2003.7/21-7/31

あしたに向かって - 03/07/31 20:05:39
ドキュメント「司教の裁判」   高松「教区立」神学院と教区運営をめぐる名誉毀損訴 が、8月中に出版されます。
本冊子は、訴状、答弁書、判決文の各全文をはじめ、訴訟に関する主要な文書を収録し、訴訟の全経過を記録したもので、B5版200ページを越える分量になる予定です。
教会内部向けの限定頒布ですので、本冊子をご希望の方は、8月15日までに「あしたに向かって」までメールで、お名前、送付先、所属教会をおしらせください。
出来上がりしだい、編集者より送付してもらいます。
メールboxが、ホームページの第1面 Contents すぐ下 NEWS のところに設置してありますので、詳しくはそこをご覧ください。


- 03/07/28 23:17:01
司教様は裁判所の判決を受け入れるとのことですが、そもそも判決をどう理解されているのでしょうか?
まさかT神父の口輪に載せられて、ご自分が勝訴したと理解されているのであれば、悲劇以外何ものでもありません


傍聴人 - 03/07/28 21:08:22
深堀敏司教は、教区民を前に『私は裁判所の判決を受け入れます』『私は最終的には神の裁きにすべてを委ねます』と宣言したのだから、裁判所の判決に、神の裁きに従わねばなりません。
神は深堀司教の“良心≠ナす。『御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある』(ロマ10・8−10)


司教様は 屁とも思ってないと思いますよ - 03/07/27 21:32:23
もし本当にそう思っているとしたら、極めて現状認識能力に欠けるとしかいいようがありません。
司教様はずっとこの件に関し、沈黙しております。このことは果たして何を意味するのか?


司教様は - 03/07/27 20:52:03
屁とも思ってないと思いますよ。ネオがだめならばその運動は自動的に滅びますからそんなにあせっても意味がないですよ。ここは待ちが一番。


傍聴人 - 03/07/27 20:39:45
個人的にだれかれというのではなく、今回の裁判の判決は宗教法人や教会法も絡めて日本の裁判記録に判例として永遠にどどめられ、この判例はことあるごとに反省を求め、また教訓となることでしょう。
それだけでも大きな意義があります。日本の各司教区、修道会に緊張感を植え付けたことにもまた大きな意味があると思います。
高松教区も好むと好まざるとに係わらず、判決で認証されたことや信徒たちの主張を受け入れて、正しい方向に自助努力を重ねていくことになるでしょう。
なんと言っても、最大の目標は『福音宣教』なのですから・・・。


栗林さん - 03/07/27 12:25:35
の見解に対して、ここの支持者たちに決定的にかけているのはこれから何をすべきかでしょう。それがなければ単なる自己満足に終わると思います。


- 03/07/26 23:20:23
ThomasAndersonさん、ここでいくら具体的な解決策を討論しようが、すべては司教次第なのはあなたの思っているとおりです。
然しながら、今教区で起っている事は紛れもない事実です。教区内でネオ体制が破綻しているのも事実です。ネオじゃ駄目です。
どうぞ頑なに現実を否定なされずに、勇気を出して事実は事実として認めてください。あなたも高松教区を芯から支える(今後も支えて行かねばならない)お一人なのですから。
馴れ合いやしがらみから脱するには相当の勇気が必要でしょうが、何とかして第一歩を踏み出してもらえれば、誠心誠意の協力を惜しむつもりはありませんよ。


- 03/07/26 23:10:39
私の知る限り、周りに勝敗に拘っている人は見かけません。善い悪いはおいといて実に静かですね。
伝え聞くところによりますが、もっとも勝敗に拘っている方は、S本松教会のT神父さんではないですか?
なにしろ、中外日報やカトリック新聞など各マスコミに報道されている裁判の関する記事と全く反対のことすなわち被告の9割方勝訴だ!なんて吠えているそうですね。
裁判費用の割合を見て単純にそんなこと言っているのでしょうが、民事裁判に対する知識のなさをさらけだしています。
肝心なことは、「司教書簡による名誉毀損があったこと」、「原告が指摘した神学院設立に関する不備な点は、一応の道理を持ったものであり高松教区としても、検討を要するものであったこと」が裁判所により認定されたことです。
勝った負けたなんてことではありません。


