2003.9/21-9/30

通行人C - 03/09/30 20:30:39 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
久しぶりに立ち寄ったら、盛り上がっていますね。
いろいろなご意見が出てますが、私は、やはり根本のところ、どのようにして信者一人一人の人権を教会と言う埒内でも実効的に守っていくか、そのための客観的な装置をどのように構築していくか、と言うところにあると思います。


tetsuya kobayashi - 03/09/30 18:32:09 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
森岡様、掲示板読ませていただきました。「司教の裁判」購読していなかったこと、お詫び申し上げます。
私の,高松教区の問題についての認識は、まず、教区民が、認知され始めていた「新求道共同体」を認めていない、という情報を何かの折に知ったことから始まっておりますので、非常に、司教と新求道共同体への批判勢力に懐疑的な目で見始めました。
もし、先日の意見交換の折に読ませていただいたような、教会委員会の「新求道共同体」メンバーの占有や、賛同しないものに対する対処について、司教様と高松教区管理者に、指導上の誤りがあったなら、それは、聖職者と言えでも、管理者、指導者としての責任として、社会に対して、教会組織に対して、また、傷つけてしまった教区民の家族に対して、公けのお詫びをしていただきたいと思います。
社会通念上、係争における”黙秘”は、不利な立場に立たないための戦法であって、”思いやり”ではありません。
司教様に過失がなく、説明できることなら、キチンと皆が納得できるように説明いただきたいと思います。
また、指摘されている教会組織の問題については、仮に当時の状況の中で、必要不可欠の選択として行われた組織運用上の措置が大半であったとしても、しっかりとした説明と論拠を示さずに聖職者の権威によって「従順」を強いたのであれば、それは、現代の「積極的な従順」の理想から程遠い「隷属の強要」でしかなくなってしまうでしょう。
また、説明を受けたのに、協力を拒否した信徒が多かったとすれば、根本的な理解についての差が埋まらないうちに、制度の急速な改革が進行してしまった、という悲劇といえるかもしれませんね。  さいたま教区信徒 小林 徹也


森岡 源三 - 03/09/30 10:07:24
tetsuya Kobayashi様。今朝、3日目にこのページを開きました。
あなたの9月27午後の書き込みの中で「ドキュメント・司教の裁判」について、まだ読まれてもいないと言われながら、そこいらの週刊雑誌でも批評するような文言なので、これはひどいと思いました。
この冊子はその名の通り、すべて実証・実録に基づいて編集したもので、主の御前に『主よ、どうぞご覧下さい』と厳粛な気持ちで捧げたものです。
こうした過ちを繰り返すことがないように、私たちも反省しながら、深堀司教には
@なぜこうなったのか
A神学院を中心に教区の正常化にどう取り組まれるのか
B御聖体拝領を拒否されている信徒たちがいる小豆島教会の問題をどう解決されるのか
―などをお尋ねしているところです。が、未だに話し合うことすら出来ない状態が続いています。


朗報 - 03/09/29 10:17:23
祝 ローマ時間、28日にヨハネパウロ二世が濱尾文郎大司教を枢機卿に任命したとのニュースが今朝テレビに流れました。 


通りすがりの東京教区の者 - 03/09/28 18:25:57
浦和教区は、浦和市・大宮市他の合併による政令指定都市化によってさいたま市が成立したことに合わせて、2003年4月、さいたま教区に名称が変更されました。
詳しくは以下をご覧下さい。(さいたま教区HPに掲載されている2003年新年の司教メッセージです) http://www.saitama-daichan.net/shikyo5.htm


信徒の質問 - 03/09/28 09:32:59
小林さんのコメントの中に「さいたま教区」とあるけど、あそこは「浦和教区」ですね。


あしたに向かって - 03/09/28 08:15:05
小林様へ 「司教の裁判」は、250ページにも及ぶ内容の半分以上が事実に基づく資料ですので、とても簡単にまとめることはできないものです。
この中には高松問題の経緯、裁判における尋問で司教が実際に述べられた証言もすべて掲載されております。
是非一度お目通しいただきたいと希望いたします。今からでも送らせていただきますので、メールで送付先をご連絡くださいませ。


tetsuya kobayashi - 03/09/27 22:09:38 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
「司教の裁判」は読んでいない。感情のこもったジャーナリスト感覚のスキャンダラスな告発本は読む気はしない。
指摘に用いた資料や、主な主張などで、厳正に「主の御前に」話すことのできるものを、簡易資料にまとめてほしい。
それを添付ファイルにしてメールで送っていただければありがたい。。私が納得すれば、周囲に配布して考えてもらってもいい。 さいたま教区信徒 小林 徹也


- 03/09/27 21:45:10
司教の沈黙の意味だが、「平和のための沈黙」というのは名目に過ぎず、本当のところは、明日に向かって側の問いかけにまともに答えることが出来ないので、ただ嵐の過ぎ去るのをやり過ごそうとしているのではないか?
小林さんのいうとおり、批判や指摘に対し、ただ沈黙を続けるというのは、正しい態度ではない。
福音書を見れば分かるとおり、主もパリサイ派の批判に対して、その都度反論している。
ここは是非、個人攻撃ではない司教側の見解を伺いたいのだ。一方側からの主張のみでは、ことの全体像が見えないのだ。
ところで、小林さんは、「司教の裁判」は購入されたのか?


tetsuya kobayashi - 03/09/27 21:05:12 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
高松問題については、現実の詳細を知らない、と正直に言わせていただく。
なぜなら、関東に伝わってくるのは、あなた方のヒステリックな言い分と、うそっぽい資料、あとは高松教区聖職者、新求道共同体の”沈黙”だけだからだ。
私は実は、つい最近、勤めていた地域商社の管理職と役員から訳の分からない、巧妙な仕組みの因縁を仕組まれて解雇に追い込まれた。
民事係争に入り、和解金をいただいて決着したが、勤め先のオーナーは、地域の顔役で、工業団地の業務請負部門も持っており、地域の権力者で、ケーブルテレビの役員などもしていた。
結局、職場でのいろいろな日々の出来事や、役員との問題の数々などは、実際、法廷で細かい資料を提示し、私が説明しなければ”仕組まれた”ことが、オーナーにはわからなかった。
そして、地方裁判所の裁判官も、相手が地域の顔役のひとりであることで、私のほうを疑っていたほどだ。弁護士も、最初は弱気であった。
幸い、取引先の企業の方々が、勤め先に詰め寄ってくれたこともあり、オーナーも、譲る気になった。
利権の中で動いていると、防衛のために人間は時として”魔物”になることを、私は思い知った。決して、人柄の悪いオーナーではなかったからだ。
今、読ませていただいて思うことは、あなたがたの意見と主張は、全国に伝わっているのだから、司教さんと高松教区聖職者も、あなたがたの見解のひとつひとつに対して、全国のカトリック教徒に説明してほしいと思う。
公式にだ。司教は「平和のために沈黙する」と言われるが、なにが真実であるかわからなければ、真の平和は来ない。
「平和は正義の足跡に従がう」のだから。全国のカトリック教徒は、司教が名誉毀損の賠償をした、と聞いて、悲しみ、そして、むしろ、あなた方のグループを疑っていることも知らなければならない。
「真実」が公平に全国のカトリック教会に明らかにならなければ、煙の立ち込めたままの聖堂で、気分の悪い礼拝をするだけになる。
「真実」が、明らかになるためには、司教様や聖職者の弁明と説明も、聞かなければならないではないか。 さいたま教区信徒 小林 徹也


あしたに向かって - 03/09/27 18:53:58
小林さんの言わんとされることが、ようやく分かってきました。新求道共同体について、高松教区の現状について、少し述べさせていただきましょう。
今、高松教区で深刻な信徒の分裂が起こっているのはご存じですか?それは、新求道共同体特有の性格が影響しているのです。
まず、新求道共同体の司祭が小教区に派遣されると名目上は教区司祭ですが、彼らは新求道共同体活動を開始し、誕生した新求道共同体の信徒を特別に優遇します。
役員も新求道共同体が占めるようになり、彼らは同じ小教区の信徒同志でありながら強い優越意識をもって、一般信徒を信仰薄い2流信徒のごとく扱います。
すると当然新求道共同体でない信徒たちは、司牧から切り捨てられ、疎外感に堪えられなくなった信徒たちは小教区から去っていくのです。
新求道共同体に入りなさいとは強制はしませんが、新求道共同体に入らなければ、信徒として平等の司牧はしてもらえなくなるのです。
その他にも新求道共同体の自己中心的な運営から起きてきた様々な問題に対して、各教会から司教に度々陳情がなされましたが、司教は信仰の従順という名によって、一切耳を貸してこなかったのです。
それが高松教区特有の問題なのです。


