2003.11/21-11/30

naruhodo - 03/11/27 19:02:03
「福音宣教」12月号の『教皇への手紙』森 一弘・東京教区前補佐司教のも読んでみて、特に64〜65ページ。


森岡 源三 - 03/11/27 18:49:49
NCの「入信のカテケージス(抜粋)」から…キコ氏は、第3番目のカテケージス(非神聖化・非キリスト化・信仰の危機」の中で「人間は持ちものに生命を探す。
ですから共同体にいるあなたたちは自分の持ちものを売るときが来るでしょう。しかし、まだまだそんなことをいわないで下さい。
始めたばかりの人たちがこれを聞くなら、みんな逃げてしまうでしょうから・・・」と述べています。
さらに最後の泊り込み(3日間)の集いの朝の祈りの説教の中で
「・・・洗礼に導くこの求道期間の第1段階の時には、『持物を売りなさい!』と言われるでしょう。持物を全部、売る時が来ます。
そうしないと神の国に入れないだけでなく、求道者にもなりえません・・・」と決め付けています。
自分の持ち物を全部売る人に他人がとやかく言えることではありません。しかし、信徒が社会生活の営みと遊離して、現実に福音宣教の“足場”はどこにあるのでしょうか?
「いま、そんなことを聞くと、みんな逃げてしまうから」と、求道者を作意的に誘導することなど、日本で生まれ育った私にはますます疑問が深まります。


- 03/11/24 20:52:39
福音宣教11月号の嶋崎神父さんが書かれた投稿を読まれたし。


とおりすがり - 03/11/24 18:11:02
>イエスさまのメッセージはどこに見つかるのでしょうか? さん
確かにNCの某神父様などは、カトリックのあるメーリングリストでも、やたら権威を強調したりして、反対当事者の意見に耳をふさいでいたりしていたようですが、日本におけるカトリック教会においては、一般的にはそんなに教会法やらなんやらを重視する傾向はないと思いますよ。
ここで教会法などを引用する人たちも、切羽詰まって仕方なくしているのだと思います。普段からこう言う話ばかりしているわけではないんじゃないでしょうか。
私は他教区の信者ですので、NCについては良くわからないところもあるのですが、全否定はできないのではないでしょうかね。
日本の風土に合わなかったんじゃないですかね。他の地域では十分活躍できるところもあると思っています。


森岡 源三 - 03/11/22 21:00:00
NCの「入信のカテケ―ジス」(抜粋)から…。
“第1段階までの共同体への訪問″というカテキスタの集い(オリエンテ―ション)の中で、キコ氏とカルメンさんは次のようなことを述べています。
「一年経ったのでもう少し真面目な集いをして下さい。あなた達は細かいことを見て下さい。共同体を訪問するときはいつもケリグマを述べ伝え、また回心に呼びかける必要があります。
・・・(中略)もう一つ注意していただきたいことは、その共同体が歩き始めたときには兄弟たちの間にいろいろな問題があるのです。姦通、けんか、などなど。つまづかないで下さい。
神に感謝、こんなことは少ないけれど。男と女の間にはそのようなことはざらです。このような問題は前にもありました。いつでもあるだろう。」(後略)
…驚きの連続ですが、この分厚いカテケ―ジスの指導書が“秘密の指導書″とされている訳がなんとなく分かるような、重大な問題を投げかける口述の記録だと思います。


イエスさまのメッセージはどこに見つかるのでしょうか? - 03/11/22 10:09:51
日本のカトリックは、教会の法典、権威、規則などを重視しすぎではありませんか。それが善いことであれ、悪いことであれ、指導者に従わなければならない。
従わないと迫害され、教会の外へと排除され無視されるのです。これは、イエスさまのメッセージを自分の都合のよいように解釈している者が多いからではないでしょうか。 
△そうではなくて、キリストの福音の精神(神の国はこの世に建設することです)に戻らなくてはなりません。なぜかというと原理主義者になってしまうからです。  
† イエスさまのメッセージはいつも新鮮です。私たちの心に新風をいつも注いでくださり、回心をおこさせるものです。


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