ThomasAnderson - 03/07/26 22:34:57
- 03/07/26 22:07:47 <<何かお話ししなければならないと思いますので書きます。
私は2年前にこの裁判が始まったこと、そして名誉毀損が認められる判決が出たことにはショックを受けています。
司教が信者に対する名誉毀損で賠償金を払うなんてこと40年の信者としての生活の中で、全く考えられないことでした。
この事実は認めたくない、何かそれを否定する話をしていたい。何か訴えた側にも間違いがあるんじゃないかと思いたい。
そんならこんなとこにきてよけいなことを言わなければいいのですが、ただこの件に関しての情報源はこの掲示板ぐらいしかありません。
もうみたくないと思いながらもう書くのはやめようと思いながらどうしてもみてしまいます。
「前を向いて行かんな」というのは、ここで具体的にどんな方法で諸問題を解決したらいいのかという話が出てこず、先日の栗林さんの件とあわせ、いったいこの支援団体は何をしているのだと感じたからです。


- 03/07/26 22:07:47
ThomasAndersonさん、あなたが指摘された書き込みの何処が勝敗に拘っているというでしょうか?理解に苦しみます。
勝敗に拘るも何も、7月13日は、6月25日に松山地方裁判所で行われた判決日から数え、たったの19日しか経っていない。今日に至っても、まだ一月しか経過していない。
なのに、既に大昔の「過去の裁判」だ等と、勝敗、時期はおろか、裁判に至る経緯、裁判の価値にあれこれ難くせをつけ、それらを否定する事情をよく知らない他方側の意見に同調しておきながら、その一方で損害賠償における原告負担額等には、やけに過敏に反応されておられるようですね。
何だかんだ言いながら、裁判の勝敗がもたらす影響に動揺し、なによりそれを怖れているのは、やはり他ならぬあなた(ThomasAnderson )さんではないでしょうか。
「前向いて行かんな」ということですが、誰と何処に行かれるご予定でしょうか?そういういい加減な態度では誰からも信用されないでしょうね。
以上、判決前後から現在に至るあなたの書き込みから受けた感想です。


ThomasAnderson - 03/07/26 21:47:33
プルは家人です。つまらないことにこだわってるなと思ったので書いたまでですが、あなたがどう感じるかはあなた様のご自由です。


栗林さんがかわいそう - 03/07/26 15:50:25
なんでこんなことになったのですか?


- 03/07/26 15:40:52
これじゃ子供のけんかじゃないの こんなことじゃ前向いて行かんな <ThomasAnderson &プルさん、これは自問自答されているのですか?


- 03/07/26 15:09:45
「03/06/23 08:58:46 ボクサーが人を殴っても罪にならない(人権を侵害したとは言えない?)」 社会通念上、正当業務行為の保護の適用を受けるリング上での話なのか?
行われる場所が場外か場内なのか?一般人に対して暴行を加えることなのか?
拳闘従事者の引き起こす罪を語る上で最も大切な説明がまったくなされていないので、意味不明としか申しようがございません。
また、この掲示板で、傷害罪と人権侵害の対比を持ち出す理由も理解不能。
一流二流を問わず、プロと名のつくボクサーや格闘技全般に精通される有段者の放つ拳は明らかに「凶器」です。
従いまして、傷害事件の裁判の際、日常生活の中で一般人を殴ってケガをさせれば、「傷害罪」、対象者を死亡させれば「傷害致死罪」及び「殺人罪」が成立し、プロとしての自覚が欠如しているということで、一般人よりもさらに刑が重くなるのは免れないのでは?
拳闘は社会的に確立され、また広く大衆に認知されたスポーツであるので、場内リング上において拳闘有段者双方になにか不幸なことが起ったとしても、それは正当業務行為であり違法ではありません。
拳闘有段者同士の試合における事象と、それらと置かれている立場が明らかに違う者同士の、聖職のプロが一般平信徒の名誉を侵害した「今回の裁判」を、同列に扱うことは無理があると思います。


ThomasAnderson - 03/07/26 14:47:36
いつ、だれが、どこで騒いでいるのか、具体的に列挙してください。 >>
これじゃ子供のけんかじゃないの こんなことじゃ前向いて行かんな 小豆島問題は司教さんとか主任神父さんがひとまず謝罪なのかな。
でもあやまらんやろうな。どうすればいいのかな。


- 03/07/26 14:23:38
「S教会の親ネオさん」ではありませんが - 03/07/13 22:23:56 - 03/07/13 19:12:12 - 03/07/24 23:08:10 あたりはやはり勝ち負けにこだわっているかと思われ。
Tさんほどではないかな。Tさん以外の親ネオさんはあんまりこだわってないんじゃないの?


