2006.3

桜町さんへ 2006/3/28 (Tue) 22:28:36
桜町さん、新求道共同体の人に聞いてもらえませんか。
新求道共同体は独自のミサをやっているとのことですが独自のミサでないといけないのですか?普通のミサではだめなのですか?
新求道共同体のミサにはクレドはないと聞いているのですがこれは本当ですか。


桜町 2006/3/27 (Mon) 22:55:57
現在の高松教区ではどんなミサが行われているのでしょうか?特に、新求道共同体員司祭が司牧する教会(小教区)は気になります。
とのご質問ですが
司教座聖堂の桜町教会を始めとして、国際宣教神学院をでた新求道共同体の神父が主任司祭をしている教会でも、主日のいわゆるメイン?の時間帯のミサは普通のミサなのではないでしょうか。(すみませんラテン典礼というのがよくわからず)
独自の典礼は土曜の晩に新求道共同体の面々だけが集まってやっていると思います。少なくとも桜町はそうです。
3/9に溝部司教の書簡を配布すべきとの意見がありましたが、桜町ではホームページを印刷したものが聖堂に置かれ、信徒会長が「是非読んでみんなで考えましょう」と紹介していました。


オホーツク人 2006/3/26 (Sun) 06:49:42
「ミサについて」(前編)
まずは、私の知識を正す事から始めたいと思います。
1月にバチカンから発せられたお達しの中に「月に1度は小教区のミサにあずかりなさい」という旨の条文があったと思いますが、皆様はどう解釈されているのでしょうか?
現在の私は・・・・・・
「小教区のミサ」=「日曜日に見られるラテン典礼」
と、解釈しているのですが・・・・・・
現在の高松教区ではどんなミサが行われているのでしょうか?特に、新求道共同体員司祭が司牧する教会(小教区)は気になります。
英文書き込みで「小教区のミサにあずかる事はすでに行われている・・・・・・」という情報を知らせてくれた「平和」さんは、管理人さん達が抱える苦しみを知ることを拒否した書き込みの中でこんな事を書いています。
「言葉だけではなくて、捧げられるミサは日本の中にも少し違いがあります、これは共同体と関係がない。もし彼らがやり方がやり方が変わったら御聖体を受けることが出来ますか?普通でしたら、御聖体を受けなければ他の理由があるでしょう。」(後編に続く)
「ミサについて」(後編)
前編最後の一言は、「共同体方式から共同体以外の方式に変えたら受けられるのかい?」という意味を含むのでしょうが、この一言はある意味で教皇様への挑戦となるでしょう。
教皇様の権威に服する新旧ラテン典礼、(現在は)ラテン典礼の教会に属する新求道共同体の典礼、教皇庁東方教会省管下の東方典礼は、全部カトリック教会の典礼です。カトリック信徒は、旅行先とか駐在先のラテン典礼でも東方典礼でも御聖体を受けることができます。でも、無理強いする事は受ける側にも無理な事です。
新求道共同体は、「自分が正しい!!」と突き進むのではなく、カトリック教会の一員として聖堂を共有し、全ての信徒の理解を得て(「和して同ぜず」を心得て)、典礼を行い、宣教活動に励むべきでした。乱心した司教様と強硬な新求道共同体員の存在は不幸と言うにも余りあります。
現在、私が通っている小教区のミサは、オランダ人のお師匠様(フランシスコ会士)が司式する日本語の新ラテン典礼です。どなた様でも歓迎です。よろしかったら、ミサ後のお茶会にも入って下さい。
ミサって・・・・・・これでいいんでないかい?


オホーツク人 2006/3/22 (Wed) 01:19:08
「和して同ぜず」
この言葉、「協調はしても、自分を曲げない」という意味で辞典に載っていると思います。私はお師匠様(オランダ人のフランシスコ会士です。今年は金祝です。)から何度も聞きました。日本で聞いたことわざで一番気に入っているそうです。最近の高松教区に関わるカトリック新聞の記事を読んだお師匠様は「教会を二つに分けた運動」に心を痛め、改めて「和して同ぜず」を話してくれました。
さて、いきなり頭までガチガチな新求道共同体員の方と「和して同ぜず」を実践するのは無理ですけれど、人当たりの良い人とか世渡り上手な人・・・・・・と話をしやすい人と「和して同ぜず」のつきあいを始めて教会の活動に生かすというのはすでにしている事でしょうし、これから始めるにも良い事かと思います。高松教区全体では時間がかかるかも知れませんが、下からの努力はこのことわざが捨てられないでしょう。
ミサでも「和して同ぜず」が生きることがありますよね。
どうぞ、下からの努力をよろしくお願いします。
次は「ミサ」から書き込みを始めましょう・・・・・・



オホーツク人 2006/3/20 (Mon) 03:03:58
私は道産子です。でも、ひいじいさん、じいさんは愛媛(伊予)の人です。父祖の地を巻き込んでいるこの事を知るとほっておけないんです。
このHPの最初の「信徒の分裂」などを読まれると詳しい事がわかります。このHPの管理人さんの苦しみもわかります。簡単にすると、共同体メンバーの人達が、共同体に入らない信徒を思いやる事なく教会を動かしたために教会が割れてしまったのです。
現在、高松教区では修復の努力がなされています。
バチカンも世界で起きている新求道共同体が関わるトラブルを知っています。1月にはお達しを出しました。
時間はかかるかも知れませんが、高松教区の「和」のために書き込みなどでお手伝いできる人が増える事を私は望んでいます。


