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2001年2月10日号(創刊号)
「神学院を検証する会」が発行した「検証レポート」からの抜粋です。

高松・教区立神学院を検証する 波紋は空を飛びローマへも…
「ミレニアムの虚構」日本列島を駆けめぐる
私はこう思う〈上〉 247通の手紙から
「カトリックで、こんなことがあっていいのか…」という驚き、怒り、とまどい、ため息――。
偽証を連発して高松教区に設立したとされる国際宣教神学院(レデンプトーリス・マーテル)を検証した『ミレニアムの虚構』は、昨年11月から今年にかけて全国に配布され、その波紋は日本列島の津々浦々の教会へと広がっています。
冊子を読まれた人たちからの反応は、1月末現在で247通に達しました。
遠くの海外のフィリピンやローマをはじめ国内各地の司教、司祭、修道者、信徒など、さまざまな立場から貴重なご意見が寄せられています。
機関紙『検証レポート』の創刊を機に「私はこう思う」のシリーズで何回かに分けて特集いたします。
一方、宗教法人法に基づく責任役員会の強行決議など不法を重ねながら昨年11月から工事を始めた神学院の仮校舎は、偽証された土地の上にほぼ完成しました。
しかし、建設費の不足分3千万円の資金が集まらず、新年に入って「緊急募金」を行うなど、今後の運営資金にも及び深刻化が予想されています。
“民と法”をないがしろにした司教の強引な姿勢による災いで、喜びの大聖年にも和解と一致の恵みにあずかれず、高松教区民の苦悩はいやますばかりです。

