2004.3
ご本人が見たら分かるでしょう - 04/03/27 00:42:49
ああ、成程!と思えるところがありました。教区申しませんが、新任司祭が高松にお帰りになった事情について、不審に思っていた者です。
私は求道者でしたが、とにかく、カテキズムそのもののお話より段々司祭の愚痴の聞き役化しておりました。
とにかく時間は守らないし、聖書の話をしたこととかも正直無かったです。ちょっとあまりにも司祭としてルーズが過ぎたところが気になっていました。
で、聖書解釈等々についての高いレベルのお話が信徒さんと出来なかった、とまで聞いています。
もしその司祭がその不審な運動の関係であるなら、本当にそのとき改宗(私はプロテスタントです)しなくて良かったです。危ないところを助かった、と言いますか…。
しかし、その司祭も若い方で、根っこはかなり純朴だと思います。だからそういう傾きが出たのかも知れない、もしそうであれば改心をお祈りします。
何と言いますか…サイトを読むだに泣けてしまいそうな気持ちです。
世話になった人の悪口を(言ってしまってますが)言いたくなかった、、自分の気持ちのやり場が今、本当にありません。
私としては本当にカトリックに改宗を望んでいますが、今の状況だと教会にいくのが少し怖い、どうしようかと怯えます。


なんで急に辞めるの - 04/03/25 14:11:03
昨年7月から教区事務局に勤め出したばかりのコ・ホさんの宣教家族一家が、近くスペインへ引き揚げるそうなんですが、なんで急に辞めるんですか、何か事情でもあるのですか?


† 御言葉 - 04/03/23 19:43:13
『そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。
岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を立てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった』


- 04/03/23 16:50:54
不正で設立された神学院でよい牧者が育つとは考えられません。 
また、教区の使途不明金が神学院の方に流用しているのが明確だとすれば、その時点で神学院は閉鎖するべきです。


通行人C - 04/03/23 09:18:07 電子メールアドレス:ypepito@hotmai.com
すべての信者の役務者の頭とされている人が、どうして人々が苦しんでいる組織を賞賛するのでしょうか。単なる個人的見解ではすまないと思います。
現行の中央集権的な教会組織自体に問題があると思います。多様化した現代、あらゆる問題を一極で解決しようとするところに無理があります。
初期教会の在り様に復帰すべきではないでしょうか。


海神セレス - 04/03/23 00:40:52 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
*この話は、私も元・今治小教区民(青年委員会・副委員長)なので、よく知っています。前・信徒会長の故・I氏と夫人(現・典礼委員長)から、直接、訊いています。
だから宗教法人も、官庁や企業と同様に、明朗な財務会計を実施するべきなのです!
新求道共同体側が属人区認可を取得して、財務的に高松司教区から独立していれば、一連の問題はここまで拗れませんでしたよ!同じ事を、何度も言い続けましたが・・・。


- 04/03/22 19:56:32
鹿の子さんの話で思い出しました。その今治教会の人(故人)は長い間新求道共同体の活動をして、もう責任者ぐらいの熱心な人でした。
あるとき、新求道共同体の司祭から、資金が必要なので預金している小さい手帳を全部出しなさい、と言われたそうです。
全部出すと生活に困るからと言うと、もう来なくて良いと言われ、それからこの活動から離れました。
そして、この活動はお金ばかりせびるのでダメだ、と反対にまわった人です。
そのときもう一人の責任者の立場の信者は、私はお金より大きな息子を司祭として差し出しているので、何より大きな犠牲を払っている、とお金を出すのを渋ったそうです。
こんな具合いで、新求道共同体はけしからんことを言ったり、沢山のお金を強要したりします。


