2002.2/11-20
- 02/02/19 21:09:09 ホームページアドレス:http://www.yo.rim.or.jp/~atohmasa/seresu/index.htm ここです
よろしければ - 02/02/19 21:01:08 電子メールアドレス:ave.maria@moon.co.jp
海神セレスさんのおっしゃる「特設・海神セレスの部屋」URLがどうしても見つからないのですがよろしかったら教えていただけますか??御伺いしたいなあと思ったので。
しょうゆ豆 - 02/02/19 14:03:59
教会を離れた信者さん達は、教会をボイコットすることにとって自分の教会に対する意思を表明しているのではないでしょうか。
桜町にしても小豆島にしても今は教会に行きさえすれば秘跡にはあずかれます。でも行かないのは司牧司祭が新求道共同体の司祭だからなのではないでしょうか?
又は「とにかく従ってください」と云う司教に対する反発か。司祭と名がついていさえすればどのような司祭でも結構ですというわけにはいかないのではないですか?
病気の方や高齢者・体の不自由な方たちには聖体奉仕者のかたが対応できます。
健康体の人がどうしても秘跡に与りたいと望むなら、どのような方法でも考え、頑張って与りに行くでしょう、それは不自由することを充分にわかった上で選んだその方の姿勢ですから。
その方自身の信仰の問題と私は思います。組織母体が健全でありさえすれば誰も苦労しなくていいものを。組織の責任者方の姿勢が変われば帰ってこられるのではないでしょうか。
海神セレス - 02/02/18 22:31:02 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
個人に関しての投稿で、すみません。私は、今治教会の教会委員(青年会委員)でもありますが、同時に、ドミニコ会第3会(信徒会)終生会員でもあります。
所属教会では、ネオ会員の信者達との「共存・協調」路線を基本としています。
しかしながら、ドミニコ会第3会の勉強会は、反ネオ・カテクメナートの牙城である、松山教会にて開催されています。
会員比率も、松山教会・道後教会所属信徒が、2/3を占めており、北条教会・新居浜教会・西条教会・今治教会の順で、続きます。
松山教会・道後教会では、反ネオ派が多数派です。そういう状況下なので、どちらの方針に従うのか、選択を迫られるでしょう・・・。(本当に、教会委員を辞職せざるを得ないかも?)
Y子 - 02/02/18 17:41:55
節子さん(高松)の話に関係する教会のある女性は「教会へ行って傷つけられ、はずかしめられ、笑いものにされました。こんなところ、本当に教会と言えるのですか。
教会なんかなくなればいい。もう絶対に行かない。」と辛そうに話しています。。『お互いに愛し合いなさい』という言葉が針のように心に痛くささります。
節子(高松) - 02/02/18 11:39:23
今、四旬節だから私が申しあげたいことは、高松・桜町教会ではネオの神父たちの勝手な振る舞いが原因で教会を離れた信者が多勢いますが、そんなこと忘れてしまったような感じです。
新居浜教会の元W神父の不倫で傷つけられた家庭はどうなるんですか。
小豆島教会で主日のミサにもあずかない何人かの信者の司牧は放ったらかしのままという事ですが、それでみんなの心は痛みませんか。
口先では『兄弟愛』だなんてカッコいいこと言っていますが、実践が伴っていません。小さく、弱くされた人たちに兄弟愛の手を差し伸べる時は,今この時なのです。
復活の喜びと希望を共に味わうために、皆で知恵を出し合ってみませんか。立ち上がりましょうよ。
節子(高松) - 02/02/18 08:27:56
ネオに様々な問題があることは司教協議会・常任委員会の見解や《ミレニアムの虚構」、またこのホームぺ−ジでもよく分かります。
それよりも今、高松教区の教会でどんなことが起きているのか、例えば新居浜教会他のことについて広くご意見を聞きたいと願っています。
切実なことが起こり、みんな悩み、そして苦しんでいます。
海神セレス - 02/02/17 22:07:12 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
個人的意見は、前述とは異なり、ネオ・カテクメナート(新求道共同体)の宣教活動には「反対」の立場です。
従来の修道会(フランシスコ会・ドミニコ会等々の既存の修道会)の説いてきた教えとは、明らかに異なるからです!