大変な驚きと怒り 高松教区・香川 〔信徒〕
 「ミレニアムの虚構」を一日かけて読みました。大変な驚きと怒りとともに「やっぱりそうだったのか」と納得するものがありました。日頃、何か違和感のようなものを感じながら、でもだれに尋ね相談したらよいのかも分からないままでおりました。(中略)
 これからは私も不審な点があれば、機会をとらえて冷静に質問していこうと思います。(中略)しかし、私たちの声に対して今の教会が充分に誠実に応えられない程度の力量であるならば、常に主イエス・キリストを中心に据えて、私自身がしっかりしなければならないと考えるようになりました。(後略)
本を読んで驚きと戸惑い 東京教区・東京 〔信徒〕
 「ミレニアムの虚構」を早速読ませていただきましたが、日本のカトリック教会の中でこのような問題がおきて驚いています。私は、神学院の建設に対し、心ばかりの協力をしております。
 ただ、この本を読ませていただき、私自身にも戸惑いがでてきており、協力をやめようかよも思っております。カトリック教会は分裂してはいけません。新求道共同体が日本カトリック司教協議会に認められていないとしたら、信者は新求道共同体を拒否するべきです。また、認められているとしたら、もっと話し合いが必要でしょう。日本のカトリック教会は一つにならないといけません。
 この問題に対し、進展ぐあいをホームページ上でご紹介下さい。関心をもって見させていただきます。
不信感が募るばかり 高松教区・愛媛 〔信徒〕
 今までに集めていた資料や深堀司教様から直送された文書も合わせ、「ミレニアムの虚構」にちりばめられたものを改めて拝見して、これまで見過ごしていたこと、感じていなかったことなど、よく認識することが出来ました。
 冊子で実態を知り、「ほう…こんなこと…。そうだったのか」と思わず声が出るほどに驚きを覚え、不信感が募るばかりです。
 「一粒会」献金の使途の件も然り、トムコ枢機卿を迎えて行われた神学院建設予定地の定礎式…。「あなたは合法的にそれを行使され」と書き送って来られた司教宛の公文書を、どのように解釈されたのか、全信徒に開示された意図を計りかね…唖然とするばかりです。
 神学院の運営資金に窮乏していると聞いて、乏しい信徒会計の中からやり繰りして献金したのは何だったのかと私憤し、悲しくさえなります。(中略)
 文書の中で「回心と和解のお恵みが深堀司教様が冷静に現況を判断され、教区の最高責任者、牧者の責務を果たされて新世紀へ引き継がれるよう、神様のご保護をお祈りしております。」
福音伝道の欠落が原因 東京教区・東京 〔信徒〕
 カトリック信仰生活の希望の側面に漂う、ある憂慮すべき事案が点在していることは承知しておりますが、教区自体、司教自ら、生臭い臭気を噴出しはじめたとは、言語道断と思うのは私一人ではありません。(中略)
 小教区の身辺に事が発生してから、身を投げ出して奮進できればよいのですが、多くの場合、あいまいにしてしまいます。カトリック信者数が一向に増えない。青年たちが教会に寄り付かない。神父のなりてが減少した。これは社会や政治のせいではなく、カトリック当事者の態度、行動、真の福音伝道の欠落が最たる原因と思います。
 率直に申し上げて、高松教区がいう、司祭不足のための養成機関として神学院設置を表にしておりますが、日本の場合そうではなく、資産の獲得と増大が大きな目標、集金力の功績、その眼目の構築としか思えません。この例はいたるところで散発していますが、高松教区自ら派手にやって、宗教家の資産が増大して成功かに見えても、そのかわり信者とその志願者の離散があり、増えることは益々むずかしくなるでしょう。今回の資料を拝見して、「金、権力を得ておごる一部のキリスト者たち」というほか言いようがないのが残念です。
四国を大阪大司教区へ 教区表示なし 〔匿名〕
 高松にどうして、大神学校が必要なのか、理解に苦しみます。時代に逆行していると言わざるを得ません。覚悟の上で反対するなら、工事差し止めの仮処分申請を裁判所に出すとか、具体的に動かれたほうがいいでしょう。(中略)自分たちの都合のいいように解釈しているという印象があります。
 言えることは、信者の浄財、一円たりとも無駄にさせてはならないということです!。要は、高松司教区の教区長の職を早く辞めていただくことです。もう定年が過ぎてるでしょう。続くとすれば、教区民の総意を示すために、署名運動に持っていくっていう方法もあるでしょう。
 その昔、浦和教区を誕生させた経緯を参考にして、それを逆手に取るっていうのはどうでしょう?浦和の場合、なんだかんだ言っても、結局できちゃたでしょう?高松教区って、大阪管区の管轄なのかな?だったら、高松司教区を大阪大司教区に吸収させてしまう、という方法もありますね?それでなくても、日本は信者数の割に教区が多すぎるって批判が出ているんですから。(以上、本文を抜粋しました)
司教協議会が解決の道を 札幌教区・旭川 〔信徒〕
 冊子の中の年代を追った記録、常任司祭委員会の文書、ピタウ大司教さんの「巡察建言」、それに偽造された議事録など、よくもこれだけの検証資料が集まったものだと感心し、同時にカトリックの世界では不思議にさえ思えるほどの出来ごとです。
 また「真実が見えない」という深堀司教さんのあいまいな発言の数々…。読んでみるほでに「これでよいのか」という疑問が深まるばかりで、許されないことでしょうが「司教」という人格さえ疑いたくなってきます。