鹿の子 - 04/03/22 18:13:56
たしかに、キリスト教情報サービスに以下のようなニュースが掲載されていました。
教皇、聖職者養成で『新求道共同体』に感謝 【CJC=東京】 
教皇ヨハネ・パウロ二世は3月18日、16年前に設立されたローマの『レデンプトリス・マーテル』教区立神学校の司祭、教授陣、神学生と接見、何年も前の「新たな宣教のための聖職者養成という点から見て新しく重要な経験」だったと、歓迎の意を表明した。
すでに同神学校の卒業生30人以上が世界各地の『新求道共同体』(ネオカテキュメネート)で活動している。
これを見ると、知らない人は、「新求道共同体」というのは、どんなに素晴らしいものかと思います。ヨーロッパや、ある国では、すばらしい活動をしておられるのかも知れません。
何しろ、教皇様のおすみつきなのですから… もう今は亡くなられた、今治教会のI先生も、「愛媛宣教百年史」の中で、「新求道共同体」素晴らしさを書いておられます。
だのに、高松教区の「新求道共同体」は、何故、問題を起こすのでしょうか。そして、四国の信者に受け入れられないのでしょうか。その原因を考える必要があります。
それは、司牧をする人の人間性の欠如だと思います。とくに司教を取り巻く、神父の方々の人間性の貧困です。
中世的な権威を真っ向から振りかざして、小豆島始め、四国の各地で問題を起こしています。現在は、教区への上納金の問題で、各小教区とも揺れています。
教区の会計が怪しいのです。今や、16世紀の教会が腐敗していたときの宗教改革の前夜のような感じです。
高松神学院を卒業して新居浜に赴任した司祭が平和な家族を破滅させた話など、もっと四国の信者は、発言すべきです。


反省と責任を・・・森岡 源三 - 04/03/22 14:41:11
「過去をふり返ることは 将来に対する責任を担うことです」(教皇ヨハネ・パウロU世)・・・
高松教区は今年、教区発足100周年を迎えましたが、教皇の前の言葉を踏まえて、神学院の違法な設立(建設)や相次ぐ不正な会計をきちんとただし、今こそ日本における宣教活動の原点に立ち返るべきです。
教区あげて、一連の反省と責任を負う決意がなされない限り、次の100年に向けた発展は望めず、むなしいものとなるでしょう。お祝いの行事だけに終わらせてはなりません。


- 04/03/22 11:51:13
◎教皇、聖職者養成で『新求道共同体』に感謝  
【CJC=東京】教皇ヨハネ・パウロ二世は3月18日、16年前に設立されたローマの『レデンプトリス・マーテル』教区立神学校の司祭、教授陣、神学生と接見、何年も前の「新たな宣教のための聖職者養成という点から見て新しく重要な経験」だったと、歓迎の意を表明した。
すでに同神学校の卒業生30人以上が世界各地の『新求道共同体』(ネオカテキュメネート)で活動している。 
教皇は、「あなた方の学校によってこれらの年月に生み出されたたくさんの良い果実のため神に感謝する。
また、あなたの召しが生まれ、成長した『新求道共同体』に感謝する。また、私の感謝の思いは、『新求道共同体』の創設者に対するものだ。
その幸福な直観があなたの神学校の創設を提案し、『新求道共同体』の中で、聖職と修道生活への召しを促進するために多くのことをなした」と述べた。□

御言葉 - 04/03/17 21:19:42
【行いを欠く信仰は死んだもの】 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。
そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。 
信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。


- 04/03/17 16:14:11
森岡さん自身、又彼の運動を支援する人々はどういう風に教会の歴史、又日本におけるカトリック教会の歴史に移り残るのか?
教会に奉仕をした人としてでしょうか、それとも教会に反対したものでしょうか?
今までの運動(司教を裁判までよせたことも)本当に日本のカトリック教会のためになるか?、本当に良い奉仕をしているといえるでしょうか。
それを判断するのは誰ですか?それは歴史です。“あしたになったら”すべて明らかになります。実際に教会に忠実な僕は深堀司教様か森岡氏か。


しょうゆまめ - 04/03/17 11:17:01
老信者さん、私も思いました。高松教区がなぜ赤字になっていったのか?。当然その理由があるはずです。
その部分の明解な説明はなされなくて、ただ、赤字だからたくさん納めて下さいなどと、なんてあつかましいことでしょうか、むしがよすぎるというものです。
教区責任者は昨年の裁判長の言葉をどのようにうけとっているのでしょう。高松教区の赤字は司教の失政が招いたものと私は思っています。
赤字補填は、その責任者である司教がすべきと思います。それは別として老信者さんの教会の会長さんにはいささかがっかりです。
最近ちらちらと話題になる裁判制度がもし変わり一般人も参加となるなら、気楽にあなた任せ、他人任せでなく自ら真実を見極め様とする積極性が要求されてくるのではないでしょうか。


