2004.7

栗林 孝充 - 04/07/31 23:59:25
04/07/30 00:11:10にご投稿いただいた方へ…。
なるほど、おっしゃるところの『カトリックの構造自体の重大な欠陥』というのは、素晴らしいご炯眼だと思います。
その通りかもしれません。この点を、私なりに考えてみました。
今、私たちは、あふれんばかりの食料や、モノや、商品に囲まれて暮らしています。
それが私たちの求めた「幸福」だったのかもしれません。
でもこれだけで、私たちが本当に幸福になったのかと聞かれると、自信がありません。沢山のモノに囲まれ、苦しみから遠ざかり、安定した生活を手に入れ、気持ちのよいことをたくさん経験できるようになったのに、心の底にはぽっかりと空洞があいているような感じです。
気持ちいいのだけれども、「よろこび」が感じられないというのでしょうか…。
これこそが、現代を生きる私たちの心象風景なのかもしれません。
では、こんなことが教会の中で起きているとしたら、どうでしょう?
本来ならば、心の底からの「喜び」を感じることが出来るはずの教会で、心の空白を埋めることが出来ない…、これは、辛いですね。
でも、本当は誰もが、心のどこかで、このことに薄々気づいているんだと思うんです。
しかし、そのことを考えはじめると、なにか怖くなってしまう…、口に出すこともはばかられる…。
足元が崩れていってしまうような気がして、不安になる。だから、人々 はそこから目をそらそうとしてしまうのです。
これでは良い方向に向かうことは出来ません。
幸か不幸か、この社会には、目をそらすためのツールがたくさん用意されています。
手元にあるテレビのスイッチをつけてお笑い番組に没頭しても良いし、様々な娯楽にひたって自分を忘れることができるでしょう。
でも、教会で感じた心の空白はどのようにして埋めたら良いのでしょう?
この大きな問題に対して、私たちは私たち自身を眠らせて、大事な問題を考えないようにしてきました。
それとひきかえに「何となく」居心地の良い空間を教会の中に作ってきたのではないでしょうか?
今回の裁判、そしてそれに伴う様々な苦痛は、多くの人々を苦しめ、そして多くの人を傷つけたと思うのです。
だから、この苦痛と痛みから目覚めることも可能です。
多くの方々が、今、私たちを取り囲んでいる「教会」の中に潜んでいる「なぜ?」と思うことに敏感であれば、きっと何時の日か…、そしてそれは決して遠くない日に、自分たちが本当に生きていくための喜びを見出すことが出来る教会に作り上げることが出来ると思います。
その点では、「新求道共同体」の皆さんも、この改革を実践なさったのかもしれません。
だから、私は裁判の審理中も皆様方に対する姿勢を首尾一貫、反対でもなければ賛成でもないとしたのです。
ただ、多くの間違いは間違いとして見詰めて、改めていかなければならないと思います。
それと同時に、その深意を多くの人に理解してもらうためには、やはり対話が必要だと思うのです。
決してご自分たちだけのサークルを作って、閉鎖的になることではないと私は思います。
構造的な、システム上の問題だから解決は困難だとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
でも、何時の時代も、私たち信徒は…これは、教導者の方々も『信徒』として含めて申し上げています、ごめんなさい…この困難と直面し、解決してきたのだと思うのです。
だから、教会は今に至るまで、続いているのだと信じています。

ゴーン氏曰く- 04/07/30 20:40:07
■解のない問題はない。 ■どんな問題でも、核心を見抜くことが出来れば解決できる。
■アマチュアは問題を複雑にし、プロは明晰さと簡潔さを求める。
■まず耳を澄ませなさい。考えるのはそれからでよい。
■大事なのは、自分の考えを可能な限り分かり易い方法で表現するよう努め、自分で遣ると言ったことは必ず遣り遂げる。■痛みを伴う決断を下さざるを得ない時は、速やかに決然を行う方が望ましい。それらを避けて通っても痛みを長引かせるだけだ。断固たる決意が人を動かすのである。
■信頼とは、実績の積み重ねによって培われるものである。
■実行こそすべて、これが私の持論である。アイディアは課題克服の5%にすぎない。アイディアの良し悪しは、どのように実行するかによって決まるといっても過言ではない。
■昔ながらの遣り方や習慣を変えるには、部門や職務の壁を越えて一堂に会する場が必要である。
■一つ一つの問題に挑戦することで、そのツールに磨きをかけ、明晰な決断を下すことができるようになるのである。
■目標に優先順位を定め、それに従って行動すべきである。
■どこに問題の核心があるか知るには、損益計算書を見なくてはならない。
■調達コストが総コストの60%を占めているなら、まずその分野を優先順位に従って徹底的に分析しなくてはならない。
■問題を認識し、原因を突き止め、それから初めて削減計画の作成に取り掛かる。 ※カルロス・ゴーン氏の思想と人生に多大な影響を与えたのは、ラグロヴォールというカトリックの神父。

栗林 孝充- 04/07/30 20:36:00
04/07/30 18:48:53にご投稿下さった方へ…。 『このホームページは日本の恥』…そうですか…。
随分と手厳しいご批判ですね。そのご意見も大切にしたいと思います。その一方で、『日本の恥』だとおっしゃるこのサイトでの皆様の討論もまた、私たちの『道』だと考えていただくことはできませんか?
つまり、それが『恥かしい』みちのりだったとしても、それもまた、私たちが生きてきた『道』なのだとして…。
私はこのような問題を、よく『歯磨き問題』として説明します。「私はなぜ、歯を磨くのだろう?」虫歯になるのを防ぐため?
それとも、歯を美しくしたいから?私は多分、そのどちらでもなく、単に「さっぱりしたいから」磨くんだと思うんです。
あるいは、そうすることが習慣になっているから…。
ところが、最近もあったことなのですが、これが歯が痛くなると、一気に「どうして、あんなにきちんと歯磨きしていたのに、歯が痛くなったんだろう?」と、それを考え出すんです。
歯の磨き方が悪かったんだろうか?あるいは、もっと何か、良い方法があったんじゃないだろうか?とか…。
これから分かることがいくつかあるんじゃないでしょうか?
確かに、おおしゃるように、『恥かしい』ような議論もありましたし、私も感情的になった経験もあります。
だから、『恥かしい』というご指摘も全く間違いだということではないかもしれません。
しかし一方で、その『恥かしい』というご指摘をいただくだけの問題点を知らなければ解決への道を摸索することも出来ないのです。
間違いは間違いとして、そして、改めるべきところは改めるべきところとして、私たちは学び、知っていく必要があると思うのです。
そんな風に思ってはいただけないでしょうか?

