祭を支援したいが、別の種の司祭は応援したくないと言う人がいても不思議ではないでしょう。恐らく大部分の教会ではちゃんと整備してあると信じますが・・
アサさん - 01/02/21 23:56:20 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
遊歩さん 一灯園のことは少し知っています。18年ほど前に私の大学時代からの友人が、入りました。
今どうしているやら・・・・・。 宣教家族の子供達は、結構醒めて大人達をみているところがあります。親が一生懸命やって居るんだからまあそこそこ合わせとこう!というような。
メンタルな面では日本人です(日本でほとんど育ったので)その他にスペイン語やイタリア語も話しますが、兄弟同士は日本語で話しています。
親は好きで選んでやっているのだから良いが、子供達は親に選ばされたわけですから・・・・
醤油豆 - 01/02/21 22:50:46
小豆島の問題,今しばらく,お待ち下さい.申し入れ書を取り下げていない人達は,良い状況ではありません.
今のところ,高松,愛媛から,出来る事の最低ぎりぎりのところで、かろじてサポートしていると言った状況です.
あけび - 01/02/21 21:54:14
遊歩さん、感情的な書き込みについてのご忠告ありがとうございます。
谷口神父のCJMLの書き込みを読んでいて、あまりにも自分勝手で、反論者に対してのごう慢な言い訳などを読んでいるうちに我慢できなくなり、一気に書いてしまいました。
私は他教区ですが、新求道共同体の神学院について疑問に思っている事があります。
高松教区で神学院建設や里親制度に協力している方は、新求道共同体の神学院だとわかっていて協力しているのでしょうか?
他教区にも協力を呼びかけているようですが、ほとんどの方が知らないで協力していると思います。
現に神学院だよりや里親募集などのパンフには、何一つ新求道共同体のための神学院とは書いていないのですから!
協力を呼びかけるのであれば、はっきりと新求道共同体のための神学院である事を明記するべきではないでしょうか。
最近、小豆島教会の問題がとぎれていますが、現況を知りたいと思っています。差し支えなければ教えていただきたいと思います。
遊歩 - 01/02/21 21:29:09 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
あささんへ、 宣教家族のことは知りませんが、30年ぐらい前、京都の一灯園に数日お世話になっていたとき、かれらの子どもたちの正常な教育をどうするかと言うことが彼らの内部で問題となっていたようです。
隔離された世界でしか生きられないとのことでした。ここのことをご覧になれば参考になるのではないでしょうか。
アサさん - 01/02/21 18:30:57 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
そうそう誰か宣教家族についてのコメントくれませんか?私は彼らの子供達のことがたいそう気にかかります。将来どうするのだろう?と・・・・。
カルト組織などでは、その集団で育った子供達は、その世界しか知らないので、ある年齢になると「教会離れ」よろしく「カルト離れ」をすることがカルト分析の書籍に書かれてありました。
みかん - 01/02/21 18:28:18 電子メールアドレス:bergamia@aquaphonia.net
>政教分離なんてナニ馬鹿なこと言っているのだ。そんなもんは初めからある訳なかろうが。
お馬鹿でごめんね。
アサさん - 01/02/21 18:26:58 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
思わず制の字を性と書いてしまった!独身制ですネ!
アサさん - 01/02/21 18:25:48 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
最近思うに、司祭というのは本当に孤独な職業なんだなということ。独身性にも最近は柔軟性があってもと思う。 共
同体の神学生や司祭に囲まれて、本当にうれしそうに至福の表情を見せるうちの主任司祭や深堀司教さんを見ると、何かもの悲しいものを感じる。
少なくともその気持ちだけは理解できる(かといってやって良いことと悪いことがあるが・・・・)
だーさん - 01/02/21 17:27:56 電子メールアドレス:nori@norisan.net
http://www.kimai-net.gr.jp/ohchi/ http://www.kimai-net.gr.jp/ohchi/noh-6.htm
もう消えたのか... 変更の理由ぐらい書けよな(圧力があったとかでも良いからさ^^;
だ - 01/02/21 11:10:06
まま、そう息巻くなって、^^; いろいろと面白いこと調べてる最中なんだから
名無しさん - 01/02/21 10:04:25
天理市のホームページのリンクには宗教法人天理教へのリンクがある。ま、当然だな。市民の80%が信者だもの。
http://www.city.tenri.nara.jp/link/link.html
綾部市のホームページには天理市と同様の理由で、リンクではないが、宗教法人大本教を市のホームページ内で紹介している。
http://www.obs.ayabe.kyoto.jp/ayabe/fureai/fure_f.html
伊勢市のホームページには伊勢神宮が大々的に紹介されている。
http://www.city.ise.mie.jp/index/sight/index.html
要は村おこしに役に立つと考えたのであろう。政教分離なんてナニ馬鹿なこと言っているのだ。そんなもんは初めからある訳なかろうが。
この国で宗教にからむ問題はといえば、たいていが観光資源や土木工事の利権にその宗教が役に立つかどうかという問題だ。
だー - 01/02/21 01:20:59 電子メールアドレス:nori@norisan.net
只今調査中。通常地方公共団体は宗教関係の施設のリンクはしないです。
新潟市 http://sougou.niigata-inet.or.jp/nsougou/register/register.asp
岩見沢市 http://www.city.takikawa.hokkaido.jp/link/linkkijun.html
小千谷市 http://www.city.ojiya.niigata.jp/link/link_kitei.html など
みかん - 01/02/21 00:37:50 電子メールアドレス:bergamia@aquaphonia.net
法的なことには疎いのですが...だーさんの情報は「憲法違反」になるものですか?政教分離の...。
ところで、今現在小豆島教会の方のご様子はいかがですか?少しは元気になられたのでしょうか。