2002.1/11-20
しょうゆ豆 - 02/01/20 21:49:45
国際宣教神学院の学生達が書道の練習をしている写真を「神学院だより」で見たことがありますが、このようなことで日本の精神文化への土着化の取り組みといえるのでしょうか?
以前、司教は何回か、質問する信者に「彼等に土着性は難しい」と返答されています。
そればかりか、前桜町主任司祭は「私たちの方から新求道共同体に合わせていかねばなりません、そんなことを云ってたら国際化の時代に時代遅れになりますよ」などと言っていますが、そうでしょうか?
真に受けて、押し付けられてハイそうでございますね、という信者はどれほどいたでしょう。しらけただけだったでしょう。
しょうゆ豆 - 02/01/19 23:04:46
TからFに訂正されていました。タイプが遅いものですから。最初の部分は無視してください。
しょうゆ豆 - 02/01/19 22:52:25
下から順番に読んで行って、[高松のT司教]のところで目がテンになってしまいました。ふふふ……。私も傍聴人さんのおっしゃっている通りと感じています。
まだ、宣教の地である国や地方、地域になんで「教会の再生」が必要でしょうか。見当違いもいいところだと云いたいです。
私は、成人してからの信者ですが、カトリックに惹かれたのはカトリックの中に(よくは、知らないのですが)禅の思想に似たものがあるのだと知ったことが、一つにあります。
廻りと協調できるものでないとダメたったからです。
家族、親族ばかりか、廻りに住まう人たちは、ほとんどが生まれたときから知らず知らずのうちに、仏教や神道による慣習や思想を生活の中になんの抵抗も無く受け容れています。
…私は宗教のために義父との間に出来てしまった確執に悩みの時代がありましたが、明治生まれの義父ははじめの頃「キリスト教は毛唐の信じる宗教じゃ。
日本には日本人のためのエエ宗教がある。」と云っていました。のちに「カトリックもエエ宗教じゃと思うな」といって勉強のため教会に通い亡くなる3年前、自ら望んで洗礼をうけました。
義父に影響を与えたカトリックは決して「新求道共同体」ではなく、その様なものでもありませんでした。
傍聴人 - 02/01/19 19:45:30
重ねてコメントします。バチカンは新求道共同体の活動が、非キリスト教化した国々の「教会の再生」に役立てば、と考えています。
信者が40万人ぐらいの日本で「再生」の活動が必要ですか?
それよりも「新生」に目を向けるべきです。その独特な活動が、わが国では宣教の足を引っ張ることになるから「不適応」だと主張しているのです。
傍聴人 - 02/01/19 12:56:39
新求道共同体の活動について、賛成とか反対で論議していると先が見えなくなる恐れがありますね。だから「ネオ派」「反ネオ派」と言うのも一考を要すると思います。
肝心なことは、この活動がわが国に不適応だということについてさらに深い論議を望みたいものです。
非キリスト教化した国々で、この活動が適応して歓迎されるのであれば、そこまで日本の信者が「反対」するのは不条理というものでしょう。
一方の新求道共同体のリーダ−も、本当にこの活動が宣教の地の日本に適応しているのかどうか、インカルチュレーションの視点から真剣に考えてみるときでしょう。
このまま突き進むと,率直にいって高松のF司教は、日本の社会福音化に泥を塗りつけ回っていることになります。バチカンもそのことを早く見抜くべきだと思います。
- 02/01/18 16:29:45
[トマス - 02/01/15 09:20:58] >あなたの言われる「反ネオ」という呼び名も適切ではないようです。⇒ [Chiho(新求道共同体メンバー)- 01/01/19 09:06:53] < ???
アサさん - 02/01/17 07:19:48 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
最近、ラルシュ共同体に少し関わりを持ちました。ジャン・バニエの創立した運動です。
新求道共同体の創設者キコ氏と同じくシャルル・ド・フコーの霊性に感化されたものと言われていますが、ジャン・バニエ氏とキコ氏を見ると、そのフコーの霊性の受け方の違いを感じます。
フコーの「清貧」とバニエの「清貧」は相通じるものがあると感じます。
数年前「清貧の思想」という本がベストセラーになりましたが、その「思想」はまさに、飾らずおごらずただ貧しく(物質的な意味ではなく)であると思います。
バニエのラルシュ共同体は、形こそ違えど、共同体というものの意味を考えさせてくれます。
新求道共同体が真に清貧に生きるならば、その行動、言動が必ず人を感動させるはずです。
そこには特殊な典礼や歌は必要なく、ただその人の行き方のみが証となるはずです。
私は一度静岡のラルシュ共同体を訪れてみたいと思っています。
梟 - 02/01/16 21:00:31
新求道共同体の道を歩まれている信徒さんや、その団体の歩み自体に賛同なされたり団体の運営に積極的に関わり協力なされている関係者さんたちは(他宗教者除く)、ネオが起因として引き起こした問題の一つである「信徒聖職者間の分裂問題」を、今の段階にて各自どうご理解されているのでしょうか?