- 04/07/30 18:52:47
「ネオ」の人を見分けるって!これは何のことですか? せめてもエキュメ二ズムの為に受け入れて下さい。
彼らも神様の子、彼らも神様に愛されています。

- 04/07/30 18:48:53
真面目に考えよう?許しはどこにある?愛はどこにある? 高松の神学校から出た司祭を追い出すにありますか? 
深堀司教様は刑務所に入れられて、そこには愛がありますか?真面目に考えて下さい。
このホームページは日本の恥であります、そして後ろには司祭もいます、それも恥です。

通行人C- 04/07/30 08:46:03 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
04/07/30 00:11:10のご意見に賛成。
具体的には、今、教会は、「教皇権至上主義(ウルトラモンタニスム)」に侵されていると思います。
速く、教皇の首位を認めながらも、教会伝統の司教中心制に立ち返って、それぞれの地域に適した教会スタイルを創造すべきだと思います。

嶋崎- 04/07/30 08:21:40
ホームページアドレス:../../../www.geocities.jp/hs_ocd 電子メールアドレス:pax@inter7.jp
「ネオ」の人の見分け方を教えて欲しいとありますが、そのようなことはあまり必要ではないと思います。
自己責任論について、栗林さんなどが解説しておられますが、その理論と同じで、ネオの人たちと組織とを分けて考えなければならないのではないかと思います。
ネオの人たちは、けっして人間的には、悪い人ではなく、逆に今の教会に満足していない、安らぎを感じないという人たちではないかと思います。
本来であるならば、教会共同体がそのような人をケアし、支えていかなければならないのですが、それがなかなかできていないのが現状です。
そのようなところに、甘い言葉でネオが近づいてきたのだと思います。  
ですから、人を責めるよりも、ネオという共同体の問題を追及しなければならないのではないでしょうか?
これは、高松教区の問題についても同じで、前深堀司教という人自身を責めるのではなく、その高松教区という組織のどこが問題なのかを洗い出し、追求していくことの方が大事だと思います。  
管理人さんがおっしゃっておられたように、人と人との間ならば、和解はわたしたち一人一人の努力で可能です。
しかし、組織となれば、一人一人の力を結集し、一致団結していかなければ、何も変わらないでしょう。

あしたに向かって- 04/07/30 02:09:02
いつも、みなさまにこのホームページを支えていただきまして、心から感謝いたします。
管理人からみなさまにお願いがございます。
私は、今から2週間家を留守にしなければなりませんので、この間この掲示板の管理ができなくなります。
そこで、みなさまの自己責任によりまして、互いの人権を尊重し合いながらこの掲示板を進めていただきたいと希望いたします。
どうか、よろしくお願いいたします。


- 04/07/30 00:11:10
理由はともあれ、そういう特殊な団体を次々に輩出し続けるカトリックの構造自体に重大な欠陥があると思います。
教会上位者の思惑とは別に、カトリック衰退の要因には、実はこういうものも含まれていると思われます。 
また、カトリックは世界規模の宗教なのだから、国の壁を越え、一切の無理や我慢を強いることなく、各地域の信者同士がより深く密接な連携を取れるよう、単純明快な信仰スタイルに改め、統一する必要性を痛感します。
「今日はこれだが明日はあれ」、そんな厄介な、一貫性のかけらもないものに振り回されるのは、時間、精神、体力の途方もない無駄な浪費で、信者・求道者共に多忙な毎日を生きる現代人には迷惑千万なだけです。

栗林 孝充- 04/07/29 23:24:59
管理人様、いつもありがとうございます。
仰せの通り、「自己責任」の範囲とそれ以外の責任の所在…この点は、大きな問題を提起しているように思います。
自己責任と問える事柄かどうか…この区別自体が難しい問題を私たちに提起しています。
原理的には自己責任を問うということは、「行為(学習行為や宗教上の活動も含む)選択の自由」(=自己決定の前提)という重要なプロセスや課題を私たちに学ばせること方法や手段を示すということと同義語だと思うんです。
この点を考えていくと、今回の諸事情が発生してきた根源的な理由のひとつに、私たち信徒が知らないうちに何もかもが進んでしまっていたという状況は、見逃せない事実だと思います。
そこで、今回の裁判の審理過程の事実関係や判決、そして皆様がこのサイトで議論なさっている様々な事案から、私たち信徒が学び、知ることによって、今後の私たちの行く方を、自らの頭で考え、より良い方向へ進むための道を「選んで」いくことが大切なんだと思います。
これを意識的・計画的に組織した討論モデルのひとつの形がこのサイトであり、おそらく私の想像など遥かに超えたご苦労が管理人様にはおありだと思うのですが、今日までお力添えいただいたことが、結果的に私たちの進んできた「道」として形に残すことが出来たのだと思うのです。
そのことに関しては、感謝しつくせぬ思いでおります。
さらにこの道がどんな未来に続いているのか、さらにその未来とはどのようなものか、そしてここでの討論の実践にどのような意義があるのかを検討していくこと…。
つまりは、私たち信徒は、この神学院のことに関して、また、教区の運営に関して「行為選択の自由」を保証されたことはあったかどうか、さらには「新求道共同体」の方々は、私たちに「考える」だけの情報を開示してくださっているか、同様にその団体の方々は、ご自分たちも充分開示された情報の中から、その団体に所属することを選ばれたのか、このようなことに関して、鋭敏であれるきっかけがこのサイトからうかがえるようになったと思うんです。
この結果、「行為選択の自由」というものを、私たち信徒の行為選択の自由を疎外せずに、指導者の皆さんが信徒に提示することが出来る場合があるということが、新求道共同体に所属する、しないに関わらず信徒全員の含意として明らかにされると思います。
まだまだ暑い日が続きますが、どうかお体ご自愛下さい。

