2004.5

嶋崎 - 04/05/31 20:18:08
ホームページアドレス:http://www.geocities.jp/hs_ocd/ 電子メールアドレス:pax@inter7.jp
新求道共同体の活動について、東京教区は、1993年に、小教区の主任司祭及び、教区長の許可が必要であるとしています。
しかし、どうも実際的には地下に潜って活動をしている節が見受けられます。
今たしかな資料が手元にないのではっきりしたことは言えないのですが、たしか国際宣教神学院だよりの中に、各地に共同体があるようなことがあったと思います。
これは、小教区を使わないで、非公認、非公式に行っているグループだと思われます。
たしかに公にやっていなければ、教区長の許可はいらないかもしれませんが、問題行動だと思います。同じことは、教皇様のお墨付きのあるオプスデイも行っています。
この二つのグループの共通点は、当地の主任司祭、教区長の勧めに従わず、自分たちのグループの指導者に従うものです。これで、教会一致などできるのでしょうか?

03/09/23 22:48:51 - 04/05/31 16:30:25
〜貴方は、世界で正当に評価されている宗教グループだと仰られていますけれど、当該共同体が非難されているのは日本だけじゃないでしょ?
それならなぜ、海外に幾多の当該共同体を非難するサイトが存在するのでしょうか?
世界で正当に評価されている宗教グループであれば、そのようなサイトが存在すること自体、おかしいのではないでしょうか?〜


フィリピン在住AKI - 04/05/31 14:43:52 電子メールアドレス:ncw_philippines@yahoo.co.jp
久しぶりに投稿します。フィリピン在住AKI(今後このハンドル名を使用します)と申します。
ちょっと長いのですが、嶋崎神父様の5月16日付け投稿では、奈良の大和郡山教会(京都教区)にて新求道共同体の集いがスタートする、との情報でした。
私にとっては嬉しい情報でしたが、高松教区民Cさんの5月29日付け投稿では、>>大和郡山教会のことだが、あそこはもう古いよ。関西で一番早かったぐらいと思う。
・・・(中略)・・・もちろん京都の司教さんは認めていないことは確かだね。>>とのレスがありました。
私が知る限りでは、また森岡さまがこの掲示板の中で、新求道共同体の規約を折に触れて解説していらっしゃいますが、その中に司教様の同意を得る必要性が説かれていると思いますし、私も規約(英文ですが)を読んでそのように理解しています。
実際こちらでは、カテキスタたちが宣教(エバンジェリゼーション)集会を他の教区のとある小教区で開始する場合、まずその小教区を管轄する教区の司教様に対して、その集会を希望する小教区(当然その小教区の主任司祭様がまず、その国のカテキスタチーム責任者(通常インターナショナルカテキスタ[海外の共同体から派遣されるその宣教を行う国での総責任者]と呼ばれる信徒か、その責任を預かる神父様)にコンタクトをとって、小教区内での新求道共同体の活動開始を、希望していることが前提ですが)での活動に対して、または宣教集会をその教区管轄内の小教区で開始したい旨を前もってお知らせし、司教様の判断を仰ぎその許可を求めています。
当然司教様が反対される限り、カテキスタたちはその司教区内のどの小教区においても、活動を開始することは許されていません。
しかし、嶋崎神父様の投稿とそれに対するレスを見る限り、日本においての宣教集会というものは司教様の許可を得る必要もなく、若しくは、暗黙の了解?の内に開始されているように理解するしかないのですが、そうなのでしょうか?
日本では新求道共同体の活動を認めている教区は16教区の内、高松教区ともう一つ(新潟教区だったと思いますが、もし間違っていたらご指摘を)あるのみ、とこの掲示板でのやり取りで理解していますが。その辺り現実はどうなのでしょうか。
もしそれが本当だとしたら、日本での実施方法が他の国とは異なっている、そのような独自な活動方針が過去30年以上続き、また一昨年5年間の試行期間のもとで承認された会則に対する、不用意な不従順としか言えないのですが。
その様なもろもろの日本と言う未開の宣教地での独自性が、同じ道を歩む、同じ国の者としてとても心配です。


通行人C - 04/05/31 10:05:40 電子メールアドレス:ypepito@hotmai.com
そのためには、先ず教会制度そのものの抜本的見直しが必要だと思います。
一番無力の信者の基本的人権がしっかり守られる制度がない限り、NCにまつわる問題の解決は無理のように思えます。


- 04/05/30 19:58:15
ネオの活動の封じ込めはできないもんでしょうか?
小教区においてネオの活動があるからこそすったもんだあるわけですから、ネオの小教区を新たに創設し、教区内においてネオの活動はそこだけにしたらいいんじゃないでしょうか?