ごもっともです! - 04/03/16 21:41:42
老信者さんはどうか分かりませんが、愛媛の信徒である私は、不正なところに維持費を払いたくありません。
今の高松教区に維持費を払わないといけないぐらいだったら、教区外に転出するか、カトリック信者を辞めたほうがましです。  
私が信者になったときは、維持費をいくら払わないといけないなどと言う事は言われなかったのですが、カトリック教会で、お金のことを言われるなんて思ってもいませんでした。
本当にカトリック教会も地に落ちたものです。


通行人C - 04/03/16 14:56:56 電子メールアドレス:ypepito@hotmai.com
老信者さんへ。教区本部を維持する為には、お金が要ります。恐らく別途に多額の収入がないでしょうから、信者さんの維持費に頼らねばならないと思います。
或る教区では、小教区の総収入(維持費と献金など)の一定パーセントを本部に納入しているようです。この場合パーセントは、全信者の合意の上で決められています。
明朗公正な手続きが必要ですが、それでも必要経費を捻出できない時は、教区の破産と言うことになります。
仕方のないことです。たとえ教区は破産しても、キリストの福音は、永遠です。


老信者より - 04/03/16 12:51:40
今、私の代わり知人に書き込みをしてもらっています。 
私の属する教会では、会長名で、高松教区の方に送らなければならない維持費が足りないので、多くの方々にたくさんの維持費を納めてくださいという内容の文書が配られました。
何か教区では赤字らしいとのことなのです。私が疑問に思うのは、どうして急に赤字になったのかということとです。
一連の高松教区の不正などを耳にしたり、会計での疑問(明確にされてない)など、一粒会の使途不明金があることなど、色々耳にしていますが、どうして先に、その疑問点を解決しないで、信徒に維持費を出すよう強制するのでしょうか?
会長さん他役員の方にも言いたいのですが、今の教会の体制は、一信徒では何も意見できないのです。もどかしさを感じています。私は年金生活者です。
これ以上維持費を上げなければならなくなると、教会に行けなくなります。他教区のみなさんどうか良い知恵をお貸し下さい。


- 04/03/13 21:25:59
『不 正 を 行 う 者 ど も 私 か ら 離 れ さ れ!』


- 04/03/13 20:54:57
ノ・ムヒョン大統領の弾劾案を可決。が一面トップに載っていた。  これを見て、日本人はどうして「NO!」といえない人種なんだろうと、悲しくなってくる。   
高松教区の司教は聖職者でありながら、犯罪を犯し続けている。罪ではない! 使途不明金が多額にあるというのは、犯罪です。
どうして文化庁が何もしないのかは不思議でなりません。 
▼『悔い改めます!』といわない深堀司教をどうして許さなければならないのでしょうか。言えない人は、悪事をし続けなければならないから言えないのです。
不正で建てられた神学院のために....。    日本のカトリックも堕落したものだ!!!!


通行人C - 04/03/12 09:38:32 電子メールアドレス:ypepito@hotmai.com
宗教家が金銭に関わるとその宗教は必ず堕落します。これ不変の真理です。イエス曰く「貧乏人はしあわせだ」


「一粒会」の規約ごり押し・・・森岡 源三 - 04/03/11 14:32:27
いまこのコメントで一口では言えない“曰く因縁”がある「一粒会」のことですが、深堀司教はこのほど開いた教区信徒協役員会に姿を見せ、過去3年がかり(「司教の裁判」をお持ちの方は関連年表をご覧下さい)で継続審議を繰り返していた同規約(案)を持ち出し、遂にごり押しで成立させてしまいました。
よく考えてみて下さい。
この「一粒会」は、あくまで教区信者の自主性を尊重した組織です。
それを司教が権威でもって「私が自由に出来る」と勝手に決め付け、結局、神学院の土地購入代に使った、と自らの日誌やウソの議事録に記録した3千万円のほか多額の使途不明金が闇の中に葬られています。
このことについて深堀司教は最後まで説明責任を果たさず、信徒の声を聞く耳を持ちませんでした。教区民を代表して選ばれた信徒協役員にも悔いが残るところで、その意味でも無責任な態度は否めません。
将来に禍根を残すこととして、遺憾千万なことなのです。


