2005.7
S.S 2005/7/30 (Sat) 19:30:53
↓のこと。もう既にその構想は固まっています。
通行人C 2005/7/30 (Sat) 10:25:58
事を肌で感じている素人の談義こそ真実に近いと思います。決して軽視してはいけないのです。
伝聞では、東西大神学院の統合が司教団で検討されているそうです。この動きに信者の意見が強く反映されれば、高松神学院の問題も解決するのではないでしょうか。
素人の声がたくさん上がることが大切だと思います。
2005/7/30 (Sat) 09:18:01
反省!お互いに畑違いの素人が議論することではありませんでした。
S.S 2005/7/30 (Sat) 09:08:03
↓のこと。『結果』が教えてくれることでしょう。
私も聞き及んだ範囲のことであり、核心に触れないまま、これ以上議論しても無駄なことですから、もう止めましょう。
横入りですが 2005/7/29 (Fri) 22:19:34
私も通行人Cさんの意見に似ています。そんなに簡単に裁判で勝てて閉鎖にもっていけるなら、カンパでも何でも集まると思いますよ。実際には、宗教法人法的には、裁判では勝てないと思いますね。法律的には、触れてないと思いますよ。勿論、問題はありますけどね。他の方向を探した方が、早道だと思います。もっとも、その早道が見つからないから、前になかなか進めないんですけどね・・・。
通行人C 2005/7/29 (Fri) 22:06:34
S.Sさん、
それでは、現行の国内法に基づいて「高松神学院」を強制的に廃止する具体的な手段をお示しください。そうでなければ、あなたこそ実現できない幻想を人々に与えることになりますよ。
S.S 2005/7/29 (Fri) 20:40:55
通行人C様。とんちなことを言わないで下さい。あなたは何もお分かりになっておりません。よくお調べになって下さい。人を迷わせるようなコメントはやめて下さい。
通行人C 2005/7/29 (Fri) 18:25:50
四国三郎さん、
「神学院」の設置、運営、維持の過程で、宗教法人法に抵触することがあったとしても、「神学院」そのものが、宗教施設である限り、宗教法人法的には、合法です。宗教の自由を認めるのが、宗教法人法の原則です。裁判で「廃止」を要求することは出来ないと思います。
四国三郎 2005/7/29 (Fri) 13:20:37
今になって、なんと!これはびっくり!驚きましたね。高松の神学院は国内法(宗教法人法)のどこが合法なんですか?
通行人C 2005/7/29 (Fri) 09:15:57
高松の神学院は、国内法的には合法でしょうから、裁判で「閉鎖」を勝ち取ることは出来ないと思います。問題の次元が違うと思います。
2005/7/28 (Thu) 12:56:01
不法にできた神学院で法的にそれを閉鎖する事もできるなら ひとつ裁判を起こしてみるというのはどうなんでしょうか。費用がたくさん必要ならカンパを募るとか。
反省しましょう 2005/7/28 (Thu) 10:15:50
司教協議会の『合意』と言うのは1971年のことを指しています。それは今もきちんと生きているということです。従って先の司教協議会でも「高松の神学院は、教区司祭を養成する神学院として認めない」ことを確認。つまり、当時(1992年)妥協したのではなく「ネオに走るF司教のエゴによってつくられた不法の産物で、司教団には一切関係ない」と言うことになっているようです。
通行人C 2005/7/28 (Thu) 09:15:11
反省しましょうさん、
司教団の全司教が署名したからと言って教会法上の効力が発生するとは限りません。事後の経緯を見れば、「署名」そのものが妥協の産物だったのではないですか。日本の全司教区が協力して新しい大神学院(いわゆるネオの神学院)を創設すること自体不自然でしょう。実質抜きで、あちらもこちらも名目が立つ取り決めを妥協というのです。
しょうゆ豆 2005/7/27 (Wed) 19:26:24
宗教法人法を犯しているなら、その事実に基づいて神学院閉鎖を申したてるような訴訟を起こせるのですか?とのことですが、出来るでしょう。前にも書きましたが、名誉毀損として進んでいった訴訟の最終の進行協議の際、裁判官は、「話し合いの条件づくりのために10年前の諸資料を出して、さまざまな問題点を明かにしてきた。これらのことが別なところに委ねられ、名誉毀損に絞ると今までのことが出てこなくなる可能性があるが、それで問題ないか」と確認されたのです。(ドキュメント司教の裁判より)ですから、別のところに委ねることができると言うことだと思います。
そしてまた、裁判長は「共通認識の点でまだ話し合う土俵づくりの段階だ」と前置きして「宗教法人法や規則を守るという認識を含めて、一歩一歩事実を確認する作業を進めてきた。この問題は原告たち信徒だけでなく、被告の周りの人たちの間でしっかり考えられるべきこと。共通の認識の上に立ってコミニュケーションが広がるよう、その動機付けとなることを期待したい」(ドキュメント司教の裁判)旨表明されたのですから。法を司る方としては無視できない由々しき事柄ではなかったでしょうか。
裁判の結果は聖座にも届き、キム枢機卿様が特使として調査にこられると言う事態になったのです。私は、司教団はこの裁判長や裁判官の言われたことを軽々に受け止められてはいないと考えたいです。
誰もが出来ないことを、カトリック信徒ゆえに、その誠実と信念で捨て身で上に立ち向かわれた方にとっては、これで終わったなんて決して思うことは出来ないような状況です。神学院は依然として存在しているのですから。
反省しましょう 2005/7/27 (Wed) 19:05:43
↑日本の司教団は「諸教区共立神学校」とするよう合意して全司教が署名しているのですから、これは教会法に基づく規範であります。司教の権限以前の問題であり、妥協というのはおかしな話で、合意事項をどうするか徹底的に協議しておくべきことでした。
通行人C 2005/7/27 (Wed) 18:08:00
横から見る限り、高松大神学院の設置は、日本司教団と高松司教との妥協の産物だと思います。司教団には、司教を拘束する法的根拠は無く、司教にも司教団に反対する法的権限はあっても、外交的(付き合い的)根拠は薄弱です。そこで、東西に正規の大神学院があるにもかかわらず、特殊の目的のためと言う名目で、高松司教の権限行使を認めたものと思われます。
これはあくまでも横からの観察ですから間違っていたら訂正願います。
2005/7/27 (Wed) 16:10:55
宗教法人法を犯しているのなら その事実に基づいて神学院閉鎖を申し立てるような訴訟も起こせるのですか?