高松教区民C - 04/05/29 09:10:26
わたしたちの教会も熱心なネオ信者が、そうだね、正確には12人ぐらいいるのかね。16日の主日に主なメンバーはほとんど来てなかった。次の23日は来てたようだけど。
大和郡山教会のことだが、あそこはもう古いよ。関西で一番早かったぐらいと思う。だが、水曜日のほかには土曜日でなく、日曜日とは、うん、ちょっと分からないね。
もちろん京都の司教さんは認めていないことは確かだね。


高松教区民 - 04/05/29 08:36:32
次期司教様に溝部司教様が選任されたと言う良い知らせがもたらされた翌日の5月16日の日曜のミサに、ネオの方たちは誰も参加しませんでした。
やはり日本の一般の方たちから見て、新興宗教と言われても仕方ないのでは!


ゆりこ - 04/05/29 00:08:26
彼らの集会が日曜日って言うのは珍しいですね。普通水・土なのに。何か特別な理由でもあるのでしょうか?土曜日の集会が彼らの「命」って聞いたことがあります。
にしても、故郷の奈良県へネオカテが入り込もうとしているのはちょっとショックです。


嶋崎 - 04/05/26 20:12:06 ホームページアドレス:http://www.geocities.jp/hs_ocd/ 電子メールアドレス:pax@inter7.jp
今日、修道院宛に、奈良の大和郡山教会(京都教区)より、新求道共同体の集いをするので、祈って欲しい旨のお知らせが来ました。
とうとう京都教区にも進入をはかろうとしているみたいです。 ちなみに開催日時は以下の通りです。 
5月26日から二ヶ月の予定 水曜日:19:30〜21:00 日曜日:16:00〜17:30


- 04/05/25 02:16:51
仙台教区の信徒様のご意見を読んで、溝部司教様が仙台でよい働きをされていたのだと思いました。それだからこそ、問題の多い高松教区に派遣されたのだと思います。
確かに長年にわたって混乱し続けてきたところを立て直すのは容易なことではないし、祈りだけでない信徒の協力と新たな忍耐が不可欠だと思います。
私は「他の地域」の信徒です。混乱は長く尾を引きます。よく2つに分裂すると言いますが、新求道共同体は一枚岩です。それ以外の信徒の間で別の分裂も起こります。
年月それも、2年3年ではなく、10年20年の単位をかけて境界線をぼかし、うまく付き合っていくことはできるかもしれませんが、本当に一致することなどできないと思います。
彼らが熱心なのは認めます。私の小教区は小さいので、彼らと協力しなければ行事が成立しません。そこは割り切って行動しています。
私達自身のためではなく、たとえばバザーなどは助けを必要としている人のためなわけですから。
司祭の尽力で何とかうまく回りかけていても、ちょっとしたきっかけがあれば、あっという間に元の木阿弥になります。
良かれと思って一緒に協力しようとしても、彼らにとっては迫害、強制に過ぎなかったと言うことも体験しました。そんなに生易しいものではありません。
こんな気持ちでご聖体をいただくのはどうかと思いながら、ごミサにあずかることも度々あります。それでも教会を離れたくないので、通い続けています。
だから高松の皆さんのご苦労がよくわかります。教区ごと混乱しているのですから。新しい司教様が高松にいらっしゃると知ったとき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
私は「他の地域」から祈るだけで申し訳ないのですが、溝部司教様と教区の方々の為にとって、良い方向に進むように心からお祈りします。


M - 04/05/24 23:42:27
私も仙台教区の信徒です。溝部司教様が他の教区に異動になることを知り、がっかりしています。高松教区の皆様、司教様のためにお力をお貸しください。