森岡 源三 - 04/03/10 14:55:11
前記のことや、深堀敏・現司教の信徒に対する人権侵害裁判などが、次期高松教区司教の選任にどう影響するのか、私は注目しているのです。


次第に減少するNCの信徒・・・森岡 源三  - 04/03/10 14:45:45
そのローマのことですが、この宣教の地の日本へNCが“土足”で入り込んで来てもう30年が過ぎましたが、NCに加わる信者が増えていません。
否,むしろ90年代初期を境に、次第に減少しています。日本では特に若者が少なく、お年寄りばかり。そのことを重大なことだと受け止めているようです。


通行人C - 04/03/09 21:57:54 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
日本司教団に最終決定権を与えない限り、問題は解決しないと考えます。何でもローマでしか決められないシステムが、ネオの問題をも泥沼に追い込んでいると思われます。


でたらめな司教を選任しないように - 04/03/09 19:37:49
<でたらめな司教>を選任しないように、と念を押しておく訳ですね。


さしずめ2本の釘 - 04/03/08 10:00:01
まず、日本の司教団(司教協議会)は、福音宣教省長官宛てに「そちらの責任である」と一筆入れておくことが肝心。信者の激減に備えて。
同時に高松教区民は、同長官に対し「たかが5千人(欧州では小教区単位ぐらい)の教区だからといって、いつまでもバカにするな」と、文書でも出しておくこと。
まあ、こんなところで釘を指しておくのはどうだろう?


通行人C - 04/03/08 09:18:28 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
「責任を明確に」さん、同感です。しかし、どのようにして実現しますか?


責任を明確に - 04/03/08 08:23:15
そいうこと。あくまで任命権者の責任を問わねばならない。
高松教区の次期司教選任もバチカンの福音宣教省に一任されたのであれば、その長官の直接の責任を明確にしておかねばならない。


通行人C - 04/03/07 21:24:32 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
結局は、任命権者の責任を問うと言うことになるのではないでしょうか。そこまで行きますか?


- 04/03/07 14:52:31
これは高松教区だけに限った事ではないでしょう。ただ、高松教区で殊に顕著だった。のではないでしょうか?
「医者を必要とするのは病人である。」という言葉がありますが、又、「医者の不養生」という言葉もあります。


司教選任で配慮すべきこと- 04/03/07 12:44:06
よくよく考えてみると、統治と自治、それが何たるかの認識が全然無い。
トップはその両者を機能的に統合させて調和を図り治める能力が求められるが、悲しいかな、高松教区のリーダーにはその資質も能力も無く、権威だけを振りかざしている。
過去の人選を反省すべきである。


キリストの道 - 04/03/03 10:56:13
キリスト時代の教会は、今のような教会ではなかったはずだ。 今の教会は組織的な教会になっていて、それぞれの立場的(司教、司祭、信者)自己主張の場となっている。
上位が下位の者を善悪に係らず支配している。 上位の者の自己満足としか思えない。本当におかしい!・・・・。
また、聖職者が管理(お金)に執着しているから、だんだん愛のない教会へとなっています。 
教会は、教皇のものでもなく、大司教のものでもなく、司教のものでもなく、神父のものでもなく、信者のものでもなく、一番へりくだったみんなの教会です。   
『《ある神父様の説教より》 教会は、組織ではなく、教えではなく、道です。その道のなかに真理と生命がある。それを見つける人はしあわせである。
真理を観想してその実を人々に伝えなければならない。 愛徳とサービスとやさしい言葉をもって伝えなければならない。 
まだキリストの愛を知らない人々にむけて宣教しなければならない。それは、信者の皆さんの使命です。・・・・・』  
† “キリストの御言葉 “私は、道・真理・生命です。”


