2002.3/21-30
あしたに向かって - 02/03/31 21:32:49
主のご復活をお祝い申し上げます。
傍聴人 - 02/03/31 12:58:50
復活の主日を迎え、2000年4月4日に帰天された山下悟神父様のご冥福をお祈りすると共に、主のうちにある永遠の命を称え、復活への信仰を新たにしました。
ところで帰天されて、「山下神父様個人のご遺志により、ご遺族から高松教区または神学院へ4000万円が寄付された」(現在審理中の公判でF司教側の弁護士が表明)と伝えられていますが、同教区のここ数年の決算書類を見る限りにおいて、どの会計にも寄付金収入として同額計上した形跡は見当たりません。
いま税理士に依頼して調査中ですが、重大な過ちか、または偽証による可能性が強まってきています。このように神学院に係わる高松教区の疑惑は次々に浮かび上ってくるものと思われます。
一寸法師 - 02/03/28 20:56:29
今夜、「主の晩餐」のミサで、小豆島教会のために長い時間をかけてお祈りしました。主よ、どうかわたしたちの祈りを聞きいれてください。
希望の虹 - 02/03/28 09:18:52
3月26日付の中外日報に、「いつ実現する?『開かれた』教会」と題する社説が掲載されています。「秋田のマリア」問題と高松の神学院問題を題材にしたものです。
前者のことはさておき、後者については、3月5日の記事と比べ、勘所をかなりきちんと押さえたものとなっています。
また、例えば、「現地を訪れてみると、二人の原告を除く信徒は、一様に口が重く、意見を述べる人はごく少ない。
だから深堀司教も、『一部の扇動者』以外はすべて自分の味方だと信じている?」(若干要約)というように、踏み込んだ記述も見られます。
中外日報自体が世論に与える影響はさほど大きくないでしょうが、全国紙や地方紙が高松の事情を取材するにあたっては目を通すでしょうから、この社説の意義は小さくはありません。イエス様の死と復活に思いを寄せながら、私たちが、「重い口」を少しでも開くことができるよう祈ります。
傍聴人 - 02/03/28 09:17:55
3月26日付、宗教新聞「中外日報」の社説で高松教区の問題が取り上げられています。
「いつ実現する?『開かれた』教会」のタイトル。いやー、読むほどに「なるほど」とうなずく内容です。
筆者は現地を歩き、不偏不党の立場で声なき声に耳を傾けておられる様子が、垣間見られます。その姿勢が尊いと思います。
司教団にもチクリと一針刺したあと、真実「開かれた教会」を目指して宗教団体のあるべき姿を問いかけています。
あしたに向かって - 02/03/26 06:55:56
今、私は感じています。まことに「知る」ということは、どういうことなのでしょうか?
あしたに向かって - 02/03/25 00:11:13
きょう、小豆島教会の信徒の葬儀がありました。用事で留守していましたが、お通夜にも、葬儀にも参列できました。
I司祭が司式され、故人と親しくされていたもう一人の司祭が告別の挨拶をされました。I司祭は、やせて小さくなられていました。
そして、お二人の司祭とも、死後の審判の話をされました。私はなぜかぎりぎりについて、小豆島教会の信徒の席ではなく、空いていた席に座っていました。
今までのように手伝わなければ、という気持ちには、なりませんでした。もう、私が入っていく場所はないように思いました。もう何も思いませんでした。
ただ、亡くなられた方の小さな後ろ姿が、目の前にふと浮かびました。遠くに歩いて行かれて、招き入れられたように見えました。
あの方とは、7年間、聖書100週間をご一緒させていただきました。なつかしく思い出されました。
帰って、夜、「知ってるつもり」という番組で、キリストのご受難を見ました。
そして、最後に「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」というみ言葉にはっとしました。
イエズスさまの思いを感じました。しかし、今、改めて思います。もしも、自分が何をしているか知っているとしたら、どうなのでしょうか。
@ぷー - 02/03/22 23:03:25
ネオは初代教会の再現をその理想として彼らのHP(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/lazaro/Principal_Web/index.html)などで主張している。
彼らは相互愛に満ちた共同体作りを目標にしていると主張している。
しかしながら、その主張が大嘘であることは宣教家族やネオの神学生の生活態度、そして日本の地元カトリック信徒に対する態度を見ていても明白です。
彼らネオが本当の狙いは、政治、経済、法制度などと、教権が未分離であり、教権がすべての社会制度を支配した中世ヨーロッパ的な閉鎖的信仰共同体を現代に蘇らせ、それを拡大していくことであります。
そのように考えるならば、、ネオのカテキストが極端に人間の自由意思による努力に否定的な見解を持つ理由がわかります。
風ぐるま - 02/03/21 20:19:09
悪の限りをつくしているムネオ疑惑ですが、そのムを取ったら”ネオ疑惑”。それにしてもよく似かよったところが多いと思いませんか。独裁的で、小さく弱い者を威圧する。
嘘をついたり、だましたり、周りを取り込んでごまかしたり、お金を不正に使ったり、隠蔽したりと、とにかく正体を隠して悪事を重ねていますよね。
私達もネオ的教区から早く脱却しなければなりません。
傍聴人 - 02/03/21 13:44:15
高松教区民の嘆きと言うか、憂いと言うか、痛恨に堪えないのは、教区を司る人たちの自浄能力が欠如しているということです。
肝心要の組織がなくても平気でいたり、あっても機能していないために偽証や欺瞞を許してしまいました。一粒会の積立金のことも然りですが、不正が発覚しても見て見ぬふりをする。
疑問が指摘されても答えない.臭いものには蓋をする。これでは不信感はつのるばかりです。機能していない”悪玉”の一つが「司教総代理」です。
I神父はずーっとその責務にあるのですが、神学院やネオ共同体のことでは初めから”蚊帳の外”に置かれ、疎外されっ放しでした。無視されても何の文句も言はない。
何も知らないから頓珍漢なことを言う。肩書きだけもらって喜んでいる悲しい存在なのです。
財務委員や信徒協の主な役員も右に習えとばかりに疎外され、口封じされて、自浄努力のかけらも見当たりません。
あとは総てネオ司祭たちの思うツボ。嘘や誤魔化しが罷り通って、幻滅の悲哀はいや増すばかりです。