しょうゆ豆 2005/7/27 (Wed) 12:44:31
高松の神学院は設立の段階から日本の宗教法人法に触れて違反していたのです。 信徒はそんなこと全く知りませんでした。山下神父様が森岡さんに託された、(しょうゆ豆はそう思っています)神学院関係の書類のコピーを送られ訴訟に至るまで。
その上、信徒たちは高松の神学院は、教区司祭を養成する東京神学院・福岡サンスルピス神学院と同質のものと聞かされていたのです。
日本司教団で1971年に「日本における大神学院の設立は、教区のものであろうが、司教団の権限にある」と合意していたにもかかわらず、高松の『国際宣教神学院』はこの合意事項を無視し、1990年に設立されたのです。
司教団は1992年に特別臨時司教会議を開催し、高松の神学院は、「教区司祭」の養成でなく、「新求道共同体の司祭養成のための神学院である」とすることで納得し、議事録には「司教団は『国際宣教神学院』は、高松教区司教である深堀司教の認可のもとに新求道共同体のための神学院として設立されたものであると理解する。」と記録されていたのです。
この司教団の意思を、そのころ高松の一部の信者たちは早々と知りました、そして、それまでの深堀司教、主任司祭の発言や、新求道共同体の人たちの解せない言動が相まって不信感と不安を強く抱き始めたのです。しかし“おかしいと思うが、何だかよくわからない、疑問をぶつけても、すっぺらこっぺらとかわされる”という年月だったのです。森岡さんの勇気ある捨て身の行動により、疑問に思っていたことがこの数年の間に明かな確証として捕らえることが出来るようになったのです。
だから、高松の神学院は、日本の宗教法人法を犯しているにもかかわらず存在しているってことです。その上、そこは、前出の司教団の議事録に記載されているように、新求道共同体のための神学院ということで、教区の信徒のほとんどがあゆんでない新求道共同体の神学院ということになります。新求道共同体は単なる活動グループであって法人格を持っていません。宗教法人の格を持つ、宗教法人カトリック高松司教区の後ろ盾、保証がなければ設立することは出来ませんでした。
高松教区信徒は、神学院が教区立ゆえに、「存在する以上」、支えてゆかねばならないと言うことになります。信徒無視の状態で設立された望まない神学院を・・・。
過日のカト新に掲載されたように日本の教区司祭養成のための神学院が東京・福岡が合同となるならば高松の信者はきっとそこを支援するでしょう。
司教団は、日本の「教区司祭」の養成の場として、高松の神学院は認めていないと言うことでしょうね。カトリック新聞ではっきりと日本全信徒に示されたと私は思いました。
通行人C 2005/7/26 (Tue) 18:23:05
神学院が実際に「閉鎖」されれば、大きな前進だと思います。
四国三郎 2005/7/26 (Tue) 13:46:47
7/23 の通行人Cさんのコメントに〈紛争の原因となった神学院は、改変すべきでしょうが、果たして教区民に有効な手段があるでしょうか〉・・・・とありますが,その神学院を『閉鎖』することになれば、それは有効な手段という事にはなりませんかね?
三重県人 2005/7/23 (Sat) 22:04:22
信徒の人権を侵害したと裁判所に判断された前司教は謝罪し、その状況でなされた拝領禁止の判断を無条件で撤回することを、本人(又は現司教)が公式に明言すべし、ということに賛同し、ここで公言し、しかも具体的に行動する。そのようにしたら、通行人Cさんの投稿の冒頭のセリフ(「良くわかります」)に偽りが無かったと確信します。残り(★三つ半)はそれから考えます。(ネオは人権侵害容認ですか?)
一方では差別弾圧された人達のために働きながら、もう一方では差別弾圧の加害者になる、このような団体は国内外キリスト教非キリスト教、どこでもある(ポストモダン)。(偽善憎悪虚偽、また人権侵害差別などは、全て他者に存し、自分はきれいだと信じるのは、まさにカルト。前半は宗教系、後半は政治社会系に多い。)
ネオがフィリピンでよい仕事をしているのが本当なら、それは良いこと。でもそれは、このサイトで問題の、日本でのネオがらみの不正、間違い(人権侵害)を、正当化はしません。答えましょう。(肝心の問題についてダンマリを決め込む不誠実な人達が問題を「風化」させます。でも永遠の相のもとでは「風化」は存在しません。)
通行人C 2005/7/23 (Sat) 09:44:49
三重県人さんの言われること、お気持ちは、良くわかります。しかし、現在の教会システムでは、これ以上何が出来るでしょうか。ここに投稿しても何も変わりません。趣味で理論を弄んでいるのだろう、と仰る方さえおられます。★
裁判自体は不幸なことでしたが、判決が出た以上、それを認めるのが常識でしょう。つまり、信者に対する管理者の「謝罪」ですが、果たして実のある結果を出させるでしょうか。★
紛争の原因となった神学院は、改変すべきでしょうが、果たして教区民に有効な手段があるでしょうか。★
新しい管理者の選任に教区民はどれだけ参与できたでしょうか。★
司祭不足を補うネオだそうですが、そのためだけなら、既婚者の叙階、シスターの叙階など手は色々考えられますが、現行のシステムでは、至難でしょう。★
以上のようなことから、問題は行き詰まりだと判断します。そしてもっと抜本的なところにメスをいれない限り、高松問題は、ひとつのエピソードとして風化していくのではないでしょうか。いままで多くのことがそうであったように。★
東京都人 2005/7/23 (Sat) 09:35:57
三重県人さんの考えは分かりました。投稿されている発言の範囲にて。ま〜、頑張ってください。ちなみに、私はネオではありませんので。あしからず。
三重県人 2005/7/23 (Sat) 00:06:19
「終わらないかもしれませんね。」「書き込みも同じことの繰り返しばかりですね。」「どこかで線引きしないといけないんじゃないですか」とのこと。
原因は、そもそもの問題に答えようとしない人がいるから。名誉毀損、判決が出たのに黙っている前司教の態度、学院建設費、聖体拝領の禁止は妥当性、などがそもそもの問題。と書くと、「東京都人」さんは、「同じことの繰り返し」、と言うでしょう。当事者達が誤魔化している限り、質問は続けざるを得ないのです。繰り返さざるを得ないのは、教会全体にとって極めて重要な問題について、一方の当事者達がダンマリを決め込んでいるからです。それどころか、彼らの側に立つ人間達が、問題点を誤魔化すような発言を執拗に繰り返すからです。問題をすり替えようとする発言が「同じ」ように続くならば、「同じ」ように真実を守らなければならないでしょう。このサイトを責めるのはお門違いです。当事者たちが謙虚に反省すれば「終わ」ります。ダンマリ、オトボケを続ける人に、あなたの批判の矛先を向けましょう。
「どこかで線引き」、ですか。法律には時効があります。でもそのことが念頭にあるなら、つまり法律の考え方がもっともだと思うなら、前司教による名誉毀損が法律によって裁かれましたから、これについてまずはっきり発言しましょう。
問題の原因になった集団もしっかり存在して、当の責任者も、解決することが務めであった後任者も黙ったまままいて、なにより不当に苦しめられている方々がまだいらっしゃって、つまり問題はまだ現実の問題として存在しています。なにが「線引き」なのでしょうか。
間違いを犯したならば、それを認め、相手に謝罪をする、当然のことですね。「線引き」、つまりなかったことにするのが良いですかね。これがネオの考え方ですかね。 体の一部である他の信徒、不当な苦しみを受けている信徒、つまり本来ならばあなたと同じ体であるはずの信徒に対して、「アンタが不当にも受けた苦しみは「線引き」だよっ」、て冷たく言い放って捨て去りましょうか。これがネオですか。
あと、ネオ、前司教と現司教は、Mt5.23-24は読んだことがないのでしょうか。
「@司法では勝利。」
森岡様方にとって、司法で勝利することが大事であったと東京都人さんが思っているならば、それは森岡様方に対するとんでもない矮小化、誤解、そして侮辱でしょうね。東京都人さんなら「勝利」と感じたのでしょうか? 森岡様方にとっては、判決の出た当座は表面的に一瞬気が軽くなったとしても、判決は苦しく悲しく、教会の一部である自分たちにとっての負けである、否、裁判をせざるを得なかったこと事態が、自分達の属する日本のカトリックの信仰と教会の敗北であるという、引き裂かれる思いだったでしょう。もしもこの辺りが理解できないならば、東京都人さんが司牧に、文字通りの言葉としてのSeelsorgeに間接的にすら関わらない方であることを切に願います。
「A問題の司教は、四国を出ていった。」
「問題の司教」を四国から追い出すことが森岡様方の目的であったと思っているならば、それはとんでもない矮小化、誤解、そして侮辱でしょうね。以下、上に同じ。
「・・・・とりあえず、信徒の勝利。」
勝利、だとは! 信徒にとって最も大事なことは未解決なまま残されています。お分かりですか。ひょっとして、「東京都人」さまご自身は信徒でいらっしゃらないのでしょうか?