- 04/03/03 08:59:07
04/02/26 23:46:50高松教区一信徒さま。当然ですよ。司教さまだからといって罪が無いわけないじゃないですか☆
信者でない人が信者を見て「アノ人、教会に通ってるのに罪びとだわ」って躓くのと同じことですよ。司教様とて罪びと。キリストは誰のために来たか、ってことです。
ま、でもここの掲示板では誰が何を言っても「互いに愛し合う」ということでは終わりませんけどね♪ この書き込みにもまた反論が出ますよ。
いつまでも同じとこをぐるぐるメビウスの輪のように廻るのです。


- 04/03/03 00:22:31
先日の日曜日、朝日TV番組のザ・スクープスペシャルで、「検証!警察の裏金)第2弾を放送していた。
旭川中央警察署、高知県警他全国各地で各署長の命令により、組織的に捜査費名目で利得した不適正な裏金疑惑の検証であった。
私は、今の高松教区のお金の不正を重ね合わせて見ていた。『警察の組織的違法行為があった場合、それを摘発できるのは上位の捜査機関である検察しかない。
しかし、その検察もまた、同じ十字架を背負っていたとしたら・・・』本当に検察は警察を裁けるのだろうか疑問である。全く今の高松教区の現況と同じである。  
誰が今の高松教区の不正を正すことが出来るだろうか?  その損害の補填措置を講ずべきことを求めることが出来るのは、やはり全住民であり、全教区民であると思う。
▼高松教区のズサンな経理をこれ以上野放しにしない為にも、全教区民による監査請求をすべきであると痛切に思いました。 


教区から何も伝わってこない - 04/03/02 14:09:08
東京教区の信者様。なるほど、とうなずきながら読ませていただきました。同時に、教区ニュースが毎月出て、コミュニケーションが深まることが、とても大切なことだと痛感しました。
それに比べて高松教区は????なんとも寂しい限り。四旬節だというのに何の知らせもありません。


東京教区の信者 - 04/03/02 09:53:41
東京教区ニュース3月号に新連載で『エッファタ』というコーナーが設けられていました。
読んでおりましたところ僭越ながら高松教区のことが思い浮かびましたので、少し長いですが、引用させて頂きます。
「司教・司祭・修道者・信徒は、 カトリック教会共同体を構成するメンバーの身分を表す言葉であり、 日本語として定着してしまっているが、 果たして、 これからの教会にふさわしい訳語なのだろうか
▲このままの訳だと、 「司教」 の本分は 「教えを司ること」、 「司祭」 のそれは、 「祭儀を司ること」 となる。
そもそも司教も司祭も、 その原点に遡れば、 キリストからの派遣にたどりつき、 与えられた使命は、 福音宣教である。
教えの管理者でもなければ、 祭儀を行うための存在でもないはずである
▲ 「修道者」 は、 どうだろう。 社会にキリストの息吹を吹き込もうとして多様な使徒職を展開している修道会の会員に対して、 「道を修める者」 という訳は、 誤解を与え、 「修身」 などと重なり合って堅苦しさを与える。 若者を惹きつけはしないだろう
▲ 「信徒」 という訳は、 信徒の身分にある者を侮辱するものである。 「徒労」 「徒然」 「博徒」 「生徒」 などなど、 「徒」 には 「徒歩でうしろからついてくるもの、 あまり役に立たないもの」 という意味がある。
この背後には、 聖職者中心主義のメンタリティーがある。 未だに 「信徒を子ども扱いし、 気にくわなければ叱りちらす」 司祭たちの深層に深く染み込んでしまっているものである
▲この際、 これからの教会にふさわしい信徒・司祭・司教・修道者の訳語を、 皆で検討し全面的に改めてはどうだろう (MK)」特に「「信徒」 という訳は云々」から後半の部分、貴教区の聖職者の方々がそうではないようにと祈らずにはいられません。
※管理人様、教区報からの転載ですので、著作権等で問題があるようでしたらば、削除して頂いて結構です。