あしたに向かって- 04/07/29 21:01:03
栗林さんの書き込みを拝見しまして、ようやく私の中ではっきりと認識できた事柄を述べさせていただきます。
最近、感じ始めていましたのは、自己責任とそれ以外の責任という事柄です。
高松教区の問題には、この二つの要素が絡み合ってきたと思います。
信徒の分裂、財政、神学院、その他の問題をふり返ってみて、何が信徒自らの自己責任で解決され、何が自己責任だけでは解決し得ない問題なのかということを、明確に区別する必要があると思います。
信徒同志の歩み寄り、許し合いは、信徒の努力で解決できる可能性があります。
けれども、財政の問題、信徒の人権に対する教区の対応や姿勢、神学院の問題などは、信徒の自己責任では解決できない問題です。
森岡さんが追求されておられるのは、裁判によって、栗林さんや森岡さんが明らかにしてくださった自己責任では解決できない問題の解決に向けて、今まで回答を求めてこられた申し入れに対して、未だ教区から何の返答もなく、たとえ教区長が代わられても、それらに対する明確なご返答と、教区としての姿勢表明は必要であるということではないかと思うのです。
それが示されない限り、教区の希望ははっきりと見えてこないのです。


栗林 孝充 - 04/07/29 20:10:27
-04/07/27 21:15:26のご投稿をなさった方へ=c。
文面から拝察さし上げて、よほどお辛いご経験がおありなんだと思います。
心から、お慰め申し上げたいと思います。確かに、私たちの裁判に於いても、おっしゃるところの「ネオ」…これは「新求道共同体」の方々と考えてよろしいですか?…の特異性に関しては深く考える必要性があったように思います。
しかし、このサイトの管理人さんが書かれているように、「新求道共同体」の特異性にばかり目を向けしまっては、あるいは問題の本質が損なわれてしまう可能性もあると、私は思うのです。
確かに、今でも沢山の「司祭志願者」を育てている「新求道共同体」は、他の神学校の実情から観ても特異だと言わざるを得ません。
けれども、この事実がイコール「新求道共同体の霊性が極めて高い」と言うこともできませんし、残念ながら、おっしゃるように「馬鹿軍団イコールネオ」だということも出来ないのではないでしょうか?
もし、私たちが本当に「新求道共同体」の皆さんのあり方がおかしいと思うならば、それを万民が理解できる形で示して、さらに対話を深めていかなければならないと思うのです。
森岡さんが一時期公表なさっていた「新求道共同体」の教導の仕方に関するレポートは、その点で重要な資料のひとつだと思います。しかし、これだけでは不十分かもしれません。
ただ、この団体の特異性に関して、深堀前司教様はかなりずさんな方法でしか、私たち信徒に対して説明をなさらなかったことも、今回の裁判の大きな原因になっているように思います。この点はこの団体の方々の「秘匿主義」を考え直していただく良い契機になるかもしれません。
今回の裁判の審理中にも、世界中ではいろいろな問題…アメリカでは性的虐待を受けた子供がいました…がこのカトリック教会にも発生したことを私たちは知っています。
この事実から、私たちは何を学ぶか、ではないでしょうか?
教導者といえども、私たちと同じ弱い人間なのかもしれません。だからこそ…さらに前進したいのです。
オウム真理教の教組の裁判を見ていて思ったことがあります。あの教団が特異だから、特殊な団体だから、あのような信じ難い犯罪に手を染めたという見方をしてしまってはならないのではないでしょうか?
特異性にばかり目を向けてしまうと、どうしても事実がぼやけてしまうのです。また、あの団体を特殊だとしてしまう限り、特殊な環境でしか生きがいを見出せない人たちは、また、特殊な団体の発生を願うようになるのです。
今、私たちに必要なことは冷静に問題の根源を見詰め、そして、私たちと新求道共同体の方々と、ひとりひとりの人間として、お互いが過ごしやすい環境を作り上げていくことだと思うのです。
そのためには絶対的な権威者のご発言も、上位概念からの圧力も必要ないと私は思います。
ひとりひとりの人間が、お互いを傷付け合わないための知恵が必要なだけではないのでしょうか? それこそ、どのような形の違いこそあれ、同じ神様を信じているのですから、そのための知恵の恵みは同じようにいただいていると信じることは出来るのでは無いでしょうか?
そのためにこそ、「経理上の間違い」は間違いとして正し、そして、それと同時に教区内のみならず、他教区の皆さんとも対話を続けながら、新しい秩序を摸索していくことが必要なのだと思うのです。
少々長い書き込みになってしまいましたが、皆様の一層のお力添えをお願いさし上げたく筆を取りました。

あしたに向かって - 04/07/29 19:05:16
私たちは、新求道共同体の人々を、個人的に非難しているわけではありません。
新求道共同体に参加されておられる人々も同じ高松教区の信徒であり、みなさん良いものをお持ちです。
ただ、新求道共同体に参加すると、すべてに関して新求道共同体の活動が優先され、新求道共同体の利益になるように考えて行動していくという傾向は否めないと感じられます。
つまり、司教が新求道共同体を優遇してくれるかどうかが、一番の関心事であり、信徒同志の一致は望んでいないように思われます。
新求道共同体の方の見分け方は、教会によって違うと思われますが、新求道共同体は、Secret Church(秘密の教会)と言われるように、信徒はあまり公表しないと思います。
ただ、在住の信徒の人たちは暗黙にご存知だと思います。
しかし、少なくとも、新求道共同体の司祭が司牧している教会では、聖書研究などは、新求道共同体の方式が取り入れられている可能性は否定できず、実際に洗礼なども、ネオ方式で授けられていた教会もあります。
ですから、現在言えることは、聖書研究会や、分かち合い、集会の勧めに応じずに、できるだけ従来のミサにあずかるだけで、信仰を保っていけば、心配することはないと思います。
ただ、このような信仰生活は、信徒同志の人間関係が保てないばかりか、お互い疑心暗鬼になることは避けられないので、信徒の教会離れが進んでいくことになるのです。


wow!- 04/07/29 13:29:07
なんだか、すごい「悪口」みたいなのがかかれてるんですね。
みなさん、「ネオ」の方々のことが本当にお嫌いだということが、ひしひしと伝わってきます。
「ネオ」の人を見分ける方法というのは、ないのですか?どなたか、教えてください。お願いします。

越智 零- 04/07/29 12:23:47
このホームページが「恥」なんじゃなくて、真面目に考えようともせず 04/07/29 08:47:14 みたいな発言をする人間がいることがまさに「恥」だと思う。
最近のカトリックってこういう人間が多いのでしょうか?衰退もやむをえませんな。東京教区の半転びキリシタン

通行人C- 04/07/29 08:56:22 theotokos@mail.goo.ne.jp
「日本の教会の恥」になるようなことをしたのは誰でしょう。

- 04/07/29 08:50:04
森岡さん、頑張ってね!最後までいってください. けど同じ計りで計られる。

- 04/07/29 08:47:14
皆さんに  このホームページは日本の教会の恥です.