当初ネオの道に深く傾倒なされた信者さんやネオ運動を推進されている方々は、「司祭不足に伴う諸問題の究極の打開策である」「霊性の多様化における運動の一環である」「高松問題はただのボタンの掛け違いです」と、口々にのたまっておられましたが、今でも本気でそう思われて(思い込んで)おられるのでしょうか?
もしそうならキリスト者である前に、社会人としての不適格者である、浮世離れした非常識な者であるとしか思えません。
そして信徒からの疑問の声を無視して無理強いして押し通した「神学院建設強制執行問題、資金流用隠蔽工作疑惑」などの諸問題も、得意の「現実逃避」で巧みに世間の「監視の目」から逃れようとしていますよね。
どれもこれもキリスト者とはとても信じられない「如何わしい行為」ばかり。四国のできごとは一切合財全て全部ネオが起因として起こったことです。
迂闊にもそういう怪しい団体を呼び込んでしまった司教の責任は重大です。
本来なら司教自らが過ちに気づき訂正するはずの、約30年にわたる四国のネオ問題をご自分で解決なされようともせず、その「つけ」を信者にまで被せてしまわれた。
この問題は起こるべくして起こったと言っても過言ではないでしょう。
果たしてこのような状況下で正常な福音宣教ができますでしょうか?
信徒間で疑心暗鬼が日常茶飯事の如く繰り広げられている教会内を見て、誰が新たに望んでそんな教会に行き、信者になりたいと思うでしょうか?
日本人のことをよくご理解されていないようですね。
我が国「日本」で最も「嫌悪」されるのはそんな「矛盾」であるというのに。
本当の意味で福音宣教の妨げをしているのは司教の「誤った判断と現実逃避」なのではないのでしょうか?
何故気がつかないのでしょうか?ほんとうに情けなく思います。
しょうゆ豆 (15日、23:28:12のつづき) - 02/01/16 09:20:56
山下神父さまはたいへんな清貧の方で、また、常に祈りの方だったと幾人の方から聞いています。
ある方は師がまだお若いころだったそうですが、お聖堂でご自身の体に鞭をあてながらお祈りしていた師の姿を見て感動したとおっしゃっていました。
この様な師が、生前「神学院のことは、私にも不本意なことばかりでした。一番には邦人司祭が養成出来にくいことです。
恥ずかしいながら、いろいろ偽証された事実がありますが司教さんは全部ご存知のことです」と証言され、このことの他にも重大な証言を残しておられます。
と、森岡氏が記述されている(ミレニアムの虚構)部分は真実だと私は思っています。
口達者に司祭でありながら自己宣伝をあちこちでなさるような方は信用ができませんけど。
しょうゆ豆 - 02/01/15 23:35:02
桃太郎さんの後に書きこみたかったのですが、海の神様に先を越されてしまいました。手が遅いものですから。
しょうゆ豆 - 02/01/15 23:28:12
死人に口無し、と言いますから。都合の悪い事はみんな死者のせいにすれば、こんなに楽な事はありませんもの。
それにしても、なんでこんな半端な人が神父さまなどになれたのでしょうか?解せないことです。
私は以前ある神父様から「しょうゆ豆さん、司教や司祭に躓いてもキリストにはつまずかないでくださいね」と言われたことがありましたが、高松の司教やこの司祭には躓くどころか、躓いてころんでヒビが入っているのではと、近頃思うことがあります。
海神セレス - 02/01/15 23:27:34 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
2年前の決議への異論は、ちょっと聞き捨てなりません!
確かに、投票を以ての決議ではありませんが、司会者より「高松司教区民として、我々は、何を為すべきか、会員の兄弟姉妹各位においては、熟慮願います!
我々の同輩である、M氏・K氏が、不正義と戦っています!
掛かる事態に、どう対処されるのか、御意見を!」との問いかけに、私を始め、多くの会員諸氏から「M氏・K氏を支持します!」との返答があり、「皆様、それで宜しいでしょうか?」との問いかけに対して、「異議なし!」と応じて、他の出席者は、頷く等々、賛意を表しています。指導司祭からも、特に異論は無く、(以前から、指導司祭は中立でしたが・・・。)当時の第3会の多数意見として、記録されています。
(私は、これに準じていますし、私自身の個人的意見でも、M氏・K氏支持には替わりありませんので・・・。)
桃太郎 - 02/01/15 12:22:07
私は以前一粒会の会計報告をだれにきいてもわからないと嘆きましたが、今手元にある教会会計部門コード一覧(2001年11月改訂)を見ると教区事務・司教館建設・指定献金・法人司祭そして当然三本松教会の会計責任者は谷口神父です。
高松教区の場合どうゆうわけか一粒会も指定献金に属しているので谷口神父にきけばわからねばならないはずです。
彼は以前のことはわからないと言うでしょうね。いや!これも亡くなられた山下神父さまのせいにするでしょうか。
トマス - 02/01/15 09:20:58
海神セレスさん、あなたはなにか勘違いされているのではありませんか?