tetsuya kobayashi - 03/09/27 15:42:09 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
司教は、新求道共同体に参加せよ、などと言う命令は出していないはずだ。ただ、新求道共同体の宣教司祭を招き、小教区司牧も協力を依頼したのではないのか?
昔から、日本では伝統的に、協力を依頼された修道司祭や宣教会は、自分たちの霊性のカリスマを、小教区司牧に反映させていたではないか。
フランシスコ会の教会、パリミッションの教会、などそれぞれのカラーがあったはずだ。
それが不満な人々もいたが、それは司教の方針として、協力してもらっている修道会の司祭なのだから、それなりに尊重して感謝していたはずだ。
だからと言って、すべての信徒が在世フランシスコ会員ではなかった。
ましてや、新求道共同体は、修道会ではなく、新しい信徒使徒職のための、霊的刷新養成プログラムを有しており、それを素直に「体験せよ」ということではないのか?
深堀司教は、「教区民は、新求道共同体になれ」とは、言っていないはずだ。もし、深堀司教が、そう言ったのなら、それは言い過ぎというもので、それは間違いであると思う。
もし、そう言ったなら、それを証明していただきたい。
私は聖霊による刷新運動に参加し、精神的に連帯しているが、それは信徒の霊的刷新のための集会やプログラムであって、運動は組織ではない。
だから、「私は聖霊による刷新運動の集会やプログラムに参加している」とは言えても、「私は聖霊による刷新運動のメンバーだ」とは誰も言えない。
そのような考え方でよいのではないか? 「その方は、聖霊と火によって、あなたたちに洗礼を授ける」ルカ3:16  さいたま教区信徒 小林 徹也


- 03/09/27 15:03:10
小林さんが人の質問に誠意を持って答えないのであれば、あなたの要求に応じる必要性はない。
あなたは「新求道共同体に参加しない信徒=悪い信徒」であると信じていると理解していいのですね?


tetsuya kobayashi - 03/09/27 14:39:20 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
私が聞きたいのは、「新求道共同体」は、新しいカリスマが現れたときにありがちな、「疑い」や「中傷」の時期も克服して、世界で認知されて広がっているのに、どうして、その偏狭でわがままな「自己実現」に固執して、司教の指針に従うように努力しないのか?ということだ。
学校の先生や市長が決めたことを非難する時に、正当で公平な見地がなければ、他の市民や学生に非難されるのがあたりまえだ。
あなたがたは、反抗期の中学生か、自分の子供だけがかわいい、わがままなPTAか、地域エゴの固まりの商店主のように見える。私は保守的な人間ではないと言える。
この国でマイノリティーのカトリック教徒として、マイノリティーを愛する民主主義者だ。少なくとも民主主義社会に育った戦後世代として言わせてもらいたい。
あなた方の行いと言動に、地球市民としてのローマカトリック教徒としての「モラル」を求める。   さいたま教区信徒 小林 徹也


- 03/09/27 14:15:29
小林さんにお尋ねしたい。あなたは「新求道共同体に参加する信徒=良い信徒」「新求道共同体に参加しない信徒=悪い信徒」と考えているのか?
yesかnoかでお答えいただき、またその理由も述べていただきたい。


tetsuya kobayashi - 03/09/27 13:45:04 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
あなた方が、高松教区の公金の不正な「無断流用」という表現を使って、全国に訴えているなら、その件についてこそ、民事係争か、あるいは刑事的な訴えに持ち込むべきではないのか?
それができないほど、自分たちの主観的な解釈のこじつけとして、「無断流用」という表現を用いてるのではないか?
そうであれば、それは社会的に公正な対応とは言えず、深堀司教に対する「名誉毀損」ではないのか?
教会組織と世間に広く訴えるなら、民事係争に入ってからにしなさい。
人権は、すべての人のもので、主なる神は被造物である人間を公平に見ている。
「世の目」ではなく、「神の目」を意識して、最終的な滅びに入らないように注意すべきだ。 小林 徹也


あまり自分自身を開け広げて意見を開陳してしまうと、同じ道に歩む選民思想を持った人達に、何を言われるか分かりませんね。 - 03/09/27 13:11:47
これはこの運動の負の一面を表していると思いますよ。


森岡 源三 - 03/09/27 11:24:52
Aki様へ。あなたの書き込みを読んでいて、その内容から想像して“カテキスタ向けの指導書”を手に熟読されているものと思っていました。
かなりの長編ですけど、カテキスタから借りてでも(無理でしょうかねー)、是非ともお読みになるようお勧め致します。そこからいろんなことが発見出来ると思います。
私は、この「カテキスタのチームに与えられた回心の〜」及び関連する各指導書から、さまざまなことを発見しました。
数ヶ月前から精神科医、臨床心理士とチームを組み、ある事柄≠ノついて研究を始めたところです。
「道の歩み」が、人間個々に、またグループ意識に、さらにはその周りに、どういう影響を及ぼし、変化していくものなのか。
現に活動している人、活動しながら迷っている人、活動していて止めた人など、あらゆる角度から研究してみようと思っているのです。
時間と費用がかかりますが、辛抱強く続けてみます。


- 03/09/26 22:31:01
Aki - 03/09/26 17:53:52『私の身の上に起きたことは、恐らく他の人も経験済みでしょう。それは否定しません。
それなのに、出てきた答えは異口同音、同じような答えが聞こえるのはなぜでしょう。』共同体内部における集団心理現象ではないでしょうか。
参照⇒http://nursing.u-shizuoka-ken.ac.jp/~nishidak/judge1.htm


- 03/09/26 20:50:01
「出会いとそれ以降の過程は人其々、Akiさんの身の上に起きたことはAkiさんだけではなく、同じく他人も経験済みということも多々有り得ます」 Akiさん、申し訳有りません。
私の書き方が悪く解釈に誤解が生じた様です。
私がここで言いたかったのは、Akiさんがご体験されたような辛い事例と同じ事を、他の方も経験(場合によればそれ以上)されても、大抵の方は安易にカルト的なものに依存しようとせず、自力で克服しているのだと言いたかったのです。
これは、高松教区のネオによるトラブルを、この目で実際に見、間直で見聞した者から出た意見だと受け取って貰えれば幸いです。
それと、ネオはカルトではなく、そのカテケーシスにおいては統制管理なるものはしない、とのAkiさんのご意見ですが、高松教区のネオから離脱した元新求同共同体の多くの信者さんは、Akiさんとは全然解釈が違っています。
もっと分かり易く言えば、全くその逆だと申し上げたらよいでしょう。
私は、この方々が、その個人の信仰が生温いからネオから離れたと思わないし、況してや、ネオのカテケーシスを実際に体験された上でのお話に、嘘偽りがあるとはとても思えないですよ。
まあ少なからず、高松教区とそちらの場合では、同じネオでも養成方法が違うのか?という疑問はないでもないですが。


Aki - 03/09/26 17:53:45 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
- 03/09/25 22:30:11さんへ。第二部>>
それともう一点、あなたも指摘されているように、.....自身がこれこそが救いの全てであると、その優位・有益性を信じて疑わない.....
分を弁えずに他人の「霊性」に優劣をつけ見下し、他人の迷惑も顧みずに我が信じる道を強要した挙句、それらからの反応を「迫害・雑音」などと言ってる.....
乗れらの事象が、危険な選民思想の泥沼という理解。
これは当たっていると思います。私も共同体のメンバーの中に、本人は気が付かずにそのような考え方になっているのではないか、と感じる文言を聞くことがあります。
確かに聖書の中にも「招かれたものは多い。しかし選ばれるものは少ない。」と語句がありますが、この語句を何の聖霊の導きもない、理解もしないまま、自分自身に適用してしまうと、その誤った選民思想に陥る危険性がある、いや陥っている人もいる、と思います。
もし選ばれるのであれば、それは私達の尊卑や学識、正直さ、道徳観、など人間の基準ではなく、ただひとえに私達の御父、創造主である神の永遠の愛ゆえ。
決して奢ってはならず、反って私達の到らなさを自覚し、謙遜の心をもって神の選びを、厳粛に受け止めなければいけない、と考えます。
また、私にとって最良のものが、常に他の人にとっても最良のものであることなど、間違っても言えません。
しかし良いものだから、他の人に勧めることはしますが、受け入れるべきだという、強制はいけません。私が食べた饅頭がとっても美味しかったから、それを他の人の口に無理やり押し込んで、「美味しいから食べなさい。」は、できませんね。
それこそ人権侵害ですよ。そのようなこともこの歩みの中で、少しずつ分かってきたことです。以前の私では、ちょっと想像がつきません。
でも人間は弱いもの。時折自己顕示欲や、利己心、自尊心、が頭を擡げてきます。中々「神の養子」の人権を自分の物にできないでいる。
でも.....そんな口に無理やり饅頭を押し込むようなことが、高松やその他の多くの教区・小教区で、現実としてあったのでしょうね。
同じ新求道共同体に歩む者として、深く心に語ってくるものがあります。
いや、あまり自分自身を開け広げて意見を開陳してしまうと、同じ道に歩む選民思想を持った人達に、何を言われるか分かりませんね。
幸い日本語を理解するカテキスタの方はフィリピンにいない、と思います!?
(あっ!日本の新求道共同体の方の多くも、この掲示板は見ているのでしょうね。やばいかな。回り回ってフィリピンに情報が行っちゃうかも。)