- 03/07/26 13:51:00
>>03/07/25 12:44:31 もう勝った負けたと騒いでいる時期ではないでしょう。<< S教会の親ネオさん。
裁判の勝敗に対し過敏に反応しているのは、他ならぬあなたではないのですか?
高松教区の信徒並びに、当掲示板に出入りしている高松教区の信徒の中で、「勝った負けたと騒いでいる」方がどこにおりますでしょうか?
いつ、だれが、どこで騒いでいるのか、具体的に列挙してください。


- 03/07/26 11:16:07
7月17日付中外日報の「記者の眼」において、山野上純夫氏は今回の判決を受けて、まず、「司教が信徒へ謝罪すべきである。」と述べています。
今回の裁判の原告らが指摘した神学院設立に関する不備な点を司教は「よくぞ言ってくれた」と感謝するどころか、あろうことか「教区に分裂をもたらす扇動者」として非難して名誉まで毀損したと指摘しています。


修道者K - 03/07/26 11:15:53
桜町教会のことも心配ですが、まず小豆島教会のことを解決することが優先するのではないでしょうか。


- 03/07/26 09:42:28
通行人C - 03/07/25 20:41:37 は一見、良いことを言ってるが、『普通の人』と言う表現を使っているあたりがむかつく。と、言うことはあなたはネヲ系信者?
ノーマル信者は『普通の人』ということはネヲ系信者は『特別な人』かよ!!特別だがら、主日のミサは出ない。教会の行事は無視。教会施設を利用してるのに、教会の清掃はしない。
(全部が全部でないが・・・。)ノーマル信者のことを『普通』、ネヲを『特別』と思ってる時点で『差別』している。そのような人間たちが『自分より貧しい所へ行って宣教』できるのだろうか?
?たぶん、見下してるのが見え見えでできんだろう。そもそも『貧しい所へ行って宣教』してるん??日本は金銭的に裕福だからいらんだろう。ネヲは精神的苦痛を周りに与えた。
そんな集団が誰かを精神的にも救えない!! 不協和音は教会から消えてほしいです。


修道者 - 03/07/26 07:07:08
高松教区では、今回の深堀司教に対する名誉毀損の判決結果やネオの独善的・急進的な活動がますますはびこるる影響で、信徒の教会離れがひどくなっています。
まず、司教座の桜町教会から、当面この問題にどう取り組んでいくのか、それが大きな仕事だと思います。


通行人C - 03/07/25 20:41:37 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
昔、昔、フランスに留学していたとき、アルザスの教会では、カトリックとプロテスタントが時間を違えて同じ教会堂を使用していました。
ネオも同じカトリックですから、このような方式はもっと容易に導入できるのではないでしょうか。普通の人は、従来のミサの時間に、ネオの好きな人は別の時間に参加するとか。
聖体拝領も自分たちで拝領すればよいと思います。聖体奉仕者という「制度」を活用して。


- 03/07/25 16:16:46
通行人さんのおっしゃるとおりですね。ただ具体的な問題としてたとえば神学院はもう建設され、今も新しい神学生がやってきています。これを取り壊してもらうよう働きかけるのか。
それとも教区立の看板をはずしてもらうのか。とか小豆島で聖体拝領ができない件についても(まだできないんですよね)お互いに謝罪する場を設けるとか。


通行人C - 03/07/25 13:56:52 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
このBBSは、「明日に向かって」ですから、もう過ぎた「裁判」にこだわっていないで、どうすれば、信者の基本的人権(自由)が教会の中でも実質的に護れるのか、そのための有効な手立てを考えるときではないでしょうか。


- 03/07/25 12:44:31
名誉毀損は認められました。これを問題解決のためのきっかけにするためには何をすればいいのか?いやいや、解決しなければならない問題とは何なのか?
一度見直してみないといけないと思うのですが、もう勝った負けたと騒いでいる時期ではないでしょう。
神学院の建設(に関わる手続きの不正)問題、一粒会のお金の流用問題、小豆島の問題等々。これらもやはり法曹の手を借りる必要があるのか?


