生まれ出づる悩み(仮)

私小説 生まれ出づる悩み(仮)



第1部 ”まつや”に捧ぐ


 K大通の人ならば誰でも知っている、安くて早くてご飯が多くて黄色い、豚焼きの大460円(おばちゃん曰くヨンロク)の”まつや”。ボロい建物の1室に、それはあった。”ふれんど”も”キング”もすでに閉まっているとき、腹一杯食べたいとき、お金がないとき、いつでもぼくは”まつや”に行った。たいてい奥のボックス席に座り、数年前のサンデーやコロコロコミックを読み乍ら豚焼きの大を食べた。ジュージューという鉄板の上のキャベツと肉に、塩胡椒パラリ、ソースをドバとかけて、山盛りのご飯とおかずが丁度の割合で食べられるやうに計算し[おかずをa、ご飯をbとすると、Y=b/aX (0<X<a)]、食べるのが常であった。時にはおでんもつまみ、また梅干しも食べた。その”まつや”も、今は無い。醤油のなかにショウジョウバエ(Drosophila)が入っていても、ご飯の中に髪の毛が入っていても、おばちゃんに「はい、お釣り100万円ね。」と言はれても、誰が何と言おうと、ぼくは”まつや”が好きだった。その”まつや”が、ついに閉店してしまったのだ。ぼくの食い逃げが原因であらうかとも思ったっが、そんなことはどうでもいい(わけもないが)。とにかく、貧乏学生の友、いやK大生の魂の源である、あの”まつや”がだ。これはK大生にとっては壊滅的な打撃であり、時として異常なほど食べたくなる豚焼きの大の(何か依存性のあるものが入ってるのかもしれぬ)味が、今でも鮮明に思い出される。ただし、閉店の1年前くらいからおばちゃんの体調が思わしくなく、しばし休むようになったことを思ふと、おばちゃんの体力の限界であったのではなからうか。あの、”学生専門の店”の”専”の字に”`(点)”が入った看板が無くなっていたのを初めて見たとき、あまりのことに愕然とし、また今晩のご飯はどこで食べようといふ思いが駆け巡った。先輩や友人、そして後輩と共に食べ、話し、飲んだ、あの”まつや”を忘れてはならない。ついでに”喫茶ラメール”も忘れてはならない。”まつや”と共に過ごしたあの日々を胸に、ぼくはK大を去る。



第2部 愛しの”藤ノ荘”


 それは、1年半の夢だったのかも知れぬ。A町一丁目の”藤ノ荘”に住んでいた当時は、そのやうなことは考えたことも無かった。1年間住んだ”コーポハルム”から逃げるようにして引越しした後、住んだのがこの”藤ノ荘”であった。ちなみに”コーポハルム”はK橋を越えてK商業の方へ行ったところにあった。その当時は距離的な苦痛は無かったが、やはり大学から遠いことは何かと不都合であり、ニチイ(現:SATY)前のパチンコ屋Pに近いことも何かと問題があった。さらに、大家さんが近くに住んでいたので家賃の支払いは1ヶ月遅れしか許されなかった。しかし、”藤ノ荘”は違った。入居した当日から引越しするまで、一度も大家の顔を見ずに過ごした、家賃の支払いも手渡してはなく、銀行振込であったこともその要因であるが、大家はいったい何者なのか今でも謎である。ちなみにこの”藤ノ荘”が建っている場所は、昔はビリヤード場であり、部屋に付いていた小さな窓は、その便所のものであったといふ噂もあった。ここの家賃は、最高で5ヶ月まで滞納できた。この”5ヶ月”という期間は非常に重要で、現在この”藤ノ荘”に住んでいる某5回生(となる)I氏が家賃を6ヶ月滞納した時、不動産屋から電話がかかってきて6か月分の家賃を請求されたといふ。ぼくは5か月分の家賃をT道路沿いのパチンコ屋PやHではじき出した。また、大学に近いこともあり、”雀荘”と化したこともあった。流石に三日間徹マンをやったときは、とりあえず雀パイは家に置くまいと心に誓ったものであった。煙草吸い四人で麻雀をやり、後輩S氏の部屋の壁紙が三日間で黄色くなったことを考えても、やはりそれが正解であった。この”藤ノ荘”の隣は居酒屋であり、夜中までカラオケの音が聞こえてくるのはいただけなかったが、その歌に合わせてタダでカラオケることができたのでまあ良かったとしよう。”藤ノ荘”で過ごした1年半の間は、実に様々なことがあった。現在、ぼくは別のところに住んでいるが、この”藤ノ荘”での生活は忘れることのできない思い出である。ただし、ガスを止められた時はどうしようかと思った。