Aki - 03/09/26 17:53:12 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
- 03/09/25 22:30:11さんへ。二部構成>>
そうですか。異口同音、同じ事を言っていますか。日本とフィリピン、場所違っても得たものは同じ、ということですね。いや、正直言って多少驚きました。
聖霊の働きは同じということを実感しました。でもこれは統制管理ではないと思いますよ(聖霊による統制管理?かもしれませんが)。
よく反ネオの方の中に新求道共同体はカルトである、と言っておられる方がいらっしゃいます。
その方々によれば、ネオは宣教活動や集会などでも、集団催眠と思しきことや洗脳を行っている節がある、これこそがカルト集団の特徴と、よく表現されています。
そこでは時として統制管理が見えぬ所で行われている、ともよく宣伝されます。でもそうではなくて、聖霊の働きによる結果だと思いますよ。
いみじくもあなた自身おっしゃっていらっしゃいますが、.....
出会いとそれ以降の過程は人其々、Akiさんの身の上に起きたことはAkiさんだけではなく、同じく他人も経験済みということも多々有り得ます.....と。
出会いやそれ以降の過程は人それぞれ、私の身の上に起きたことは、恐らく他の人も経験済みでしょう。それは否定しません。
それなのに、出てきた答えは異口同音、同じような答えが聞こえるのはなぜでしょう。
私は心理学専門ではないので詳しいことは分かりませんが、千差万別、十人十色、色々な個性、色々な人生経験、それぞれが違った人生のバックグランドを持っていることを考えると、心理学の専門家ではない(と思いますが)、私達のカテキスタと呼ばれる人達が、カテケーシスを通して同じような答えを導き出させる可能性は、極めて低い値になると思いますし、同じような答えを出させるように心理的に導いていく事にも、極めて大きな困難が伴うと思うのですが。
例えよく耳にする、例のカテキスタ向けの秘密の指導書の存在があったとしても。
そのように考えてみても、同じような答えを耳にされる、ということは本当に不思議ですね。>>第二部へ


tetsuya kobayashi - 03/09/26 08:29:18 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
高松教区の公金の「無断流用」という表現が、どこまで真実性があるのかわかりませんので、判断は避けさせていただきますが、少なくとも、資金の無い「宣教神学院」の設立のために、血と汗を流された方々がいたことは推察できます。
日本のカトリック教会は、戦後、教育や福祉分野で貢献し、認知されることを主体に成長し、社会に認められましたので、今もって、「カトリック教会は立派でお金がある」という誤った印象を、世間に与えています。
そして、教会側も、「貧しい教会」として、寄付を募ることについて、辱めを受けようとしません。
日本におけるプロテスタントの福音派や単立の小さな教会は、自らの経済的非力さを自覚していますから、集会や礼拝では、堂々と寄付を募り、牧師も日中は資金つくりに副業を持つ方々もおります。
参集する信徒は「教会にお金がない」のを知っていますので、献金の懸命な奨励を許しています。
そして、ご存知でしょうが、バチカンもまた、ここのところ、世界の教会を支えるために赤字体質なのです。 「宣教神学院」は、「初めの貧しさ」の中で始まったことと思います。
資金流用の件については、詳細を見て、考えてみたいとと思います。 小林


- 03/09/26 07:55:22
作為的人為臭がするものには、人は耳を傾けないし心を動かされる事もない。言ってる事と実際の行動が伴ってなければ尚更の事。
高松教区の30年にわたるネオの行動とその結果が全てを物語っています。従って、そういうものには誰も協力しないし、やる必要が無い。


海神セレス - 03/09/26 03:16:31 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
*高松司教区での一連のトラブルは、強引に国際宣教神学院(ネオ・カテクメナート神学校)を設立し、莫大な司教区の公金が、その運営やネオ・カテクメナートの宣教活動に、無断使用されているという現状への抗議活動が発端なのです。
ですから、ネオ・カテクメナート神学・宣教方針への批評ではないのです。
そこで、ネオ・カテクメナート側も「属人区(現行の教会法では、この形式なら団体認可取得可能なのです。)」
認可取得をして、高松司教区から分離・独立して頂ければ、反対派は何も干渉しませんし、その必要が有りませんので・・・。


tetsuya kobayashi - 03/09/26 00:47:07 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
Aki様、返信感謝します。
私は、20代の若い頃に、在世フランシスコ会の活動でフィリピンを訪問して滞在し、フィリピンのYOUFRA(Young Franciscan)という元気な青年男女の在世フランシスコ会の若者達と交流した美しい思い出があります。
YOUFRAは全国組織ですね。フィリピンのYOUFRAと皆でタガイタイへピクニックへ行ったり、ナヨンピリピーノで食事したり、また、修道院やスラムや聖ペトロ・バプチスタの教会を訪問したりと、あれは、「ピープルパワー」直後のころですから、とても元気な明るい笑顔の、美しいフィリピンが、私の心象風景のフィリピンです。
現実のフィリピンは問題は山積みでしょうが、ぜひ、これからの、アジアにおける「普遍的連帯」のためにがんばってください。
私の教会にもフィリピン人の労働者が結構おりますが、みな、厳しい中でがんばっています。この間、来たばかりの20歳の青年は、おばさんを頼って来ました。
日本語を徐々に覚えながら、日中は建築現場で働き、そして、夜、寝る前には、おばあさんに教えてもらったロザリオを唱えて寝ます。
唱えられない時もありますが、ロザリオは、忘れないようにしています。彼は、フィリピンの家族の家のための25万円の借金を早く返済したいのだそうです。
”キリスト教後進国”から、祈っております   小林


tetsuya kobayashi - 03/09/26 00:26:35 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
まず、森岡様ご返答感謝します。
日本におけるインカルチュレーションは、仏教的静粛主義の伝統、あるいは汎神論的な寛容さ、また、カトリックを明治期に伝えたヨーロッパの観想や沈黙の伝統などの「植えられて育った印象」があり、カトリックの”今”を導入するにあたっては、深い識別と思慮が必要なのを理解いたします。
「植えられて育った印象」を、また、転換させて刷新させていくためには、まず、導入するサイドに、充分な説明責任があると思います。
「新求道共同体」が、いかに「時に適った形で」神から送られたカリスマの現われなのかを、丁寧に話し、もはや、「調査段階」などではない、しっかりと認知されたものなのだということを明らかにするべきなのです。
98年の聖霊の年の聖霊降臨祭には、世界中の公会議以降の諸運動、諸共同体がローマに結集し、「教会の新しい春」を祝いました。
キコ氏は、ゲストのひとりとして、ジャン・バニエやキアラ・ルービック女史と共にスピーチし、大群衆と、大勢の枢機卿と、教皇の前で、「新求道共同体」に現われた、主の導きを証しされました。「新求道共同体」は、現代に信仰を復興させるためのイエスの強力な”兵器”です。
私は、以前、イタリア人司祭の、こんな言葉を聴いた思い出があります。
「ゆだねられた福音の宣教は、キリストのメッセージを文化に”適応”させることによってではなく、かえって、全ての文化をキリストとの出会いへ導くことによって実現するのです。」と。
受け取り方によっては、誤解されるかもしれませんが、確かに正しいことを言っています。
なぜなら、日本におけるインカルチュレーションとは、この、福音を直接知らないまま、汎神論と仏教的な土壌を土台に、西洋近代の”文化のセンスと香り”を取り入れ発展し成功した人類史上初めての、アジアの先進国への布教であって、この国の成功者や知者、権力者は、自らの安定を思う時、キリスト教の直接的な必要に気づけないほど、「世界の歴史の真実と真理」への洞察について、目が見えなくなっています。
イエスキリストの主権と、その贖いの唯一性は、実際、文化の中に”土着”させようという努力の中で、安易な妥協に導かれ、福音の救いの力への確信が弱体化させられています。
その中で、”教義的にふさわしくない部分がある”という発言も生まれます。
しかし、カトリック教義は、地域的な妥協に追い込まれるものではなく、人類普遍の真理の反映として、聖霊の導きのもと、使徒ペトロの後継者が世界に示すもので、特に倫理的な問題について、世界の趨勢に対して、「巌の信仰」を持って立ち向かわなければならないもののはずです。
ですから、この”非キリスト教的土壌”の上に、近代西洋の文化制度や合理主義や世俗主義を反映させて築きあげたアジアの先進国の”現代文化”を、救い主イエス・キリストに”いかに導き、出会わすか”が、カトリック教徒にとって本質的に必要なことではないかと思うのです。             小林