 この冊子は駐日ローマ大使や日本の各司教様には送られたのでしょうか。日本の枢機卿様やローマへ行かれている浜尾大司教様、それに第一線の18人の司教様たちが読まれて、黙認されてよいはずはありません。この無法ぶりは「司教」という権威と信用にかかわる重大なことあと思います。この問題で臨時に司教総会を召集してでも方針を明らかにし、解決の道を求められるよう、北の町から強く望んでいます。
非常識な司祭の態度 高松教区・愛媛 〔信徒〕
 松山教会で2000年12月19日と20日の2回に分けて「神学院の真実を知る集い」が開かれました。この場に神学院建設・募金委員長の肩書きをもつ新求道共同体の司祭が姿を見せていました。
 小教区独自の催しに、しかも時間に遅れて顔を出して、断りもなくいきなり発言するという非常識ぶり。あとから聞いた話ですが、最初に主任司祭へのあいさつも断りもなかったそうです。また説明の途中にいちいち口を挟むものだから、松山教会の発表者が少し憤慨、その無礼ぶりを指摘していまいた。
 話が食い違ったり、教会法のことなど繰り返し質問されると正しく答えられないことも。ときに深堀司教さんのミスを自らただしたりいていました。その姿を見ていて、新求道共同体を信者たちが敬遠する訳が理解できるような気がしました。
司教団の合意無視が問題 長崎教区・長崎 〔修道者〕
 冊子を読んで神学院の経緯を知り、本当にびっくりしました。この問題について私たちの教区の神父様たちとも話し合ってみました。冷静に判断してみて、やはり最初の司教団の権限合意事項が守れず、無視されたことが問題だと思います。
 それと1992年2月27日の特別臨時司教総会の決議内容は、最も重要視されるべき事ではないでしょうか。このとき、もう一歩つっこんだ話し合いが必要だったと思います。(ある司教さんの反省…) 日本における宣教と司牧を考えるとき、カトリック中央協議会という組織もあるわけですから、何としてもそこから離れた行動は、いくら司教様でも許されることではないと思います。
 どなたかがホームページでも紹介されていましたが、このまま強引に神学院を建設し運営するなら、深堀司教さんは司教団を離れて独自の行動に出ているのであり、それでは日本カトリックの一致が乱れてしまいます。このまま放任されることなく、日本の司教団はもっとしっかりして欲しいと考えます。
“恐怖政治のような雰囲気” 高松教区・香川 〔信徒〕
 「この冊子をあと5冊送っていただけませんか。私の知っている神父様やシスターに送りたいと思います」
 「実は12月10日の主日ミサ説教の中で、新求道共同体の司祭が『ミレニアムの虚構』を高く揚げて『ここに書いてあることは、全部嘘です』と言いました。どこが嘘なのか、それは何も指摘しないのです。そして、『この冊子を持っている人は手をあげなさい』とも…。み言葉をさておい、ごミサの説教でこんなことを言うこと自体、本当に非常識だと思います」
 「ごミサを私物化し、まるで“恐怖政治”のような雰囲気です。小豆島教会の体質と全く同じです。一体、この教会はどこへ行ってしまうのでしょうか」
教会を離れる材料 広島教区・岡山 〔信徒〕
 『ミレニアムの虚構』を読ませていただいて、新求道共同体のことも神学院建設のことも分かってきました。私は’98年秋、高松教区の松山で開かれた「正義と平和協議会」の全国大会に参加しました。あの時、新求道共同体の方々はどんな関わりをなさったのだろうと、ふと思いました。大会の中では「共同体」のことも「神学院」におことも話題にならなかったように思います。
 若者の教会離れの理由は外的要因ではなく、まさしく「教会(そして大人)のダブルメッセージ」に尽きると思います。冊子は、そのことをより深く考える材料をいただいたような気がしています。
強引な神父の司牧方針 高松教区・高知 〔信徒〕
 新求道共同体の姿に接し、その強引な司牧方針にあきれています。教会では神父が一番という考え方が司牧の中心にあり、上から一方的に下ろす命令に驚いています。イエス様が行われた洗足式だけまねても、日々行いの中に見せるダブルメッセージのギャップはつまづきを与えます。
 今まで目ざめていなかった人々も、この本によって真実を知り、出来るだけもっと多くの人が立ち上がることが出来るようになることを祈っております。より多くの人に配りたいのであと10冊送ってください。
パパ様に見習いたい 京都教区・京都 〔司祭〕
 召命の現状をご存じですか?何故、修道会希望者があっても、教区司祭希望者がいないのでしょうか?その理由を真剣に考えてみる必要はあるでしょう。
 先日の小教区の集まりでも、主任司祭の方から、高松だけの問題ではなくなっているように思います。日本のカトリックは問題が発生した場合、水面下で処理してきました。大聖年にパパ様が公式の場で罪を認められ謝罪されたように、私たちもパパ様の態度を見習いたいものです。
何も聞けない 高松教区・高知 〔信徒〕
 冊子が郵便でみんなに届けられたあと、私たちの教会では主日のミサのあと、主任司祭が「この本のことで、今回は司教さんは何も言われないと思うけど、間違いが多いので気をつけて読み、あとは捨てるように…」というような話をしました。
 どこが間違っているのか、誰も聞きだす勇気はありません。聞きたいけど、何も言えない雰囲気です。疑問に思うことがあっても口を閉ざしてしまう教会になってしまったのが、とても残念です。
現状知り驚き 東京教区・静岡 〔信徒〕
 新求道共同体には、以前からどんな団体なのだろうと思っていたのですが、何分にも日本語で読める資料が少なく、他の国の現状もあまり入ってきませんね。そのような中で、高松教区の現状を聞き、驚いているところです。日本の教会にとっても大変重要な問題であると考えますので、参考にさせていただきます。
 