桑 栄一 - 04/07/29 06:31:53
../../Bookend-Christie/4453 kuwa-ei@js6.so-net.ne.jp
栗林孝充さんがお書きになっているとおり、過去のすべてが無駄にならず、「この教区に明るい希望が見え・・・、この問題が終結に向かう時」に、初めて私たちは主に感謝することが出来ます。
コメントなさった方の、「不正に対しては曖昧にせず最後まで正邪をはっきりさせるべき」という正邪の問題であるよりもむしろ、「万事が益となるように」(ロマ 8:28)と考えたいものです。
その意味で「捨石」などではなくて、「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい」(Iペト 2:5)とあるとおり、明日に向かってみんなで発言し、みんなで「キリストの体を造り上げて」(エフェ 4:12)行こうではありませんか。

- 04/07/29 00:03:24
森岡様 私も実名ではありません。04/07/18 18:34:08と同じ者でございます。 
どうぞ04/07/28 14:18:09のような投稿は無視なさってください。
森岡様には、もっと大きなことをする使命が与えられていると思います。
永遠の前ではどんなに時間が経っても、不正(そこまで行かなくても誤り)は、いつもでも不正(そこまで行かなくても誤り)だと思います。
終わる、止める、それは時効のように時間が経ったからなどという問題ではなくて、すべてが明らかになり、人の思いが改まった時に意味を持つことだと思います。
時が経っても、人が替わっても、正しくないことは正しくないことのままです。
(程度問題を捨象して比較すれば、事実の解明を棚上げにして、もう終わらせろ、と言っている04/07/28 14:18:09のコメントの発想法は、日本軍の人道に反する行為の解明を棚上げにして、韓国中国はもう戦争中のことを言うのを止めろ、と息巻く国粋主義者、右翼の発想法とどこか似ていると思います。
例えば、の話ですが。また、「馬鹿なこと」というならば、なぜ「馬鹿なこと」なのかきちんと説明しない限り、それは中傷誹謗に堕し、第八戒に反すると思います。)
不正に対しては曖昧にせず最後まで正邪をはっきりさせるべきだと思います。
そしてそれは赦す赦さない、とはまったく別の問題なのです。
(相手の過ちに対しては、曖昧にしたまま赦さないことも、はっきりさせて赦すことも、両方あります。
ちなみに、曖昧にしたまま赦すのは、問題の再発やモラルハザードを引き起こすことがあります。)
森岡様お一人に対する問題ならば、森岡様は一人の人間としてすべてを赦し腹に収めて黙っていらっしゃったことと思います。
しかし事は教区全体に、そして日本のカトリック全体に関わります。
それ故に、正しくないことが隠れたままになることは将来に禍根を残す、と、カトリックを思うお気持ち一心で続けていらっしゃるのでしょう。
また信頼が損なわれたことで心に深い傷を感じつつ続けていらっしゃるのでしょう。
どうぞ最後まで諦めずに黒白をはっきりさせるようにお願い申し上げます。
どうぞ挑発などに惑わされず、慎重に事をお運びになりますように。
お助けとお導きのもと、真相の糾明と問題の解決、そしてそれを踏まえた真の和解に至りますように。

栗林 孝充- 04/07/28 22:27:10
04/07/28 14:18:09に書き込みをされた方へ…。
そうですね、「終わりにしたい。」というお気持ちも理解できなくは無いんですが、森岡さんの主張をよく読んでいただきたいというのも、同じ程度の強さで感じているんですが、いかがでしょう。
つまり、森岡さんは「会計上の不備」をご指摘なさることによって改善の糸口を、私たち信徒に示そうとなさっているのではないでしょうか?
森岡さんのご投稿の末尾をご覧下さい。(以下、引用)『一連の不正経理及び不実記載の説明責任を果たし、各年度収支計算書が狂っていた実態を教区民に開示すること。そしてこの際、正しい会計処理に向けてどのように体制を立て直していくのか考えること…。』御理解いただけましたでしょうか?
「終わらせる」ためには、皆様おひとりおひとりのお力が必要なのです。
私たち「原告」だった人間が沈黙することが終わりを意味するのではなく、この教区に明るい希望が見えたときにこそ、この問題が終結に向かう時なのではないでしょうか?
それでこそ、私たちが「捨石」になった意味を持つのだと思うのですが…。 どうか、皆様、お力をお貸し下さい。
沈黙を続ける栗林が、森岡さんのためにお願いを申し上げます。よろしくお願いいたします。

通行人C - 04/07/28 18:06:54 theotokos@mail.goo.ne.jp
くどいようですが、國際神学院の帰趨が教区再建のメルクマールとなると思います。

名無しさんへ・・・森岡 源三 - 04/07/28 17:16:31
↓名無しさん、高松教区には確かに新しい司教さんが着座されましたが、一連の問題が何一つ解決していないと言う事を知らないのですか?     
教区再建に大きな期待を寄せていますが、そのために絶対に置き去りにされてはならない(未解決の)重要な問題を提起しているのです。     
私に対する批判はきちんと受け止めますので、実名でお願いします。

- 04/07/28 14:18:09
森岡源三へ    終わらないの?馬鹿なことを止めてチョウダイ! 

- 04/07/28 14:14:47
あなたはキリスト者、神様の愛を味わったか、神様の許しを味わったか。あなたのために祈ります.