- 03/09/25 22:30:11
ネオに属しながらも具体的な解決策を模索して頂けるとの事、感謝致します。
然しながら、自身がこれこそが救いの全てであると、その優位・有益性を信じて疑わない「道」そのものを歩みながらなのですから、それは並大抵の事ではないと推考致します。
分を弁えずに他人の「霊性」に優劣をつけ見下し、他人の迷惑も顧みずに我が信じる道を強要した挙句、それらからの反応を「迫害・雑音」などと言ってるうちは果たしてどうでしょうか?
Akiさんには申し訳有りませんが、私には危険な選民思想の泥沼へとはまり込んだ者の戯言にしか思えません。
それと、Akiさんの「時」に準えた苦労話と「道」に出会うまでの過程はよく分かりました。
しかし、「道」を歩まれた方は何かに統制管理されたように異口同音、同じ事を仰られます。
出会いとそれ以降の過程は人其々、Akiさんの身の上に起きたことはAkiさんだけではなく、同じく他人も経験済みということも多々有り得ます。
又、Akiさんとそのメンバーの出会われた最良なものが他人様にとって最高なものとも限りません。
*ビサヤ地区出身の知人が申すに、ネオが活発に活動しているその方面でも、信者の教会離れが日々深刻化しているとのことです。


Aki - 03/09/25 19:56:51 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
03/09/24 23:37:10さんへ。身勝手で高慢な屁理屈に聞こえたのなら、お許し下さい。私は私の気持ちをそのまま、素直に書き込んだだけです。
確かにあなたのおっしゃる様に、現実問題として「道」が元で教会を離れ去った信者の方々、「道」が元で教会に行けない信者の方々、そして「道」によって今尚苦しんでいらっしゃる信者の方々がおられる。
忘れているわけではありません。本当に悲しい事実です。同じカトリック信者として、悲しみの念は禁じえません。同情ではありません。
同情するよりもどのようにこの問題を解決して行かなければならないのか。それを考えたいと思います。
先程の書き込みでも申し上げていますが、日本という地域性をもっとカテキスタの方々に考えてもらいたい、司教様方ももっと突っ込んで協議して頂きたい、と思います。
残念ながら私はそのカテキスタの方々を個人的には存じ上げません。しかし何らかの通信手段を以て、私の考えを伝えたいと思います。
お役に立つかどうかは正直申し上げて、分かりません。しかし、同じ日本人として、カトリックを信じる者として、この状態をこのまま看過することには、抵抗を感じていることも事実です。
おそらくフィリピンで日本人が「道」を歩んでいるのは、私一人でしょう。その意味からもここフィリピンで歩みながら、解決できる方法を見付けたいと思っています。
今日明日ということではないでしょう。即効性のあるお話ができなくて、すみません。でも日本の外にも悩みを分かち合える者が居ることだけは、確かです。
いつかこの掲示板でお話ができることを、切に創造主である神と、購い主であるキリストに、その「時」が戴ける事を祈り続けます。希望。


Aki - 03/09/25 19:33:34 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
第二部>>そんな苦労の中で、その「時」が来て「道」と出会う機会を得ました。
それまでも両親をはじめ多くに人々に対して不義理を重ねて来ていましたから、この苦労は神様の罰(バチ)が当たったのだ、と真剣に考え込んでいました。
もし、「道」に辿り着けなかったら、キリスト者には厳禁の自殺も有り得たと思います。
しかしその「時」が来るに及んで、神、いやその御一人子キリストと共に、私の辿ってきた人生の意味を、深く見つめることができ、そして自分の人生と和解することができました。
和解した後は、これから自分の人生をどう使っていくのかは、私の購い主であるキリストとその父である神のご計画に従うしかない、と思うようになり、気持ちが随分と軽くなりましたし、気持ちの持ちようも変わりました。
お金に不自由をする生活であれば、タクシーなど高嶺の花、乗合交通機関であるジプニーやバイクにサイドカーのような物を付けたトライシクル、自転車にサイドカーのペディーキャブ、など庶民が使う交通機関を利用しなければならないわけですが、それも苦にならなかった。
そう、必ず人にはその「時」というものを、創造主である神が前以て準備されているのだ(神の摂理(Providence of GOD)、神の時(In GOD's time))、と理解できるようになりました。
「道」と出会うまで、色々な経験をさせて頂きました。「道」と出会ってから8年余。少しずつですがキリスト者としての養成期間を歩み続けています。
私は「理想の死」を迎えようとは思っていません。聖ステファノの信仰に一歩でも近づきたいと、思って歩んでいます。私はここフィリピンでその「時」を授かりました。
真理は常にどこにでも存在します。ただそれが見えない状態があります。その真理をこの「道」で見つけようとし、探し続けています。いつかその真理が見つかる日が来るでしょう。
それがこの「道」でなのか、それとも別の所か分かりませんが、その「時」、その真理を証したいと思います。
それがフィリピンでなのか、自分の祖国なのか、それともまた別の地なのかは、神の御心。その「時」が来てみない事には分かりません。


Aki - 03/09/25 19:33:31 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
二部構成>>小林さん、まず03/09/24 20:53:25の書き込みに対してですが、キリスト者としてそれぞれの「時」がある、とのご意見には賛成です。
事実その「時」が来たからこそ、私は今フィリピンにいると思います。私は29才での成人洗礼です。長女誕生を機会に、二人同時に受洗しました。それは既に19年前のことです。
確かに幼年期には、故郷のカトリック司教座の隣にある、女子修道会(名前は失念しましたが)が運営する幼稚園に通っていました。
キリスト教と接したのはその時が最初で、何も分からず食前食後の祈りや、幼児用の主の祈りなどを唱えていたことを記憶しています。
まさか自分が洗礼を受けてキリスト者となるなど、夢にも思っていませんでした。
キリスト教国のフィリピン人の妻と知り合ったのもその「時」があったからで、初めての海外旅行がフィリピンでの自分の結婚式、自分一人が新郎側からの出席者(家族の猛反対がありましたから)。
それも日本人司祭による司式で未信者であるにも拘らず、ご聖体の両形式による拝領。なぜと司祭に尋ねたら、「いずれ近い将来、洗礼を受けてご聖体を頂く『時』が来ると思ったからです。」とおっしゃった。
それから1年半後、その司祭の予言は的中し、その「時」が来て私は6ヶ月余りの求道期間を経て洗礼を受けました。なんともインスタントなキリスト者の出来上がりでした。
結婚して6年後、私と家族はフィリピンに渡りましたが、その「時」はまだ来ていませんでした。
永住など考えもしなかった。しかし気が付いてみると永住許可を取得して、妻の家族と親戚づきあいを始めながら、徐々にフィリピンの生活に溶け込んでいた気がします。
そして渡比1年半後、現地で勤めた仕事も順調に行き始めた矢先、大病を患い大手術。リハビリを経ても元の仕事を続けることは困難となり、失職。
幸いにもしばらく経って別の企業に勤めることができましたが、そこでの邦人と比人との経営権争いに巻き込まれ、最後には離職の憂き目。
その後は徐々に蓄えも、マンション住まいも車も失い、小さなアパートでの生活になりました。小さな子供二人と妻を抱え、定職のない日々が続きました。>>第二部


森岡 源三 - 03/09/25 19:23:33
Aki様が第3部作の1で、私の思いの足りないところを書き込んで頂いているようです。感謝いたします。


森岡 源三 - 03/09/25 19:10:47
tetsuya kobayashi様 普遍の教会として「他国のカリスマの良いものを素直に心を開いて学び、良い実をならせる」と言うご意見には、大賛成です。
そのことで実を結んでいる例は沢山あります。だからといって、どれもこれもということではないでしょう。
"教会の再生≠目的に、ヨーロッパの非キリスト教化した国々で良しとされる新求同期間の「道」の活動方法が、そのままわずか0・3%の日本の"宣教処女地≠ノおいて適応しているという保証はありません。
当然、その「道」のカリスマが日本の教会に協調を伴って溶け込んでいるかといえば、それは否です。例えば高松教区・司教座の桜町教会などの実情に目を向けてみて下さい。
だから福音宣教省は「道」に対して(日本に入って来て30年になる今も)、重ね重ね「地域教会との融和とインカルチュレーションに、より大きな努力が必要だ」と忠告し続けているのです。
それは聖座が日本における"不協和音≠常々キャッチしているからでしょう。
宣教の地で活動するなら、「道」のリーダー達が「適応する方法」(協調路線)を、その国々に溶け込めるよう打ち立てねばなりません。
このままだと教会の分裂、不和は絶えることがなく、だれかれとなく傷つき、福音宣教の足を引っ張り続けることになるでしょう。
それは日本の教会にとっても、また「道」にとっても、非常に悲しく、辛いことだと思います。私は、体験を通してこれらのことの改善を求め訴え続けて行きたいと思うのです。
長くなりますのでNICEのことは後日に回します。