信徒からのFAX - 03/07/25 08:22:54
このHPは、いろんな方のご意見が窺えて、とても参考になります。
特に新求道共同体で活動されている司祭・信徒の書き込みは、その活動で養成されている資質とか、レベル、さらにそれが本物であるかどうか、日本に適応したものであるかどうか、などを知るために、とてもよい検証資料になると思います。


- 03/07/24 23:21:43
応今回の裁判費用の負担比率を復習しておきますよ。原告の請求額が300万、裁判所が認めた賠償額が40万。
40/300=0.1333333・・・・≒約10%だから、10%=1割を被告負担、のこり9割を原告負担となるのです。


- 03/07/24 23:08:10
◆H15. 4.24 東京地方裁判所 平成14年(ワ)第18096号 が今回の高松教区における名誉毀損の裁判費用と同じ負担率になっておりますが、名誉毀損成立とされています。


ご参考までに - 03/07/24 22:59:45
ホームページアドレス:http://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/WebView/$SearchForm?SearchView
上記のURLは日本における下級審判決データベースです。試しに名誉毀損で検索をかけてみてください。
高松教区における裁判は民事なので、種類は(ワ)となります。だいたいの名誉毀損裁判(民事)で、裁判費用は請求額と認容額の割合で計算していることが分かります。
なお、今回の高松教区の裁判はまだデータベース化されてはないようですベース化は


マタイによる福音書23、13〜36 - 03/07/24 21:52:34
>外国人の信者、ご意見:反ネオ人はー反カトリック教会と言う人です。
< 酷い罵詈讒謗ですね。権威に心酔するあまり、大切なものを見失ってやいませんか?。→ 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ!
人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。 
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ!改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。
ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ!あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。
愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いのか。また、『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。
その上の供え物にかけて誓えば、それを果たさねばならない』という。ものの見えない者たち、供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。
祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。
天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。 
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ!
薄荷、いのんど、茴香の十分の一は捧げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。
もとより、十分の一の捧げものもないがしろにしてはならないが。ものの見えない案内人!あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。 
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ!杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。
ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ!そうすれば、外側もきれいになる。 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ!
白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。 
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ!預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。
そして、『もし先祖の時代に生きていたとしても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。
こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。
蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。
だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。
こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。 
はっきり言っておく!これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる! ネオではなく、直にイエスに倣う者より。


@ - 03/07/24 21:44:28
別に判決文を見ることを禁止なんかしてません。判決文を閲覧したい方は裁判所で然るべき手続きをとってくださいということです。
なお、裁判費用が原告9割云々のことですが、判決文では民訴法64条、65条の各条文を適用すると述べているだけです。
下で明日に向かってさんが述べられているとおりあまり深い意味はありません。念のため


