2001.5/1-10

しょうゆ豆 - 01/05/10 22:25:49
私も無名さんのおっしゃる通りだと思います。
キルスさんは〔今のような教会や信仰に誰がしたか〕〔その徹底的な原因究明と根本的な解決〕との投げかけに対して、その内の一つの問題として指摘して下さったと思います。
ネオは今まで私たちが大切にしてきていたカトリックをゆがめてしまった。
そう、わたしは思っています。妥協できるものとどんなに言われても出来ない大切なものがあります。
少し前に山岸さんが、悲しみのどん底!!!から立ちあがられたあと、まさに「祈りは力!!」とおしゃっていました。
私は「祈りは私たちの武器!!!」と言いたいです。



- 01/05/10 12:45:25
>この両刀の使い分けの中にバチカンの真意をさぐらなければならない。<
ネオがらみのトラブルを利用して、バチカンの権威を強化しようとしているとも、受け取れますね。
しかしながら、公的認可をネオが得ようが得まいが、たいしたことではないのかもしれません。
小教区に分裂をもたらしてしまうネオの活動は、権威筋のお墨付きがあろうがなかろうが、おかしいのです。
この高松教区で起きた問題は1つの教訓を教えてくれているように思います。
それは、自分たちの信仰は、自分たちが守らなければならないとゆうことです。


キルス - 01/05/09 19:19:27
新求道共同体の霊性(カリスマ)がローマから公式認可されるのが近いという4月17日発のバチカン情報に二種あり,CWNewsのものはよく知られている。
しかしこれは一般向け、むしろ非共同体向けである。ところがVIS‐Pressのものは、より詳しいというより、むしろ共同体むけである。このようにバチカンが意図的に教皇書簡についての解説を使い分けている、
しかも、短い方の前者に教皇書簡以外の付加がある。非共同体の人はこちらを読んで安心しているがそれはすべての平信徒活動に対しても服従を強調している。
一方VISの方は「いかなるカリスマも教会牧者への委託と帰順からは一人の人間に与えられるものではない」とのべてある。
また「道」の存立がかかっている重要な達成の部分として公式な法的認可をともなう明確な規則という援軍があるとまで言っている。
ここまで教皇書簡の内容はキコ共同体を喜ばせ、元気づけるものである。
二種の情報は微妙に異なるどころではなく、この両刀の使い分けの中にバチカンの真意をさぐらなければならない。


しょうゆ豆 - 01/05/08 23:22:28
日本で宣教したいと熱望してきた方たちですから、その熱望で持って、新求道共同体の人達向けの養成ではなく新求道共同体の養成を嫌う信者たちの養成も十分できる司祭となるよう、もう一度東京大神学院あたりで新求道共同体の(霊性)でない霊性も修得していただくなんてことできないのでしょうかしら。なんたって教区司祭なんですから。


主と共に - 01/05/08 23:08:46
三本松教会の皆様。 何があっても最後まで正気を保ち続けてくださいね。 
あなたたちの歩まれてきた信仰は、何も間違ってはおりませんので、自信と勇気を持って守り通してくださいます様に。 陰ながらお祈りしております。


山岸 史和 - 01/05/08 23:05:53 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
個人的事情を公表して、一部の方々の不評を買いました。すみませんでした。
(某・看護婦さんの御多幸を、心から祈念しています。毎晩のロザリオの祈りは、一日の反省とともに、彼女の幸せの為に、捧げています。
未熟な私に、「女性を愛する心」を教えてくれた彼女には、感謝しています。未だに、職場で顔を会わせる勇気は、取り戻せていませんが・・・。)
ところで、ドミニコ会ロザリオ管区終生第3会員であり、今治教会典礼委員・兼・青年会次席委員としての立場から、高松司教区の行く末を、憂慮せざるを得ません。
「一・聖・公の聖なる公教会」とは、何なのか、高松教区民一人一人の、真剣なる猛反省が、必要ですね・・・。


だ - 01/05/08 22:40:27 電子メールアドレス:nori@norisan.net
ふむ、だとしたら尚更出て行かせるのは難しい。すべてを捨てて来た者には何も怖いものは無い。我々にその覚悟はあるのか....自問しながら..