Aki - 03/09/25 19:09:11 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
第四部>>これらの事実から私は、この「道」はキリスト者として洗礼を受けたが、十分その内容を理解していない、充分大人の信仰を培う機会に恵めれなかった人々、何かの理由で教会を離れてしまった人達を、もう一度教会へ導くための、復習履修期間といった性格のもの、と理解しています。
そしてこの「道」は、信者数や招命数の減少に危機感を抱いた、多くのキリスト教国での再宣教が、大前提であったように思います。
できることなら新求道共同体カテキスタの方々も、現在の日本カトリック教会を取り巻く現状を理解し、「洗礼の意義再発見(Renewal Baptism)」という共同体の復習履修、養成課程を、未信者の方々にも適用できる、カテケーシスとして使ってもらいたいと思います。
また、過去に誤りがあればそれを正し、福音の土着化(inculturation)を実現させるため、共同体の持っている本来の目的「洗礼の意義再発見(Renewal Baptism)」が達成できるように、カテキスタの方々、日本に派遣されている宣教家族の方々、そして教区の責任者である司教様や主任司祭様方が、真剣な話し合いを持つ必要があるように思います。
かたや「迫害を受けている」、かたや「異端を教え、教会を分裂に導いている輩」という理解感情を乗り越えて、双方で日本における新しい宣教の方法手段を、確立して欲しいと思います。
もっとも現在の日本のカトリック教会が抱えている、教会の不活性化、青年や若者の教会に対する魅力の減少など、山積する問題は多いと思います。
私も今海外に居る同じ日本人として、カトリック信者として、将来何らかの形でお手伝いができれば、と思っています。
その意味でも、『あしたに向かって』を通じて送って頂いた、「ミレニアムの虚構」第三部は過去、日本で新求道共同体が関わってきた活動の一端を示した、海外に住む者にとっては良い資料となりました。


Aki - 03/09/25 19:09:54 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
第三部>>私の新求道共同体に対する個人見解ですが、この「道」は教会内の運動でもないし、修道会でもないし、セクトでもないし、オプス・ディのような属人区でもない。
事実教皇庁でも、この組織体をどのよう定義すればよいか随分と苦慮されたと、聞き及びます。
実際現行の教会法(カノン)でも明確に定義し得なかったので、会則が承認されるまで会則の試案は何回も、何回も教皇庁と共同体とを行き来して、パパ様から会則を準備するように指示された、1997年から2002年まで5年の歳月を必要とする、長い準備期間があったことからも伺えます。
この「道」は強いて言えば、初代教会の時代に歩んだであろう、洗礼前の養成期間の現代版とでも言うのでしょうか。
事実、その内容の見てみると、教皇庁が示したRCIA(Rites of Christian Initiation for Adults、成人の為のキリスト教入門の儀式)の内容と極めて似通ったものです。
このRCIAは未信者を対象としたものとして、教理省が大筋を定めたものと聞いていますが、このRCIAの内容と、新求道共同体のカテケーシスとその中で進められる段階とを、1978年だったと思いますが、教理省がキコ氏らを招いて対照検討したところ、極めて極めて共通点が多かった、という話を聞いたことがあります。


Aki - 03/09/25 19:09:48 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
第二部>>私はフィリピンでこの「道」を歩むことになりましたが、私の知る限りここフィリピンでは日本のような大きな拒絶反応は見えません。
国民の大多数がカトリック信者であることが、幸いしているのだと思います。
私の知る限りでフィリピンでは1976年、マニラ市内の小教区で最初の共同体が誕生して以来、フィリピン全国に約300近くの共同体が散在していると聞いています。
しかし現実問題として司教区の中には、共同体の歩みを許可していない司教区も幾つかあります(正確な数は把握していませんが)。
全国的に見て(私見で具体的な数字による統計は未だありませんが、将来統計資料を作りたいと思っています)、大きく全国をルソン(マニラを含むルソン島地域)、ビサヤ(観光地で有名なセブ島を中心とした諸島部)、ミンダナオ(戦前日本人入植者によるマニラ麻の栽培の中心となったミンダナオ島地域)と3地域に分けて見た場合、最も活動が活発な所はビサヤ地域、次いでミンダナオ地域、最後にルソン島地域となっているようです。
このフィリピンにおいても、地域による活動の差はあります。>>第三部


Aki - 03/09/25 19:09:45 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
三部作、長文すみません。>>森岡様、私もあなたと同様に感じています。
残念なことに日本を宣教の地として新求道共同体がカテキスタを派遣した時、もっと宣教する地の実態や信仰生活の様式や、信者の方々の信仰の捉らえ方を考慮して、柔軟な態度で接すべきであったと感じています。
もともと人口の0.3%、50万人に満たないカトリック信者数の日本という地域性を、ローマから派遣する前に十分検討分析していれば、そしてもう一方の受け入れる側である日本の司教様や、小教区主任司祭様達が宣教活動を許可する前に、「道」の基本的な考え方(教義とは言えない気もしますが)や典礼様式など、日常の信仰生活に極めて深く関わる事象を、カテキスタ達からの受け売りでだけではなく、もっと十分に検討を加え議論をなし、日本の地域性や信仰様式に不具合な部分には、必要と思われる修正や指導を与え、日本司教団としての基本的指針をはっきりと決めていれば(決めていらっしゃるのかもしれませんが)、今のように信者の皆さんの間に、消すことのできない大きな傷、埋めることに長大な時間を要するであろう、大きな溝を日本の信者さん方の中に、残さずに済んだのではないかと、少ない資料や耳に届いたお話から判断しています。
あまりにも新求道共同体の典礼様式に、また洗礼の意義再発見というカテケーシスに固執しすぎたため、キリスト教未開の国日本において、今でも見られる大きな拒否反応が起こったのだ、と考えます。>>第二部


通行人 - 03/09/25 19:05:00
君の「救いの体験」の証「生ける御言葉」イエスの福音とは如何なるものなのか? 
君にとっての福音とは何か??ここで御託を並べることが君の福音なのか?それも君なりの福音宣教なのであろう。これも余計なお世話か。
とりあえずネオも反対派もミサの後は殺されずに済むわけだが。


通行人 - 03/09/25 18:52:59
小林へ、一度フィリピンで暮らしなさい。そうすれば見えてくるよ。君の出所不明な怒りも収まるし。


通行人 - 03/09/25 18:47:08
フィリピンではクリスチャンよりムスリムのほうがずーっと福音的。


tetsuya kobayashi - 03/09/25 08:38:16 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
「信徒へ」 福音の宣教は、クリスチャンライフの本質であって、「そんな大それたことはできない」などと、偽りの謙遜を見せるなら、それは、救い主の使命への参与を拒否する、「本質的で決定的な傲慢」であることを知らなければならない。
「宣教」は、何も口で伝えることだけでなく、また、教条を並べ立てるだけでもないはずだ。
必要なのは「救いの体験」の証だ。
伝えねばならないのは、「生ける御言葉」イエスの福音であって、あなたがキリスト者として、いかに完璧で立派かをしらせることではないことを知るべきだ。 小林


信徒 - 03/09/25 08:28:28
時も場所も選ぶ必要は無い。自分がどう生きるかであって他人様に宣教しようなんて大それたことは考えない。


tetsuya kobayashi - 03/09/25 07:57:32 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
Akiさんへあなたは、フィリピンに家族とおられるということだが、少し聞きたい。
なぜ、カトリック信徒が0.3%しかいない日本に留まって宣教せず、90%以上がカトリック教徒の経済的に貧しい国、フィリピンに行かれたのか?
あなたは、イスラム教徒や共産主義者の中にでもいるのか?日本における新求道共同体の定着と文化との対話のために、日本に戻る気はないのか?
信仰厚きフィリピンの中で、聖ステファノのように殉教するのは、難しいのではないか?
また、あなたは「神の養子」の人権における「兄弟愛」を訴えるが、福音に基づく兄弟愛は、真実の人間的な兄弟愛であって、日本人の好む社交辞令の表面的な美辞麗句の交換とは違う。
そこには、誠実な忠告も、叱咤も、時には怒りも伴うものだ。イエスは、そのような御顔も、地上で人間として見せられたのではないか? 回答いただきたい。小林


- 03/09/24 23:37:10
「他の人を自分の如く愛し、それこそが「神の養子」としての基本的人権だ」等と大層なことを仰っておいでですが、それは、現状に蓋をして決してその中の真実を見ようとはぜず、他は差し置き、己のグループだけを主体に置いてその有用性だけを強調して奇麗事を並べ立てている、無神経かつ途方もない独り善がりなご意見の様に聞こえます。
では、高松教区の中であなた達の信じる道が元で教会を離れ去った信者はどうします?あなた達の信じる道が元で教会に行けないでいる者達はどうします?
今も尚苦しんでいる者達はどうします?その者たちの人権は、あなた達の信じるグループの前では無きに等しいものですか?あまりにも得手勝手で高慢な屁理屈ではないですか?