栗林 孝充 - 03/07/24 20:58:30
この掲示板にお集まりの皆様、そして管理人様。まず初めに、原告の一人である栗林は、今現時点に於いて、皆様が今回の裁判が「勝訴であったか、敗訴であったか」を問題にされること自体に、大きな実りは見出せないのではないか、と危惧しているということをご確認ください。
確かに、私と森岡さんが従来主張してきたことが合理性のある主張であったと認めていただいたことに関しては、これは大変大きな意義があると思います。
だからこそ、裁判の審理中明らかにされてきた様々な事実に関して、皆様のお力をお借りして、これを正して参ることにこそ、大きな意味があるのは無いでしょうか。
ホームページは今現在、誰でも開設できます。表現の自由は、これは憲法で保障されています。
しかし、自由に表現できることは、同時にその表現に責任を有するということと同義です。このホームページの存在意義は、確かに大きなものでした。
我々も、随分勇気付けられました。
しかし、今、私が問いかけたいのは、これからこのサイトにお集まりの皆様、或いは、支援する会の皆様が、今回の裁判を通して真に希求するものを考え、そして実践なさっていくことではないでしょうか。
恐らく、そのお言葉通りに受け止めれば深堀司教は、心底「司祭の不足」を心配なさったのでしょう。
しかし、司祭が増えたからといって、全ての解決にはならない、まして、司祭志願者を多数輩出するからといって、新求道共同体が素晴らしい、という意見が正しいとは、決して言えないのです。
かえって、その意見を無理に通そうとして、大勢の人を傷つけてしまうことは、厳に戒めねばなりません。 管理人様、もう一度よくお考え下さい。
本日書き込まれた投書に、「勝訴、勝訴と浮かれている姿に、疑問を持っています」という主旨の書き込みがあります。あるいは、このご意見は正しいのかもしれません。
今回の裁判は、誰が勝ったわけでも、負けたわけでもありません。
もし、本当に今回の裁判に意義が見出せるのならば、今後、皆様が、この過渡的状況から、新しい規範を見出し、もっと素晴らしい教会…世界に誇れる信徒の集う教会を作り上げることが出来たときです。
重ねて、メールを戴いたことには、心から御礼申し上げます。しかし、管理人様のメールから拝察できる、少々投げやりな、そして、うるさそうな文面に、大変残念に思います。
…本当は、『判決文の説明会』にお呼びいただければ、その時に、皆様に『私が何をお伝えしたかったのか』をお話できたと思うのですが…。残念でなりません。


- 03/07/24 19:55:47
外国人の信者、ご意見:反ネオ人はー反カトリック教会と言う人です。これを読んでください. 
尊敬する兄弟パウロ・ヨゼフ・コルデス司教様教皇庁信徒協議会副会長新求道期間の共同体の使徒職に任命された方     
教会が福音をより一層忠実に生きるために、聖霊の力強い息吹が与えられる度に、いつもそれを表す新しいカリスマか芽生え、そして、それを実行する新しい共同体が生まれ出るものです。これはトレント公会議後もまたバチカン公会議もそうでありました。                                                         
聖霊が我々の世代に於いて生んだ事実の中の一つである新求道期間の共同体はスペイン・マドリードのキコ・アルグエリョ氏およびカルメン・エルナンデス女史によって創始されたもので、これがキリスト教的生活の刷新に与えた実効性を見て、私の前任者であったパウ口六世は公会議の申し子であると受け入れ、声を上げて言われました。
・・・・「あなた方の存在、あなた方の活動は何という喜び、何という希望を私に与えることでしょう
・・・・この目覚めに生き、この目覚めを促進することは、あなた方が“洗礼後の道”と呼んでいるものです。
その“道”は即ち初代教会に於いて洗礼の準備期間中になされた信仰の深まりの効果を現代のキリスト教共同体においても刷新しうるものです。
(1974年5月8日、パウ口六世の新求道期間の共同体に対する謁見“ノティティエ”96-96,1974,230)            
私もまたローマ司教として、ローマの小教区で行われた数々の集い、或いは多数の国々を教皇として訪問した折に新求道期間の共同体及びその牧者達に出合いましたが、そこで個人的回心の豊かな実りと福音宣教への情熱を確認しました。                                                        
この共同体は小教区の中で宣教的教会のしるしをはっきりと見せております。
彼等はキリスト教的生活を殆ど離れ去った人達に対する福音化の道を切り開こうと努力しており、初代教会において求道者が洗礼の秘跡を受けるまでに済ませたすべての段階を体験出来る求道期間的な道をこの人達に与えています。
そしてこの道が彼等を教会にそしてキリストヘと連れ戻しております。
(cfr 洗礼後の求道期間 ノティティエ 96-96,1974,229)福音の宣言、小さな共同体での分かち合い、及びグループごとに祝われる感謝の祭儀(cfr 新求道期間の道を歩むグループが祝う祭儀についての公示。オッセルバトーレ、ロマノ紙 1988,12,24)これがこのメンバー達に教会刷新への奉仕を可能ならしめているものです。     
司教職にあって私の兄弟である多くの方々がこの“道”の成果を認めて下さいました。
1964年に生まれた新求道期間の共同体をご自分の司教区、またその下に慈しみの目を注いで迎え下さった当時のマドリード司教カシミロ・モルシリョ様を私は思い起こすにとどめておきます。     
20数年が過ぎる間にこの共同体の生命は五大陸全域に広がりました。      
小教区を振るい立たせる新しい活力、旅人達の献身によってもたらされた回心の実りと宣教ヘの熱意、又ヨーロッパ及び全世界に亘りキリスト教が見失われている地域で先年より身を挺している家族達の働きを考慮に入れ、この“道”から輩出した修道生活及び司祭職への召し出しへの数々、新しい福音宣教を目指す司祭の養成機関、即ちローマ“レデンプトーリス・マーテル”の如き司教区神学校の設立に思いを致しつつ、ご提出下さった書類をつぶさに吟味した上で:                                    
貴殿の申出に喜んでお応えします。我々の社会また、我々の時代において新求道期間の道がカトリックの養成の道として価値あるものであると私は認めます。               
そこで、これは私の切なる望みですが、司教職における兄弟達、どうぞ司祭方と共に新しい福音化のためのこの業を評価し、支持し、創始者達の提案通りに実行されますように、それぞれの地域の司教方に対する奉仕の精神と心の一致の中で、地方教会と全教会の一致のためにお計らい下さい。                                    
私の願望のしるしとして貴殿及び新求道期間の共同体に属するすべての人達に私の使徒的祝福を与えます。      
教皇登位12年の1990年8月30日    ヴァチカンより   ヨハネ・パウロ二