(彼らの教義については、例え、彼らと一緒にネオに入会しなくても、現代に於いては、インターネットや書物等々にて、賛同者・反対者双方の論文等々が、容易に入手可能ですから。)
地方の小教区では、教会当局への批判そのものがタブー視されますが、教会当局自身の誤りが明らかな場合においては、手順を踏まえての批判は、教会法上も認められています。
また、ジャーナリスムの世界では、これらの批判精神・活動は、常套策とされています。
また、私自身が、大阪大司教区での受洗なので、大阪・京都・東京等々の大都市部の信者の方々のやり方も、体験済みです。
ですから、帰郷して以来の地元教区・小教区の運営については、正直、疑問に感じている事柄も多いのです!以上!
海神セレス - 02/02/17 21:42:03 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
「特設・海神セレスの部屋」HPの部屋にて投稿している通り、今治教会の関係者から、私の行動とインターネット活動への批判が出ています。
「インターネット等々にて、派閥間の誹謗中傷合戦をするよりも、高齢者・身体障害者・過疎地の信徒への配慮こそ、優先事項!週1回のミサに与れるか否かの信者の事を思ってほしい!都市部の信者は、贅沢!どこの修道会・宣教会や教区の司祭でも、我々には構わない!当事者(該当小教区所属信徒・ネオ脱会者等々の事。)以外干渉しないでほしい!」
という事でした。
しょうゆ豆 - 02/02/16 22:23:26
あけびさんが里親制度や寄付金のことに触れられていますが、里親献金をなさっている方はきっと全国にいらっしゃるのでしょうね。
ネオでもないのに不足している司祭育成のためにという理由で協力しておられる善意の方々が…。
私は以前ご自分の子供さん達に多額の学資がかかるのに神父様が育つのならと無理して献金していたと言う方がいると聞いたことがあります。
ところで、高松教区立国際宣教神学院卒の司祭は、新潟、大分、長崎の教区にも派遣されていますがこの三教区は当然、献金・寄付金はしているでしょうね、
この教区の信者さん達はおそらく高松問題をしらないのでしょうね。18日からの司教総会で高松問題は話し合われるのでしょうか?
パウロ某 - 02/02/16 21:39:31
一輪の野草さん、全く同感です。実は、私の教会の主任司祭が飲んだくれのロクデナシ神父なのです。実際私の教会の信者が三人集まればいつも主任司祭の悪口がはじまります。
現在は司祭による信徒迫害の時代とまで言う人もいますし、神学校では哲学や神学のような学問的知識よりも人との接し方や精神面、霊的な面の教育をしてほしいという意見も聴かれます。
この司祭は神学校で成績優秀であったということですが、そのことと司祭としての資質は別であると思います。
例えば、聖ヨハネ・ビアンネは頭が悪くてラテン語をおぼえられなかったにもかかわらず、その司祭職への情熱ゆえに叙階されました。
私の教区は司祭が不足していて外国宣教会にたよっています。
その状況を打破しようとして前司教がだれでも構わず神学校に送り片っ端から叙階したために、女性と駆け落ちする司祭や、某弱無人に振舞う司祭がいます。
(ちなみにこの司教が某教会の信者に有無を言わさずネオを導入したため、そこに元からいた信徒とネオとの間に分裂が生じました。)
前司教のやり方は短期的に見れば司祭が増えたように見えるでしょうが、長期的に見ると、このような司祭のためにますます教会離れをする信者が増え、「あんな人間になりたくない」という気持ちを青年に植付け召命が減少することになり、かえってカトリック教会の衰退に拍車をかけているように思えます。
一輪の野草 - 02/02/16 14:01:13
遅くなりましたが、「【一寸法師-02/02/11 20:21: 12】さんの『司祭も人の子』という母性的な優しさも分からないぬではありませんが・・・・・」について、少し述べさせていただきます。
司祭も人の子と書いたのは、特別な人間ではないと言うことを書いたのです。ご家族に対する配慮を書き込みませんでしたが、司祭を許す発言ではないはずです。