tetsuya kobayashi - 03/09/24 23:02:54 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
森岡氏へもし、回答いただけるなら、回答いただきたい。
NICE1,2の会議を通して、日本のカトリック教会の宣教の指針は示されたが、実際の教会生活に”宣教の熱意”を呼び起こすことはできなかった。
なぜなら、たとえ会議中に多くの体験談や分析の報告が寄せられていたとしても、小教区の共同体に伝えられたのは、「概念」と「実践の指針」であって、宣教の熱意を呼びおこす「霊の火」ではなかったからなのだ。
会議に会議を重ねて、理論的、分析的に落ち度のない報告や指針を作成して、共同体に公表しても、「霊の火」が燃え上がらないかぎり、真の宣教はありえない。
あなたは、今後も、会議に会議を重ねれば、素晴らしい教会の明日のビジョンと方向性と活力を築けると思うか?
私は、今、必要なのは、信仰の喜びと確信の体験的な回復であると思う。今、「緊急に」必要なのは、インカルチュレーションのためのロジックではないと思う。
今、必要なのは、「信じることの喜び」の回復なのだ。 その意味で私は「教会の新しい春」の現われである諸共同体に連帯するものだ。
この「新しい春の恵み」を誠実に受け止め、心を開かなければ、日本の教会の活性化は、また遅れるだろう。
日本人のもつ固有のカリスマには「他国のカリスマの良いものを素直に心を開いて学んで、よい実をならせる」ということがあるのではないか?
ご返答いただけるなら、してほしい。   小林


森岡 源三 - 03/09/24 22:00:04
「Akiさん」でいいのでしょうか。あなたの書き込まれた内容は、いま「新求道期間の道」が置かれている現状を良く認識された上での冷静な姿勢(判断)と受け止めています。
実際「道」は今、使徒座の諸部門によって調査の対象となっているのですから、それが賢明ということなのでしょう。
あなたのご意見は、キリスト者の誰が見ても、聞いても「なるほど」という論調です。
多くを述べることは差し控えますが、いずれにしてもこの「道」は、一つの"養成過程≠ノ過ぎないなのですから、このまま教義の内容や典礼の有様を改めないで進むと、宣教の地の日本には不適応だと、私はその疑念を拭い去ることは出来ません。
それは教皇が、アジアの宣教の地に向けていつも宣言しておられる「mission ad gentes」と言う一語に尽きると思います。
もちろんこの最大の目標達成のために日本のカトリックは過去の宣教のあり方(教勢の発展を阻んでいるさまざまな要因)を反省し、必死で、しかも早急に新たな方策を探し求めていかねばならないことは、言うまでもないことです。
私は、好むと好まざるとにかかわらず、その第一歩を踏み出すための準備が始まっているものと認識しています。


tetsuya kobayashi - 03/09/24 20:53:25 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
akiさん、返信ありがとう。読ませていただいて「信仰を生きる」ことへの集中力に敬服いたします。私の今回の意見は、きわめて「人間的に」行おうとしたことをご理解ください。
基本的人権と幸福の追求を国是とする、民主国家の一員としてのキリスト者の意見です。
それは、時として、人間として公共の福祉と社会の聖化のために正義による連帯を求めるものであり、キリスト者としては、時のしるしの中で「預言職」を生きるということです。
すなわち、聖ステファノのように人々の罪が許されるようにと祈りながら死ぬことは、キリスト者の終末観の模範ですが、聖ステファノは、死ぬ間際まで、イエスの復活の証人として、偽善になってしまった人々に真理を勇敢に証しし、告げていたことをお忘れにならないでください。
「決定的な証の時」は、恵みであって、それぞれの人に「時」があると思います。それがどのような形かは、個人的な神との関わりの中で明らかになっていくのでしょう。
私にとっては、この「隠れた迫害と殉教の時代」、私以外の知人達も多くの苦しみにあったことを知っているものとして、意見させていただきました。
私が、「理想の死」を迎えることより、この時代が救われることが優先されるべきだと思います。   小林


Aki - 03/09/24 20:11:17 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
私の言っていることは理想論と思われるでしょう。
しかし私の言うこの「神の養子」の基本的人権が行使されなくては、自分の信仰を他の人が理解し、改心まで導くことは、不可能でしょう。
全てが自己満足(自分の信仰が正しい)、自己憐憫(自分は迫害されている)に終わってしまう、と思います。
あなたご自身、人生を破壊寸前にされた経験から「闇の力」に正義の怒りを感じていらっしゃる。
私がもしそのような経験をしたら、あなたと同じようには行動しない、と言い切れないのも事実。つまり、まだまだ私も強い信仰を持ち合わせていないからです。
その信仰を培おうと、8年経った今も、ここフィリピンで新求道共同体を歩んでいます。
私は今正直に申し上げて、あの聖ステファノのように、石打ちで殺されようとしているその瞬間まで、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と言える信仰がほしいと思っています。
そしてその「神の養子」の「人権」がキリスト者を迫害する者であたったサウロ(後のパウロ)を改心に導き、そして彼をしてキリストの擁護者とならしめた。
そして後には彼パウロを異邦人に向かう宣教者とした。私はそのパウロが宣教した異邦人の中の一人。そしてその私が現在「神の養子」としてキリストに習う者となった。
なんという神の摂理。私は他の人を自分の如く愛する、それこそが「神の養子」としての基本的人権だ、と信じています。
その「人権」を異邦人(この場合日本も含まれます)の世界に打ち立てる事によって、キリストの愛の福音が世の隅々まで響き渡り、その「人権」を勝ち取る人が一人でも多くなるように、祈りたいです。


Aki - 03/09/24 20:10:58 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
神の子としての人権。何か矛盾を感じるのですが。私達キリスト者、つまり洗礼を受けたものはそれまでの罪を清められ、神の「養子」として迎えられた者。
そして神のひとり子であるキリストに習う者、となった。そう教えられ、またそう信じています。
その意味で私達はいつでも罪の誘惑に落ちる「人間」であり、と同時に「神の養子」でもあるわけですね。
ではあなたの言われる神の子としての「人権」と「人」としての「人権」には何か違いがあるのでしょうか?
「人」としての「人権」と、「神の養子」としての「人権」とによって、その内容は自然と違ったものとなると思うのですが。
確かにこの自由な世界、どこに行っても「人権」を振りかざし、その人の固有の権利があると信じるがために、ややもすれば他の人の人権を侵害したり、踏みにじってしまうことがあります。
それはこの世の生きる「人」の人権だからです。つまり他人を省みない、他人の存在や気持ちを考慮しない、そういった心の奥底での「自我」がそうさせていると思います。
確かに世界には基本的人権を抑圧されている人達が存在し、またそれを守ろうと戦っている人達の存在も否定しません。
しかし、もう一歩考えを巡らし、「神の養子」の基本的人権を考えてみませんか。「神の養子」の基本的人権は、他の人を自分を愛するように愛すること。
これが基本的人権だと思うのですが。


Aki - 03/09/24 20:10:33 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
三部作。少し長文です。すみません。私の性別をはっきりとさせていませんでした。すみません。私は海外に居住する48才の男性です。
妻と子供2人の4人家族で、現在私と妻、子供達(19才と18才)はそれぞれ3つの新求道共同体に歩んでいます。
確かにあなたの言われたように、使徒たちは聖霊降臨を受けた後、立ち上がり強く信仰を告白し、自分達が十字架につけたキリストを、「神のひとり子」、「救い主」、そして私達が犯した罪の「購い主」と宣言しました。
そのためにやがて訪れるであろう、信仰のその先にある「殉教死」をも省みずに。パパ様も、21世紀 Third Millenium は新たな宣教の時代である、それもアジアを中心として世界中に宣教を進める時代であると。
その意味においても、新しい宣教地でもある日本も含むアジアにおいて、新たな聖霊降臨を求め続ける必要性は、認めます。


tetsuya kobayashi - 03/09/24 13:15:35 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
Akiさん、あなたの書いている言葉は美しい。福音の愛に留まろうという呼びかけに感謝します。 しかし、言わせていただきたい。
まさに、あなたが言われているように、現代における「迫害」つまり、羊の皮を着た狼たち、あるいは「白く塗った墓」の勢力に操られる人々によって行われる日々の「雑音」と「誘導」は、おそるべき心理学的方法をもって、私達を懐疑と疲労、弱体化と教勢拡大の阻止へと導いています。
私は、新求道共同体の一員ではありませんが、他の新しい教会運動や共同体に参加し、具体的な妨害や迫害を受けたものとして、「目覚めて見張り、警戒せよ」と言いたいのです。
あなたの文章を読むと、慰められますが、現実に進行しているのは、キリスト者の沈黙と黙認によって、妨害勢力の介入が巧妙さを増して拡大している、ということです。
使徒達は、初代教会において、神殿前の広場や衆議会において勇敢に信仰を証しし、イエスの臨在を証明しました。
現代において、このような人権を悪用して自由に妨害しようとする勢力が存在する場合、私達も、黙認することなく、神の子としての人権を掲げて、民主国家の、同じ土俵に登るべきではないでしょうか?
もはや、相対主義と誤った自由によって、暗くされた人間精神は、真理への洞察の目を失いつつあります。
この混沌を抜け出るためには、行いによる証明、霊の証明、論理的な証し、様々な角度から、唯一の贖い主の主権と現存を、もう一度、世界に受け入れさせ、認識させなければなりません。
そのためには、勇敢に信仰を宣言する「証の力」を伴った”新しい聖霊降臨”を絶え間なく求め、霊に力に心を開かなければなりません。
あなたは女性だから、非常に平和的に考えるのでしょうが、私などは、本当に人生を破壊寸前にされ、「闇の力」に正義の怒りを感じています。
彼らは、心理学的な誘導によって、目的を果たそうとしますから、警戒してください。女性は、特に導かれやすいのです。
この「最後の収穫の時」、奉仕者によって、地の果てにまでくまなく、イエスの良き知らせが届けられますように    小林