Bネオの神父の件が残るが、実際問題として、神父がいないよりましと考えると、適当なところで、妥協という方法もあるのでは?
「東京都人」さんに一歩譲って、数を揃えることが大事(シニカル)だとするならば、ネオでない人で司祭の数を揃えるのが望ましい。信徒の心と魂を尊重し大事にする強引でない人を、司祭にするのが望ましい。
ところで、「適当なところで、妥協という方法」が、ネオの信仰のあり方なのですか。内輪でどうかは知りませんが、少なくともネオでない他人に対しては妥協することを知らない人たちのようですよ、なぜなら、無理なことをされて傷つく人が多くいますから。
「これが世の中。現実を見るのも必要ね。」
ため息が出てしまいます。シニカルである、非キリスト教的である、と思います。この間の現実主義者というネームの人の発言もそうです。(同じ人でしょうね。)例えば1K1.20を読んだりして、教えに従おうとする自分と世の中の現実に生きる自分との狭間にあって苦しんだことが少しでもある人ならば、こんなシニカルに断定することはないでしょうね。
でも東京都人さんは意外と正しいかもしれない。そう正しい、賛成、現実を見ましょう。かつて司教が信徒の人権を侵害しました。巨額の金が、正式の手続きを踏まずに支出されました。東京都人さん、ネオの人たち、目をそらさずに、しっかりこれらの現実を「見」てください。(そして答えてください。)
「通行人C」さんは「高松教区の問題は、これ以上発展は無理」とのこと。問題を膠着させているのは誰でしょう。人権侵害をしたと司法によって判断され、彼(ら)はそれを認めました。(何もしない、という不作為が作為と同じ重さを持つことは、毎度のおミサの最初の方で全員唱えています。)発展を阻んでいるのは、一人の人間としての最低の誠意である謝罪や釈明すらもせずにだんまりを決め込んでいる人、そして、そのことについて同じくだんまりを決め込んでいる関係者。(というより、彼らはむしろ饒舌です。しかし、肝心の問題についてはダンマリを続けている。話さないために話続ける人たち。話したくないから話続ける人達。)
「これ以上発展は無理」というのは全くの間違いでしょう。彼らが肝心要のことに簡潔かつ誠実に発言すればよいのです。「通行人Cさん」、人権侵害を行ったと司法が判断した前司教、神学院の建設費について、簡潔かつ誠実なご発言を期待しています。
現実に存在し続ける問題にフタをし、苦しめられている人々を切り捨てることは、「抜本的な刷新」の正反対になるでしょう。
通行人C 2005/7/21 (Thu) 11:53:01
埼玉県人さん、理論なしに明日に向かって進めましょうや。何らかの解決に向かわない理論は、空論です。
埼玉県人 2005/7/20 (Wed) 10:11:55
通行人Cさんは、この問題に便乗して自分の教会刷新論を展開することが目的で、もともと解決には興味ないんですね。よく分かりました。
通行人C 2005/7/19 (Tue) 18:26:34
東京都人さんの意見に賛成。高松教区の問題は、これ以上発展は無理。この辺で一応締めたほうがよさそうです。事後をどうするかという問題が残りますが、これは、教会全体の抜本的な刷新を論じながら、実務的に解決すれば良いと思います。掲示板は、このままで良いと思いますが、内容をもう少し広げ、深めたら、という提案です。
東京都人 2005/7/19 (Tue) 15:03:40
レスしてますけど、この問題は長いですね。いつ終わることやら。ひょっとして、終わらないかもしれませんね。そして、書き込みも同じことの繰り返しばかりですね。もちろん、書き込む人は、その時期時期で変わってきていると思いますが。しかし、どこかで線引きしないといけないんじゃないですか。
@司法では勝利。A問題の司教は、四国を出ていった。・・・・とりあえず、信徒の勝利。Bネオの神父の件が残るが、実際問題として、神父がいないよりましと考えると、適当なところで、妥協という方法もあるのでは?
ま〜〜、スッキリとはいかないが、これが世の中。現実を見るのも必要ね。
あしたに向かって 2005/7/18 (Mon) 23:01:21
みなさま、いつも「あしたに向かって」の掲示板に様々な形で参加してくださり、心より感謝申し上げます。ここで連絡です。
明日から2週間ほど留守いたしますので、掲示板の管理ができません。書き込みの訂正などもできませんので、どうかご了解ください。
みなさまのご意見の良き交わりの場として、開いていきます。
今こそ、決してあきらめることなく現実をしっかりと見つめ、信頼と希望と愛をもって、主と私たちのあしたに向かって流れていってほしいと祈ります。よろしくお願いいたします。
(W 2005/7/18 (Mon) 20:51:05
Akiさんへ
“国際カテキスタ”ではなく<道の国際責任者チーム>のことです。彼らがこのサイトの全てを知り、日本の現状を正しく理解(嘘を報告したり、誤魔化したりしないで)したなら、もう日本から引き揚げた方が良い、と思うことでしょう。
三重県人 反省してます 2005/7/18 (Mon) 20:41:10
叙階されれば、手続きに従っている限り秘蹟は有効です。その意味では正しくシニカルでも何でもありません。ごめんなさい。
でもこの教義って迫害の最中で生きるか死ぬかの状況の中から生まれたのですよね。いまのような幸せな世の中でこれを振りますのは、教義上は正しい、でも実際には司祭のモラルハザードを惹き起こすだけでしょうね。
信仰の弱い私などは、いかがな司祭から秘蹟を受けるくらいならば、よその教会で授けて欲しくなってしまいます。私は間違っています?
三重県人 ねちこい 2005/7/18 (Mon) 20:26:38
ですから、「日本に居ない」ことを理由にして引っ込むならば、その理由とは別の、あなたがおっしゃらない別の理由で引っ込むのだと思います。その理由とは何ですか? 教えてください。いや、逃げる者をしつこく責めるようなことはやめましょう。Akiさんは(ご本人かどうか知りませんが、少なくともこのネームは)、ネオにしては、比較的simplexでsincerusな人(ネーム)だったと思います。
あなたが「何も具体的な問題解決の糸口」を見つけられないのは、あなたが「日本に居ない」からではなく、ここで最も重要な問題に答えようとしないからです。(何がここで重要な問題かはご存知のはず。知らないならお教えします。)
技術的には答えられます。答えないとしたら別の理由からです。私は遠いフィリピンにいるから、と被害者意識を装って去る前に、一言率直に答えてください。(それでも答えないならば、、?)
歌舞伎なら、さあさあ、といった感じ。答えるか答えないか、これでネオがどの程度simplexでsincerusなのか分かるでしょう。
三重県 しつこい 2005/7/18 (Mon) 20:25:10
いつもシニカルな口調になってしまいます。でも、前任者の人権侵害に対してダンマリを続ける方が、そして、謝罪すらしないご本人そのものが、しらばっくれたまま、今でも毎日ミサを上げつつある(御聖体を捧げつつある)ことに比べれば、それほどシニカルでないかも知れません。(これは本当に恐ろしいこと ! )
Akiさん、「日本に居ない私では、何も具体的な問題解決の糸口は見つからない、と言うことですね」とのこと。どうぞ無力感に捉われないでください。
まず、ここは言葉のやりとりの場です。あなたの体が日本にあろうとも、フィリピンにあろうとも、はたまた火星かアンタレス第10惑星にあろうとも、インターネットに接続できるならば、全く関係のない話です(おっと光速が上限でした、アンタレスはごめんなさい)。体が遠くにあってもすぐ直接に言葉のコミュニケーション(それに随分前から映像のコミュニケーション)ができます。近くでインターネットに接続できないならば、できる人と連絡を取りつつ、ここに投稿してください。数日程度のラグは、他の理由でも、いくらでもあります。私自身、毎日ここにアクセスするわけではありません。
Akiさん 2005/7/17 (Sun) 17:11:01
(W)さん
日本に居ない私では、何も具体的な問題解決の糸口は見つからない、と言うことですね。
わかりました。こちらでできることから始めてみます。提案されているように国際カテキスタの人達と直接連絡が取れるかどうか、今のところわかりませんが努力してみます。
規約のことですが、日本であるいはフィリピンを含む海外で守られているかどうか、と言うことについて意見を求められているのだ、と理解しましたがそれでよいのでしょうか?