司祭を特別視して、今でも教会では神を拝まず、司祭を拝んでいる現状があります。
また、都会では交通の便の良さも手伝って、司祭の異動時、芸能人の追っかけならぬ、司祭の追っかけすらあります。信徒も信徒ですが、それを判って許す司祭も司祭です。
司祭は人間であり、司牧の資格を持っているに過ぎず、この司祭は普通に信徒としていれば良かったのに、司祭になったばかりに、霊聖を持ち得なく不幸に見える者も散見します。
そういった司祭や、その成り上がりの司教・大司教に司牧職がなんであるのか今一度反省と勉強を真に謙虚にしてもらいたくて書き込んだものです。
あまりにもお粗末な神父は高松の外人神父(小生は外人アレルギーです。自分が正しいと思って譲らないところが我慢ならない)は論外として、他の教区にも沢山おります。
これは、司祭の資質の問題もありますが、その司祭を育てた信徒にも問題があります。しかし、自分で選んだ司祭職ですから、責任ある日常を過ごしてもらいたいものです。
【少し長く、くどくなりました。ごめんなさい。】
あけび - 02/02/16 13:05:40
国際宣教神学院の運営費の大部分はネオの信徒の寄付金ばかりではありません。他教区の信徒の寄付金が大部分をしめていると思っています。
寄付している信徒の大部分がこのような問題を全く知らなかったり、詳しく知らない人たちです。
また、義理とか、不足している司祭育成のためにという理由で協力している信者が大勢いると思います。
現に、カトリック信者の中でインターネットを使っている人は数%に限られていますし、日本のカトリック教会では教区の不都合な事や神父の不祥事に関しては信徒には内密に処理しているように思われます。
私も、このページを見るまでは全く知らなかったのですから。これから先、間違いなく高松の神学院は運営危機におちいってくると思います。
パウロ某 - 02/02/16 01:11:38
私の周りのネオの人々は善良な人ばかりで、キリストを日々の生活の中で生きようとしているような人ばかりです。
しかし、よく考えると、このような人を集める力があるということは逆を返せばネオが異端的性格をもつことを示していると思います。
例えば、ものみの塔(通称エホバの証人)のような異端の信者には善良な人が多いという事実があります。
ものみの塔、末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教)といった異端とネオには大きな共通点があります。
それは、外部や下級信徒にはその究極的な教義が隠されているということです。
例えば、エホバの証人には定期刊行物があり、それら断片的なものをつなぎあわせておおよその教義を知ることができますが、彼らの教義をまとめた書物というものは一般にはほとんど入手不可能ですし、たしかエホバの証人の中でも下級信徒は目にすることができなかったと思います。
また、モルモン教の究極的教義はその総本山に入る事の出来る一部の人しか知ることが出来ないそうです。
同じように、ネオについてネオ自身が説明した書物というものは少なくとも日本にはありません。
ネオについて知ろうと思えば彼らの集会に参加して、カテキスタの言う事を聞くしかありません。
ですが、このように外部の人間にその在りようを隠したがるのはまさにネオが異端である何よりの証拠ではないでしょうか。
そして、純粋で善良な人ほど、何かを求めるあまり何も知らずにそのような集団に入り、こうした異端の罠にはまっていっていくのも残念ながら事実なのです。
@ぷー - 02/02/15 22:41:48
教区報に掲載してある教区会計報告を見ると今の高松神学院はその運営費をほとんど寄付金でまかなっています。
おそらく、ネオの信徒の寄付金が大半を占めているのだと思いますが、将来、神学院の性格がもっと多様な霊性に配慮した中立的なものとなった場合、当然、ネオの信徒は自分たちのための神学院でなくなるのだから、寄付金を出さなくなるでしょう。
その経営は立ちゆかなくなります。この神学院は、その経営基盤でも脆弱なものであるのです
一寸法師 - 02/02/15 19:17:52