Aki - 03/09/24 11:57:21 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
もっと新求道共同体の道を、目先のことに囚われず、しっかりこの足で歩んで行きましょう。
この道は私たちが受けた「洗礼」の意味を深く再認識し、「洗礼」によって授かったはずの多くのキリスト者としての「霊性」を、日々の生活に生かしキリストに習う者として生活する。
その目的のためには周りからの「迫害」(よく私達共同体メンバー自身、他からの攻撃をこう表現することが多いのですが、私は「雑音」とした方がより現実的と思っていますが。)
などを真摯に受け止め、周りの他の人々の共同体に対する考え方や態度を十分尊重した上で、霊性の働きがなされるのであれば、この共同体は存続するでしょうし、またより日本に限らず、キリストの福音(良いおとずれ、良い知らせ)を必要とする世界の国々に広がっていくはずです。
キリストご自身が使徒たちを世界にお遣わしになられたように、私達キリスト者はそれぞれの霊性に従って、キリストを述べ伝える使命を持っています。
もっと心広く、寛容と兄弟愛の精神で物事に対しましょう。


Aki - 03/09/24 11:57:46 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
Kobayashi様、もしあなたが新求道共同体に歩まれているのでしたら、ご存知のはず。全ての真実は聖霊の働きによって、いずれはっきりする、と。
何事もそのように誰が、いつ、どこで、書いたということは、それほどの大きな問題ではないと思います。
よれよりも重要なのは、そのような意見や体験をした方たちも、現実としていらっしゃる、それは決して無視できないこと。
その道を歩む中で自分の求めていたものが見つかったり、想像していたものと現実の歩みとのギャップを埋められずに、残念ながら道の歩みを止められた方々も多いと思います。
事実私の所属する小教区や共同体でも、多くのメンバーの方が途中で歩みをやめられています。それはそれで仕方のないこと。
そのように考えると、教皇庁からの会則承認(昨年6月29日、聖ペテロ、聖パウロの祝日)も共同体の教会法的に存在を認めた、というであって、それを錦の御旗に共同体を勧めるという必要性もないことです。
この共同体に真の霊性があれば、何も心配することはありません。キコ氏も敢えてそれらの批判に対して反論しないことも、彼自身が霊性を信じていればこそ、思います。


Aki - 03/09/24 11:57:08 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
海外でこの道を歩むものの一人として、一言申し上げたいと思い、書き込みします。<少し長文(3部作)。ごめんなさい、ご注意願います。>
第一部この何日間、この掲示板の動きが止まっていたように感じていましたが、今日久しぶりに開けてみると、口角泡を飛ばすがごとき、書き込み。ちょっとあわてました。
Tatsuya Kobayashiさんが書き込まれた以下の様な内容は、どう贔屓目に見ても喧嘩腰と取られかねない、書き方。
03/09/23 10:59:06 >>いいかげんな資料に基づくでっちあげなら、新求道共同体に対する名誉毀損である。宗教団体だからといって、甘く見るな...
03/09/23 11:38:44 >あなた方の主張を有利にするための偽証であるなら、これはもはや世界で正当に評価されている宗教グループに対する犯罪行為といっても、過言ではない...
03/09/23 19:41:07 >あなたがたの柔らかい物腰は、意図的なものではないのか...
世界中に広がっている新しい運動を侮辱し、司教の誤りの無い教導を非難し自分達の地域エゴを優先させよう...
当然、日本中から疑われることとして、あなたがたの背後に地域の権力者や、やくざなどがいるのはないか?...
白いヤクザの連中は、本当の柔らかい物腰で平気で結果をだすための用意周到な行動をする。 あなたがたが、そんな連中かもしれないと、全国で疑われていることも知りなさい。
もう一度、言う。「キコ氏の見解」が、いつ、どこで行われたか、はっきりさせなさい。...
03/09/23 20:55:37 >>...島国の視野の狭さで、そして、極めて世間的、政治的な見地で、状況を判断すれば、ペトロの座に働く聖霊の導きなど、わかるはずがないのだ。
あなた方は、ニュースステーションとワイドショーを見すぎたようだ。...
03/09/23 21:08:51 >>...あいしん86号とかいう雑誌にのった「キコ氏の見解」の日時や場所など、キコ氏が明らかに語ったと言える証拠を提示できないならのなら、私は、あなたがたを人間として、キリスト者として、信用できない。
キコ氏は、このようなことを言う人物では、ありえないのだ...あまりにも、いい加減な資料ではないのか?
こんないいかげんな資料を、世界に公開されているホームページに載せて、しかも、司教を非難しているとは、あきれかえる。
あなたがたが、世界中の笑い者になるということを、覚悟しておくべきだ。 ヤクザまがいかもしれない連中に、プライバシーを安直に伝えるほど、私は幼稚ではない...
このような書き込みは、やはり? と感じます。


森岡 源三 - 03/09/24 11:28:46
「他教区の信徒」様へ。「ドキュメント・司教の裁判」について。
私(森岡)から冊子をお届けして読まれた方だと思いますが、「本冊子に関するご意見、ご感想は編集責任者に直接お寄せ下さい」とお願いしております。
「カトリック内部向け」としたことにつきましては、何も秘密云々ということではなく、編集責任者としてそれなりの理由があってのことなのです。
送付しました封書の裏には、私の住所(冊子の奥付にも)と電話番号を表示しておりますので、よろしければ森岡に直接お願い致します。
本来なら、ご意見・ご感想をお持ちの方とは、直接向き合ってお話ししたい願っています。


tetsuya kobayashi - 03/09/24 08:28:56 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
「他教区の信徒」へ そのようなあいまいな情報を流すな。教皇庁に勤めている親しいシスターとは誰だ?彼女の発言は、教皇庁のカージナルの見解を伝えたのか?
そうであれば、そのカージナルは誰なのか?それとも彼女の個人的な感想なのか?彼女は日本人か?他国人か? 新求道共同体は、いまや世界的に認められており広がっている。
キコ氏は、現代の聖性を生きる証し人の一人だ。おまえたちのいいかげんな噂より、多くの証明できる資料と証しを、私達は持っている。
お前達のように、いいかげんな噂を流布する者たちによって、今までも新しい宣教の力となる運動や共同体が妨害されてきた。
「教皇庁からの情報」が、誰からのものであるか、示しなさい。               小林


他教区の信徒 - 03/09/24 00:34:38
ヴァチカン教皇庁に勤めている長い付き合いのある修道女会のシスターに、ローマに行ったとき、教皇庁はこの問題を、どのように考えているのか事前に手紙で聞いておきました。
返事は「長いカトリックの歴史からみれば、小さな一つの流れで、この運動が正しいものであれば残るし、間違っているなら消えていくでしょう。
彼らは度々謁見に申し込んできて祝福を求めるし、広場でよく歌を歌っていますが、今は静観と言う感じで見ているようです」と。 
今年、認可が出たそうですが、その資料そのものが偽証や、虚実、捏造であったなら、大変な問題です。  
私が今、思うことは、宣教神学院の叙階式が、なぜ司教座教会ではなく、マツノイパレスという写真で見ると、大宴会場または披露宴会場のようなところでされたいるのかと言うこと。
そして、日本の他の司教様方は、タブーのように無言を通していられるのか。直接に司教様に質問しても、「今は何も言えません。難しい問題です。」と、避けてしまうのか。 
新潟教区の佐藤司教様が引退を申し出、許可されたと聴きました。新潟教区に派遣されている司祭たちは今後どうなるのか?
「司教の裁判」の冊子は、大変な犠牲と沢山の方々の必死の努力の成果とは思いますが、「カトリック内部以外の配布・閲覧は固くお断り」と書いてはありますが、そういうことも反って秘密主義的と他からは思われ、カトリック内部である他の教区の信徒の共感を得る力がなかったことに?がるような気がします。 
小林さんの意見は、挑発的ですが、このページもかなり感情的で挑発的な面もあったように思いました。 
神様のご計画は計り知れないけれど、心を謙虚にして、犠牲を払われた方々のためにも、新しい一歩をと祈っています。