カルトの見分け方 2005/7/16 (Sat) 09:02:01
■1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する ■2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない■3.自分の頭で考えることをしないように指導する■4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ■5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い■6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える■7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある■8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる■9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている■10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする■11.外部に対して正体を隠す傾向がある■12.生活が細部にわたって規定される■13.組織が信者の生活のすべてになっている■14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている■15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える
(W) 2005/7/16 (Sat) 13:03:12
Akiさん
あなたは「ネオの規約」を細かく読まれたことがありますか?
日本における問題解決の糸口?あなたが何か出来ると思われているのでしょうか?
それより先に、まずネオの《国際責任者チーム》のメンバーと話し合ってみてください。
(W) 2005/7/16 (Sat) 08:15:06
Akiさんネオの規約のこと(W)にも答えてみてくれませんか?
Akiさん 2005/7/16 (Sat) 03:35:50
三重県人さんへ、
ROMしていましたが、勘違いしていらっしゃるようなので、改めて投稿します。
管理人さんに私の見解の投稿許可を求めました(長文なので断られました)が、管理人さんから私と議論(私の率直な見解に対して、色々な方のコメントを頂きたかったのです)を希望する方は、私のアドレスまで直接連絡してください、と言うことでしたので、私としてはこの掲示板運営に支障をきたす事であれば、止むを得ない処置だと思い、三重県人さんや彦左衛門さんを始めとして、熱意が感じられますと言われた管理人さん含めて、私のこの掲示板のどなたからか問い合わせがあるかと待っていましたが、今日現在までたったお一人、お問い合わせのメールを頂戴しました。
一度私のブログを読んで、そしてコメントを頂ければ幸いです。
三重県人さん、一度お立ち寄りください。読まれない内(どこからかアドレスを入手されているかもしれませんが)から、一方的な独断を表明されるのは、私としても納得いきません。
私は同じキリストを歩む者として、同じ日本人として違った角度からこの掲示板の趣旨に賛同し、何か解決の糸口が見つかるのではないか、と考えています。
本当は一方の当事者でもある共同体の人からも、この掲示板に投稿があればと期待しているのですが、残念ながら今までは皆無、といっていい状態です。あなた方にとっては私は、所詮海外にいる部外者ということかもしれませんが。
三重県人 2005/7/15 (Fri) 22:53:59
口を慎むと言いながら、またしゃしゃり出てくる私は信用できない嘘つきでしょうね。
でも、名誉毀損をしながら謝罪もしない人が、司牧者として愛だの義だのを説くとしたら、それはもっと大きい嘘つきでしょう。
また、問題のある巨額の金の恩恵を蒙りながら、真の信仰だのカテキスムだの求道だのを言う集団がいるとしたら、これも私以上の大嘘つきでしょう。泥仕合になってきました。管理人様削除するなら削除してください。およそキリスト教徒の名に相応しくないことです。しかし今は、よく言えば、蛇のように賢くあらねばならないのかも知れません。
まずAkiさんは、ネオに関して人権が侵害され大きな金が不明瞭な使われ方をした、という、このサイトの中心問題に答えず、ネオがいかにフィリピンで頑張っているか、つまり、どれだけ良い団体であるかを述べようとしました。ネオが原因で間違いが行われたのに、そのことは無視して、饒舌に(A410枚?)ネオの宣伝をしようとする、これは不誠実のお手本そのもののように思われますが?
なぜかAkiさんが消えて、突然、現実主義者さんが出てきましたね。口調も随分違います。でも、同一人物、または近い関係にある人物でしょう。カルトであることの一端が伺えるように思います。2005/7/14 (Thu) 10:48:47の投稿の口調に、その本性の一端が現れていると思います。表面はきれいで親切そうなことをいっても、苛立ったり怒ったりするとどうなるか分からないのでは。
現実主義者さんは、「教会に精錬・潔白ばかり求めないで、現実をもっと見なさいといっているの」、とのことです。フィリピンでは一部でうまく行っているかもしれません。でもね、このサイトでは、日本の信徒の現実を無視するネオに対して、日本の現実を「もっと見なさいといっているの」! (かっこ内は現実主義者さんご自身のお言葉です。)
現実主義者さんの 2005/7/11 (Mon) 11:11:30の投稿に戻りましょう。
「きれいなことばかり求めない方が良い」
そうならば、きれい事をいって軋轢を惹き起こし人を傷つけるネオ(これがこのサイトに関わることです)のことはどう思いますか。きれいなことを追求しているような主張をしていますが、人を苦しめているのでは? このような日本のネオについて、まずはっきり発言してから、その他の発言をしましょう。話をずらしてまくし立てる、これが不誠実な人の特徴です。そもそも、いまの日本のネオのように、きれいそうなことばかり求めているようなことをして人を傷つけるならば、「きれいなことばかり求めない方が良い」(これは現実主義さんのお言葉)。
「教会も、人の集まりですから、完璧に清廉なことばかりではないと思います。間違いも犯すでしょう。」
あなたの言ったことは正しい。誰でも間違います。だからそれは誰でも同じ。でも、間違いが分かったときにどうするか。これが人によって違うのです。人の人権を侵害した(名誉毀損した)ことが分かったときにどうするか(判決が出たから人権侵害は確かです。でも自分は判決を超越していると思うなら正にカルト)。自分達が原因で他人の人権が侵害(名誉が毀損)されたことが分かった時にどうするか、これが違いをもたらすのです。(あなたはどう思っていますか。ネオはどうするのでしょうかね。)
「教会は組織ですから、組織維持のためには、個人が排除されることもあるでしょう。」
一匹の迷える子羊を救うために良い牧者は探しに出かけます。これがキリスト教です。現実主義者さんは、一匹の正しい道を進む子羊を、誤りを犯した牧者が見捨てることを勧めています。現実主義者さんの言葉は随分シニカルですね。このように言い切る口調には非人間的な響きすら感じますが、私の誤解でしょうか。ネオが本性を見せてきたように思っしまうのですが。
これら余計なことを考えなくでも、セリフ自体がすでに神殿祭司的なようです。ヨ11.49を読んでください。結構露骨でしたね。ネオってこうなのでしょうか。
「バチカンも資産運用に株式投資などをしていますから。」
そりゃそうでしょう。人はパンなしでは生きられません。(最近じゃ、小麦粉も、操作された遺伝子が知らない間に入っているかもしれません。花粉は風で知らない間に運ばれますから、ホスティア自体、確証はないかもしれません。私は当然のことながら、一々DNAの検査をしろなどとは言いません。) そもそも、これだけ複雑化した社会で、巨大なバチカンが、全てを清く生きることはできないのは当たり前だと私は思います。でも繰り返しますが、間違いが分かった時にどうするか、これが重要なのです。あなたのようなことを言って誤魔化しましょうかね?