仙台教区信徒より - 04/05/24 10:54:05
今回の溝部司教様の異動にあたり、こちらのHPを初めて読ませて頂きました。高松教区信徒の皆様が長い間ご苦労なさってきた事がわかりました。
確かに御ミサの在り方からなにから、かなり問題のある共同体のように見受けられます。
ただ、教皇様から「新求道共同体を全司教に推奨する書簡」が出ている等の内容を他のHPで見ました。と言う事は、教皇庁はこの共同体をカトリックの正当な一共同体として認めているという事ですよね?
そしてこの共同体がある他の地域では何らの問題も起きていない…という事なんでしょうか?
それにこの「国際宣教神学校」なるもの、もう既に開校し、今現在も神学生が在校してるということですよね?
今のその現状を司教様の交替だけで大きく変えられる訳ではないと思います。
皆さんは長い間のご苦労があるので今回の溝部司教様の赴任に多大な期待を寄せていらっしゃるようですが。
司教様のが替わればなんとかなるのでは?とか、新司教様は何か偉大な事をしてくださるのでは?という思いが見受けられますが、司教様お一人に下駄を預けるのではなく、信徒の皆さんも司教様にお力をお貸し下さい。
信徒の皆さんが一丸となって司教様をもり立てて下さい。溝部司教様は仙台教区でも本当に信徒から慕われていらっしゃいます。
「召される所には何処にでも」というのが司祭職の方々の使命なのでしょうが、私個人としては、仙台に赴任してやっと慣れていらっしゃったばかりなのに、今度は問題の山積している所へ赴任なさる司教様を思うと本当に胸が痛みます。
どうか高松教区の皆さん、溝部司教様にお力をお貸し下さい。溝部司教様、高松教区信徒の皆さんに神の恵みがありますように、切にお祈りしております。

- 04/05/20 19:29:51
少なくともネオ系の司教の出現を阻めたこと。それが最大の成果ではないでしょうか?
それはこのサイトの支持者が切実な声をバチカンや司教団に伝え続けたことによることだとおもいます。


他の高松教区民より - 04/05/20 13:45:30
深堀前司教に教区の維持費負担額の改正に伴う疑問を、小教区から投げかけたところ、あいまいな返事。再度投げかけても何ら返事も返ってきていないと聞いています。
維持費負担額の改正を、せざるを得なくなった理由に、やはり神学院が影響していると、高松の教区民だと誰でも考えているのではないでしょうか?
本当に隠ぺい工作をして流用したのであれば、先に書き込みした方と同じで、とても水に流せることではなく、とても重大なことであるし、責任の所在を明らかにしないといけないことだと思います。


高松教区一信徒より - 04/05/20 10:43:59
待ちに待った新しい司教様がやっと決まりました。....でも、ちょっと気になることがあります。    
森岡さんは、前の深堀司教さん(今はもう教区責任者だそうですが)の人権侵害裁判が終わってからも、神学院設立と建設を無効にする裁判(?)のこと、また教区会計資料(決算書類他)を改ざん、隠ぺいしたことについて問題にされているとか、小耳にはさんだのですが、森岡さんはこれからどのようになさるのでしょうか? 
詳しい内容は分からないのですが、司教さんが代わったからといって水に流せる問題ではなく、将来に尾を引く、とても重大なことのように思います。.........


通行人C - 04/05/20 10:35:13電子メールアドレス:ypepito@hotmai.com
通行人Cの荒御霊がおらんでいる→ http://www.aspiro.sytes.net/cgi-bin/bbs/cjml/test/read.cgi/cjml/