2006/3/19 (Sun) 21:02:59
すみません・・・。私、「共同体派」の方々が、どんな迷惑をかけたか知らないのですが、お教えいただけますか。無知ですみません・・・。


2006/3/14 (Tue) 22:29:51
みなさん、よく『一致』という言葉を使ってらっしゃいますが、反共同体派と共同体派が『一致』するには2つの方法があります。
まず1つ目は・・・一方的に迷惑をかけた側がその非を認め、二度と同様の過ちを繰り返さない様に過去犯した非の一切を猛省し、
その上で許しあい、協力して歩み寄ること。
2つ目は・・・(今現在行われていることですが・・・)教会権威に取巻き両者のどちらか(特に反共同体派)に圧力をかけ
“黙らせ”“追い出す”、または“滅ぼす”ことによって、共同体派が残り、結果的に同じ意見の人が残り『一致』もなにもなく
なるというわけである。
誠に悲しいですよね、『一致』『一致』と言いながら、結局やってるのは『巧妙な占有』、『教会破壊』じゃないですか。


2006/3/13 (Mon) 20:07:21
名無しさんのコメント、若干意味不明ですが、ともかく名前(  )のような単純な二分法には慣れたくないですね。


名無し 2006/3/13 (Mon) 19:15:21
笑うのは分離や破壊を行っているんでしょうかね


2006/3/12 (Sun) 22:13:10
みなさん、よく『一致』という言葉を使ってらっしゃいますが、反共同体派と共同体派が『一致』するには2つの方法があります。
まず1つ目は・・・両者がお互いを理解しあい、許しあい、協力して歩み寄ること。
2つ目は・・・(今現在行われていることですが・・・)両者のどちらか(特に共同体派)を“追い出す”、または“滅ぼす”ことによって、反共同体派が残り、結果的に同じ意見の人が残り『一致』もなにもなくなるというわけである。
けっこう笑えますよね、『一致』『一致』と言いながら、結局やってるのは『分離』、『破壊』じゃないですか。


溝部司教の書簡を読んで 2006/3/9 (Thu) 22:51:24
溝部司教はHPの書簡の中で、現在の教区の方針と活動は、「協力宣教司牧態勢」・「青少年宣教司牧」・「生涯養成チーム」・「宣教司牧評議会」・「司祭評議会」の対話によって、教区の方針と活動がなされるとのことですが、これらの対話の内容が私たち、つまり末端の教区民まで届くのでしょうか。全教区民に届かない対話なんて、真の一致へとはならないと思います。△司教には、一定の教区民との対話だけではなく、片隅の教区民の対話にも聞く耳をもって頂きたいです。そのためにもHPに公開した書簡を教区民一人一人に届けるべきです。


書簡は信者一人ひとりに・・・森岡 源三 2006/3/9 (Thu) 13:41:51
高松教区のホームページに掲載された書簡の件、溝部脩司教が「高松教区民の皆様へ」宛てた公式書簡のようですから、やはり信者一人ひとりが読んで理解を深めるよう配慮すべきでしょう。教区民に広く深く対話を呼びかける書簡ですから、なおさらのことです。
 この書簡の中で溝部司教は、高松教区の現状について@ 二つの流れを一つにして教区の一致をつくり上げるのはとても困難Aもう待ち時間はないBもう、ぎりぎりの状態が高松教区―などと分析。「祈っていれば何とかなるという考えにも納得できない」というほど、切羽詰まった、その深刻さが伝わって来る内容です。
 今からでも遅くはありません。教区民一人ひとりが「何が混乱を招き、何が問題であったかをしっかりと理解する」(書簡から)ために、そして「ぎりぎりまで対話を続ける」ために、次の主日(12日)には教区民の手に行き渡るよう、急ぎ準備してほしいものです。


オホーツク人  2006/3/9 (Thu) 00:04:40
私もいらつきたくなります。でも、あせらないで下さい。
札幌教区の場合、そのようなメッセージがでるのであれば、「インターネットより遅れてでも」各教会に文書が届きますね。
教会の掲示板をよく見ましょう。
上からの指導に従うだけではなく、下からも人並み以上の努力をして下さい。


高松教区民の一人として  2006/3/8 (Wed) 19:45:47
3月4日仙台司教の叙階式を前に、溝部司教様が教区のホームページ上の司教文書に『仙台教区司教叙階式にあたって』という書簡を高松教区民の皆様へということで書き込みをされました。内容は、一致への歩みは司教一人ではとてもできないということ。何が問題であったかをしっかりと理解することから始めていただき、お互い素直に認め合って、和解の道を歩み始めること・・・・・などとお考えを書き込みされています。 高松教区民の皆様へという書簡を出されるのだったら、パソコンの普及率が教区民の10パーセントにも満たないホームページ上に書き込みする前に、教区民全員に伝えるべきです。上辺だけの一致をと言われても何ら解決にもならないと思います。教区の混乱の根底を正さない限り、正義の一致を生み出すことはできないと思います。