そもそも、このサイトで問題になっていることは、それ程に複雑なことではないのです。むしろとても簡単です。前司教が誤りを認め謝罪し、現司祭と共に、いま苦しまれている方々を無条件で御聖体の拝領に招く、これで第一段階はクリアー。何も複雑な証券市場の話を持ち出す必要はないのです。(これもネオが自分達に都合が悪い話はずらそうとする一例ですね)。
なぜ前司教は自分の、そして現司教は前司教の間違いを認めないのでしょうか。認めるとすべてが瓦解するとでも思っているのでしょうかね。自分自身が他人の誤りを赦さない人は、自分の誤りも他人に同じように赦してもらえないと思うものです。
前司教と現司教が誤りを認めるならば、多くの信徒が教会に働く聖霊の働きを感じて、離れた人は戻り、信仰が弱まった人は強めるのでしょうに。
残念なことです。
「精錬(清廉?)・潔白の教会ばかり求めないで、現実の教会を受け入れた方が良いのでは 」
ならば、ネオも、日本の現実の教会、壊そうとした小豆島のかつての現実を受け入れてください。あなたが言いたいことの本当は、自分達ネオを受け入れろ、ということでしょう。それならば、ネオと違う他の信徒をまず受け入れてください。自分達を違う信徒達が先にいたならば、まずそれを尊重して受け入れてください。そのように最初からしていれば、あなた方も受け入れられ、いろいろな問題は起こらなかったでしょう。
らー 2005/7/17 (Sun) 01:38:32
神父様、「消滅したほうが良い」なんて、おっしゃらずに、我々信者と教会の回心の為に、ミサを捧げ、そして神と聖母に祈って下さい。
通行人C 2005/7/15 (Fri) 17:14:31
かつて利息を取ることは、大罪として禁じられていましたね。
現代では、教会が「投資」をすることは、武器産業などを支援することになって、許されないのではないでしょうか。
もし、そうしなければ教会が成り立たないのなら、そのような教会は、キリストの教会ではないわけですから、消滅したほうが良いと思います。
らー 2005/7/15 (Fri) 01:24:48
バチカン銀行のお金の運用自体は、別に問題ないでしょう?
現実問題、金がなければバチカンも維持出来ないし、第三世界の貧しい教会も財政的に支える事が出来ない。
日本ですら十数年前までバチカンから金銭的な援助受けてたんですから。
私自身は、そんな事よりも憂慮している事が、隠れた部分に山ほどあると言う事ですよ。
S.T 2005/7/15 (Fri) 13:29:05
↓のこと。「最近はネオの人は献金が多いから、信仰も深い」なんて言う主任司祭、それ本当に修道会の司祭かいな?
その主任司祭は、ネオの人たちがどこで何をしているのか、本当に知っているのかいな?ひどい神父もいるものですな。
オホーツク人 2005/7/12 (Tue) 23:56:16
教会に来る事ができない人がいる・・・・・・どうこうあろうとも、神父さんを説き伏せなきやならないですね。
教会がだれのために開けられているのかを改めて認識していただくように説き伏せましょう。ご近所の方、助けて下さい。
natsuko 2005/7/12 (Tue) 13:49:50
うちの主任司祭(修道会の司祭、ネオではない)はネオといえ信者だから、大切にしたいといいます。
確かにそうかもしれませんが、それによってネオでない信者が何人も教会に来なくなっています。
来ないというより、来ることができないでいるのです。それに最近はネオは献金も多い、信仰が深いからだと言い出す始末。
勘弁してほしいです。私もいつ気力がなくなってしまうか自信がありません。
通行人C 2005/7/12 (Tue) 11:01:31
高松教区、そして日本の教会の課題は、ネオが異端であるか、カルトであるか、教皇認可であるか、などそれほど重要なことではないと思います。
課題は、一般信者の健全な意見がどのようにして有効に運営・司牧に反映されるか、そのための効力のある手段が明確に定められているか、という事ではないでしょうか。
つまり、聖職が、中央ばかり眺めないで、あらゆる点で弱い信徒一人ひとりと実効的に連帯しているか、と言うことでしょう。
現実主義者 2005/7/14 (Thu) 10:48:47
と言うことは、何をやってもいい。救霊さえできれば良いということ? 福音に、これって有りか?
「ら〜」さんは、二元論者? エジプトは、二元論だったかな〜〜??!! (*_*)?!?!
らー 2005/7/13 (Wed) 01:48:36
現実主義者さん、正直言ってバチカンの金の運用なんてどうでも良いと思っています。
個人的には、バチカン内部でうごめいている闇の力に憂慮していますね。こちらは救霊に関わる事ですから。
現実主義者 2005/7/12 (Tue) 11:03:19
だから、教会に精錬・潔白ばかり求めないで、現実をもっと見なさいといっているの。分かります。(笑)
らー 2005/7/12 (Tue) 02:25:39
>そもそも、バチカンも資産運用に株式投資などをしていますから。
まぁ、これ自体は、悪くはないでしょう。株式投資を否定したら、社会も会社も成り立たなくなってしまう。
あなたが書き込みのために使っているパソコンも通信も多くの人が
投資してくれてるからパソコンを買う事もネットを利用する事も出来るのです。
>その株式投資先が武器関係の企業でその大株主だったということもありますから。
>精錬・潔白の教会ばかり求めないで・・・
金や為替や株式投資などをしてバチカン内での銀行化を計ったのは、カトリックに改宗したユダヤ人によってでした。
その際、教皇に「投資先については教義の面から一切口出しをしない」と言う約束の下、全ての資産運用をまかせられていました。
まぁ、理由はどうであれ、相応しくない投資先へは投資は控えるべきでしょう。
現実主義者さんが、郵便局や銀行にお金を預けてあるとしたら、意外と相応しくない企業にも株式投資されたり、お金を貸してるかもしれませんよ。(笑)
高松教区の現実を憂う 2005/7/11 (Mon) 13:28:43
先日の司教総会の発表から、3週間が経とうとしています。
今、私が危惧していることは、期を失すれば、高松教区の信徒自体がもう教会には戻っては来ないだろうという現実です。
実際には、籍はあっても多くの信徒が教会を離れ、心も離れつつあります。
これらの信徒たちは昨年の溝部司教の着任を希望をもって、受け止めたにちがいありません。ところが、期待は全く裏切られました。
今信徒たちには、教区が良くなったという実感が得られていないと思います。
6月の高松教区の信徒の書き込みのように、経済的な負担を強いられるだけで、信徒には信仰の喜びは得られていません。
今回も、司教総会では希望のある発表があっても、溝部司教が高松教区の改革に向けて何の具体的な方針や対策も打ち出さなければ、希望を見いだせない信徒たちは高松教区に見切りをつけるでしょう。
今こそ溝部司教は表面には出てこないこの厳しい現実を受け止め、経済的にも精神的にも信徒の負担が軽減し、希望を持つことができるように、必要な具体的方針と対策を打ち出すべきです。
ネオの規約のこと(W) 2005/7/11 (Mon) 13:22:04
Akiさんへ 日本のネオの人たちに緘口令という事はなさそうですよ。
こんなこと余り言いたくないのですが、よく聞き確かめたところ、ネオは教皇様の勧めで3年前に教皇庁信徒評議会から暫定的に規約が承認されたそうですね。
ネオが始まって43年間、何の約束事もなく自由気ままに活動していたのだそうです。
せっかくつくった規約なのに残念ながら日本ではことごとく守られていないことが判りました。
だからネオの人たちは公然と何も主張出来ないのだそうです。
このことに詳しい人の話しですと、ネオの人たちはこの規約を正しく守らないと、立場は益々悪くなる、前の教皇様もこのことをとても心配されていたそうです。
現実主義者 2005/7/11 (Mon) 11:11:30