栗林 孝充 - 04/05/18 23:11:20
お久しぶりです。みなさまお元気でお過ごしでいらっしゃいますか。さて、新しい司教様が赴任なさるとのこと、聖ドミニコ信徒会のみなさまからご連絡をいただきました。
ありがとうございました。 このサイトのご投稿、何日か前にごとうこうなされていらっしゃる中に、『議論の主題が分からなくなってきている。』というご指摘がございました。
確かに、おっしゃるところの難しさは、この問題が議論され始めた当初から、はらんでいた問題だと思います。
今回の問題の難しさは、カトリック高松教区という組織が、宗教的指導の側面と同時に、組織運営という法務的、財務的な側面を有しているというところが故に孕む問題だということが出来ます。
当然、宗教的側面から考察すれば、裁判判決後、森岡さんをはじめ、多くのみなさまが懸念なさっているような、新求道共同体の特異性が起因になっていることも、決し見過すことは出来ないものだと思います。
今回新しい司教様を迎えるにあたり、この、宗教法人であるが故に発生する二つの側面を明確に区分した上で、例えば、代表役員たる司教様が交代なさった時点での財務諸表等を精査し、これからの高松教区の運営に際し、懸念される諸条件…この場合には、特に財務上の問題点になろうと思いますが…を、全て開示し、再検討なさることがよろしいのではないでしょうか。
この裁判とその経過が白日の下に晒したのは、かつてのカトリック教会と我々が生きる現代の社会とが、同時に過渡的状況にあるが故に失われて行く村落共同体的な幻想と記憶にすがる年長世代の「実存の問題」…司祭の数が減っていることは、紛れも無い事実です…と新しい社会的規範を求める潮流…恐らく、これがどのような「新しいカトリック教会」であるかが、明白であれば困難さは一気に減るのですが…の二つが混同されて存在している実態のみならず、これから我々が向かうであろう成熟した社会、この二つの実態が、成熟した社会を存続させて行く上でも大きく関わってくる「神学的な問題」をも解決する糸口を、我々カトリックの信徒が担うかもしれないと、私自身は思っているのです。
だからこそ、今、私たちが生きる社会のあちらこちらで起こっている問題の多くが「パブリック=公の概念」の欠如が故に起こっているのではないでしょうか。
新しい時代を迎える「カトリック高松司教区」が、私たちが生きる、次の時代の社会の模範になり得ると、私は信じてやみません。 長くなりましたが、以上、私の拙い祈りとして…。


ひとりごと - 04/05/17 13:54:52
ですから、自分でしでかしたことの尻拭いも出来ないで去ることの罪は際限なく大きいことなんです。後任司教はそれだけ大変なことなんです。


ゆりこ - 04/05/17 12:30:00
新しい司教様がおいでになることは、大変喜ばしいことと思います。ただ、この大きな問題についてどういうお考えをお持ちなのでしょうか。
このサイトの支持者が望む方向に変化するにしても、また大変な混乱に陥るのではないかと懸念しています。
良い方向への混乱なら、希望を持って忍耐することができますが、相当の年月がかかることは、覚悟しなければなりません。
溝部新司教様は、新求道共同体のことをご承知の上で、この度の人事をお受けくださったのだと思いますので、何らかの方向を示してくださるものと期待してます。


パッション - 04/05/16 19:48:12
溝部司教様の異動には大変驚いたとともに、その任の重さを考えると、他に居なかったのか?という思いと溝部司教様ならという複雑な思いにかられる。
司教様は、大分教区の司祭として多大な功績を残され、今も慕う人が多い。
単にネオ反対、擁護という白か黒かという視点ではなく、何が大切にされなければならないかを十分に知っておられる方だと言うことだけは確かです。
高松で偉大なことを成し遂げられるようにお祈りいたします。


嶋崎 - 04/05/15 13:20:21ホームページアドレス:http://www.geocities.jp/hs_ocd/ 電子メールアドレス:pax@inter7.jp
司教様が替わることは、歓迎すべきことです。しかし、溝部新司教様が、NCに対してどのような見解を持っているのかがわからないのが、一番心配となるところです。
ただ、バチカンの意向としては、司教定年の75歳までの間に事態を収拾して欲しいとの希望を持っているのではないかと思います。
それは、新潟教区のNC擁護派の佐藤司教に替わり、神言会の管区長菊地神父様がなられたことからも推測されます。


桑 栄一 - 04/05/15 06:53:40 ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/4453/ 電子メールアドレス:kuwa-ei@js6.so-net.ne.jp
那覇教区ニュース速報にある溝部脩司教略歴の中の、生年月日1935(昭和15)年は、(昭和10)の誤りです。高松教区を主が顧みて下さったことを思い、賛美。