節子(高松)さんの「よかった!」という叫ぶような思いは、ピタリ的中しているかも知れませんよ。
それと言うのも高見三明・被選司教(55歳)は、長期間にわたり福岡サン・スルピス大神学院に勤められ、院長も歴任した人です。
高松教区の教区長に就任して、今の新求道共同体による神学院を廃止した後、福岡サン・スルピス大紳学院の《分校》という形で司祭を養成することになるかも・・・
なーんて夢物語でしょうかねえ。でも、そんな意味のこと、何年か前に聞いたピタウ大司教(元上智大学長)の話とどこかで結びつくような気がして、ひとりほくそ笑んでいます。
ここで川柳「せっかちなことを言うなと神の声」。
節子(高松) - 02/02/15 17:38:20
カトリック新聞の1面に「補佐司教誕生!」とあるので「よかった!」と喜んでいたら、長崎教区のことでした。
深堀敏司教は1924年10月8日生まれですから、ことし誕生日を迎えると、なんと78歳です。75歳の定年を3年も過ぎることになります。
何事も”潮どき”というものがあると思うのですが、そのとき”を、すっかりお忘れになっている様子です。
K子(新居浜) - 02/02/15 08:21:12
新居浜教会の助任司祭だったWは、何の目的で日本に来たのでしようか。神父を職業だと勘違いしてたのでしょうか。貞潔、清貧の精神を失った神父ほど醜い姿はありません。
責任感の無い人間が、どうして司祭叙階の秘蹟を受けることになるのでしようか。山本さんがどちらの方か存じませんが、私も同じ思いです。
質問 - 02/02/14 23:23:22
深堀司教の定年は今年でしたでしょうか?
山本よし子 - 02/02/14 12:58:11
その通りです。このことが信徒の知らないところに隠されて何もなかったことにされてはいけません。泣き寝入りにされないよう、責任はきちんとってもらいたいのです。
この神父を生半可に育てた神学院なんかなくなればいいのです。私はこれをタイプするのに1時間半近くかかります。
でも巻き添えにされた子供達を守る為一生懸命に、一人でも多くの人に訴えていきます。今私にはこの方法しかないのです。
しょうゆ豆 - 02/02/14 11:05:54
私は母親の一人として、一番小さく、力の無い、弱い立場に置かれている幼子をまづ思ってしまいます。
幼子たちはこれから先 大人達よりはるかにながい人生を歩まなければなりません。幼子を守ることが第一ではないでしょうか。
このHPは小豆島教会の一信徒である日向さんが、教会から理不尽とも言える不当な扱いを受け、やむにやまれぬ苦渋の思いの中から立ち上げられたものと理解しています。
そのわけはこのHPの方を読むことでわかりますが、小豆島教会の信徒全員で、新求道共同体の司祭が島の教会に派遣されることを拒否するとの申し入れを司教宛てにだしたことがもとで受けた不当な扱いが発端だったと理解しています。
島の信者さん達は、病気で倒れられた主任司祭の替わりに臨時で派遣されてきた新求道共同体の司祭のあり様を知っていたからでしょう。
今回の不倫神父にしろ教区立国際宣教神学院から輩出された司祭です。責められるのはこの神学院の内容と、その関連責任者と私はおもいます。
山本よし子 - 02/02/14 08:19:39
新居浜教会のW神父の不倫問題につきましては、ここでもいろいろ意見が出ようですが、皆さんは思ったより寛大であることが分かり、女性の私には腹立たしい思いでなりません。
こんなことがよくあるからなのでしょうか。聖書に「人を裁くな」とあるからですか。でも十戒には「姦淫してはならない」「隣人の妻を決して欲してはならない」とあります。
今このことをいくら聞いても心に響くものは何も無く、むなしくなるばかりです。
パウロ某 - 02/02/13 12:32:17
私の属する教区は前司教がネオを受け入れました。
ある時、友人が某教会で新求道共同体の集いがあるからいらっしゃいと言われて、その時はネオの何たるかを知らずに行きました。
何度かネオの集いに足を運びましたが、どうしてもギターの伴奏による歌に馴染めなくてとうとう行くのをやめました。