- 04/07/27 21:15:26
何故、着座式に高知の青年部が大事?なポジションにいたのか分かりません。ネオ派の信徒だから?
栃尾に指示されていた?桜町の人がするべきでは?分からずですが、かなり不満です。誤解もしてしまいます。
ワインの樽?残りのワイン?そんな事って桜町の人がするべき。貴重な人の首切りもしたとか?
馬鹿軍団イコールネオだと思います。どうして、ネオ反対しないのか?桜町の人。
用無し神父は、追い出すべきで貴重な人の復活。溝部司教様に強く望みます。

きび- 04/07/27 10:17:37
「さきつ」の漢字、間違えてしまい失礼致しました。変換リストにないのですが、どうやったらでるのでしょうか?
ご存知の方いらっしゃいますでしょうか?

きび- 04/07/27 10:12:58
不正経理、しかもそんな巨額が・・・。熊本県天草の崎津天主堂は老朽化が進み、崩壊の危機に直面しているそうです。
地元の観光協会や、経済団体などが今応援募金会を作って活動しているとのニュースを読んだあとに、見るこの「不正経理」の文字、本当に悲しくなります。
政府のお金の使い方にもたくさんの問題が指摘されていますが、教会もうやむやにしないでいただきたいです。

待てども回答がない(その2)・・・森岡 源三 - 04/07/26 12:47:48
高松教区における巨額の不正経理については、名誉毀損訴訟の審理中でも関係する範囲で明らかにされましたが、いまだに不透明な部分が山積しています。
あまつさえ、今年になって新たに@繰越金の大幅な差額 A二通りの収支計算書 B不実記載(改ざん・隠ぺい)、が発覚して5カ月が経ちました。     
各年度次期・前期繰越金の大幅な差額について、この掲示板での明細表示は差し控えますが、年度によっては最高2,680万円に及ぶ差額が出ています。
それが複数の会計、複数の年度にまたがっているというのに、会計担当司祭、税理士、監査人がいずれも見過ごし処理していたという怠慢ぶりで、会計の常識ではとても考えられない不始末。
所轄の文化庁にもこれら不正の会計書類が提出されているなど、あきれ返るばかりです。     
二通りの収支計算書については、深堀前司教が裁判所に提出した各年度の収支計算書と、97年度から教区報に掲載した同計算書がそれぞれ異なるという事態が判明しました。
同計算書を精査したところ、裁判所提出用として間に合わせに、差額が出ていた各年度の「その他の収支」や「事務運営費」などの数字を適当に増減して、前記の何千万円単位の繰越金の差額をゼロに合わせているのです。
公文書の著しい改ざん・隠ぺいという、全くひどい話です。
今年2月、これら教区事務所備え付け書類の閲覧を請求したところ、責任役員(新求道共同体所属の司祭が過半数)の全員の賛成が得られない、との理由で拒否されました。     
以上の不正経理と不実記載について去る4月21日、深堀前司教(宗教法人の代表役員宛)に資料を添えてただしたところ、4月24日に次のような手紙が届きました。    
 「2004年4月21日付お手紙を拝受いたしました。ご指摘の点につきましては、誠意をもってお答えすべく一同努力しておりますが、教区会計の実務に最も明るい安藤是明氏がこのところ多忙を極めており、過労で体調をくずしているなどのため、思うように作業がはかどっていないのが実情です。なおしばらくお待ちくださるようお願い申し上げます。敬具」     
その後5月12日、教区会計担当・谷口幸紀氏の名で「司教さんに代わりまして」と、中間報告のような手紙が届きました。
疑惑をただした5項目中1項目の繰越金の差額について説明しているものの、数字に何の裏付け(資料)もなく、極めてずさんな回答。
肝心の二通りの収支計算書及び不実記載については一切触れずじまいで、どちらが本物の収支計算書なのか分からず、「誠意をもってお答え…」にはほど遠いものでした。     
これら一連の不正経理及び不実記載の説明責任を果たし、各年度収支計算書が狂っていた実態を教区民に開示すること。
そしてこの際、正しい会計処理に向けてどのように体制を立て直していくのか、きちんとけじめをつけて信頼回復に努めるよう訴えているのです。

あしたに向かって- 04/07/24 03:33:14
これからの高松教区の進路は、溝部司教様が、何を優先課題として実行に移して行かれるかによって、決まっていくのではないかと思います。


