2003.8/11-8/20
@ぷー - 03/08/19 22:41:59
今日、冤罪に関する番組がありました。嘘の告発に対し、真実を明らかにし、名誉を回復するまで3年以上の月日がかかったのだそうです。
それまでに大変な苦労をし、多くのものを失ったそうです。
今回の裁判で、司教書簡の表現が名誉毀損に当たることは認定されたのですが、まだまだ今の教会の空気は、原告やその支援者に対し好意的ではないと感じます。
谷口神父のカトリック新聞の声欄への投稿をみればおわかりのように、全く反省の色はないようです。
今回の裁判の原告やその支援者に対する心情的な反発があるとしたら、「司教を貶めている」「司教に反抗している」「教会に混乱を起こすことを意図している」「司教を訴えるなんてなんてことだ」といった気持ちに基づくものと思います。
そういった誤解を解くためにも、今回の記録集の出版があるのです。
ご理解いただきたいのは原告及びその支援者は、「過ちを正してほしい」「このような信徒の人権が侵害されるようなことは二度と起こさないで欲しい」「教区の運営をもっと誰でも納得のいくオープンなものにしてほしい」といった願いがあるのであり、決して「司教を貶めてよう」とか「自分たちの都合のいいように教会を変えよう」とかの意図に基づいて行動しているのではありません。
例えば、今年になって、昨年の教区の決算を見ましたか?全く教区民に対し説明も何もないではありませんか?こういったことから、直して欲しいのです。
明日に向かってのHPの正確な意図が伝わることを願ってやみません
東京教区の信者 - 03/08/19 10:21:54
主の平和! 語感というものは人によってそれぞれ異なるものです。
明らかな誤用や悪意をもった解釈でないのであれば、「そのように感じる人もいるものか」と受け止め、真意を説き明かすに止めておくことが無難です。
さもなくば、揚げ足取りの応酬となり、部外者や傍観者によい印象を与えないばかりか、逆に信頼や共感すら失いかねません。
それぞれの立場にある方々の強い信仰への思い故とは存じますが、このHPの及ぼす影響力を、今一度考えて頂きたいと思います。
ルルド - 03/08/19 10:09:21
わかりました。
私は、私の知る限りの身近な人々のこのHPへの反応や、感想からコメントを入れたのですが、それを屈折した云々と理解されてしまうのでは、もう何も言わないことにします。
「司教の裁判」という表現が、なんとなく嫌だったからです。本当の相手は、ネオの中心者・組織ではなかったのですか?あっ、失礼。もう、何も言いません。
- 03/08/19 09:18:20
ドキュメントとは、「事実を記録した〜」という意味合いの語句で、日常語として既に「事実を記録した〜」という意味で大勢が認知し、使用されている外来単語なのではないでしょうか。
そこに何故、当事者側がさも「面白がっている」というような屈折した主観的解釈が生じてくるのか理解するに苦しみます。
ルルドのマリア - 03/08/19 04:12:53
T神父のイライラ云々のような書き方は、見ていて快くありませんよ。
ドキュメントという表現も、なんだか面白がっているかのようで、この事、つまり、ネオのことを良く知らないか、中途半端に知っているような人には、反発を感じさせてしまう気がしてなりません。
私一人の老婆心かもしれませんが。
ある修道会の神父は、数年前は「困ったねー」位の言い方でしたが、最近は東京のT教会での土曜日の集まりの司式を頼まれてしていると言われていました。
誰か司祭がいなくては可哀想だし、悪いことではないんだからと。信頼していた神父様でしたので、正直ショックでしたが、司教様が関わっているということが、難しいように思いました。
長い苦しい日々で、今も沢山辛いことでしょうが、このHPはいろいろの人が見ているので、できるだけ、冷静に、事実だけを簡潔にと思います。
正義を果たそうとされている方々のために、心からお祈りしています。
- 03/08/18 23:04:26
この出版にて谷口神父のイライラは頂点に達するものと思われます。
- 03/08/17 21:53:22
裁判記録集の出版、期待しております。この記録集はこれまでの高松教区の明日に向かって活動してきたことの一つの総集成となることでしょう。
高松教区の運営に関しいかなる問題点があるのか、この本により明らかになることでしょう。
この問題点を明らかにすることこそ、今回の裁判の本当の目的があったものと推測いたします。より多くの方がこの本を手に取ることを願ってやみません。
あしたに向かって - 03/08/13 10:01:30
いつも、あしたに向かってをご覧くださり、また貴重なご意見をいただきましてありがとうございます。高松教区では、裁判が終結した今、何事もなかったように毎日が過ぎようとしています。
ただ、希望を見失った信徒たちの教会離れだけが静かに加速していきつつあります。ここでお知らせがございます。
ドキュメント「司教の裁判」の発刊が9月中頃になりますので、お申し込みの受付を8月末日までにさせていただきます。お届けの時期が遅れますので、何とぞご了承ください。
今、真実を一人でも多くの方に知っていただきたいと心から願っております。世はうつろい、人の心は変わっても、主の愛は変わらない。この冊子は、私たちの道のりでもあるのです。
マリア・戸田 - 03/08/13 00:04:07
今週の日曜日のミサ、所属教会に夕方のミサが無いので、7時ミサのある近隣の教会に行きました。
その教会のHPに、祭壇の形式が司祭が替わってから変わったとかでの、司祭と信徒の話し合いが出ていました。所属信徒数なんと3500人。高松は教区で確か5500人。
修道会の教会でしたが、オープンに話せる土台がしっかりとあるようで、初めての形のミサでしたが、違和感もなく、ミサに集中できたのは、HPで、事前に心構えが出来ていて、司祭も信徒も共に歩こうとしている姿勢を知っていたからだと思います。
ただ、私はHPで予備知識がありましたが、久しぶりに与ったとしたら多分落ち着かなかったと思います。以前とは、全く、雰囲気も形式も違っていましたから。
高松教区の皆様の真剣な、そして潔い覚悟の姿勢を、司教様そしてその身近かにいる他の司祭たち、信徒が受け入れる心の余裕・謙虚さがなかったからではと思いました。
深堀司教様も高齢になられ、このことで今までの沢山の実り・祈りが無くなってしまうのでは悲しいです。もうすぐ、被昇天の祝い日。マリア様の取次ぎを心からお祈りしています。