ちょっと一言です。あまり、きれいなことばかり求めない方が良いと思います。
教会も、人の集まりですから、完璧に清廉なことばかりではないと思います。間違いも犯すでしょう。
それに、教会は組織ですから、組織維持のためには、個人が排除されることもあるでしょう。
それが現実です。そもそも、バチカンも資産運用に株式投資などをしていますから。
その株式投資先が武器関係の企業でその大株主だったということもありますから。
精錬・潔白の教会ばかり求めないで、現実の教会を受け入れた方が良いのでは。
三重県人 2005/7/11 (Mon) 23:38:31
「あしたに向かって」様 いつも迷惑をお掛けして申し訳ありません。またまぜっかえします。ごめんなさい。
「Akiさんの誠意は(中略)、伝わっているように感じます」とのことですが、実は全く伝わっていません。
名誉毀損のこと、神学院建築費のこと、ご聖体の拝領の禁止のこと、これらについて「Akiさん」が率直な意見をおっしゃるまでは、「Akiさん」の「誠意」はからっきし伝わっていませんし、「誠意」があるのかすらも分かりません。
また、「フィリピンの新求道共同体」にもさしあたり興味はありません。
私は最近例えば、「ネオの人達は、ある意味で教会の原点に立ち戻ろうとしている人達だと思います。」「simplicitasとは何か、これを求めようとして間違えて問題を起こすのがネオだと思います」などと申し上げました。
表面的には、ネオにおもねるような言い方をしています。
これが大部分レトリックであることを理解してください。
要点は、「ネオのあんたら、偉そうににきれい事をいって幅を利かせたいならば(ヤクザな口調でごめんなさい)、金の問題、人権(人格権、名誉毀損)の問題、まずはっきりさせてから発言してくれ、でなけりゃ、あんたらの言うこと全部嘘だよ」、ということなのです。
(私は最近、人間性無視みたいな酷い目にあっていますので、随分ヤクザになりました。)
要は、誘い水であることを理解してください。
(これで本当にネオが謙虚に反省し、教区に全額金を返し、苦しんでいらっしゃる方々に公式、かつ私的に、謝罪し、拝領の禁止を解く努力を一方的に行い、謙虚に信徒の声を聞くようになれば、私は考えを少しは訂正します。)
私は、問題の要点は、「神と教会と真実を愛する一信徒が、率直に司教の判断の間違いを指摘したが、当の司教は謙虚に反省することをせず、かえって逆恨み(これが問題の核心、本質)して、権力を振りかざした、つまり統治権者として聖体拝領を禁じた」、ということだと思います。
後任の司教が、就任に先立って、最善を求めることは善の敵である、と三重県津教会で言いました。
(これが私の投稿の起点でした。でも、一般の信徒を前にした説教で、イタリア語を振りかざす、何だったのかな? 学をひけらかしたかったのでしょうかね?)。
このせりふを聞いたときは、ちょっと期待しました。
でも、いまでは、それが、単に、不正や間違いを容認するための言い訳でしかなかったことを確信し、失望しています。
一般の信徒達の信仰と献金のうえにあぐらをかく司祭達は、居眠りしたり、司祭風を吹かせてみたり、本来の仕事以外に血道を上げたりしています。教会の司祭というよりは神殿の祭司みたいになっているこんな連中が多いから、ネオみたいなのもはびこるのです。
失望しがっかりしています。でも、私はカトリックであり続けるつもりです。
まだ敬愛すべき司祭方、四国でがんばっていらっしゃる方々のほかにも、目立たないけれど手本とすべき信徒方が少なからずいらっしゃるからです。
今日はすっかり手の内を見せてしまいました。これから口を慎みます。
Akiさん 2005/7/11 (Mon) 01:05:54
管理人さま この掲示板およびホームページの趣旨は十分理解しているつもりです。
私は、日本の新求道共同体に歩む方々から緘口令が敷かれているのか、全くの投稿がない現在、こちらに投稿されている方々も、議論は一方通行の気配です。
つまりほとんどの方が、共同体は否、とする方ばかりの議論では、トンネルの出口がはるか彼方に遠のくのではないですか?
私は海外の新求道共同体に歩んでいる者として、海外から見た目で、何かしら解決の糸口が見つかるかもしれないという、期待を持っているからです。
長文の私の見解について、新規にブログを立ち上げました。私のアドレスにご連絡下さい。ブログのアドレスをお知らせします。
これからはROMとします。ありがとうございました。
あしたに向かって 2005/7/10 (Sun) 22:28:06
Akiさん、申し訳ありません。
今現実として問題にされているのは、日本の高松教区における神学院等に関する問題です。
私たちは、それを否としているのであって、フィリピンの新求道共同体を対象としているのではありません。
「三重県人」さん「彦左衛門」さんほか議論を希望されます方は、直接Akiさんのメールアドレスにアクセスをお願いしたいと思います。
どうかご了解ください。
Akiさん 2005/7/10 (Sun) 14:03:08
管理人さま 了解しました。
この掲示板を利用される他の人にも迷惑がかかると思いますので、別の方法(別にブロクを新たに立ち上げてそちらにアップロードするなど)で、この掲示板にリンク先を投稿することは構いませんか?
私も新求道共同体に歩む者として、「三重県人さん」や「彦左衛門さん」の問いかけに対する私の個人的見解が、解決に繋がる方法を模索するきっかけにでもなれば、幸せと考えていますので。
あしたに向かって 2005/7/10 (Sun) 13:07:00
Akiさんへ 最近のAkiさんの書き込みを拝見しました。書き込みの許可を願われるなど、Akiさんの誠意はみなさまにじゅうぶん伝わっているように感じます。
ご希望のありました長文の書き込みは申し訳ありませんが、お受けできません。どうかご了承ください。
Akiさん 2005/7/10 (Sun) 03:04:44
「三重県人」さん、「彦左衛門」さん、ご指摘ありがとうございます。
別に本質的な問題の議論を避けている訳ではありません。私の表現の仕方が悪かったようです。
私は新求道共同体のスポークスマンではありませんし、フィリピンからわざわざ出張してきている訳でもありません。
言葉ジリを捉えてあれこれ言うつもりもありません。
私がこの掲示板に投稿するのは、一人の日本人として日本と違う環境で日々生活し、同じカトリックを信仰する者として新求道共同体に歩んでいる私が、その道に歩んでいる者がこの掲示板でなぜ口を開かないのかと、多少の苛立ちを感じているからです。
少しずつこれから、私の考え方を述べていきたいと思っていますので、トンネルの出口を見つけていくこれからの議論の一助になれば幸いです。
(管理人様、現在自前のホームページが工事中のため、他に私の見解(長文でA4サイズ10ページ程)をアップロードするところがないため、分けて投稿したいと思いますが、許可願えますか?許可を得てから投稿を開始したいと思いますので、よろしくお願いします。)
三重県人 2005/7/9 (Sat) 22:47:27
彦左衛門様 言い訳は潔くないのですが、一言追加。あなた様もお分かりくださっていらっしゃることとは思いますが、、、
私は「プロテスタントの異端である超過激的福音主義」とお書きし、プロテスタントが異端であるとは書いていないことを確認いたします。
(ただ、プロテスタントのごく一部には異言などがとても好きなような人たちもいるのです。最近お縄になった性犯罪者も分類上はプロテスタント系でしょうね。)
プロテスタントの、例えば日本キリスト教団、日本キリスト教会、ルター(ルーテル)派の主だった諸教会など、それにプロテスタントといえるのかは存じませんが英国国教会系の方々、他にもいらっしゃるでしょうが、これらの方々は異端という言葉とは無縁の方々、それどころか、「fratres
nostri」だと確信しています。(聖職者は全員、「fratres nostri」がテーマになっている文章をつい最近お読みになった筈です。)