しかし、ネオに対する嫌悪感を強く抱いたのは、聖フランシスコ・ザビエル来日450周年に行われた青年の集いのグレゴリオ神父(はっきり名前を出します)のやたらがなりたてるような講話でした。
あの一見力に満ちた講話の背後にとても強力な悪魔的なものを感じました。まさにやかましいどら、騒がしいシンバルそのものでした。その後のミサは「騒がしい」の一言につきました。
手拍子や打楽器とギターの伴奏で歌をうたい、例の普通のホスチアとは違うパンとやたら大きなカリスが何度も会衆席に回り、そこにはまったく神聖さのかけらも感じとることができませんでした。
はっきり申し上げます私はネオが大嫌いです!ただ、私の教区もネオがおり、その多くが私の友人なので、あまり表立ってネオの批判が出来ないのですが・・・
一寸法師の父 - 02/02/13 12:21:43
「沖に漕ぎ出せ」(ルカ5・4)は、教皇ヨハネ・パウロ2世が大聖年終了の日(昨年1月6日)に「新千年期の初めに」と題する書簡を送られた中にある言葉です。
それにしてもタイミング的にどうでしようかねー。もう私たちは(2年目の沖へ)漕ぎ出しています。早く”泥舟”から新しくて素晴らしい舟に乗り替えなくちゃあなりません。
しょうゆ豆 - 02/02/13 09:07:34
入院した母の介護の手伝いから帰り、久しぶりに開いた「あしたに向かって」を読んで驚きました。高松教区立国際宣教神学院のお粗末さが、またまた露呈されてしまったのですね。
新求道共同体は多くの司祭を輩出することを誇らしくPRしますが、やたら司祭を叙階して、このような結果を出すなんて、秘蹟にたいする侮辱になるのではないでしょうか?。
四国は海に囲まれていますから舟は大切ですが泥舟なんて…
以前、わたくしも軒先を貸して母屋を取られるというような書きこみをしましたが、これでは高松司教は新求道共同体の傀儡司教と、陰口をされてもしかたないことですね。
K子(新居浜) - 02/02/13 08:21:13
ひどいとは思われませんか。教会でこんなことがあっても、私達は何も言えるところがありません。だからこの場をつくってもらった小豆島の日向様に感謝しています。
新居浜でのこと、W神父は故国に帰ってそれでよいでしょうが、深い傷を受けた家族はどうなるのでしょうか。黙って見過ごせと言れるのでしょうか。
信徒は誰も言いませんから、私が代わって申します。責任のある方は家庭を元に戻してあげて下さい。このままでは教会に来れなくなります。家庭を壊した人が許せません。
このままだと私も教会へ行きたくありません。とても辛くて悲しいことです。
ぷ - 02/02/12 22:10:15
W神父のために、一体いかほどの教区民の浄財が使われたのでしょうか?みんな湯水と消えました。沖に漕ぎ出したは高松教区丸はこのままでは転覆するかも?
傍聴人 - 02/02/12 19:19:44
新居浜教会の助任司祭だったW神父(40歳)は、ついにブラジル・ウルアラマの故郷に向けて高松教区を離れました。彼の元の仕事は農業だったと思います。
桜町の愛子 - 02/02/12 14:22:02
広島教区のテ−マから引用したのね。私も最初、表紙を見ないで読んだら「聖書週間」の呼びかけかと思ったりしました。セブン・ステップのことも書かれたりしてますから。
高松教区の舟が「泥舟」なんて、ひどい話だけど、本当にそうですよね。いい得て妙だと思います。
広島司教区信徒 - 02/02/12 13:29:41
「沖に漕ぎ出せ」って、広島教区で10月に行われる信徒大会のためのお祈り の中に出てくる言葉ですよ。
一寸法師 - 02/02/12 09:36:18
新居浜の小さなな教会と言われる家庭の「家族は6人」です。
ところで深堀司教名の四旬節教書「沖に漕ぎ出せ」を読まれましたか?あの原文は、どうやら深堀司教によるものではなさそうです。
誰かが書いたものに司教が手を入れた、という感じ。聖書の引用や文言にも「アレッ」と頭をかしげたくなる部分があります。
それに今の高松教区の"舟”は、多くの不正や難問を抱えて沈みそうな"泥舟"では・・・という声も聞かれます。然もありなん!