新求道共同体のことで、ドミニコ信徒会(今は第三回とは呼ばない)の話がでること事態、とてもおかしな話だと思います。それとこれとは何も関係が無い、と断言します。
ドミニコ信徒会にとっては、とても迷惑な話です。よく調べてみると、そんなことで賛否を問うたという事実もありません。あなたの言われる「反ネオ」という呼び名も適切ではないようです。
新求道共同体にかかわる問題の、もっと根本的なところを研究し、また認識してほしいものです。
海神セレス - 02/01/14 23:11:19 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
私の個人的感触では、「ネオ・カテクメナートと自分は、油と水だろうなぁ・・・。」と思っています。
何故ならば、私は、現役のドミニコ第三会員であり、求道期・受洗直後は、フランシスコ会の影響下にありましたから、バリバリの「保守・伝統派」なのです!
(鹿児島司教区の成相師達のグループの主張に、共感していますから・・・。)
@ぷー - 02/01/14 23:08:13
セレスさんの表現が誤解を生んでしまうってことですよ。
海神セレス - 02/01/14 23:02:00 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
私の記事は、「ミレニアムの虚構」での、反ネオ派の主張を、そのまま引用しています。
というのも、ドミニコ第三会では、反ネオ派を支持するという決議を、約2年ほど前に、月例会出席者(全会員の70%程度。)のほぼ全員の賛同を以て、行っています。
(残り30%の欠席者は、中立派か、ネオ支持者でした。)
一寸法師 - 02/01/14 14:17:36
バチカンから公認もされていないのに新求道共同体の修道院、宣教会化などと軽はずみなことを言わないで下さい。
第一、新求道共同体そのものに霊性”があるとお考えですか。
あれはヨーロッパで長くキリストを離れた人たちを再び教会に招きいれるための単なる活動グループに過ぎません。
傍聴人 - 02/01/13 19:44:00
これはインカルチュレーションと蜜接な関係があると思いますが、新求同共同体がミサで二つの典礼を使い分ける限り、日本ではなじまないものと思います。
また同調者もこれ以上増えないと確信しています。
カトリックは『聖なる普遍の教会」と言われますが、現実にはわが国において高松教区をのぞき、ほとんどの司教区がこの活動を禁止しています。
これは『普遍』の本質に矛盾することです。もっと分かりやすく言えば、キコ氏による「新求道の道」はヨ−ロッパで自分が始めた「活動」を商品並に輸出しているに過ぎません。
そのようでは日本の場合、民族独自の言語と文化のなかに土着せず、従って目に見えるかたちで一致が保てない、ということだと思います。
よく考えてみてください。あなたの教会(教区)で、二つの典礼があちこち適当に使い分けられて、心の一致が望めると思いますか。
このことはもっと広い立場で話し合われるべきことだと思っています。
海神セレス - 02/01/13 17:37:54 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
「144M」改め、「海神セレス」です。(一部の信者諸氏には、私の正体は、判明しています。)
私の意見は、以前と同様の「ネオ・カテクメナートの修道会・宣教会化の実現(教会法の規制が掛かる事や、教皇庁から補助金が貰える等々の実現のため。)」と、「幾つかの小教区のネオ・カテクメナートへの割譲と、小教区の担当修道会の大規模配置換え(ネオ派と反ネオ派の小教区を、なるべく隣接させて、所属教会は、各信徒の自由選択とする。その際、既存の修道院のある小教区は、その修道会の担当地区とするのが望ましい。)」です。
これが、現実的選択だと、確信していますが・・・。
信徒会の役員 - 02/01/12 19:28:13
私が言いたい事を言ってくれてありがとう。もともと問題があるのか、教育に足りないところがあるのか、よく考えてみてみてほしい。いい年して常識が無いのでは話にならん。
応援団長 - 02/01/12 12:30:45
ちょっとご無沙汰しました。ネオの司祭の独善性について私も一言.実はみな常識がなくて、会話や会議の進め方も知らないのじゃありませんか。
だから誰にも相談せずに独走してしまう訳です。昨年11月の信徒協総会でも感じました。
財務のことでネオの司祭が説明したのですが、極端な話ばかりに走って、いきなり感情的になるから、役員の思いを逆なでしてしまった。
あれじゃあ教区への維持費納入意欲も減退ですよ。会話の進め方まで原理主義的では、本当に困ります。桜町教会の先行きが案じられます。