御子の上に”しめ飾り” 「教会がおかしい」と信徒の声
高知の江ノ口教会  「なんとなく」と主任司祭

【高知】 新求道共同体の司祭が派遣されている高知市の江ノ口教会(信徒215人)では、新年を迎えた教会の正面入り口に神道の伝統である「しめ縄」が飾りつけられ、信徒たちの間で、「何か勘違いしたのでは……」と話題を集めました。
同教会の聖堂は’84年に再建された木造和風づくり。
柱が表面に出ていて障子戸などもあり、十字架がなければ一般の建築物と見まごうほどです。
飾りつけられた「しめ縄」は、長さが約60aにのエビ形。
鴨居のちょうど戸が合わさる部分のところで、ウラジロとミカンがつられ、真ん中に”お札”の形まで表した念の入れよう。
そのすぐ斜め下にはクリスマスに飾りつけた「馬小屋」があり、御子が誕生し、羊飼いや博士たちが拝みに来た場面に小さな十字架が光っています。
この「しめ縄」飾りは信徒会の役員たちも知らぬ間の出来ごと。
ある信徒が「教会の正面に、しかも”馬小屋”の上に飾るのはおかしい」と話すと、主任司祭は「お正月だから、ただ何となく飾った」と話したそうです。
新年5日位まで飾られていたので、信徒の間から「インカルチュレーションをこんな形で表したかったのでは……」との声が聞かれました。
このことで1月13日、主任司祭に問い合わせると「答えたくない」「このことで何も言いたくない」とのことで、一方的に電話が切れました。
また深堀司教は冗談まじりに「いいですね」と話したあと、とまどった様子で「私はそれほど…。特別に勧めませんけど…」と歯切れの悪い話しぶりでした。

神社本庁(東京・代々木)の古老・宮司の話
「しめ縄」は標縄、注連縄、七五三縄などとも書かれ、神道のお清めの伝統的な飾りものです。
「中朝事実」という古書には一説に「天の岩戸形どったもの」とあり、めでたいお正月に飾るほか、”おはらい”として縄に四手をめぐって、神前や神事の場に不浄なものの侵入を禁じるしるしとして張る縄です。
キリスト教の関係でもお正月に家庭のほか未信者さんもおられる施設などで飾りつけを見たことがありますが、聖堂前に飾られたという話は初耳です。



―NHKの神学院番組放送・見送り問題―   全く見当違いの司教書簡
放送妨害ではない  示威行動や恫喝もなかった  NHK側
NHKに対し信徒の放送妨害があった―として高松教区司教が教区の全信徒に宛てた書簡は、NHKが関知しないところで、同司教の勝手な思い込みによって作成されたものとわかりました。
この文面には国民の基本的人権を脅かす内容も含まれているため、関係する信徒はNHK高松放送局の責任者から見解を求めるなど本格的な調査を始めました。