あしたに向かって - 04/05/15 03:01:22
この度、高松教区の次期司教に溝部司教が選任されましたことに心から感謝いたします。
ご選任くださいました教皇ヨハネ・パウロ2世に、この大役をお引き受けくださいました溝部脩司教に、選任に当たりお働きくださいました日本司教団に、仙台教区の全信徒のみなさまに、そして長年に渡りまして、このホームページをご覧くださり、ご協力くださいましたみなさまに、そして私たちを陰にひなたに応援くださいましたすべてのみなさまに、改めて御礼申し上げます。


あしたに向かって - 04/05/14 19:49:01
<速報>みなさまに、お知らせいたします。
私たちが待ちに待った知らせが今日もたらされました。教皇様は、きょう5月14日(日本時間午後7時)高松教区と新潟教区に新しい司教を任命したことを発表されました。
高松教区には、仙台教区の溝部脩司教が選任。新潟教区には、神言修道会の管区長・菊地功神父がそれぞれ選任されました。


- 04/05/14 19:22:46
たまげた!!!これは本当のことか http://www.naha.catholic.jp/New%20News.html
那覇教区のサイトですから本当だと思うが、まだ溝部司教様が司祭のころ「新求道共同体をどう思われますか?」とお聞きしたところはっきりとした答えが返ってきました。
この場では言いませんが、これからの高松がどうなるか・・・・

ある神父様の説教より - 04/05/09 12:23:05
大量破壊兵器保有を理由に戦争を起こした国が、多くの一般人の犠牲者が増えると、“テロには屈しない”という理由にすり替え、戦争をし続けている。
また、HIV訴訟の裁判も、被告の痴呆を理由に、真実が明かにされないまま迷宮入りになろうとしている。どちらもいまだに多くの人々が苦しんでいます。
最も小さなものが犠牲になり続けているのです。なぜ真実を知ろうとするのに時間がかかり過ぎるのでしょうか。   
イエスは『世を生かすため』のパンを与えると言っています。身近な問題や、社会の問題を私は関心をもって聞いていたでしょうか。 
それらにイエスのパンを生かしていたでしょうか。......“わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである”  
わたしがいただいているパンは、聖体によって、また日常の糧によって、“世を生かす”ものになっているのでしょうかと思うと、“ハッ”とします。
しかもミサへの参加がマンネリ化し、食事も美食が当たり前になってしまった中で、“世を生かすため”に“自分の肉”を寄与するほど、捨て身で物事に当たっていません。
このままではいけません。  
わたしたちはもっと目を開いて、地球家族の痛みと欠けたところを知り、共に感じましょう。そして、足元にいる“最も小さいもの”に気付きましょう。.....
身近な人々と共にいながら、同時に遠くにいる地球家族の人々に心を合わせて何かを始めましょう。   
† これはわたしたちの主が十字架をとおしてくださった“世を生かすパン”の力です。    
※ ←説教をして下さった神父様の言葉を私なりに解釈したものです....神父様に失礼とは思いましたが書き込みをさせていただきました。 
現在の高松教区内にもこのような生きた説教をされる神父様がいらっしゃるということで、私は勇気をいただきました。


にわかづくりの規約 - 04/05/09 09:37:31
日本の政府も年金制度改革関連法案を通すため、国会議員らによる国民年金保険料未納をしている議員の公開を故意に後らせたことが大きな問題になっている。
議員には、議員年金というものがあり、何ら痛みを伴わない問題かもしれないが、一国民にすれば死活問題となる法案である。  
△ 教皇庁・信徒評議会教令でNCの規約を認可(試行期間付き)したのも、一信徒の立場に立ち返り審議された規約でないから、NCの問題が、ここまで日本カトリックの歴史に大きな傷跡を残したのではないだろうか?  
▲ NCの問題は、カトリック教会の指導者がもっと真剣に考えなければいけない問題である。 