阿部仲麻呂- 04/07/23 01:14:13
2004年7月14日付の意見をお書きになられた泉さんへ 
はじめまして。泉さんのお書きになった教会の司祭の姿への危惧の念は、まことその通りだと思います。  
たしかに、「礼儀」と「社会常識」を大事にしながら見直すことが今の日本の司祭や修道者たちの急務です。
同時に、神学生たちの「礼儀」や「社会常識」を徹底化することも大事な課題です。  
泉さんのように誠実に教会の行く末を考えて警告を発してくださる方がおられることは、まことに大きな意味があります。
誠実な方が声をあげることこそ、刷新の歩みの出発点になるからです。その意味で、心より感謝しております。  
しかしながら、福岡サン・スルピス大神学院に関する御批評は的を得ていませんように、私には思われるのです。
いかがでしょうか。現在の大神学院を どうか訪問してみてください。
「確かな霊的刷新」と「社会との対話の努力」が始まっていることを実感できることと思います。  
現在、私は博士論文を書きながらも、福岡サン・スルピス大神学院(基礎神学・三位一体論・終末論・教会論など)と東京カトリック神学院(解釈学・教理史・日本美学思想史・教会論など)と上智大学神学講座(史的イエスの研究・諸宗教の神学)および白百合女子大学(児童文学とキリスト教学・発達心理学とキリスト教学)にて、招きを受け、教鞭をとらせていただいておりますが(日曜は小教区で少し手伝いをしています;子供のゆるしの秘跡や大人のゆるしの秘跡、病人訪問、ミサなど)、どの教育機関も、真摯に前向きに教育活動を行っております。  
私は教育者というよりも研究者としての素質のほうが強いとは自分で理解してはいますが、それでも学生の前に立つときには「教育者であろう」と努力しています。
「相手を大事に育てる気持ちを心にいだきながら、外見で判断せずに相手の意見を聞きながら、若者の興味ある話題から語りかけるようにして、やる気を起こさせる講義をすし、学問上の厳しさを妥協なく伝えながらも、自学自習する喜びのきっかけをつくるように導く」ということです。  
とりわけ、福岡サン・スルピス大神学院や東京カトリック神学院では、現場の小教区司牧や信徒との協調を目指しての神学教育の見直しが進んでおります。
しかも、西欧の伝統的神学を大事にしながらも東洋や日本の文化状況に適応するような工夫をこらしたカリキュラムも試みはじめられております。  
養成スタッフたちも常に自分たちの状況を反省しながら会議やスタッフだけの固有の点検を目指す黙想研修を積み重ねております。養成担当者は、神学生とも積極的に対話を進めていますし、現場の小教区の信徒の皆さんとの交流や意見聴取にも努力しています。  
私自身、神学生たちに講義をするときに、神学生たちの自発的研究意欲を燃え立たせるような問題提起を工夫しています。 
そして、西欧の伝統と日本文化の伝統を調和させながら解説し、現場の小教区の必要性や司祭としてのあたたかみの大切さを具体的に説明しながら、「イエスのあたたかみを実感させるような調和のとれた思いやりのある生き方」を根幹に据えるべきことを強調しながら励ましを与えるように努めています。 
礼儀や社会的な常識や対話の精神や協働の大切さも講義の中で想い起こさせるようにしています。
私自身の足りない点も常に反省しながら謙虚に説明しています。 そして、常に、生きている人々の問題と神学の学問の伝統を結びつける工夫を目指しています。
つまり、神学の歴史というのも、各時代の各地域の生ける人々の苦労や悩みのなかでの闘いの日々を反映しながら織りなされてきたものでありますから、真摯に「背景文脈(コンテクスト)」をイメージしながら学ぶ方法論のコツを神学生たちに伝授できるように工夫しているのです。  
他の教授方も それぞれ工夫しながら、多数の激務をこなしながらも必死で養成の仕事に挺身しています。
多少融通はきかなくとも、朴訥とした真摯さはあります。
それぞれは専門の学者ですが、司祭として下手なりに真剣に神学生教育に向き合っています。  
神学生たちにしても、老成した信徒の方々から眺めれば、ぶっきらぼうであったり、サービス精神が足りなかったり、一見礼儀知らずのように映るかもしれませんが、実は、向き合って「相手」として真摯に語り合ってみれば、案外「将来性のある宝としての かけがえのない若者」として大事に思えてくることでしょう。
どうか「相手」として大事に個人個人に声をかけてあげてください。励ましてあげてください。
いっしょに話し合いながら考えていくのが大事です。期待をかけて励ますことこそ、将来の「あたたかな司祭」の誕生につながるのです。  
どうか、泉さん、一面的な思い込みだけで判断せずに、今の神学院、今のスタッフ、今の神学生たちを「相手」として大事に向き合ってみてください。決して失望はしないはずです。  
今後 ともに手をとりあいながら、進んでまいりましょう。
気持ちの持ちようで、人は かけがえのない者として生きるようになるのです。どうぞよろしく御指導ください。
泉さんと御家族の御多幸を祈りながら。  2004年7月23日(金) サレジオ会司祭  阿部 仲麻呂

通行人C- 04/07/22 14:27:40 theotokos@mail.goo.ne.jp
新司教には酷なようですが、先ず例の神学院を閉鎖しなければ、一致と融和と言ってもなかなか難しいと思います。

w - 04/07/22 12:53:02
あのー、「ネオ」の方は、みんな嫌な人たちなんですか?あまり、関わらないほうがいいんですか?
どうやったら、見分けることができるんですか?すみませんが、教えてください。お願いします。

- 04/07/22 12:43:06
溝部司教様の着座式は、すばらしいものであったと思います。「これからの」高松司教区が楽しみです。

待てども回答がない(その1)・・・森岡 源三 - 04/07/22 11:43:15
昨年6月25日、松山地方裁判所で名誉毀損訴訟の判決言い渡しがあってから間もない7月15日を皮切りに私(森岡)は、高松教区の深堀敏・前司教に「教区立神学院」設立・建設に伴う無公告及び違反公告(宗教法人法第24条には無公告などの違法行為は原則として無効とする旨定めている)についてただし、回答を求めました。     
その後8月7日に深堀前司教から「公告等に違反があるというなら、宗教法人法等の条文の根拠を明確にされたい」との返事がありました。
当方は8月18日に同法第23条、カトリック高松司教区規則第37条の5、6項に基づく違反の事実を明示し、詳しく説明を加えて送りました。その後何の返事もないので催促のファックスを送ると、9月5日に次のような手紙(全文)が届きました。因みに回を重ねるごとに文面がていねいになって来ました。     
「9月5日付けでのFAXを拝読いたしました。
先月18日付けのご質問の内容については、微妙な問題が含まれている可能性がありますので、弁護士や監督官庁と連絡を取りながら慎重に検討しております。
尚しばらく時間を要する見通しですので、お待ち下さるようお願い致します。」     
それから3カ月ほど経過して、何回か催促しましたが、先日の溝部脩・新司教の着座式(同時に深堀前司教の教区管理者を解任)から3日後の22日現在も、約束の回答は届いておりません。  
この件について私は、溝部司教に全てきちんと引き継がれているものと受け止めているのです。              

嶋崎- 04/07/21 17:04:19 ../../../www.geocities.jp/hs_ocd pax@inter7.jp
去る19日に行われた溝部司教様の着座式の様子をUPしました。

あきこ- 04/07/21 12:23:05
↓なつこさん、おっしゃる通りです。鋭いご指摘だと思います。
それはネオのことで苦悩し、体験した者でないとなかなか分からないことかも知れません。

なつこ - 04/07/21 11:05:36
ネオのいる、あるいはいたところでの「一致と和解」というのは、上に立つ人が明確な方針を打ち出して、ガイドライン的なものを設けないと、もう一つの分裂を招くと思います、現に私のいる小教区がそうです。
誰にでも理解できる言い方で、明確に示さないと、思いの程度、その人の性格やいろいろ混ざり合って、絡み合って、ますますことが複雑になります。
溝部司教様のお仕事のため、そして高松教区が新たな更なる混乱に陥らないことを祈ります。