また私もネオが異端であるとは言っていません。
私が申したかったのは、聖伝を知るためには、つまり聖霊の恵みの賜物である教会の聖なる伝承を学び、信仰の糧とするためには、「ラテン語ギリシャ語ヘブライ語」を勉強することが必要だ、ということです。
勿論、一般の信徒までが、これらの言語を勉強する必要があるとは言っていませんし、思ってもいません。
しかし、神学院で勉強し、将来司祭になる、教導職につく、つまり牧者として教え導こうとする人達にとって、最低限ラテン語位はしっかり勉強することが必要ですし、それは教会法も求めていることです。
(四国の神学院では当然しっかりラテン語をマスターしているのでしょうね? ちなみに私は聖職者でもなく単なる下手の横好き。)
もし万が一、自分は聖霊によって導かれているから大丈夫と思って、ラテン語ギリシア語ヘブライ語を、自分にせよ他人にせよ、勉強することの意味を否定するような人がいるならば、それは聖伝をしっかる学ぶことの意味を否定することになりますから、それは異端になると言いたかったのです。
ネオの人達は、ある意味で教会の原点に立ち戻ろうとしている人達だと思います。
従って司祭になる人は、教会法に従いラテン語の十分な勉強をした上で、エルサレム教会では恐らくアラム語が話されていたでしょうからアラム語も勉強し、新約聖書の原語であるギリシア語は当然勉強し、原始キリスト教団にとって書かれた聖典であったいわゆる旧約聖書の大部分の言葉であるヘブライ語も勉強しているでしょう。
全部を完全に学ぶことが可能であるとも必要であるとも思いませんが、地道な努力による聖書と聖伝に関するそれなりの勉強もせずに、いろいろなことを押し付けるような人がいるならば、それはとんでもない傲慢不遜の扇動者でしょう。
古来日本では、仏教の僧侶には学問と修行が要求されてきました。
ネオの人たちも、この二点をしっかり修めるならば、自ずと日本人の信徒が集まり随ってくるでしょう。
(これはネオ以外の聖職者にも言いたい。)
以上のことは、多分、彦左衛門様も賛成なさってくださるとおもいます。
間違いがあるならばどうぞお教えください。(管理人様、話がずれてごめんなさい。)
らー 2005/7/9 (Sat) 01:41:14
否、ネオは、異端そのものです。いずれ無くなるでしょう。
彦左衛門 2005/7/9 (Sat) 01:31:48
教会は過去、多くの謬説に異端のレッテルを貼り、信徒に警告を発してきました。
しかしそれらは現在なお存続しているとしても、信徒の信仰生活を実際に脅かすことはありません。
プロテスタントの多くの教説と教会に至っては、確かにかつて異端とされていましたが、いまでは、むしろ、カトリックの友好団体でもあるかの様な状況で、教会はこれに何らの脅威を感じていません。
しかしネオは違います。高松教区の今日の現状がそれを雄弁に示しています。
そして、「あしたに向かって」は、すでに千万言を費やして、ネオに由来する教区の紛乱と、善良な信徒たちの苦難と苦悩を語り、その解決を訴え続けているのです。
ネオがバチカンをたらしこんで、その承認をえていることなどは、今更、Akiさんから教えてもらはなくても彦は先刻ご承知です。
我々が、フィリッピンからわざわざ出張して来られた、ネオのスポークスマンから伺いたいのは、教区の現状とその問題点へのご意見です。どうか、偽らず、ごまかさず、その現実と正面から向きあってください。
「横に置いて」なんて、おっしゃって、根本的な問題から逃げてはなりません。
彦が、ネオは今世紀最大の異端だと言ったところ、わざわざフィリッピンから、Aki さんが出張して来て、反論されていました。
教皇も推奨し、バチカンのしかるべき機関からも認証を得ているネオが異端であるはずはなずはない、それは許されざる誹謗であるという議論と思われます。
ところで異端という言葉ですが、これはもう死語と言っていいものかも知れません。教会の公文書にもこの言葉が登場しなくなって、長い時間が経っています。
それをわざわざ彦が引っ張りだして来て使用したのは、ネオが現代の教会にとって大きな災厄を意味するカルト団体であることを強調するためです。
それは教会法的に、ないし神学的意味において、ネオが異端のカテゴリーに属すると言っているわけではありません。
オホーツク人 2005/7/8 (Fri) 00:06:17
次の3点、書いておきますね。
1.小教区の伝統破壊に対する意見は本当にありがたい。くれぐれも「一人よがり」と言われないように活動して下さい。
2.先代の四国の司教様のような人から逃げてくださいね。
3.そうそう、ポケットマネーでも教会のお金でも帳簿に記 録して使い道を考える時間を作って下さい。
三重県人 2005/7/6 (Wed) 20:59:01
「Akiさん」へ
立場は違いますが、率直なご発言に好意を感じます。しかし、、、 2005/7/6
(Wed) 02:35:51 になさった投稿。
「高松国際神学院の建設問題や、名誉毀損などの事案はこれらと根っこの部分で関連しているではないか指摘されるかもしれませんが、とりあえず横に置いておきます」、とのこと。
このサイトの存在意義に直接関することが問題になっているのに、それを「横に置」くとは、どうしたことでしょうか? (私も随分横に置きましたが、直接的な関係の無いことに関してでした。)
「横に置」かずに、真っ直ぐに率直に偽りなく、要するに神の御心に適うように、「建設問題や、名誉毀損」に関してご意見をお述べになられることを期待いたします。正直に、神の前で率直に曇りなく、つまりsimpliciterに。(simplicitasとは何か、これを求めようとして間違えて問題を起こすのがネオだと思います) (原理主義的なネオは、原理主義的立場から当然、ラテン語を勉強していることと思います。だからsimplicitasも知っていますよね。)(ついでにギリシア語もヘブライ語もね。こうなると、殆どルターの世界。ラテン語ギリシャ語ヘブライ語を勉強しなくても聖霊の導きで真実に至ると思っているなら、アメリカの田舎にありそうな、プロテスタントの異端である超過激的福音主義。聖霊刷新運動なんてのもありました。
不誠実な人は話をずらしたり無視したりします。「Akiさん」は誠実な人のようです。だから「横に置」いてなどとお書きになられて、私ごときに絡まれるのです。嘘つきな悪人が得をする世の中で、率直に、正負こもごも自分の立場を述べて損をする「Akiさん」の立場に非常に好意を感じます。
しかし立場が、つまり基本的な事実認識が異なることを感じています。
私は、そもそも森岡様のなさったこと自体が、本来の、そして伝統としての日本人には本来的である、「simplicitas」からであることを確信しております。
「高松国際神学院の建設問題や、名誉毀損などの事案」についての考えをお聞かせください。
(と我々がやりあっている間に、裏にいる本当のわるな張本人どもは、勢力を伸ばしつつあるのでしょうがね。、、、)
ご参考 2005/7/6 (Wed) 12:26:59 http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila023.html
Akiさん 2005/7/6 (Wed) 02:51:25
私自身は、共同体が日本においてこれからも活動を続けるには、今一度日本司教団と共に、それぞれ典礼様式や教義的に問題とされている部分について、お互いが誠意と精霊の導きを持って、真剣に協議すべきと言う立場です。
それぞれの国には独自の典礼形式や慣わし、その信仰を育んできた土壌、背景があることを忘れてはなりません。
司教団との協議によって仮に共同体が有効にその存在を認められたとしても、過去この掲示板に見られたように、共同体に属さない他の信徒の方々を見下すような態度や、創始者の見解を絶対視したり、独自の典礼を強要したり、決して自らを奢る態度で他者と接してはならない、と思います。