 言論の自由侵害の恐れ
問題となっている書簡はさる1月9日付けで「信徒の皆さまへ」宛て各小教区の主任司祭に送られました。その表書きには概要次のように書かれています。
「1月14日の日曜日から1か月の間に、その内容が貴小教区の信徒の皆さんに伝わります様ご配慮ください。方法は、ミサの後読まれるか、掲示板に貼られるか、コピーして配布されるか、或いはその他の適当な方法にするか、神父様のご裁量におまかせします。 司教」
本文には教会法や宗教法人法に違反して設立された神学院の事実を調停などで明らかにしたことに対し「多くの善良な信徒らの心の平和は乱され、亀裂と対立がことさら造り出された」とあり、「一般社会に多大な迷惑を及ぼした」というもの。「その顕著な事例としてNHKの放送妨害がある」と記されています。
視聴者の立場から、「NHKが神学院を取材した内容について問題がある」と指摘し、意見を述べたことは「様々な示威行為」とか「NHKを恫喝した」「反社会的」など、まるでNHKの責任者がそのように訴えているような文言です。またNHKの名称が多く使われているため,NHKのその確認を求めたところ、司教が放送を望むあまり、勝手な解釈により作成されたものとわかりました。
さらに公的放送機関であるNHKに対して言葉や文章で意見を述べることは「干渉や妨害行為である」とし「信仰的にみて誤り」と威圧する姿勢とも受け取れる内容です。国民の基本的人権(言論の自由)の侵害ばかりでなく、名誉毀損事件として発展するような情勢です。
こうした理由から調停にかかわった信徒から司教に対し@この書簡を1月25日までに回収することANHKの見解と違う文言(用語)の削除と訂正を含めた謝罪文を出すこと―の意見表明をしました。しかし同25日を過ぎても何の措置も取られていないようです。
また1月19日、愛媛地区の信徒2人が視聴者の立場からNHK高松放送局の責任者2人を訪ね、深堀司教の書簡にかかわる文言(用語)の疑問点などについて見解を求めました。

NHKへの質疑応答
○日時 
2001年1月19日

○場所 
NHK高松放送局
「視聴者コーナー」応接室

○NHK側出席者 
高松放送局放送部長 
放送副部長
NHKふれあいセンター
NHKは各放送局の目立つところに「ふれあいセンター」(局によっては視聴者コーナー)を設けています。
係では「番組のことのはか、なんでも気軽にご意見を聞かせてください」と呼びかけています。
また内規に基づき各県単位「視聴者会議」(15人前後)や放送法に基づくブロック単位の「番組審議会」を設置し、広く番組に対する意見を集めるよう努めています。

視聴者 貴局が取材された内容は神学生をテーマにしたものと伺いますが、教会法や宗教法人法に基づき神学生が所属する神学院の存在そのものが問われていることを、各種資料で確認してください。 
司教の書簡の内容をどう思われますか。
NHK司教がNHKの関係のないところで書かれたものと思うので、NHKとしては一切関知するところではありません。
視聴者「NHKへの放送妨害」について
NHKその事実があったわけではなく、「放送妨害」だとは全く認識していません。
視聴者「様々な示威行為」とか「NHKを恫喝した」とありますが…。
NHK確か調停申し立て直後に、ある1人から「もし放送を行うなら、NHKを訴える」との内容の郵便物が届きましたが、それがNHKに対する示威行為とか恫喝だとは受け取っておりません。
視聴者 「公共機関(NHK)の内規にしたがって」との関係は―
NHK 内規について詳しくは述べられませんが、取材前後、その途中において常に内容の適不適の検討を行っています。
ただ言えることは、そのことについて外部からの干渉や妨害に影響されるものではありません。
視聴者 「一時放送を見合わせざるを得ない状況」について。
NHK まだ放送の予定が立たない状況で、何らかの理由により見合わせることはあります。
放送中止とは、放送するとの予告をした後で放送をしないことを意味します。
視聴者「放送できる環境が教会内部に整っているかどうか、の問い合わせ」をされたことについて。
NHK 12月はじめだったと思いますが、担当のプロデューサーが窓口の神父と一部の人に「どんな状況ですか」と尋ねたことがあります。
整えば放送するかとの話も全くしていません。
放送のタイミングなどを考えると、これを番組として放送するには種々検討しなければなりません。
放送を予定する場合には、前もって関係者の皆さんに連絡します。
連絡もしないで、いきなり放送するようなことはありません。