嶋崎- 04/07/20 19:55:49
ホームページアドレス:../../../www.geocities.jp/hs_ocd 電子メールアドレス:pax@inter7.jp
昨日の着座式は、冷房をフル稼働にしているにもかかわらず出席者一同、汗を拭き拭きで大変な式となりました。 
さて、わたしの感想ですが、全体を通して良かったと思います。
それは、第一に日本の教区の教区長は全員参列されていたからです。 
それから、説教をされた横浜教区の梅村司教をはじめ、強調されたのは、司教のもとでの一致です。
特に大阪大司教の池長大司教は、「あなたたちは、式の中で教区長に従順を誓ったのだから、守って下さい」とおっしゃっておりました。
また、溝部司教様も、これから池長大司教様をはじめとする各司教様たちと連絡を密に取りながら司牧をしていくとおっしゃっておりました。
とにかく、今の高松教区に必要なのは、一致と和解でしょう。
梅村司教様の説教にあったように、聖体のもとで、一致していくことができるように祈ります。 
それから、当日の写真を撮りましたので、近いうちにわたしのホームページでその模様をUPしたいと思いますので、しばらくお待ちください。

ならばやし- 04/07/20 16:52:06
着座式の詳細については、カトリック新聞やそのHPでも近々紹介されるでしょうが、私にとって最も印象的だったのは、「日本の司教団は、一致して溝部司教を支えてゆく」という姿勢が力強く表明されたことでした。

あしたに向かって - 04/07/19 00:25:40
2004年7月19日、今日は高松教区の教区長として、溝部司教が着座される日です。
みなさんとともに、この喜びを分かち合いたいと思います。着座式に参加されました方は、ぜひこの掲示板に着座式の模様をご紹介ください。


あしたに向かって様- 04/07/18 21:24:36
あしたの着座式は教区民を中心に総勢630人の参加が見込まれています。
溝部新司教さんをお迎えして歓び、祝い、そして祈ります。

- 04/07/18 18:34:08
7/13「途中、立ち寄られるところもあるのでしょうね?」はい。溝部脩司教様は、先週11日の日曜日に、三重県の津教会においでになり、司式をなさいました。かつて福岡で一緒であったネリグ神父様にお会いになりたかったそうなのですが、金祝式を五月に終えて九月までアメリカにお帰りになっているので、会えなくて残念だ、とおっしゃっていました。

あしたに向かって - 04/07/18 01:29:53
溝部司教の着任式を明日にひかえて、神様は私たちに何を語りかけておられるのでしょう。


誠に情けない話- 04/07/17 11:45:47
高松教区の「教区報」は、昨年12月19日のを見たきりですが、その後は出ておりませんか?
前の深堀司教さん(19日までは教区管理者だそうですが)の最後のお話や、信者のお別れの言葉も伝えられないのでしょうか?
担当者はおられるのですか?27年もの長きにわたり在任されて九州の方へ遠く離れられると言うのに、このままでは心残りで誠に情けない話です。(信者の一人ごと)

泉- 04/07/14 14:53:22
初めまして。今のこの掲示板の話の流れとは違ったことでとても申し訳ないのですが、以前に話題にのぼっていた事で少し気になった事がありましたので書かせていただくことにしました。 
高松の神学院の神父様と東京・福岡の神学院の神父様の違いは「質」ではないだろうか、伝統ある二つの神学院ではキリストの精神や司牧について大切に養成されているのではないでしょうか、という意見を拝見しました。 
私は高松の神学院の実態を知りませんので、それについては全く何も意見する術をもちませんし、双方を比べて優劣を付けるつもりの意見ではないことを分かって頂きたいのですが、福岡の神学院を知っている者として、上記の意見で期待されているような司牧・養成はなされていないと言わざるを得ないと思います。
神学生に、完璧・またはある一定の人間像を求めているわけではもちろんありませんが、はっきり言って神学校に入る以前に(もしくは高卒ぐらいまでには)学んでいて欲しい礼儀や常識をほとんど身に付けていない方がとても多いのです。
そして教育についての専門でない教授陣が、ただ自分たちの教科を教えるのみ。
皆さんそれぞれもちろん司祭への道を悩みながら進んではいらっしゃるのでしょうが、結局ベルトコンベアー式に、ここを無難に卒業して神父になっていくという「大量生産」は福岡の神学院にも言えると思います。
「大量」には居ませんけれど。 中学の頃から小神学校に居て、社会常識をほとんど知らないまま神父になっていく姿はかなりぞっとします。大学卒業が入学の条件に加わっても、あまり変わりはないように見えます。
社会常識が欠けているだけならまだしも、上記の「キリストの精神」など、いつ学んでいるんだろうか・・と思わざるをえません。  
高松の神学院のことを言っているこの掲示板でこんなことを書き連ねるのは良くないのかもしれませんし、偉そうに語ってももちろん私が見た個人的な意見でしかないのですが、安易に高松とその他の神学院を比べている方がいらっしゃるのだとしたら、それはやめた方が良いと思ったので突然書き込みをさせていただきました。
どうも失礼しました。 良い着座式になりますようにお祈りしています。 

嶋崎- 04/07/14 08:49:55
ホームページアドレス:../../../www.geocities.jp/hs_ocd 電子メールアドレス:pax@inter7.jp
溝部司教様は、車で仙台から来られているのですね。
ふと一昨年、休暇の際、仙台(遠野や松島などに行きました。)から松山まで車で行ったことを思い出しました。
ただ、一気に行くのは辛いので、途中で休んでから行きました。  
溝部司教様の着座式には、松山教会の方たちと一緒に参加する予定です。よろしくお願いいたします。

オホーツク人 - 04/07/14 00:26:47
私のお師匠さん(オランダ出身。フランシスコ会からきてます。)は、北海道・オホーツク海岸を70代になった今もお車で走っておられます。
交通安全はみんなの願いですよね・・・・・私もですけど。クリストファー様、よろしくお願いします。 
高松教区に和がもたらされますように!

- 04/07/13 22:39:48
仙台から車で来られるのですか?!事故に遭遇することなどありませんように....