しょうゆ豆 - 01/05/08 22:23:58
今泉さん、司祭の叙階式をホテルでおこなうなんて、この感覚、理解できないですよね。今年の叙階式には韓国からの大勢の来賓があるんですって?。


しょうゆ豆 - 01/05/08 21:03:43
1992年の司教教書中「なぜ新しく神学院を設立するのか」という項目に、教区司祭の養成のために、日本には東京と福岡に大神学院があります。
このたび高松に来た神学生も東京か福岡に送るのが本筋とも考えられますが、2つの理由で彼らのために別に神学院を創立することにいたしました。
1つは、彼らは「新求道共同体」の精神〔霊性)で、これまでどおり霊的養成をつづけることが絶対に必要だからです。
もう一つは彼らの過去の経歴からしてすぐに東京や福岡の神学院に入ることは無理だと判断したからです。と、あります。
高松の一部の信者さんたちはこの頃「新求道共同体」の精神(霊性)とはどうゆうものなのですかと、司教、主任司祭、司祭、他教区の神父様方にも尋ねましたが、どなたも明解なご返答をしてくださらなかったのです。
この「新求道共同体」の(霊性)がわたしたちにはとても気になるところなのです。


しょうゆ豆 - 01/05/08 20:44:47
5/6のだーさんの投稿に「―彼らは司教に頼まれて来日したのだから―」とありますが、どうかな?それは、と私は思います。
神学院設立に関しては1992年の司教教書の中に示していますと深堀司教が言われる教書の中で〔新求道共同体からの申し出〕とし、1990年のはじめごろ「新求道共同体」の責任者から高松教区にローマ教区立神学院「レデンプトーリス・マーテル=救い主の母」と同じ大神学院を設立したいとの意志表示がありました。
この共同体に属する人達の中に日本宣教を志す者が相当数いるので、彼らをそれぞれの出身国ではなく、日本でいっしょに養成するのがいいのではないか、そのために高松教区に神学院を創立して、宣教精神にあふれた教区司祭を育てたいとのことでありました。
―私が神学院設立を決断したのは日本で宣教したいと熱望する司祭志願者がいたからです―彼らは数年前から日本行きを希望して準備をしておりました―ほとんどがすでに自分の職業を持ち、社会人として活躍していましたが,宣教に身を捧げるため一切を捨てたひとたちです。
―彼らは将来教区司祭として高松教区のため、そして日本の教会のために働くでしょう。と、いわれているのです。


しょうゆ豆 - 01/05/08 20:21:27
いにしえの時代の方からも投稿があるなんて驚きました。焼け野原さんはお休み中に少しは平安になられたでしょうか?お祈りしています。 


今泉洋子 - 01/05/08 09:52:18
多くの高松教区民の願いは、また無視されました。今回の叙階式も、カテドラルではおこなわれません。叙階式はマツノイパレスのクリスタルホールです。
小さくても高松教区にはカテドラルがあります。 8月に結婚する息子は冷房がなくても、披露宴の会場から不便でも自分の教会で結婚式をすることを望んでいます。
こんな息子の思いを司教さまは、笑われますか。とお聞きしたい思いです。


- 01/05/07 10:28:13
ネオにつけ込まれやすい県民性ですか・・・?それは県民性の問題でしょうか?たとえ話としても県民性をここで出すのはいかがなものかと思いますが。


- 01/05/06 15:00:34
他教区とのコミニュケーションと、相互ネットワークシステムの不足。 これは正に日本人の最も不得手とする分野です。 既につけ込まれています。 
バチカンコネクションや、ユダヤネットワーク等とは言いませんが、より近いものが必要だと思います。 


- 01/05/06 12:02:11
ネオが活動しやすく、強固な根を張るのに適した土壌があるように思います。 例えば、県民性とか。


髭爺 - 01/05/06 11:19:43
司教も含めて、自覚を促しています。 小さな子供でも出来る「反省、謝罪」を求めています。 


だーさん - 01/05/06 07:44:37 電子メールアドレス:nori@norisan.net
祖国へ帰れと言われても彼らは司教に頼まれて来日したのだからそれはちょっと酷い言い方だと思うよ。


