Akiさんへ 嶋崎 - 04/04/29 21:48:04
海外と日本のNCの様子が違うと言うことですが、どのように違うのかを教えて頂ければ幸いに思います。そうすることによって、より一層高松教区の異常さが浮き上がってくるでしょう。
Akiさんへ・・・森岡 源三 - 04/04/29 20:31:00
ご復活おめでとうございます。Akiさんの久しぶりの書き込みを読みました。どうかROMしないで、ご自分のご意見を述べて下さい。
NCの「入信のカテケジス」につきましては英語、スペイン語、イタリア語版と共に日本語に訳したものを何回も読み返し、それをまとめてこの掲示板に書き込んでいますので、国は異なってもキコ氏とカルメンさんが口述した記録の内容に違いはないと思います。
あなたが探し求めておられる“答え”についてですが、既にお送りしている「ミレニアムの虚構」、「ドキュメント司教の裁判」、それとこの掲示板に書き込んでいるNCの「入信のカテケージス」の解説をお読みいただければ、もう十分に“答え”以上のものが引き出せるものと存じます。
それでも、と言うことでしたら直接お会いして話すしかありませんね。たってお望みとあればその機会をつくってもよいと思ったりしています。
Akiさん - 04/04/28 16:30:45 電子メールアドレス:ncw_philippines@yahoo.co.jp
匿名↓さん。ありがとうございます。6ヶ月の沈黙を破ってみたのですが、この掲示板では共同体の人間が書き込むことを嫌っておられる「匿名」野方が多いとお見受けしました。
森岡様、日向様、これがカトリックですね、日本の。残念です。自分の意見をニックネームでもハンドル名も使わない。責任を持てない、と言うことでしょう。
今日本で流行の「自己責任」論は、掲示板では通用しないんですね。ではまたROMを決め込みます。
↓ - 04/04/28 15:36:00
Aki 2003年10月3日(17:04:29)
『森岡様へ。前回の匿名の方からの書き込みがありましたので、今後は一切、私の考え方や意見はこの掲示板では開陳致しません。
宜しくご理解頂きたいと存じます。申し訳ありません。』
Akiさん - 04/04/28 13:33:09 電子メールアドレス:ncw_philippines@yahoo.co.jp
遅ればせながら、主のご復活おめでとうございます。以前何度か書き込みをしておりましたAkiさん、と申します。長らくROMしておりました。
森岡様のカテケシスに関する書き込み、またれおんさんやその他の方々に対する、NEOからの勧誘の様子などなど、興味深く拝見しておりました。
私自身海外で共同体を歩んでおりますが、あまりにも日本におけるNEOの容姿が、此方と異なっているように思います。もしそうだとしたら、非常に悲しいです。
どこで違ったのでしょうか。誤った姿で共同体が紹介され、誤解を招く形で成長を続けているとしたら、非常に悲しい事態と言わざるを得ません。
もし私の記憶違いでなければ森岡様は、以前共同体に属していらっしゃった、と伺っております。
共同体が日本に第一歩を印した後、一体どのようなカテケシスが行なわれたのでしょうか。またどのような勧誘が各教区で行なわれたのでしょうか。
国際カテキスタチームが最初に日本に到着した後、彼らが携えてきたカテキズムは、どのように日本語に訳され、実行されていったのでしょうか。
もしそこに誤った理解があったとしたら。皆様の書き込みを読むと、此方とは全く異なった活動、いや異なった共同体化しているように思えてなりません。
やはり日本は特殊なのでしょうか。ここの掲示板を最初に訪れてから、2年近く。今でもその答えを探しています。
何かこのことに関して個別に情報やお話があれば、下記私の個人メールあて、お送り下されば幸いに存じます。ncw_philippines@yahoo.co.jp
また、まだまだ未熟ですが私設掲示板もありますので、ご利用下さい。 http://groups.yahoo.co.jp/group/neocatechumenal_way/
きび - 04/04/26 10:54:12
れおんさんへ。はじめまして、求道中のきびと申します。私は昨年秋から御ミサにあずかっていますが、私も同じような経験をしました。
いきなり御ミサのあと、連絡先を書いた紙を渡され、少しお話をしましょうよとか、わからないことが多いでしょうから勉強を一緒にしませんかなどにこにこと(初対面で、それはちょっと・・・と思いました)おっしゃるのですが、丁重にお断りしました。
その後、声をかけてくる人は今のところはいませんが、注意が必要だなあと思いました。
れおんさん、大変ですね。このサイトで知れば知るほど、あやしい彼らの考え方が見えてきます。
おっしゃるように、「神様と私」を大切にしたいですね。お互いにがんばりましょうね。
共産主義者がなぜ“しるし”なのか・・・森岡 源三 - 04/04/25 21:16:35
NCの「入信のカテケージス」(抜粋)から…。
“NCのカテケージス”と称する冊子を読むほどに、どうしてこのような低劣な口述の記録を試行期間付きといえどもカテキズムとして教皇庁信徒評議会が容認したのか強い疑問を禁じえません。
同評議会の関係者がとんでもない錯覚を起しているのではないかと不思議に思うばかりです。
あのように言ったと読み返せば、別のところではこう言う、という矛盾は枚挙にいとまがありません。
既にご紹介した中でもキコ氏はカテケージスの至るところでイデオロギーの端々を介入させていることにふれましたが、このことはかつて教皇庁・教理省が歴史的な活動において忌み嫌い、厳しく禁じていることなのです。
それなのにキコ氏は、最後の方の「第1段階までの共同体への訪問」の中でカテキスタに向け、神の前で真理を語ることの大切さを説いたあと次のように語っているのは驚きです。
「真理を語るのはまことの自由の実です。
例えば共産主義者が人々の前に立っておそれなしに不正をあばくのを見ると、私たちはそれに感心して、やはりこの人たちは国民を愛している。
貧しい人々を守るために刑務所に入れられることをおそれていません。真理を語るためにいのちをかける人はいつも人々にとってしるしになります。
この態度を取るのはのるかそるかです。それよりも顔をかくしてだまって隠れる方がずっと簡単です。」
カトリックにおいて“信仰の証し人”を紹介するなら事欠くことがないというのに、カテキズムの中で、なんで共産主義者を“しるし”として登場させる意味があるのでしょうか?