あしたに向かって - 03/07/24 19:41:24
ある方から依頼を受けて書き込みます。
「某国立大の法学部を出た方」のコメント(03/07/24 12:43:52)について
1998年11月16日、東京高裁に係属していた名誉毀損訴訟の判決が言い渡されました。
控訴人であるXは、被控訴人であるYに対して5000万円の損害賠償を請求していましたが、判決は100万円でした。
訴訟費用は、Xが98パーセントの負担、Yが2パーセントの負担でした。
この判決につき、翌日の4大新聞の報道の見出しには、いずれにも「X勝訴」あるいは「Y敗訴」ということばが見られます。
やはり社会的に見れば、訴訟費用負担の割合(「認容額÷請求額」を反映するもの)よりも、Yによる名誉毀損が認定されるか否かが、はるかに重要であったということでしょう。
あと念のため、今回の訴訟につき、「法廷に告訴する」という言葉遣いは不適切です。


- 03/07/24 13:37:33
20日の日曜日桜町教会では先の司教書簡で誤りのあった「判決文の内容」「原告の氏名」を訂正し謝罪する「司教署名入り」の文書が配布されました。
もちろん一枚一枚に署名されたものではありませんが、きちんと対応してくれたものと思います。


- 03/07/24 12:43:52
北海道からやっと判決文の前文を手に入れました。
高松教区の全主任司祭と小教区の全信徒会長が持っているといわれても、実際に手に入れるのは簡単なことではありませんでした。
原告さんたち、40万円ずつ手にされておめでとうございます。「勝訴、勝訴」の大合唱、さぞご満足でしょう。
カトリックの信徒が、信者を辞めないまま現役の司教を世俗の法廷に告訴するということが前代未聞なら、司教から裁判で金を勝ち取ったといって勝ち誇る姿も超異常と言うほかはありません。
しかし、判決文を読んで愕然としました。原告が訴訟費用の90%を払うように命令されているではありませんが。某国立大の法学部を出たものとして、目を疑いました。
自分の記憶が間違いであることを祈りながら、六法全書を紐解きました。
嗚呼、やっぱり!民事訴訟法第61条(訴訟費用の負担の原則)には「訴訟費用は、敗訴の当事者の負担とする」いとちゃんと書いてあるではありませんか。原則は原則です。
この裁判が例外であるという説明がない限り、原則に忠実だと考えられますが、そうだとすると、原告は90%敗訴(実質敗訴)の判決を受けたということになりませんか?
籤引きで残念賞をもらった人が、一等賞をとったように触れ歩いているような、ちぐはぐな感じがしてなりません。皆さんはどうお考えですか。
35ページにわたる判決文全体が、私の印象をはっきり裏付けています。
書き込みの中に、裁判所が判決文を読むことを禁止したのように書かれていますが、そんなことはないはずです。判決文の内容が知られたら困る人のキャンペーンだと思いますね。