一寸法師 - 02/02/11 20:21:12
「司祭も人の子」という母性的な優しさも分からぬではありませんが、最も罪深いことは、W神父によって小さな教会と言われる家庭(4人家族)が破壊されたことです。
その家庭の夫の、幼い子供の立場になって考えてみてください。さらに問題は、そうなった時のとるべき態度というか、責任のとり方にあります。
行方不明になったということ・・・相手の家庭の状態から考えてみて、W神父は思考力の無い未熟人間だったと言うことです。
どうしてこんな人が叙階されたのか不思議でなりません。
その意味でF司教の責任も問われることになるのです。
高松の新求道共同体所属の司祭の共通点は、司祭に叙階された途端に態度が大きくなり、驕り高ぶる人間に急変することです。
小豆島で問題を起こしたM神父、高松・番町で騒ぎを起こしたT神父(現在は三本松)、桜町の独善的なT神父、事務所でことお起こしのS神父・・・”十杷ひとからげ”というのか、全てお粗末の限りです。
召命の過程と新求道共同体による神学院の養成のあり方に欠陥がある、というのが専門家の一致した意見です。
一輪の野草 - 02/02/11 15:34:00
司祭は人の子、特別な存在ではありません。社会人としてみた場合、信徒の方がはるかにキリストを生きているかも知れない。
司祭は秘跡を受け、信徒に出来ない役務を所有しているにすぎない。秘跡は消すことが出来ないが、秘跡を剥奪するならば、普通の信徒以下かも知れません。
警察が法に守られているのににているかも知れない。
あけび - 02/02/11 15:05:04
『新求道共同体のW神父がネオ女性と逃げ出した』とありますが、私は前々から、いつかは新求道共同体出身の司祭から、このような問題がおきるのではないかと危惧していました。
また、『国際宣教神学院出身の司祭の数人が日本を離れている』など異常というしかありません。やはり新求道共同体方式の教育を行っている神学院に問題があると思います。
高松のF司教は司祭不足で何とか神父を育成しようと考えて神学院をつくったようですが、将来のカトリック教会の事を考えてつくったとは思えません。
目先のことしか考えていないように思われます。現に国際宣教神学院の大部分の神学生は一度は一般の社会人として生活してきた人たちです。
一般社会人として、泥沼にもまれてきた人を司祭教育するわけですから、それ相応の教育をしないと立派な司祭は誕生させる事はできません。
新求道共同体出身のT神父も40過ぎまで一般社会人で、それから司祭に叙階されています。高松のF司教は今だに高松教区の問題も解決できていません。
そのような司教が新求道共同体の運営や問題点を良い方向にもっていけるとは到底思えません。今回のW神父の事に関してもむやむやにしてしまうことでしょう。
高松教区民や神学院の運営に協力している方、里親制度に協力している人々等はいちだんと心が痛んでいることでしょう。
一寸法師 - 02/02/11 09:22:03
傍聴人さん、どうして「そっと」して置かねばならないのでしょうか。私はその後にコメントされた二人の方に賛成します。信徒の生の声をもっと大事にして下さい。
もともとこの問題は新求道共同体に所属する司祭と、その司祭を養成する神学院の教育のありかたに起因している事は、隠せない事実です。
深堀司教自から「神学院は司教の指導と責任のもとにある」と述べています。
養成課程に様々な欠点が指摘されている神学院の出身で、しかも司教が派遣した教区司牧教会で起きたことなのです。
宣教活動の足を引っぱるような、こんな破廉恥な事件を二度と繰り返さない為にも「そっと」して置けない問題です。
この際、不正を重ねてつくった新求道共同体による神学院の急進的な司祭の養成とその管理責任(司牧教会を含めて)は、徹低的に追求されるべきことだと思います。