第3部 ”研究室”という名の世界


 どうも初めはこの”研究室”と呼ばれるところに対して抵抗を感じていた。すごく閉鎖的でありまた偏屈そうである、という印象を持っていたからであらうが、それ以上に何をやっているのか見当もつかないという理由によるところが大きいと思われる。実際、ぼくは配属が決まるまで余程の用事がない限り理学部棟へは足を運ばなかった。他にやりたいことがあり、とても”研究室”べったりになれそうもなかったし、またその必要性も感じなかったのである。しかし、卒業するためには必ず何れかの”研究室”に入らなければならず、研究をせねばならない。どうしたものかと考えていた時分、丁度卒論発表会といふものが行われていた。さて、どのやうな研究をしているものかと思い聴いていたが、どうもチンプンカンプンで分からない。その時、”細胞分子工学研究室”の発表が行われた。その発表、内容はまさに”研究”と呼ぶにふさわしいものだと思った。しかしこの”細胞分子工学研究室”、噂では大変厳しいとの評判である。またどうしたものかと考えたが、わずか一年の辛抱、厳しくても興味を持った研究室で”研究”をさせてもらえるならばそれもよかろう、と思いこの”細胞分子工学研究室”の扉を叩いたわけである。人は変われば変わるもので、それまで”研究室”というものに対して批判的であった者も、一旦”研究室”に配属になったとたんに愛”研究室”者となることは少なくない(但しその研究室の雰囲気によるところが大きい)。この”細胞分子工学研究室”の雰囲気は、まさに”研究しよう!しなければ仲間ではない”というものであった。良いか悪いかは別として、この環境に適応したことで得たものは多かった。しかしその反面失ったものも多かったように思われる。新たな世界に旅立つとき必ず何かを捨てなければならないといふことは分かるが、わずか一年でこれ程迄に変わるとはいったい誰が想像し得たであろうか。人間といふものは本当に都合の良い生き物だと思うかたわら、この”研究室”という名の世界は、一種のパラレルワールドであらうと思われる。このやうな人生における岐路は、小学4年の時、中学2年の時、高校3年の時、大学入学の時、に次いでのことであった。



第4部 ワケわからんヤツ


 ドバーラバティーという国家をご存知か。イル=ハン国は。インドのマウルヤ、クシャーナ、グプタ、ヴァルダナ朝は。古代ドナウ川文明は。シュメール都市国家は。テル=エル=アマルナは。レパントの海戦は。マルクスーアウレリウス=アントニヌスは。呉楚七国の乱は。フン族のアッティラは。ブレフトリトフスク条約は。アタワルパは。ドイツ騎士団領は。トゥール=ポワティエ間の戦いは。クマーラジーヴァは。暴君ネロは。こんな知識など何の役にも立たない、とお思いか。その通り。しかしぼくは世界史が好きである。特にマヤ文明、中国史などは最高である。読書が好きである。特に夏目漱石や芥川龍之介、太宰治、司馬遼太郎その他歴史小説などがよい。人間失格や三国志などは最高である。映画が好きである。特にスタンリー=キューブリックやデヴィッド=リンチ、オリヴァー=ストーン監督のものがよい。時計仕掛けのオレンジなんかは最高である。音楽が好きである。特にヘヴィメタル、ハードロック、ブラックロックなどがよい。ガンズアンドローゼズやメタリカなどは最高である。漫画が好きである。特に手塚治虫、大友克洋、美内すずえなどがよい。アドルフに告ぐなどは最高である。ゲームが好きである。特にロールプレイング、シミュレーション、アクションゲームがよい。エニックスやKOEIのゲームは最高である。趣味といわれれば趣味であらうが、趣味でないといはれれば趣味ではないかもしれぬ。しかし、これらと同じレベルで”生物学”も好きなのである。様々な分野で様々なことが為されている現在、アリストテレスやレオナルド=ダ=ヴィンチになれるはずもない。ぼくの存在など生物学の分野においてはほんの1pgくらいであらうが、それでも興味の持てる分野で仕事ができることは非常に有難いことだと思われる。これからもさらに興味の対象を広げてワケわからぬヤツになりたいと思う今日この頃である。



第5部 尾崎豊

ありがとう、そしてさよなら。




THE END

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