反ネオ他教区信者 - 03/07/24 12:03:14
お二人の原告ご本人とも説明会に出席されていると思い込んでいました。
また、このHPの管理人の方も森岡さん、栗林さんのいずれとも連絡を取り合ってのことと思っていましたので残念です。
こんな大きな問題なのですから、事後承諾は許されません。今までのこのHPの主張も色あせます。


ThomasAnderson - 03/07/24 02:52:03
何となくいい気持ちになっていた自分が恥ずかしい。


栗林 孝充 - 03/07/24 00:23:31
残念ながら、原告の栗林本人の書き込みです。 先ほど、このHPの管理人様から、メールをいただいました。「単なる講演会ですから、ご了承ください。」というものでした。
「単なる講演会」であったことが、「説明会を開催することを、事前にお知らせいただくことの必要性を阻却する」ことの理由になり難いと思うのですが、如何でしょう。
この点、もう一人の原告であられる森岡さんとも、本日お電話で、「何故、事前に連絡をいただきたかったか」について、お話さし上げました。
その時点で、松山での「講演会」に森岡さんが出席なさっていたことを聞き及んだ次第です。
大義のためには、小さな犠牲はやむをえない、という考えは否定したい、という主張こそ、私が今回、裁判に提訴した理由の一つです。
「森岡さんたち」を支援する会の皆様が、判決文に関して学びたい、それを皆様の教会に生かしたい、というお気持ちは大変よく分かりますし、私も大賛成です。
だからこそ、より一層の配慮をしていただきたいのです。皆様の希望=大義のためには、小さな犠牲は致し方が無い…これ、何処かで聞き覚えのある理論ではありませんか?
司祭を増やすためには、多少の法律違反も容認すべきだ、という理屈に、容易く取って代わりはしませんか?
今、私たちに本当に必要なことは、判決文から『何か』を知ること以上に、裁判の審理中明らかになってきた、様々な事実を「改めていく」ことではないでしょうか。
「説明会」は、支援する会主催のものではない、だから、「手続きを踏まなくても、事後報告で良い」…私たちもまた、『同じこと』を繰り返しますか? 私は、嫌です。
失った家族、失った未来、失った希望を引き摺って生きている私の『元』家族に、申し訳が立ちませんから!


あれっ? - 03/07/23 22:25:12
原告同士でよく話し合いをされては如何でしょうか?(無論、ご自身のコメントだとしたら・・の話ですが)


ThomasAnderson - 03/07/23 20:50:50
栗林さんの書き込みにはびっくりしました。なんなのこの支援団体は???


栗林 孝充 - 03/07/23 20:33:25
先日、松山と高松の2箇所において、「判決文」に関する「説明会」が開催されたと聞いて、驚いております。この「説明会」は、何方のご意向によって開催されたものなのでしょうか。
開催される期日、或いは説明の主旨を、原告の一人には(森岡さんは、ご出席なさっていたとお聞きしています。)何のお話もいただけなかったのは、どのような理由からでしょうか。
確かに、今回の裁判に関する論文中、「私が比較的自由に発言できる論壇を維持するということは、皆様の自由な議論を損なうことにもなる」という表現でもって、これを自粛する旨、お伝えいたしましたが、原告は森岡さんの一人ではありません。
また、森岡さんのお立場と、私の立場では若干の相違もございます。
判決文のみの説明とは言え、その判決文に至った経過に於いても、原告の片方からのみ、意見を求めるのは如何なものでしょう。
或いは、皆様にとって、『原告』とは森岡さんのみを意味することであれば、それで構いませんが、そうでなければ、私の原告としての権利を正当に扱っていただきたいと存じます。


原点に帰ろう - 03/07/22 22:35:07
主の祈り「…わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」神様の愛、「隣人愛」が掟です。


- 03/07/22 21:39:23 ホームページアドレス:http://homepage2.nifty.com/~johntani/
ご自分のHPがあるのだから、そちらで、持論を展開されたらいかが?
ここのアクセス数の多いことを利用して、情報操作をしようとしても、あなたの意見が既に破綻しているのは明らかです。