- 03/09/23 22:48:51
地域の権力者とかやくざが背後に居る?新聞やニュースを見すぎてローマの権威を見誤っている?妄想もここまで飛躍すると手に負えないですな。
貴方は、世界で正当に評価されている宗教グループだと仰られていますけれど、当該共同体が非難されているのは日本だけじゃないでしょ?
それならなぜ、海外に幾多の当該共同体を非難するサイトが存在するのでしょうか?
世界で正当に評価されている宗教グループであれば、そのようなサイトが存在すること事態、おかしいのではないでしょうか?
貴方は、貴方が擁護される共同体にとって都合が悪いものには、一切触れようとされないのですね。ならば、私も、貴方を信用など出来ないですね。
どのようにすればその様な思考に陥ることが可能なのでしょうか?貴方の仰る共同体に参加すればそうなるの?
日本中、否、世界中から笑われ嫌疑の目を向けられるのは貴方の方です。


tetsuya kobayashi - 03/09/23 22:06:33 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
今のあなたのコメントを読んで、これ以上話し合う必要が無いことがわかった。
あなたがたが聖職者を非難するなら、もっとよく勉強し、視野を広げてからにするべきであったと思う。
あなたの周囲の親しい人々に、賢明で識別できる信仰者がいなかったことは悲劇であり、私はそのことを悲しむ。
あなた方が滅びぬようにマリアの汚れなき御心の取次ぎを祈ろう。              小林


- 03/09/23 21:56:13
(キコ氏は、このようなことを言う人物では、ありえないのだ。)
小林さんは、新求道共同体の道を歩まれているのですか?もし歩まれているとしたら、どのくらいの期間ですか?またどこで歩まれているのですか?
ご指摘のあいしんの記述の件、参考までにこのようなことを言っている人がいる、といった受け止め方が大半だと思うんですけれど、あなた様のいうほど目くじらをたてなければならないことですかね?
また、疑問に思うのは、まるで、教皇座で聖霊が働いているのを、目で見たみたいな言い方をされていますが、あなたは本当に自分の目でそれを確認したわけなんですか?
忌憚なきご意見お願いします。


tetsuya kobayashi - 03/09/23 21:21:40 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
確かに聖霊は世界に満ちており、カトリック以外のキリスト者の中にも豊かに働き、さらに、良心に生きる全ての人のいのちの中に聖霊の息吹が注がれている。
その中の、あなた方は、ローマカトリック教徒なのだ。
使徒ペトロの座がキリストから受けた霊的権威と教導は、世の政治的見地や、社会的な力学で見ようとしても、見ることのできないものだ。
結局の所、あなたがたは新聞やニュースの見すぎで「世界の力の関係」でローマの権威を見てしまっているということだ。
聖霊は、絶えず、真理に仕えるようにと使徒座を導き、完全な真理を堅持し、世俗化と価値の相対化の中で迷える羊の群れとなったキリスト者の家族を支え、カトリック教義を強め、ゆるぎなく支えているのだ。


tetsuya kobayashi - 03/09/23 21:08:51 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
あなたがたが、あいしん86号とかいう雑誌にのった「キコ氏の見解」の日時や場所など、キコ氏が明らかに語ったと言える証拠を提示できないならのなら、私は、あなたがたを人間として、キリスト者として、信用できない。
キコ氏は、このようなことを言う人物では、ありえないのだ。この件について、私以外の者から指摘はなかったのか?
司教とあなたがたの間の揉め事が、深堀司教の対応の悪さに一部負うところがあったとしても(名誉毀損問題と高松問題の本質は、別の次元で考えるべきだ)この「キコ氏の見解」がでっちあげであったのなら、あなたがたの信用は、まったく無くなるだろう。
あまりにも、いい加減な資料ではないのか?こんないいかげんな資料を、世界に公開されているホームページに載せて、しかも、司教を非難しているとは、あきれかえる。
あなたがたが、世界中の笑い者になるということを、覚悟しておくべきだ。 ヤクザまがいかもしれない連中に、プライバシーを安直に伝えるほど、私は幼稚ではない。  小林


- 03/09/23 20:55:37
もっと具体的に、このHPのどこの記述がお気に召さないのか特定していただけますか?それに、そのように説明を強要するのであれば、あなた様はどこの誰なのか?
きちんと名乗るべきです。あなたこそ、偏狭な教権エゴに囚われているのではないですか?。別に聖霊はローマにだけ働いているのではない。


kobayashi - 03/09/23 19:58:30 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
わたしは、なにも感情的には言っていない。客観的な事実を求めている。「キコ氏の見解」の出所と、行われた日時を言いなさい。
必要なのは、あなた方の感覚が、極めて地域エゴの中にある、ということに気づくことだ。カトリックは、世界中で「普遍的な連帯」の中にある。
島国の視野の狭さで、そして、極めて世間的、政治的な見地で、状況を判断すれば、ペトロの座に働く聖霊の導きなど、わかるはずがないのだ。
あなた方は、ニュースステーションとワイドショーを見すぎたようだ。


信徒 - 03/09/23 19:45:18
前の感情的な議論は、いつ、どこから始まったのかな。経緯がわからないし、このページにそぐわない内容だと思うよ。


kobayashi - 03/09/23 19:41:07 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
あなたがたの柔らかい物腰は、意図的なものではないのか?
結果から見ると、あなた方が招いたのは、カトリック教会にとって、とても大切な、世界中に広がっている新しい運動を侮辱し、司教の誤りの無い教導を非難し自分達の地域エゴを優先させようとしたことだ。
それによって起きた感情の摩擦が原因で、今日に至っている。世界中から期待されていた高松教区が、世界中の笑いものになった。
これが、ご丁寧で優しい対応で、ローマに忠実で誠実な司教をいじめて損害賠償に追い込んだあなたがたのしたことだ。
当然、日本中から疑われることとして、あなたがたの背後に地域の権力者や、やくざなどがいるのはないか?
白いヤクザの連中は、本当の柔らかい物腰で平気で結果をだすための用意周到な行動をする。
あなたがたが、そんな連中かもしれないと、全国で疑われていることも知りなさい。 もう一度、言う。「キコ氏の見解」が、いつ、どこで行われたか、はっきりさせなさい。 小林


悲しいです - 03/09/23 18:13:58
喧嘩腰の書き込みは止めてください。憤懣やるかたないと言う様子は良くわかりますし、いくら顔の見えないHP上のことと言っても、礼儀を重んじていただきたいです。
ここを覗く人は何か情報はないか、同じ問題で苦しんでいる人と思いを分かち合いたいと思っている人が多いと思いす。それなのに、荒々しい書き込みに、ますます心を乱されます。


tetsu - 03/09/23 12:37:51 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
しかも、あなたがたは、ローマ・カトリック教徒なのであって、司教の正しい教導権に従がわなければならないはずだ。
深堀司教の選択は時に適った正しいもので、刷新を受け入れられないあなたがたは、高松教区のチャレンジを拒否し、教導権を侮辱したということだ。
あなたがたは、高松教区民として、司教のチャレンジに心をひとつにして協力し、良い実を結ばせる努力をするべきではなかったのか?
新求道共同体の導入は、聖霊の導きによるチャレンジであって、世界が注目していたことを、あなたがたはどれほど理解していたのか?
あなた方は、世界に向かって、「良き実」の報告をできたはずだったのだ。あなたがたの偏狭な島国精神が、この国のカトリック教会の歴史上、最悪ともいえる汚点を残してしまった。
悔い改めて、地球市民として、ローマカトリックの一員として、沖に漕ぎ出しなさい。  tetsuya kobayashi


tetsu - 03/09/23 11:38:44 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
私は、「いつ、どこで言われたものか」と事実を確認しているのであって、あなたがたの意見をきいているのではない。
「キコ氏の見解」が事実に基づかないもので、あなた方の主張を有利にするための偽証であるなら、これはもはや世界で正当に評価されている宗教グループに対する犯罪行為といっても、過言ではない。


- 03/09/23 11:28:35
ここのHPでネオに対し指摘していることは、ネオによって嫌な思いをしてきた人たちにとっては、共感できるものだし、また、その危険性を広く知らしめることは、公益性のあることだから名誉毀損にはあたらない。


tetsu - 03/09/23 10:59:06 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
おまえ達が、「キコ氏が語った」と言って掲載しているメッセージは、いつ、どこで言われたものか源泉となった資料がどこからのものかはっきりさせなさい。
いいかげんな資料に基づくでっちあげなら、新求道共同体に対する名誉毀損である。
宗教団体だからといって、甘く見るな。人権はすべての人、全ての団体のものだ。 tetusya kobayashi


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