愛車に荷物を積んで高松へ・・・森岡 源三  - 04/07/13 13:28:33
溝部脩司教は7・19の着座式を間近に控え、仙台教区から愛車に荷物を積んで高松教区に向かわれているそうです。
途中、立ち寄られるところもあるのでしょうね?高松教区入りは、任命されてちょうど2ヵ月目の14日の予定とか。
早くから着座式後のパーテーも自粛するとの方向を打ち出されていますが、とても良いことだと思います。
それだけに式の中で新司教を迎える教区民の歓びは大きく高まるものと期待しています。

- 04/07/13 13:01:47
新司教様が、高松教区の希望と癒しのために、よいお仕事をなさいますように。

松山の教区民- 04/07/13 09:36:39
溝部司教様の着座式を6日後に控え、祈りのうちに、待ちに待ったこの良き日を迎えたいと思います。

高知- 04/07/13 09:08:05
19日の着座式に向けて準備が進められているそうです。すばらしい式になることを祈っています。

通行人C- 04/07/11 12:24:42 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
Dのカキコのような人々が「あしたにむかって」の人々なら、あしたは暗いね。

D- 04/07/11 02:05:19
C>> 通行人という割には粘着してるようだけど、こういう真っ当に活動してるところに、どこぞの掲示板に浸りきったような感覚で、まぜっかえすようなことばっかりシツコク書きこむものじゃないですな。
見てて恥ずかしいからやめれ。TPOのわからない社会性のない人はダメですねえ。
ネットの中だからって、やっぱりそういう人は居場所がなくなるよ。そうなったらあなたみたいな人はどうするのよ。
他の掲示板でいじめられでもしたのかもしれないけど、それならここに居座って、ここの人たちに癒してもらうのも最後の救いってことで、あるいは教会という場にふさわしいのかもしれんけどね。
ほどほどにしないと、いつまでも迷惑かけちゃだめですよ。ほんと。


通行人C - 04/07/10 10:17:15 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
↓団結は力、と申します。

- 04/07/09 23:05:52
>>権利は自分で守るもの。>> 権利を守る術も持たない弱い立場の信徒はどうすればいいのですか?
権利を守ろうとして還って迫害される現実はどうなるのですか?
司教と信徒では教会内でのチカラは全く違うのです。
そのチカラの違う者を平等に扱おうとすることこそ大変な不平等です。

通行人C - 04/07/09 09:08:18 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
個人の信仰生活を一人の司教に丸投げしなければやっていけないような主体性を欠いたシステムがこれまでの問題の根っこではなかったのですか。
今回はいい司教様でも、次回はどうなるか分からない。権利は自分で守るもの。

希望をもって - 04/07/09 08:57:02
なんでもですが、痛みの伴わない解決はありえません。
27年間も苦しんだのですから、これからは新しい司教様が良い方向へと高松教区民を導いてくださると信じています。
新しい司教様はものの見えない案内人ではないと思います。

- 04/07/09 03:11:14
司教様がかわったら、神学院はどうなるんだろう? 共同体のミサは今のまま行われるのだろうか? 
共同体の司祭たちはどうなるのだろうか? 
着座されてすぐには急激な変化はないだろうが、今後どうなるのか、非常に気になります。ここに来る大方の人が望む方に進んでいくのだろうか? 
もうあっちこっちに惑わされるのは嫌です。分裂も嫌です。  

放浪者- 04/07/08 11:31:35
文脈不明の聖句引用は、神の名をみだりに呼ぶな、と言う戒めに引っかかるのではないだろうか。

† 御言葉- 04/07/08 11:20:52
うそは、人間にとって醜い汚点、教養のない人間は、絶えずそれを口にする。 
絶えずうそをつく者よりも、盗人の方がましだ。だが、両者とも、最後には破滅に至る。 
うそつきの性癖は、恥をもたらし、その汚名は、いつまでも付きまとう。   シラ書20.24−26

一郎 - 04/07/08 06:35:53
間違って 琴 をミス入力してしまいました。(21年前の聖カタリナにても、ミスが沢山ありましたけど)。失礼しました。

一郎- 04/07/08 06:11:10 電子メールアドレス:oiysoiysoiys@ybb.ne.jp
栗林さんへ お元気ですか? 偶然ここへ辿り着きました。
よろしければ私のメアド oiysoiysoiys@ybb.ne.jp へ連絡お待ちしています。
あなたの お声 を聞きたいと思っています。それと、私の方も聞いていただきたい琴があります。

深堀前司教の人間性が問われるのでは・・・・・ - 04/07/07 14:43:40
「私には他に行きたい所があったのです。」とお別れのミサの日、信徒たちに言われたそうですが、 快く受け入れてくださった福岡教区の松永司教様や、手取教会の信者さんに対し、大変失礼なことではないでしょうか! 
△ ここまで深堀前司教を狂わせた、新求道共同体の正体をかいま見た気がします。 

桜町教会のH・T - 04/07/06 19:38:26
深堀司教さんは日曜日のお別れミサの日、私達信徒に「本当は、私には他の所に行きたいところがあったのです」と、熊本の方へ行くのは、不本意ながら承知されたような話でした。

隠居先は熊本- 04/07/05 19:30:19
深堀前司教の“隠居地”は、福岡教区と言ってもカテドラルから随分離れた熊本市内の手取教会。
ここは現在司祭一人の教会。本当にここが“隠居地”なのだろうか?

通行人C- 04/07/03 07:25:45 電子メールアドレス:theotokos@mail.goo.ne.jp
ちょっと気になったので一言。
司祭は叙階の時に司教とその後継者に従順の「約束」をしますが、厳密な「誓願(誓い)」は立てないと思います。
たいした違いはないとは思いますが・・。

桑 栄一- 04/07/01 06:52:30
ホームページアドレス:../../Bookend-Christie/4453
電子メールアドレス:kuwa-ei@js6.so-net.ne.jp
司祭の従順の誓いと同様に、すべてのキリスト者も「従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」(フィリ 2:12)と勧められています。
しかしそれは、地上の組織の権威に盲従することではなくて、「世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかりと保つ」(同 2:15-16)、つまり父なる神への従順でなければなりません。
キリストの従順(同 2:8)はただひたすら、父のみ旨への従順でした。  
ナタンは、古代オリエントにおける絶対的な権威者ダビデ王に向かって叱責し、「その男はあなただ」と断罪しました(サム下 12:7)。
彼に主の言葉が臨んだからでした。そしてその叱責によって、ダビデ王を主に立ち帰らせました。
彼はイスラエルの神である主に従順だったのです。