また、物質的に十分満たされている日本に派遣されている宣教家族の処遇や、先進諸国のカトリック司祭の多くもその誘惑に陥ってしまったように、共同体出身司祭の不祥事など、共同体自ら襟を正し自己を聖霊の導きのもと管理しなければ、と感じることもあります。
特に新興宗教やカルト集団と誤解されがちな金銭に纏わる体験(献金を強要された、家財を売ってでも献金せよ、など)などは、カテキスタと呼ばれる人たちにもそのカテケシスなどに誤解を受ける部分があったのではないか、と感じられます。
私自身の経験から共同体は、決して共同体自身のためにメンバーから献金を求めることはありません。
まず共同体には一般の信徒団体や修道会に見られるような会計係や預金口座などありません。
献金が求められるのは、神学校・神学生・国際カテキスタに対する援助や、今年のケルンにおける世界青年大会など国際大会へ参加する人たちへの援助、その他に教区などの特別な行事への援助、など限られています。
献金自体も強制ではなく自主性に任され、祭儀の終わりに献金袋が回ってくれば、各自がその中に手を入れて献金します。
その手の中にお金があるのかないのかは、神様だけがご存知ですから、他のメンバーから誰が献金したとかしなかったとか、幾らしたとかは判りませんし、そのことを責めることすらできないのです。
2005/7/6 (Wed) 00:55:12
ネオは一度そこで出来上がってしまうと、消え去ることはありません。表面上は大人しくしていても、決してネオであることをやめません。
そしてそこで作ってしまった溝、そうでない信徒への不信感はなくなりません。それを経験していなければわかりません。
ネオを経験していない司教様、神父様にはその恐ろしさが理解できません。見た目には熱心な信徒と写るからです。
それほどネオとそうでない信徒の間の溝は深いのです。たった一年くらいで溝部司教様が解決できるとは思いません。
信徒は重責を担っておられる司教様を信頼し、希望を持って忍耐するほかないのかもしれません。
彦左衛門 2005/7/3 (Sun) 18:01:49
彦左衛門です。日本司教団は、残念ながら、ネオに関する限り、牧者としての責任を放棄しています。
高松教区の信徒の耐えがたい、言語を絶した苦悩をよそ目に、すでに十年以上、なんら有効な改善、解決の方途を講じないまま、今日に至っています。
改革のエースとして送り込まれたはずの溝部司教も、現在までのところ、必要な大手術、荒療治を回避し、問題解決のための勇気と、誠意を示していません。
これでは、牧者への信頼は失われて行くばかりでしょう。
Akiさん 2005/7/6 (Wed) 02:35:51
久しぶりの投稿です。掲示板でのハンドル名はAKIさんです。
私は現在もフィリピンで新求道共同体に10年家族と共に歩んでいるものです。
彦左衛門さんの投稿に関して、いくつか疑問を投げかけたいと思います。
決して共同体を全面的に擁護しているものではありません。以前私も日本において共同体がスタートした時点で、ローマから派遣された国際カテキスタと言われる人たちが、日本の信徒の考えかたや、日本でのカトリック信仰が培われてきた、その背景などに十分配意せず、一方的な押し付けではなかったかと思われることも、投稿しました。(過去の掲示板2002年8月から9月ごろを見て頂ければ幸いです。)
今回高松国際神学院の建設問題や、名誉毀損などの事案はこれらと根っこの部分で関連しているではないか指摘されるかもしれませんが、とりあえず横に置いておきます。もちろん、欧米諸国やカトリック教国と単純に日本と状況と背景は比較できませんが、それらを考慮したても、次の疑問が残ります。
第一に彦左衛門さんはこの共同体は「今世紀最大の異端」と、断言されています。ではなぜ今年4月に召されて主の下に行かれ、今般異例の列聖の手続きが開始された前パパ様ヨハネ・パウロII世(こと教義に関しては保守派と言われる)が、1990年8月30日に「共同体」の活動をパウロ ヨセフ コルデス司教に宛てた書簡の中で、「I acknowledge the Neocatechumenal Way as an itinerary of Catholic formation, valid for our society and for our times. (私は、私たちの社会と私たちの時代に、有効なカトリック教徒養成の道程として新求道共同体を承認します。 )」と、その存在意義を認められたのでしょうか。
第二に、同じく前パパ様在位中の2002年6月29日聖パウロ・聖ペトロの祝日に、現パパ様ベネディクト16世を名乗られるラッチンガー枢機卿(前パパの教義の執行官といわれ、神学者としても頑固な保守派)が、その当時教理省長官であった時、その監督下にある信徒使徒職教皇評議会(ジェームス フランシス スタッフォード枢機卿がその議長)が、5年間と言う猶予付きながらも共同体会則が5年にわたる協議の後(1997年前教皇ヨハネ・パウロII世がその制定をするよう、要請されたのを受けて)、承認されたのはどうしてなのでしょう。
もちろん、2007年に5年間の猶予が終了すれば、その時教理省監督の下、信徒使徒職教皇評議会が審議しその最終決定を下すはずですが。
以上、二点について彦左衛門様の見解を伺いたいと思います。
彦左衛門 2005/7/3 (Sun) 17:45:13
字(あざな)を彦左衛門と申します。
長い間、日本教会と別の次元で、宣教に従事していました。しかし、数年前、教会に戻って来て、昔知っていた教会と随分変わっていることに、たとえば典礼の様式などの変化に、大変驚きましたが、いいことも沢山ある以外に、これでは困るな、と思わざるを得ないこともありました。その最たるものは、司教さん方の軽率な政治的言動と政治問題への介入でしたが、もう一つ、座視できなのが、、高松における、ネオの導入とこれに伴う憂慮すべき事態でした。
ネオははっきり言って、今世紀最大の異端でしょう。司教さん方は、自分の教区では、まだ問題が生じていないから大丈夫だなどと、たかをくくっていては、とんだことになるでしょう。
この異端は、神学校を持ち、自派の聖職を養成しては、着々諸教区や、宣教地へ送りだしています。これは、教会の血管細胞の中にもぐりこみ、それを中から、機能麻痺、変質させると言うことです。
natsuko 2005/7/2 (Sat) 12:05:10
それなら、神学院を廃止が廃止になる希望はあるということですね。
ネオの人たちは何かというと「教皇様が認可している」「教皇様が支持している」を理由にするので、そう思っていました。
通行人C 2005/7/2 (Sat) 12:00:08
わたしの理解では、大神学校の設置、廃止の権限は、教区司教にあると思います(教会法237条参照)。
したがって、ネオ神学院は、法的には、高松司教によって、廃止されえると思います。
四国三郎 2005/7/2 (Sat) 11:05:07
高松の神学院は教皇が認可した、という性格のものではありません。
過去においても現在も日本における大神学校の設立及び司祭養成の権限と責任は司教団にあります。
natsuko 2005/7/2 (Sat) 00:12:58
東京と福岡の神学校を一つにしようとしているのに、ネオの神学校はどうなるのでしょうか?
教皇様が認可されたものを廃止できるのでしょうか?
先日ある雑誌を読んでいたら教皇様の記事がありました。改革派側の記者のものだと思いましたが、いくつか新教皇様の方針としてあげられているものの中に、「礼拝をギター演奏は信仰の妨げになるとして排除する」という項目がありました。
これってネオの礼拝を意識しているのかしら?
20年前のインタビューではネオは問題を起こし、多少の危険もはらんでいるけれどと前置きした上で、かれらの居場所を作ってあげなければならない とありました。
ベネディクト16世は保守派といわれているけれど、この問題に関してどのようにお考えなのでしょうか?何かご存知のかた、教えてください。