髭爺 - 01/05/05 23:47:53
ネオが本物のカトリックというのであれば、四国でこれほど多くの信徒が苦しんでいるこの現実は、一体何なのですか? 
一部の狂信的な理解者を育て、得る為であれば、ネオは何をしてもよいのですか? 何をしても許されるのですか? 
そう思っているからこそ、何一つとして反省する事が出来ない。 
多くの善良なる信徒の心を苦しめ、はかり知れない精神的苦痛を負わされたこの事実は、生涯忘れる事が出来ません。 
これ以上、騒乱を招き続けるのであれば、母国に帰って頂きたい。 今後、どう小手先のトリックで偽装、変化しようが、もう騙されません。 
日本人は、あなた達が思っている程、馬鹿じゃありませんから。


菊一文字 - 01/05/05 09:48:42
蜂須賀の御家中はこの度も日和見でござるか? 眉山からの眺め、いかがでござろう也?


- 01/05/04 18:22:34
そういえば、高知の方のご意見を見かけたことはありません。坂本龍馬の心意気、現代にも生きているならば、立ちあがり、高松教区維新を呼びかけて欲しい。


ライムライト - 01/05/04 02:32:25
もうぼちぼち起きぃよ 土佐っぽ! 何ちゅうても最後はおまんらしかおらんきね!


しょうゆ豆 - 01/05/03 00:39:28
〔今のような教会や信仰に誰がしたか〕…。今のような高松教区に誰がしたか。
〔その徹底的な原因究明と、根本的な解決〕の為、あまりにも大きな難題とわかっていても私達は小さな力で頑張っています。信じて止まないものがあるから。
このHPの題のように「あしたに向かって」21世紀の明るいカトリック教会のためにどのようにしていけば善いのかと。


しかるべき選択 - 01/05/02 13:22:37
信仰は捨てないけど教会を離れる。という考えを持った人は、少なくないでしょうね。放蕩息子の例もあることです、自分で決めた道を進まれるほうがいいでしょう。
今のような教会や信仰に誰がしたか。その徹底的な原因究明と、根本的な解決がなされない限り、日本のカトリックには明るい未来は訪れないように思います。


山岸 史和 - 01/05/02 00:09:54 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
焼け野原さん、本当に、それでいいのですか?(もっと、御自分を大事にされてください。)
一部の諸兄方は、既に御存知なのですが、私も一ヶ月程前に、大変、辛い状況に陥りました。
職場の同僚である、某・看護婦さんに振られてしまいました。
(付き合うべきか否か、半年迷ったあげくに、郵便にて告白して、振られてしまいました。それまで、周囲からは「準公認カップル」の扱いをされていましたので・・・。)
本当に、半月間は毎晩、クラシック音楽(モーツアルトやフォーレのレクイエムや、ベートーベンの月光等々。)を聴きながら、泣いていましたよ。
道後教会に聖体訪問してロザリオ中も、泣いてしまいましたね・・・。そのときから、ロザリオを毎晩、就寝前に祈る習慣を復活させましたよ!
そのお陰か、精神的にも、大分、立ち直れまして、「カナの会」からの見合い話や、職場の別の女性職員(看護婦・臨床検査技師・薬剤師等々。)との交際について、再検討する気持ちになれましたよ!まさに、「祈りは力!!」ですよ・・・。



しょうゆ豆 - 01/05/01 09:28:02
焼け野原さん:「信仰は捨てませんけど」とおっしゃる程信仰を大切になさっていらっしゃる方を神様は決して地獄へなど行かせることはなさらないと思います。
心が焼け野原になってしまう程に傷つかれてしまったのですね。
でも、野原は焼けてしまっても、そのあと、そこには風や小鳥達が新しい種を運んで来て再び柔らかく生き生きとした新芽が吹き出してきます。
どうか、もう一度「捨てなくてもよい教会」を希望し目指して一緒に祈ってみていただけませんか?
今日から5月、5月は聖母マリア様をたたえる月、私はお祈り致します。 
恵みあふれる聖マリア、主はあなたと共におられます 主はあなたを選び祝福し あなたの子イエズスも祝福されました 神の母聖マリア 罪深い私達のために 今も死をむかえるときも祈ってください。 アーメン


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