ここで共産主義者が勇敢なように称える必要性があるのでしょうか?それがまるで宣教活動のお手本のように宣伝する神経が計り知れないのです。
マルキシズムに対して、何かノスタルジーのようなものを心の奥に抱いているのではないか?・・・などと穿ったことを言う人もいますが、果たしてどうなのでしょうか?
責任ある立場の教皇庁信徒評議会は徹底的に検証すべき事柄だと思います。
れおん - 04/04/24 17:54:47
私は今求道中なのですが、今回このページになぜ興味を持ったのかというと、私が要理の勉強をしている教会内に「新求道共同体」が属しているからです。
同一教会内に二つの共同体があるといったカンジでしょうか・・・・まさに「一本釣り」状態で、教会に踏み込んだばかりの人たちを狙い、勉強会に参加しませんか?と誘っています。
前司祭は着任早々「新求道共同体の活動には一切関わらない」姿勢を貫き「勧誘、布教活動も教会内では認めない」としていました。
が、新司祭になってからは、司祭が慣れる前に一気に増やして行こうと、教会内での活動が激しくなり、私たち求道者も狙っています。
このページからも、私なりに貴重な情報を得る事が出来ました。まずは、「神様対わたし」が一番。教えを学び、周りの事に気をとられる事のない様に、日々努力をしようと思います。
喜びの少ない復活祭 - 04/04/23 08:35:26
今年の御復活は、教会にお祝いに来た人が激減したように思います。どの教会も少なかったと聞きます。どうしてでしょう?
この原因が、今の高松教区の現状以外何が考えられますか?
現高松教区の司教が、不正で建設した神学院を皮切りに、疑問を投げかけた信徒に対し、対話をしないで名誉を傷つけ、その神学院を維持するために、多額の不明金を出している。この責任が教区の長である司教になく、だれにあるというのですか?
その取り巻きの方たちも責任があると思いますが、一番の原因は司教です。
日本は先進国でお金が有り余ってると思いがちですが、現在、多くの者が生活に負われている毎日だと思います。教会に維持費を捻出するのは大変なことです。
その会計の不明金があるなどということは許されるべきではありません。
また、このネオの問題で多くの兄弟、姉妹たちが教会から離れている現状を日本の司教団は真剣に考えるべきです。
- 04/04/23 00:58:12
高松司教様は多分そんなに不正な司教様ではないかな。。。。
- 04/04/23 00:51:05
日本の司教団は何も出来ない、何でだろうか?
日本の司教団へ - 04/04/22 21:18:44
この不正だらけの高松教区の司教をいつ辞めさせるのですか! 不正で建てられた神学院をいつ閉鎖するのですか! もう限界です!
活動拠点が貧民街からなぜローマに・・・森岡 源三 - 04/04/14 15:03:55
NCの「入信のカテケージス」(抜粋)から…。“NCのカテケージス”と称する分厚い冊子を何度も繰り返し読んでいますが、その冒頭でまたも躓いてしまいました。
キコ氏とカルメンさんは、その第1番目の「紹介のカテケジス」の中で「パロメラスというマドリッド郊外の部落(貧民街)に与えられた恵みはこれでした。
生きているイエズス・キリストを貧しい人たちに紹介することの出来るカテケジスのまとめがここに生まれたのです」と、微に入り細にわたり説明しています。
そして「この(NC)の道は、貧しい人たちによって与えられた神の贈りものであり、恵みです」と述べ、「誰にも何も頼まないで、貧乏人の中で生活する」と、貧しさの中で福音宣教する決意を熱っぽく表明しています。
ところが、この街で暮らしたのはわずかに3年程度だというのです。その後キコ氏とカルメンさんは2人そろってパロメラスの貧民街を離れ、NCの活動拠点を、全てに恵まれて豊かなローマの中心部に移してしまったのです。
その理由について2人は、後に続くカテケージスの中でも明らかにしてはいないようです。なぜなのか? 疑問を抱き、大きな躓きとなったのはこのことでした。
「愚かな人、馬鹿な人、狂った人、低能者、変人、酔っぱらい、アウトローなどの集まりを共同体であると考え…喜びに溢れて…」
(キコ氏とカルメンさんの話)という生活。そこから数年で逃げ出したというNCの創立者が受けたカリスマとは、一体、どういうものなのでしょうか?
「そのカリスマによって生きる」とは、どういうことなのでしょうか?
そういえば日本におけるNCの活動のカテゴリーに“貧しさの中に生きる”姿はなく、「貧しい人たちに紹介するカテケジス」の実践はどこにも見当たりません。
“貧しい人たちによって与えられた神の贈りもの”どころか、ささやかに生きるお年寄りの年金や死者の香典をせがんだり、教区民から集めた2千万、3千万円単位に及ぶ献金の使い道が分からなくなるほどルーズだったりetc・・・なんとも皮肉な現象が浮き彫りになっているのです。
教皇庁の信徒評議会議長や福音宣教省長官は、特にこれらの現実をしっかり認識しておくべきだと思います。
祝・ご復活 - 04/04/11 12:05:48
ご復活おめでとうございます。明るいあしたに向かって、復活されたキリストと共に力を合わせ働きましょう。