2004.9
しらゆり - 04/09/29 06:14:41
今読んでいる「司教の裁判」は、母が友達から借りている大切な本なので、早く読まなければならないのですが…。
文章は簡潔で大変読みやすいのに、自分の「学力不足」に、ちょっぴりはがゆい思いがします。
祈りと行動 - 04/09/28 13:49:49
↓祈るだけではいけません。「祈りながら行動しましょう」「行動しながら祈りましょう」(溝部司教様の講話から)
- 04/09/27 12:57:15
教区の事務局は壊滅状態とのこと、建て直しのために奔走しておられる溝部司教様のためにお祈りしましょう。
しらゆり - 04/09/27 06:34:59
高校二年生の女の子です。母のすすめで「司教の裁判」を読みはじめました。
筆者の森岡様の痛みと貫こうとする正義がよく伝わり感動しています。
「なるほど」さん - 04/09/25 20:11:09
溝部司教様のお話は「元気が出る」話だったのですね。
アントニー・デ・メロ神父の本から引用されたところに、とてもとても深い意味があると思います。
しょうゆまめ - 04/09/24 12:27:08
この18・19日に第31回の高松教区信徒研修会が松山教会で行われましたが、両日とも参加者は100名を超え述べ参加者数は270名前後だったようです。
18日はドミニコ会の田中正史神父様の講和があり、その中で愛光学園生徒制作のホスピタル関係のビデオが上映されました、ビデオ制作に前向きにかかわっていく学生たちの姿に感銘を受けました。
19日(日)のミサと講和は溝部司教様で、説教も講和もとても心にひびくものでした。
説教にはアントニオ・デ・メロ神父(イエズス会)著の、(たぶん「蛙の祈り」)、を引用され、私達がしている仕事そのもの、私たちの生活そのものを神への祈りに変えていくこと、祈りのうちに行動が伴うことが大切で、仕事と生活と祈りが分離していてはだめだということをはなされました。
続いての講話にも同じ意味合いを含め、信仰を次の世代に伝えるというテーマに、伝えるためには内的生活を深め、まず1、知ること、2、変わること、3、確固とした信念を持つこと、4、イエスを伝える、の4点をあげられ、知ることへのたとえとして日本の殉教者であるペトロ岐部神父、小笠原ミヤという中九州の女性の二人の殉教者をあげられ殉教者のイエス・キリストへの深い信仰心、そしてその生き様を話されました。
知ることにより感動し、自分を見つめなおし変わっていく、優しさの中にもしゃんと一本背骨のある確固とした信念を持つ、伝える者が信仰に目覚めていなければならない、信仰が自分の外面を飾るアクセサリーのようなものであってはダメということ等々を話されました。
おたずねします - 04/09/16 19:42:37
幟町教会の信徒様ありがとうございました。高松教区の信徒はそれほど馬鹿ではありません。
これで安心しました。平和公園には本当に平和を願って参加している人たちばかりのはずです。
幟町教会の信徒より - 04/09/16 18:51:46
広島教区の関係者(昨年の)に尋ねましたら「そんな馬鹿なことは誰も言われていないし、当方も言った覚えはありません。
何か早とちりされたのでしょう」とのことです。
オホーツク人 - 04/09/16 00:02:53
「お茶碗割ったのだーれ・・・・・」とか言って人探しするよりも、祈りの方法・言葉が違っても身近な聖堂で御聖櫃の中の方に祈りをささげたい人が争うことなく祈る方法を考えられた方がいい・・・・・と私は思います。
おたずねします - 04/09/15 22:28:34
04.09.13 19:13:15の「ネオの方たちとは別にしてください・・・・」と広島教区のスタッフに抗議したのは、誰ですか。
高松教区の信徒ですか。
関西さんへ - 04/09/15 21:32:22
教区内外のことを言ってるのではありません。ご指摘になっていることが、なんだか他人ごとのように感じたものですから。
- 04/09/13 19:15:10
平和行進では佐々木神父さんたち、松永神父さんたち(番町教会?の子供たちを含め、一緒に平和行進されていました。
- 04/09/13 19:13:15
8月5日、広島教区の平和行事に参加しました。
そして平和公園から幟町教会まで平和行進があり、高松教区の人たちも一緒に平和行進をされていました。
広島教区のスタッフの方から、「昨年はネオの方たちとは別にしてください、あの方たちと私たちは違います!」と抗議され、困ったと言う話を聞き出しました。
司教さんが新しく着任されました。ネオの方、そうでない方が、共存できる教区になってほしいです。
- 04/09/13 19:02:49
お尋ねしますと書かれた方へ、高松教区の信徒ですか?との問い合わせですが、高松教区の信徒でなければ発言できないのでしょうか?