最近の紙面より - 04/05/08 22:40:16
イラクの拉致事件で拉致された3人に対する日本人の対応に対し、ある国の記者が、“日本はまだまだ封建的”と言った言葉がとても印象的であった。   
何年かまえ、私が信者になる決心をし“カトリック信者になる”と友達に言ったとき、新興宗教に入るような言い方をされたのを思い出した。
日本では牧師と神父の違いも区別がつかない者も多くいる。  
NCの神父の活動を見ればなおさら、新興宗教?と思う人間が日本では多く出るのではないだろうか。
これから信者になりたいと思う人達に対しても大きな躓きとなるのではないだろうか。トップ権階級の人達にもっと日本の実情を真剣に考えてもらいたい。


狂った原点・・・森岡 源三  - 04/05/05 14:03:05
何ごとも検証するためには"原点に返る”ことが基本だと言われますが、NCが日本に進出した時点の大きな過ち・大きな狂い、それは日本カトリック司教協議会及び司教区を飛び越えて、いきなり小教区に入っていったことにあると、私は最初からその重大な問題の根の深さを指摘し続けているのです。
ボタンの掛け違いはここから始まりました。何の規範も持たずに"奇襲"したのですから、それはひどい話です。
当時の司教協議会の責任者が、NCのリーダー(旅人カテキスタチーム)にいくら忠告しても彼らは耳を貸しませんでした
(私の手元に当時の責任者たちがやり取りした書簡などがあります)。
こうして司教・司祭たちとの間で、さらには信徒たちの間で、消すに消せない傷口を抉り取るように広げていったのです。
果てには私たちの高松教区を、このように狂わせてしまいました。
     その後、教皇庁・信徒評議会教令でNCの規約を認可(試行期間付き)してからもご覧の通りです。
自らつくった規約のひとつすら守れないNCの独特な体質は、特に日本の文化・風土に到底なじめるものではありません。
日本のそれぞれの教区でその規約が守られていない現実は、深堀司教の人権侵害裁判のさなか、にわかづくりの規約を認可した教皇庁・信徒評議会議長や同・福音宣教省長官に進言している(この掲示板に書き込み)通りです。


嶋崎 - 04/05/04 20:55:26
AKIさん、貴重な投稿ありがとうございます。日本のNCの人たちは、こちらから問いかけてもごまかしと逃げの一手で真正面から討議になることはありません。
(特に谷口神父)その点で、いろいろと投稿してくださることはうれしいことです。
この投稿だけでも日本とフィリピンのNCに大きな違いがあると思います。
日本のNCの神学校は、満足な神学教育を受けず、ほとんどつけ刃の状態(年間を通しての教育ではなく、集中講義方式をとっています。
また教授陣たちも常勤ではなく非常勤の教授がイタリア語で従業を行い、ある時にはそこに神学生のためにスペイン語の通訳も入ったりしているとのことです。)、であると同時に他の神学校との交流や日本文化との交流に関してはかなり劣っています。
このような状態では、満足のいく神学教育が行われないばかりか、神学生に対する識別も不足し、よく噂される司祭としての適性に欠けるのではないかと思われる司祭が存在してしまうのです。ですので、もっとフィリピンの状況をお知らせ頂くことによって、より、高松教区でおこっていることの無謀さ、矛盾等が浮き彫りになっていくと思います。


