カトリック新聞社への抗議
抗議文(概要) 2002.12.8 12−18時 郵便局から差し出し

カトリック新聞社 編集長 殿 
12月8日付のカトリック新聞の掲載記事について、深い悲しみの内に、強く抗議いたします。
「展望」の佐藤敬一司教様の文章を読み、現在の高松教区の深刻な状況をご存知ならば、このようなことを書けるはずも記事を掲載できるはずもない、と愕然とした次第です。
わたしたちは、本年6月に開かれた日本カトリック司教協議会総会に、藁をもすがる思いで「窮状報告」を提出いたしました。
佐藤司教様もその場にご臨席になり、当然この高松教区の窮状をお知りになったはずです。
それなのに、なぜこのような文章を、新潟教区長という権威と責任をお持ちの佐藤敬一司教様が、こともあろうに日本のカトリック教会の全信徒が愛読しているカトリック新聞に投稿されたか、そして貴新聞社がそれを掲載されたか、この行為は、高松教区で苦しみの内にある信徒に追い打ちをかけ、人間としての尊厳を大きく侵害した由々しき行為です。
真の高松教区の実態を踏まえないでこのような偏った記事を掲載されたことについて、カトリック新聞社はどのように責任を取られるか、どう対応されるか、12月13日(金)までに事務局宛に文書にてご返答くださいませ。
ご返答のない場合、または内容しだいでは、こちらにも考えがございます。納得のいくご返事をお待ち申し上げます。
  苦難の内に、主の正義と平和を心から信じて

    2002年12月8日              森岡さんたちを支援する会 事務局
回答(概要) 2002.12.9付 
カトリック新聞社編集長名 
12/8付「展望」欄の新潟教区・佐藤敬一司教執筆の記事掲載についての回答
1 佐藤司教は、高松教区と同教区内の新求道共同体間の係争中の件には一切触れていない。
2 投稿の主眼点は、
  @「新求道共同体の会則が教皇庁信徒評議会によって承認された」という事実を受けて、新求道共同体そのものの存在意義に言及すること
  A新潟教区が新求道共同体の援助によって窮状を救われたことを単純に記述すること
3 記事掲載の意図
  @高松教区の問題の一面について教区以外の読者にも喚起を促すこと
  A司教の中にこのような考えを持っている方もいる、ということを知らせること
4 結果的に
  @高松教区の人々に悪い印象を与えることに思いが至らなかった
  A高松教区の信徒の心情をおろそかにした
  心からお詫び致します。
5 「声」の欄に当該記事についての投稿をいただけるなら、高松教区信徒の声として掲載することを約束する。 

回答に対しての返事(概要) 2002.12.14付 
「森岡さんたちを支援する会 事務局」名で投稿
1 私たちの投稿の掲載をお願いしたい。
2 同封の原稿「真実を求めたい」を、12月22日付のカトリック新聞に掲載してほしい。
3 修正の必要があれば、内容を連絡してください。
4 掲載できない時は、その理由を示されたい。
投稿に対しての回答(概要) 2002.12.17付 
カトリック中央協議会新聞事業部 部長および編集長名
1 原稿は、佐藤司教の記事についての投稿ではなく、高松教区内における係争中の問題の発端、経過、現状についての記述になっていると思われる。
2 投稿は、佐藤司教の記事内容に言及するものと限定させて頂き、「声」欄の記事としての投稿規定に準じて頂きたい。
3 原稿を頂いた時は、12月22日号の締め切りが過ぎていた。
4 年内発行のもの(新年号)には「声」欄の予定はないので、年が明けてからということになる。

カトリック新聞(責任者)への質問 2002.12.20付 「森岡さんたちを支援する会 事務局」名で発送 回答は頂けておりません(2003.3.1現在)
カトリック新聞(責任者)にお尋ねいたします
2002年12月8日付、カトリック新聞の「展望」欄に掲載された佐藤敬一・新潟教区司教の記事について、次の各項目にお答えください。
1,カトリック新聞の編集・発行の目的をお聞かせください。
2,新求道共同体のことについて、いままでその実態や問題点を報道されなかったのは、どういう理由によるのですか。
3,信者の間に不安や動揺が生じたとき、その不安を鎮め、安らぎを与えるのが、宣教機関紙の役目だと思うのですが、この点についてお答えください。
4,宣教機関紙カトリック新聞は、「展望」の報道によって高松教区の多くの信徒に不安と動揺を与えました。その動揺をどうやって鎮めるおつもりですか。
このまま放任されるおつもりですか。
5,まさかカトリック新聞は、司教団や中央協議会の意見を反映しない記事を掲載されたということではないのでしょうか。
6,年内の記事の編集は終わった、とのことでしたが、一部の記事をさしかえ、あるいは刷り直しをしてでも信徒の動揺を落ち着かせるのが、宣教者の使命ではないでしょうか。
7,司教団、中央協議会、カトリック新聞は、高松教区の信徒にこの不安を抱かせたま ま新年を迎えさせることに、責任をお感じになりませんか。
8,カトリック新聞は、上を向いて編集するのではなく、下を向いて信徒に語りかける紙面を作っていただきたいと思うのですが、それは間違いでしょうか。
9,信徒(私たち)の投稿を、佐藤司教の寄稿と同じ重みでのせることの意味について、どうお考えになりますか。
この投稿の掲載は、司教団が高松教区の信徒のことを見捨てていないという証となり、高松教区の信徒に大きな安心を与えるというだけではなく、ひいては、全国の信徒に対しても、開かれた教会として、信徒の立場を認める姿勢は評価され、今後のカトリック教会への信頼につながると思われませんか。
以上、どうか早急に、お答えと共にご指導をお願いいたします。   祈りのうちに    2002年12月20日    森岡さんたちを支援する会事務局