仙台教区民 - 04/09/12 18:11:04
溝部司教様は仙台教区長に着任された際も、最初の一年(それ以上かも)かけて、教区の隅々まで、おそらく全ての教会を見て回られました。
高松教区も隅から隅まで御覧になることとと思います。
- 04/09/09 13:21:44
プロ野球との比較、よくわかりました。
対話が必要なこと、どのようにしてその場をもうければいいのか、考えていきたいと思います。
04/09/08 23:05:29
プロ野球のオーナー側の論理と選手やファンの論理は対立し、高松教区においては神学院推進側の論理と反対派の論理は鋭く対立していました。
必要なのは時間をかけた対話なのです。少なくとも高松教区においては前司教は神学院のことを問われると口を閉ざし、何も話さない態度をとったと聞いています。
つまり対話を拒んだのです。今のプロ野球のオーナー達の態度と同じではありませんか?
お互いバカの壁(聞きたくない情報には耳を閉ざすこと)をとっぱらい真摯な態度で対話をしていくべきだったのです。
幸いにも新しい司教様がこられました。対話の機運が高まることを期待します
お尋ねします - 04/09/08 20:16:25
「関西」さんは、高松教区外のお方でしょうか?
- 04/09/08 16:57:15
関西様 説教、検索して見つけました。司教様は教区内を回られると聞いてます。神様の助けがありますように http://www.sakuramachi.catholic.ne.jp/
関西 - 04/09/08 13:34:29
佐々木神父の葬儀のミサでの司教の説教で、分裂した高松教区のことに気になさっている旨を話されました。
方法論は違っても、基本的なものは一致していると思うのです。まずは一致しているものを探して見ませんか?
一致していないものをずっと探し続けても仕方がないと思うのです。
何が一致して、何が一致していないをしっかり把握して、どうして一致しないかをしっかり見つめるという姿勢が私には見えてきません。
お互い自分が正しいと言い合うだけで終わっている気がします。
- 04/09/08 12:06:55
うまく表現できないのですが、プロ野球とくらべるとなにかおかしいように思うのですが。
神父さん達指導者が私達の都合にあわせて、物事を決めなければいけないと言うこと?
きび - 04/09/08 08:30:59
おっしゃるとおりだと思います。まず、支持してくれるファンがいなければ、プロ野球界は成り立ちません。
テレビに映った各球団のオーナー達の顔を見ていると、この中に、本当に野球を愛している人はどれだけいるのだろうと感じます。
それを、教会にあてはめてみると・・・やはり似ているのでしょうか・・・。悲しい現実ですね。
私は求道者(高松教区の教会です)で、クリスマスの洗礼を望んでおります。
少しでも、このページで議論されていることがよい方向に向かうようにいつもお祈りいたしております。
- 04/09/07 22:59:22
今のプロ野球界のドタバタと、高松教区の問題とはどことなく似通っていませんか?
ファンの声を無視して、オーナーの都合だけで重大事を決めていくのは、信徒の声を無視して自分達の都合だけで教区の重大事を勝手に決めていったのと同じように見える。
焼け野が原 - 04/09/03 07:21:42
初仕事の教区報・・・とても残念です。