AKIさん - 04/05/04 18:02:43 電子メールアドレス:ncw_philippines@yahoo.co.jp
ネオの方へ - 04/05/02 18:51:35さんへ。(長文です。ご注意)申し訳ありません。
私はカテキスタではありませんので、森岡様が指摘されている問題に対して、責任のある説明をする立場にはありません。
カテケシスを受ける側の共同体のメンバーに過ぎません。しかし、森岡様の暖かい励ましの言葉もありましたので、取り敢えずROMしないようにしたいと思います。
まだまだ自分自身の偽善者ぶりや、判っている、意識していないに拘わらず、日々犯す「罪」の多さに躓きながら、道を歩んでいる者として、私の考えや日本とこちらでのカテケシス(あくまでも私自身が受け、理解したものについてであり、カテケシスそのものの判断ではないことを、ご理解下さい。)との相違点や、過去私が共同体副責任者として参加した、待降節の前、大体9月下旬から10月上旬頃、毎年開催される2泊3日の地域共同体責任者観想黙想会(リージョナル・コンビベンスとこちらでは呼びますが)でのカテケシス(ここで受けたカテケシスを各共同体に持ち帰り、大体11月頃各共同体それぞれが、2泊3日の観想黙想会において、メンバーに対して受け取ったカテケシスを伝えます。
これをエコー・コンビベンスと呼んでいます。)など、機会あればお伝えしたいと思います。そうしていくことによって、少しでも両者の誤解が解消し、立ちはだかる溝が埋まっていくことを、期待したいです。まず、日本では問題の中心となっている神学校について少し。
こちらマニラでもレデンプトリスマター・ミッショナリー神学校が1996年、マニラ大司教区のもとに設立されていますが、私の知る限りでは、その設立は当時のマニラ大司教区枢機卿(シン枢機卿。昨年引退され、現在ロサレス大司教(前バタンガス州リパ司教区)がその職にあります)がローマの神学校本部の要請を受け入れ、借家住まいでスタート。
場所は2度ほど変わっていますが、現在もマニラ首都圏サンファン町の一角での借家住まいであることには変わりありません(設立後3−4年経った頃、大司教区をはじめマニラの各共同体に対して、神学校のための永久的な場所の提供についての協力を求めていますが、未だ場所の選定や提供は定まっていません)。
またその当時の設立に伴う費用(賃貸契約、改装費、修繕費など)やその後の運営費(賃貸料、日常経費、教育費など)の賄いは、すべで寄付に拠っていると、聞いています。
その中には財界や政界の人たちからの寄付も含まれ、大司教区からの経費補助は極めて小さいと思います(実情の詳細は知る立場にありませんので、些か無責任ですが不明です)。
現在はフィリピンをはじめ、チリ、アルゼンチンなどからの神学生が約25名学んでいます。
運営費や神学生の教育費(神学や哲学、語学やその他司祭職に必要となる教養を身につけるため、マニラ市内の幾つかのカトリック系大学で授業を受けています)について、フィリピンの各共同体に対して寄付の依頼や、賛助者の紹介依頼などが寄せられることもあります。
また大司教区立の他の神学校や修道会付きの神学校とも交流があるとも聞いています。
ですから私の見る限りこちらの神学校は、日本とは随分と異なった設立環境、運営状況にあると言えると思います。長くなりました。また機会を改めて。


ネオの方へ - 04/05/02 18:51:35
森岡さまが指摘されているネオのカテケージスの問題点はそのとおりであると思いますし、また、キコ氏の口述記録にしても、事実であることには間違いないものと思いますが、今でも、キコ氏が「そのように」考えているかどうかは分からないのでは?
その点、どうなのか?キコ氏自身やネオのカテキスタが弁明すべきことではないでしょうか?AKIさんあたりが、森岡さんが示している問題点につき、説明すべきことでは?


嶋崎 - 04/05/01 08:56:08
NCの問題が大きくなったのは、裁判のためではありません。裁判によって、多くの人がこの問題を知ることになっただけです。
森岡さんが裁判をしたのは、NCの問題をいろいろと教区と話し合う中で、教区の対応が誠実でなかったために名誉毀損という裁判を起こしたのだという認識を持っています。
また、たしかにNCはバチカンによって認められていますが、認められていることと、何をやっても良いこととは別問題です。
バチカンによって認められているからこそ、もっと福音的に活動をすべきです。NCについては、昨年の「福音宣教」6月号で新潟教区の佐藤司教が擁護した発言をしています。
その発言に対してのわたしの意見が同じく昨年の「福音宣教」11月号に出ています。
もし、手元になければ、わたしのホームページに、削除された部分を含めたノーカット版でupしていますので、見てみてください。
少しは、問題の整理ができるのではないでしょうか? http://www.geocities.jp/hs_ocd/


あしたに向かって - 04/05/01 02:48:27
なぜ、裁判が起こされたという背景が大切です。
高松教区で、教区財政の中から新求道共同体という特別な共同体のためだけに、多額のお金が使用されたのではないか?ということなのです。
それが新求道共同体の体質や、活動から派生したものであるということを証明するために、裁判が起こされたのだということを、理解していただきたいと思います。
他の教区の財政内容と質が違うのです。