鵜の目鷹の目 - 03/07/22 18:16:16
03/07/2213:15:28さんこのホームページの管理者さんの注意にもかかわらず、またまた長文を載せられましたね。この文章を読みましたが、あなたの結論は強引です。
意味を曲解し、権威者を利用して文章を権威ずける手法はいつものパターンです。虎の威を借り、自分の都合のよいことを述べるのはそろそろやめにしませんか。
意見は自分の考えや言葉で簡潔に述べてはいかがですか。


- 03/07/22 13:15:28
日本の司教団が把握した「新求道共同体」 「新求道共同体」について日本の教会は公式には未だ何も決定せず、判断もしていないと理解されています。
然しながら、非公式には様々なことが言われ、それがあたかも正式のもののように言い広められているのも紛れのない事実です。
常任司教委員会が各教区司教に宛てた1993年9月13日付けの内部文書も、そのような性格のものとして、一時はかなりの範囲に流布されたものと思われます。
その文書の中で、「新求道共同体」は次の様に紹介されています。
「新求道共同体」の起源 「新求道共同体は、1964年にスペインでキコ・アルゲリヨによって始められた運動である。
キコは、シャルル・ド・フコーの模範に倣い、ジプシーやマドリッドの社会から疎外された人々を対象に、生来の音楽的才能を活かし、片手にギター、片手に聖書を持って福音宣教を開始した。
やがて多くの司祭や修道者たちの賛同を得るところとなり、「共同体」として発展。1968年にローマに、そして世界各地に広がり、現在は1万を超える「共同体」が世界各地に存在すると言われる。
19の教区に固有の神学院設立されている。高松教区に設立されたのもその一つである。」
その後の7年間で、全世界の共同体の数は約2万近くに増え、「レデンプト―リス・マーテル」国際宣教神学院という共通の名で呼ばれ世界各地の司教たちによって盛んに誘致されている神学校の数が19から43へと倍以上に増えたことを別にすれば、常任司教委員会の紹介の言葉はそのまま今日も有効であります。
「新求道共同体」をスペインで始めたキコは、ギターの弾き語りと作曲の分野で豊かな才能を発揮しているのは事実ですが、彼の本来の専門は画家で、20才台の前半からすでに将来を嘱望された新進の画家として、プロの道を歩き始めていました。
彼の初期の代表作として知られている聖母子のイコン画は、マドリッドの新しいカテドラルの脇祭壇の正面に飾られており、今も多数の絵画や聖堂内の壁画を精力的に描き続けています。
「新求道共同体」の目的と特徴 前述の常任司教委員会の文書によれば、「新求道共同体」の目的と特徴はおよそ次の通りです。
「洗礼志願者が受洗するまでの求道期間に初代教会が行なった養成方法を現代に活かして、小教区の信徒の信仰養成を行い、信仰生活を刷新しようとすることを基本目的とする。
週に二回定期的な集会を開き、聖書の勉強と黙想、そして分かち合いを行なう。土曜日の夜は共同体のための感謝の祭儀を行なう。それはメンバーの信仰の養成の場であると同時に共同体としての一体感を深める場となっている。」
ここで言う週二回の集会とは、週の半ば(通常は水曜日の夕方)の「みことばの祭儀」と、土曜日の夕方の「感謝の祭儀」のことで、その他、月に一度の週末の合宿(又は日曜日帰り)の集いを持ち、日曜の朝は教会の祈り、午後は分かち合いを行い共同体としての一体感を深める場としています。
また、典礼の季節の変わり目ごとに共同告解を行い、聖木曜日には洗足式を、聖土曜日には復活の徹夜祭をします。
「新求道共同」は、初代教会がユダヤ人以外の成人男女の洗礼志願者に施していた「求道期間」の養成(カテケージス)を、現代の洗礼志願者や洗礼を受けた信者ではあるが徹底的な信仰養成を受けて来なかった者に対する新たな養成として行なうもので、その意味で一般の「運動体」とは異なる性格のものであります。
それは、全ての人に開かれた養成の道であり、全てのキリスト者が辿ってきたはずの「求道期間」の道、福音的回心の過程をあらためて歩みなおそうとする試みです。
常任司教委員会の文書が示しているとおり、日本の司教団は1993年時点で、「新求道共同体」の内容と本質をすでに極めて正確に把握していたことが知られます。


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